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森本次男「樹林の山旅」朋文堂1940の復刻版サンブライト出版19782016/06/22


森本次男「樹林の山旅」

地理学科の先輩からメールを頂き、森本次男のペンネーム「朝 史門」(英国の作家アーサー・シモンズのあやかり)著「山の風景」蘭書房1948を分けて頂いたのをきっかけに、森本次男「樹林の山旅」朋文堂1940の復刻版サンブライト出版1978を大枚はたいて入手しました(日本の古本屋というweb経由)。

本日、届いたところですが、書き出しから引き込まれます。

要約すると

  登山人には2種類ある。
  ①飽くことなく同じ山に日を重ねて登行を続け得る者。
  ②自分自身にとって新奇なる山地を拾うが如くに転々と移り変わり登行を続けて行く者。
   ②-1絶対にと云ってよいほど紹介せざる山へ行かない者。記録を残された山を可也避ける。
   ②-2広告乃至は案内書によって話題に登る山地のみ登行を続ける者   
   
ということで②-1は何の記録も残さない人が多く、登行は自分自身のためであり、他人のための登行で無い以上、他人に自己の記録を教えなければならないという義務はなかろうが、自分は他人の記録を利用している時があるにもかかわらず奉仕の気持ちが無いのは恥ずべきことではあるまいか、ということでこの本を書いた、とのこと。フィールドは奥美濃。

この本の最初の1行は
「奥美濃は関西の隠れた山岳地帯である」

京都の岳人がしばしば奥美濃に行くのは、今西錦司が岐阜大学の学長を務めたことが影響しているのかもと思っていましたが、もっと昔からの流れだったのですね。

先輩からの私信を転載させていただくと
----------------------
森本次男の本について少し補遺しておきます。
おせっかいですいません。

主な著作(単行本)として次のような本がでています。
昔は、北山、丹波高原、奥美濃など山域に足を踏み入れる人なら、
必ずといっていいほど数冊は読んだ著者です。
しかし、没後半世紀が経過した今はそういう時代ではありませんね。

1)森本次男  京都北山と丹波高原       1938 東京 朋文堂(山旅叢書・関西篇)
2)朝  史門 山と漂泊    1940 東京 朋文堂
3)森本次男 樹林の山旅    1940 東京 朋文堂
4)森本次男 京都を繞る山々  1942 京阪電氣鐵道(趣味の京阪叢書 第10輯)
5)森本次男 山の言葉     1942 東京 朋文堂
6)森本次男 行軍・登山・遠足の指導      1943 東京 朋文堂
7)朝 史門 山の風景     1948 京都 蘭書房
8)朝 史門 風 韻      1948-1949 京都 昨日社(私家版)
9)森本次男 京都附近の山   1949 大阪 宝書房(ハイカーの径 第4輯ノ1)
10)朝 史門 山・旅・人   1948 京都 蘭書房
11)森本次男 比良連峰    1961 山と渓谷社(山渓文庫8)
12)森本次男 木曽路の旅   1962 山と渓谷社(山渓文庫18)
13)森本次男 新版・京都北山と丹波高原    1964 山と渓谷社(アルパイン・ガイド45)
14)森本次男 【復刻】樹林の山旅       1978 京都 サンブライト出版

もし、森本の著作がはじめてなら、『山の風景は』森本色が濃く、
文章も森本節が強いので、少し取っつきにくいかもしれません。

スポーツ自転車の初心者に、フロントアングルが立って、リアセンターの短い
ロードをあてがって、佐々里峠の上から北面の佐々里に向けて
「おもろいコースや、さぁ降りようぜ」と誘うような感じです(笑)
初心者でも、魅力にはまるとあとが怖いですが。

さて、森本著作を読み進める一般的な順番としては、
9)11)12)13)などの案内紀行を読み、その本に書かれている山域を自分であるく。
それから3)または14)の奥美濃にステップアップ。
さらに読みたければ2)5)7)10)に進むという感じです。

この森本スクール(教程)をひととおり読み終えるのに、通常なら10年ぐらいかかります。
なので、もし『山の風景』に目をとおして読むのに抵抗を感じられたならば、
11)か13)あたりを手に入れるか、図書館に足を運んで蔵書を読まれると良いでしょう。
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とのお話し。私は1)4)11)は入手しておりましたが、精読はしていないので、改めて向き合おうと思いました。

山の本というのは、結構出版されていて(自転車の本というのは、質・量ともに少ない)、「山岳書」といって山の楽しみ方のひとつのジャンルを形成しているといってもいいのですが、実は退屈なものが多いというのが、個人的感想。

自分が登ったり知っているエリアのことなら読めても、そうでなければ読み物として耐えられるものは多くはないという気がします(失礼)。

そんな感覚の中で、この本は躊躇する値段で、正直、入手をためらいました。

とはいえ、飲み会3回ガマンすればいい位のもので、タイムマシンに乗ったり墓場から森本次男さんを呼び出してお話しを聞く手間暇と実現性を考えれば、安いものだと考えて、これもご縁で、入手できて良かったです。

青崩峠しらびそ峠、秘境駅「金野」(2008/7)2016/06/19


青崩峠
写真:青崩峠:遠山郷 1082m
しらびそ峠
写真:しらびそ峠 1833m
明石峠
写真:赤石峠 1195m
JR飯田線の「秘境駅」:金野
写真:JR飯田線の「秘境駅」金野(きんの)駅前

2008年7月、「青崩峠」「しらびそ峠」「赤石峠」と中部山岳地帯の大きな峠を3つ越え、飯田線の「秘境駅」金野(きんの)まで2泊3日の輪行ツーリングに行ってきました。

そもそも、「山岳サイクリング研究会」の集中ランの集合地点であるしらびそ峠に日曜日の13:00に着くつもりで走ったのですが、猛暑の中、しらびそ峠への勾配がすさまじく、バテ気味で1時間半の遅刻になり、誰とも会えませんでした。

自転車はTOEI650Aランドナー。リクセンカウルのフロントバックを使いたくて、フロントキャリアを外してパスハンター風に改造したのですが、前32×後22 が最大ローで、もっと軽いギアが必要だと後悔しました。

しらびそ峠は、標高1833mもあり、自転車で行ける峠としては相当高いのですが、ヘトヘトになってたどり着いたら、そこからは南アルプスの山々がドカーンと不気味なくらい高く屹立しているのが見えました。

「そうか、自転車ではゴールの最高地点でも、山登りではスタート地点か」「あの山にも登ってみたい」 と思って登山に目覚め、翌年には山岳会に入会したのでした。

【行程】 自転車:TOEI650Aランドナー
2008/7/19 京都6:23=(新幹線ひかり404号)=7:43浜松8:00=(遠州鉄道)=8:37西鹿島9:15~11:03気田川橋~11:07「一景」で軽食11:33~秋葉山下社12:37~17:22山住神社17:30~18:05水窪「中村屋旅館」(泊)
7/20 泊地7:27~8:20池島青崩峠分岐~9:20林道終点(インフレーター、ボトル、フロントバックを外し担ぎ)9:25~9:30青崩峠~10:30遠山郷和田~11:05下栗分岐~14:30しらびそ峠~上村15:40~16:51赤石峠~17:38喬木村「大橋旅館」着
7/21 泊地7:35~9:03金野駅=9:58(JR飯田線)=13:01豊橋13:25=(新快速)=大垣=(快速)=京都


☆写真を見る(Google Photos) 53枚

遭難捜索・登山届け 愛宕山2016/06/18


写真:遭難者捜索で右京警察の方への報告と情報交換

写真:京都府山岳連盟で捜索協力

写真:沢装束を入れたザックと、清滝までの足のTREK7.9FXたぶん2007年モデル

今日は、MTBで朝早くから走る予定にしていたのですが、前夜に所属山岳会より、遭難者捜索の要請があり、参加しました。

遭難者は68歳の男性で、4日前に愛宕山に登り、下山していないとのこと。愛宕山というのは、シビアな山ではないのですが。

警察や消防も捜索したけれど、京都府山岳連盟に協力の要請があり、私の所属している山岳会も岳連加盟のため、情報が届いた次第。

登山道他はくまなく捜索したけれど、発見できず、岳連には、沢筋中心に捜索して欲しいとのこと。

所属山岳会からのメールも、沢装備で懸垂下降ができる人、というオーダー。

私も会に入ってからそのへんのことを学ばせていただいたので、参加した次第。

朝、6時半に愛宕山の登山基地である清滝というところが集合場所。家を6時に出てコンビニで行動食等を買い、6時10分発で、遅刻しそうで申し訳ないと思ったけれど、シティコミュータークロスバイク・リアキャリア付き、に登山ザックをくくりつけて、無理なく走ったら、清滝にはパンクチュアルに着き、ウチから清滝は、たった20分か、私が毎日通勤している大阪・梅田から会社までの歩きの時間よりも近い、と右京区民にとって愛宕がいかに近いのか、改めて認識した次第。

で、集合地点には岳連加盟山岳会の方々が集合されており、担当を決めてそれぞれのエリアを捜索。亀岡の山岳会等の方々は、別の地点を出発して捜索。

沢筋中心に捜索したのですが、見つからず、愛宕神社のところでは右京警察の方4名と出会い、状況を報告。

下山も登山道外のところを含めて捜索しました。下山したところで消防の方と出会いました。消防の方は、これまでかなり大規模で捜索されて、滑落しそうなところとか登山道はくまなく捜索したけれども、見つからないとのこと。

通常、警察や消防は、「ここに遭難者がいる」ということが明かな場合、解決に向けた体制を組みますが、登山届けがなく、「どこに登ったのかよくわからないんですけど、帰ってこないんです」という登山行方不明者には、捜索範囲が特定できないため、対応が限られてしまうようです。

警察や消防を大規模に動員するということは、その分、別の場所での対応には負担になるわけで、公共の安寧に携わる立場としては、特定の案件だけに関わるわけにはいかないのは、市民感覚・納税者感覚としても仕方ないところでしょう。

ですから、登山届けというのは重要な意味を持つと、改めて認識しました。登山届け無しで行方不明になった人には、対処方法がどうしても限定されますが、きちんと登山届けがしかるべきところに出されていれば、当局としても、対応の仕方が判りやすい、ということでしょう。

今回の場合の愛宕山というのは京都近辺の人にとって火伏せの神様として親しまれており、山頂付近に愛宕神社があることもあって、愛宕さんに登るのに、いちいち登山届けを出す、という習慣はありません。「登山」ではなく「神社への参拝」なのに登山届けがいるんかい、という人がいるかもしれませんし。

では、なんで、警察や消防がすごい体制で臨んだかというと、遭難者のバイクが登山口にあったため。

それで、遭難者は確実にここから登って、ここに降りようとしていたという推論が成り立ち、警察消防は行動範囲が推測できるため、体制を組んだ、ということらしいです。

でも、これだけ探しても見つからない。神隠しにあったのか、そんな気持ちで解散しました。

その後、地元の人と話す機会があり、おばあちゃんですけど、参考になりました。

おばあちゃんの話
①行方不明登山者が出ると、地元の猟師さんは、自分の仕掛けたワナを見に行く。自分のワナだと気が悪いから。バリエーションルートとかいって獣道のようなところを単独で歩くのは、そういうリスクもあるのかと思いました。

②数年前も、行方不明の方が出て、奥さんはその後、毎日、行方不明者捜索協力のチラシを登山口で配っていた。半年後、地元の猟師さんが、まさかこんなところ、というところでザックを発見した。それで、ようやく葬式が出せると奥さんは感謝されて、地元に御礼の品を配った。

今回も、警察や消防の方は行方不明の方の写真を見せて、「この方を見られませんでしたか」と捜査されています。

今回同行した、私の所属する山岳会の理事長は、ザックに大きく「京都 ○○(苗字)」と書かれています。

今のご時世ですと、「なんでそんな個人情報(苗字だけで、住所とか個人を特定できるものではないですから個人情報でもないですが)を無防備にさらすんですか」
というツッコミがありそうですが、山では、それぞれ自分の存在を他者に知らせることがいざというときの生存につながるからだとお伺いしました。

山で挨拶するのはマナーというより、いざというとき、「あっ、その人とあそこですれ違いました」という情報が命を助けるかもしれない、ということ。

ですから、所属山岳会ではテントには必ず山岳会名を明記しています。

「ああ、あそこであの山岳会のテントがあって、一緒でした」という目撃証言が命を救う、そんな状況を、避けたいのは当然ですが。

秋山郷から松之山温泉、高田 (2014/8)2016/06/07

日本に「秘境」があるとして、秋山郷はその一つとして思い浮かべられるのではないでしょうか。江戸時代後期の書、「北越雪譜(ほくえつせっぷ)」で紹介され、私も学生時代に岩波文庫版で読んで以来、秋山郷を訪ねてみたいと思っていました。

就職して志賀高原にスキーに行くようになりましたが、そのずっと奥の秋山郷までは行けずじまい。2014年の夏、ようやく自転車で訪問する機会をつくりました。

冬期間も含めて実際に生活してみたら「秘境」を実感するのかもしれませんが、21世紀になった現在、夏に走るぶんには、特別な感じはそんなにしませんでした。ただ、民家の形や色には特徴的なものがありますし、住宅や道路の豪雪対応から、地域性を感じられました。

【行程】 自転車:TOEI700Cランドナー
2014/8/21 夜、京都発=中央道=小布施ハイウェイオアシス(仮眠)
8/22 小布施デポ地7:47~8:30信州中野~9:30湯田中駅~12:00丸岡観光ホテル12:40~13:25高天ヶ原~13:48奥志賀高原ホテル分岐~14:05野沢温泉分岐~15:05切明温泉「雪あかり」泊
8/23 泊地8:30~9:20小赤沢10:05~11:00逆巻~12:05秋成本村(昼食・蕎麦)12:40~12:55資料館13:20~13:40津南駅~15:05松之山温泉「明星」泊
8/24 泊地8:15~9:07三方峠~11:07小黒~11:45切光~12:35高田公園~12:42高田駅=(輪行)=豊野駅=(TAXI)=小布施デポ地

秋山郷小赤沢
秋山郷 小赤沢

秋山郷の民家
秋山郷の民家

新しい家も、積雪対応

積雪対応の表示
積雪対応の道路表示

松之山の棚田
松之山の棚田

秋山郷から松之山温泉

里山ライド22016/06/05

今日は、夕方3時からホロホロとMTBで里山ライド。京都は山が近いので、自宅から30分も走れば、シングルトラックに取り付けます。

以前MTBに良く乗っていた頃から20年以上走ってないルートを、記憶を頼りに時々スマホの地図(地図ロイド、国土地理院の国土基本図が表示されるので2.5万図よりも詳しく細かい道が載っている)を頼りに走ってきました。地図にないシングルトラックも多数あるので、時々引き返したり探索しながら。

何十回、何百回も自転車で走っているいつもの国道から、ちょっと登ってこんなトンネルを通ってスタート

しばらくシングルトラックだが、下りは乗車が難しく、押し。

途中からダブルトラックに合流する。暗く、寂しい道。

水辺をかすめて走る

少し担ぎ上げると、
峠です。
峠からは京都の町が一望できます。

若干の押しもありますが、乗車率の高いゴキゲンなシングルトラックが続きます

景色の良いビューポイント

お地蔵さんに挨拶すると、そろそろシングルトラックは、おしまい。

竹林の中の古くからの坂道を下ると、
いつもの田園風景に。正面には息子の卒業した高校が写っているのですが、景観に配慮して目立たない建物です。

日曜の夕方2時間ほどで十分楽しめた里山ライドでした。

北条町駅から智頭町、香住へ(2012/11)2016/06/03

2012年の11月、北条町から中国道に沿って走り、福崎、安富、山崎、平福、大原、智頭、若桜とシックな町並を通って日本海側の香住駅まで走りました。

月に一度鳥取に帰省しているのですが、その時中国道から見える道路を自転車で走ってみたいと常々思っていたのと、沿線には民俗学の柳田國男の生家がある福崎、木材の集散地の山崎、参勤交代の宿場町だった平福や大原、山林地主の町である智頭、若桜鉄道の若桜など、渋い町が連なっており、いつもはクルマで素通りしていたところを、きちんと見たいと思ったのでした。

福崎町:柳田國男の生家
写真:福崎町:柳田國男の生家
柳田はこの家のことを「日本で一番小さい家」と記しているが、もっと小さい家は沢山ある。当時、東京帝国大学に進学した人の中では、「日本で一番小さい家」ということではなかろうか。

鳥取道と智頭急行との交差
写真:鳥取自動車道と智頭急行とクロスする

宿場町 大原
写真:宿場町 大原 鳥取藩が参勤交代に使った因幡街道。

【ルート】
◎2012/11/24 自転車はグランボア700Cデモンタブル
京都=(輪行)=北条鉄道北条町駅9:15~10:30中国道加西SA横~10:50福崎:柳田國男生家~11:17福崎駅~12:17安志峠~12:40山崎町内13:07~13:33切窓峠~13:45八重谷峠~14:10寺坂峠~14:30平福~15:25兵庫岡山県境~15:40智頭急行宮本武蔵駅~15:50大原~16:25西粟倉村~17:17木地山峠~18:12右手峠~18:47智頭町(林新館 泊)
◎11/25
8:00智頭町8:52~9:20板井原トンネル~9:40板井原~10:23用瀬町赤波~10:37まぢトンネル~10:50八頭町船岡~11:00隼駅11:17~12:12若桜12:45~13:40舂米~14:20兵庫県境~14:52香美町秋岡~15:15国道9号和田交差点~16:11香住駅=(輪行)=京都
北条から香住
 ☆ルートラボで詳しくルートを見る

【メモ】
・山崎や大原など、自動車道やバイパスを走っていたのではわからない、渋い素敵な町並が堂々と存在している。
・志戸坂峠のトンネルを通るのが嫌なので、木地山峠と右手峠を通って岡山-鳥取県境を越えようとしたところ、途中で日が暮れてしまった。ガスの中も走ったが、その際はLEDの光は拡散して役にたたなかった。昔からのナショナルの探険ライト(豆電球)だとガスの中でも光が地面に届いた。
・右手峠の道を真っ暗な中走っていると、時々サーチライトで照らされたようなまぶしさを感じることがあった。何かと思えば、樹木の間から差し込む満月の光だった。月明かりがあんなに明るいものだと、初めて知った。
てっきり民家があってその光かと思ったら、それは月光。
・柳田國男生家、宮本武蔵誕生の地、平福宿、大原宿、智頭の山林地主の家、西口克己映画監督記念館、隼駅と若桜駅の鉄道施設展示、など見どころ満載であった。有名な観光地はひとつも無いけれど。

写真をみる GooglePhoto(68枚)

丹波の民家や集落の景観--生活の中の美--2016/06/02

 1981年、大学に入学した夏に自動二輪の免許を取って、京都の北側、丹波の村々をオートバイで走った時の第一印象は、美しい!ということ。なんというか、普通の農村景観が絵になるというか、洗練されていると思いました。

 今は自転車で走り回り、関東や東北や中国地方など様々なルーラルなエリアにも足を伸ばしていますが、丹波の農村景観の美しさへの確信はますます強くなっています。
 想像するに、田舎であっても、京都が近いので、大工や庭師、職人さんの意識の中に、直接的であれ間接的であれ、京都の寺社やお屋敷の仕事経験が生きているのではないでしょうか。若いとき京都で仕事をした人が帰郷しているとか、美しいものを見てきた経験の地域的蓄積が反映している、そんな気がします。
 
 観光地でもなく、ごく普通のムラでも「見られている」意識があるのか、「見られなくても自分の美意識として」家の周りの手入れを怠らないのか、とにかく、他の地方に比べて丹波の村々は、全体的に美しいと思います。

 写真の家は、自動車は通れない旧道の峠を下って最初に出会う場所、ムラの入口からするとドンツキの家ですが、とても綺麗に使っていらっしゃいます。家の表はまるで小料理屋がすぐにでもできそうな庭。農作業のための物置も綺麗に整頓されています。ゴミとか朽ちたものは、まったくありません。

 ここまでの家は、そうそうありませんが、山陰出身の私としては、参りました、という感じです。
 
丹波の民家
丹波の家:2016年4月撮影

丹波の民家の物置
同じ家の農作業用物置

骨折の日々・自転車レースで鎖骨と肩甲骨と肋骨骨折(2000/9)2016/05/31

 所属山岳会で何度も山行をご一緒した方が、春山で滑落、骨折されました。幸い、重篤なことにはならなかったのですが、山に復帰されるには少々時間が必要なようです。
 私も2000年に自転車レースで落車し、骨折しました。その、回復までの記録です。
今、読み返してみると、治療やリハビリに役立つような内容はあまりなく、自転車レースで骨折したけど、やっぱり自分は自転車がとっても好きだ、ということをしつこく言っているみたいなもので、すみません。擦過傷跡は、16年経過した現在もはっきり残っていて、たぶん一生治らないでしょう。長文失礼。(2016/5/31記)

【旧HP:自転車とカメラの日々より】

 鎖骨と肩甲骨と肋骨を2本、合計4カ所骨折しました。左膝4針を2カ所、鼻2針を縫うなどの切り傷と擦過傷も多数です。

 自転車ロードレース中に、下り坂時速70km以上で落車して、左肩から地面に落ちたためです(たぶん--落車前後の記憶がないため)。

 こんなことを書くと、自転車レースは危ないと思う人が増えるかもしれないので心配ですが、こんなに大きな怪我はそうそう起こるものではありません。コースの最高速地点で落車という極めてマレなケースです。

 骨折してからインターネットで骨折関係のHPを読みましたが、お医者さん関係の物は深刻な事例の相談が多く、読んでいて本当に怖くなります。日常生活のちょっとしたタイミングで骨折し、治癒が順調でなく、苦しんでいる人の存在を知りました。

 もちろん、そんなに深刻でない骨折治療記もあります。

面白いと思ったのは、人間の想像力というか行動特性がいかに自分の体験にのみ基づいているかということです。

どういうことかというと、例えば、スキーで鎖骨を折った人は手術して退院後すぐに、自転車を片手運転していたりします。自転車で鎖骨を折った人なら、ある程度治るまでは怖くて自転車に乗らないでしょうが・・・。そういう私も駅の階段とかは骨折以前と同じように歩いています。階段から落ちて骨折した人ならもっと注意深く歩くことでしょうが・・・。

私の場合、骨折にしてはおそらくそうたいしたことないケースだと思いますが、どういう経過をたどってどのくらいで再び自転車に乗れるのか、記録に残してみようと思います。

2000924日(骨折当日)

救急車で三木市民病院に運ばれる。もっと深刻そうな怪我の人は別の病院に運ばれた。私ともう一人で、その人はシニアクラスでは常勝の人。私に原因の多くがあって巻き添えにしたのなら、とても申し訳ない。

 担架で処置室に運ばれ、お医者さんに状況を聞かれた後、キズを消毒。消毒して薬を塗り、ガーゼで押さえて包帯を巻く。切れているところは局部麻酔をかけて縫う。

その後レントゲンを撮る。歩けないのでベットに乗ったまま運ばれる。

 レントゲンをとるために立っていると脳貧血のような感じで倒れそうになる。

結果は、肋骨骨折とのこと。

肋骨骨折と聞いて私は「これは大変だ・・・」とビビッたが、医者はまったく平然として同情してくれるそぶりもない(当たり前か)。

「変な折れ方でないのでそのまま安静にしておけば治ります。治療的には入院の必要もありません(独身だったりして身の回りの世話をしてくれる人がなければ、生活面で入院しないと無理)。明日、(自宅)近くの整形外科医の病院に行って下さい」とのこと。

 途中で他の急患が入ったりしたので、ずいぶんとベットの上で待たされた。待っている間、肋骨付近よりも左肩のほうが痛いので、肩は大丈夫かお医者さんに聞いて欲しいと看護婦さんに頼んだ。お医者さんがレントゲン写真をもう一度みて「ああ、肩甲骨にヒビがはいっていますね」。

 看護婦さんは今晩痛くなるかもしれない、治るまで大変ですね、と同情してくれるので、だんだん不安になってくる。三角巾で左腕を吊って、チームの人に運転してもらう車で自宅に帰る。もらった薬は痛み止めの座薬だけ。

 車の中での2時間弱は、特に痛かったり苦しくもなく、腹が減っていたのでパンやヨーグルトを食べだりしていた。

 自宅に帰るとドット疲れがでた。着ていた服(レーシングウエアのまま)をはさみで切ってもらって脱ぎ、座薬を入れて寝た。階段を上がれそうもなかったので、普段は自転車とカメラと本を詰め込んでいる1階の部屋を使用。我が家は都市部の狭小地に建つ3階建て住宅。2FにLDKとトイレ洗面風呂がある。幸い1Fにもトイレがあるが、今晩はトイレにも歩けそうもない(これは骨折よりもケガのため)ので、小用はバケツにすることにする。

 喉が乾いても水をのみにも行けないので、寝たまま飲めるように自転車用の水筒を利用。これはちょうどよい。

 腹は減っているので、晩ご飯は布団から起きあがって食べられるように、おにぎりとたまご焼きをつくってもらった。

 なにが困るかというと、寝ていて起きあがろうとすると痛みが激しいこと。胴体に力を入れられないので後から支えてもらえないと上半身が起こせない。

 座薬が効いたのか痛みで眠れないということもなく、よく寝た。骨折による発熱でか、汗をすごくいっぱいかいた。


9月25日・月(翌日)

朝起きると少しは歩けそうに成っていたので、がんばってトイレに行く。バケツにせずにすんで良かった。階段も上り、食卓で朝食。会社の人に電話。「これから病院に行ってちゃんとみてもらいますが、とりあえず3日は休みます。どのくらいかかるかは、また連絡します」

 タクシーで妻と一緒に病院へいく。服装はパジャマ。咳き込むと肋骨に激痛が走るので、喉を冷たい空気やたばこの臭いで刺激しないように、タオルを鼻と口にあてる。

 メーター1区間の近くの病院。肋骨2本と鎖骨と肩甲骨が折れているとのこと。レントゲン写真をみるとはっきりと骨が折れているのがわかる。昨日の三木市民病院は何だったのか?落車直後でいろいろな角度からレントゲンがとれなかったのは事実だが、どうしてわからなかったのだろう?レントゲンの装置の違いもあるのか、今日の病院の写真だと解像度も高くコントラストもはっきりしていて、見やすい。

 私は肋骨骨折のほうが深刻だと思っていたが、肋骨はすぐひっつくとのこと。幸いどこも変な折れ方でないので、自然治癒を待てば良く、胴体にバンド(はらまきのようなものでマジックテープでとめるだけ)を巻き、三角巾で左手を吊るし、その上から左腕が動かないようにバンド(胴体にまくのと同じものの長さ違い)装着。ケガの処置のため、毎日通うことになる。痛み止めと化膿止めの抗生剤と胃のダメージ(薬による)を緩和するための胃薬を1週間服用。骨折のほうは1週間に1回レントゲンをとり、経過を観察することになる。

 仕事関係は携帯電話で連絡をとり、欠席中の段取りをお願いする。入院していたら携帯電話が使えないので大変だが、自宅療養だと助かる。

 妻が介護用の前開きでマジックテープで留める下着(シャツ)を買ってきてくれた。


9月26日・火(3日目)

病院には一人で行く。往復ともタクシー。医者と話しをし、競輪選手でもこんな(3カ所も)折れ方は少なく、よっぽどスピードがでていたんだろうとのこと。でも1カ所が変な折れ方をするよりもかえってよかったかもしれない、応力を分散して受けとめたのかもしれない、と私は前向きに解釈する。

病院に行くと疲れるので、昼食(妻が作ってくれた弁当)後は昼寝。

1階で寝るのは止めて、普段と同じ3階で寝ることにする。


9月27日・水(4日目)

寝起きするときや咳き込んだ時の痛みはきついが、普通に座っている限りだと、特に痛みは感じずにすむ。但しまともに歩けないので職場に行くのは無理。骨折翌日などは一種の興奮状態で2,3日も休めば会社に行けるかのように思っていたが、冷静になってくると、そんな状態ではないことがわかる。だいいち、メガネもかけられないのだ(鼻の傷をおおうガーゼのため)。


9月28日・木(5日目)

包帯をしている箇所は日に日に減少。右手の包帯がとれたので手が洗えるようになってずいぶんと気分が違う。


9月29日・金(6日目)

会社に診断書を出さないといけないので、書いてもらう。休業の期間は仕事の内容などによって大きく変わる。荷物を運んだり、左手に負荷のかかる仕事なら、2ヶ月は休まないといけないくらい。私の場合は、3週間の休業を要す、と書いてもらった。それよりも早く出勤できるとおもうが、診断書の日数よりも伸ばすわけにはいかないので、大事をとった。

このころから脚の傷の手当がめちゃくちゃ痛くなってきた。ケガした直後よりも少し快復してきたほうが痛くなるらしい。ガーゼを剥がすときに激痛(それでも普通のガーゼでなくケガ用のくっつきにくいガーゼだそうだが)が走り、その後イソジンで消毒するときがまた痛い。

治療の後は痛みで膝を伸ばせないので、おじいさんのような姿(膝と腰をまげた格好)でよたよたと歩くことになる。


9月30日・土(7日目)

脚の手当時はとんでもなく痛いので看護婦さんなどに脚を押さえてもらうくらい。

三角巾で吊った左手はじっとしていたら痛くないが、試しに新聞を手にとろうとしたら、それだけの重さでも痛んで持てそうもない。


10月1日・日(8日目)

暑くもなく寒くもない気候の時で良かった。妻に体を拭いてもらう。「清拭(せいしき)」といってバケツを2個用意し、石鹸をつけるのと拭き取り用を分ける。この日以降定期的に清拭をしてもらう。


10月2日・月(9日目)

レントゲンをとる。まだ1週間なので骨が骨折時以上にズレてないのか確認するのが目的。異常はなかった。骨折時の血が体内にたまっていないかどうかCTも撮る。ごく少量なので処置の必要なし。


10月3日・火(10日目)

療養生活が普通に感じられるようになってくる。職場復帰のことも考えないといけない。鼻のキズ抜糸。メガネをかけられるようになり、楽になり、気分も変わる。


10月4日・水(11日目)

昨日までは病院へはタクシーで往復し、パジャマ姿(ジャージを羽織ったりもするが)だったが、胸の擦り傷の手当もしなくてよいようになったので、今日からポロシャツで病院に行く。帰りは歩くことにした。とてもゆっくりでないと歩けない。

途中でメガネを注文。落車時にメガネは行方不明になり、昔かけていたメガネを使用していたが、職場復帰のためにはちゃんとしたメガネが必要なため。

久しぶりに歩いたので夜、布団に入ると太ももが熱をもってだるかった。自転車の練習会でアップダウンのあるコースを100km以上走った時と同じような感触。10日歩かなかっただけで人間の脚は衰える。


10月5日・木(12日目)

今日から病院まで往復歩く。通常だと12分くらいの距離。歩いていると保育園のお母さんに会ったりして恥ずかしい。脚の傷の抜糸。抜糸自体はそんなに痛くなかった。


10月6日・金(13日目)

明日から体育の日の関係で3連休。連休明けのレントゲンで異常がなければ、翌11日から出勤すると職場に連絡。案外あっというまに時間が経った感じ。キズ治療のガーゼ交換時はまだ激痛。


10月7日・土(14日目)

休みはあと3日、その間にどこまで回復するのか。ケガして以来、夜は10時前には寝、お酒も飲まず。睡眠時間9時間以上をキープ。体力が落ちているので心配だ。


10月8日・日(15日目)

ケガをしているので3連休も関係ない。連休を楽しみにする生活に早く戻りたいと思うが、療養生活に慣れてきている自分にちょっと危機感。


10月9日・(祝)(16日目)

妻がマラソン大会に出かけた。運動できない体であることがわかっているので、うらやましいとも何とも思わない。


1010日・火(17日目)

病院でレントゲン。まだ新しい骨がついている等の確認ができる時期ではないが、経過は順調とのこと。明日から出勤することを告げ、キズの手入れは会社の診療所で続けることにし、紹介状を書いてもらう。骨のほうは1週間に1回病院にいき、レントゲンを撮ることとなる。少々咳をしても肋骨の痛みはたいしたことない。明日から出勤なので、入念に清拭をしてもらう。


1011日・水(18日目)

出勤。11日有給休暇を使ったことになる。休日も含めると18連休。

通勤は自宅から最寄り駅まで徒歩5分。そこから電車に13分ほど乗り、乗り換えてさらに電車で40分で大阪梅田。そこから会社まで徒歩だと23分ほどで、片道約1時間30分の道のりである。梅田から会社まではタクシーを使う。

 仕事は基本的には自分のペースで出来、電話とパソコン操作ができればOKなので、骨折の身には恵まれた職種。

出勤してみると早速クライアントから顔をだすようにとのことなので、トレーニングがてら15分ほどの距離を往復すると、肩が痛かった。歩くと振動でか痛みが出る。イスに座っているぶんには痛くないのだが。

 ケガの手入れ(消毒と薬の塗布)は会社の診療所でする。患者数が少ないわりに看護婦さん等のスタッフ数も多く、コスト的にも余裕があるからか、一般の病院よりも処置が丁寧で助かる。

 帰路は梅田まで歩いた。やはり肩が痛い。仕事も少し早めに切り上げさせてもらった。疲れたので子供と一緒に夜は9時半に寝る。職場の理解もあり、今週は少し早めに退社し、身体を慣らすことにする。

 会社の診療所には金曜日まで通い、後は自宅で薬を塗ったりして処置することにした。


1015日・日(3週間経過)

ケガ後、ようやく風呂に入る。風呂に入れるようになると気分もだいぶ変わり、通常の生活に半分はもどった感じがする。


1017日・火(3週間と2日)

病院に行く。レントゲンで肩甲骨の新しい骨がみえてきたとのこと。鎖骨はまだ。肋骨はレントゲンもとらず。大丈夫だとのこと。胸に巻くベルトは外す。三角巾と外側のベルトだけ。寝るときは念のため胸ベルトもする。


1021日・土(3週間と6日)

三角巾を外して腕を伸ばしたほうが気持ちよいので一日中三角巾をはずしてみる。これまでは帰宅後、食事時に外すことをしてみるくらいだった。特に異常は感じられないので明日のこどもの保育園運動会も三角巾なしでいくことを決意。

運動会に備えてカメラの準備をするが、左手が上にあがらないのとカメラの重さに耐えられないので、カメラをホールドすることができない。一脚と三脚を利用する予定。


1022日・日(4週間)

子どもの保育園運動会。この日までになんとか治そうと思ってきた。カメラはニコンF5+80-200/2.8を三脚固定で使用。F10028-105/3.5-4.5は一脚。手持ち用に軽量なPENTAXMZ-328-70/4。左手はあまり使えないのに懲りずに3台体勢。左手でホールドしてピントをマニュアルで合わせることができないので、全てAF機。特に肩が痛むことなく、楽しく過ごせた。


1023日・月(4週間と1日)

今週から通勤時にタクシーを使うのは止め、三角巾も外して出勤。外見上は普通なので、他人とぶつかったり転倒しないように注意。


1024日・火(4週間と2日)

病院に行く。三角巾を勝手に外したのでお医者さんにムッとされたが、無理をしないようにとのこと。

レントゲンで鎖骨はまだ骨が付いた確認はできないが、順調な経過とのこと。

三角巾を外しても左腕はほとんど動かない。筋肉が落ちて自分の腕の重ささえ支えられないのと関節も動かなくなり、無理に動かすと痛いため。

筋肉が元に戻るには固定していた期間の3倍かかるとお医者さんにいわれる。

だらんと左手を下に下げ、重力だけで動かすというリハビリを開始するようにいわれる。通勤時に歩いたり、しばらく立っていたりすると左肩が痛む症状はまだ続いている。


10月29日・日(5週間)

三角巾ははずしたが左手をつかうことはなく、生活は右手ですませている。肩の関節のゴリゴリ感がある。


1031日・火(5週間と2日)

病院にいく。鎖骨の骨も微妙だが確認できた。積極的に腕を動かすようにとのこと。


11月3日・祝(5週間と5日)

怪我後はじめて車を運転する。左手が自力で上がらないのでハンドルに手を添えるのに右手で上に上げる。実質的には右手の片手運転。


11月4日・土(5週間と6日)

朝起きると腕がムズムズして動かしたいかんじ。動かしても痛みも少なく昨日よりもずいぶんと動くようになる。


115日・日(6週間)

妻とランニングシューズを買いに行く。北野白梅町から烏丸今出川まで30分以上歩いた。肩が痛くなるかと心配したが、許容範囲だった。帰宅後、30分ほど超スロージョギングをする。妻が伴走。走り終わってとても気持ちよかった。運動の幸せを実感。もちろん、転けたりするとおしまいというか大変な状況になる(また簡単に骨折する)と医者にいわれているので、緊張感がある。


11月6日・月(6週間と1日)

東京出張。腕がムズムズするので新幹線の中で左手を曲げ伸ばしする。朝早く家を出、帰宅は夜の11時頃だったが、肩は傷まなかった。帰りの新幹線でケガ後はじめて缶ビールを1本飲む。


11月7日・火(6週間と2日)

病院に行く。レントゲンの結果、非常に順調に回復してきているとのこと。肩甲骨は新しい骨でまるくなっている。同じ病院のリハビリコーナーに通う指示が出される。理学療法士やマッサージ士のようなスタッフの人がいる。マッサージが上手で気持ちよかった。

やはり筋肉が落ちているといわれた。2週間動かさなかったら筋肉は脂肪に変わるとのこと。肩関節の可動域が少なくなっているのをもとに戻すには2ヶ月くらいはかかるのではないかということで、そんなにかかるのかと少しガッカリ。


11月8日・水(6週間と3日)

今日もリハビリに行く。会社の帰りで夜なので、お年寄りは少ない。男のマッサージ士のような人だったが、あれこれケガの原因や仕事の内容などを聞いた上、いちばん言って欲しくないことをいうので頭にきた。「もしも・・・だったら、・・・・だったな」みたいなこと。パラリンピックなど見たくもない。


11月9日・木(6週間と4日)

朝、布団の中で目覚めると肩のあたりがこわばって痛い感じ。今日にかぎったことではなく、寝る姿勢を変えると痛くなくなる。あまり寝返りをうてないので、血行が悪くなっての痛みのような気がする。


11月11日・土(6週間と6日)

昨夜風呂上がりにリハビリを一層懸命したら、なんだか肩が痛い。やりすぎの心配はないと聞いているが、あせらずにおこう。

午後妻と50分ほどジョギング。松尾橋から桂川沿いに渡月橋を通る周回コース。嵐山は紅葉はまだ全然だめだが、観光客は多かった。道路は渋滞。ジョグも楽しい。

ヤフーのオークションでMTBを1台売ることにし、梱包用の箱をもらいに車で行く。先週は運転するのがやっとだったが、今日はハンドルまでは十分左手も上がり、ケガしたことをさほど意識せずに運転できた。この件に関してはこの1週間の回復が著しい。

1台自転車を売るということは、1台新しい自転車を買うということを意味する。あれこれわくわく構想を練るのは楽しい。最近は物欲はカメラにシフトしていたので、久しぶりの感覚。


11月12日・日(7週間)

ジョグを1時間20分ほど。先週走り始めたときは左手はほとんど振れなかったが、だいぶ振れるようになった。少しずつ左の筋肉もつきつつあるのだろう。調子に乗ってすこし走りすぎたかもしれない。

 心肺機能のほうをジョグで回復させ、もう少ししたら固定ローラーで自転車に乗り、たぶん12月下旬か年明けになると思う自転車の路上走行に備えたい。たとえば御経坂峠(国道162号線にある京都市内と高雄とのあいだの小さな峠)も満足に登れなくなった自分には会いたくない。公道を乗るときは脚力も心肺機能もそこそこ回復させておかないと危険だし、情けない。

 風呂上がりにリハビリをする。肩はだいぶ動くようになったが、仰向けに寝て肘を立て、手の甲を布団につける方向に曲げるのが全然できない。


11月13日・月(7週間と1日)

病院に行き、リハビリ。先週よりはだいぶ動くようになったと思う。マッサージしてもらうと肩がとても軽くなった感じで気持ちいい。昨日のジョギングで脚の筋肉が痛い。


11月14日・火(7週間と2日)

トレーニングも兼ねて、左手で少し重いカバンをもったりする。昨日のリハビリの成果か、今までは痛かった方向にも動かしたくなってムズムズする感じなので、数多く動かす。


11月15日・水(7週間と3日)

昨日自分でリハビリをたくさんやったからか、なんだか肩の内部が痛い。使いすぎによる痛みの感じ。


11月18日・土(7週間と6日)

朝、近所のコンビニまで牛乳を買いに買い物用自転車に乗る。ケガ後始めて。なんともなかったので、拍子抜けした。

ヤフーオークションで譲ることになったMTBミヤタBP2の清掃・整備・部品交換。なんと5時間以上かかった。左手のことはほとんど意識することなかった。作業でけっこう腕を使ったので、良いリハビリになった。自分の好きなことをしていると、時間とケガのことを忘れるものだと実感。だいぶ回復した証左か。整備の関係でMTBにまたがり、数メートル走る。左腕に体重をかけると、力が入らないが、大丈夫だった。そろそろローラー台トレーニングを始めないといけない。もちろん、固定ローラー。


11月19日・日(8週間)

子どもの七五三。これだけカメラとレンズをたくさん持っていても、写真館に行って写真をとってもらう。

夕方にジョギング50分。先週よりも楽な気がした。

ジョギングコースの桂川沿いの道路は紅葉観光の車で松尾橋から嵐山まで両側とも数珠つなぎ。

晩ご飯は七五三のお祝いで中華レストランにいく。紹興酒とビールを飲む。ケガ後外食してお酒を飲むのは初めて。


11月21日・火(8週間と2日)

病院で診察、レントゲン。とても順調な経過といわれ、次は3週間後に経過観察となる。骨の回復具合について質問すると、肩甲骨の強さは70%くらい、鎖骨は難しい質問だがだいたい半分くらいか、とのこと。肋骨についは、とりたててどうこういう必要はないみたい。

リハビリの後、関節の可動域を測定する専門の人に診てもらう。

骨折の部位を確認しただけで、肩のねじりができないでしょう、といわれ、そのとおりだったのでさすがプロだと思った。

握力も測り、右は41.4kg、骨折した左手は34kgくらいだった。

リハビリ師に関節可動域の「道をつけて」もらい、自分で筋力もつけながら少し広がった可動域(=道)をしっかりしたものにしていく作業。本人の努力が半分以上だといわれる。

日常生活では何をしてもいいとのこと。「日常生活でないことは例えばどんなことですか」と聞くと「ボクシングとかボールを力一杯投げること、衝撃の加わること」

自転車に乗ること自体は問題ないが、やはりこけると危ない。私は練習中や一般公道走行中にこけたことは10年以上にわたって一度もないが、まだ自重しようと思う。

リハビリに時間がかかり、たとえば2ヶ月かかるとしても、2ヶ月後まで現在の状況が続いているわけではなく、日々可動域が僅かずつでも広がっていき、結果として通常に戻るのが2ヶ月後なのだと考えれば、希望がわいてくる。

病院を出て会社に向かう途中でポラールの心拍計を購入。これまでも何台か心拍計は使ってきたが、今回はランニング用にシンプルなもの。リハビリにジョギングをするのは楽しいが、さすがに大分回復してくると、走れるだけで感激していた当初とは違って、どうしても自転車と比べて退屈だと思ってしまう。心拍計で記録をとったりしてランニングを楽しもうという目的。

会社で装着してみると席にじっと座っていて60前後、ちょっと仕事をして70くらい、通勤で歩いて80ちょっと。ケガ前とくらべて心拍数があがっているのかどうかわからないが、これからの変化をみたい。

自転車に気合いをいれて乗っていた頃の起床時安静心拍は確か45以下だったと思う。


11月23日・祝(8週間と4日)

朝、布団の中で左肩がこわばり、少し痛いのは続いている。少し前まではこわばりと痛みで明け方目が覚めていた(寝る向きを変えて横向きに寝ると治る。仰向けで寝ると痛い)のに比べるとましだが、この痛みがなくならないと治ったとはいえないだろう。

オムロンの体脂肪計で測定。以前は体脂肪率15%前後だったが、19%になっている。

ケガ後、体重も1kgほど増えた。私はやせ形なので、体重は5kgくらい増えてもちょうどいいくらいなのだが、脂肪で増えるのはまずい。「やせデブ」になってしまう。

まあ、ジョギングを続けて自転車にも乗れるようになれば、大丈夫だろう。午後1時間18分ジョギング。嵐山~上野橋。心拍140前後で走る。

 その後、自転車(買い物用)で御室の自転車店まで行く。心拍計で計測すると片道1244秒。平均心拍133。御室までは途中から上り坂になるが、予想よりも楽に登れた。近所への買い物以外ではケガ後はじめての乗車。ずいぶんと平常の生活にもどった。


11月24日・金(8週間と5日)2ヶ月

2ヶ月が経過した。

日常生活では特に不便はない。布団の上げ下ろしも食器を洗うのも、棚に仕舞うのも、掃除も問題ない。洗濯物を高いところに干すのは少し不便。自動車の運転も問題ない。服の脱ぎ着も、まあ通常にできる。左手が真上に上がらないので、少し不便を感じるが。

風呂に入って身体を洗ったり、シャンプーする時も、左肩や左手は痛くない。

仕事は事務・営業職なので、全然問題ない。パソコンも両手で通常に打てる。仕事関連でいえば、ゴルフはできない。左手がねじれないので、フィニッシュで手を折りたためないのと、衝撃がよくないからだ。プロゴルファーの人やゴルフが仕事のような民間放送局の支社長、なんて人だったらまだまだ大変だ。

 左手はかなり上まであがるようになったが、鏡をみて確認すると、きちんと肘をのばして手のひらを上にむけて真横から上方向に上げるポジションでは水平より45度くらい上にしかならない。日常生活では肘を曲げたり、真横方向でなく斜め前方向にあげたりするので、結構上に上がるような感じになるが、実際の可動域はそれなりしかない。

 運動関係では、ランニングの腕振りは、まだまだ違和感がある。筋力が回復してないので、腕が重い上に振るとほんの少しだが痛みもある。

 脚の傷跡はまだ盛り上がっていたりするところもあり、時々痒くなることもある。傷がだいたい乾いて風呂に入れるようになるのに3週間、その後1週間は毎日風呂上がり等に薬とガーゼ交換をおこない、念のために傷口を保護するために包帯も巻いた。つまり1ヶ月でメンテナンスは必要なくなったが、その後も何度も皮膚が入れ替わって、傷跡が少しずつ目立たなくなったり、普通に近づいている様子。そうはいっても傷跡はまだまだ目立つので、「美脚モデル」の人だったりすると、仕事はできない。

 全治2ヶ月(本人の意識としてはまだ完全に治っていないので、全然「全治」ではないが)、後はリハビリの領域か。


11月25日・土(8週間と6日)

イベント立ち会いで出勤だったが、会場が京都市内で時間に余裕があったので、出勤前にジョギング。1時間8分。心拍140150で走る。桂川、五条の西大橋まで往復。

帰宅後、ローラー台1時間。自転車でジョギングと同じ体感負荷だと心拍120くらい。ギヤは前5221でケイデンスは80前後。2ヶ月間乗っていなかったせいか、無意識に踏んでいるとケイデンス90にならない。もっとも固定ローラーの負荷調整つまみを軽くすればいいだけの話かもしれないが・・・。

左腕の筋力が衰えているので、ブラケットを握って肘を直角に曲げるポジションがとれない。自転車のポジションに馴れることが大切なので、とにかく時間をかけるしかない。

心拍120くらいでも、風をうけないからか汗がものすごく出た。体中の血行がよくなったので、骨の再生にもよく、肩が暖まってリハビリにも好都合。

数年前の鈴鹿ロードのバーゲンで買ったカルナックのレーサーシューズ(キャプーチが履いていて一世を風靡したもの)をおろす。クリートの調整も兼ねてローラーに乗ったがフィット感も良かった。

七五三でもらった御神酒(月桂冠のカップ酒!)を晩酌で飲む。ケガ後初めての日本酒で、とても美味しく、なめるようにして飲んだ。


11月26日・日(9週間)

保育園のバザー。終わってからジョギング1時間30分(実走時間)。平均心拍130前後。3日前に福知山マラソンを走った妻が自転車で伴走。途中ユニクロで買い物。桂離宮のところで折り返し、嵐山から自宅へ。腕の振りは少しずつ馴れてきているが、これといった変化はなし。


11月27日・月(9週間と1日)

起床前の肩の痛みは続いている。仰向けに寝ると肩甲骨が下がる関係とのこと。起きると痛みは無くなる。

職場の暖房がきついせいもあってか肩が暖まり、肩の内部がムズムズする。仕事中もさりげなくリハビリを続ける。左手を背中から後にまわして右肩方向に手の甲をもっていくかっこうで椅子に座るなど。なんだかとても関節を動かしたい気分なので、少し早めに仕事を切り上げ、病院でリハビリ。

病院からの帰宅中、左手を大きく振って歩いたら、肩の関節内部でいままで癒着していたような感じの部分がプチッと分離し、次に関節のゴリゴリ感が伝わり、少しの痛みとともに可動域が拡大した気分。明るい気持ちになる。

ケガとは関係ないが、結婚した頃に入った生命保険の更新時が近いので、あれこれ考えた末、ソニー生命に乗り換えることにした。先日申し込んだが、骨折して治療中であることを申告したところ、審査の結果「今回の骨折に起因する入院があっても向こう2年間は保険金を支払わないことを担保とする」という条件で帰ってきた。もっともな話だが、なんともいえない気分。


11月28日・火(9週間と2日)

昨日リハビリでたくさん動かしたので、今日は動かしたくない気分。


11月29日・水(9週間と3日)

実は、その前から左手の親指付け根のあたりが突き指のような痛みで違和感があったが、今朝は服のボタンを留めるのにも痛いくらいになってしまったので、会社のビルの整形外科医に行く。薬を飲めば痛みはひく、大丈夫、痛いところを揉んだりしないように、指をひろげて力をいれないように、とのこと。

原因を考えてみるのに、土曜日にローラー台に乗ったとき、左腕の筋力が衰えているために、上半身の体重がモロに手のひらに伝わり、ハンドルと接するところが圧迫されてなったのではないかと思う。

会社の帰りに病院にリハビリに行く。

ずいぶんと動くようになって、腕を上に上げることについては、肘を伸ばしても耳につくようになったので、普通の人ともう変わらないと言われた。ただ、ねじりはまだ少ししかできない。例えば、左手で右肩を持ち、肘を地面水平の位置にして肘をグッと胴体に近づけるのができない。上腕の骨内部が痛い感じ。これは上腕の筋が縮こまっているための痛みとのこと。

帰宅後、試しに腕立て伏せを試みてみたら、信じられないことに出来た。但し右手で70%の力を使っている感じ。左手はただ支えているのに精一杯で動きは右手だけでコントロール。調子にのってたくさんすると良くなさそうなので、2回で止めた。


12月2日・土(9週間と6日)

夕暮れ時にジョグ、1時間45分。平均心拍132。桂川サイクリングロードを桂離宮手前で引き返し、嵐山、渡月橋を回って帰る。

空の色がだんだん濃くなって愛宕山から比叡山までのシルエットが夜空に沈み、空の三日月が輝きを増す風景の中で、ランニングの楽しさをしみじみと感じ入る。

自転車だとトワイライトゾーンは一番交通事故の発生率が高い危険な時間なので、それまでに帰宅するようにしているし、どうしても走らないといけないときは、ライトを点灯して周囲への警戒で気を使うので、夕暮れを楽しむ余裕はない。ランニングだとスピードも遅く、ゆったりと楽しめる。

ランニングにも身体が馴れてきたのか、楽に走れた。腕の動きは上にはもうほとんど通常どおり上がる。

ただ、仰向けに寝て、腕を頭の後で組み(腕まくらのような格好)肘をカーペットの上につけるのが出来ない。地面から45度くらいしかいかない。仰向けに寝て肘を地面に付け、手の甲を地面につける動きもまだ出来ない。まあ、そのうち曲がるようになるだろう。


12月3日・日(10週間)

朝は雨だったがあがったのでジョグ。2時間、平均心拍142。久世橋まで往復。昨日夕方に走った後だからか、走り始めは心拍が高い。往復イーブンペースで帰りのほうが身体が軽くなって、ランニングに馴れてきた感じ。

風呂に入って昼食をとり、午後はMTBで御室経由、京都御所の近くの自転車ショップまで行く。MTBでの走行はケガ後初めて。

MTBのスピード感に驚く。ブロックタイヤなのに、ランニングのペースと比べて矢のような速さだ。脚にショックがなく、クルクルと脚を回すと、ランニングと同じような心拍への負荷だと恐ろしいほどのスピードが出る。目に飛び込む情報量と判断すべき事柄が多い。

ランニングはサイクリングロードを走るというせいもあって自動車が来ないので「ボー」と走れるのだが、さすがに公道の自転車走行は違う。

以前はMTBだとずいぶんと遅く感じられたものだったが、2ヶ月自転車に乗らないと、感覚がこんなになってしまっている。でも、それは喜びでもある。滑るように走る自転車の魅力!

ロードレーサーだとランニングとギャップが大きすぎる。しばらくMTBに乗って馴れてからレーサーに乗ろうと思う。ちょうど冬であるし・・・。

とはいえ、MTBライディングには問題はなかった。息が上がったりもしない。精神的に、交通安全には今まで以上に気を使う。

先日、レース用のヘルメットを買い換えた(ケガの際には頭部は打ってないのでヘルメットは無事だったが、一度大落車にあったものは使う気持ちがしない)が、チョイ乗り用のヘルメット(レース用ほどかぶりが深くない)もあった方が便利なのと、行きにヘルメット無しでMTBで走ったらなんだか頭がスカスカして気持ち悪いのと少し恐いので、御所の近くの店でヘルメットを買って、かぶって帰る。

この季節に京都御所を走ると、素晴らしい色づきの銀杏と紅葉をあちこちで発見する。御所の砂利でMTBのブロックパターンのタイヤが掃除されるので、久々の乗車にはぴったりだった。


12月4日・月(10週間と1日)

東京出張。5時40分起床。起きたときの肩のこわばりは、ほとんど無くなった。寝入りばなに左肩を下にしたポジションをとると、違和感がある。擦過傷のところには未だにかさぶたが残っているのだから、骨折したところに体重がかかって微少な痛みと違和感があるのは、当たり前か。

先月の出張では、新幹線の中で腕を動かしていたが、1ヶ月経つと、ケガのことを意識することはない。

いつもより早めに仕事が終わったので、会社からブラブラと銀座を歩く。カメラ屋によったり、山野楽器でCDを買ったりして、有楽町の駅まで。

ランニングを始めると、「ランナー的生活」とでもいうのか、歩くことが苦にならなくなる。

大丸で弁当を買い、新幹線で月桂冠のカップ酒を飲みながら食べる。時間があれば、大丸で「玉の光」のカップ酒を買うところだが、月桂冠もなかなか良い。カップ酒も飲みやすくてバカにはできないのだ。


12月5日・火(10週間と2日)

会社の帰りにリハビリ。今までのようにムズムズしているところを動かすという感じはなく、関節の感覚もほとんど通常。この1週間ですっかり気分は平常に戻った感じ。後は「日にち薬」か。

家に帰ってからホットカーペットに仰向けに寝て、リハビリに励む。右手と比べて不完全な動きがどこなのかを確かめながら動かす。

来週の火曜日が診察・レントゲンの日なので、そのときに「完治」として区切りをつけたい。


12月9日・土(10週間と6日)

スペシャライズドのMTB「ロックホッパー」納車。フルリジッドのクロモリ(リッチーナイタリアム)でツーリスト的な原点に戻るための自転車。価格だけみるとメーカー価格99000円で一見普及品だが、なかなかマニアックに改造できる素地をもつ。フレームとステムとシートピラーを除いてパーツは総入れ替え。フレーム単体売りをしてくれれば、断然安くついているが、仕方がない。ヘッドはクリスキング、前後ディレイラーXTR、グリップシフト、クランクはスぺシャライズドストロングアーム2、BBやチェーンはXT、などなど。詳細は後日HPにアップ予定。フルリジッドでゆっくり無理せずシングルトラックやダブルトラックを走りたい。

 妻と一緒にジョグ1時間半。桂大橋周回。平均心拍122。快晴の一日だった。


12月10日・日(11週間)

「お父さんのケガが治ったらどこかボクの好きなところに連れて行って」とケガ後3日目くらいから息子が言っていたこともあって、みんなで温泉に行くことにした。ちょうど朝から雨で、道路も空いている。

 自宅を12時頃にでて、約1時間で越畑の蕎麦「まつばら」へ着く。嵯峨野の奥から水尾の里を通る愛宕山麓の道で、自転車だと何十回も走っているが、自動車だと初めて。自転車だと素晴らしい道だが、自動車だと離合困難なところもたくさんあり、全然快適でない。

蕎麦は絶品。野菜の天ぷらも最高。いづれHP上でも紹介したい。長野県の蕎麦を食べ回った蕎麦フリークの人もここの蕎麦を絶賛している。ウルグアイラウンド関連の助成金でつくった「ムラ起こし」の施設だが、人材に恵まれ素晴らしい出来になっている。

 その後日吉ダムの施設に行き、温水プールに入る。レジャープールではなく25mコースのスポーツクラブ的施設。コースでちゃんと泳ぐのは中学以来(私の通っていた高校は城跡にあり、文化庁の許可が出ないとかでプールが建設できなかった)だったが、100m連続で泳げた。25mも数本泳ぎ、「水中歩行コース」で800mくらいは歩いたので、けっこう運動になった。泳ぎは肩のリハビリにも効果的。

 泳ぎの後は隣接する温泉でのんびりし、晩ご飯も食べて帰った。妻子とも大満足。日吉ダムは自転車練習コースで何度も通過したことはあるが、施設を利用したのは初めて。また行きたい。今度は自転車やランニングの後で温泉に入りたい。


12月12日・火(11週間と2日)

診察・レントゲン。「とても順調な回復。集中して骨折した割にはよく動く。まだ3ヶ月弱なのに」とのこと。レントゲンでは、骨折したところは黒い筋となって写るのだが、骨がつくにつれて白くなり、完全に治れば真っ白で他と見分けがつかなくなる。鎖骨はまだ骨折した箇所が画像上でもわかるが、強度はだいぶあるとのこと。肋骨は白くなってもう見分けがつかないくらい。肩甲骨のところはレントゲンで撮影してないのでわからない(その必要もなかったということ)。

腕の動きはまだ固いので、しばらくリハビリには通うようにとの指示。次回の診察は1ヶ月後となった。

 「完治」とはいえないが、職場には「快気祝い」的に京銘菓「阿闍梨餅」を配ることにする。病院から会社に向かう途中、梅田の阪急百貨店で80個購入。


12月13日・水(11週間と3日)

保険金の請求書を記入。大会事務局が加入していたもの、これが通院1日につき2000円。会社の団体扱い積み立て傷害保険が通院1日当たり750円。他に自転車のクラブで加入しているもの(金額はわからない)があり、合計3契約。合計で29日間通院したことになる。ざっと3契約合計の保険金が10万円弱か。

 病院への支払い金額を計算すると、40,942円(健保組合本人負担2割)。他に会社の診療所分があるが給与天引きなので判らない。タクシー代、「快気祝い」的阿闍梨餅代等合計で3万円もあれば足りるだろうから支出合計はだいたい7万円くらいか。

 会社を休んだが、諸手当等の支給基準となる1ヶ月の最低出勤日数基準はクリアしていたため、給与への影響はまったくなかった。また、自宅療養中は全然お金を使わず、通常よりも却って支出は押さえられたので経済的には問題ない。

交通事故等と違って、人を恨んだり、示談や交渉のストレスなく済んだのが一番の幸せ。


12月17日・日(12週間)

昨日から大掃除。クリスマスの飾りを出す前に大掃除しないと、収拾がつかない。今年は2FのLDKを念入りにやり、カーテンと食器棚を換えることにした。雨なのでランニングもなし。夷川(京都の家具の店が集まる通り)に家具を買いにいくなんて、結婚準備の時以来だ。

昨日、新しいスペシャライズドMTBの写真は撮っておいたので、後は実走にかかるのみだが、大掃除と天気とで来週までお預け。来週には、いよいよ復活走行をする予定。


12月23日・土(12週間と6日)

夕方にランニング1時間45分。桂川沿いに名神高速道路手前までの往復20kmを走るつもりが、復路の八条桂大橋で雨が降ってきたためタクシーをひろって帰宅。ずいぶん遠くまで来ている感じだったが、メーターで1310円だった。


12月24日・日(13週・3ヶ月・クリスマスイブ)

ケガ後初めてのMTB本格走行。

新車のスペシャライズド・ロックホッパーの初乗りでもある。新車購入時の定番コース、御室坂→鷹峯然林坊の急坂登坂→京見峠→氷室→シングルトラック→杉坂→R162→高雄→御経坂→長刀坂→広沢の池をカメラ(オリンパスOM4Ti)持参で走る。約3時間(撮影時間含む)。

ランニングの成果が出たのか、息はあがらない。心拍OK。脚の筋肉も違和感なく、まったく心配なかった。ツーリング的にソロ走行するぶんには完全復活!

下り坂も恐くない。といってもMTBだから最高速でも40kmほどのものだが。

走っていると、どんどんと感覚が蘇ってくる。ほんの2週間前も同じように、この道をこんな感じで走っていたかのような感覚で、3ヶ月のブランクを忘れてしまうかのよう。ケガが回復して再び自転車に乗れることに感謝し、コースの素晴らしさにも改めて感動。

自分は本当に自転車が好きで、京都に住んで本当に良かったと心の底から思う。腕の動きは完全に左右同じではないが、時間がたてば治るだろう。

(了)

 ※その後、1月に1回、2月中旬に1回病院に行ってレントゲンを撮りました。2月の時点で「もう病院には来なくていいです。なにかあったら(あっては困る)、また来て下さい」といわれて、区切りがつきました。3月末ごろに最後の「ムズムズ感」があり、最後の数%、動かなかった部分を意識的に動かして、完全に動くようになりました。4月現在、可動域は完全回復、動きは少し固く感じるところはありますが、完治です。ランニングも骨折以来、10kmレース2回、20kmレース1回、ハーフマラソン1回、出走しました。(2001.4.22記)

追記:2002/4/30に人間ドックを受けました。骨密度も測ってもらい、OSI(音響的骨評価値)は3.355で、骨強度は同性の若年成人(2044歳)の平均値に対して115%ということでした。めでたし。

ただ、握力は左右で10kgも違いました。骨折の影響でしょう。自転車ヒルクライム時でも左腕の力不足を感じます。何らかのトレーニングをする必要あり。(2002/6/8記)

江の川&三江線(2007/11)2016/05/27


江の川、三江線
写真:江の川と三江線
江の川沿いを走る
写真:江の川沿いを走る

江の川は、日本で12番目に長い川(194Km)。もちろん中国地方では一番。中国山地を蛇行して複雑な流路を示す。中国地方では、日本海側と太平洋側の分水嶺が県境であることがほとんどなのだが、江の川は県境を突っ切って流れている。

そんな江の川沿いを走ったのは、2007年の11月。自転車で走った後、江の川の河口にある島根県江津(ごうつ)市と、中流域にある広島県三次(みよし)市とを結ぶJR三江線に全線乗車して旅を終えた。

三江線は運行本数が少ないので、全線乗車しようと思ったら、なかなか大変。余裕をもったプランを組むことにし、有福温泉と温泉津(ゆのつ)温泉に泊まり、石見銀山も見学した。

江の川沿いは、様々な形式の橋が架かっており、まるで橋脚博物館のようであった。

【ルート】
2007/11/9 夜 京都=(中国自動車道)=三次のビジネスホテル(泊) 駐車場にクルマをデポさせてもらう
2007/11/10 三次のビジネスホテル8:30~9:10長谷駅~10:23作木口駅~10:32江平駅~11:14口羽駅~13:26浜原ダム~13:49明塚駅~14:33石見川本駅~15:47川平駅~16:45有福温泉街:但馬屋(泊)
2007/11/11 有福温泉但馬屋8:20~10:23千丈渓~13:46石見川本駅~15:00大家~16:05湯里川の河口~16:30温泉津温泉
2007/11/12 温泉津温泉 廣島屋8:30~9:30石見銀山12:00~12:30大田市駅(輪行)=江津=三次(デポ車回収)=(中国道)=京都

江の川 三江線 ルート

伊勢神宮五十鈴川上流剣峠(2015/5)2016/05/25

何度繰り返して読んでも面白い「近畿景観」という本がある。戦前、大阪の出版社「創元社」が発行した風景史跡記録&旅日記。著者は大阪毎日新聞の初代写真部長、サンデー毎日編集長も務めた北尾鐐之助(きたおりょうのすけ)。谷崎潤一郎が推薦文を書いたりしている。

「阪神付近」「大和河内」「近代大阪」「紀伊伊賀」「京都散歩」「近江山城」「丹波但馬」「若狭紀行」「伊勢志摩」とシリーズで9巻まで発行されている。

私はこのシリーズをはじめ北尾鐐之助の著書は、どれも大好きだ。今となっては再現不可能な地域景観にタイムスリップし、覗き見ることができるからだ。

”覗き見る”というのがポイントで、旅して歩いて記録を残すにしても、民俗学者の宮本常一なら、地域の人へのリスペクト、同じ生活者としてのスタンスに貫かれた印象を受けるが、北尾鐐之助の場合は、平たく言って、あくまで自分というものがはっきりあった上での、観察者としての視点。宮本常一と対照的。

宮本常一は民俗学で北尾鐐之助は文学的。違いは大きいが、私はどちらも大好きで、それぞれの著作はいつも大きな気づきを与えてくれる。

その近畿景観シリーズ「伊勢志摩」は昭和16年の発行。時節柄もあって伊勢神宮に関しては敬虔な表現が数多く記されているが、その中で興味をもったのが「五十鈴川は古へから神聖視され、その流域においては、一切の漁を禁じ、不浄を警め、これを穢すものは神威を犯すものとされて来た。途中、山から落ちる水に、米を搗く水車などが架けられてはいるが、遠く志摩国境の水源地高麗廣付近までは、この流域の山中に村落の営まれているものはなく、四山の水をあつめて、渓谷はまことに碧瑠璃のような水を流している」という箇所。

伊勢神宮上流の五十鈴川とはどんなところなのだろう、自転車でその空間を体験しよう、と思った次第。

伊勢神宮 内宮
写真:内宮、「赤福」前にて

伊勢 五十鈴川に沿って走る
写真:五十鈴川に沿って走る

伊勢剣峠
写真:五十鈴川に沿って走って勾配を上げると、「剣峠」に到着

五ヶ所浦
写真:太平洋側にダウンヒル。「五ヶ所」地区に降りた。

写真:帰路は「鴻坂峠」を越えて、外宮へ戻った。

【記録】2015年5月23日走行 TOEI650Aランドナー
伊勢神宮外宮8:45~9:25伊勢神宮内宮~11:00剣峠11:15~11:35五ヶ所~13:40鴻坂峠~15:10伊勢神宮外宮

【メモ】
・五十鈴川上流は、今では、特に感動的なものではない。特別清浄なエリアというオーラも感じられない。京都の北、大堰川や由良川沿いエリアの方が、景観美を感じられることが多いと思う。
・五十鈴川上流は伊勢神宮が土地を所有しており、居住している人も借地人で長くは続かず、その土地への愛情というかきめ細かな手入れが継続的に行われにくいからではないかと想像した。
・剣峠は、美しい秀逸な峠であった。
・「近畿景観」に描かれた場所を訪ねて、今の様子にがっかりすることは多い。乱雑な建物、不法投棄、看板、その他諸々。

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201505剣峠地図
地図:走行したGPS軌跡が赤色の線