Google

WWW を検索
このサイト(自転車と山の日々)内を検索

地蔵盆2016/08/21

お盆の次の週の土日に「地蔵盆」をする町内が京都では多い。

地蔵盆通行止め
あちこちで「地蔵盆」通行規制がひかれるので、京都市内で住宅地奥深くにクルマで行かれる際には注意されたほうがいい。

私の町内でも以前は、道路を通行止めにして、路上で地蔵盆をしていた(アスファルトの熱でとても暑い!)が、1軒のお屋敷が京都市に物納されて公園になったので、今ではその公園にテントをたてて地蔵盆を実施している。

今年は、くじ引きで町内会長をあててしまったので、今日は朝から準備など。

お地蔵さんをいつもいらっしゃる場所から、公園に移ってもらうのだが、ものすごく重いのにびっくりした。ウチの町内のお地蔵さんは、きわめて小柄なのだが、それでも大人2人がかりで持ち上げるのが精一杯。社殿のような木造りのケース(失礼!)も、重たい。重たい丈夫な木材で造られているのだろう。

 昼のいちばん暑い時間に、お寺さんがこられて子たちにお話しがあった。

お地蔵さんというのは、町内の子たちが間違った道に進まないように、行く手を案内されるミッションに日々励まれているということを、和尚さんのお話で知った。この歳になるまで、そういう基本的なことを知らなかった自分を恥じた。ほかにもありがたいお話しがあった。

ウチの町内は今日1日だけで、行事も割とあっさりしているが、フルに2日間完遂する町内も多数あるようだ。地蔵委員さんをはじめとする町内会役員の献身には頭が下がる。

最近は自転車競技には参戦してないので構わないが、地蔵盆があるので、今年はシマノ鈴鹿も乗鞍ヒルクライムも、出たくても出られなかったのである。

酷暑の時期の炎天下での諸作業は、山登りや自転車乗りよりも、断然疲れるが、数年に一度のことであるし、ポジティブシンキングでいきましょう!

ヤマネの輪行袋:京都のスポーツサイクル ヤマネさんのこと2016/08/20


ヤマネオリジナル輪行袋
写真:ヤマネオリジナル輪行袋
ヤマネオリジナル輪行袋のタグ
写真:輪行袋のタグ、1991年4月29日に購入している

「スポーツサイクル ヤマネ」、京都市内堀川通竹屋町東入ルにある、老舗自転車店である。

就職した年、大阪の枚方市香里園にあった会社の独身寮で、「自転車を買いたいのですが、どこのお店がいいでしょうか」と先輩に聞いたところ、「それなら京都のヤマネさんだな」ということで、今に至る自転車三昧生活の第一歩を踏み入れたのが、ヤマネさんでした。

当時は山根徳太郎さんという大学の先生のような雰囲気の方が店主でした。
私「自転車(ランドナー)を1台お願いしたいのですが」
徳太郎さん「予算はどれくらいですか?」
私「7万円位で」
徳太郎さん「あなたは社会人ですか、学生さんですか?」
私「社会人です」
徳太郎さん「それなら15万円くらいにしてもらうとTOEIというフレームの自転車を組むことが出来ます。乗って軽く、持って軽く、見て美しい、3拍子そろった一生物の自転車が手に入りますよ」
私「それなら、それでお願いします」(清水の舞台から飛び降りる気持ち)

1985年のことで、自分としては自転車にそんなに高いお金を出すのか、と内心驚いたものでしたが、半年後には「予算25万円くらいで」といってスポルティフをお願いしていた私でした。その時、スポルティフというのは自転車をいろいろやった後でオーダーするもので、まだちょっと早いのでは、とたしなめられましたが。※当時でも予算25万円ではちゃんとしたスポルティフは難しかったのだと今にしては思います

当時、ヤマネさんは自転車ツーリングの西の総本山、という雰囲気で、雑誌「サイクルスポーツ」に毎月見て楽しくためになる手書きの広告を出稿されていました。今のようにインターネットで玉石混淆の情報がとりあえず量だけは簡単に手に入る時代とは違って、雑誌の広告情報を隅から隅まで食い入るように読んだものでした。

その広告でいつも紹介されていた(と思う)のが、「ヤマネオリジナル輪行袋」。
山根徳太郎さんの経験とノウハウの結晶ともいえる製品で、細かいところまでよく考えられています。制作したのは神戸のトモミツ帆布、だったと思いますが、阪神大震災で廃業されたと聞いており、ヤマネオリジナル製品の販売はその後途絶えているかと思います(最近の状況はわからないので、違っていたらすみません)

650Aランドナーには無駄なくぴったりサイズの輪行袋で、フォーク抜き方式で、本当にコンパクトにまとまり、列車内の置き場にもそんなに気を遣わずにすみます。

700Cランドナーになると、キツキツで、他の輪行袋を使うことにしています。

もう、このような輪行袋がなくなってしまい、寂しい思いではありますが、ランドナー関連に関しては「アイズバイシクル」があるので、何の心配も要りません。東京の「アルプス」さんは「お客さんに勧められる部品の供給がなくなったから」という理由で店を閉じられたそうですが、今ではアイズバイシクルでオリジナルの各種部品開発をはじめ、レストアから旧部品対応の諸々の作業、もちろん最新の部品対応までやっていただけるので、ほんとにありがたいことです。

京都市右京区京北エルバ工房でスパゲティ、丹波エリアを走る愉しみ2016/07/30


京都市右京区京北「エルバ」
写真:京都市右京区京北町にある「エルバ工房」

エルバの自転車、初期のXTRちょい乗り仕様
写真:かつて一世を風靡?した「エルバ」カラーのちょい乗り自転車

梅雨も明け、夏空がドカーンと広がる本日、久々にロードバイクで走ってきました。

なるべく日陰の道で京都北山の交通量の少ない道を100km弱。昼ご飯は京北町の「エルバ」でタコ&サーモンのスパゲティ。美味。家に帰ってシャワーを浴びて体重を測ると数日前に測った時よりも2kg減っていました。単に水分が抜けただけでしょうが。追い込んだ走りはせず(出来ず)、スルスルと気持ち良く走っただけですが。

エルバ(erba)、その名前を聞いて、おっ!と響く人は一定数いらしゃることとでしょう。

以前、京都の洛北で、自転車ビルダーとして「erba」ブランドを立ち上げられており、京都府高体連の指導者もしていらっしゃったようで、一時期の京都の高校生競技者の自転車はエルバだらけだった記憶があります。

自転車ビルダーの前は陶芸をされていたと聞いています。陶芸→フレームビルダー(クロモリ)→、そして今は京北でピザ&スパゲティのお店。火を入れて何かを作るのがお好きなのでしょう。

京都北山というか丹波エリアを自転車で走って幸せなのは、景観の美しさと、このエルバのような素敵なお店がいろいろと隠れて(ご本人は別に隠していないでしょうが)存在していること。観光客向けということでもなく、地元の人が予約してランチを食べに来られているのが、いいです。地元の人に愛されない店で良かったためしはないですから。

他にも週末だけやっている面白い店は、いろいろあります。朝、普通に起きて、普通に自転車に乗り、丹波エリアのお店で昼ご飯を食べて、昼すぎに帰ってシャワー→ビール、これ以上何を望むのかと思ってしまいます。失礼しました。

エルバの店内
写真:エルバの店内。中庭もあって、7月30日という真夏でも風が快適。店内冷房無しでも心地良い。

エルバのタコ&サーモンスパゲティ
写真:タコ&サーモンスパゲティ 美味しかった

走ったルート(ルートラボ)

パールイズミ レーパンの寿命2016/07/22

耐久性を誇る、パールイズミの自転車ウエア。
もちろん使用頻度によるが、1980年代に買った冬用ロングタイツなど、30年経った今もゴムが劣化するわけでもなく十分使えたりする。

値段は少し高めだが、パールイズミ製品を買ったほうが、品質と寿命の点から断然お得というのがこれまでの経験。

ただ、デザインはもうひとつの感は否めなかった(あくまで個人的感想)ので、輸入もののジャージを買ったりすることも多かったが、やっぱりなんだかんだ言ってもパールイズミ製品の質の高さはすごい。

であるが、命あるものはすべからく終わりがあるのが世の常、今日、洗濯をとりこんだところで、レーパンの寿命が来ているのに気づいた。

先日は、別のレーパン(パールイズミ製)のサドルとすれるところの生地がとても薄くなっていたので廃棄した(レーパンは下着を装着せずに生ではくので、大事をとった)。

今回はパットの縫い目が破れてしまっていた。長期間使っていたので、感謝しているが、パールイズミ製品がこんなかたちで寿命がくるとは思わなかったので、ちょっとびっくり。

パールイズミ レーサーパンツ
写真:パールイズミのレーサーパンツ(裏返したところ)の寿命


久々にチューブラタイヤを買う(SOYO製 モンテアミアータ)2016/07/11


グランボア チューブラー
写真:グランボア チューブラタイヤ モンテアミアータ

昨日、アイズバイシクル(京都・御室)の七夕バーゲンで、20%OFFということもあり、チューブラタイヤを久々に購入しました。

アイズバイシクルの持ち株会社?であるグランボアブランドの「モンテアミアータ」。グランボアがメーカーですが、実際造っているのは名門、大和紡績のSOYO。縫い目がなく、チューブラの特性である円形が具現化されているタイヤです。

自転車を始めた頃は、ロードレーサーだとチューブラが標準で、イタリアのビットリアという会社の「コルサCX」がデフォルトという感じでした。当時でも1本1万円以上しました。チューブラタイヤはパンク修理が一般的には出来ないので、使い捨て。万札を巻いて走っているようなものです。

WO、今でいうクリンチャータイヤはミシュランが「レースでも使える」という触れ込みで出していましたが、スポンサードを受けていたら「使える」というか「使わざるを得ない」というレベルだと思いました。我々、一般ホビーレーサーでも、WOだと走りが重くて固い のは一発で判り、練習用タイヤかな、というのが正直な感想でした。

その後、技術革新が進んで、ビットリアが「オープンコルサCX」というクリンチャーを出したころから、私も使うようになりました。日常用と決戦用ともに。

今はwo=クリンチャーが標準のようになっていますが(カーボンホイールの人を除く)、久々に、チューブラのしなやかな乗り味を楽しみたいと思ったのと、「床の間自転車」になっていたCASATIというイタリア製ロードレーサーを復活させたくなって、その自転車はチューブラホイールなので、購入した次第。

バーゲンで購入したとはいえ、万札をタイヤに巻いて走るのと、状況は変わりませんが、考えてみるのに、他のパーツなら平気で交換して「ムダ」かもしれないコストをかけたりしています。

使えないわけではないのに、パーツを交換する、フレームを交換する、そんなことで上質なチューブラタイヤの20本とか30本以上のお金を使っているのなら、気に入ったフレームの1台を大切にして、その替わり、惜しげも無く、一番大切な部品のひとつであるタイヤにコストをかける、それこそ、正しい自転車乗りかもしれません。

消耗品のコストは気にするのに、そうでないものにはコストを掛ける、そんな状況に自分自身がなっていることを反省した次第。
写真:グランボアのSOYO製 チューブラ モンテアミアータ

写真:MADE IN JAPAN です


森本次男「樹林の山旅」朋文堂1940の復刻版サンブライト出版19782016/06/22


森本次男「樹林の山旅」

地理学科の先輩からメールを頂き、森本次男のペンネーム「朝 史門」(英国の作家アーサー・シモンズのあやかり)著「山の風景」蘭書房1948を分けて頂いたのをきっかけに、森本次男「樹林の山旅」朋文堂1940の復刻版サンブライト出版1978を大枚はたいて入手しました(日本の古本屋というweb経由)。

本日、届いたところですが、書き出しから引き込まれます。

要約すると

  登山人には2種類ある。
  ①飽くことなく同じ山に日を重ねて登行を続け得る者。
  ②自分自身にとって新奇なる山地を拾うが如くに転々と移り変わり登行を続けて行く者。
   ②-1絶対にと云ってよいほど紹介せざる山へ行かない者。記録を残された山を可也避ける。
   ②-2広告乃至は案内書によって話題に登る山地のみ登行を続ける者   
   
ということで②-1は何の記録も残さない人が多く、登行は自分自身のためであり、他人のための登行で無い以上、他人に自己の記録を教えなければならないという義務はなかろうが、自分は他人の記録を利用している時があるにもかかわらず奉仕の気持ちが無いのは恥ずべきことではあるまいか、ということでこの本を書いた、とのこと。フィールドは奥美濃。

この本の最初の1行は
「奥美濃は関西の隠れた山岳地帯である」

京都の岳人がしばしば奥美濃に行くのは、今西錦司が岐阜大学の学長を務めたことが影響しているのかもと思っていましたが、もっと昔からの流れだったのですね。

先輩からの私信を転載させていただくと
----------------------
森本次男の本について少し補遺しておきます。
おせっかいですいません。

主な著作(単行本)として次のような本がでています。
昔は、北山、丹波高原、奥美濃など山域に足を踏み入れる人なら、
必ずといっていいほど数冊は読んだ著者です。
しかし、没後半世紀が経過した今はそういう時代ではありませんね。

1)森本次男  京都北山と丹波高原       1938 東京 朋文堂(山旅叢書・関西篇)
2)朝  史門 山と漂泊    1940 東京 朋文堂
3)森本次男 樹林の山旅    1940 東京 朋文堂
4)森本次男 京都を繞る山々  1942 京阪電氣鐵道(趣味の京阪叢書 第10輯)
5)森本次男 山の言葉     1942 東京 朋文堂
6)森本次男 行軍・登山・遠足の指導      1943 東京 朋文堂
7)朝 史門 山の風景     1948 京都 蘭書房
8)朝 史門 風 韻      1948-1949 京都 昨日社(私家版)
9)森本次男 京都附近の山   1949 大阪 宝書房(ハイカーの径 第4輯ノ1)
10)朝 史門 山・旅・人   1948 京都 蘭書房
11)森本次男 比良連峰    1961 山と渓谷社(山渓文庫8)
12)森本次男 木曽路の旅   1962 山と渓谷社(山渓文庫18)
13)森本次男 新版・京都北山と丹波高原    1964 山と渓谷社(アルパイン・ガイド45)
14)森本次男 【復刻】樹林の山旅       1978 京都 サンブライト出版

もし、森本の著作がはじめてなら、『山の風景は』森本色が濃く、
文章も森本節が強いので、少し取っつきにくいかもしれません。

スポーツ自転車の初心者に、フロントアングルが立って、リアセンターの短い
ロードをあてがって、佐々里峠の上から北面の佐々里に向けて
「おもろいコースや、さぁ降りようぜ」と誘うような感じです(笑)
初心者でも、魅力にはまるとあとが怖いですが。

さて、森本著作を読み進める一般的な順番としては、
9)11)12)13)などの案内紀行を読み、その本に書かれている山域を自分であるく。
それから3)または14)の奥美濃にステップアップ。
さらに読みたければ2)5)7)10)に進むという感じです。

この森本スクール(教程)をひととおり読み終えるのに、通常なら10年ぐらいかかります。
なので、もし『山の風景』に目をとおして読むのに抵抗を感じられたならば、
11)か13)あたりを手に入れるか、図書館に足を運んで蔵書を読まれると良いでしょう。
--------------------------------

とのお話し。私は1)4)11)は入手しておりましたが、精読はしていないので、改めて向き合おうと思いました。

山の本というのは、結構出版されていて(自転車の本というのは、質・量ともに少ない)、「山岳書」といって山の楽しみ方のひとつのジャンルを形成しているといってもいいのですが、実は退屈なものが多いというのが、個人的感想。

自分が登ったり知っているエリアのことなら読めても、そうでなければ読み物として耐えられるものは多くはないという気がします(失礼)。

そんな感覚の中で、この本は躊躇する値段で、正直、入手をためらいました。

とはいえ、飲み会3回ガマンすればいい位のもので、タイムマシンに乗ったり墓場から森本次男さんを呼び出してお話しを聞く手間暇と実現性を考えれば、安いものだと考えて、これもご縁で、入手できて良かったです。

青崩峠しらびそ峠、秘境駅「金野」(2008/7)2016/06/19


青崩峠
写真:青崩峠:遠山郷 1082m
しらびそ峠
写真:しらびそ峠 1833m
明石峠
写真:赤石峠 1195m
JR飯田線の「秘境駅」:金野
写真:JR飯田線の「秘境駅」金野(きんの)駅前

2008年7月、「青崩峠」「しらびそ峠」「赤石峠」と中部山岳地帯の大きな峠を3つ越え、飯田線の「秘境駅」金野(きんの)まで2泊3日の輪行ツーリングに行ってきました。

そもそも、「山岳サイクリング研究会」の集中ランの集合地点であるしらびそ峠に日曜日の13:00に着くつもりで走ったのですが、猛暑の中、しらびそ峠への勾配がすさまじく、バテ気味で1時間半の遅刻になり、誰とも会えませんでした。

自転車はTOEI650Aランドナー。リクセンカウルのフロントバックを使いたくて、フロントキャリアを外してパスハンター風に改造したのですが、前32×後22 が最大ローで、もっと軽いギアが必要だと後悔しました。

しらびそ峠は、標高1833mもあり、自転車で行ける峠としては相当高いのですが、ヘトヘトになってたどり着いたら、そこからは南アルプスの山々がドカーンと不気味なくらい高く屹立しているのが見えました。

「そうか、自転車ではゴールの最高地点でも、山登りではスタート地点か」「あの山にも登ってみたい」 と思って登山に目覚め、翌年には山岳会に入会したのでした。

【行程】 自転車:TOEI650Aランドナー
2008/7/19 京都6:23=(新幹線ひかり404号)=7:43浜松8:00=(遠州鉄道)=8:37西鹿島9:15~11:03気田川橋~11:07「一景」で軽食11:33~秋葉山下社12:37~17:22山住神社17:30~18:05水窪「中村屋旅館」(泊)
7/20 泊地7:27~8:20池島青崩峠分岐~9:20林道終点(インフレーター、ボトル、フロントバックを外し担ぎ)9:25~9:30青崩峠~10:30遠山郷和田~11:05下栗分岐~14:30しらびそ峠~上村15:40~16:51赤石峠~17:38喬木村「大橋旅館」着
7/21 泊地7:35~9:03金野駅=9:58(JR飯田線)=13:01豊橋13:25=(新快速)=大垣=(快速)=京都


☆写真を見る(Google Photos) 53枚

遭難捜索・登山届け 愛宕山2016/06/18


写真:遭難者捜索で右京警察の方への報告と情報交換

写真:京都府山岳連盟で捜索協力

写真:沢装束を入れたザックと、清滝までの足のTREK7.9FXたぶん2007年モデル

今日は、MTBで朝早くから走る予定にしていたのですが、前夜に所属山岳会より、遭難者捜索の要請があり、参加しました。

遭難者は68歳の男性で、4日前に愛宕山に登り、下山していないとのこと。愛宕山というのは、シビアな山ではないのですが。

警察や消防も捜索したけれど、京都府山岳連盟に協力の要請があり、私の所属している山岳会も岳連加盟のため、情報が届いた次第。

登山道他はくまなく捜索したけれど、発見できず、岳連には、沢筋中心に捜索して欲しいとのこと。

所属山岳会からのメールも、沢装備で懸垂下降ができる人、というオーダー。

私も会に入ってからそのへんのことを学ばせていただいたので、参加した次第。

朝、6時半に愛宕山の登山基地である清滝というところが集合場所。家を6時に出てコンビニで行動食等を買い、6時10分発で、遅刻しそうで申し訳ないと思ったけれど、シティコミュータークロスバイク・リアキャリア付き、に登山ザックをくくりつけて、無理なく走ったら、清滝にはパンクチュアルに着き、ウチから清滝は、たった20分か、私が毎日通勤している大阪・梅田から会社までの歩きの時間よりも近い、と右京区民にとって愛宕がいかに近いのか、改めて認識した次第。

で、集合地点には岳連加盟山岳会の方々が集合されており、担当を決めてそれぞれのエリアを捜索。亀岡の山岳会等の方々は、別の地点を出発して捜索。

沢筋中心に捜索したのですが、見つからず、愛宕神社のところでは右京警察の方4名と出会い、状況を報告。

下山も登山道外のところを含めて捜索しました。下山したところで消防の方と出会いました。消防の方は、これまでかなり大規模で捜索されて、滑落しそうなところとか登山道はくまなく捜索したけれども、見つからないとのこと。

通常、警察や消防は、「ここに遭難者がいる」ということが明かな場合、解決に向けた体制を組みますが、登山届けがなく、「どこに登ったのかよくわからないんですけど、帰ってこないんです」という登山行方不明者には、捜索範囲が特定できないため、対応が限られてしまうようです。

警察や消防を大規模に動員するということは、その分、別の場所での対応には負担になるわけで、公共の安寧に携わる立場としては、特定の案件だけに関わるわけにはいかないのは、市民感覚・納税者感覚としても仕方ないところでしょう。

ですから、登山届けというのは重要な意味を持つと、改めて認識しました。登山届け無しで行方不明になった人には、対処方法がどうしても限定されますが、きちんと登山届けがしかるべきところに出されていれば、当局としても、対応の仕方が判りやすい、ということでしょう。

今回の場合の愛宕山というのは京都近辺の人にとって火伏せの神様として親しまれており、山頂付近に愛宕神社があることもあって、愛宕さんに登るのに、いちいち登山届けを出す、という習慣はありません。「登山」ではなく「神社への参拝」なのに登山届けがいるんかい、という人がいるかもしれませんし。

では、なんで、警察や消防がすごい体制で臨んだかというと、遭難者のバイクが登山口にあったため。

それで、遭難者は確実にここから登って、ここに降りようとしていたという推論が成り立ち、警察消防は行動範囲が推測できるため、体制を組んだ、ということらしいです。

でも、これだけ探しても見つからない。神隠しにあったのか、そんな気持ちで解散しました。

その後、地元の人と話す機会があり、おばあちゃんですけど、参考になりました。

おばあちゃんの話
①行方不明登山者が出ると、地元の猟師さんは、自分の仕掛けたワナを見に行く。自分のワナだと気が悪いから。バリエーションルートとかいって獣道のようなところを単独で歩くのは、そういうリスクもあるのかと思いました。

②数年前も、行方不明の方が出て、奥さんはその後、毎日、行方不明者捜索協力のチラシを登山口で配っていた。半年後、地元の猟師さんが、まさかこんなところ、というところでザックを発見した。それで、ようやく葬式が出せると奥さんは感謝されて、地元に御礼の品を配った。

今回も、警察や消防の方は行方不明の方の写真を見せて、「この方を見られませんでしたか」と捜査されています。

今回同行した、私の所属する山岳会の理事長は、ザックに大きく「京都 ○○(苗字)」と書かれています。

今のご時世ですと、「なんでそんな個人情報(苗字だけで、住所とか個人を特定できるものではないですから個人情報でもないですが)を無防備にさらすんですか」
というツッコミがありそうですが、山では、それぞれ自分の存在を他者に知らせることがいざというときの生存につながるからだとお伺いしました。

山で挨拶するのはマナーというより、いざというとき、「あっ、その人とあそこですれ違いました」という情報が命を助けるかもしれない、ということ。

ですから、所属山岳会ではテントには必ず山岳会名を明記しています。

「ああ、あそこであの山岳会のテントがあって、一緒でした」という目撃証言が命を救う、そんな状況を、避けたいのは当然ですが。

秋山郷から松之山温泉、高田 (2014/8)2016/06/07

日本に「秘境」があるとして、秋山郷はその一つとして思い浮かべられるのではないでしょうか。江戸時代後期の書、「北越雪譜(ほくえつせっぷ)」で紹介され、私も学生時代に岩波文庫版で読んで以来、秋山郷を訪ねてみたいと思っていました。

就職して志賀高原にスキーに行くようになりましたが、そのずっと奥の秋山郷までは行けずじまい。2014年の夏、ようやく自転車で訪問する機会をつくりました。

冬期間も含めて実際に生活してみたら「秘境」を実感するのかもしれませんが、21世紀になった現在、夏に走るぶんには、特別な感じはそんなにしませんでした。ただ、民家の形や色には特徴的なものがありますし、住宅や道路の豪雪対応から、地域性を感じられました。

【行程】 自転車:TOEI700Cランドナー
2014/8/21 夜、京都発=中央道=小布施ハイウェイオアシス(仮眠)
8/22 小布施デポ地7:47~8:30信州中野~9:30湯田中駅~12:00丸岡観光ホテル12:40~13:25高天ヶ原~13:48奥志賀高原ホテル分岐~14:05野沢温泉分岐~15:05切明温泉「雪あかり」泊
8/23 泊地8:30~9:20小赤沢10:05~11:00逆巻~12:05秋成本村(昼食・蕎麦)12:40~12:55資料館13:20~13:40津南駅~15:05松之山温泉「明星」泊
8/24 泊地8:15~9:07三方峠~11:07小黒~11:45切光~12:35高田公園~12:42高田駅=(輪行)=豊野駅=(TAXI)=小布施デポ地

秋山郷小赤沢
秋山郷 小赤沢

秋山郷の民家
秋山郷の民家

新しい家も、積雪対応

積雪対応の表示
積雪対応の道路表示

松之山の棚田
松之山の棚田

秋山郷から松之山温泉

里山ライド22016/06/05

今日は、夕方3時からホロホロとMTBで里山ライド。京都は山が近いので、自宅から30分も走れば、シングルトラックに取り付けます。

以前MTBに良く乗っていた頃から20年以上走ってないルートを、記憶を頼りに時々スマホの地図(地図ロイド、国土地理院の国土基本図が表示されるので2.5万図よりも詳しく細かい道が載っている)を頼りに走ってきました。地図にないシングルトラックも多数あるので、時々引き返したり探索しながら。

何十回、何百回も自転車で走っているいつもの国道から、ちょっと登ってこんなトンネルを通ってスタート

しばらくシングルトラックだが、下りは乗車が難しく、押し。

途中からダブルトラックに合流する。暗く、寂しい道。

水辺をかすめて走る

少し担ぎ上げると、
峠です。
峠からは京都の町が一望できます。

若干の押しもありますが、乗車率の高いゴキゲンなシングルトラックが続きます

景色の良いビューポイント

お地蔵さんに挨拶すると、そろそろシングルトラックは、おしまい。

竹林の中の古くからの坂道を下ると、
いつもの田園風景に。正面には息子の卒業した高校が写っているのですが、景観に配慮して目立たない建物です。

日曜の夕方2時間ほどで十分楽しめた里山ライドでした。