Google

WWW を検索
このサイト(自転車と山の日々)内を検索

ヒルバーグ ライド(Hillberg Rajd) シェルターで経ヶ岳から赤兎山2021/10/13


ヒルバーグ ライド(Hillberg Rajd)
写真:赤兎山避難小屋とヒルバーグ ライド シェルター(テントのようなもの)

ヒルバーグ ライド(Hillberg Rajd)
写真:ヒルバーグ ライド:ポール2本を支柱に使って、あとはガイラインのテンションで立てる。

ヒルバーグ ライド(Hillberg Rajd)
写真:ヒルバーグ ライド

新型コロナ第5次感染の緊急事態宣言期間が終了し、久しぶりに所属山岳会の例会で、縦走登山をした。

福井県、両白山地の経ヶ岳(1625m)から赤兎山(1629m)の縦走ピストン。
2つの山は同じような標高だが、その間はガッツリ切れ込んでおり、久々にハードな縦走らしい縦走であった。

赤兎山には避難小屋があるのだが、満員の事態も想定して、シェルター(ヒルバーグ ライド)を持参し、せっかくなので、それに泊まった。
ヒルバーグはスウェーデンのテントメーカーで、沢登り時にヒルバーグのタープを重宝している。

テント泊登山を開始して最初に購入したのが「アクト」というヒルバーグのテントだった。重宝したが、山岳会に入会してからはプロモンテの4人用テントの出番が断然多く、「アクト」もその後に購入した「ライド」も殆ど使っておらず、久しぶり。

購入したのは10年以上前だが、加水分解でベタベタになっていたりせず、大丈夫だった。(アメリカのメーカーのテントで、数年で防水コーティングがベタベタになって使えなくなった経験がある)

夕方から、そこそこの強風で、小屋泊まりの人からはポール2本で建てるシェルターが大丈夫なのかと心配されたが、全然問題なかった。

ヒルバーグ ライドはシングルウォールなので、結露を減少させるためもあってか、入り口2箇所の上は、ネットになっていて、そこを塞ぐことはできない。

強風にあうと、風が吹き込むかもしれないと懸念したが、そういうことはなかった。テントの天井が風に押されても、室内には吹き込まず、普通にガスコンロも使えた。

ペグが効いていたこともあってか、今回の程度の強風だと全く問題なかった。
なかなか上手に設計してあるのだと、感心した。

奥ノ深谷 沢登り(2018/8)2018/08/05


奥ノ深谷
写真:奥ノ深谷

奥ノ深谷
写真:奥ノ深谷 最初の7m滝。先頭を行くT氏

奥ノ深谷
写真:奥ノ深谷

酷暑、京都市内では38度を超える日々が連続する中、比良山地の奥ノ深谷に沢登りで行ってきました。

比良の沢登りではメジャーなところで、何度か遡行したことがありますが、沢登りではその時の水量等によって難易度や雰囲気が変わるのと、いつもリードしてもらって後ろを歩くので、数回経験したくらいでは、正直、ひとつひとつの滝やポイントをきちんと覚えられていません。

奥ノ深谷
写真:奥ノ深谷。奮闘するT氏。

今回は山岳会の気心しれたメンバー総勢3名。このところの晴天続きでか水量が少ないこともあってか、サクサクと進み、ロープも1度も使いませんでした。無理したのではなく、自然に進めたという感じ。昼頃には遡行を終了しました。

奥ノ深谷
写真:奥ノ深谷。水量が少ないので、いつもは上の段を通過するが、水流沿いに行けた。

同行の先輩は、本や記録では高巻くとされている滝も、全て直登され、巻き無しの完全遡行をされたのでした。凄すぎです。

私としては、高巻きのところが、こんなシビアだったか、という印象。もしかしたらいつもはロープを出してもらっていたからかもしれません。技術的には難しくなく、木の根などを掴みながら足場は置きやすいところをほぼ垂直方向に登って行くのですが、いったん怖いと思うと怖くなるような巻きでした。
滝を登るところはヌメリも少なく、特に危険を感じずに済みました。

奥ノ深谷
写真:奥ノ深谷。

各人の力量によって、それぞれのルートがとれて、なかなか美しい秀渓でした。

酷暑なのでいつもより着込まなかったところ、「寒い」という感覚も時々ありました。
水は冷たくて気持ちいいけど、ずっと浸かっていると、つらくなります。

怖いまでの青空と酷暑の日、沢登りにはぴったりでした。
何度も行きたい沢だと改めて思いました。

【遡行日】2018年8月4日(土)快晴
【行程】坊村駐車場8:20~入渓9:26~12:03遡行終了地点12:19~(登山道下山)~12:55林道~13:42坊村駐車場
奥ノ深谷
地形図:奥ノ深谷 遡行GPSログ

成生岬灯台へ(2018/4)2018/04/15


舞鶴市成生
 写真:成生

 3月初旬に自転車で舞鶴湾の成生(なりゅう)集落まで行ったが、灯台まで行きたくなった。
 岬の突端の灯台への道は無い。灯台の保守は船を利用しているらしい。

前回のMTB地形図破線路探査で、単独自転車行には懲りたので、今回は山岳会の人たちに同行願い、完全登山装備で実行した。先頭は読図の練習をミッションとする方にお願いし、私は終始最後尾を歩いた。

集落を出る時に地元のおばちゃん(複数)に挨拶したところ、「灯台に行く?無理無理」「ずいぶん前から地元の人間も行ったことがない」「以前、行き詰まって船やヘリコプターで救出したことがあった」「1日で帰ってくるのは無理」「クマや猪や鹿もいる」と散々であった。

「迷惑かけないように、無理と思ったらすぐ引き返しますし」ということで、なんとか通過。

地形図では岬のかなり奥まで破線の小径があり田のマークもあるので、離れた田んぼに通う小径があったと推測される。その小径がそこそこ残っているならば、案外簡単に灯台に到着するかもしれないと思ったが、集落を出てすぐに小径は消滅した。

尾根に登り、基本尾根歩きで小ピークをいくつも越えて灯台へ着いた。標高は低いがアップダウンはけっこうあり、体力をそこそこ使った。

まだ下草や若葉が無いシーズン、尾根は見通しもよく歩きやすかったが、左右に広がる日本海の怒濤が地の果ての雰囲気を醸し出し、天気も下り坂とあって、のんびり長閑な気持ちにはなれなかった。

ロープ、登攀具類をフルに背負い、時間があればどこかでアイゼントレーニングもするつもりだったので、装備的には心強かったが。メンバーの中にはクライマーもいるし。

結果、登攀具を使うことはなく、普通の歩きで済んだが、道が無く全く管理されていない空間を地図を頼りに進むという、とても面白い体験ができて大満足であった。同行の皆さん、ありがとうございました。

【実施日】2018年4月14日
【行程】京都市内7:00=成生9:30~12:12三角点(P213)~12:58成生岬灯台13:20~(基本的にピストン)~14:28 P166~16:00成生

成生の集落から灯台ピストンで6時間半かかった。地形図で想像するよりも手応えがあった。

舞鶴市成生
写真:成生

写真:同行の皆さん

写真:小径は無いので適当に斜面を登るが、滑りやすい土質

P213
写真:213m三角点。今回の最高標高。

写真:P213の先、正面のピークを越えると灯台が近い。尾根ルートで走破。

毛島
写真:毛島の洞門がみえた。

写真:灯台が近づいた。

舞鶴湾成生岬砲台跡
写真:戦時中の砲台跡

成生岬灯台
写真:成生岬灯台

成生岬灯台
写真:灯台のプレート

成生岬灯台へGPSログ(往路)
※GPSログ(往路)

※成生や田井をフィールドにした地理学の論文があった。学生時代に読んだ記憶がある。
柿本・島田・藤村「定置網漁村の経済構造-丹後成生の場合-」人文地理1974
・・・今、読み返してみて、なんとよく働く人たちなのだと頭が下がる。集落にある立派な家屋も代々、働きづめで蓄えたものなのですね。遊びに来た人の遭難騒ぎなんて、とんでもない迷惑なのがよくわかります。論文が書かれてから半世紀ほど経つが、その後の変化はどうなのだろう?

愛宕山2017/11/23

京都盆地では、東に比叡、西に愛宕。924m。山城と丹波の国境。
四季折々、いろんな姿をみせてくれます。

今日は、平安郷が一般公開されていたので、普段は入れない広沢の池の東側から愛宕山を眺めることができました。(2017/11)
愛宕山

愛宕山

愛宕山

時々、四季折々いろんなところからの愛宕山を載せていきたいと思います。

2017年豪雪の中、比良蛇谷ヶ峰へ2017/03/24

2016-17年の冬、1月2週目までは全然雪がなく、成人の日の3連休も無雪でしたが、その1週間先には近畿地方にも大雪警報がでる事態になりました。
2月に入っても雪は結構降りました。3月の中旬になっても自宅から見える愛宕山は白くなったりしていました。

そんな今シーズン、何回かスノーシュー山行を楽しみましたが、2月には比良山系の蛇谷ヶ峰に登るお誘いを受け、同行しました。
この数年来、所属山岳会で1月の連休に積雪期比良山全縦走をテント泊2泊3日でやってきた、まさしくそのルートです。

2017年2月12日(日)
<行程>桑野橋駐車場8:35~(林道)~登山道9:55~12:40(電波塔)~14:27デポ地

朽木・桑野橋駐車場

朽木・桑野橋の駐車場は除雪されていたので、ここからスタート

林道からみる朽木・白倉岳
取り付きの林道から、安曇川の向かいにある朽木の山、白倉岳がすごく立派に見えた

比良山系 蛇谷ヶ峰
スノーシューでも、腰まで潜る

懸命にラッセルを続ける

比良 蛇谷ヶ峰 電波塔
電波塔のある稜線まで上がりましたが、ホワイトアウトしていて風も強く、このまま進んでもロクなことはないと判断し、引き返しました。いわゆる敗退で、蛇谷ヶ峰の山頂は踏めませんでしたが、楽しいスノー山行ができました。

無雪期なら、なんていうことのないハイキングコースも、スノーシーズンには全く違う姿を見せてくれます。雪山の魅力はそんなところにあるのかもしれません。
                                    おしまい

スノーシューかワカン(輪カンジキ)か?2017/01/16


ワカンとスノーシュー
写真:左はワカンの定番「エキスパート オブ ジャパン」。右はスノーシューの定番「MSRライトニングアッセント」。

雪山装備で、ワカンかスノーシューか、迷う人は多いかもしれない。

私の所属する山岳会でも新入会員の方などで、しばしば、そういう話を聞く。

私の中での結論は出ている。ストックで済む山行や場所なら、スノーシュー。ピッケルを使わないといけない山行ならワカンもあり。

ワカンは「手段」で、スノーシューは「目的」になり得る。
ワカンを使って楽しいと思ったことはないが、スノーシューだと、雪上行動の自由を得た感覚が得られ、そのために雪山に行こうという気持ちになる。

商業ツアーで、例えば北八ヶ岳のペンションに泊まって、スノーシューハイク+暖かい珈琲+スウィーツ、なんていう企画は成り立つだろうが、スノーシューの代わりにワカンというのはあり得ないというか、聞いたこともない。ワカンを装着すると、それは雪景色を楽しむスノーツアーではなく、鍛錬道場になってしまう。

これまでに、同じところにスノーシューとワカンを持ち込んで比較考察した私の体験からである。

ワカンはツボ足とニアリー。スノーシューはスキー(私はゲレンデスキーしかやっていないのでテレマークとか山スキーとの比較はできない)とツボ足との間か。

ワカンはスノーシューと比べると軽量なので、ワカンを検討する人の多くは、その重量差を問題にしているようである。確かに、ザックに付けて背負う時には、ワカンの軽量メリットを感じられるかもしれないが、足に装着して雪中を歩く時には、スノーシューの性能メリットはワカンとの重量差デメリットを相殺して余りある。

ワカンでラッセルするのはスノーシューの2倍(当社比)の体力が必要。スノーシューとワカンの混成で山行すると、そのことを実感できる。ワカンの人に、スノーシューの人の2倍位の体力があれば同じペースで進めるが。もちろん、雪質による違いはあり、新雪ほどスノーシュー有利で、雪が締まってくるとワカンとスノーシューとの差は縮まるが、残雪期でもスノーシューで不便に思ったことはない。

私が思うのに、冬山のストイックな長期間に渡る山行で、それこそ30kgオーバーの荷物を背負わざるを得ず、そういったシチュエーションで軽量化をシビアに考える、というのであれば、スノーシューとワカンの重量差は問題になるが、日帰りや数日の山行で、その重量差を問題にするような体力なら、そもそも積雪期に山に入らないほうがいいと思う。

また、ワカンに雪上での「浮遊感」を期待するのは無理がある。「ツボ足とどこが違うの?」「無いよりマシか」という程度に考えておいたほうがいい。

ピッケルを使う、例えば積雪期に穂高の稜線に行く、というのであれば、ワカン。スノーシュー歩行を楽しむ、なんていうことを目的にしているのではなく、アイゼンと併用できるワカンの独壇場。硬派なイメージの山岳会に所属したことのある人からは、「皆、ワカンでしたよ。スノーシューの話なんて聞きませんでした」という話であったが、雪山の対象と目的が違うということ。登攀メインでアイゼン&ピッケルにはワカン、ストックで歩けるスノーハイクには、スノーシュー。

急斜面でもストックの範囲内であれば、例えばMSRのライトニングアッセントのようなスノーシューなら全然問題無いと思う。

先日、MSRライトニングEVO(コストパフォーマンス重視の入門モデル)の最新モデルを装着した人と同行したが、EVOはスノーシュー本体がプラスチックのため、急斜面での蹴り込み性能が劣る印象を受けた。アルミの外枠で製造されているライトニングアッセントの性能がやはり上である。

急斜面の下りでは、後ろ向きの態勢で、スノーシューを斜面に蹴り込みながら下る。急な斜面では、登りも下りも、キックステップと同じ感覚で、スノーシューをしっかり蹴り込めば、面白いように行動できる。スノーシューのアイゼン部分を斜面にペタっと置こうとするような、通常のアイゼン歩行のやり方ではなく、アイゼンは無いものと思って、スノーシューが大きな靴の感覚で、キックステップをするのがコツだと思う。

滋賀県野坂山地2017年1月
写真:新雪でラッセル。(2017/1/14 滋賀県野坂山地)
※新雪がどんどん降り積もる状況ではスノーシューでも、腰まで沈む。

ミレーのザック 「シェルパ」-スキー用に買ったのが沢登りで活躍2016/09/23


ミレー シェルパ
 写真:ミレー「シェルパ」 made in FRANCE

1986年1月、就職して最初のボーナスをもらった後、当時、京都の木屋町御池の阪急ビルの1Fにあった「らくざん」という山とスキーの店で購入。枚方の香里園にあった独身寮から出かけて。

ホイチョイ・プロダクション原作の「私をスキーに連れてって」というバブル期スキー全盛時代を象徴する原田知世主演映画の公開が1987年。その直前、バブル経済前夜の、まだ地味な時代ではあったが、スキーブームというのは既に始まっていた頃のことである。

会社の健保組合の保養所が志賀高原にあり、職場や関連企業の女子社員も一緒になってスキーに繰り出しており、私も誘われたのがきっかけ。

当時、一般的に使われていたキャスター付きでゴロゴロ引っ張る普通のスキーバックを買おうと思っていたのだが、店員さんから「スキー場では転がせないので背負う方がいいし、登山用のなら1年中使える」「このザックは良いものだから、これを買ったらよい」と言われて、素直にそうした私であった。

それまで大きな登山用ザックというのは所有したことも背負ったこともなかったのだが、試しに背負ってみると、自分にジャストフィットしていると、すぐにわかった。

それから10年間、スキーをけっこう一生懸命やり、いつもはリフトが止まる夕方ギリギリまでガツガツ滑っていたのだが、その日に限って、なぜか早く切り上げたくなって、路線バスと長野電鉄を乗り継いで志賀高原寮から京都の自宅に帰ったことがあった。その翌朝が阪神大震災で、それを機会に、スキーは止めた。

それからずっと、屋根裏収納庫に眠っていたミレーのザックであったが、山を始めてから大活躍している。ミレー本来の使い方で、ザックも喜んでいるだろう。

登山用のザックも、いろいろ買ったが、最初のこのミレーのザックが一番フィットする。有名バックパッカーが絶賛しているザックメーカーの定番商品でも、私には今イチだと感じたものもある。

シンプルなザックで、単なるズタ袋のよう。ポケットも上蓋にあるだけ。背負いベルトもウエストベルトやフレームも単純。最近のザックのように凝った形状や造りは見当たらないが、肩紐や背面の弾力・しなり具合が良く、とても背負いやすい。

冬のテント泊縦走に使うには小さいが、シビアな山行、例えば沢登りや岩などには、ジャストフィット。これ以上大きい容量だと、バランスと厳しい立ち込みを求められるシビアな山行では、私の実力では背負えない。

「MADE IN FRANCE」時代の製品。その後、ミレーはアジア各国での生産に切り替えている。それだからどうこういうことはないが。

金具も独自のもので、メーカー毎に個性のある時代の最後の良品かもしれない。
購入後四半世紀経ってから、一番使用頻度が高いザックになるとは、不思議なものである。

ミレー シェルパ
写真:ミレー「シェルパ」の背面

ミレーシェルパのタグ
写真:タグ

ミレー シェルパの金具
 写真:肩ベルトの長さを調整するミレーオリジナル金具

写真:底には、沢登り用に水抜き穴を開けた。東急ハンズで道具を買って加工。
                    ※もっと大きい穴のほうがよかった

写真:アイゼン等固定用バンドのミレーオリジナル金具

沢登り-十津川水系 芦廼瀬川(あしのせがわ)2016/09/18

暑さ寒さも彼岸まで。今年の夏の思いで。

沢には今シーズン4回行った。十津川水系の芦廼瀬川の本流遡行をKさんが組んでくれて、参加させてもらった。私は3回目だが、沢は都度、水量やヌメリ、地形の改変が生じているので、いつでも新鮮だ。

同行した方の感想に「水の中を歩いて、泳いで、登って、焚き火して、串焼きを食べて、やりたいことが全部できた」という意味の言葉があったが、私も全く同感。リーダーのKさん、同行の皆さん、ありがとうございました。自転車ツーリングと違って、1人では絶対に出来ません。

芦廼瀬川
入渓してすぐの足慣らし。写っているのは同行のWさん。

芦廼瀬川
この滝は、巻く。芦廼瀬川で巻くのは、この滝のみ。

芦廼瀬川
過去2回の時は、苦労した覚えがなかったが、今回はヌメリがすごく、苦労した。
泊まり装備のザックの重さも堪えた。Wさんにショルダーしてもらい、乗り越した。

芦廼瀬川沢登り
ヌメヌメで、なにげないところも苦労する

芦廼瀬川 核心の8m滝
芦廼瀬川 核心の8m滝。上にいるのは「沢下り」してきた姫路山岳会の人。まさか、下ってくる人がいるとは思わなかったので、びっくりした。

芦廼瀬川8m滝
リードする、Kリーダー

芦廼瀬川 核心の8m滝
無事リーダーが登り、セカンドにWさんが続き、後続への続きのルート工作をしてくれる

芦廼瀬川 核心の8m滝
その次に小生が登るの図。Wさん撮影。写真でみると、別に怖くなさそうだが、ロープで確保されているとはいえ落ちるわけには絶対いかず、ヌメヌメなこともあり、200%くらいの力を振り絞って、何でもありで登る。

芦廼瀬川 核心の8m滝
8m滝の核心を登って残りはトラバースのところだが、過去2回は、気をつけて歩けたが、ヌメヌメのため、懸垂下降で一旦降りてから滝の落ち口まで上がった。

芦廼瀬川
核心部を越えると、怖いところは無いが、ヌメヌメのため、お助けを出してもらったりしながらチームワーク良く進む

芦廼瀬川
平和な感じ

芦廼瀬川
ちょっと時間は早いが、幕地を定める。釣りをする人も。ヒルバークのタープは実に使いやすい。

芦廼瀬川
焚き火で至福の時。下界は35度オーバーだが、沢では長袖で丁度良い。炎の遠赤外線効果が気持ち良い。

夜が訪れる

芦廼瀬川
翌日も時々、ちょっとした泳ぎを交えながら、特に困難な箇所もなく、遡行終了。
クルマのデポ地にドンピシャで上がれて、午前中の予定よりもかなり早い時間に遡行を終了した。
                                  おしまい

森本次男「樹林の山旅」朋文堂1940の復刻版サンブライト出版19782016/06/22


森本次男「樹林の山旅」

地理学科の先輩からメールを頂き、森本次男のペンネーム「朝 史門」(英国の作家アーサー・シモンズのあやかり)著「山の風景」蘭書房1948を分けて頂いたのをきっかけに、森本次男「樹林の山旅」朋文堂1940の復刻版サンブライト出版1978を大枚はたいて入手しました(日本の古本屋というweb経由)。

本日、届いたところですが、書き出しから引き込まれます。

要約すると

  登山人には2種類ある。
  ①飽くことなく同じ山に日を重ねて登行を続け得る者。
  ②自分自身にとって新奇なる山地を拾うが如くに転々と移り変わり登行を続けて行く者。
   ②-1絶対にと云ってよいほど紹介せざる山へ行かない者。記録を残された山を可也避ける。
   ②-2広告乃至は案内書によって話題に登る山地のみ登行を続ける者   
   
ということで②-1は何の記録も残さない人が多く、登行は自分自身のためであり、他人のための登行で無い以上、他人に自己の記録を教えなければならないという義務はなかろうが、自分は他人の記録を利用している時があるにもかかわらず奉仕の気持ちが無いのは恥ずべきことではあるまいか、ということでこの本を書いた、とのこと。フィールドは奥美濃。

この本の最初の1行は
「奥美濃は関西の隠れた山岳地帯である」

京都の岳人がしばしば奥美濃に行くのは、今西錦司が岐阜大学の学長を務めたことが影響しているのかもと思っていましたが、もっと昔からの流れだったのですね。

先輩からの私信を転載させていただくと
----------------------
森本次男の本について少し補遺しておきます。
おせっかいですいません。

主な著作(単行本)として次のような本がでています。
昔は、北山、丹波高原、奥美濃など山域に足を踏み入れる人なら、
必ずといっていいほど数冊は読んだ著者です。
しかし、没後半世紀が経過した今はそういう時代ではありませんね。

1)森本次男  京都北山と丹波高原       1938 東京 朋文堂(山旅叢書・関西篇)
2)朝  史門 山と漂泊    1940 東京 朋文堂
3)森本次男 樹林の山旅    1940 東京 朋文堂
4)森本次男 京都を繞る山々  1942 京阪電氣鐵道(趣味の京阪叢書 第10輯)
5)森本次男 山の言葉     1942 東京 朋文堂
6)森本次男 行軍・登山・遠足の指導      1943 東京 朋文堂
7)朝 史門 山の風景     1948 京都 蘭書房
8)朝 史門 風 韻      1948-1949 京都 昨日社(私家版)
9)森本次男 京都附近の山   1949 大阪 宝書房(ハイカーの径 第4輯ノ1)
10)朝 史門 山・旅・人   1948 京都 蘭書房
11)森本次男 比良連峰    1961 山と渓谷社(山渓文庫8)
12)森本次男 木曽路の旅   1962 山と渓谷社(山渓文庫18)
13)森本次男 新版・京都北山と丹波高原    1964 山と渓谷社(アルパイン・ガイド45)
14)森本次男 【復刻】樹林の山旅       1978 京都 サンブライト出版

もし、森本の著作がはじめてなら、『山の風景は』森本色が濃く、
文章も森本節が強いので、少し取っつきにくいかもしれません。

スポーツ自転車の初心者に、フロントアングルが立って、リアセンターの短い
ロードをあてがって、佐々里峠の上から北面の佐々里に向けて
「おもろいコースや、さぁ降りようぜ」と誘うような感じです(笑)
初心者でも、魅力にはまるとあとが怖いですが。

さて、森本著作を読み進める一般的な順番としては、
9)11)12)13)などの案内紀行を読み、その本に書かれている山域を自分であるく。
それから3)または14)の奥美濃にステップアップ。
さらに読みたければ2)5)7)10)に進むという感じです。

この森本スクール(教程)をひととおり読み終えるのに、通常なら10年ぐらいかかります。
なので、もし『山の風景』に目をとおして読むのに抵抗を感じられたならば、
11)か13)あたりを手に入れるか、図書館に足を運んで蔵書を読まれると良いでしょう。
--------------------------------

とのお話し。私は1)4)11)は入手しておりましたが、精読はしていないので、改めて向き合おうと思いました。

山の本というのは、結構出版されていて(自転車の本というのは、質・量ともに少ない)、「山岳書」といって山の楽しみ方のひとつのジャンルを形成しているといってもいいのですが、実は退屈なものが多いというのが、個人的感想。

自分が登ったり知っているエリアのことなら読めても、そうでなければ読み物として耐えられるものは多くはないという気がします(失礼)。

そんな感覚の中で、この本は躊躇する値段で、正直、入手をためらいました。

とはいえ、飲み会3回ガマンすればいい位のもので、タイムマシンに乗ったり墓場から森本次男さんを呼び出してお話しを聞く手間暇と実現性を考えれば、安いものだと考えて、これもご縁で、入手できて良かったです。

遭難捜索・登山届け 愛宕山2016/06/18


写真:遭難者捜索で右京警察の方への報告と情報交換

写真:京都府山岳連盟で捜索協力

写真:沢装束を入れたザックと、清滝までの足のTREK7.9FXたぶん2007年モデル

今日は、MTBで朝早くから走る予定にしていたのですが、前夜に所属山岳会より、遭難者捜索の要請があり、参加しました。

遭難者は68歳の男性で、4日前に愛宕山に登り、下山していないとのこと。愛宕山というのは、シビアな山ではないのですが。

警察や消防も捜索したけれど、京都府山岳連盟に協力の要請があり、私の所属している山岳会も岳連加盟のため、情報が届いた次第。

登山道他はくまなく捜索したけれど、発見できず、岳連には、沢筋中心に捜索して欲しいとのこと。

所属山岳会からのメールも、沢装備で懸垂下降ができる人、というオーダー。

私も会に入ってからそのへんのことを学ばせていただいたので、参加した次第。

朝、6時半に愛宕山の登山基地である清滝というところが集合場所。家を6時に出てコンビニで行動食等を買い、6時10分発で、遅刻しそうで申し訳ないと思ったけれど、シティコミュータークロスバイク・リアキャリア付き、に登山ザックをくくりつけて、無理なく走ったら、清滝にはパンクチュアルに着き、ウチから清滝は、たった20分か、私が毎日通勤している大阪・梅田から会社までの歩きの時間よりも近い、と右京区民にとって愛宕がいかに近いのか、改めて認識した次第。

で、集合地点には岳連加盟山岳会の方々が集合されており、担当を決めてそれぞれのエリアを捜索。亀岡の山岳会等の方々は、別の地点を出発して捜索。

沢筋中心に捜索したのですが、見つからず、愛宕神社のところでは右京警察の方4名と出会い、状況を報告。

下山も登山道外のところを含めて捜索しました。下山したところで消防の方と出会いました。消防の方は、これまでかなり大規模で捜索されて、滑落しそうなところとか登山道はくまなく捜索したけれども、見つからないとのこと。

通常、警察や消防は、「ここに遭難者がいる」ということが明かな場合、解決に向けた体制を組みますが、登山届けがなく、「どこに登ったのかよくわからないんですけど、帰ってこないんです」という登山行方不明者には、捜索範囲が特定できないため、対応が限られてしまうようです。

警察や消防を大規模に動員するということは、その分、別の場所での対応には負担になるわけで、公共の安寧に携わる立場としては、特定の案件だけに関わるわけにはいかないのは、市民感覚・納税者感覚としても仕方ないところでしょう。

ですから、登山届けというのは重要な意味を持つと、改めて認識しました。登山届け無しで行方不明になった人には、対処方法がどうしても限定されますが、きちんと登山届けがしかるべきところに出されていれば、当局としても、対応の仕方が判りやすい、ということでしょう。

今回の場合の愛宕山というのは京都近辺の人にとって火伏せの神様として親しまれており、山頂付近に愛宕神社があることもあって、愛宕さんに登るのに、いちいち登山届けを出す、という習慣はありません。「登山」ではなく「神社への参拝」なのに登山届けがいるんかい、という人がいるかもしれませんし。

では、なんで、警察や消防がすごい体制で臨んだかというと、遭難者のバイクが登山口にあったため。

それで、遭難者は確実にここから登って、ここに降りようとしていたという推論が成り立ち、警察消防は行動範囲が推測できるため、体制を組んだ、ということらしいです。

でも、これだけ探しても見つからない。神隠しにあったのか、そんな気持ちで解散しました。

その後、地元の人と話す機会があり、おばあちゃんですけど、参考になりました。

おばあちゃんの話
①行方不明登山者が出ると、地元の猟師さんは、自分の仕掛けたワナを見に行く。自分のワナだと気が悪いから。バリエーションルートとかいって獣道のようなところを単独で歩くのは、そういうリスクもあるのかと思いました。

②数年前も、行方不明の方が出て、奥さんはその後、毎日、行方不明者捜索協力のチラシを登山口で配っていた。半年後、地元の猟師さんが、まさかこんなところ、というところでザックを発見した。それで、ようやく葬式が出せると奥さんは感謝されて、地元に御礼の品を配った。

今回も、警察や消防の方は行方不明の方の写真を見せて、「この方を見られませんでしたか」と捜査されています。

今回同行した、私の所属する山岳会の理事長は、ザックに大きく「京都 ○○(苗字)」と書かれています。

今のご時世ですと、「なんでそんな個人情報(苗字だけで、住所とか個人を特定できるものではないですから個人情報でもないですが)を無防備にさらすんですか」
というツッコミがありそうですが、山では、それぞれ自分の存在を他者に知らせることがいざというときの生存につながるからだとお伺いしました。

山で挨拶するのはマナーというより、いざというとき、「あっ、その人とあそこですれ違いました」という情報が命を助けるかもしれない、ということ。

ですから、所属山岳会ではテントには必ず山岳会名を明記しています。

「ああ、あそこであの山岳会のテントがあって、一緒でした」という目撃証言が命を救う、そんな状況を、避けたいのは当然ですが。