隠岐島~島前・島後の4島を巡る[3] ― 2025/07/01
◎走行日:2025年5月25日(日)夜発~30日(金)車中泊1、現地4泊5日
◎使用自転車:グランボア650×42B 55号ランドナー
◎峠:ー
◎宿泊:みつけ島荘(2泊)、民宿 味富、竹の坊
・隠岐島~島前・島後の4島を巡る[1]
・隠岐島~島前・島後の4島を巡る[2]
Day4:5/29晴れ:民宿 味富7:45~8:05福浦トンネル~9:05福浦(集落)~9:45水若酢神社・隠岐郷土館・五箇創生館10:50~12:00白島埼灯台13:10~水木しげる像13:30~14:00世間桜~15:00卯敷(うずき)~16:50西郷・「竹の坊」(泊) 走行:65km
◎使用自転車:グランボア650×42B 55号ランドナー
◎峠:ー
◎宿泊:みつけ島荘(2泊)、民宿 味富、竹の坊
・隠岐島~島前・島後の4島を巡る[1]
・隠岐島~島前・島後の4島を巡る[2]
Day4:5/29晴れ:民宿 味富7:45~8:05福浦トンネル~9:05福浦(集落)~9:45水若酢神社・隠岐郷土館・五箇創生館10:50~12:00白島埼灯台13:10~水木しげる像13:30~14:00世間桜~15:00卯敷(うずき)~16:50西郷・「竹の坊」(泊) 走行:65km
宿を出発して、旧五箇村のよく手入れされた田んぼの中の道を走り、「福浦トンネル」へ。
旧五箇村
福浦の入り江。いかにも外海の荒波を防げそう
単に海沿いの旧道を走ろうと思っただけだったが、思わぬ収穫があった。福浦トンネル、すごい。
福浦トンネル説明板
福浦トンネル(旧)
福浦トンネル・手掘り時代のものか
徒歩時代はこの海沿いの岩盤の上を歩いていたのだろうか
福浦トンネル。それぞれの時代がわかる。
自動車通行時代。1988年に新福浦トンネルが竣工しているので、それまで使われていたのだろう。
新福浦トンネル。1988年6月竣工とある。
福浦滝
福浦でUターンし、水若酢神社へ。隠岐一の宮。
水若酢神社
水若酢神社
水若酢神社
水若酢神社
隣接する「隠岐郷土館」をじっくり見学。
隠岐郷土館
展示物の中で、一番印象に残ったのは「冬ツヅリ」という、冬用の仕事着。
商品経済が浸透する前、自給自足的生活で「衣」をまかなうことは、たいへんなことだったのではないかと思う。
商品経済が浸透する前、自給自足的生活で「衣」をまかなうことは、たいへんなことだったのではないかと思う。
世界中の賃金の安い地域で作ったファストファッションを使い捨てている今の暮らし、、。
冬ツヅリ
その隣にある「五箇創生館」も見学。
五箇創生館
見学に時間を費やした後、今回の旅の目的のひとつである、海上保安庁の「灯台カード」を得るため、白島灯台へ。
白島灯台。「白島」の読み方は、地元のパンフでは「しらしま」、海上保安庁の灯台は「しろしま」になっている。
白島海岸。海霧で、どこからが空なのか判らない
白島神社鳥居。島根県神社庁の読みでは「しらしま」。
白島崎から坂を下り、「中村」にある水木しげるの「アマビエ像」へ。
アマビエ像
水木しげるのルーツはこの地とのことで、水木しげるのブロンズ像があった。
水木しげるブロンズ像
隣に「唐傘の松」という立派な松があった。推定500年以上。
唐傘の松
海沿いの旧道を走ろうと思って、「飯美(いいび)」の集落に入ったが、旧道は落ち葉が堆積して軽トラの轍もなかったため、引き返して新道を走った。
飯美大橋
飯美港
隠岐島後の東海岸を走る。卯敷(うずき)、この集落も海と田んぼが美しい。
卯敷
卯敷
久保呂海岸
「佐々木家住宅」に寄りたかったが時間がないのであきらめ、西郷へひたすら走る。
小さなトンネルを抜けると、西郷の中心部。
小さなトンネル
西郷の建物
西郷
新聞販売店
宿泊した「竹の坊」
Day5:5/30晴れ:「竹の坊」7:40~西郷港8:30=(フェリーしらしま)=菱浦=別府=来居=13:20境港港~14:30美保関灯台15:35~16:23七類港(デポ)=(米子道・中国道)=京都自宅 自転車走行:30km
おき西郷港へ。宿から至近距離。
おき西郷港
フェリー乗り場で出会ったハンターカブCT125で日本一周している人。
3月に浜松を出発して9月には帰宅予定とのこと。
去年、北海道ツーリングをした時にも、CTシリーズで旅している人にたくさん出会った。
3月に浜松を出発して9月には帰宅予定とのこと。
去年、北海道ツーリングをした時にも、CTシリーズで旅している人にたくさん出会った。
Honda CT125 ハンターカブ
フェリー船内にて。ザックは「ヤマネオリジナル」1987年購入。
西郷から境港への切符
西郷港を出発。島前の各港へ寄って、境港へ。
今回のツーリングで全てお世話になった港。たった数日前のことだが懐かしく感じる。
今回のツーリングで全てお世話になった港。たった数日前のことだが懐かしく感じる。
西郷港
菱浦港(中ノ島)
別府港(西ノ島)
来居港(知夫里島)
境港に到着。クルマをデポした七類港へはシャトルバスがある。雨だと乗車しようと思っていたが、天気が持ったので、自走で、ついでに美保関に寄ることにした。
境港の岸壁。正面の橋は、境水道大橋。
境水道大橋は、以前は有料道路だった。歩行者や自転車が通行することが想定されてない道幅だが、交通量が少ないので助かった。
境水道大橋
クルマが来ないので、狭い歩道部分に乗り、境港市街の写真を撮った。
境港市街
美保関灯台で灯台カード。想像していた以上に、美しい灯台と周囲の景観。
隠岐島の島影も見えた。反対側には大山も。
隠岐島の島影も見えた。反対側には大山も。
美保関灯台
灯台の建物内にビュッフェがあり、特製カレーライスを食べた。海、隠岐島を眺めながらの美味しいカレー。
美保関灯台ビュッフェ
美保関灯台から見える隠岐島
灯台からの坂を降りて、境水道沿いに走っていたところ、隠岐島行きの高速船が爆走していた。高速船には輪行状態でも自転車は積めない。背景には大山。
隠岐島行きの高速船
無事、七類港駐車場に到着。
七類港駐車場(無料)
帰宅後、「ニューサイクリング(NC誌)」1983年10月号11月の薛雅春さんの隠岐島紀行を読む。
NC誌の紀行文に載っている地は、私にとっては歌枕の地のようなものかもしれない。しみじみと、当時を偲ぶ。NC誌を知ってバックナンバーを買い集めたのは結婚後、京都に住んで I’s Bicycle に通うようになってからだが。
NC誌の紀行文に載っている地は、私にとっては歌枕の地のようなものかもしれない。しみじみと、当時を偲ぶ。NC誌を知ってバックナンバーを買い集めたのは結婚後、京都に住んで I’s Bicycle に通うようになってからだが。
有吉佐和子『日本の島々、昔と今』岩波文庫 はエッセーではなくルポルタージュで、隠岐島をめぐる当時の情勢がよく伝わる。竹島のことも。有吉佐和子が大酒呑みだと知ることもできた。
「ニューサイクリング」1983 年10月11月号
(おしまい)
隠岐島~島前・島後の4島を巡る[2] ― 2025/06/30
◎走行日:2025年5月25日(日)夜発~30日(金)車中泊1、現地4泊5日
◎使用自転車:グランボア650×42B 55号ランドナー
◎峠:ー
◎宿泊:みつけ島荘(2泊)、民宿 味富、竹の坊
◎使用自転車:グランボア650×42B 55号ランドナー
◎峠:ー
◎宿泊:みつけ島荘(2泊)、民宿 味富、竹の坊
Day3:5/28晴れ:みつけ島荘・別府港7:50=(内航フェリーどうぜん)=8:02菱浦港(中ノ島)~8:40隠岐神社・後鳥羽天皇御火葬塚・後鳥羽資料館・村上家資料館10:00~10:15宇受賀命神社(うづかみことじんじゃ)~10:35明屋海岸展望所~11:13金光寺(きんこうじ)~12:12菱浦港12:50=(フェリーくにが)=14:00西郷港~14:35西郷岬灯台~15:07玉若酢命神社(たまわかすみことじんじゃ)~16:00水若酢神社~16:30民宿 味富・隠岐温泉(泊)
走行:55km
走行:55km
移動ログ
西ノ島・別府港から内航フェリーで、対岸の中ノ島・菱浦港へ。通学の高校生も利用。中ノ島には「隠岐島前高校」があり、日本中から生徒が集まっており、進学実績(それだけを重視している学校ではないだろうが)もなかなかのもの。
別府港を出航したところ。右手に黒木御所、左手に幕府警固の見附島。
中ノ島に到着。銀行もある。
山陰合同銀行海士支店のあるメインストリート
まずは、隠岐神社へ。1934(昭和14)年創建の新しい神社。京都でいえば平安神宮のようなものかも。
海士町には隠岐・中ノ島に配流され、この地で亡くなった後鳥羽上皇ゆかりの史跡が集まっている。
隠岐神社
隠岐神社
後鳥羽天皇御火葬塚
向かいにある後鳥羽院資料館も見学
後鳥羽院資料館
後鳥羽天皇に仕えたといういわれのある隠岐の旧家・村上家の資料館。京の公家・水無瀬家とも交流があった。
村上家資料館
村上家資料館 入り口
後鳥羽資料館で紹介されていた「宇受賀命神社(うづかみことじんじゃ)」を目指す。
西ノ島ではあまり見なかった、田んぼが広がっていた。
西ノ島ではあまり見なかった、田んぼが広がっていた。
県道317号海士島線
田んぼの中に浮かんでいるように見える宇受賀命神社。平安時代の神社一覧に名を連ねる古い神社。
宇受賀命神社
宇受賀命神社の本殿
海沿いに走り、島の北側、明屋(あけや)海岸へ
牛がまどろんでいた
明屋海岸
明屋海岸
そこそこのヒルクライムで金光寺へ。小野篁が参ったとのこと。
金光寺
坂を下って、海士町中心部へ。農協の建物が渋い。
海士町の農協
菱浦港に戻り、フェリーで島後・西郷へ向かう
島後へのフェリー切符
フェリー乗り場の建物はウッディーな空間
菱浦港乗り場。隠岐関連の本を読める
畳でくつろぐこともできる
隠岐汽船フェリー くにが
自動車を積み込んだところ
菱浦港を出航
西郷岬灯台の横を通過し、西郷港はすぐ近く。西郷岬灯台は海上保安庁の「灯台カード」該当で、下船後、自転車で向かう。
西郷岬灯台
西郷港で下船。
西郷は、自動車が普通に多く走っていて、信号も多い。これまで「島旅」感にあふれていたが、なんだか「島旅」感が薄れて本州の普通の町を走っている感覚。
西郷港で下船して、最初に目にした景観
西郷大橋を渡って、西郷岬へ。隠岐空港への経路になることもあってか、交通量が多い。
西郷大橋南詰めから西郷の町を眺める。
西郷
意外に上り坂が続き、西郷岬灯台へ到着。灯台カードを得る。
西郷岬灯台
西郷市街方向へ戻り、玉若酢命(たまわかすみこと)神社へ。
億岐(おき)家住宅
玉若酢命神社の境内に入ったところ、巨大な杉に驚いた。比類なき迫力。
「八百杉(やおすぎ)」と命名される国指定天然記念物で樹齢1500年以上。
八百杉
八百杉
玉若酢命神社本殿
島後の北方、旧五箇村にある宿へ向かう
島後の民家
美しい田んぼが広がってた
隠岐の田園風景
トンネルを抜け、水若酢神社の側を走って、旧五箇村役場へ。
五箇村道路元標
「民宿 味富」に到着。五箇温泉が至近距離。
隠岐島~島前・島後の4島を巡る[1] ― 2025/06/28
知夫里島アカハゲ山より
4月に帰省したとき、95歳の父が「引き出しを整理していたらこんなものが出てきた。隠岐島の玉若酢(たまわかす)神社の鈴」といって、わりと大きな鈴を差し出した。以前(といっても推定70年以上前)、青年団で隠岐島に行き、土産で買ったそう。
手にとったところ、なんだか鈴が隠岐島に呼んでいるような気がして、行きたくなった。
隠岐島には、30年程前、仕事で行ったことがあるが、ほとんど何も覚えていない。
島根半島の七類港からフェリーで島前(どうぜん)の「知夫里島(ちぶりじま)」来居港(くりいこう)で降り、赤ハゲ山展望台などを巡ってその日のうちに内航船で「西ノ島」別府(べっぷ)の宿へ。2泊して後醍醐天皇の黒木御所址や摩天崖(まてんがい)、国賀海岸遊覧船を満喫。3日目に「中ノ島」菱浦港へ渡り後鳥羽上皇関連、その日のうちにフェリーで島後(どうご)の西郷港へ。旧五箇村の宿と西郷の宿に泊まり、境港行きのフェリーで隠岐を後にした。4泊5日で一応、隠岐の全ての島を廻った。
隠岐島というのは地図上では日本海に浮かぶ「孤島」だが、全然僻地感はなかった。古くは中国大陸や朝鮮半島からの文化の通り道であったし、貴人の行き来もあった。近世でも北前船の寄港地であったりしたことから、元々外界に開かれた地なのだろう。神社がすごく立派だし、建築物もしっかりしている。僻地にありがちな粗放感や荒涼感がない。
島全体が整っているという印象。
島全体が整っているという印象。
「日本書紀」の神話によると、神代の昔、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の夫婦神は、高天原(たかまのはら)に住む神々から国生みを命ぜられ、淡路島、四国、隠岐島、九州、壱岐島、対島、佐渡島、最後に本州を誕生させた、とあるので、隠岐島は3男とでもいうか、本州の兄なのである。
◎走行日:2025年5月25日(日)夜発~30日(金)車中泊1、現地4泊5日
◎使用自転車:グランボア650×42B 55号ランドナー
◎峠:ー
◎宿泊:みつけ島荘(2泊)、民宿 味富、竹の坊
◎行程:5/25:京都自宅20:40=(中国道・米子道)=23:59蒜山高原SA(車中泊)
Day1:5/26晴れ:蒜山高原SA6:50=(米子道)=8:00七類港(車デポ)9:30=(フェリーくにが)=11:30来居港(知夫里島)昼食[ニューポート:隠岐牛特製カツ丼]12:18~御越鼻13:00~13:43アカハゲ山展望台14:15~14:37ウクイガ崎展望所付近~14:52古海~15:20来居港15:57=(内航フェリーどうぜん)=16:35別府港~16:50みつけ島荘(泊)
走行:21km
◎使用自転車:グランボア650×42B 55号ランドナー
◎峠:ー
◎宿泊:みつけ島荘(2泊)、民宿 味富、竹の坊
◎行程:5/25:京都自宅20:40=(中国道・米子道)=23:59蒜山高原SA(車中泊)
Day1:5/26晴れ:蒜山高原SA6:50=(米子道)=8:00七類港(車デポ)9:30=(フェリーくにが)=11:30来居港(知夫里島)昼食[ニューポート:隠岐牛特製カツ丼]12:18~御越鼻13:00~13:43アカハゲ山展望台14:15~14:37ウクイガ崎展望所付近~14:52古海~15:20来居港15:57=(内航フェリーどうぜん)=16:35別府港~16:50みつけ島荘(泊)
走行:21km
5/26 走行ログ
島根半島の七類港からフェリーで、隠岐(島前)知夫里島の来居(くりい)港へ。
来居港ターミナル
フェリーくにが
来居港の真正面にある「ニューポート」というお店で、隠岐牛特製牛丼(1,000円)を食べて出発。
特製牛丼
隠岐島(知夫村)で感心したのは、地区のバス停が移動図書館の基地になっていること。
こどもから大人まで、図書館を身近に感じられることだろう。
知夫村のバス停図書館
道端で石像としばしば出会った。
河井湧水の石仏
郡地区から海沿いを走る。前方に「浅島」が特徴的な姿を見せる。
前方に浅島
浅島
ちょっと坂をのぼって御越鼻メグリ照射灯。
御越鼻(みこしはな)メグリ照射灯
アカハゲ山へのヒルクライム。振り返ると、先刻通過した知夫漁港(仁夫里)。
知夫漁港(仁夫里)
後醍醐天皇行在所の碑。正面にはアカハゲ山展望台。
行在所は森の中かと思っていたら、放牧地として開けていた。
後醍醐天皇行在所
坂を28×28の最大ローギアで上っていると、電動アシスト自転車のおばちゃんにあっさりと抜かれた。海抜0mからのヒルクライム。
アカハゲ山の三角点(324m)
アカハゲ山に到着、あまりの絶景に驚いた。
誠に感動的な景観だが、「アカハゲ山」という名称が、、。頭髪を気にする人を誘うのには、ちょっとセンシティブかもしれない。
もう少しロマンティックな想像力をかきたてる名称だったら、観光地としてもっと違う展開になっていたのかもしれない。
まあ、「恋人の聖地○○」とかのいかにも観光向けの愛称よりは断然マシだが。
まあ、「恋人の聖地○○」とかのいかにも観光向けの愛称よりは断然マシだが。
アカハゲ山より島前カルデラを望む
電動アシスト自転車(レンタル)のおばちゃんに写真を撮ってもらった。東京からの一人旅。身体の動くうちに、とのことで隠岐島ではカヤック体験とか諸々アクティブに過ごされるそう。この方とは、この後、何度も隠岐島内で出会うことになる。移動手段とルートが限られているし。
アカハゲ山にて
上ってきた道
アカハゲ山から北向きにルートをとる。
隠岐の海が正面に広がる。
海に向かってダウンヒル
しばらく快調に走っていると、牛が実効支配しているエリアに突入した。
「うしさんうしさん、あやしいものではありません。とおしてください」と言って通してもらった。
牛が小径を実効支配
サイクルツーリングとして垂涎の道が続き、「古海(うるみ)」という集落に出た。
赤瓦のしっかりした家屋。”蘇民将来”の神事が伝承されている。北前船の風待ち港として栄えた時代もあったとのこと。
赤瓦のしっかりした家屋。”蘇民将来”の神事が伝承されている。北前船の風待ち港として栄えた時代もあったとのこと。
知夫村古海
古海のバス停移動図書館
古海付近
来居港に戻り、内航フェリーで西ノ島の別府へ。
内航フェリー乗り場
フェリーどうぜん
来居港の正面には、かつては醸造元であった土産物屋さんがあった。
安藤本店
別府にある「みつけ島荘」に宿泊。
女将は”日本縦断こころ旅”の田中美佐子の小中学校同級生だとご本人から聞いた。
宿の廊下に、”女優と女将”のテニス姿の写真が貼ってあった。
連泊した「みつけ島荘」
Day2:5/27晴れ:みつけ島荘7:55~黒木御所址~9:00宇賀~黒木御所址碧風館~9:55別府・西ノ島ふるさと館(見学)10:10~11:10焼火神社遊歩道入り口[徒歩11:25焼火神社]11:57~12:41船引運河~13:40摩天崖~14:08国賀海岸展望台~14:30浦郷港・国賀海岸定期観光船乗り場15:00=(定期観光船)=16:30後郷港~16:58みつけ島荘(泊)走行:51km
5/27ログ
宿を出て黒木御所址へ。資料館の開館が9時なので、それまでの間、島の東端の宇賀(うか)まで走ることにした。
途中にある「倉の谷」港
倉の谷から宇賀へのバイパス道路の切通ピークに神社入り口があった。
辿ってみると、比奈麻治比売命神社(ひなまじひめみことじんじゃ)。
古くは8世紀、遣渤海使船の帰路、夜闇の海原で迷った際、この神社の霊験で無事浜に着いたといういわれのある、式内社。
それにしても、古い神社がさりげなく存在している、隠岐島。
比奈麻治比売命神社(ひなまじひめみことじんじゃ)
島の東端、「宇賀」
宇賀
宇賀
宇賀付近
黒木御所址へ戻る。1332年から1年余り、後醍醐天皇の行在所であった。
隠岐島民と伯耆国の名和長年らの助けで隠岐から脱出して建武の新政を開始。
そういえば、以前、会社に名和長年の子孫を名乗る後輩がいたことを思い出した。
そういえば、以前、会社に名和長年の子孫を名乗る後輩がいたことを思い出した。
黒木御所址入り口
黒木御所址へ
黒木神社
黒木御所址 行啓記念柱もあった
碧風館:後醍醐天皇関連の資料館
碧風館の展示:「後醍醐天皇の道」
後醍醐天皇の配流と脱出ルートには、身近な地名が複数登場。隠岐島から伯耆国御来屋の上陸地点にある御腰掛岩には、以前のサイクルツーリングで立ち寄った。
近くにある、後醍醐天皇に付き従った三位局館跡
別府では「西ノ島ふるさと館」[山本幡男資料室]も見学して、次の目的地、焼火(たくひ)神社へ。
途中、大山地区で、辺見じゅん『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』文芸春秋1989ーーシベリア抑留のノンフィクション、後にテレビドラマ(1993)、映画化(2022年)ーーの山本幡男生家跡碑に出会った。
山本幡男生家跡
焼火神社の入り口に自転車を止め。徒歩15分ほどで社殿。
焼火(たくひ)神社
焼火神社より 向かいには知夫里島
焼火神社からのダウンヒル。山々の緑の勢いがすさまじい。
隠岐の山の緑
美田(みた)港沿いに走り、西ノ島の真ん中を貫通する「船引運河」を目指す。
美田港 後方に西ノ島大橋
隠岐の民家
船引運河。大正4年(1915年)開通。延長340m、幅5.5m。
昭和39年(1964年)拡幅。延長340m、幅12m。
昭和39年(1964年)拡幅。延長340m、幅12m。
船引運河
小さな坂を上がったところに、由良比女(ゆらひめ)神社。すぐ横に「イカ寄せの浜」があり、かつてはイカが驚くほど寄ってきたという。
由良比女神社
本殿にイカの彫刻があった
イカ寄せ浜
由良比女神社前から新国賀トンネルを抜け、摩天崖(まてんがい)への登りにかかる。
比高にして180mほどのヒルクライムで、馬が放牧されている眺望の良いエリアに達する。
摩天崖への途中。知夫里島、アカハゲ山を望む。
傾斜が緩んだところ
摩天崖、道路の終点
摩天崖に到着。フランス人の観光客が多数佇んでいた。
遊歩道で下まで歩けるようになっている。団体さんの場合は、バスが下に回送されて待っているみたい。
摩天崖
私は自転車なので、同じ道を戻り、摩天崖から遊歩道で繋がっている「国賀」バス停へ。
バスの本数が4本もあるので、公共交通での観光が十分可能。バスを待つ時間は、海を眺めて贅沢なものとなるだろう。
国賀バス停
国賀バス停を出て、国賀海岸の定期観光船乗り場へ。15時~16:30の便に予約していた。
摩天崖を上から眺めた後、今度は海上から。
隠岐国賀海岸定期観光船乗り場
定期観光船が本気を出すと、とてもスピードが速いのにびっくりした。
定期観光船より:摩天崖
通天橋
洞窟にも入る
明暗(あけくれ)の岩屋
明暗(あけくれ)の岩屋
岩ガキは天然物しかないと思っていた。
それにしては最近はいろんなところで流通しているので不思議に思っていたところ、なんと1992年に隠岐・西ノ島で養殖に成功し、そのノウハウを惜しみなく他産地にも開示したからだと知った。
隠岐 西ノ島の岩ガキ養殖
往路は焼火神社を経由するため山間の道を走ったが、復路は最短ルートを使ったので30分程で宿に着いた。
正面に「見付島」
後醍醐天皇の黒木御所を鎌倉幕府が見張った島。
後醍醐天皇の黒木御所を鎌倉幕府が見張った島。
蒲生田岬から伊座利、室戸岬から後免 ― 2025/04/15
室戸岬から後免へ、田野の旧道
愛媛県が音頭をとっている「四国一周サイクリング」にエントリーしているのだが、前回天候不順のため室戸岬から高知へは走らずに、輪行して帰宅してしまったので、そのリベンジ。
スタートは室戸岬にしたかったが、ショートカットルートはなく、やはり徳島から海岸線を下る。
今回は四国最東端に位置する蒲生田岬で泊。リアス式海岸沿いに、陸上交通的には「隔絶集落」ともいわれる「伊座利」に立ち寄り、室戸岬。旧道を選んで吉良川や奈半利、田野の街並みを走り、後免から輪行で帰宅した。
◎走行日:2024年10月10日(木)~12日(土)
◎使用自転車:グランボアER700Cランドナー
◎峠:伊座利峠234m、山座峠94m、寒葉坂100m
◎宿泊:蒲生田岬 民宿「あたらしや」、室戸岬 「岬観光ホテル」
◎行程:10/10 晴れ: 京都7:41=(のぞみ273)=8:41岡山9:05=9:58高松10:10=(うずしお9)=11:16徳島11:30=12:39新野13:35~16:00蒲生田岬~16:30あたらしや(泊)走行:25km
10/11 晴れ:あたらしや8:10~9:30伊座利峠~9:50伊座利10:05~10:37阿部~11:22由岐~12:15山座峠~12:35日和佐~13:11寒葉坂~14:21海部駅~15:04野根大橋~15:40佐喜浜~16:32岬観光ホテル(泊)走行:133km
10/12 晴れ:岬観光ホテル7:50~室戸岬8:00~9:25吉良川~10:30奈半利~10:45田野~12:30安芸の野良時計~14:20赤岡~15:00JR後免駅16:21=(南風22)=18:47岡山19:20=(のぞみ56)=20:19京都 走行:84km
◆10月10日(木) 自宅=JR牟岐線新野駅(輪行)~蒲生田岬
新幹線で輪行する際、「特大荷物スペース」を予約するのが習慣になっているので、岡山から高松のマリンライナーと高松から徳島の特急「うずしお」ともわざわざ指定席で一番後ろの席を予約した。
しかし、マリンライナーはガラ空きで、指定席の必要は全くなかったし、「うずしお」に至っては、一両の前半分が指定席、後ろ半分が自由席という造りになっていて、指定席の一番後ろの席は連続する普通の席で輪行袋を置くためのスペースはなく、全く意味が無かった。で、自由席の一番後ろに座った。
無駄な指定席料金を払って、ずいぶんと勿体ないことをしてしまった。
特急「うずしお」の社内
輪行袋の収まり具合
JR牟岐線「新野」駅に到着
今回の荷物。輪行袋は「オオマエジムショ」オリジナル フォーク抜き用
輪行袋を開けた姿
新野駅で組み立て、のんびりスタート。椿坂隧道へ。
椿坂隧道
隧道開通記念碑には「椿町は”陸の孤島”といわれ椿坂が交通の大きな障害になっておりトンネルの開通は全町民多年の宿願」とあり、昭和42年(1967年)に開通。
椿坂隧道開通記念碑
蒲生田岬を目指す
対岸は椿泊漁港
蒲生田岬は四国最東端ということで、対岸は和歌山。
なので、最果感というのとは違うが、まあ、岬巡りという感はある。
樹木が斜めになっていて、厳しい風が吹く日も多いのだろう。
蒲生田岬
蒲生田岬灯台
蒲生田岬
蒲生田岬にある民宿「あたらしや」に宿泊。「あたらしや」というのは地元の屋号であって、なにも最近引っ越してきた家ではない。
民宿 あたらしや
近くの温泉を紹介されて、行ってみた。高台にあって眺めがよい。
かもだ岬温泉
宿では、せっかくなのでお勧めの伊勢エビをオプションで付けてもらった。
同宿の方が、JR西日本バスの運転手さんで、京都市バスに出向されているとのこと。ウチの近くの市バス路線も運転されていて、諸々、話がはずんだ。仕事でバス、休日には自分のクルマでツーリングされており、本当に運転がお好きなのだろう。コロナ以来、久々の宿泊先での会話。
伊勢エビ
伊勢エビが、数分後にはこんな姿に
◆10月11日(金) 蒲生田岬~室戸岬
基本、海沿いに室戸岬へ。
宿の部屋
蒲生田岬の民家
阿南市立椿小学校のところから、伊座利峠へ。勾配も適当で、良い峠であった。
伊座利峠
伊座利峠から伊座利集落を望む
伊座利
伊座利港
伊座利
伊座利の集落を出てからは山間を走るが、時々海が見える。
美波町の海
伊座利を出発して40分ほど走って、ようやく隣の集落「美波町阿部」を通過。
美波町阿部
由岐を通過
由岐
牟岐線の踏み切りを渡って「田ノ井浜」の堤防に座ってパン昼食
田ノ井浜
白浜の遍路道わかれ
オランダからの歩き遍路さん
山座峠
山座峠を越えて、ようやく日和佐に到着。高校2年の夏、日和佐ユースホステルに泊まった思い出深い町だが、思っていたよりも時間がかかり、12時半を過ぎていたため、そのまま通過。
海亀が産卵に来る日和佐の浜
ひたすら走り、東洋町の野根橋。ここからは左手に太平洋を眺めながら走ると室戸岬に着く。
野根橋
岬に向かってひたすら走る
室戸岬に到着
岬観光ホテル。去年も泊まった。
◆10月12日(土):室戸岬~吉良川~安芸~後免
日の出、部屋からの眺め
太平洋から昇った朝日
室戸岬を出発。室戸岬港(津呂港)に紀貫之の碑があった。任期が終わって京都に帰る際、天気が悪くて数日間船で滞留した場所。
紀貫之の船泊まり碑
津呂港
国道に沿って旧道が残っている。とても走りやすい。
旧道沿いのお好み焼き屋さん
昭和9年9月21日の室戸台風 風水害の碑
四国八十八所の25番霊場津照寺だが、通過。
津照寺
各所に津波の避難施設があった。
津波避難施設
備長炭で栄えた「吉良川」。重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。祭りの準備をされていた。
吉良川にて
吉良川の民家
奈半利、田野、安芸と旧道を走りながら伝統的建築物を眺める。
奈半利の濱田家住宅
田野の旧岡家住宅
田野の旧道にて
安芸市土居
安芸の野良時計。国の有形登録有形文化財。
国道を避けて自転車専用道を走る。太平洋の展望台があったので寄ってみた。
太平洋の展望台
展望台より。室戸岬が正面に。あそこから走ってきたのか。
いかにも鉄道跡のサイクリングロード
手結山付近
後免駅から輪行で帰宅することにして、赤岡から北西方向に高知平野を走った。
JR後免駅
後免は、やなせたかしが育った町。2025年のNHK朝ドラに登場することからかホームには碑ができていた。後免から輪行で帰宅。
やなせたかしの碑
切符
(おしまい)
立石岬[灯台カード]と原発だらけの敦賀半島ワンデイツーリング ― 2025/02/26
「灯台カード」というのがあります。海上保安庁の発行で、該当する灯台の敷地内にあるQRコードを読み込むと取得できます。灯台の立地特性を考えた素晴らしい仕組みです。

写真:灯台カードの例 (縮小して掲載)
自転車ツーリングの楽しみに付加しようと思い、該当灯台のある福井県敦賀市立石岬に行くことにしました。
敦賀市にクルマをデポ。敦賀半島の東岸を北上します。
途中、けっこうな数の民宿や旅館があります。釣り客や原発の点検保守作業員の需要を見込んでいるのでしょう。
途中、けっこうな数の民宿や旅館があります。釣り客や原発の点検保守作業員の需要を見込んでいるのでしょう。
原発のある岬の先端に向かって道路が整備されていますが、「沓」という集落の細い道に入ってみました。鳥居は大正時代に建てられています。当時は勢いがあったのでしょう。
写真:「沓」集落の八幡神社
写真:鳥居は大正14年の建立
写真:沓集落のドンツキから望む敦賀湾
写真:グランボア650Bランドナーoyakata10号
改良された道路のトンネルは避けて、海沿いの小さな峠を越えて、「手浦(たのうら」を通過、「色浜」へ。奥の細道で芭蕉も来訪しており、歌碑がありました。
「寂しさや須磨にかちたる浜の秋」
写真:色浜
写真:端正な造作の常夜灯籠
写真:常夜灯籠は元禄12年(1699年)建立
写真:芭蕉句碑
色浜の次ぎにあらわれるのが、「浦底」集落。家並みから少し階段を上ったところに神社がありました。
写真:浦底にある劍神社
写真:劍神社
写真:神社の建物にある古い絵馬
しばらく走ると、日本原電の敦賀原発。1号炉は1970年の大阪万博開会式に初送電しましたが2011年の東日本大震災を経て2015年に廃炉。2号炉は直下に活断層があるとの評価報告書が正式に出され、規制委員会から原発の安全対策に適合しない決定が下されましたが、日本原電は抵抗しています。その奥にある「ふげん」も廃炉になっており、2040年に廃炉完成予定とのこと。
それにしても「ふげん」とか「もんじゅ」とか仏様の名前を原発に使うのは、不遜にも程があると思います。
それにしても「ふげん」とか「もんじゅ」とか仏様の名前を原発に使うのは、不遜にも程があると思います。
写真:日本原電敦賀の入り口
原発の入り口を通りすぎ、トンネルを抜けると立石集落が、山と海に挟まれて細長く存在していました。古くから敦賀湾外に出漁する釣浦として存在。
写真:立石のバス停
写真:立石集落
車道を行き止まりまで走って自転車をデポ。徒歩で山道を上がると、今回の目的の立石岬灯台がありました。明治14年(1881年)7月の点灯。
写真:立石岬灯台
敦賀方面へ引き返し、今度は敦賀半島の西岸に向かいます。半島を貫く長大なトンネル(敦賀半島トンネル=全長3.8km)を通ります。トンネル走行は好きではないのですが、旧道は存在しないので仕方ありません。もっとも、クルマは全く走ってなくて問題ありませんでした。
トンネルの中には、なんとランニングの人がいました。トンネルを出たところにも。
旅ランにしては荷物がないし、どこからどこへ走っている人なのだろうと思って声をかけたところ、どうも「もんじゅ」関係で働いている人のようでした。確かに、トンネルの中は夏は涼しく冬は暖かく、クルマも稀にしか走ってないので排ガス臭くもなく、よい練習場所になるのでしょう。
ちょうど昼休みの時間でしたし、散歩している人とかも。僻地にある開放感のない職場では、こうして外気に触れて身体を動かさないと精神的にしんどいのかもしれません。どんな仕事なのかわかりませんが、廃炉が決定している原発で、ゴールがいつになるのかもわからない、世間からもリスペクトされ難い組織で働くことの大変さを想像しました。もしかしたら大学で原子力などを専攻した人にとっては、専門が生かせて労働条件も良い職場なのかもしれませんが。
写真:敦賀半島トンネル
トンネルを抜けると「白木」浦。「白木」は「新羅」から来ているのではないかという説もあり、古くから漁業で勢力をもった浦。半島の先端の集落というのは、現代の感覚では一番奥の僻地だと思われがちですが、海上交通がメインの時代にはそうではありません。そもそも今のような道路はなく、陸上には杣道しかなかったのですから。
写真:白木の「白城神社」
写真:文政13年(1830年)建立
写真:白城神社
写真:白城神社の建物
写真:白木の集落
神社のすぐ横の海岸にでると、高速増殖原型炉「もんじゅ」が正面にありました。想像していたよりもこぢんまりとしてます。事故を起こせば日本のかなりの部分が壊滅的になる存在なのに、外形的には小さく静かなのが、なんとも不思議に感じられました。
写真:高速増殖原型炉もんじゅ
写真:白木にある「海蔵寺」
白木から丹生へはトンネルを避けて旧道の白木峠へ。途中、「もんじゅ」への分岐があるのですが、一般公道上からカメラを向けただけで、警備員がワーワー叫びながら走ってきて、とても感じが悪かったです。建物に肖像権はないし、納税者への態度として不快。よっぽど暇にしていて、存在感を示したかったのでしょうか。
写真:もんじゅ への分岐
白木峠には放射線観測施設と朽ちた案内図がありました。
写真:白木峠の放射線測定施設
写真:白木峠にて
峠を下ると、そこは「丹生」。ここには関西電力の美浜原発があります。1号機と2号機は廃炉作業中。3号機は過去に運転中の死亡事故を起こすなどトラブル続きでしたが2022年に再稼働したものの、2024年に冷却水漏れが発生し、現在停止中。
写真:丹生集落と美浜原発
写真:釣り人と美浜原発
写真:丹生にて
写真:美浜原発遠望
原発というのは稼働していても煙や騒音も出さず、外形的には静かにチンと収まっています。風力発電の風車は、私の場合生理的に苦手で低周波騒音なのかどうか判りませんが、近づくと気分が悪くなります。太陽光発電パネルも景観面のみならず、多くの問題が指摘されています(事業者の責が大)。自然エネルギーが手放しで称賛される状況ではないのですが、かといって原発の潜在的リスク、日本国を壊滅させるパワーをもった甚大な危険性を捨象できません。建設やその後の運営にまつわる原発マネーの不明朗さや地域社会の分断等の問題もあります。
電気エネルギーの恩恵を受けている一人として、悩ましいところです。
「竹浪」から今度は馬背峠(まじょうとうげ)トンネル(=1.4km)を通って東海岸へ。
写真:竹浪の集落。
写真:馬背峠トンネル
トンネルを抜けて、しばらく走ると、敦賀の気比の松原。三保の松原(静岡県)・虹の松原(佐賀県)と並ぶ日本三大松原の一つ。
写真:気比の松原
デポしていたクルマに自転車を載せ、舞鶴のお風呂屋さんへと向かいました。
国道27号線には路肩が狭くて大型車の通行が多い箇所があり、自転車では走りたくないので、こういう機会にクルマで舞鶴へ。
西舞鶴の吉原地区で、昭和を感じさせる街並みの中に、渋いお風呂屋さんがあります。京都府公衆浴場組合のキャンペーンに参加するため、立ち寄りました。
創業は1920年(大正9)年、100年以上続く漁師町のお風呂屋さん。国の有形登録文化財です。 おしまい。
写真:舞鶴市(西舞鶴)吉原
写真:舞鶴市吉原
写真:吉原にある「日の出湯」
今回の走行ログ(クリックして拡大)
◎走行日:2024年10月31日
◎使用自転車:グランボア650Bランドナーoyakata10号
◎走行距離:50km
◎行程:敦賀市気比の松原8:50~9:50色浜~11:00立石岬灯台~12:30白木~13:05丹生~14:00馬背トンネル~14:15気比の松原=16:50西舞鶴吉原
2024北海道ツーリング16:宮古市女遊戸=気仙沼=京都 ― 2025/01/14
◆Day25:7月8日(月)晴れ 女遊戸=気仙沼
女遊戸8:02=9:00白浜峠=10:13千鶏=10:32寒風峠=11:43吉里吉里駅=12:11釜石=13:27道の駅さんりく(うに丼)=14:40陸前高田東日本大震災津波伝承館15:14=15:53気仙沼 ラ・ジェント・イン気仙沼(泊)
<畠山美由紀・小池龍平 コンサート:気仙沼 拓ホール>
<畠山美由紀・小池龍平 コンサート:気仙沼 拓ホール>
自転車走行:4km、自動車走行:191km
今日は宮古市から気仙沼まで、三陸自動車道は使わず下道を走る。東日本大震災の被災地を走ることになる。
宿のある女遊戸は海からはだいぶ上がったところにあるのだが、宿の少し下ったところには津波到達碑があり、こんなところまで波が来たのかと驚いた。
写真:宮古市女遊戸の津波到達碑
三陸海岸に突き出ている閉伊崎の灯台まで行こうとしたが、途中から道路がクルマ1台脱輪せずに走るのがやっと位の幅になったので、あきらめて引き返した。
鵜磯地区の津波到達碑。海面からずいぶんと高いところにある。
写真:津波到達碑(岩手県宮古市鵜磯)
重茂(おもえ)地区の大津波記念碑。
写真:岩手県宮古市重茂。
鵜磯地区。道路からは無人地帯に見えた。甚大な被害を受け、残った家屋も高台に移転したようだ。
写真:岩手県宮古市鵜磯
しばらく山中を走り、千鶏(ちけい)地区へ。明治三陸地震津波(1896年明治29年)と昭和三陸地震津波(1933年昭和8年)の碑と並んで東日本大震災での碑があった。
写真:岩手県宮古市千鶏の大津波碑。
近くに津波浸水区域の看板があった。ここでも、こんなに標高の高いところまで到達したとは信じられない。
写真:千鶏地区の浸水区域掲示
千鶏地区遠望。海から一定の標高までは更地になっていたことがわかる。
写真:千鶏地区遠景
寒風峠を越え、川代地区へ。東日本大震災、昭和、明治の大津波碑が並ぶ。
並んで1948年(昭和23年)に建立された「電燈電話架設記念碑」があった。
戦後しばらくまで電気がない生活というのは、当該エリアにおいて特別なことではなかったのだろう。
並んで1948年(昭和23年)に建立された「電燈電話架設記念碑」があった。
戦後しばらくまで電気がない生活というのは、当該エリアにおいて特別なことではなかったのだろう。
写真:岩手県宮古市川代
圧迫感を減らすためかロックフィルダムのような形状の防潮堤。
写真:岩手県下閉伊郡山田町大沢
三陸鉄道リアス線、吉里吉里駅へ。岩手県上閉伊郡大槌町にある。
写真:吉里吉里駅
釜石で「鉄の歴史館」を見学。
写真:鉄の歴史館
道の駅「さんりく」三陸ふるさと物産センターで生ウニ丼、1800円。
生ウニも沢山売っていたのでお土産にしようかと思って尋ねたところ、クール宅急便でも京都までは鮮度が保てないとのこと。やはり現地で頂くに限る。
生ウニも沢山売っていたのでお土産にしようかと思って尋ねたところ、クール宅急便でも京都までは鮮度が保てないとのこと。やはり現地で頂くに限る。
日にちが違うので比較にならないかもしれないが、これまでのウニ丼提供スポットよりリーズナブル。
写真:道の駅「さんりく」生ウニ丼
陸前高田で「東日本大震災津波伝承館」へ。
津波で潰れた消防車。
写真:東日本大震災津波伝承館
今日の目的地、気仙沼へ。気仙沼出身のシンガーソングライター畠山美由紀のコンサートがちょうど良いタイミングであることを知り、北海道の帰路、旅の締めを気仙沼にした次第。東日本大震災後に発表された「わが美しき故郷へ」をラジオで聴いて、衝撃をうけ、アルバムを全て購入し続けている。
写真:気仙沼駅
廃止された鉄道線路がバス専用道路になっていて、代替バスが走っている。踏み切りまである。
写真:気仙沼の鉄道代替バス
旅の締め。気仙沼で畠山美由紀コンサート。
60人規模の小さなホール。
そこは、かつて津波で全て失われてしまったエリアに、復興支援事業でつくられた建造物エリア。
ボーカルとアコースティックギターだけの構成。
ギター1本でここまでできるのかと驚いた。
観客は多分地元の人がほとんど。
スタートは軽やかなポルトガル語の曲で始まったが、「花の夜舟」になると、会場中、静かな涙。
「浜辺の歌」(唱歌の)を歌って、会場が涙涙になるのは、震災を経験した気仙沼だからか、畠山美由紀の歌唱力にあるのか。たぶんそのマリアージュだろう。
歌の合間のトーク掛け合いは笑いにあふれて楽しい雰囲気で、構成がよく練られていた。
最後は、9歳からの親友がピアノ伴奏で登場。地元開催ならでは。
「わが美しき故郷よ」を歌い、アンコールは「歌で逢いましょう」。
心洗われるコンサート。
60人規模の小さなホール。
そこは、かつて津波で全て失われてしまったエリアに、復興支援事業でつくられた建造物エリア。
ボーカルとアコースティックギターだけの構成。
ギター1本でここまでできるのかと驚いた。
観客は多分地元の人がほとんど。
スタートは軽やかなポルトガル語の曲で始まったが、「花の夜舟」になると、会場中、静かな涙。
「浜辺の歌」(唱歌の)を歌って、会場が涙涙になるのは、震災を経験した気仙沼だからか、畠山美由紀の歌唱力にあるのか。たぶんそのマリアージュだろう。
歌の合間のトーク掛け合いは笑いにあふれて楽しい雰囲気で、構成がよく練られていた。
最後は、9歳からの親友がピアノ伴奏で登場。地元開催ならでは。
「わが美しき故郷よ」を歌い、アンコールは「歌で逢いましょう」。
心洗われるコンサート。
写真:気仙沼 拓ホール
写真:コンサートの会場ポスター
◆Day26:7月9日(火)雨 気仙沼=京都
気仙沼7:05=9:11仙台南IC=(磐越道)=13:14阿賀野川SA(昼)13:43=14:10新潟中央JCT=(北陸道)=18:53尼御前SA(晩)19:28=20:38敦賀IC=(R161)=21:25道の駅安曇川21:45=23:04京都自宅
自転車走行:0、自動車走行:936 km
気仙沼港に寄ってから京都へ。長いドライブになる。
写真:気仙沼港
写真:出発時ガソリンスタンドから帰宅するまでの走行距離など
雨が強く降る中、気仙沼から京都までワンデイで帰宅。休憩は安達太良SA、西会津PA、阿賀野川SA(昼)、名立谷浜SA、尼御前SA(晩)、道の駅あどがわ の6ヶ所。
高速代節約のため北陸道敦賀インターで降りて国道161号を選んだが、夜の愛発越は大型トラックが峠道対向車線ぎりぎりに爆走してくるし、中央分離帯の無い湖西道路はやたら流れが速く、この選択は間違いだった。次回からは普通に北陸道から名神を走る。敦賀までで800km程走っている疲れもあるだろうが。ワンデイで936kmというのはこれまでで一番長い距離だが、特に身体のどこかが痛くなるとかいうことはなく走り終えた。
こうして26日間の北海道ツーリングを終えた。
自転車走行は875kmだが自動車では結果として5,634kmも走り、外形的には自転車ツーリングというよりドライブ旅行になってしまったのかもしれない。
自動車に自転車を積んで旅を組み立てるのは機動性があるが、
「荷物は自分たちで運べるだけ。
何も汚さず、何も損なわない。
そんな旅をマダムは『美しい』と表現した」
(グランボア2024カタログLeteより引用、土屋夫妻のフランスでの旅)
という文章に接したとき、自分の中での今回の旅の違和感のようなものが言語化された。荷物を積めるだけ積んでの自動車+自転車 旅行は美しくない、ちょっとeasy過ぎると思う次第。でも、やっぱり
広い北海道では有効だし。とはいえ、内地の移動距離でいうなら、京都から松江に行って、そこで自転車に乗り、次の日は広島に行って、翌日神戸まで戻って走りました、みたいなのはやっぱりなんだかなあ、と思ったりする。
北海道には、まだまだ自分の眼で見てみたいところがあるし、
「北海道には何がある?」
という問いかけにも、自分の中での回答は未だ。
今年も北海道へ出かけたい。
(追記 2025/6)今年は町内会の抽選で副会長になっているのと義母が骨折入院したこともあって長期間の旅は止めることにしました。また、次の機会に。
*2024北海道ツーリング1:京都=黒埼=青森=木古内=銀婚湯
*2024北海道ツーリング2:銀婚湯=木古内~松前~江差
*2024北海道ツーリング3:江差~貝取澗~木古内
*2024北海道ツーリング4:木古内=小樽=名寄
*2024北海道ツーリング8:天塩川温泉=五味温泉2024北海道ツーリング15:青森浅虫温泉=宮古市女遊戸 ― 2025/01/12
◆Day24:7月7日(日)晴れ 青森浅虫温泉=夏泊半島=八戸=宮古市女遊戸
自転車走行:0、自動車走行:261km
浅虫温泉道の駅7:29=7:58夏泊半島大島8:32=9:47道の駅小川原湖=11:36八戸=12:18種市(うに丼)12:52=13:58野田村にて20万キロ達成=15:00田野畑村民俗資料館15:50=16:41宮古市女遊戸(みやこしおなっぺ)民宿「治郎兵衛」(泊)
道の駅の車中泊でぐっすり眠れた。隣のクルマで車中泊していた人は、自分で絵本をつくり、各地のバザーやイベント会場でブースを開いているとのこと。道の駅には温泉が併設されていて朝7時から開くので、車中泊の人で風呂に行く人も少なからずいた。
青森県の津軽半島と下北半島の間に、それらと比べると小さいが夏泊半島というのがあって、そこはアイヌのコタンや遺跡も多くがあったりした興味深い場所。自転車で走る時にとっておきたかったが、まあいいかと思い、クルマで走った。
夏泊半島の先端にある大島。菅江真澄の碑や大町桂月の歌碑もあるが、大町桂月を知る人は今ではもう稀有だろう。漢籍の素養がないと、読んでもよくわからないと思う。もちろん、私も。
写真:夏泊半島・大島
写真:青森湾
写真:夏泊半島
写真:海鳥が多くいた
写真:夏泊半島・東田沢
道の駅「おがわら湖」でシジミラーメンを食べた。
ぷりぷりしたシジミが沢山入っていて、とても美味しかった。
写真:道の駅「おがわら湖」
写真:しじみラーメン
八戸市、想像していたよりも大きな街、を通過して、国道45号線を南下。三陸自動車道は走らず、地域の村々を繋ぐ国道を走った。
種市の食堂で「うに丼」3800円。
写真:種市の食堂でウニ丼
種市の防潮堤に登ってみた。
写真:種市の防潮堤
岩手県野田村で、クルマの走行が20万キロに達した。
12年落ちのガソリン4気筒車。これまで特筆すべき故障は無い。
写真:20万キロ達成
田野畑村を走っていると、「民俗資料館」の案内看板があったので立ち寄ってみた。
民具とかが展示してある普通の資料館かと思っていたら、なんと、一揆がメーンテーマだった。岩手藩の圧政に苦しんだ農民の一揆。仙台藩への直訴への道を辿って自転車で走りたい。
民具とかが展示してある普通の資料館かと思っていたら、なんと、一揆がメーンテーマだった。岩手藩の圧政に苦しんだ農民の一揆。仙台藩への直訴への道を辿って自転車で走りたい。
写真:田野畑村民俗資料館
宿は宮古市の女遊戸(おなっぺ)という集落にある民宿。
女遊戸とはアイヌ語で「小さな川のあるところ」と言う意味で、宮古地方にはアイヌ語語源の地名は他にもあるが、なぜこの漢字が当てられたのかは判らないと、宿に説明書きがあった。
写真:宮古市女遊戸 民宿「治郎兵衛屋」
*2024北海道ツーリング1:京都=黒埼=青森=木古内=銀婚湯
*2024北海道ツーリング2:銀婚湯=木古内~松前~江差
*2024北海道ツーリング3:江差~貝取澗~木古内
*2024北海道ツーリング4:木古内=小樽=名寄
*2024北海道ツーリング8:天塩川温泉=五味温泉おしまい
2024北海道ツーリング14:大樹町=青森浅虫温泉 ― 2025/01/12
◆Day23:7月6日(土)曇りのち雨 大樹町=函館=(津軽海峡フェリー)=青森=浅虫温泉道の駅(泊)
自転車走行:0、自動車走行:516km
大樹町セキレイ館7:58=12:21有珠山SA(昼)12:47=16:00函館フェリーターミナル17:30=(津軽海峡フェリー)=21:10青森港21:30=22:08浅虫温泉道の駅
今日からは帰路。北海道ともお別れ。
当初、函館から大間へのフェリーに乗る予定にしていたが、強風のためフェリーが欠航だと昼食時に知った。
急遽、青森港へのフェリーに変更したが、同じフェリー会社だが救済策はなく、当日券を普通に買うことになったので割引等もなく、踏んだり蹴ったり。
道内の高速道路を使って函館まで走ったが、走行距離をみると京都から東京程あったので、改めて北海道の距離感覚は内地と違うと思った。
雨の中高速を走ったが、スリップなのか無謀運転なのか居眠りなのか知らないが、ハイエースが単独事故を起こしていて、若干渋滞に巻き込まれた。
青森市内で宿は探さず、どこかで車中泊することにし、浅虫温泉道の駅に決定。
写真:北海道大樹町の牧草地と畑
写真:函館港、津軽海峡フェリーターミナル
写真:津軽海峡の夕陽
*2024北海道ツーリング1:京都=黒埼=青森=木古内=銀婚湯
*2024北海道ツーリング2:銀婚湯=木古内~松前~江差
*2024北海道ツーリング3:江差~貝取澗~木古内
*2024北海道ツーリング4:木古内=小樽=名寄
*2024北海道ツーリング8:天塩川温泉=五味温泉2024北海道ツーリング13:大雪高原山荘=大樹町 ― 2025/01/11
◆Day22:7月5日(金)晴れ 大雪高原山荘=タウシュベツ川橋梁跡=帯広=襟裳岬=大樹町 とほ宿「セキレイ館」(泊)
自転車走行:0、自動車走行:367km
大雪高原山荘7:21=層雲峡(送り)=8:27三国峠展望台=8:51幌加駅跡=9:25タウシュベツ橋梁跡9:43=10:30上士幌町鉄道記念館10:46=11:51帯広(六花亭)13:22=15:55えりも岬16:12=17:32大樹町 とほ宿「セキレイ館」(泊)
宿の夕食時に隣の席で話しをした登山の人を層雲峡まで送ってから帯広へ向かう。
途中の三国峠はなかなか雄大で、今度はぜひとも自転車で走りたいと思った。
三国というのは石狩国と北見国と十勝国ということか。
写真:三国峠
峠を下ってしばらく走ったところにある、1978年に廃線になった士幌線の幌加駅跡を見学。1962年頃の駅の周囲には80軒の建物があり350人の営みがあったが、今は何もない。洞爺丸台風による大量の風倒木処理のための集落だったということで、なんともスケールの大きな話だ。
写真:幌加駅跡
そして、その次には有名なタウシュベツ橋梁跡が出現。
写真:タウシュベツ橋梁跡
写真:説明板
糠平温泉郷にある「上士幌町鉄道資料館」も見学。士幌線についての展示が中心。
写真:上士幌町鉄道資料館
なんだか北海道の旅は、それをテーマにしていたわけではないのだが、鉄道廃線を偲ぶ旅のようになっている。
十勝平野の中心、帯広に到着。久々に都市に巡り合った気分。昨日の大雪高原山荘へのダート道でドロドロになったクルマをガソリンスタンドで洗車。
今日は由仁町に住む知人宅訪問というメーンイベントがあるので、お土産を買いに六花亭へ。駐車場がどこにあるのかわからなくて若干苦労した。
六花亭で昼食をとっていると、携帯に電話。知人からで、なんと「コロナに感染したので・・・」ということで、急遽中止に。
写真:帯広の「六花亭」本店
なんとか大樹町のとほ宿「セキレイ館」を当日予約することができた。
さて、午後はどうしようかと考え、ちょっと距離はあるけれど、襟裳岬に行くことにした。
だんだん寂しくなっているところへ、急に海霧が押し寄せ、あっというまに霧の中。不気味な雰囲気で引き返そうかと思ったが、思い切って行くことにした。
その後も長大トンネルがあったりして、自転車でなくてよかったかもしれないと思った。
写真:海霧が押し寄せる
不思議なもので、少し走ると海霧は消えた。
写真:襟裳岬へ
襟裳岬に近づくと晴れてきた。やはり自転車で来れば気持ちいいだろうと、前言を翻す思いになった。
写真:襟裳岬
風が強い場所として有名だが、不思議と私が訪ねた時は、無風だった。
写真:襟裳岬の先端
写真:襟裳岬灯台
いつも宿には16時半到着目標にしているが、今回は17時半に到着。
元は養豚農家だった建物とのこと。宿泊した部屋は2階で、農家の頃は子ども部屋だったのかもしれないなどと想像した。この地を開拓し、もしかしたら居抜きで入植かもしれないが、養豚で生計をたて、離農していった一家がかつて存在し、そこが宿になり、今私が泊まっている。
写真:とほ宿「セキレイ館」
近くにある「晩成温泉」に宿からクルマで行った。緯度が高いので夏は日が長い。
北海道開拓の嚆矢は、十勝川河口に上陸した「晩成社」がその一つであり、歴史的には由緒あるエリアなのだろう。
写真:晩成温泉
*2024北海道ツーリング1:京都=黒埼=青森=木古内=銀婚湯
*2024北海道ツーリング2:銀婚湯=木古内~松前~江差
*2024北海道ツーリング3:江差~貝取澗~木古内
*2024北海道ツーリング4:木古内=小樽=名寄
*2024北海道ツーリング8:天塩川温泉=五味温泉2024北海道ツーリング12:羽幌=大雪高原山荘 ― 2025/01/11
◆Day21:7月4日(木)晴れ 羽幌=留萌=大雪高原山荘
自転車走行:0、自動車走行:233km
羽幌9:09=9:53小平(花田屋番屋)10:57=11:40留萠駅跡=12:14留萌ブックセンター=15:48大雪高原山荘(泊)
朝のんびり過ごし、羽幌を出発。”オロロンライン”道道239号線を南下。鰊漁でたいそう賑わったのは、今は昔。
小平町(おびらちょう)にある、国指定重要文化財、旧花田家番屋を、ゆっくり見学。
写真:旧花田家番屋
写真:旧花田家番屋の内部
写真:旧花田家番屋 床の間
写真:旧花田家番屋「鰊族皆集」扁額
留萌へ。かつての留萌支庁の中心都市だが、
留萠本線の石狩沼田ー留萌間は2023年4月1日に廃止された。
駅前の形状は残しているが、将来はどうなるのだろう。
駅前の形状は残しているが、将来はどうなるのだろう。
写真:留萠駅(跡)
写真:留萠駅前広場から正面の大通り
留萌ブックセンターで地元出版物を数冊購入。
写真:留萌ブックセンター
北海道ツーリングも終盤となり、残すは北海道の知人宅訪問。スケジュール調整のため、訪問までに1泊する必要があるため、「日本秘湯を守る会」加盟の大雪高原山荘へ泊まることにした。
道道273号線から分岐してからはダートで、クルマの走行で凄まじい砂埃が上がった。
自転車で走って、クルマに追い越されたら、悲惨だ。
写真:大雪高原山荘へのダート道
写真:大雪高原山荘
源泉掛け流しの温泉は、素晴らしいものだった。
*2024北海道ツーリング1:京都=黒埼=青森=木古内=銀婚湯
*2024北海道ツーリング2:銀婚湯=木古内~松前~江差
*2024北海道ツーリング3:江差~貝取澗~木古内
*2024北海道ツーリング4:木古内=小樽=名寄
*2024北海道ツーリング8:天塩川温泉=五味温泉
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