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津軽鉄道ストーブ列車、金木町卒業旅行1985年2015/10/29

大学の卒業旅行に東北を廻った。1985年のことである。

旅行用の鞄というものを持ってなかったので、ビニールで覆ってある紙袋(駅とかで売っているもの)に着替や本を入れて、旅した。軽量で、傷んでも買い換えればいいので合理的だと思って、そのアイディアを得意げに、今は妻となっている当時の彼女に話すと、なんだか残念そうな顔をされた。同情というのとも、ちょっと違う感じの。

そんなことはともかく、日本海側を鉄道で北上し、五所川原から津軽鉄道のストーブ列車に乗ったり、太宰治の生家が旅館になった「斜陽館」に泊まり、三陸海岸を廻って、遠野や花巻も訪ねて京都に帰ったのであった。

今回、フィルムスキャナーを入手したので、スキャンの練習がてらアップしてみた。
白黒にしたので、なんだかとてつもなく昔の雰囲気になった。実際、30年前になるのだが。カメラはフィールド調査用に思い切って買った一眼レフ コニカのA-COM1、レンズは標準の50mm1本のみ。当時の私の、一番高価な所有物であった。

津軽鉄道1985年
         津軽鉄道。タブレットで交換している。

津軽鉄道
         津軽鉄道のディーゼル機関車

津軽鉄道ストーブ列車:1985年
         ストーブ列車で佇む男性

津軽鉄道ストーブ列車:1985年
         津軽鉄道 ストーブ列車

芦野公園駅:太宰の「津軽」で有名
       津軽鉄道 芦野公園駅。太宰治「津軽」に登場するエピソードが印象的

芦野公園駅:太宰の「津軽」で有名
         津軽鉄道 芦野公園駅 気動車

金木駅:1985年
         津軽鉄道 金木駅と当時の私

斜陽館
         太宰治の生家が旅館「斜陽館」になっている

金木町
         金木のお寺で遊ぶ、子達

若州一滴文庫、水上勉と今井美樹2015/07/05

 
若州一滴文庫
         写真:若州一滴文庫の門

若州一滴文庫本館
         写真:本館

若州一滴文庫
         写真:移築されてきた民家もある

「若州一滴文庫(じゃくしゅういってきぶんこ)」へ梅雨の合間の日曜日に行って来た。作家の水上勉の生家があった地区にある水上勉のテーマパークのような施設で、水上勉自身が建立し、後に地元自治体に移管してNPO法人が運営している。
 水上勉の作品は、代表作の「飢餓海峡」「五番町夕霧楼」をはじめとして、どれも大好きだ。松本清張は何故かしっくりこないが、水上勉の作品には引き込まれる。

 オープンして間もなくの頃、レンタカーで父母を案内して出かけた記憶がある。水上勉先生もちょうど中庭にいらっしゃって、すごい人だかりだった。

 いつ頃のことだったのだろうと、一滴文庫の年表をみると、若州一滴文庫のオープンが1985年、私が就職した年、訪ねたのはその翌年1986年だったと思う。
 
 唐突だが、1986年は今井美樹が歌手デビューした年。

 その前、久々に「AERA」を手にとったら今井美樹が表紙。記事を読んで、これまで意識したことはなかったが、今井美樹はほぼ同世代、彼女の歌手としての歩みと私のサラリーマン生活が同じ時間軸だったことに気づいた。新アルバム「Colour」をリリースとのことで、最新作では今井美樹はどんなふうになっているのだろうと思い、15年ぶりくらいに彼女のアルバムを買った。なかなか良かったので、オリジナルアルバムを全部揃えた。

 京都の自宅から一滴文庫は自転車で行ける距離だが、ちょっとそこまでという距離ではないし、走ることが目的になってしまう。ゆっくり見学して記念品や本も買いたいので、車で行くことにした。今井美樹を聴きながら。
 
 デビューから数年の若い頃のアルバムは、アイドル流行歌という雰囲気が感じられて今となっては何か古くさい感じのする曲も混じっている。発声や歌唱力も幼い。しかし、「PRIDE」大ヒット後の今井美樹は、脱皮してメロウな大人の歌手という私の好きなジャンルに進化してきたように思える。「ディーヴァ(歌姫)」の領域といってもよい。
 
 職業を転々として苦労続きだった水上勉が直木賞を得たのが1961年。「飢餓海峡」を発表した1963年は今井美樹が生まれた年。そして今井美樹が歌手デビューするまでの時の流れの中で、水上勉は大作家として財を成し、一滴文庫をデビューさせた。今井美樹が歌い手として進化している間、水上勉も作品を書き続け、亡くなる前年に一滴文庫を地元に寄附し、残した。

 当人同士何の関係もないし、その表現する世界が対照的ともいえる水上勉と今井美樹だが、何故か「母」の存在を通じて共通するものがあると、一滴文庫からの帰り道、車の中で今井美樹を聴きながら思った。

 水上勉は10歳で京都の寺に修行に出され、故郷の母を追慕していた。その母が胸まで浸かるジュル田(湿田)で働いていたその場所に、一滴文庫を建立した。

 水上勉の母への思い、母となった今井美樹が奏でる歌、それぞれが母の愛を感じさせてくれる。一滴文庫に一緒に行った私の母は、今年七回忌を迎える。

牛骨ラーメンと、これぞ源泉掛け流し「清水の湯」(寿湯)2015/02/11


雪がはらはら舞う天気がはっきりしない休日。昼ご飯に「牛骨ラーメン」を食べたくなり、鳥取県湯梨浜町松崎に行きました。(2013年3月)

お目当ては「ふけた食堂」と「清水の湯」。「清水の湯」とは地元の人の通称で、清水さんという散髪屋さんが経営しているから。「寿湯」というのが正式名称です。

これぞ源泉掛け流し、何の設備投資もしていないしその必要もない、客がいてもいなくても関係なく、ずっと源泉が流れているお風呂屋さんです。シャワーや混合栓はありません。入浴料は200円。

写真は2013年3月撮影。それからも時々、無性に入りたくなったりします。京都から行くので、贅沢な湯になりますが。
1.雪がはらはら舞う中、松崎に向かう

2.松崎駅に到着 目指す「ふけた食堂」は駅を出て右手(東方面)、すぐ近く

3.「ふけた食堂」

4.店内

5.メニュー 「牛骨ラーメン」は450円

6.脂が浮いているように見えるが、食感は、とてもあっさりしている。

7.「清水の湯」(寿湯)入口。ふけた食堂のすぐ近く。

8.質素な建物

9.風呂の入口。番台も無人なので、入る前に、入口横の散髪屋さんでお金を払う

10.入浴料は200円

11.誰もいないので、脱衣所を撮影。ロッカーはある。

12.「入浴者の心得」昭和33年4月1日 達筆である。(クリックすると拡大)

13.浴槽と洗い場。源泉掛け流しそのもので、水道で温度を調整。

14.松崎=東郷温泉(今は湯梨浜町となっているが、合併前は東郷町だった)は、田山花袋も絶賛した伝統ある温泉。

帰りは倉吉を回り、晩ご飯までには家に帰りました。