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鈴鹿霊仙山麓の廃村、武奈・男鬼・保月(2018/6)2018/07/29

鈴鹿山系の霊仙山の麓には、「なんでこんなところにムラが?」と思えるような集落が散らばっており、山登りの際や地形図を眺める度に、気になっていた。

地形図に載っている村々は、既に廃村というか無人集落になっていることは、web検索等で知ったが、集落名に何とも味がある。

「保月(ほうげつ)」「男鬼(おおり)」、どんなムラでどんな人が住んでいたのだろう。というわけで、自転車で出かけてみた。

霊仙山 廃村集落 地形図
図:霊仙山の周囲に散らばる今では廃村になったムラなど(クリックで拡大)
      ※昭和8年発行 地形図「彦根東部」スタンフォード大学ライブラリより

今回走ったルート ルートラボ参照

【走行日】2018年6月17日(日)
【使用自転車】SCOTT MTB
【峠】摺鉢峠184m、杉坂峠604m
【行程】近江鉄道フジテック前駅9:10~9:30摺針峠~番場(林道入口)9:46~10:29林道三叉路(ピーク)~11:05大杉竜王神社~11:18武奈町11:45~12:15男鬼(おおり)12:39~12:48落合~山女(あけび)13:14~(権現谷林道)~13:50三叉分岐~14:10保月~15:00杉坂峠~15:17栗栖~15:33仏生寺町~15:39鳥居本~16:03フジテック前駅


フジテック前駅
写真:フジテック前駅を出発

武奈町
写真:武奈町(無人集落)

武奈町、出身の人がメンテ
写真:武奈町では、ご出身の方々が集落の手入れに来られていた

男鬼町
写真:男鬼町


保月
写真:保月

保月 照西寺
写真:保月にある照西寺

保月 照西寺
写真:保月の照西寺には花が生けてあった。無人集落ではあるが、お手入れする方がいらっしゃる証左。

杉 集落
写真:杉 集落。広場になっている。家が数軒、山沿いに残っているが。

杉坂峠
写真:杉坂峠

鳥居本
写真:山を下り、北国街道鳥居本宿を見学してデポ地に戻った。


※保月の廃村過程については、藤尾潔2015「集落の消滅過程:多賀町保月の事例から」という論文があります。

                                  おしまい

若狭矢代へ、鯖街道、堀越峠旧道、おにゅう峠(2018/7)2018/07/17

30年近くお世話になったクリーニング屋さんがあった。
その名は「若狭屋クリーニング」

結婚してマンションに引っ越した際、クリーニング屋さんのチラシが多数投げ込まれた。その中に、ボール紙を名刺の大きさに切って、屋号と電話番号のスタンプを押しただけの
素朴な味わいのものがあった。屋号は「若狭屋クリーニング」。その店に頼み、それからずっと、マンションから今の家に転居してからも、週2回集配をしてもらっていたのだ。

集配の際には、いつもきちんとカッターシャツにネクタイ、上着も着てられたが、ある日、若狭屋さんのお家の前を自転車で通ったところ、暑いからか開けっぱなしの小さい仕事場で、ランニングシャツ一丁で汗だくになってアイロンを当てている若狭屋さんの姿がみえた。

その若狭屋さんが、2年前、地元に戻って小学校の同窓会に出席されたその夜に倒れて、あの世に行かれてしまった(亡くなったことは、今回知った)。1人でされていたので、そのまま廃業。

いつも集配に来られては、ネコをかわいがり、阪神タイガースの話をして、という感じだったのだが、あるとき、「若狭屋さん、若狭のどこですか?」と尋ねたら「若狭の矢代です。実家は今も民宿をしています」とのご返事だったのを記憶に留めていた。

今回の7月の3連休、予定していた沢登りは前夜出発が叶わなくなり断念。
6月末に職場が変わり、業界も違うので、イチから勉強の日々になった。オンで変化が大きいと、オフにエネルギッシュなことをする余裕が無くなる。自転車でどこか行くにしても、地理感の無いエリアに行くのは億劫になってしまう。色々逡巡していたが、「そうだ、若狭に行こう」と思いついた。若狭には若狭屋さんの実家もあったはずだし、訪ねてみよう、と思った次第。

京都に住むサイクリストやライダーにとって、京の街から北上して日本海を目指すのは、旅の第一歩のようなもので、私も学生時代から何度も若狭、特に小浜を訪ねている。

小浜は「海のある奈良」ともいわれ、お水取りの場でもあり、古寺名刹も多い。北前船の寄港地でもあり、文化的にも興味深い。私は参加したことがないが、かつて鯖を運んだという「鯖街道」をリスペクトした「鯖街道ウルトラマラソン」大会が毎年開かれている。
かつて私が所属していた自転車チームでも、毎年、周山街道で小浜往復の180kmタイムトライアルを実施していた。朝6時頃に出発して昼ご飯は京都(高雄)に戻ってから食べていたので6時間位で往復していたのだと思う。
小浜からは「京は遠ても十八里」といわれているように、京都と小浜の縁は深い。

というわけで、例年にない酷暑の中、若狭へと久々に往復自走宿泊サイクリングに出かけた。

周山
写真:栗尾峠旧道から望む周山の街

いつものように、周山街道へ。この道は、カーブと勾配の一つ一つを覚えているくらい走っている。今は、自転車歩行者専用道となった栗尾峠の旧道から周山の街を望む。

美山道の駅
写真:美山道の駅

あまりの暑さでペースが上がらず、国道を離れて涼しげな小径を選んだこともあって、美山の道の駅に着いたのが11時になってしまった。そのまま昼ご飯。美山牛乳やヨーグルトが美味。須知高校製のプリンというのも食べた。

久しぶりに九鬼坂を越えて、鶴ヶ岡からは、冬にスノーシューで何度か利用した堀越峠の旧道にチャレンジすることにした。このほうが林間で涼しそうだし。以前、1回ランドナーで来たが、タイヤがバーストして敗退した記憶のある峠。

堀越峠旧道
写真:堀越峠旧道。スノーシューの時はトンネルからここに出て、頭巾山を目指した。

旧道堀越峠
写真:堀越峠。若丹国境。

堀越峠の旧道は、かつて京都から小浜までの国鉄バスが走っていた。今ではかなり荒れている。石がゴロゴロしていて急勾配な箇所もあり、久々に押しが入った。

小浜
写真:小浜市内

今回、初めて国道からそれて、谷田部トンネルから小浜に西から入った。谷田部峠のほうが、本来の小浜入りの道らしい。

鯖街道起点
写真:小浜の商店街の中の「鯖街道起点」

鯖街道説明板
写真:鯖街道解説板

かつてより、ずいぶんと改良された道を走って、小浜市街から矢代に到着。
若狭屋さんの実家の民宿は、集落の高い位置に石垣を積んだ上にあった。

小浜市矢代
写真:若狭屋さんの実家の民宿に到着

仏壇も立派で、なかなかのものであった。
ご実家を訪ねて、初めて判った。若狭屋さんは、この実家が誇りだったのだろう、と。

「若狭屋」という屋号で商売すると、「若狭のどこですか?」と聞かれるのは想定の範囲内。過去や出身を明らかにしたくない場合には、出身地の屋号はつけないだろう。若狭屋さんにとって、京都の西郊の町でクリーニングを営みながらも、故郷を大切に思っていらっしゃったのだろうと、私は思った。

宿の女将さん(65歳+)からは若狭屋さんは伯父さんにあたる。女将さんの話では、
矢代で車が通れる道路が付いたのは戦後(昭和30年代か)のことで、それまでは小浜に出るには船か歩きで道路のあるところまで行かないと行けなかった。
高校には下宿しないと無理で、この辺では中学を出ると皆就職した。矢代では、京都で食料関係の会社を興した人がいて、その人を頼って皆その会社に入ったが、給料は上がらないし、知った人ばかりで発展性が無いということで、各人がいったんその会社に入ってから自分の道を決める感じだった、とのこと。若狭屋さんも、そんな感じでクリーニング屋を始めたのだろうと。
女将さんは、高校に進学させてもらったが、片道2時間、自転車を押して、乗れるところは乗って、という感じの通学。部活は出来ないし、冬は大変。娘さんも冬は寄宿舎に入って高校に通ったそうである。

一昔前の日本は、そんなエリアが広範にあり、都市と農漁村の違いは、今想像する以上にいろいろとあったのだろう。

小浜市矢代
写真:民宿の窓からの風景

矢代の観音堂
写真:小浜市矢代の観音堂

小浜市矢代湾
写真:矢代湾

翌朝、矢代の観音堂を見学し、おにゅう峠へと向かった。
酷暑で、熱中症への警戒がリアルに必要な状況。ペースは上がらず、時々沢水で身体を冷やしたりしながら走り、峠の到着は正午をまわってしまった。

下根来
写真:小浜市下根来、戦没碑と民家。子を失った親の気持ちが痛い。

おにゅう峠
写真:おにゅう峠。若狭には「遠敷(おにゅう)」、丹波にも「小入谷(おにゅうたに)」があるので、ひらがなで「おにゅう峠」としたのであろう。

久多から能見峠で広河原、花脊峠が通行止めのため芹生峠で京都市内に入り、出町にある鯖街道口の石柱を経由して帰った。

久多
写真:朽木

久多
写真:久多

芹生峠
写真:芹生峠

加茂川
写真:賀茂川

出町:鯖街道の碑
写真:京都、出町にある鯖街道口の石柱

【走行日】2018年7月14日(土)~15日(日)
【使用自転車】TOEI650Aランドナー
【走行キロ】1日目117km、2日目116km (サイクルコンピュータ計測)
【峠】 御経坂215m、笠峠(トンネル)449m、栗尾峠410m、深見峠(トンネル)420m、堀越峠510m、谷田部峠(トンネル)59m、おにゅう峠837m、能見峠655m、芹生峠712m
【宿泊】民宿 きしの(小浜市矢代)
【行程】
7/14 自宅8:05~9:38周山~10:52美山道の駅(昼食)11:44~13:35堀越峠(旧道)~14:15道の駅名田庄14:37~15:44谷田部トンネル~15:48小浜~16:55矢代(泊)
7/15 矢代8:00~8:41広域基幹林道尾根~9:32東小浜駅9:45~12:29おにゅう峠~12:55朽木生杉(昼食)13:34~15:12能見峠~17:14芹生峠~18:15出町鯖街道口~18:53自宅

【ルート】
  1日目
  2日目

舞鶴湾大浦半島探訪:多祢寺、三浜と野原(2018/3)2018/06/04

”海の京都”、京都府北部の舞鶴湾大浦半島は半島一周道路が無いため、先端の集落はどこも行き止まりの”どんつき”。
プランニングが難しいこともあり、なかなか訪問できずにいましたが、ようやく行ってきた記録です。

土曜日曜の連日で舞鶴へ。土曜日は西舞鶴にクルマをデポ。翌日は東舞鶴にデポしてMTBで回りました。

【走行日】2018年3月3日(土)
【使用自転車】TOEI650Aランドナー
【峠】 三浜峠203m
【行程】京都=西舞鶴駅10:11~11:35自衛隊桟橋~12:07板ガラス~12:23クレインブリッジ~12:57浮島丸碑~13:28舞鶴発電所(丹生)~14:20多祢寺14:48~14:56三浜峠~15:07三浜~15:40野原~16:14(峠)~16:51東舞鶴~17:28西舞鶴=京都

舞鶴市三浜
写真:三浜峠を下ると、海を背景に集落が広がる。桃源郷というものがあるとするなら、こんな感じに近いと思えるような美しい景観であった。

舞鶴市野原
写真:舞鶴市野原。海に生きるムラ、という感じ。

多祢寺
写真:多祢寺

舞鶴市内
写真:舞鶴市内


【ルート】

自転車で帰省。京都-鳥取(2018/5)2018/05/30


 写真:自宅を5:20に出発

昨年、京都の自宅から鳥取に自転車で帰省し、なかなか良かったので、今年も実行することにした。日照時間が長くて気温も適当な5月~6月がベスト。

去年と基本的に同じルートとしたが、相違点は下記の通り。
1)篠山から柏原に向かう鐘ヶ坂トンネル手前の「大山川」沿いは全て旧道。雰囲気、走りやすさとも、とても良かった。
2)和田山付近を円山川左岸。去年は右岸の道路を走ったが、けっこうクルマの交通が多く、イマイチだったから。和田山駅を過ぎたあたりから旧道に入ると、実に自転車に快適な道が、大屋橋まで続き、大正解であった。

今回もマイペース走行で、スピードは意識しないようにしたが、カメラ撮影は自粛して停車する時間を減らすようにして、走りを楽しんだ。摂取食物も去年より少なかったが、意識してそうしたわけではない。

【行程】
2018年5月26日(土):自宅5:20(去年5:18)~5:59(5:55)老ノ坂~7:16(7:10)天引トンネル~7:55(7:51)篠山京口橋~8:00(8:00)篠山城址~8:37(8:50)新鐘ヶ坂トンネル~8:47ファミマ柏原下小倉店(コーラ・トイレ)~8:55(9:08)柏原~9:08(9:17)水分(日本一低い分水界)~9:43(パン小休止)(10:19)青垣9:59~10:36(10:57)遠阪峠~10:51(11:15)簗瀬駅~11:02和田山駅~11:26(12:06)養父市場~11:33(12:14)大屋橋~12:27(13:11)大屋市場~14:04(14:45)若杉峠~14:40(15:15)新戸倉トンネル~15:13(15:50)若桜橋~16:32(17:10)東郡家R29~16:58(17:33)鳥取県庁~17:13(17:45)自宅
【走行距離】214km 平均速度20.5km
【峠】老ノ坂219m、天引峠324m、鐘ヶ坂219m、遠阪峠368m、若杉峠729m、戸倉峠731m
【使用自転車】TREKエモンダ
【摂取】パン3個、バナナ2本、コーラ300ml、アクエリアス300ml、水500ml
【ルート】
詳しくは ルートラボで。

篠山城址
 写真:篠山城址 8:00

柏原
写真:柏原の大ケヤキ 8:55

水分(分水界)
写真:水分 9:08

写真:青垣で一休み 9:43-9:59

遠阪峠
写真:遠坂峠 10:36

写真:大屋市場の先のお地蔵さんで小休止

若杉峠
写真:若杉峠 14:04

戸倉峠
写真:戸倉峠 14:40

鳥取城址
写真:鳥取城址=卒業した高校の前 16:58

去年よりも地図を見る回数も減り、30分程時間短縮になりました。
特に身体で痛む箇所もなく、気持ち良く走り終えました。

舞鶴成生へ、上瀬から田井へ破線ルート踏査MTB(2018/3)2018/04/15

若狭湾、大浦半島の突端に「成生(なりゅう)」という集落がある。
その存在は、水上勉の小説「金閣炎上」などを通じて知っていたのだが、これまで訪ねたことがなかった。

以前から行ってみたいと思っており、今回、その成生を目的地とした。

半島や岬の海岸沿いには漁業で成立した集落が多く、移動手段の中心が船であった時代が長い。船か徒歩が主たる移動手段で、自動車が走れる道路が開通したのは戦後、その道路にしても、その集落が終点で、ピストンするしかルートがとれなかったところも多い。入江ごとに存在する集落を海岸沿いに結ぶ道路ができるのは、後のこと。

京都府でいうと、丹後半島には海岸沿いに一周道路が開通しているが、舞鶴の大浦半島には未だ無いので、成生は相変わらずドンツキ(行き止まり)のムラである。

しかし、地形図上には破線の小径(幅員1.5m未満)が記載されており、そこが通れるならピストンでなく、上瀬から田井に抜け、成生へ行けることになる。破線の道というのは、地図にはあっても、実際には道が消滅していたりすることも多くあてにならないのだが、少々のことなら突破できるだろうと思い、実行することにした。

東舞鶴駅前の市営駐車場にクルマをデポ。まずは西国三十三所の松尾寺に参拝して、上瀬を目指す。

松尾寺から杉山という集落に出て、そこから汐汲峠へは、普通の道路ではなく、旧道と推察される地形図上では破線の道を選んだ。

途中、山仕事中の人と話し、「上瀬から田井へは、昔、田んぼに行くのに使っていた道があるはず、上瀬の水道施設のところからその旧道に入れる」との情報をいただき、勇気百倍。

上瀬集落遠望。
高浜町上瀬

上瀬の地元の人に「田井まで旧道で行きます」と話したところ、「自転車では無理とちがうか」。「担ぎには慣れていますし山登りもしていますので」と答えてそのまま前進。

上瀬からは高浜原発が湾越しに見える
上瀬から眺める高浜原発


 地図1:大浦半島、成生と田井と上瀬。※クリックして大きくしてみてください。

地図2:上瀬から田井へ:MTB担ぎルートのGPS軌跡

上の「地図2」、A地点]の水道施設から入る、しっかりした地道があったので進む。地形図ではその手前から尾根に直登する破線路があり、当初はそちらを考えていたのだが、実際の斜面を目の当たりにすると、とてもMTBを担いで登る気になれず、地形図にはない、地道を選んだ。
上瀬

道はしっかりしており、こんな感じで続いていたら、田井までも楽勝だという期待が高まった。

ところがどっこい、はっきりした道は、潰廃耕地跡で途切れ、そのまま踏み跡(動物のかも)らしきところを辿ると、沢沿いになったので、これは違うと判断し、引き返す。

MTBを担いで斜面を登ることにする。地図B地点


しばらく担ぐと尾根に出た。尾根には、はっきりした道?があった。このまま田井に抜けられるかも、と期待。[地図C地点

上の写真の右手、道のように感じられるところは、しばらく続いたが、沢を渡るところ[地図D地点で途切れて、かすかな踏みやすいラインをたどってトラバースすることにした。
ところが、どんどん悪くなっていき、単なる山の斜面になってしまった。

進退窮まり、引き返そうかと思ったが、またトラバースして戻るのも嫌な感じだし、ちょっとは平坦な場所をみつけて、そこまで担ぎ上げ、小休止して落ち着くことにする。正面に馬立島が見えた。[地図E地点

行き詰まったときには尾根に上がるというセオリーどおり、担ぎ上げた。尾根上はいい感じの通行しやすい地形になっていた。道かと思えるくらい。[地図F地点]

上記写真の進行方向にそのまま進んで尾根を下ると、林道にぶつかるはずだが、ふと左手下を見ると、潰廃耕地跡のような空間がひろがり、そこに降りる明確なシングルトラックがあったので、そちらを選ぶ。耕地跡ということであれば、人里に出る道があるはず。

 潰廃耕地跡[地図G地点]
助かった!と安堵。ほとんど潰れてしまっている道路をたどり、やっと林道に出た[地図H地点]

田井の集落の立派なお寺「海臨時」に参拝。
海臨時

田井・海臨時

田井を出て、成生までは割とすぐに着いた。写真は成生集落。
成生

成生にある「西徳寺」
西徳寺

成生にて
舞鶴市成生

目的を達成した充実感はあるけれど、もうこのルートをとることはないだろうと思いながら、東舞鶴のデポ地に戻った。

今回の走行ルート
詳しくはルートラボ

【走行日】2018年3月4日
【使用自転車】SCOTT MTB
【峠】塩汲峠
【行程】東舞鶴市営駐車場8:40~8:50東舞鶴高校~8:59安岡~9:13松尾寺駅~9:47松尾寺10:05~10:30江戸時代の道標~10:53山中~11:00塩汲峠~11:23日引~11:45上瀬~11:53水道施設~13:23潰廃耕地上の尾根~13:30潰廃耕地~13:41林道合流~14:02海臨寺~14:21成生~14:41~15:19空山林道分岐峠~15:43大汲トンネル~16:00デポ地
日引

志摩半島・安乗埼と大王埼灯台へ(2018/2)2018/02/27


大王埼灯台
写真:大王埼灯台

 少々の雪ならMTBで積極的に楽しめるが、今回は雪の無いエリア、日帰りでなるべく温かそうなところ、と考えて志摩半島に行くことにした。

京都の自宅をクルマに自転車を搭載して出発。名神高速道路の電光掲示板には、関ヶ原付近はチェーン規制と表示。目的地は志摩なので新名神を選ぶが、鈴鹿峠付近は淡い雪景色だった。

亀山を過ぎると、天気は晴。伊勢から志摩への道は、路肩も狭く山間のカーブの多い道で、自動車ならいいが、自転車ではあまり走りたくない感じ。

阿児アリーナ駐車場にクルマをデポ。安乗埼(あのりさき)を目指す。風が強いが晴れて明るい。

志摩国分寺の前を通ったので、せっかくなので立ち寄る。ちょうどお寺の方がいらっしゃって本堂を案内してもらえ、ありがたいことであった。
志摩国分寺
写真:志摩国分寺

しばらく走ると「渡鹿野島(わたかのじま)」への渡船案内板があった。

渡鹿野島は、今では普通の観光地に転換してきているが、まあ、何らかの目的意識(探検してみたいとか一度実際にみておきたい等も含む)がなければわざわざ立ち寄ろうとは思わない。とはいえ、どんな島なのか遠くから観てみるのもよかろうと思って、渡船場までピストン。

2017年発行のルポ本が私の職場のビルにある書店にも並んでおり、ツーリング後に買って読んでみた。興味本位ではなく冷静に書かれているが、扱っている時間軸は近年。

風俗ライター的立場からでなく、渡鹿野島について記してある文章で参考になったのは、
(人間学工房 「三重県志摩 民俗資料館をつくる」)
ttps://www.ningengakukobo.com/single-post/mieshima

戦前の情景を知る手がかりとしては、大阪毎日新聞の写真部長もつとめた北尾鐐之助の「近畿景観 伊勢・志摩」創元社1942がある。
「先年電鉄会社が、ここを志摩の桃源郷の如く宣伝しはじめてから、善い意味にも悪い意味にもその方に発達して、全島が脂粉の香に蔽われ、むかし波枕の漁師のみを相手にしていた青楼が、いつか大阪、神戸あたりの客を引くことに憂身をやつすようになった」など北尾は格調高く描写している。北尾がこの島に滞在したのは2時間程と記されている。
 宮本常一の著作を探ると、江戸時代の頃から風待の船員を対象として栄えた旨の記述もあるので、漁師のみを相手にしていた場所ではなかろうが。
渡鹿野島渡船
写真:渡鹿野島渡船場

そんなこんなで、いろいろ見聞しながら、ようやく安乗埼に到着。
全国に15ある登れる灯台の一つ。灯台は当然のことながら見晴らしのよい所にあるのが普通なのだが、安乗埼灯台は、これまで訪問した中でも、特に眺望がすばらしく、感動した。
安乗埼灯台
写真:安乗埼灯台

映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台にもなっており、帰宅後、amazonで中古DVDを取り寄せた。木下恵介監督、1957年のオリジナルは高峰秀子と佐田啓二。1986年の新編では佐田啓二の息子の中井貴一も出演、灯台守夫婦は加藤剛と大原麗子。新編の公開当時、私は既に就職していたのであるが、当時、この映画に関心を持った記憶は全くない。今、観ると、1986年というのは全てがずいぶん昔だったのだなという感想。同時代を生きていたのだが。人間の本質は昔からそんなに変わってないと思うが、社会はものすごく変わっている。

安乗埼灯台見学の後は、よそ者が自動車で通過するにはとても憚られる狭い道の安乗の集落を自転車ということで遠慮無く周回し、観光地ではない漁村集落にも立ち寄り、大王埼へ向かった。
安乗の散髪屋さん
写真:安乗の散髪屋さん

夏なら海水浴やサーフィンで賑わうであろう海岸沿いの道も、この季節は静かであった。大王埼は灯台の門前商店もあったりして、昭和の観光地という感じで、趣があった。

志摩は「島」だというのが、自転車で走ってみての感想。基本、道は尾根伝いにあり、リアス式海岸の入江的な地形が無数にあり、海水の浸入リスクもあり未利用地も多い。

「伊勢志摩」と一括りにされることもおおいが、伊勢と志摩は全く別の個性。伊勢は農業国で志摩は漁業国、壱岐と対馬の対比のように感じられた。

【走行日】 2018年2月18日(日)
【使用自転車】TOEI650Aランドナー
【峠】 -- 【岬】安乗埼(あのりさき)、大王埼
【行程】
自宅6:10=新名神・伊勢道=阿児アリーナ9:00~9:45志摩国分寺10:05~渡鹿野島渡船場10:15~10:40安乗埼灯台資料館・灯台11:05~11:36阿瀨~12:25志島小学校~12:50波切(昼食)~13:27大王埼灯台14:10~15:03阿児アリーナ(デポ地)=京都

隧道(トンネル)の扁額(へんがく)2018/02/24

自動車で走っていると、一瞬のことなので目に留める機会も少ないかもしれないが、自転車だとしっかり目にとまるものがある。

その一つがトンネルの扁額(へんがく)。扁額というのは高い位置に掲出される額や看板のことで、寺社の門やトンネル、茶室などが代表例。

気をつけてみると、トンネルには扁額として漢文でなんらかの意味を記されているものが、しばしばある。

昔はトンネルを掘るというのは大事業で、トンネルが開通した記念というか、揮毫感覚なのか、ふさわしい一句、みたいな感じで付けたのかもしれない。

今の高速道路やバイパスだと、トンネルなんてそれが普通で、いちいち感動を味わうことはなく、「○○3号トンネル」とかいった感じの表示で済まされているが。

難しいことは十分承知しているが、トンネルの一つ一つのに漢文調の扁額をつけることを何らかの内規等で定めたら、日本文化のためにもなかなか良いのではなかろうか。

その地域の歴史や故事にちなんで、ふさわしい文字を扁額とする。そのことで、地方の文化人や役所の中の文人的な役割を評価することになると思う。

私の高校の同級生で、中国哲学を学び、仙人になる方法とか、諸々、東洋の哲学や文学に通じた人物がいるが、そういう人に、世間的にも活躍の場を提供できたら素晴らしい。

新しい高速道路やバイパスのトンネルでもこれはという箇所には、しかるべき言葉が選定され、扁額をこしらえる。

運転手はともかく、同乗者は、扁額にこめられた思いに一瞬、心を寄せる。もちろん、一方的な価値観の押しつけであったりするものであってはならない。日本国憲法の精神から逸脱しないという前提で。

まあ、奇跡的にそんなことができても、税金の無駄使いとか、グローバル指向の世で無駄の象徴のように糾弾されるのがオチだろうが。

というようなことを考えたのは、常々そこを通過する度に思っていたのだが、今日も自転車でいつものルート、奥嵯峨から保津峡沿いを走っていて、小さなトンネル2つの扁額に接したからである。

六丁峠を越えて、最初にであう「落合隧道」には「竭誠盡敬(けいせいじんけい)、「誠をつくし、敬をつくす」との意味。
落合隧道

その次に現れる「鵜飼隧道」には「平安乾域とある。「乾(いぬい)」は方角でいうところの北西であるので、このトンネルが平安(都)の西北、ということであろうか。
鵜飼隧道

去年、その高校の同級生と息子さんと一緒に走った三重県の長野峠旧道には、トンネルの扁額を切り出したモニュメントがあり、「其の功をもって裕とす」とある。”天然への畏敬と人間賛歌とが微妙なラインでせめぎあう面白い言葉”だという解釈をwebから得たが、よくわからない。

トンネルの扁額に気づくのは、サイクルツーリストの特権?かも。惹かれる扁額がありましたら、ぜひ、ご一報をお願いします。

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<追記1>
国道9号線、京都市と亀岡市の境である「老ノ坂」トンネルの扁額

老ノ坂隧道扁額
亀岡側。左が旧トンネルで今は歩行者/自転車用。右が現役トンネル。
扁額は「老ノ坂隧道」とありますが、下に
との漢文の碑があります。
何と書いてあるのかとwebで検索したところ、ブログ「轍のあった道」に説明がありました。引用させていただきますと、
”「遠邇之利往来之便」
yoshim氏のサイトに京都国道事務所からの回答として意味が掲載されている。そのまま転載すれば、「(この道ができたことにより)遠いところにも近いところにも利益をもたらし、往来の便がよくなった。」という意である。”
とのことでした。

京都市側の旧トンネル(歩行者/自転車用)には、「和風洞」と扁額があります。
和風洞

現役トンネルは「松風洞」ですが、拡張工事の際に外されたのか地上に置いてあります。
松風洞

<追記2>
舞鶴市「大波隧道(旧)」の扁額
大波隧道扁額
「鶴高沖」とありますが、どういう意味なのでしょう?鶴は舞鶴の鶴だと推測しますが。

<追記3>
兵庫県「鐘ヶ坂トンネル(昭和)」の扁額


「鐘ヶ坂」には明治、昭和、平成の3つのトンネルがあり、今、通行可能なのは平成年間のもの。地形図には昭和のトンネルも表記されていたので、自転車で走るにはクルマが少ないであろう古いトンネルのほうがいいと思って行ってみたが、閉鎖されていた。

扁額があるが、皆、明治のトンネルについては記しているが、この昭和トンネルの扁額についての解説をみつけることができなかった。
鐘ヶ坂旧トンネルは閉鎖
 鐘ヶ坂トンネル(昭和)にも、兵庫県知事の扁額がある。

大隅半島サイクリング:隔絶集落 (佐多)辺塚から大浦、(岸良)辺塚へ(2017/11)2018/02/19

「僻地」というのは一般的には都市的地域から離れた場所を言う。

僻地の代表例として挙げられることが多い四国の祖谷や、九州の五家荘、米良荘にしても、その地域全体が都会から見た「僻地」なだけであって、いったんそのエリアに入ると、中心地には公共施設や商店もあり、そこで地域社会が成立してきた一定の機能とまとまりがある。区域にある集落ひとつひとつが孤立、隔絶しているわけではない。

ところが、今回のツーリングで訪ねた 鹿児島県の大隅半島東南部、その中でも、大隅半島が太平洋に落ち込む断崖上の道路をひたすら走ってたどりつく肝付町岸良大浦(きもつきちょう きしらおおうら)という集落は、その隔絶度合いがすさまじく、「僻地」などという一般的な形容ではなく、正真正銘の「隔絶集落」と呼ばせていただいてもよいと感じた。向かい風であったが、隣の集落から自転車で2時間はかかるのだ。

隣(といっても、すごく離れている)の集落名は、なぜか同じ名称の「辺塚(へつか)」。西にあるのが肝属郡南大隅町佐多辺塚(きもつきぐん みなみおおすみちょう さたへつか)、東側が肝付町岸良辺塚(きもつきちょう きしらへつか)。西のほうの辺塚はかつては学校もあり、東の辺塚よりも断然規模が大きい。

誤解のないようにいうと、僻地であったり隔絶していることをネガティブにとらえているのではなく、その隔絶感がなぜかしら大きな感動を与えてくれ、素晴らしい場所だと感じさせてくれた感謝の気持ちを伝えたいのである。

寺社仏閣や名刹、温泉、特色ある宿泊施設、小説や映画の舞台などの観光的要素が皆無なエリアであるが、そこに行ったというだけで不思議な感動を与えてくれた。本土最南端の佐多岬よりも圧倒的に。

民俗学者の宮本常一も昭和15年と37年に訪ねており、「宮本常一著作集39 大隅半島民俗採訪録 出雲八束郡片句浦民俗聞書」未来社1995で、その当時の辺塚や大浦の様子を知ることができる。興味のある方は、ぜひご一読を。

宮本常一の著作から、印象に残った部分を抜き出す。
・大泊から外之浦の間も車こそ通わないが、三尺ばかりの道になっていることも、考えてみると親の愛情がそうさせているらしいのである。大泊の小学校へは尾波瀬・田尻・外之浦から通う。一つの通学区域内は学校を中心にして、どうやら道らしい道がついているのであるが、大泊の学校へ通学しない島泊・尾波瀬間と間泊・外之浦間の道は至って粗末である。大人の行く道は歩けさえすればいい、といった程度だが、子どもたちの道は途中の事故を案ずる親心がこもって広くされている。・・・道路の改良はこんな所からも行われたのである。(昭和15年)

(以下は昭和37年)
・佐多から辺塚にはバスが無いので歩かなければならない。16km、それも悪い道。そこでたいていはバスで郡(集落名)まで来て、そこから船をやとって辺塚に行く。

・ここからは高校が遠いので、高校へゆくものはほとんどなく、たいていは中学を出て就職する。中学校を卒業するころになると、学校へ就職のことを頼んでおく。すると阪神地方の中小企業から申込みがあり、そこに割り当てられて出て行く。女の子はほとんど繊維工場。※大隅半島の村々から京阪神に就職した人が多いというのは意外だった。薩摩の人は東京志向かと思っていたので。今は「大阪のおばちゃん」な人でも実は大隅半島のご出身であったりすることがあるのかもしれない。)

・昔は大浦から買い物は6里(約24Km)離れた大根占(地名)。内之浦の方へは、役場の用事以外には今もって全然行かない。※大浦には昔から商店は存在しなかった。海沿いに立地するが港は現在も無いので船も使えない。

【走行日】2017年11月2日~11月5日
【使用自転車】TOEI700Cランドナー
【峠】大内山峠65m、美濃峠258m
【行程】
11/2(木)JR西大路5:07=5:45新大阪6:00=みずほ601号=9:46鹿児島中央10:05=11:27指宿(輪行組み立て&昼食)12:44~13:13山川港~14:34長崎鼻14:55~15:25西大山駅~15:40開聞川尻~16:28塩谷~16:51開聞駅~16:58民宿「かいもん」泊:GPS計測40km
 ルートラボで詳細

11/3(金)
民宿「かいもん」6:45~7:31山川港8:00=「なんきゅうフェリー」=9:00根占港~大浜下9:30~10:07伊座敷~涅槃門11:00~11:24西方(道を間違え往復)~12:07大泊~12:48佐多岬13:22~13:58大泊~14:24間泊14:30~14:41古里~15:12郡小学校(跡)~16:44峠~17:05辺塚 「湊原旅館」泊:メーター計測100Km
2日目
 ルートラボで詳細 

11/4(土)「湊原旅館」7:36~辺塚小中学校跡・町内ポタリング8:00~8:30沢渡~8:40打詰~9:51大浦分岐~9:59大浦小中学校跡など地区内10:30~10:38大浦分岐~11:48峠~12:18岸良辺塚12:31~13:00船間(国道)~13:13浜(昼食・かぐら)14:03~14:08岸良三叉路~14:52美濃峠~15:00内之浦~16:00肝属川第二有明橋~16:35菱田三叉路~16:50志布志~17:05大隅夏井駅~17:28串間「あかつき荘」泊:メーター計測115Km
3日目
 ルートラボで詳細

11/5(日)串間「あかつき荘」7:35~8:09港~8:40都井トンネル~8:54黒井~9:06毛久保~9:39御崎~9:53都井岬灯台~10:30恋ヶ浦トンネル~11:00幸島対岸~11:21峠トンネル~11:51大堂津駅:メーター計測64Km:12:42=(日南線)=14:10南宮崎14:22=(きりしま13号)=16:23鹿児島中央16:38=(さくら566号)=20:48新大阪20:58=(=21:33西大路=(taxi)=自宅
4日目
指宿駅
最寄り駅から朝イチのJR、新大阪から始発の新幹線に乗ると、いつも会社に着く時間には鹿児島中央駅に到着。在来線に乗り換えて指宿駅からスタート。新幹線は速い!

長崎鼻
南薩では、開聞岳がいろいろなところから望める。かつて新婚旅行で賑わった長崎鼻からの開聞岳。

西大山駅
JR最南端駅「西大山駅」への案内と開聞岳

民宿かいもん
1日目の宿、民宿「かいもん」。とても美味しい焼酎をつい飲み過ぎて、サイクルツーリングでは初めての宿酔気味で翌日出発。

伊座敷 昭和館
佐多半島 旧佐多町の中心街「伊座敷」。民俗学者、日本を代表するフィールドワーカーともいえる宮本常一も泊まった「昭和館」の現在。

佐多岬
本土最南端 佐多岬

日本縦断ゴールの人
日本縦断を、今、当にやりとげたという人を記念撮影。自転車はジャイアントのデフィ。

辺塚 みなとはら旅館
2日目の宿。辺塚の「みなとはら旅館」。とはいっても旅館の看板が無いので、地元の人に聞いて、ようやくわかった。

みなとはら旅館にて
「みなとはら旅館」の女将さんと。

みなとはら旅館にて
「みなとはら旅館」を出発

辺塚小学校
辺塚小学校(跡)

辺塚小学校
辺塚小学校(跡)碑

辺塚の民家
辺塚の民家。後ろの植生が南国の雰囲気。

大隅半島東海岸
大隅半島東海岸の道だが、海からはだいぶ上を走る。時々、太平洋が現れる。

日本一周の人
クルマとも殆ど出会わないが、突然自転車を押して登る女性に出会う。長野を出発して日本一周中とのこと。海岸沿いに日本1周をする人の他には、サイクリストもあまり出没しないのかもしれない。

大浦小中学校
地形図を眺めていて、その隔絶度合いに驚いた「大浦」にある小中学校(跡)

大浦の住宅
大浦の民家。郵便ポストはどんなに隔絶した集落にもある。ユニバーサルサービスとはこのことか。

大隅半島・大浦
大浦の耕地。海に面していても、港は無い。

大浦
大浦でお会いしたお年寄りに、許可を得て撮影させていただいた。

内之浦辺塚海岸
(岸良)辺塚の海岸。同じ「辺塚」の集落名称でも、佐多辺塚と、現在では特別の関係性があるわけではないとのこと。

内之浦辺塚
(岸良)辺塚の集落

辺塚海岸
(岸良)辺塚海岸

ようやく、大きな道と合流する三叉路。岸良。

三叉路には、なかなかよさそうなお店があった。

串間あかつき荘
3日目の宿、串間の「あかつき荘」

都井岬の近くの商店

都井岬への旧道を走る

都井岬灯台
都井岬灯台

都井岬
都井岬

日南海岸
日南海岸

大堂津駅
JR日南線「大堂津」駅から輪行で帰京。

今回はJR西日本の企画切符を利用したので、新大阪-鹿児島中央が13,000円で行けた。
列車の変更は自由席も含めて一切できないが。

  ☆詳しくはgoogle fhotosで(137枚)

京都北山、名残の紅葉2017/12/05

 今年(2017年)は、寒くなるのが早く、11月からコートを着て通勤しています。
山の紅葉も早く進みました。そんなことで、名残の紅葉を求めて先週末に京都・北山のいつものコースを走ってきました。自転車はグランボア・スポルティフ、ほぼサンツアーシュパーブプロ フルセット。


京都市右京区樒原
写真:いつも、ここでは止まらず、通過していますが、今回は初めて写真を撮ってみました。京都市右京区樒原。宕陰地区といいます。愛宕山の南麓。

京都市右京区樒原
写真:樒原

写真:黄色のもみじが好き

写真:いつもの銀杏の大木も、ほとんど落葉。

写真:京都市右京区越畑

写真:工芸家の方が営む、食事も提供してくれるギャラリーで一服


写真:丹波の初冬。今年は寒いです。

写真:立派な民家の蔵。近畿のルーラルなエリアを走ると、立派な民家に出会うことが多い。

葛川
写真:桂川。丹波から流れ出し、この流れのずっと下流に、嵐山。

土曜の半日で、こんな景観の中を気持ちよく走って帰りました。ありがたいことです。

いつものコース、いつもの銀杏の色づき2017/11/20

ネコが持ち場を見廻るように、いつものコースへ。
いつも、古民家のところで小休止します。大きな銀杏の木を見ながら。

四季折々の姿を見せてくれますが、やはり黄色に染まる姿が楽しみです。今回はついに、その時。

遠くへの自転車ツーリングも楽しいけれど、京都・丹波の自転車環境の素晴らしさを毎回感じる次第です。

いつもの銀杏の色づいた姿をみて帰りました。


 いつもの古民家と銀杏。今日は、一歩入ったところから。

 立派な銀杏

 長屋門と銀杏

主屋が1657年(明暦3年)に建てられた、年代が確定する民家としては京都市内で最古、嵯峨の大工によって建てられたと説明板にある。長屋門は亀岡の大工により1696年(元禄9年)。母屋は江戸開府の半世紀後ちょっとに建てられたということ。サザンカは大阪城から移植されたとのこと。

いつもの構図

スタートは、奥嵯峨から

保津峡
保津峡を通って

途中の集落と神社

帰り道

京都の街中から自転車でちょっと走ったところに、こんな景観が広がっています。
 自転車:TOEI 650Aランドナー