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「ある限界集落の記録 昭和二十年代の奥山に生きて」新見市上熊谷指野へ2023/12/09

 自転車でルーラルなエリアを旅するのが好きです。人の手が加わって先人の労働の集積で形成された景観に感じ入ります。
 そこにどんな人が住んでいて、何をして暮らしているのか、かつてどんな暮らしだったのかを知りたくて、関係する本を購入することもしばしばあります。

 そんな日々を過ごす中で、朝日新聞の1面書籍広告に小谷裕幸「ある限界集落の記録 昭和二十年代の奥山に生きて」富山房インターナショナル2023 を見つけ、早速買い求めました。
ある限界集落の記録

 帯のコピーには「消えゆくふるさとへの思い 岡山県中国山地、山あいの小さな集落ーー戦中・戦後、家族が辿った人生と、高度経済成長期以前の生活を、ドイツ文学者が鎮魂の書として綴った貴重な記録」とあります。

 農山漁村をフィールドにした生活歳時記的なエッセーや聞き書き、ルポルタージュや民俗学的記録や論考はこれまでも様々な形で刊行されていますが、リアルにそこで暮らしていた方が学業や就職で巣立った後に、育った集落や人々について他者にわかりやすい形で、主体的具体的に記した本というのに、これまで私は出会ったことがありませんでした。

 筆者は鹿児島大学教授を勤め、ドイツ文学が専門。専門外のテーマだからか、学術書や大学のテキストのようにはなっておらず、自由な立場で伸び伸びと自分の育った集落や人々について書かれています。かといって自分史のようになってしまってはおらず、テーマを外れることなく抑制の効いた構成だと思いました。

 そんな感想をもち、これはぜひ、書かれたフィールドを訪問したいと思い、現地へと向かいました。岡山県新見市(にいみし)上熊谷(かみくまだに)指野(さすの)へ。

*走行日:2023年12月6日(水)
*自転車:グランボア55号ランドナー
*行程:京都自宅6:10=(名神ー中国道)=大佐スマートIC=9:35JR姫新線岩山駅(車デポ)9:50〜11:00指野〜11:40草野〜12:30平吹〜12:45東山〜13:00本誓寺入口〜13:22養鶏場〜13:37大下〜13:55東前寺14:10〜14:45小坂部ダム〜15:25新見市役所横〜16:00岩山駅=(中国道)=17:15津山・あけぼの旅館(泊)
*走行距離:52km
*宿泊:あけぼの旅館(津山市)

岩山駅
写真:JR姫新線岩山駅。1929年に建築され当時の姿を多く残しているとのこと

岩山駅改札
写真:岩山駅改札

岩山駅
写真:岩山駅プラットホーム

岩山
写真:岩山の駅前通り ガソリンスタンド

岩山駅前通り
写真:岩山の駅前通り

岩山駅前メーンストリート
写真:指野へと向かう道

蔵
写真:土壁で窓の大きな蔵があった

岩山駅前で出会った方に、この本のことを話したところ、筆者の同級生の人をよく知っていて「(その人に)電話してあげようか」とおっしゃってくださったが、「お忙しいでしょうし、そこまでは、ありがとうございます」と返答したが、指野への坂道を走っていたところ自動車が止まり(先ほどの方から電話があった)、「自転車ではこの先の坂道はとても登れないだろうから車に乗せてあげる」とその同級生の方。

筆者について、「とても苦労して新見高校から大阪大学に進学し、ドイツ留学もしたが、いまでも帰省したときにはウチに必ず立ち寄ってくれる」と。
何度も車に乗るようにすすめられたが「自転車に乗るのが好きで、坂道も大丈夫ですから」と言って固辞した。
筆者の同級生の方
写真:筆者の同級生の方

指野への道
写真:指野への道

指野道路記念碑
写真:指野道路記念碑

 「指野道路記念碑」があった。指野に電気がついたのは昭和21年(1946年)、道路が通じたのは昭和35年(1960年)。道路はそこそこ傾斜があるが、グランボア55号の28X28ギアで、問題なく走れた。

指野道路記念碑
写真:指野道路記念碑

集落の入り口に石仏が鎮座されていた。
指野の石仏
写真:指野の石仏

指野の集落景観
新見市上熊谷指野

指野
写真:新見市上熊谷指野
指野からみえる山々
写真:指野から望む山々

地形図をみると、指野よりも更に標高の高いところに「草野」という集落があるので行ってみることにした。

草野への道
写真:草野への道
草野への道
写真:草野への道

草野
写真:「草野」耕地の潰廃が進んでいる

もしかして廃村になっていて通い耕作になってしまっているかもしれないと心配したが、郵便配達のバイクと出会い、杞憂であった。近代国家である日本では、全国どんなところにでも人が居住している限り郵便制度を利用できる。

草野
写真:草野、郵便配達。

草野
写真:草野:郵便配達が向かったお家

筆者が盆には訪ねた「東前寺」が山を越えた小坂部川の斜面にあるので、そこにも行ってみることにした。
地形図で実線の道路は、未舗装で落ち葉に埋もれていた。かつて使われた歩きの道とは違って後年にできた道であろうが。

東前寺への道
写真:東前寺への道

途中に平吹という集落がある
平吹
写真:平吹
平吹から下る道には自動車のタイヤ跡は見当たらず、日常的に行き来はないのかもしれない

平吹からの道
写真:平吹からの道

東前寺
写真:東前寺
東前寺
写真:東前寺
東前寺
写真:東前寺
東前寺
写真:東前寺
東前寺
写真:東前寺の石像物

東前寺から新見市街への小坂部川ダム美穀湖(みよしこ)沿いの道が、法面崩壊で通行止めになっていたが、通過。通行する車がないからか道路が落ち葉で深く覆われていて、落ち葉に隠れた岩片や石でタイヤのサイドを切らないように緊張しながら走った。
ダム横で、人の気配が全くなく、とても心細かった。

小坂部川ダム沿いの道
写真:小坂部川ダム沿いの落ち葉に埋もれた道

小坂部川ダム
写真:小坂部川ダム
小坂部川ダムからは、断崖絶壁のワインディングロードを走って新見市街へ出、岩山駅に戻った。
小坂部川ダムからの道
写真:小坂部川ダムからの帰路

翌日の行動を勘案し、宿は津山市の「あけぼの旅館」。津山市内で一番古い旅館とのこと。料理も美味しく、誠に良い宿であった。

津山 あけぼの旅館
写真:あけぼの旅館(津山市)

あけぼの旅館
写真:あけぼの旅館の部屋


 走行ログ 走行距離52km(Trail Noteソフトで制作)

おしまい

丹波の秋 黒豆買いに2023/10/19

丹波の秋。収穫の秋。丹波松茸はなかなか手に入らないが、黒豆は現地に行けば可能。
居酒屋によくある冷凍枝豆とは全くの別物。真に美味しい。10月の数週間だけしか出荷されない。
近接する京都市内でも、スーパーマーケット等には出回らないと思う。

昨年末に会社の選択定年を選んだ元同僚の最終出勤日、たまたま私も出勤していて、「これからはこういうことで・・」と名刺を頂いた。

そこには「丹波篠山産 黒豆生産者」とあった。数年前、裸一貫黒豆生産の弟子入りを果たし、今では現地に拠点も構えて本格的に栽培されているとのこと。

秋晴れの一日、その方のところへ黒豆を分けてもらいに出かけた。
久々にお会いしたその方は、会社員の頃よりも断然爽やかなよい顔になっていた(失礼!)。

農は偉大なり。

丹波黒豆を分けてもらいに
写真:黒豆生産者になった元同僚

・走行日:2023年10月18日(水)
・自転車:グランボア55号ランドナー
・走行距離:111km
・峠:老ノ坂(219m)、天引峠(324m)、原山峠(348m)、六丁峠(181m)
・行程:自宅(京都市右京区)9:00〜9:48老ノ坂〜10:47養玄寺〜11:38天引薬師堂〜12:00天引峠〜12:19安口13:25〜13:28福住駅跡〜14:01原山峠〜14:29園部国道9号交差点〜15:05三俣川〜15:36請田神社〜15:55保津峡林道ピーク〜16:16六丁峠〜16:29広沢池周回観光道路交差〜16:42I’s Bicycle16:52〜17:02自宅

 平日の国道9号老ノ坂を走るのは、実は初めて。やはり交通量が多かった。王子から旧道に入る。旧道沿いの亀岡の街は、趣がある。国道沿いのチェーン店や量販店が林立するバイパス的景観を亀岡だと思っていたら大間違い。
 
 湯の花温泉のところから国道372(デカンショ街道)へ。バイパス化されている372号ではなく、旧道を繋いで走る。実に良い旧道が残っているのに、自転車でも新道を走る人が多い。旅情を求めるのではなく、トレーニングとしての走りなのだろうか。

丹波の秋
写真:丹波の秋・亀岡郊外にて

刈り取った稲を乾かしている民家に出会う。ヤギが長閑に草を食んでいた。
ヤギ
写真:長閑に暮らしていると思われるヤギ

毎年、この道を走るときには養玄寺で一服する。

養玄寺
写真:養玄寺

クボタの農業用車両があった

クボタの農業用ビーグル
写真:クボタの農業用ビーグル

旧道沿いには造り酒屋があったりする。

平田酒造場 琉璃の誉
写真:平田酒造場「琉璃誉」

司馬遼太郎が「街道をゆく」で絶賛していた天引(あまびき)の集落。薬師堂がある。

天引の薬師堂
写真:天引の薬師堂

天引峠はトンネルではなく、旧道(半分廃道のよう)を走った。亀岡側からの登りは、思ったより長かったが、篠山への下りは、あっという間。

天引峠 旧道
写真:天引峠

目指す福住地区は、伝統的建造物群保存地区になっている。看板は上が南になっている。京都や亀岡方面は左。

福住 伝統的建造物群保存地区 説明
写真:伝統的建造物群保存地区の説明板(丹波篠山市福住)

福住の街並み

福住

福住
写真2点:福住の街並み

安口(はだかす=集落名)にある、元同僚の家に到着。黒豆を分けて頂く。
昼ごはんもご馳走になってしまい、かたじけない。
会社勤めの時よりも、ずいぶん良い顔になっていらっしゃった。

安口を「はだかす」と何故読むのかは、丹波新聞の記事にはこうある。

丹波黒豆

黒豆の「さや取り機」も導入されている。

黒豆さや取り機
写真:黒豆さや取り機

リアルにお忙しい中おじゃましてしまい、辞する。
近くに国鉄篠山線(廃線)の終着駅であった福住駅跡があるので、見に行く。

国鉄篠山線 福住駅跡

篠山線福住駅跡 説明版

写真:福住駅跡

帰路は天引峠ではなく原山峠を通ってみた。なんと、峠のピークから園部側は未舗装路だった。部分的ではなく、麓のムラに出るまでずっと。なかなか面白い。

原山峠
写真:原山峠

原山峠からの道

原山峠道
写真:原山峠道

峠を下って園部に出て、亀岡盆地の北端の道を走る

亀岡盆地の道
写真:亀岡盆地の道

保津峡沿いに、いつもの六丁峠を通って、奥嵯峨へ。
保津峡は水量が減少していた。
保津峡沿いの道
写真:保津峡沿いに走る

保津峡に合流する清滝川
写真:清滝川。保津川との合流地点付近。

いつものように広沢池の周りを走り、I’s Bicycleに立ち寄って帰宅した。

広沢池
写真:広沢池。正面に愛宕山。


I’s Bicycle
写真:I’s Bicycle

*走行ログ

   おしまい

弘南鉄道大鰐温泉駅から弘前ポタリング2023/06/27

弘前という街には、なんと私鉄の弘南鉄道の路線が2本もあり、それぞれ起点の駅が違う。

大鰐温泉への大鰐線の弘前市内の起点駅は「中央弘前」駅。
黒石へは江南線で「弘前」駅が起点。
ヨーロッパの街のようである。欧州の駅名方式にするなら「中央弘前」駅は「大鰐温泉」駅、江南鉄道の「弘前」駅は「黒石」駅であってもよいのだが、日本では混乱が生じるだけだろうから、現状のままでよろしい。

今回、大鰐線のサイクルトレイン(自転車を予約なしでそのまま電車に載せられる)で大鰐温泉駅まで行き、帰りは岩木山を眺めながらポタリングで弘前市街に戻った。

弘南鉄道中央弘前駅
写真:弘南鉄道中央弘前駅


弘南鉄道大鰐線車内

弘南鉄道大鰐線
写真:弘南鉄道大鰐線車内

弘南鉄道大鰐温泉駅
写真:弘南鉄道大鰐温泉駅

青森県の住宅には、妙に2階が大きいバランスのものがそこそこある。
大工さんの流儀があるのだろうか?
大鰐温泉駅付近の住宅
写真:大鰐温泉駅付近の住宅

以前、津軽半島を走った時に出会った建物がまさしく上半身が大きい感じ。ねぷたを連想させるかも。
津軽半島の民家
写真:津軽半島の住宅(2016年ツーリング時に撮影)
津軽半島の旅館
写真:津軽半島の旅館建築(2016年ツーリング時に撮影)

大鰐温泉から弘前への旧道を走る。岩木山が目に飛び込んできた。
前日、百沢コースから登山を試み、敗退した雪渓もはっきりとわかる。
岩木山
写真:岩木山
岩木山
写真:水田と岩木山

りんご畑の中、小さな社があった。

茅葺の民家はほとんど残っていないが、立派なものに出会えた。
津軽平野の民家

りんご畑と民家。

昼食は弘前市内に戻って、石場旅館の敷地内のバーのマダムに勧められたうなぎ屋さんで。久々に美味しい鰻重を食べることができた。
弘前・うな新

弘前城の側、旧武家屋敷地区からも岩木山が望める。
岩木山
写真:弘前城下、旧武家屋敷地区からの岩木山

司馬遼太郎「街道をゆく41 北のまほろば」に登場する石場屋酒店で買い物をして帰る。
週刊朝日最終号にも登場。「北のまほろば」の最後に紹介されている出稼ぎに出発するお父さんへの詩を書いた小学生の女の子は、地元のディーラーで働き、お父さんは今もりんごを栽培しているとのこと。

石場屋酒店

石場屋酒店
写真:石場屋酒店

おしまい。

桜島-弘前 桜ライド 輪行パッキング2023/03/26


フロントサイド枠輪行
写真:輪行袋に詰めた状態

グランボア650Bランドナー サイド枠 デモンタ
写真:輪行袋に詰める前

出発を明後日に控え、輪行パッキングを済ませた。
自転車はデモンタブルなので、ロードレーサーやフォーク抜き輪行の方式とは異なる。

そもそもデモンタブルの自転車をオーダーしたのは、まだ40歳代だったが、定年になったらキャンピング装備で日本縦断などをしたくて、サイド枠を付けた輪行をするのにデモンタブルが好都合だと思ったから。
実は、今回いろいろやってみたところ、デモンタブルでなくて普通のフォーク抜き輪行で必要にして十分だと判ったのだが、まあ、それはそれで良し。

今回、当初は、ナニワ銀輪堂の「リンカー」を用いることにしていた。
なぜかというと、リンカーだと輪行袋がコンパクトで軽く済むのと、フロントサイドバッグ枠を片方だけ外せばよいから。輪行は往路の鹿児島中央駅までと、復路の弘前から京都までだけの予定なので、走行中は輪行袋は積んでいるだけで、軽量コンパクトさを優先。

で、リンカーでやってみたところ、よく考えられた方式でたいへんよろしいのだが、前輪後輪両方のクイック軸をリンカーで固定すると、当然のことながら、分割した前後のフレームは可動する。動かないように、古チューブで縛ったりしたのだが、なかなかその塩梅に一工夫必要。

それと、実はフロントサイドバッグと大型サドルバッグをいつものフロントバッグに加えると、容量に結構余裕がある。サドルバッグはキャラダイスのネルソンロングフラップという製品で、荷物の量によって2段階のベルトがあるのだが、短いほうで十分足りている。当初、嵩張ると思っていたグランボアのデモンタ用輪行袋でも、余裕で入ってしまう。いざとなれば、サドルバッグの上にストラップで輪行袋を積むこともできる。

軽量化にしても、輪行袋の重さよりも、多すぎるであろう衣類を精査して家に送り返せばよい、と考えた次第。

グランボアのデモンタ輪行袋に入れるには、サイド枠を両方外さないといけない。
でも、ルネルス式の3点ねじ止めなので、10mmスパナ一つで簡単に外せる、クイックレリーズ部分をさわるよりも、簡便。

というわけで、グランボア式にした次第。
外したサイド枠は、Amazonで買い物をした時の封筒を再利用して包み、輪行袋の隙間に入れた。

「桜島-弘前 桜ライド(仮称)」荷造り完了2023/03/23

会社を選択定年しての「鹿児島-弘前 桜ライド(仮称)」、3月28日に出発予定。
荷物をつくり、先刻、サイドバッグをスタート地点、桜島のホテルに宅急便で送った。

さすがに、前サイドバッグ2つとフロントバッグとサドルバッグを抱えて輪行するのは厳しいと思った次第。

荷物を詰めての姿はこんな感じ。

グランボア650Bデモンタブル

グランボア650Bデモンタブル

◇ 使用するバッグと荷造りしての重量
・フロント  犬印フロントバッグ(大) 7.5kg
・フロントサイド  オルトリーブ クラシック 左3.8kg、右3.8kg
・サドルバッグ  キャラダイス ネルソンロングフラップ 5.2kg
    合計 20.3kg
 別途、財布等貴重品と昼食(パンなど)、折畳傘をデイパックで背負う予定。
・サドルバッグサポーターは キャラダイス バッグマンQRエクスペンド・・・メーカーカタログによると荷重10kgまで

・自転車重量(サイド枠、サドルバックサポーター、ボトル付) 13.6kg
  ※計測は、体重計を使って、自転車を持った状態とそうでない時との差で求めるのが簡単。デジタル吊り下げ秤は、計測する度に数値が大きく違うし(私の持っているのだけかもしれないが)、バネばかりを使うのも力が要る。

荷物が20kg程というのは、登山の場合だとテント泊で数日間の場合と同じ。
そう考えると、たいしたことない。身体で背負うわけではないし。

ブレーキはマハックタンデム。私の体重に20kg加えたぐらいの人は、普通に存在するだろうし、これまでのテスト走行でも問題はなかった。ディスクブレーキの必要性は感じない。

◇装備品(アドバイス等もあり、適宜更改)
1)フロントバッグ
・雨具(セパレート上下:モンベルゴア)、雨用シューズカバー(モンベル)、雨用手袋(モンベルの沢登り用ネオプレイン素材)
・工具類(パンク修理用除く)
・予備ネジナット類、結束バンド
・カメラ(ニコンZ5+24-70mmF4、リコーGR3)
・カメラ予備電池
・ウインドブレーカー(パールイズミ)
・ウインドブレーカーベスト(パールイズミ)
・ワイヤー錠
・空気入れ予備
・iPad mini(”スーパー地形”アプリで全ルート他の地形図をダウンロード済み。地図帳として使う)
・スマートフォン 2つ(通常使用とGPSログ計測用)
・手帳とノート、筆記具
・文庫本
・宿に着いてから荷物を入れる軽量ペラペラ手提げ袋(フロントバッグを自転車から外すのは手間なので)
・日焼け止め
・タオル 1
・日本手拭い 1
・Buff  1
・非常食のウイダーとカロリーメイト
・予備ライト(キャットアイXC400)

2)フロントサイドバッグ=衣類
[ライド用] 
・長袖ジャージ(ラファ Men's Long Sleeve Core Jersey) 2
・長袖インナー(モンベルとファイントラック) 2
・半袖ジャージ(ルイゾンボベ) 2
・アームウォーマー(パールイズミ)2
・コールドアームカバー(パールイズミ)1
・ライド用長ズボン(ラファ Men's Trail Lightweight Pants) 2
・ライド用ズボン用インナー(ラファ トレイルライナー)2
・レーサーパンツ(ラファ メンズコアビブショーツ)2
・レッグウォーマー(パールイズミ)2
・靴下 2
・手袋 2

[ライド時以外用]
・ウール長袖Tシャツ 2
・ウール半袖Tシャツ 2
・ジオライン シェイプトランクス(モンベル) 2
・長タイツインナー(ファイントラック) 2
・ウルトラストレッチアクティブジョガーパンツ(ユニクロ)1
・メンズ・テルボンヌ・ジョガーズ(パタゴニア)1
・ダウンベスト(パタゴニア)1

[どちらでも]
・シェル=フロウラップフーディー (ファイントラック)1

3)サドルバッグ
・輪行袋(グランボア デモンタ用)
・デモンタ輪行用工具セット
・パンク修理一式=タイヤレバー2、チューブ4、パークツールタイヤブート3、パッチ、軍手、空気入れ
・チェーンオイル
・充電器2、ケーブル(Micro USB Type-B、USB Type-C、Lightning)各2 
・洗面歯磨き一式、爪切り
・薬(目薬、ロキソニン、陀羅尼助、オロナイン、バンドエイド、湿布ほか)
・洗濯用品一式(旅行用洗濯袋スクラバ、洗剤アクロンスマートケアを小容器に入れ替えたものとアタックゼロワンパック10gX4、洗濯干しロープ)
・トゥーストラップ 3

荷出ししてしまったので修正は効かないが、服は若干多すぎたかも。
ライド用長ズボンがあるのなら、レーサーパンツ+レッグウォーマーで走ることはなさそうだが、レッグウォーマー単体の重さはたいしたことないので入れてしまったりとか。

小さな積み重ねで総重量が成り立つので、荷物を厳選するのが登山の基本。重いと行動も遅くなる。

自転車の場合はいざとなれば途中で代替品を購入できるのに、つい、ザックに余裕があると荷物を増やしてしまう。いよいよ不要なら自宅に荷物を送り返せるというのも自転車の気楽なところであるが。

桜を愛でながら桜島から弘前城へ(計画)2023/03/09

 この度、鹿児島・桜島をスタートして、桜を愛でながら「桜まつり」開催中の弘前城をゴールにロングツーリングに出ることにした。30歳代の頃からやりたいと思っていたこと。

3月末のスタートなので、いわゆる桜前線が過ぎて散ってしまっているところもあるだろうが、ソメイヨシノばかりではないし、散った桜をしみじみ感じながら走るのも、退職者にはふさわしいと思ったりする。そう、会社の選択定年制度に応募して3月末で退職。

コースはこんな感じ。
 ※ 桜島ー弘前 桜  自転車旅 ルート計画図(クリックして拡大)

長旅で、毎日旅館のご飯だと飽きるかもしれないので、テント泊も取り入れようと当初は考えたが、今の日本では自由にテントを張れない。

還暦を過ぎた人間が、ゲリラ的にテントを張ったり野宿したりしたりするのは傍目にも見苦しくて周囲からの理解不能。かなりまずい状況になることが容易に想像される。若い人なら、「がんばれよ!」と温かい目でみられることがあるかもしれないが、オヤジがそんなことをしていると、気味悪がられて不審者扱いされるだけだ。

というわけで、途中で体調を崩さない前提で、宿は全て予約した。
ビジネスホテルでなく、地元に古くからあって地元の食材を出してくれるような旅館や民宿に泊まりたい。建物が渋ければ、更によい。

それと、その昔は、自転車で日本縦断=根性&金銭節約旅行 的なイメージが世の中にあって、今も残存しているのかもしれないが、そういうのは私には無理。自分探し的なノリで旅をする感覚は全くないし、単に長年の趣味である自転車で各地の景観に触れながら長期の旅をしたいだけ。

何かテーマ性は欲しいので、桜にあやかった。一桁や二桁国道はやむを得ない場合を除いて走らず、旧道や脇道、マイナールートを走り繋ぐ。
従って道路地図ではなく国土地理院の国土基本図でルートを作成し、本番でも使用。

肝心の自転車については、早くから必要以上に準備を重ねていたのであるが、この1台に決定。

グランボア650Bデモンタブル

グランボア650Bデモンタブルランドナー

グランボア650x42B デモンタブル。

前サイドバッグ仕様。サイドバッグ枠は、現在福岡で「旅の自転車店プラットホーム」を開業しているダイスケ店長(当時、アイズバイシクルの)が、後付けで作ってくれたもの。

2008年1月の納車。天草や中国山地など、これまでも一緒に旅をしてきた。見た目と輪行担ぎには軽くないが、走ると軽い自転車のひとつ。

今回の予定走行キロは2500kmほど。競技者や精力的なサイクリストなら半年もかからずに達成する距離だろう。絶対的な距離はそんなに気にするものではないと思うが、連日の走行になるし、大事をとって下記のように整備してもらった。
・前後輪ともスポーク張り替え(DT)
・チェーン交換(シマノ)
・スプロケット交換(サンツアーα13-26、6速)
・タイヤ交換(グランボア エートル)

自転車以外の準備では歯のメンテナンスと、格安simの容量増大(=宿泊先のwifiは通信品質が担保され難い)など。


バッグを装着しての旅の姿はこんな感じを予定。
まだ寒いこともあるだろうし、ウエアはある程度持参して余裕の旅としたいので、サイドバッグを用意。スポーツ走行的にするなら、もっと軽量化も可能だが。

”日本縦断!”的なノリではなく、「どちらまで?」と聞かれたら「ちょっとそこまで」といった感じで大層にならずサクッとスマートに走りたい。サイドバッグがあるけれど。

追って、旅の記録を順次アップする予定。

庚申塔など石像物・丹波の夜久野2023/03/06

自転車で走っていると石像物に出会うことが多い。自動車と違ってすぐに止まれるので、拝んだり写真に撮ったりしやすい。

石像物の多いエリアは景観も私好みであることが多い。

丹波の夜久野も、その一つ。JR山陰線上夜久野駅からのワンデイツーリングの記録。

夜久野町田谷
写真:夜久野町田谷

但東町河本
写真:但東町河本

但東町久畑
写真:但東町久畑

但東町久谷
写真:但東町久谷


◇走行日:2021年2月14日(日)
◇使用自転車:TOEI650Aランドナー
◇行程:JR上夜久野駅9:25〜10:23天谷峠〜10:51但東町出合市場〜13:08神懸峠〜13:49坂浦トンネルの上旧道〜14:23喜多〜15:14上川口駅〜15:59下夜久野〜16:30(旧道の峠)〜16:52上夜久野駅

◇峠:天谷峠(351m)、神懸峠(396m)

※ 走行gpsログの軌跡



吉備から因伯の旧道、造り酒屋2023/02/16

還暦の年、京都の自宅から出生地の鳥取市へワンデイツーリングを帰省を兼ねて実行した。
その時と同じコースを走って帰省するのでは、比較して定量的な走りになってしまいそうなので、別ルートを考えた。今度は泊まりがけでのんびりと。

鳥取県の米子から倉吉までの海岸沿いを、実はこれまで走ったことがない。地形図をみると、国道を外した旧道でなかなかよさそうな道が続いている。岡山から米子へは吉備高原をメインに走るプランとした。

走りやすそうな道を選ぶと旧道であったりして、そこでは造り酒屋との出会いもある。清酒を宅配便で土産にし、蔵元の方と話す機会を得ることで旅が豊かになる。

吉備津駅
写真:JR吉備線、吉備津駅まで輪行

フォーク抜き輪行
写真:今回はオーソドックスなフォーク抜き輪行

地蔵院
写真:備中高松、地蔵院。旧松山往来沿い。

湯本屋旅館:吉備中央町
写真:吉備中央町、湯本屋旅館の部屋

芳烈酒造:有漢
写真:「芳烈」 芳烈酒造 有漢

多和山峠
写真:多和山峠

大正の鶴 落酒造場
写真:「大正の鶴」落酒造場 呰部

後醍醐天皇御腰掛岩の山陰道
写真:後醍醐天皇御腰掛岩のところの山陰道にて 御来屋

伯陽長 江原酒造
写真:「伯陽長」江原酒造 八橋

「美人長」西本酒造場
写真:「美人長」西本酒造場 青谷

魚見台
写真:魚見台:鳥取市街に近づく。砂丘まで見渡せる。

◇走行日:2022年5月21日(土)〜23日(月)2泊3日

◇使用自転車:グランボア650Bランドナーoyakata

◇行程:5/21(土):京都6:55=(のぞみ75号)=7:55岡山8:11=8:26吉備津駅9:25〜10:10備中高松城跡10:23〜11:24西塔坂峠〜12:45豪渓〜13:21岨谷上〜14:05妙本寺〜15:16 吉備中央町竹荘 鷺巣温泉 湯本屋旅館 (泊)
5/22(日):宿8:00〜9:05有漢〜9:40多和山峠〜10:00北房町〜10:29呰部〜10:50きよとうカフェ11:30〜12:28阿口小学校〜12:52岩井畝の大桜〜14:00傍示峠〜14:08刑部〜14:39大佐ダム〜15:46伯備国境〜17:51ホテルαワン米子(泊)
5/23(月):宿8:35〜9:35皆生温泉〜10:30大山口駅〜11:06御来屋〜12:49赤崎駅〜13:13八橋〜14:05天神橋〜14:40泊〜15:03青谷駅〜15:31魚見台〜16:05水尻池〜16:30鳥取大学前〜16:47鳥取市内

◇峠:西塔坂峠(164m)、多和山峠(339m)、傍示峠(ぼうじがたわ389m)
◇宿:鷺の巣温泉 湯本屋旅館(吉備中央町竹荘)、ホテルαワン米子

※ 走行ログ

国東半島、姫島2023/02/08

国東半島(くにさきはんとう)には何故か惹かれるものがあり常々訪問したいとは思っていたが、半島は一つの山のようで、侵食されてできた谷ごとに集落があり、道路は海岸沿いと谷の中ぐらいしかなく、なかなかコースがとりにくい。

宇佐駅を起点に、宇佐神宮、安心院(あじむ)の佐田京石(さだきょういし)、熊野磨崖仏、富貴寺(ふきじ)、田染荘(たしぶのしょう)、両子寺(ふたごじ)、杵築(きつき)の城下町を巡り、姫島に渡ってから宇佐駅に戻る3泊4日の旅とした。多くの石造物と出会えた。
<コース実走図> 青線が走行ログ (クリックで拡大)

◇走行日:2021年4月28日〜5月1日
◇使用自転車:グランボア650Bランドナーoyakata
◇行程:4/28(水)京都6:55=(のぞみ75号)=9:23小倉10:10=(ソニック11号)=10:57宇佐〜11:46八十八体の仏11:58〜12:08宇佐神宮12:48〜13:33安心院京石13:40〜15:05熊野磨崖仏15:42〜16:00本宮磨崖仏〜16:15「旅庵 蕗の薹」
4/29(木)宿(富貴寺)10:15〜10:50田染荘展望所〜11:07朝日観音・夕日観音11:37〜11:46真木大堂12:28〜12:39鍋山磨崖仏12:46〜13:27財前家宝塔13:40〜14:13走水峠〜14:34両子寺15:22〜15:48三浦梅園旧宅〜16:42安岐橋〜17:37杵築市 ホテル「いな里」(泊) 
4/30(金)宿7:50〜(杵築市内ポタリング)9:15〜9:58城ケ谷峠〜11:33走水トンネル〜12:28国見町野田の寺12:44〜13:10国見港(姫島行きフェリー乗場)13:35=(フェリー)13:55姫島港〜14:16観音崎〜15:12姫島灯台15:26〜16:22安西旅館(泊)
5/1(土)宿7:25〜姫島港7:55=(フェリー)=8:20国東港〜8:42妙見隧道〜9:08竹田津隧道〜10:33真玉寺10:53〜11:43豊後高田市昭和の町11:54〜12:19JR宇佐駅13:49=(ソニック32号)=14:37小倉14:55=17:22京都

◇峠:走水峠(474m)、城ケ谷峠(240m)
◇宿:旅庵「蕗の薹」、ホテル「いな里」、安西旅館

宇佐神宮
写真:宇佐神宮

熊野磨崖仏
写真:熊野磨崖仏

国東塔
写真:富貴寺の国東塔

田染荘展望所
写真:田染荘展望所

杵築城
写真:杵築城 遠望

杵築の城下町
写真:杵築の城下町

姫島灯台
写真:姫島灯台

真玉寺
写真:真玉寺

水俣から椎葉村、諸塚村2022/12/17

九州新幹線を利用すると、私の住む京都と九州は、以前では考えられないくらい近い。
九州山地の奥深く、椎葉村(しいばそん)を訪ねるのが今回の旅のモチーフ。
出発地には早めに着いて、帰路にしみじみと車窓風景を楽しむのが好きなので、新幹線の通る熊本側から九州山地を横断して宮崎側に抜けるプラン、出発地は水俣とした。

新水俣駅は雨。水俣に来た以上、やはり水俣病資料館に行かねばと思い、レインウエアを着込んで出発。水俣湾を望む小高い丘に、周囲を圧迫しない白い建物があった。

水俣病資料館
写真:水俣病資料館
水俣湾
写真:水俣病資料館近くで望む水俣湾

もし自分が水俣病の加害企業であるチッソの社員だったら、もしお得意先がチッソでその担当だったとしたら、どう考えて、どう振る舞ったのだろう、と思ったりした。

しかし、帰宅してから関係資料に目を通したりしたところ、そんな甘いものではないと気付いた。会社のスタンスに疑問を感じたりするようであれば、勤めあげるのは困難な事象に満ちた状況だったのではあるまいか。事実の隠蔽と策動、差別に立脚した大企業の存在とその社員の待遇。

チッソは2011年に事業を子会社の「JNC株式会社」に全面的に譲渡し、持ち株会社になっている。「JNC株式会社」の会社案内・沿革をみたところ、水俣病について一文字も触れていない。どうしてこの会社が現在の形で存在しているのか、まったく説明がないのは奇異に感じる。負の歴史は親会社のチッソに全部置いてきました。今の私たちの会社にはもう関係ないです、とでもいいたいのであろうか。

水俣駅
写真:水俣駅

”2014年歌会始の儀”の御製
「慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり」
水俣をめぐっての二首の御製
「あまたなる人の患ひのもととなりし海にむかひて魚放ちけり」
「患ひの元知れずして病みをりし人らの苦しみいかばかりなりし」

水俣病についてこれまでほとんど知らずにきたことを恥じた。
高山文彦「ふたり」講談社文庫2018を一気に読み終えての反省。
高山文彦「ふたり」


水俣市内を通って、1988年に廃線になったJR山野線跡地利用の「日本一長い運動場」を走って京町温泉を目指した。
日本一長い運動場
写真:「日本一長い運動場」=山野線跡 起点
山野線跡
写真:水俣川にかかる鉄橋
山野線
写真:山野線プレート
山野線跡
写真:いかにも鉄道跡の道
日本一長い運動場 終点
写真:「日本一長い運動場」終点。旧山野線は、まだまだ続いていたが。
水俣市大川
写真:このような普通の商店も絶滅危惧種か。水俣市大川。

水俣市と伊佐市の境の峠を下り、伊佐市布計。雨足は強まり、手が冷たい。全体に寒くなってきてダウンヒルがつらい。寒いときは上りの方が体が温まり、楽。

走り続けたかったが、なぜか写真を撮りたくなり、伊佐市布計で止まる。雨のせいもあってすごく暗くて寂しい集落に感じられたが、以前は山野線の駅や学校もあった。
伊佐市布計
写真:伊佐市布計

峠を降りて「麓」という町に出た。薪を並べたお店があった。かつてメジャーな存在だったのが薪炭業。
伊佐市麓

すぐ近くに山野線山野駅跡があった
山野駅跡
写真:山野駅跡
山野駅跡
写真:山野駅記念碑

平地を走り、伊佐市街を抜けてえびの市境の峠を超えたところで雨は止んだ。
京町温泉の「あけぼの荘」泊。
えびの市峠道
写真:京町温泉への峠

翌日は、快晴。宿泊した宿。
京町温泉 あけぼの荘
写真:京町温泉あけぼの荘

全く知らなかったが、京町温泉というのは田舎の鄙びた温泉ではない。昭和の時代は華やかな温泉地であったのであろう。
京町温泉
写真:京町温泉
京町温泉
写真:京町温泉。ストリップ劇場と思われるものが現存していた。

京町温泉からえびの市の農村地帯を走る
えびの市
写真:えびの市
えびの駅
写真:えびの飯野駅

川内川(せんだいがわ)上流のクルソン(狗留孫)峡から温迫(ぬくみさこ)峠を経て今日の宿泊地水上村湯山温泉へ行く予定をたてていた。

クルソン峡
写真:クルソン林道
ところが、災害通行止めだった。道路情報には載ってなかったようだが。
工事箇所は通過させてもらい(工事の人たちはとても紳士的かつ親切でいっぺんに宮崎県のファンになった)、行けるところまでいってみようと進んだが、結構シビアな崩壊箇所が現れた。1箇所通過しても、その後どれだけ崩壊箇所が現れるかわからないのと、迂回路も人家もない山間地でなので、引き返すことにした。大きく迂回することになるがやむを得ない。

クルソン林道通行止め
写真:クルソン林道 災害復旧工事箇所
クルソン林道
写真:通行止め箇所を通過させてもらったものの、しばらく行って、シビアな崩壊

クルソン林道を引き返していたところ、頭上に巨大な橋梁がみえた。
クルソン大橋
クルソン大橋という看板があったので、通ってみることにした。
写真:クルソン大橋案内看板

クルソン大橋
写真:クルソン大橋の上。高度感があり、けっこう怖い。
クルソン大橋より見下ろすクルソン林道
写真:クルソン大橋から眺めたクルソン林道

山沿いに旧道の堀切峠を経て球磨川流域に入り、水上村湯山温泉へ。

堀切峠
写真:堀切峠

峠を下ると、球磨川エリアになる。くま川鉄道(旧国鉄湯前線)に沿って沿って走る
くま川鉄道
写真:くま川鉄道
湯前駅
写真:くま川鉄道の終着駅「湯前駅」

湯前を過ぎると高度を上げ、市房ダム沿いに水上村へ。
写真:市房ダムに上がるループ橋

翌日も快晴。宿泊した「水上荘」
水上荘

水上荘
写真:水上荘
湯山峠を越えて椎葉村へ
椎葉村

椎葉村
写真:椎葉村

飯干峠を越えて、椎葉村役場のある中心集落を目指す
飯干峠へ
写真:飯干峠へ
飯干峠へ
写真:飯干峠途中からの展望
飯干峠
写真:飯干峠
椎葉村
写真:飯干峠下り、椎葉村を望む
椎葉村
写真:椎葉村上椎原へ
椎葉村・使い込んだトラック
写真:使い込まれたトラックがあった。ウインカーが破損しているので公道不可か。
椎葉村立小崎小学校
写真:椎葉村立小崎小学校

柳田國男が1908年(明治41年)7月、椎葉村に1週間滞在し、「後狩詞記(のちかりのことばのき)」を記すきっかけとなった、当時の村長、中瀬邸。
中瀬邸
写真:中瀬邸
日本民俗学発祥の地碑
写真:「日本民俗学発祥の地」碑
椎葉村教育委員会
写真:椎葉村教育委員会の説明
中瀬邸
写真:中瀬邸

中瀬邸には現在の当主がいらっしゃったので挨拶をして辞する

椎葉村
写真:中瀬邸付近、椎葉村の景観

上椎原ダム
写真:上椎葉ダム

ダム側に中学校があった。椎葉中学校には寄宿舎「醇和寮」があり、全生徒の8割が入居しているとのこと。村内には高校もないので小学校を卒業したら親元を離れることになる。

椎原中学校
写真:椎葉村立椎葉中学校
椎原中学校
写真:椎葉中学校 寄宿舎「醇和寮」標柱

椎葉村の中心、椎葉厳島神社。平家の残党を追ってきた那須大八郎(那須与一の弟)ではあるが、椎葉で隠棲する平家一門を赦免し、厳島神社を勧進したとのこと。

椎原厳島神社
写真:椎葉厳島神社

椎葉民俗芸能博物館
写真:椎葉民俗芸能博物館:なかなか見応えがあった。

那須家住宅
写真:重要文化財 那須家住宅
那須家住宅
写真:那須家住宅
椎葉村中心部
写真:椎葉村中心部
椎葉村
写真:椎葉村上椎葉
椎葉村
写真:商店には「オガライト」があった
椎葉村
写真:上椎葉

天気が崩れてきており、追い立てられるように走り、諸塚村へ

椎葉村
写真:下椎葉の旧道トンネル

写真:諸塚村の宿

翌日は激しい雨となり、予定を短縮して民宿の車でバス停まで送ってもらい、バス輪行で日向駅へ出て、帰宅した。

諸塚村バス停
写真:諸塚バス停
写真:諸塚からバス輪行
写真:日向市からの切符

◇走行日:2022年3月23日(水)〜26日(土)
◇使用自転車:グランボア650Bランドナーoyakata
◇行程:3/23:京都駅6:07=6:37新大阪=(さくら543号)=10:33新水俣駅〜12:00水俣病資料館12:57〜13:08水俣駅〜14:14「運動場」終点〜15:11伊佐市との峠〜14:50山野駅跡〜17:10えびの市との峠〜17:46京町温泉「あけぼの荘」走行:84km
3/24:「あけぼの荘」8:00〜9:13「えびの飯野」駅〜9:40クルソン峡〜10:23クルソン峡引き返し地点〜11:32クルソン大橋〜12:53堀切峠〜14:46大畑町〜15:15球磨川沿い〜16:24湯前駅〜16:50市房ダム〜17:05水上荘  走行:112km
3/25:水上荘7:56〜8:30市房山キャンプ場〜10:00湯山峠〜11:31飯干峠12:15〜13:06中瀬邸〜14:00上椎葉15:12〜15:32那須橋〜16:06岩屋戸〜16:38諸塚〜16:47「森の民宿 樹の里」 走行:74km
3/26:諸塚バス停9:21=10:51日向駅11:21=にちりん8号=13:40大分13:45=ソニック74号=15:03小倉=15:10=のぞみ40号=17:38京都

◇峠:堀切峠(720m)、湯山峠(942m)、飯干峠(1045m)

◇宿:3/23 京町温泉「あけぼの荘」、3/24 湯前温泉「水上荘」、3/25 諸塚村「森の民宿 樹の里」

*走行ログ