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若狭矢代へ、鯖街道、堀越峠旧道、おにゅう峠(2018/7)2018/07/17

30年近くお世話になったクリーニング屋さんがあった。
その名は「若狭屋クリーニング」

結婚してマンションに引っ越した際、クリーニング屋さんのチラシが多数投げ込まれた。その中に、ボール紙を名刺の大きさに切って、屋号と電話番号のスタンプを押しただけの
素朴な味わいのものがあった。屋号は「若狭屋クリーニング」。その店に頼み、それからずっと、マンションから今の家に転居してからも、週2回集配をしてもらっていたのだ。

集配の際には、いつもきちんとカッターシャツにネクタイ、上着も着てられたが、ある日、若狭屋さんのお家の前を自転車で通ったところ、暑いからか開けっぱなしの小さい仕事場で、ランニングシャツ一丁で汗だくになってアイロンを当てている若狭屋さんの姿がみえた。

その若狭屋さんが、2年前、地元に戻って小学校の同窓会に出席されたその夜に倒れて、あの世に行かれてしまった(亡くなったことは、今回知った)。1人でされていたので、そのまま廃業。

いつも集配に来られては、ネコをかわいがり、阪神タイガースの話をして、という感じだったのだが、あるとき、「若狭屋さん、若狭のどこですか?」と尋ねたら「若狭の矢代です。実家は今も民宿をしています」とのご返事だったのを記憶に留めていた。

今回の7月の3連休、予定していた沢登りは前夜出発が叶わなくなり断念。
6月末に職場が変わり、業界も違うので、イチから勉強の日々になった。オンで変化が大きいと、オフにエネルギッシュなことをする余裕が無くなる。自転車でどこか行くにしても、地理感の無いエリアに行くのは億劫になってしまう。色々逡巡していたが、「そうだ、若狭に行こう」と思いついた。若狭には若狭屋さんの実家もあったはずだし、訪ねてみよう、と思った次第。

京都に住むサイクリストやライダーにとって、京の街から北上して日本海を目指すのは、旅の第一歩のようなもので、私も学生時代から何度も若狭、特に小浜を訪ねている。

小浜は「海のある奈良」ともいわれ、お水取りの場でもあり、古寺名刹も多い。北前船の寄港地でもあり、文化的にも興味深い。私は参加したことがないが、かつて鯖を運んだという「鯖街道」をリスペクトした「鯖街道ウルトラマラソン」大会が毎年開かれている。
かつて私が所属していた自転車チームでも、毎年、周山街道で小浜往復の180kmタイムトライアルを実施していた。朝6時頃に出発して昼ご飯は京都(高雄)に戻ってから食べていたので6時間位で往復していたのだと思う。
小浜からは「京は遠ても十八里」といわれているように、京都と小浜の縁は深い。

というわけで、例年にない酷暑の中、若狭へと久々に往復自走宿泊サイクリングに出かけた。

周山
写真:栗尾峠旧道から望む周山の街

いつものように、周山街道へ。この道は、カーブと勾配の一つ一つを覚えているくらい走っている。今は、自転車歩行者専用道となった栗尾峠の旧道から周山の街を望む。

美山道の駅
写真:美山道の駅

あまりの暑さでペースが上がらず、国道を離れて涼しげな小径を選んだこともあって、美山の道の駅に着いたのが11時になってしまった。そのまま昼ご飯。美山牛乳やヨーグルトが美味。須知高校製のプリンというのも食べた。

久しぶりに九鬼坂を越えて、鶴ヶ岡からは、冬にスノーシューで何度か利用した堀越峠の旧道にチャレンジすることにした。このほうが林間で涼しそうだし。以前、1回ランドナーで来たが、タイヤがバーストして敗退した記憶のある峠。

堀越峠旧道
写真:堀越峠旧道。スノーシューの時はトンネルからここに出て、頭巾山を目指した。

旧道堀越峠
写真:堀越峠。若丹国境。

堀越峠の旧道は、かつて京都から小浜までの国鉄バスが走っていた。今ではかなり荒れている。石がゴロゴロしていて急勾配な箇所もあり、久々に押しが入った。

小浜
写真:小浜市内

今回、初めて国道からそれて、谷田部トンネルから小浜に西から入った。谷田部峠のほうが、本来の小浜入りの道らしい。

鯖街道起点
写真:小浜の商店街の中の「鯖街道起点」

鯖街道説明板
写真:鯖街道解説板

かつてより、ずいぶんと改良された道を走って、小浜市街から矢代に到着。
若狭屋さんの実家の民宿は、集落の高い位置に石垣を積んだ上にあった。

小浜市矢代
写真:若狭屋さんの実家の民宿に到着

仏壇も立派で、なかなかのものであった。
ご実家を訪ねて、初めて判った。若狭屋さんは、この実家が誇りだったのだろう、と。

「若狭屋」という屋号で商売すると、「若狭のどこですか?」と聞かれるのは想定の範囲内。過去や出身を明らかにしたくない場合には、出身地の屋号はつけないだろう。若狭屋さんにとって、京都の西郊の町でクリーニングを営みながらも、故郷を大切に思っていらっしゃったのだろうと、私は思った。

宿の女将さん(65歳+)からは若狭屋さんは伯父さんにあたる。女将さんの話では、
矢代で車が通れる道路が付いたのは戦後(昭和30年代か)のことで、それまでは小浜に出るには船か歩きで道路のあるところまで行かないと行けなかった。
高校には下宿しないと無理で、この辺では中学を出ると皆就職した。矢代では、京都で食料関係の会社を興した人がいて、その人を頼って皆その会社に入ったが、給料は上がらないし、知った人ばかりで発展性が無いということで、各人がいったんその会社に入ってから自分の道を決める感じだった、とのこと。若狭屋さんも、そんな感じでクリーニング屋を始めたのだろうと。
女将さんは、高校に進学させてもらったが、片道2時間、自転車を押して、乗れるところは乗って、という感じの通学。部活は出来ないし、冬は大変。娘さんも冬は寄宿舎に入って高校に通ったそうである。

一昔前の日本は、そんなエリアが広範にあり、都市と農漁村の違いは、今想像する以上にいろいろとあったのだろう。

小浜市矢代
写真:民宿の窓からの風景

矢代の観音堂
写真:小浜市矢代の観音堂

小浜市矢代湾
写真:矢代湾

翌朝、矢代の観音堂を見学し、おにゅう峠へと向かった。
酷暑で、熱中症への警戒がリアルに必要な状況。ペースは上がらず、時々沢水で身体を冷やしたりしながら走り、峠の到着は正午をまわってしまった。

下根来
写真:小浜市下根来、戦没碑と民家。子を失った親の気持ちが痛い。

おにゅう峠
写真:おにゅう峠。若狭には「遠敷(おにゅう)」、丹波にも「小入谷(おにゅうたに)」があるので、ひらがなで「おにゅう峠」としたのであろう。

久多から能見峠で広河原、花脊峠が通行止めのため芹生峠で京都市内に入り、出町にある鯖街道口の石柱を経由して帰った。

久多
写真:朽木

久多
写真:久多

芹生峠
写真:芹生峠

加茂川
写真:賀茂川

出町:鯖街道の碑
写真:京都、出町にある鯖街道口の石柱

【走行日】2018年7月14日(土)~15日(日)
【使用自転車】TOEI650Aランドナー
【走行キロ】1日目117km、2日目116km (サイクルコンピュータ計測)
【峠】 御経坂215m、笠峠(トンネル)449m、栗尾峠410m、深見峠(トンネル)420m、堀越峠510m、谷田部峠(トンネル)59m、おにゅう峠837m、能見峠655m、芹生峠712m
【宿泊】民宿 きしの(小浜市矢代)
【行程】
7/14 自宅8:05~9:38周山~10:52美山道の駅(昼食)11:44~13:35堀越峠(旧道)~14:15道の駅名田庄14:37~15:44谷田部トンネル~15:48小浜~16:55矢代(泊)
7/15 矢代8:00~8:41広域基幹林道尾根~9:32東小浜駅9:45~12:29おにゅう峠~12:55朽木生杉(昼食)13:34~15:12能見峠~17:14芹生峠~18:15出町鯖街道口~18:53自宅

【ルート】
  1日目
  2日目

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