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デ・ローザ ネオプリマート(DE ROSA NEO PRIMATO)2017/06/13


DE ROSA ネオプリマート
写真:DE ROSA いつものコースにて。2017年6月撮影
DE ROSA ネオプリマート

 久々に、DE ROSAに乗った。
 何故だろう、安定していながら、あらゆる入力にはリニアな反応。私の非力なパワーでも、無駄なく推進力に換えてくれる心地よさ。クロモリとかカーボンとかいうことを超越した乗り味。「DE ROSA」は単なるロードバイクの範疇を超えた「DE ROSA」という乗物であると感じた。


 旧HPにも下記のように書いていた。
 1998年春「I’S BICYCLE」にて購入。パーツは、チェーンホイールとブレーキアーチ・シートピラーがカンパ「レコード」で、他は「コーラス」リムはマビックオープンプロ、タイヤはベロフレックス。ハンドルとステムはITM。ヘッド小物は名前と値段につられてカンパ「コンタックス」にしたが、不格好なのでコーラスのヘッド小物に替えたい。
 走りは期待以上で、もう最高!
 一昔前の「DE ROSA」は固いだけで、ホビーレーサーには乗りこなせないなどという噂を聞いたことがあったが、この「ネオプリマート」にはそんな懸念は全くない。
 レースに「DE ROSA」を使うのは、何か抵抗があったが、一度参戦すると次からははずせなくなる。「DE ROSA」にしてから体型の割には弱いとされていた登坂能力が向上した。シッティングのままでスイスイと登っていく。
 フレームの絶対的重量は軽くないが、走りはしっかりとしていて、それ以上に軽い。
 「DE ROSA」のために購入後1年も経っていない「TREK5500カーボン」を売却したが、全然後悔していない。


 「イタ車に乗りたい」といったことではなく、リアルレーシングマシーンとしてDE ROSAを評価し、ホビーレースではあるが、ずっと実戦に投入してきた。2000年に「グリーンピア三木」で開催されたレースの高速ダウンヒル中に集団大落車が発生して骨折したときもこの、DE ROSA。廃車になるかと思ったが、フォークを修正して、その後も問題なく使っている。※ホイールやハンドル、レバー、変速機は壊れた。

ホイールはマビックのキシリウムエリートに、今回は替えている。振動吸収性は悪化するが、推進力は増した印象。ハンドルはチネリのジロデイタリア、ステムもチネリに数年前に交換。

アイズバイシクルを通じてセミオーダーしてから、もう20年も経つが、全然陳腐化しない。

DE ROSA なんて素晴らしい乗り物なんだ!

DE ROSA ネオプリマート
写真:いつものコース。城丹国境にて。

骨折の日々・自転車レースで鎖骨と肩甲骨と肋骨骨折(2000/9)2016/05/31

 所属山岳会で何度も山行をご一緒した方が、春山で滑落、骨折されました。幸い、重篤なことにはならなかったのですが、山に復帰されるには少々時間が必要なようです。
 私も2000年に自転車レースで落車し、骨折しました。その、回復までの記録です。
今、読み返してみると、治療やリハビリに役立つような内容はあまりなく、自転車レースで骨折したけど、やっぱり自分は自転車がとっても好きだ、ということをしつこく言っているみたいなもので、すみません。擦過傷跡は、16年経過した現在もはっきり残っていて、たぶん一生治らないでしょう。長文失礼。(2016/5/31記)

【旧HP:自転車とカメラの日々より】

 鎖骨と肩甲骨と肋骨を2本、合計4カ所骨折しました。左膝4針を2カ所、鼻2針を縫うなどの切り傷と擦過傷も多数です。

 自転車ロードレース中に、下り坂時速70km以上で落車して、左肩から地面に落ちたためです(たぶん--落車前後の記憶がないため)。

 こんなことを書くと、自転車レースは危ないと思う人が増えるかもしれないので心配ですが、こんなに大きな怪我はそうそう起こるものではありません。コースの最高速地点で落車という極めてマレなケースです。

 骨折してからインターネットで骨折関係のHPを読みましたが、お医者さん関係の物は深刻な事例の相談が多く、読んでいて本当に怖くなります。日常生活のちょっとしたタイミングで骨折し、治癒が順調でなく、苦しんでいる人の存在を知りました。

 もちろん、そんなに深刻でない骨折治療記もあります。

面白いと思ったのは、人間の想像力というか行動特性がいかに自分の体験にのみ基づいているかということです。

どういうことかというと、例えば、スキーで鎖骨を折った人は手術して退院後すぐに、自転車を片手運転していたりします。自転車で鎖骨を折った人なら、ある程度治るまでは怖くて自転車に乗らないでしょうが・・・。そういう私も駅の階段とかは骨折以前と同じように歩いています。階段から落ちて骨折した人ならもっと注意深く歩くことでしょうが・・・。

私の場合、骨折にしてはおそらくそうたいしたことないケースだと思いますが、どういう経過をたどってどのくらいで再び自転車に乗れるのか、記録に残してみようと思います。

2000924日(骨折当日)

救急車で三木市民病院に運ばれる。もっと深刻そうな怪我の人は別の病院に運ばれた。私ともう一人で、その人はシニアクラスでは常勝の人。私に原因の多くがあって巻き添えにしたのなら、とても申し訳ない。

 担架で処置室に運ばれ、お医者さんに状況を聞かれた後、キズを消毒。消毒して薬を塗り、ガーゼで押さえて包帯を巻く。切れているところは局部麻酔をかけて縫う。

その後レントゲンを撮る。歩けないのでベットに乗ったまま運ばれる。

 レントゲンをとるために立っていると脳貧血のような感じで倒れそうになる。

結果は、肋骨骨折とのこと。

肋骨骨折と聞いて私は「これは大変だ・・・」とビビッたが、医者はまったく平然として同情してくれるそぶりもない(当たり前か)。

「変な折れ方でないのでそのまま安静にしておけば治ります。治療的には入院の必要もありません(独身だったりして身の回りの世話をしてくれる人がなければ、生活面で入院しないと無理)。明日、(自宅)近くの整形外科医の病院に行って下さい」とのこと。

 途中で他の急患が入ったりしたので、ずいぶんとベットの上で待たされた。待っている間、肋骨付近よりも左肩のほうが痛いので、肩は大丈夫かお医者さんに聞いて欲しいと看護婦さんに頼んだ。お医者さんがレントゲン写真をもう一度みて「ああ、肩甲骨にヒビがはいっていますね」。

 看護婦さんは今晩痛くなるかもしれない、治るまで大変ですね、と同情してくれるので、だんだん不安になってくる。三角巾で左腕を吊って、チームの人に運転してもらう車で自宅に帰る。もらった薬は痛み止めの座薬だけ。

 車の中での2時間弱は、特に痛かったり苦しくもなく、腹が減っていたのでパンやヨーグルトを食べだりしていた。

 自宅に帰るとドット疲れがでた。着ていた服(レーシングウエアのまま)をはさみで切ってもらって脱ぎ、座薬を入れて寝た。階段を上がれそうもなかったので、普段は自転車とカメラと本を詰め込んでいる1階の部屋を使用。我が家は都市部の狭小地に建つ3階建て住宅。2FにLDKとトイレ洗面風呂がある。幸い1Fにもトイレがあるが、今晩はトイレにも歩けそうもない(これは骨折よりもケガのため)ので、小用はバケツにすることにする。

 喉が乾いても水をのみにも行けないので、寝たまま飲めるように自転車用の水筒を利用。これはちょうどよい。

 腹は減っているので、晩ご飯は布団から起きあがって食べられるように、おにぎりとたまご焼きをつくってもらった。

 なにが困るかというと、寝ていて起きあがろうとすると痛みが激しいこと。胴体に力を入れられないので後から支えてもらえないと上半身が起こせない。

 座薬が効いたのか痛みで眠れないということもなく、よく寝た。骨折による発熱でか、汗をすごくいっぱいかいた。


9月25日・月(翌日)

朝起きると少しは歩けそうに成っていたので、がんばってトイレに行く。バケツにせずにすんで良かった。階段も上り、食卓で朝食。会社の人に電話。「これから病院に行ってちゃんとみてもらいますが、とりあえず3日は休みます。どのくらいかかるかは、また連絡します」

 タクシーで妻と一緒に病院へいく。服装はパジャマ。咳き込むと肋骨に激痛が走るので、喉を冷たい空気やたばこの臭いで刺激しないように、タオルを鼻と口にあてる。

 メーター1区間の近くの病院。肋骨2本と鎖骨と肩甲骨が折れているとのこと。レントゲン写真をみるとはっきりと骨が折れているのがわかる。昨日の三木市民病院は何だったのか?落車直後でいろいろな角度からレントゲンがとれなかったのは事実だが、どうしてわからなかったのだろう?レントゲンの装置の違いもあるのか、今日の病院の写真だと解像度も高くコントラストもはっきりしていて、見やすい。

 私は肋骨骨折のほうが深刻だと思っていたが、肋骨はすぐひっつくとのこと。幸いどこも変な折れ方でないので、自然治癒を待てば良く、胴体にバンド(はらまきのようなものでマジックテープでとめるだけ)を巻き、三角巾で左手を吊るし、その上から左腕が動かないようにバンド(胴体にまくのと同じものの長さ違い)装着。ケガの処置のため、毎日通うことになる。痛み止めと化膿止めの抗生剤と胃のダメージ(薬による)を緩和するための胃薬を1週間服用。骨折のほうは1週間に1回レントゲンをとり、経過を観察することになる。

 仕事関係は携帯電話で連絡をとり、欠席中の段取りをお願いする。入院していたら携帯電話が使えないので大変だが、自宅療養だと助かる。

 妻が介護用の前開きでマジックテープで留める下着(シャツ)を買ってきてくれた。


9月26日・火(3日目)

病院には一人で行く。往復ともタクシー。医者と話しをし、競輪選手でもこんな(3カ所も)折れ方は少なく、よっぽどスピードがでていたんだろうとのこと。でも1カ所が変な折れ方をするよりもかえってよかったかもしれない、応力を分散して受けとめたのかもしれない、と私は前向きに解釈する。

病院に行くと疲れるので、昼食(妻が作ってくれた弁当)後は昼寝。

1階で寝るのは止めて、普段と同じ3階で寝ることにする。


9月27日・水(4日目)

寝起きするときや咳き込んだ時の痛みはきついが、普通に座っている限りだと、特に痛みは感じずにすむ。但しまともに歩けないので職場に行くのは無理。骨折翌日などは一種の興奮状態で2,3日も休めば会社に行けるかのように思っていたが、冷静になってくると、そんな状態ではないことがわかる。だいいち、メガネもかけられないのだ(鼻の傷をおおうガーゼのため)。


9月28日・木(5日目)

包帯をしている箇所は日に日に減少。右手の包帯がとれたので手が洗えるようになってずいぶんと気分が違う。


9月29日・金(6日目)

会社に診断書を出さないといけないので、書いてもらう。休業の期間は仕事の内容などによって大きく変わる。荷物を運んだり、左手に負荷のかかる仕事なら、2ヶ月は休まないといけないくらい。私の場合は、3週間の休業を要す、と書いてもらった。それよりも早く出勤できるとおもうが、診断書の日数よりも伸ばすわけにはいかないので、大事をとった。

このころから脚の傷の手当がめちゃくちゃ痛くなってきた。ケガした直後よりも少し快復してきたほうが痛くなるらしい。ガーゼを剥がすときに激痛(それでも普通のガーゼでなくケガ用のくっつきにくいガーゼだそうだが)が走り、その後イソジンで消毒するときがまた痛い。

治療の後は痛みで膝を伸ばせないので、おじいさんのような姿(膝と腰をまげた格好)でよたよたと歩くことになる。


9月30日・土(7日目)

脚の手当時はとんでもなく痛いので看護婦さんなどに脚を押さえてもらうくらい。

三角巾で吊った左手はじっとしていたら痛くないが、試しに新聞を手にとろうとしたら、それだけの重さでも痛んで持てそうもない。


10月1日・日(8日目)

暑くもなく寒くもない気候の時で良かった。妻に体を拭いてもらう。「清拭(せいしき)」といってバケツを2個用意し、石鹸をつけるのと拭き取り用を分ける。この日以降定期的に清拭をしてもらう。


10月2日・月(9日目)

レントゲンをとる。まだ1週間なので骨が骨折時以上にズレてないのか確認するのが目的。異常はなかった。骨折時の血が体内にたまっていないかどうかCTも撮る。ごく少量なので処置の必要なし。


10月3日・火(10日目)

療養生活が普通に感じられるようになってくる。職場復帰のことも考えないといけない。鼻のキズ抜糸。メガネをかけられるようになり、楽になり、気分も変わる。


10月4日・水(11日目)

昨日までは病院へはタクシーで往復し、パジャマ姿(ジャージを羽織ったりもするが)だったが、胸の擦り傷の手当もしなくてよいようになったので、今日からポロシャツで病院に行く。帰りは歩くことにした。とてもゆっくりでないと歩けない。

途中でメガネを注文。落車時にメガネは行方不明になり、昔かけていたメガネを使用していたが、職場復帰のためにはちゃんとしたメガネが必要なため。

久しぶりに歩いたので夜、布団に入ると太ももが熱をもってだるかった。自転車の練習会でアップダウンのあるコースを100km以上走った時と同じような感触。10日歩かなかっただけで人間の脚は衰える。


10月5日・木(12日目)

今日から病院まで往復歩く。通常だと12分くらいの距離。歩いていると保育園のお母さんに会ったりして恥ずかしい。脚の傷の抜糸。抜糸自体はそんなに痛くなかった。


10月6日・金(13日目)

明日から体育の日の関係で3連休。連休明けのレントゲンで異常がなければ、翌11日から出勤すると職場に連絡。案外あっというまに時間が経った感じ。キズ治療のガーゼ交換時はまだ激痛。


10月7日・土(14日目)

休みはあと3日、その間にどこまで回復するのか。ケガして以来、夜は10時前には寝、お酒も飲まず。睡眠時間9時間以上をキープ。体力が落ちているので心配だ。


10月8日・日(15日目)

ケガをしているので3連休も関係ない。連休を楽しみにする生活に早く戻りたいと思うが、療養生活に慣れてきている自分にちょっと危機感。


10月9日・(祝)(16日目)

妻がマラソン大会に出かけた。運動できない体であることがわかっているので、うらやましいとも何とも思わない。


1010日・火(17日目)

病院でレントゲン。まだ新しい骨がついている等の確認ができる時期ではないが、経過は順調とのこと。明日から出勤することを告げ、キズの手入れは会社の診療所で続けることにし、紹介状を書いてもらう。骨のほうは1週間に1回病院にいき、レントゲンを撮ることとなる。少々咳をしても肋骨の痛みはたいしたことない。明日から出勤なので、入念に清拭をしてもらう。


1011日・水(18日目)

出勤。11日有給休暇を使ったことになる。休日も含めると18連休。

通勤は自宅から最寄り駅まで徒歩5分。そこから電車に13分ほど乗り、乗り換えてさらに電車で40分で大阪梅田。そこから会社まで徒歩だと23分ほどで、片道約1時間30分の道のりである。梅田から会社まではタクシーを使う。

 仕事は基本的には自分のペースで出来、電話とパソコン操作ができればOKなので、骨折の身には恵まれた職種。

出勤してみると早速クライアントから顔をだすようにとのことなので、トレーニングがてら15分ほどの距離を往復すると、肩が痛かった。歩くと振動でか痛みが出る。イスに座っているぶんには痛くないのだが。

 ケガの手入れ(消毒と薬の塗布)は会社の診療所でする。患者数が少ないわりに看護婦さん等のスタッフ数も多く、コスト的にも余裕があるからか、一般の病院よりも処置が丁寧で助かる。

 帰路は梅田まで歩いた。やはり肩が痛い。仕事も少し早めに切り上げさせてもらった。疲れたので子供と一緒に夜は9時半に寝る。職場の理解もあり、今週は少し早めに退社し、身体を慣らすことにする。

 会社の診療所には金曜日まで通い、後は自宅で薬を塗ったりして処置することにした。


1015日・日(3週間経過)

ケガ後、ようやく風呂に入る。風呂に入れるようになると気分もだいぶ変わり、通常の生活に半分はもどった感じがする。


1017日・火(3週間と2日)

病院に行く。レントゲンで肩甲骨の新しい骨がみえてきたとのこと。鎖骨はまだ。肋骨はレントゲンもとらず。大丈夫だとのこと。胸に巻くベルトは外す。三角巾と外側のベルトだけ。寝るときは念のため胸ベルトもする。


1021日・土(3週間と6日)

三角巾を外して腕を伸ばしたほうが気持ちよいので一日中三角巾をはずしてみる。これまでは帰宅後、食事時に外すことをしてみるくらいだった。特に異常は感じられないので明日のこどもの保育園運動会も三角巾なしでいくことを決意。

運動会に備えてカメラの準備をするが、左手が上にあがらないのとカメラの重さに耐えられないので、カメラをホールドすることができない。一脚と三脚を利用する予定。


1022日・日(4週間)

子どもの保育園運動会。この日までになんとか治そうと思ってきた。カメラはニコンF5+80-200/2.8を三脚固定で使用。F10028-105/3.5-4.5は一脚。手持ち用に軽量なPENTAXMZ-328-70/4。左手はあまり使えないのに懲りずに3台体勢。左手でホールドしてピントをマニュアルで合わせることができないので、全てAF機。特に肩が痛むことなく、楽しく過ごせた。


1023日・月(4週間と1日)

今週から通勤時にタクシーを使うのは止め、三角巾も外して出勤。外見上は普通なので、他人とぶつかったり転倒しないように注意。


1024日・火(4週間と2日)

病院に行く。三角巾を勝手に外したのでお医者さんにムッとされたが、無理をしないようにとのこと。

レントゲンで鎖骨はまだ骨が付いた確認はできないが、順調な経過とのこと。

三角巾を外しても左腕はほとんど動かない。筋肉が落ちて自分の腕の重ささえ支えられないのと関節も動かなくなり、無理に動かすと痛いため。

筋肉が元に戻るには固定していた期間の3倍かかるとお医者さんにいわれる。

だらんと左手を下に下げ、重力だけで動かすというリハビリを開始するようにいわれる。通勤時に歩いたり、しばらく立っていたりすると左肩が痛む症状はまだ続いている。


10月29日・日(5週間)

三角巾ははずしたが左手をつかうことはなく、生活は右手ですませている。肩の関節のゴリゴリ感がある。


1031日・火(5週間と2日)

病院にいく。鎖骨の骨も微妙だが確認できた。積極的に腕を動かすようにとのこと。


11月3日・祝(5週間と5日)

怪我後はじめて車を運転する。左手が自力で上がらないのでハンドルに手を添えるのに右手で上に上げる。実質的には右手の片手運転。


11月4日・土(5週間と6日)

朝起きると腕がムズムズして動かしたいかんじ。動かしても痛みも少なく昨日よりもずいぶんと動くようになる。


115日・日(6週間)

妻とランニングシューズを買いに行く。北野白梅町から烏丸今出川まで30分以上歩いた。肩が痛くなるかと心配したが、許容範囲だった。帰宅後、30分ほど超スロージョギングをする。妻が伴走。走り終わってとても気持ちよかった。運動の幸せを実感。もちろん、転けたりするとおしまいというか大変な状況になる(また簡単に骨折する)と医者にいわれているので、緊張感がある。


11月6日・月(6週間と1日)

東京出張。腕がムズムズするので新幹線の中で左手を曲げ伸ばしする。朝早く家を出、帰宅は夜の11時頃だったが、肩は傷まなかった。帰りの新幹線でケガ後はじめて缶ビールを1本飲む。


11月7日・火(6週間と2日)

病院に行く。レントゲンの結果、非常に順調に回復してきているとのこと。肩甲骨は新しい骨でまるくなっている。同じ病院のリハビリコーナーに通う指示が出される。理学療法士やマッサージ士のようなスタッフの人がいる。マッサージが上手で気持ちよかった。

やはり筋肉が落ちているといわれた。2週間動かさなかったら筋肉は脂肪に変わるとのこと。肩関節の可動域が少なくなっているのをもとに戻すには2ヶ月くらいはかかるのではないかということで、そんなにかかるのかと少しガッカリ。


11月8日・水(6週間と3日)

今日もリハビリに行く。会社の帰りで夜なので、お年寄りは少ない。男のマッサージ士のような人だったが、あれこれケガの原因や仕事の内容などを聞いた上、いちばん言って欲しくないことをいうので頭にきた。「もしも・・・だったら、・・・・だったな」みたいなこと。パラリンピックなど見たくもない。


11月9日・木(6週間と4日)

朝、布団の中で目覚めると肩のあたりがこわばって痛い感じ。今日にかぎったことではなく、寝る姿勢を変えると痛くなくなる。あまり寝返りをうてないので、血行が悪くなっての痛みのような気がする。


11月11日・土(6週間と6日)

昨夜風呂上がりにリハビリを一層懸命したら、なんだか肩が痛い。やりすぎの心配はないと聞いているが、あせらずにおこう。

午後妻と50分ほどジョギング。松尾橋から桂川沿いに渡月橋を通る周回コース。嵐山は紅葉はまだ全然だめだが、観光客は多かった。道路は渋滞。ジョグも楽しい。

ヤフーのオークションでMTBを1台売ることにし、梱包用の箱をもらいに車で行く。先週は運転するのがやっとだったが、今日はハンドルまでは十分左手も上がり、ケガしたことをさほど意識せずに運転できた。この件に関してはこの1週間の回復が著しい。

1台自転車を売るということは、1台新しい自転車を買うということを意味する。あれこれわくわく構想を練るのは楽しい。最近は物欲はカメラにシフトしていたので、久しぶりの感覚。


11月12日・日(7週間)

ジョグを1時間20分ほど。先週走り始めたときは左手はほとんど振れなかったが、だいぶ振れるようになった。少しずつ左の筋肉もつきつつあるのだろう。調子に乗ってすこし走りすぎたかもしれない。

 心肺機能のほうをジョグで回復させ、もう少ししたら固定ローラーで自転車に乗り、たぶん12月下旬か年明けになると思う自転車の路上走行に備えたい。たとえば御経坂峠(国道162号線にある京都市内と高雄とのあいだの小さな峠)も満足に登れなくなった自分には会いたくない。公道を乗るときは脚力も心肺機能もそこそこ回復させておかないと危険だし、情けない。

 風呂上がりにリハビリをする。肩はだいぶ動くようになったが、仰向けに寝て肘を立て、手の甲を布団につける方向に曲げるのが全然できない。


11月13日・月(7週間と1日)

病院に行き、リハビリ。先週よりはだいぶ動くようになったと思う。マッサージしてもらうと肩がとても軽くなった感じで気持ちいい。昨日のジョギングで脚の筋肉が痛い。


11月14日・火(7週間と2日)

トレーニングも兼ねて、左手で少し重いカバンをもったりする。昨日のリハビリの成果か、今までは痛かった方向にも動かしたくなってムズムズする感じなので、数多く動かす。


11月15日・水(7週間と3日)

昨日自分でリハビリをたくさんやったからか、なんだか肩の内部が痛い。使いすぎによる痛みの感じ。


11月18日・土(7週間と6日)

朝、近所のコンビニまで牛乳を買いに買い物用自転車に乗る。ケガ後始めて。なんともなかったので、拍子抜けした。

ヤフーオークションで譲ることになったMTBミヤタBP2の清掃・整備・部品交換。なんと5時間以上かかった。左手のことはほとんど意識することなかった。作業でけっこう腕を使ったので、良いリハビリになった。自分の好きなことをしていると、時間とケガのことを忘れるものだと実感。だいぶ回復した証左か。整備の関係でMTBにまたがり、数メートル走る。左腕に体重をかけると、力が入らないが、大丈夫だった。そろそろローラー台トレーニングを始めないといけない。もちろん、固定ローラー。


11月19日・日(8週間)

子どもの七五三。これだけカメラとレンズをたくさん持っていても、写真館に行って写真をとってもらう。

夕方にジョギング50分。先週よりも楽な気がした。

ジョギングコースの桂川沿いの道路は紅葉観光の車で松尾橋から嵐山まで両側とも数珠つなぎ。

晩ご飯は七五三のお祝いで中華レストランにいく。紹興酒とビールを飲む。ケガ後外食してお酒を飲むのは初めて。


11月21日・火(8週間と2日)

病院で診察、レントゲン。とても順調な経過といわれ、次は3週間後に経過観察となる。骨の回復具合について質問すると、肩甲骨の強さは70%くらい、鎖骨は難しい質問だがだいたい半分くらいか、とのこと。肋骨についは、とりたててどうこういう必要はないみたい。

リハビリの後、関節の可動域を測定する専門の人に診てもらう。

骨折の部位を確認しただけで、肩のねじりができないでしょう、といわれ、そのとおりだったのでさすがプロだと思った。

握力も測り、右は41.4kg、骨折した左手は34kgくらいだった。

リハビリ師に関節可動域の「道をつけて」もらい、自分で筋力もつけながら少し広がった可動域(=道)をしっかりしたものにしていく作業。本人の努力が半分以上だといわれる。

日常生活では何をしてもいいとのこと。「日常生活でないことは例えばどんなことですか」と聞くと「ボクシングとかボールを力一杯投げること、衝撃の加わること」

自転車に乗ること自体は問題ないが、やはりこけると危ない。私は練習中や一般公道走行中にこけたことは10年以上にわたって一度もないが、まだ自重しようと思う。

リハビリに時間がかかり、たとえば2ヶ月かかるとしても、2ヶ月後まで現在の状況が続いているわけではなく、日々可動域が僅かずつでも広がっていき、結果として通常に戻るのが2ヶ月後なのだと考えれば、希望がわいてくる。

病院を出て会社に向かう途中でポラールの心拍計を購入。これまでも何台か心拍計は使ってきたが、今回はランニング用にシンプルなもの。リハビリにジョギングをするのは楽しいが、さすがに大分回復してくると、走れるだけで感激していた当初とは違って、どうしても自転車と比べて退屈だと思ってしまう。心拍計で記録をとったりしてランニングを楽しもうという目的。

会社で装着してみると席にじっと座っていて60前後、ちょっと仕事をして70くらい、通勤で歩いて80ちょっと。ケガ前とくらべて心拍数があがっているのかどうかわからないが、これからの変化をみたい。

自転車に気合いをいれて乗っていた頃の起床時安静心拍は確か45以下だったと思う。


11月23日・祝(8週間と4日)

朝、布団の中で左肩がこわばり、少し痛いのは続いている。少し前まではこわばりと痛みで明け方目が覚めていた(寝る向きを変えて横向きに寝ると治る。仰向けで寝ると痛い)のに比べるとましだが、この痛みがなくならないと治ったとはいえないだろう。

オムロンの体脂肪計で測定。以前は体脂肪率15%前後だったが、19%になっている。

ケガ後、体重も1kgほど増えた。私はやせ形なので、体重は5kgくらい増えてもちょうどいいくらいなのだが、脂肪で増えるのはまずい。「やせデブ」になってしまう。

まあ、ジョギングを続けて自転車にも乗れるようになれば、大丈夫だろう。午後1時間18分ジョギング。嵐山~上野橋。心拍140前後で走る。

 その後、自転車(買い物用)で御室の自転車店まで行く。心拍計で計測すると片道1244秒。平均心拍133。御室までは途中から上り坂になるが、予想よりも楽に登れた。近所への買い物以外ではケガ後はじめての乗車。ずいぶんと平常の生活にもどった。


11月24日・金(8週間と5日)2ヶ月

2ヶ月が経過した。

日常生活では特に不便はない。布団の上げ下ろしも食器を洗うのも、棚に仕舞うのも、掃除も問題ない。洗濯物を高いところに干すのは少し不便。自動車の運転も問題ない。服の脱ぎ着も、まあ通常にできる。左手が真上に上がらないので、少し不便を感じるが。

風呂に入って身体を洗ったり、シャンプーする時も、左肩や左手は痛くない。

仕事は事務・営業職なので、全然問題ない。パソコンも両手で通常に打てる。仕事関連でいえば、ゴルフはできない。左手がねじれないので、フィニッシュで手を折りたためないのと、衝撃がよくないからだ。プロゴルファーの人やゴルフが仕事のような民間放送局の支社長、なんて人だったらまだまだ大変だ。

 左手はかなり上まであがるようになったが、鏡をみて確認すると、きちんと肘をのばして手のひらを上にむけて真横から上方向に上げるポジションでは水平より45度くらい上にしかならない。日常生活では肘を曲げたり、真横方向でなく斜め前方向にあげたりするので、結構上に上がるような感じになるが、実際の可動域はそれなりしかない。

 運動関係では、ランニングの腕振りは、まだまだ違和感がある。筋力が回復してないので、腕が重い上に振るとほんの少しだが痛みもある。

 脚の傷跡はまだ盛り上がっていたりするところもあり、時々痒くなることもある。傷がだいたい乾いて風呂に入れるようになるのに3週間、その後1週間は毎日風呂上がり等に薬とガーゼ交換をおこない、念のために傷口を保護するために包帯も巻いた。つまり1ヶ月でメンテナンスは必要なくなったが、その後も何度も皮膚が入れ替わって、傷跡が少しずつ目立たなくなったり、普通に近づいている様子。そうはいっても傷跡はまだまだ目立つので、「美脚モデル」の人だったりすると、仕事はできない。

 全治2ヶ月(本人の意識としてはまだ完全に治っていないので、全然「全治」ではないが)、後はリハビリの領域か。


11月25日・土(8週間と6日)

イベント立ち会いで出勤だったが、会場が京都市内で時間に余裕があったので、出勤前にジョギング。1時間8分。心拍140150で走る。桂川、五条の西大橋まで往復。

帰宅後、ローラー台1時間。自転車でジョギングと同じ体感負荷だと心拍120くらい。ギヤは前5221でケイデンスは80前後。2ヶ月間乗っていなかったせいか、無意識に踏んでいるとケイデンス90にならない。もっとも固定ローラーの負荷調整つまみを軽くすればいいだけの話かもしれないが・・・。

左腕の筋力が衰えているので、ブラケットを握って肘を直角に曲げるポジションがとれない。自転車のポジションに馴れることが大切なので、とにかく時間をかけるしかない。

心拍120くらいでも、風をうけないからか汗がものすごく出た。体中の血行がよくなったので、骨の再生にもよく、肩が暖まってリハビリにも好都合。

数年前の鈴鹿ロードのバーゲンで買ったカルナックのレーサーシューズ(キャプーチが履いていて一世を風靡したもの)をおろす。クリートの調整も兼ねてローラーに乗ったがフィット感も良かった。

七五三でもらった御神酒(月桂冠のカップ酒!)を晩酌で飲む。ケガ後初めての日本酒で、とても美味しく、なめるようにして飲んだ。


11月26日・日(9週間)

保育園のバザー。終わってからジョギング1時間30分(実走時間)。平均心拍130前後。3日前に福知山マラソンを走った妻が自転車で伴走。途中ユニクロで買い物。桂離宮のところで折り返し、嵐山から自宅へ。腕の振りは少しずつ馴れてきているが、これといった変化はなし。


11月27日・月(9週間と1日)

起床前の肩の痛みは続いている。仰向けに寝ると肩甲骨が下がる関係とのこと。起きると痛みは無くなる。

職場の暖房がきついせいもあってか肩が暖まり、肩の内部がムズムズする。仕事中もさりげなくリハビリを続ける。左手を背中から後にまわして右肩方向に手の甲をもっていくかっこうで椅子に座るなど。なんだかとても関節を動かしたい気分なので、少し早めに仕事を切り上げ、病院でリハビリ。

病院からの帰宅中、左手を大きく振って歩いたら、肩の関節内部でいままで癒着していたような感じの部分がプチッと分離し、次に関節のゴリゴリ感が伝わり、少しの痛みとともに可動域が拡大した気分。明るい気持ちになる。

ケガとは関係ないが、結婚した頃に入った生命保険の更新時が近いので、あれこれ考えた末、ソニー生命に乗り換えることにした。先日申し込んだが、骨折して治療中であることを申告したところ、審査の結果「今回の骨折に起因する入院があっても向こう2年間は保険金を支払わないことを担保とする」という条件で帰ってきた。もっともな話だが、なんともいえない気分。


11月28日・火(9週間と2日)

昨日リハビリでたくさん動かしたので、今日は動かしたくない気分。


11月29日・水(9週間と3日)

実は、その前から左手の親指付け根のあたりが突き指のような痛みで違和感があったが、今朝は服のボタンを留めるのにも痛いくらいになってしまったので、会社のビルの整形外科医に行く。薬を飲めば痛みはひく、大丈夫、痛いところを揉んだりしないように、指をひろげて力をいれないように、とのこと。

原因を考えてみるのに、土曜日にローラー台に乗ったとき、左腕の筋力が衰えているために、上半身の体重がモロに手のひらに伝わり、ハンドルと接するところが圧迫されてなったのではないかと思う。

会社の帰りに病院にリハビリに行く。

ずいぶんと動くようになって、腕を上に上げることについては、肘を伸ばしても耳につくようになったので、普通の人ともう変わらないと言われた。ただ、ねじりはまだ少ししかできない。例えば、左手で右肩を持ち、肘を地面水平の位置にして肘をグッと胴体に近づけるのができない。上腕の骨内部が痛い感じ。これは上腕の筋が縮こまっているための痛みとのこと。

帰宅後、試しに腕立て伏せを試みてみたら、信じられないことに出来た。但し右手で70%の力を使っている感じ。左手はただ支えているのに精一杯で動きは右手だけでコントロール。調子にのってたくさんすると良くなさそうなので、2回で止めた。


12月2日・土(9週間と6日)

夕暮れ時にジョグ、1時間45分。平均心拍132。桂川サイクリングロードを桂離宮手前で引き返し、嵐山、渡月橋を回って帰る。

空の色がだんだん濃くなって愛宕山から比叡山までのシルエットが夜空に沈み、空の三日月が輝きを増す風景の中で、ランニングの楽しさをしみじみと感じ入る。

自転車だとトワイライトゾーンは一番交通事故の発生率が高い危険な時間なので、それまでに帰宅するようにしているし、どうしても走らないといけないときは、ライトを点灯して周囲への警戒で気を使うので、夕暮れを楽しむ余裕はない。ランニングだとスピードも遅く、ゆったりと楽しめる。

ランニングにも身体が馴れてきたのか、楽に走れた。腕の動きは上にはもうほとんど通常どおり上がる。

ただ、仰向けに寝て、腕を頭の後で組み(腕まくらのような格好)肘をカーペットの上につけるのが出来ない。地面から45度くらいしかいかない。仰向けに寝て肘を地面に付け、手の甲を地面につける動きもまだ出来ない。まあ、そのうち曲がるようになるだろう。


12月3日・日(10週間)

朝は雨だったがあがったのでジョグ。2時間、平均心拍142。久世橋まで往復。昨日夕方に走った後だからか、走り始めは心拍が高い。往復イーブンペースで帰りのほうが身体が軽くなって、ランニングに馴れてきた感じ。

風呂に入って昼食をとり、午後はMTBで御室経由、京都御所の近くの自転車ショップまで行く。MTBでの走行はケガ後初めて。

MTBのスピード感に驚く。ブロックタイヤなのに、ランニングのペースと比べて矢のような速さだ。脚にショックがなく、クルクルと脚を回すと、ランニングと同じような心拍への負荷だと恐ろしいほどのスピードが出る。目に飛び込む情報量と判断すべき事柄が多い。

ランニングはサイクリングロードを走るというせいもあって自動車が来ないので「ボー」と走れるのだが、さすがに公道の自転車走行は違う。

以前はMTBだとずいぶんと遅く感じられたものだったが、2ヶ月自転車に乗らないと、感覚がこんなになってしまっている。でも、それは喜びでもある。滑るように走る自転車の魅力!

ロードレーサーだとランニングとギャップが大きすぎる。しばらくMTBに乗って馴れてからレーサーに乗ろうと思う。ちょうど冬であるし・・・。

とはいえ、MTBライディングには問題はなかった。息が上がったりもしない。精神的に、交通安全には今まで以上に気を使う。

先日、レース用のヘルメットを買い換えた(ケガの際には頭部は打ってないのでヘルメットは無事だったが、一度大落車にあったものは使う気持ちがしない)が、チョイ乗り用のヘルメット(レース用ほどかぶりが深くない)もあった方が便利なのと、行きにヘルメット無しでMTBで走ったらなんだか頭がスカスカして気持ち悪いのと少し恐いので、御所の近くの店でヘルメットを買って、かぶって帰る。

この季節に京都御所を走ると、素晴らしい色づきの銀杏と紅葉をあちこちで発見する。御所の砂利でMTBのブロックパターンのタイヤが掃除されるので、久々の乗車にはぴったりだった。


12月4日・月(10週間と1日)

東京出張。5時40分起床。起きたときの肩のこわばりは、ほとんど無くなった。寝入りばなに左肩を下にしたポジションをとると、違和感がある。擦過傷のところには未だにかさぶたが残っているのだから、骨折したところに体重がかかって微少な痛みと違和感があるのは、当たり前か。

先月の出張では、新幹線の中で腕を動かしていたが、1ヶ月経つと、ケガのことを意識することはない。

いつもより早めに仕事が終わったので、会社からブラブラと銀座を歩く。カメラ屋によったり、山野楽器でCDを買ったりして、有楽町の駅まで。

ランニングを始めると、「ランナー的生活」とでもいうのか、歩くことが苦にならなくなる。

大丸で弁当を買い、新幹線で月桂冠のカップ酒を飲みながら食べる。時間があれば、大丸で「玉の光」のカップ酒を買うところだが、月桂冠もなかなか良い。カップ酒も飲みやすくてバカにはできないのだ。


12月5日・火(10週間と2日)

会社の帰りにリハビリ。今までのようにムズムズしているところを動かすという感じはなく、関節の感覚もほとんど通常。この1週間ですっかり気分は平常に戻った感じ。後は「日にち薬」か。

家に帰ってからホットカーペットに仰向けに寝て、リハビリに励む。右手と比べて不完全な動きがどこなのかを確かめながら動かす。

来週の火曜日が診察・レントゲンの日なので、そのときに「完治」として区切りをつけたい。


12月9日・土(10週間と6日)

スペシャライズドのMTB「ロックホッパー」納車。フルリジッドのクロモリ(リッチーナイタリアム)でツーリスト的な原点に戻るための自転車。価格だけみるとメーカー価格99000円で一見普及品だが、なかなかマニアックに改造できる素地をもつ。フレームとステムとシートピラーを除いてパーツは総入れ替え。フレーム単体売りをしてくれれば、断然安くついているが、仕方がない。ヘッドはクリスキング、前後ディレイラーXTR、グリップシフト、クランクはスぺシャライズドストロングアーム2、BBやチェーンはXT、などなど。詳細は後日HPにアップ予定。フルリジッドでゆっくり無理せずシングルトラックやダブルトラックを走りたい。

 妻と一緒にジョグ1時間半。桂大橋周回。平均心拍122。快晴の一日だった。


12月10日・日(11週間)

「お父さんのケガが治ったらどこかボクの好きなところに連れて行って」とケガ後3日目くらいから息子が言っていたこともあって、みんなで温泉に行くことにした。ちょうど朝から雨で、道路も空いている。

 自宅を12時頃にでて、約1時間で越畑の蕎麦「まつばら」へ着く。嵯峨野の奥から水尾の里を通る愛宕山麓の道で、自転車だと何十回も走っているが、自動車だと初めて。自転車だと素晴らしい道だが、自動車だと離合困難なところもたくさんあり、全然快適でない。

蕎麦は絶品。野菜の天ぷらも最高。いづれHP上でも紹介したい。長野県の蕎麦を食べ回った蕎麦フリークの人もここの蕎麦を絶賛している。ウルグアイラウンド関連の助成金でつくった「ムラ起こし」の施設だが、人材に恵まれ素晴らしい出来になっている。

 その後日吉ダムの施設に行き、温水プールに入る。レジャープールではなく25mコースのスポーツクラブ的施設。コースでちゃんと泳ぐのは中学以来(私の通っていた高校は城跡にあり、文化庁の許可が出ないとかでプールが建設できなかった)だったが、100m連続で泳げた。25mも数本泳ぎ、「水中歩行コース」で800mくらいは歩いたので、けっこう運動になった。泳ぎは肩のリハビリにも効果的。

 泳ぎの後は隣接する温泉でのんびりし、晩ご飯も食べて帰った。妻子とも大満足。日吉ダムは自転車練習コースで何度も通過したことはあるが、施設を利用したのは初めて。また行きたい。今度は自転車やランニングの後で温泉に入りたい。


12月12日・火(11週間と2日)

診察・レントゲン。「とても順調な回復。集中して骨折した割にはよく動く。まだ3ヶ月弱なのに」とのこと。レントゲンでは、骨折したところは黒い筋となって写るのだが、骨がつくにつれて白くなり、完全に治れば真っ白で他と見分けがつかなくなる。鎖骨はまだ骨折した箇所が画像上でもわかるが、強度はだいぶあるとのこと。肋骨は白くなってもう見分けがつかないくらい。肩甲骨のところはレントゲンで撮影してないのでわからない(その必要もなかったということ)。

腕の動きはまだ固いので、しばらくリハビリには通うようにとの指示。次回の診察は1ヶ月後となった。

 「完治」とはいえないが、職場には「快気祝い」的に京銘菓「阿闍梨餅」を配ることにする。病院から会社に向かう途中、梅田の阪急百貨店で80個購入。


12月13日・水(11週間と3日)

保険金の請求書を記入。大会事務局が加入していたもの、これが通院1日につき2000円。会社の団体扱い積み立て傷害保険が通院1日当たり750円。他に自転車のクラブで加入しているもの(金額はわからない)があり、合計3契約。合計で29日間通院したことになる。ざっと3契約合計の保険金が10万円弱か。

 病院への支払い金額を計算すると、40,942円(健保組合本人負担2割)。他に会社の診療所分があるが給与天引きなので判らない。タクシー代、「快気祝い」的阿闍梨餅代等合計で3万円もあれば足りるだろうから支出合計はだいたい7万円くらいか。

 会社を休んだが、諸手当等の支給基準となる1ヶ月の最低出勤日数基準はクリアしていたため、給与への影響はまったくなかった。また、自宅療養中は全然お金を使わず、通常よりも却って支出は押さえられたので経済的には問題ない。

交通事故等と違って、人を恨んだり、示談や交渉のストレスなく済んだのが一番の幸せ。


12月17日・日(12週間)

昨日から大掃除。クリスマスの飾りを出す前に大掃除しないと、収拾がつかない。今年は2FのLDKを念入りにやり、カーテンと食器棚を換えることにした。雨なのでランニングもなし。夷川(京都の家具の店が集まる通り)に家具を買いにいくなんて、結婚準備の時以来だ。

昨日、新しいスペシャライズドMTBの写真は撮っておいたので、後は実走にかかるのみだが、大掃除と天気とで来週までお預け。来週には、いよいよ復活走行をする予定。


12月23日・土(12週間と6日)

夕方にランニング1時間45分。桂川沿いに名神高速道路手前までの往復20kmを走るつもりが、復路の八条桂大橋で雨が降ってきたためタクシーをひろって帰宅。ずいぶん遠くまで来ている感じだったが、メーターで1310円だった。


12月24日・日(13週・3ヶ月・クリスマスイブ)

ケガ後初めてのMTB本格走行。

新車のスペシャライズド・ロックホッパーの初乗りでもある。新車購入時の定番コース、御室坂→鷹峯然林坊の急坂登坂→京見峠→氷室→シングルトラック→杉坂→R162→高雄→御経坂→長刀坂→広沢の池をカメラ(オリンパスOM4Ti)持参で走る。約3時間(撮影時間含む)。

ランニングの成果が出たのか、息はあがらない。心拍OK。脚の筋肉も違和感なく、まったく心配なかった。ツーリング的にソロ走行するぶんには完全復活!

下り坂も恐くない。といってもMTBだから最高速でも40kmほどのものだが。

走っていると、どんどんと感覚が蘇ってくる。ほんの2週間前も同じように、この道をこんな感じで走っていたかのような感覚で、3ヶ月のブランクを忘れてしまうかのよう。ケガが回復して再び自転車に乗れることに感謝し、コースの素晴らしさにも改めて感動。

自分は本当に自転車が好きで、京都に住んで本当に良かったと心の底から思う。腕の動きは完全に左右同じではないが、時間がたてば治るだろう。

(了)

 ※その後、1月に1回、2月中旬に1回病院に行ってレントゲンを撮りました。2月の時点で「もう病院には来なくていいです。なにかあったら(あっては困る)、また来て下さい」といわれて、区切りがつきました。3月末ごろに最後の「ムズムズ感」があり、最後の数%、動かなかった部分を意識的に動かして、完全に動くようになりました。4月現在、可動域は完全回復、動きは少し固く感じるところはありますが、完治です。ランニングも骨折以来、10kmレース2回、20kmレース1回、ハーフマラソン1回、出走しました。(2001.4.22記)

追記:2002/4/30に人間ドックを受けました。骨密度も測ってもらい、OSI(音響的骨評価値)は3.355で、骨強度は同性の若年成人(2044歳)の平均値に対して115%ということでした。めでたし。

ただ、握力は左右で10kgも違いました。骨折の影響でしょう。自転車ヒルクライム時でも左腕の力不足を感じます。何らかのトレーニングをする必要あり。(2002/6/8記)

スペシャライズドM5 2002年モデル2016/05/20


スペシャライズドM5
写真:スペシャライズドM5 2003/9/15撮影
スペシャライズドM5
写真:スペシャライズドM5 2003/3/14納車時 M.D.Sにて


[旧HP自転車とカメラの日々より](2003年に購入、2004年9月記)
 東京に引っ越して、初日に見つけたのがMTBの専門店「M.D.S」。 荷ほどきが一段落して、そろそろ東京のショップにも顔を出し、自転車生活を再開したいと考え、まずは1台自転車をつくることにしました。

とはいえ、純増というわけにはいかないので、フルリジッドのスペシャライズドMTBのフレーム交換で済ますことに。
どんなフレームに替えるのか、最初に候補に挙げたのはコメンサルの「スーパーノーマル」。コメンサルにはすごく惹かれたけれど、在庫のあるのが愛知県のショップで、通販で入手は可能だけど、私の場合、自転車そのものを買う必要があるのではなく、新しく住む地域で馴染みの自転車店をつくり、東京での自転車ネットワークを広げるために自転車を買うのだという、そもそもの趣旨に返り、やめました。

クラインも考えました。でも、今更クラインというのにも食指が動かず、やめ。
どこのショップに頼もうか、いろいろ考えましたが、やっぱり自宅に近い店というのが基本です。

で、前述の「M.D.S」にふらりと入ってみたら、なかなかいい感じ。ちょうど、2002年モデルのスペシャライズドSワークスM5のフレームがセール品として置いてあり、クロモリフルリジッドのスペシャは悪いフレームではなかったけど、パーツは流用してフレーム交換をすることにしました。

ただ、せっかくの軽量アルミフレームなので、クランクは新型出たばかりのXTRに新調、フォークもクロモリのリジッドではバランスが悪いので、マニトウのをインストールしました。

スペシャライズドといえば、キャノンデールジャパンの副社長になったマイケル・T・ジャクソンさんと結婚したウインク・ジミックさんが乗っていて、京都ゼミナールハウスで行われていた大会とかで何度かお会いした時の好印象が思い出されます。

 キヤノンデール以来のアルミMTB、スペシャライズドのSワークスシリーズは、「固い」とかいわれていた頃もあったので、ちょっと心配していましたが、全然大丈夫でした。特に身体にダメージを感じることはありません。

 荒川の上流のジャリジャリ道を走った時、まるで土の道を走っているかのように振動を吸収してスムーズだったのにはびっくりしました。この数年でサスペンションの性能が向上していることもあるのでしょうが。

 スピードメーターやペダルのストラップも装着しての実測で10.5kgと軽いので、担ぎも楽です。フレームが太いので担ぎの際、肩にくいこまないメリットもあります。東京に来て入れてもらった「山岳サイクリング研究会」(通称:山サイ研)の例会だと担ぎが多いので、そんな時に助かります。

 MTBレースにはこの数年出走していないのですが、この自転車なら久々に出てみてもいいかな、と思わせるものがあります。

購入後、変更したパーツはグリップシフトからシマノのラピッドファイヤーレバーへ。グリップシフトも悪くないのですが、グリップがどうしても太くなり、握った感じの軽快感が損なわれるので、シマノのにしました。

グリップはkuwaharaの細めのラバー、手に吸い付く感じで、シャープさが増しました。

 ステムはなかなか定まらず、いいのがあれば交換したいです。最初はロックホッパーからのもので、重くてちょっともっさいのでイーストンのE-50に換えたけれど、もうひとつしっくりしません。全体的な走りは満足です。

[追記]結局、2015年秋に、SCOTTのクロカンモデルとコメンサルのAMモデルを購入するまで、10年以上に渡り、このスペシャライズドはメイン機として君臨しました。軽量なのは、今でも魅力的ですが、シングルトラックを走る楽しさは、最新MTBとは全然勝負になりません。担ぎだけを考えるなら、存在価値はあります。メンテが簡単なVブレーキ仕様のMTBは絶滅したので、手放すのは惜しいと思っていますが、乗ることは今後ほとんどないと思われます。

スペシャライズド ロックホッパー2001年モデル2016/05/20


スペシャライズド ロックホッパー2001年モデル
写真:スペシャライズドロックホッパー2001年モデル

スペシャライズド クロモリ
写真:リッチー ナイタリウム チューブ

[旧HP 自転車とカメラの日々より]
 2000年12月購入。9月にロードレースでケガをし、自転車に乗れないでいた時、雑誌「サイクルスポーツ」にスペシャライズドのカタログが付属していて、パラパラ見ていると、このモデルが目に留まった。

クロモリ、リッチーナイタリアム製のフルリジッドというのがチャームポイント。熱処理のクロモリ、例えば丹下のプレステージはヘタリやすい印象を持っている。このナイタリアムはレイノルズのように、熱処理でなく成分添加で張力を増す、というカタログ記述に惹かれたのだ。

たとえどんな素材であっても、少々フレームの成分や作り方が違ったからといって魔法のような力が備わったり、走りが画期的に違うなどということはないことが判っていても、広告に乗せられてしまう私。ヤレヤレ。広告業界で飯を食っているのに・・・。

クロモリのまともなモデルが絶滅寸前な今日、貴重なモデルである。メーカー価格99,000円。

個人的にはもっとパーツのグレードを上げて、その分価格設定は高くてもいいのだが、マーケットの側がそのような商品に対して理解がないのだろう。数年前のスペシャライズドのカタログをみていたら、上位シリーズの「スタンプジャンパー」にリッチーナイタリアムのフルリジッドモデルが15万円以上の価格帯で存在していたが、カタログから消えてしまった。
トレックでもクロモリモデルは低価格帯のシリーズにしか存在しない。

クロモリはコストパフォーマンスが一番良い素材なので、コスト削減優先の使い方が残ってしまうのだろう。もともと価格比性能が優れたクロモリの高級バージョンだと、どんなに素晴らしく良いものが出来るのだろう、といった発想は市場には浸透しないようだ。完成車メーカーの商品ラインナップの影響で、クロモリ=安物 の図式が定着してしまうのは残念だ。唯一例外的に国産のBS「アンカー」が頑張っているくらい。


そんな風潮に断固抗議したい私としては、このクロモリモデルをきちんとチューンナップして世に出したいのだ。というわけで下記のようにパーツを交換

□ヘッド小物:タンゲTG→クリスキング □ハンドルバー:スペシャライズドローライズアルミ
600mmEASTON EA50 □ブレーキ:プロマックスSX-V232→シマノXT(旧型)Vブレーキ □ブレーキレバー:シマノディオーレ→シマノXTR □FD:シマノディオーレ→シマノXTR □RD:シマノLX→シマノXTR □シフター:シマノディオーレ→グリップシフト □フリー:シマノ→シマノXTR □チェーン:シマノHG72→シマノCN-HG72 □クランクセット:スペシャライズド4アームII→スペシャライズドストロングアームII□BB:シマノBB-LP27→シマノBB-UN52 □サドル:スペシャライズド ボディージオメトリースポーツレーシング→スペシャライズドBG Sワークス ※ホイールはデフォルトのマビックX139+スペシャライズドオリジナルハブ+スペシャライズドチームコントロール&マスター スポーツ の一式も手元に置いているが、スピナジーSPOX+パナレーサーファイアーXCプロ2.1も使用。

 結局、ステムとシートポスト以外は総入れ替え。フレームとステム、シートポスト、ホイール代に99000円使ったことになる。フレームだけをオーダーしたら、もっとかかるので、リーズナブルといえばリーズナブルだが・・・。

 パーツ交換の優先順位は、ヘッド→BB→フリー→前ディレイラー→ブレーキレバー→その他。ヘッド、BBといった目に見えにくいところを交換してこそ、クロモリナイタリアムのポテンシャルを引き出し、ロックホッパーをグレードアップさせる鍵である(気分的に)。フリーは重量差と見た目の違いがXTクラス以上とそれ以下では大きいので交換は是非モン。前のディレイラーもXTRとそれ以外では性能差が大きいので要交換。アメ車メーカーは大概、RDはXTRでもFDはXT、RDがXTならFDはLX、といったように前後のグレード差を付けてコスト削減をはかっているので、完成車をそのまま乗っているのではないという自己主張にはFDのグレードアップは欠かせない。

ブレーキレバーはディオーレのものはオートバイ用みたいにごついので、繊細なXTRに。ブレーキは手持ちにXT旧型があったのでそれにしたまでだが、新型XTのデザインは私は嫌い。ぶっといフレームに合うデザインになっているので、クロモリの繊細なフレームには似合わない。特に新型XTのRDとクランクは最悪。おもちゃみたいだ。

 というわけで、クランクもグレート的にはXTにしたいところだが、あえて、デフォルトと見た目もほとんど変わらない、スペシャライズド製にした。杉野かなにかにすれば、渋かったかも。ハンドルはデフォルトの「ライズ」が良くないのではないかと思って交換にしたが、実物を見てみると、デフォルトのものでも良かったかもしれない。サドルはデフォルトのものは重くて分厚いので交換したが、最終的にはスペシャのレーシングタイプにする予定。後ディレイラーは案外LXのままでいいかな、と思っていたが、やっぱり他とのバランスをとる意味で無難にXTRにしてしまった。

シフターはクロモリフルリジットのシンプルさを活かす意味で、手元のすっきりするグリップシフトにした。シートピラーも軽いものに交換したかったが、直径が30.4mmと特殊サイズなのでそのまま。

問題はシート固定のバンド。クイックでないのは全然問題ないが、バンドの品質が悪く、5mmアーレンキーだけでは固定/解除ができない。反対側のナットも一緒に回転してしまうのだ。13mmのスパナを持参しないと、ツーリング先でサドル高を変えられない。BSアンカーもボルト固定だが、そんなことはなく、アーレンキー1本でスッキリ固定できる。

 組上がった自転車を実走して、最初に感じたのは「ハンドルが高くて近い!!」ということ。

あわててステムのスぺーサーの位置をやり変え、ポジションを下げたが、ステムをもう少し長いものに交換しないとだめだ。でも、このままでも楽ちんなので、この数年悩むことのなかったポジションについて、少々迷いがでてきた。とはいえ、このロックホッパーのポジションを普通に感じるようになったなら、現在所有しているレーサーやアンカーMTBのポジションだと苦しいということになりかねないので、やはりもっと遠く低いポジションにしないといけないだろう。

ホイール回りのSPOX+ファイヤーXCプロ2.1は、シングルトラック向き。舗装路だと、少々粘る。

デフォルトのスペシャオリジナルタイヤだと、舗装路は走行感が軽い。空気圧も高めの設定なので、街乗りでも不満がでないようにとの設計思想だろう。しかし、タイヤの断面が三角形(!?)なのだ。MTB用のタイヤで断面が三角形というのはユニークすぎる。直進時には真ん中のノブしか接地してないかのようだ。

 私は、こどものころのBSのジュニアスポーツ車で採用されていた「BSトリアルタイヤ」を思い出した。子どもの頃、自分のジュニアスポーツ車を買った翌年のモデルから「トリアルタイヤ」が採用されたのが悔しくて仕方なかった。トリアルタイヤだとどんなに軽く走れるのだろうと想像した。そこで子ども向けに秋田書店から発行されていた単行本「サイクリング入門」(私の愛読書だった)の著者に、手紙を書いて尋ねた。返事がきて「1日30kmくらいのサイクリングでしたら特に必要ないでしょう」とのことで安心した。子どもの迷いを解決させる、すばらしい著者だ。その子どもは大人になって、トリアルタイヤどころではない泥沼にはまり、カタログや新製品に関する学習効果もなく、やりたい放題やっているのだが・・・。レース使用でないのなら何も問題ないのかもしれないが、三角形のタイヤは走行中に前輪を目にするたびに、違和感を感じて仕方がない。どうにも落ち着いてペダルを踏めないので、近々に交換したい。

 ホイール関連でいえば、マビックのX139というリムはメーカー車納入用の専用モデルらしく、一般のカタログには載っていない。見た目の質感は十分。スポークもブラックで、けっこうカッコイイ。以前の10万円前後の完成車のホイールよりもずいぶんと改善されている感じ。ハブの耐久性等は使ってみないとわからない。やはり定評あるシマノのXTハブ+マビック517のホイールが安心できる。

 フルリジットの走行感は、自然な感じ。すごい!!といった感じもないが、自然体で軽やかに乗れる。ダンシングの時のかかりの良さが、フルリジットらしさかもしれない。

ちょうど10年くらい前、MTBに乗り始めた頃の感覚がよみがえってきた。あのころ、京都の北山、八丁林道でダウンヒルのレースが開催されており、林道を目一杯ペダルを回して走った際には、フロントサスの必要性を痛感した。フロントサスがなければ危険だとさえ思った。レースで使うなら、サスペンションは必需品だ。確か、ジョントマックが最後までフルリジッドでレースに出場していたが、いつのまにかサスペンション(F)の是非については、論議すらされなくなった。

 この自転車はツーリング用に、わざわざサス無しのフィーリングを楽しむためのものだから、これでいいのだ。ついでにペダルもビンディング式をやめて、トゥークリップ+ストラップ式を標準仕様とした。昔から使っている「スカルパ」の軽登山靴を履きたいからだ。ツーリング目的で山道を歩いたりすることを想定すると、クリップ式の靴は、あまり向いていない。靴が地面と接する肝心なところにクリートがあるのでスリップしやすい上に、衝撃を足に伝えやすいからだ。

わざわざ昔の自転車に乗って喜んでいるみたいだが、良いモノはやはり良い。
2001/1

[追記]もう15年も前に書いた文章ですが、自分自身、今も何の進歩も成長もない感じで、恥ずかしいです。それにしても、飽きもせず、ずっと自転車のことを考える人生を送っているものだと、我ながら呆れてしまいます。(2016/5)

スペシャライズド ロックホッパー
写真:スペシャライズド ロックホッパー
スペシャライズド ストロングアームII クランク
写真:スペシャライズド ストロングアームⅡクランク

MIYATA BP2 フルサスMTB2016/05/18


MIYATA BP2 MTB
写真:MIYATA BP2 フルサスMTB

MIYATA BP2 MTB
写真:MIYATAのヘッドマーク

[旧HP 自転車とカメラの日々より]
 消費税が上がる前の97年3月に「TAKENAKA」にて購入。ちょうどクロカン用フルサス車が出揃った頃で、雑誌のインプレでも評判がよく、宣伝露出量も多くてMIYATAの気合いが感じられた車種である。。

97年の6月にニフティサーブ「シクロツーリストフォーラム」に投稿したインプレがありますので、再録します。

> 懲りずにMIYATA BP2を購入してしまいました。今年に入ってから各雑誌に

>宣伝露出量の多い、グレッグヘルボルトが関与したというフルサスMTBです。

> ランドナーから趣味の自転車を始めた者としては、フルサスには抵抗があり

>ましたが、なかなか好いです。

> 登りでタイムトライアルをすれば,リジットバイク,例えばBSのネオコッ

>トのほうが速いのかもしれませんが、楽しめる自転車です。舗装の登りでも、

>苦痛ではありません。ダートの登りだと、フルサスの効果でスムーズ,本領発

>揮といったところです。ダートの登りこそフルサスが必要といった気持ちにも

>なります。トップチューブがあるので、一応担げます。

> パーツはハンドルをフラットに替え、ステムも10度アップの11センチに

>しました。ブレーキはLXで十分良く効くのでそのままです。シートピラーは

>カタログの写真では変なモノのように感じたのですが、実物は思ったより質感

>が良かったのでそのままです。タイヤはダスタープロに替えました。

上記発言の後、クロスカントリーレースにも参戦したりして、パーツを若干換えた。前変速機とブレーキレバーをXTR、タイヤを「PANAクロスカントリーマジック」に、など。

 夏は基本的にはMTBには乗らないが、先日(99年7月)、久しぶりにダート林道を含む50kmほどのコースを乗ってきた。

上記インプレどおり、登りも楽しく走れて「リジットバイクで来れば良かった」などと感じることはまったくなかった。

FUN RIDE用にいい自転車だ。

BBの位置が高いので足つき性は悪いが、フレーム設計上のバランスからやむを得ないのであろう。。

このモデルの後、次年度からは「MIYATA」ブランドを表記せずに商売しているようで、残念である。

自社ブランドに自信がないとするなら情けない。「MIYATA」だと実用車のイメージが強いので、他のブランドでいきましょう」などと広告代理店など外部の人間が言ったのか、まさか社内の人間が言ったのかは知らないが、残念なことである。

BP2ヘッドの「MIYATA」歯車デカールはとってもオシャレでお茶目だと思うのだが・・・

  [追記]と書いておりましたが、けっこうすぐにオークションで売却しました。置き場所の問題とやっぱり重たいので動きがもっさい感じがして、フルサスそのもののデメリットは特別感じなくても、自転車全体としての魅力に欠けてきたためです。フルサスは当時ブームだっ たので、オークションですぐに売れるだろうという目論見もありましたし。

BSネオコットMTB 97年モデル 基準価格37万円2016/05/17


ネオコットMTB
写真:BSネオコットMTB この年まではロゴも「ブリヂストン」翌年から「ネオコット」になった。

[旧HP 自転車とカメラの日々より]
BSネオコットMTB 97年モデルTWNTeam 基準価格370,000

リアルレーシングマシンとして数年間共に過ごした「HONJO MTB」がさすがに競技用車としては寿命が尽きたので、買い換えを検討。

HONJO MTBで過ごした年月は、例えばカメラの世界では20年間以上の変化に相当するかもしれない。それほど激しい変化がMTB界ではあったということ。

欧米のメーカーがますます勢いを増し、国内ビルダー系はMTBから撤退したところが多い。あまりにも流行の変化が激しく、個人の力では対応できないのかもしれない。もともとMTBはアバウトな乗り物であって、フレームスケルトンもレーサーほどのこだわりを要求されることもない。きめ細かな個人対応を売りにする個人ビルダーにわざわざ頼む必然性に欠ける。カラーリングのセンス等も大メーカーの得意とするところ・・・

パーツも一時期はアメリカのガレージメーカーがチタン製品を数々開発していたが、ブームも収束し、そんな動きを横から見ていた私もなんだか疲れてしまったのである。

もう面倒くさい。パーツはシマノXTRで十分だし、フレームもメーカー製でいい。とはいえ、さすがに何でもいいというわけにはいかず、結局のところ選んだのはBSのネオコットだった。ノーマルサイズのチューブであるところが気に入った(最近のはオーバーサイズ化している模様)。XTRフルセットとマビックのクロスマックスホイール、ロックショックスジュディSL、ネオコットクロモリフレーム。これ以上何を望めば良いのだろう。自分の脚力だけだ。サドルは安っぽいと思ったが、実際に使ってみると全然問題ないのでそのままにしている。NITTOのバーエンドもすごく良い。形状の似てる類似製品とは何故かしら全然握り心地が違うのである。どこが違うのだろう?

実はこのフレームは同じモデルの2台目になる。ネオコットMTBを購入してしばらくしたある日、京都北山八丁平にツーリングに行った時、走行中、小枝をディレーラーに巻き込み、エンドを破損、そのままオシャカになってしまったのである。すぐさま全く同じネオコットフレームを注文。2週間ほどで上がってきた。

国産メーカー車はこんな対応ができるのが良い。輸入車だと色やサイズが揃わないケースがままあるように聞く。まあ、そう何度もあっては困ることだが。

[追記]このMTBは完成度が高く、私としては例外的に改造をほとんどせずに四半世紀以上使い使い続けています。サスペンションフォークはリジッドに交換しましたが、それ以外はほとんど手をつけていないのです(ステムを短くしました)。1インチのしなやかなクロモリフレームで、乗る度にフルリジッドの気持ちよさを体感できます。
BSネオコットMTB
写真:フルリジッド改造後 2016年3月 鳥取の里山で

TREK 970SHX MTB 1996年モデル 完成車価格13万円台2016/05/17


TREK970SHX
写真:TREK970SHX サスペンションはロックショックスのエラストマー式
TREK970SHX 米国トゥルーテンパー社製クロモリ
写真:TREK970SHX 米国トゥルーテンパー社製クロモリ

[旧HP 自転車とカメラの日々より]
 毎年、秋になると各社のカタログをみていますが、96年モデルのTREKカタログの中で、この自転車が目に飛び込んできました。

コストパフォーマンスが非常に高く、バランスがとれていて興味が湧きました。MTBは半分消耗品みたいなところがあって、あまり値段の高いものはどうかと考えることもありましたし・・・。それと、まだTREKの日本法人がなかったころに購入した妻のTREK950が、私にはサイズが全然違うにも関わらず、走りが軽く、TREKのクロモリ車について好印象を持ち続けていたことも関係あります。テゥルーテンパー社のクロモリチューブであるということと、グリップシフトにも興味がありました。

パーツのオリジナルの構成は以下のとおりです。

Colors: Ice Fire w/Black decals

Main tubes: True Temper triple butted Cro-Moly

Stays: True Temper Cro-Moly central butted seat stays

Fork: Rock Shox Quadra 21R suspension, 60mm travel

Headset: Dia-Compe ST-2 Aheadset 1 1/8"

Crankset: Shimano Deore LX-C 42/32/22

Front derailleur: Shimano Deore LX-C Top Swing, top pull

Rear derailleur: Shimano Deore XT SGS

Shifters: Grip Shift SRT-800 X-Ray

Freewheel: Shimano HG70-I 11-28, 8spd

Chain: Shimano IG70

Hubset: Shimano Deore LX rear; System 3 suspension front

Spokes: Union USA 14/15G butted stainless

Rims: Matrix Swami WM, anodized, 32 hole

Tires: Panaracer Dart 2 Comp front; Smoke 2 Comp rear, 26 x 2.0"

Brakeset: Shimano Deore LX w/Dia-Compe PC-7 Power Control levers

Pedals: System 2 ATB w/clips and straps

Handlebars/bar ends: System 2 ATB, butted alloy, 170g w/System 1 bar ends

Stem: System 2 ATB, forged alloy direct connect

Seatpost: System 2, forged dual-bolt adjustable head

Saddle: Bontrager Plus 10, Cro-Moly rails

Additional components: Rack mounts, 2 water bottle mounts

Weight: 25.86 lbs / 11.74 kg

購入して交換したのはクランクとブレーキをXTにしたのとペダルをSPDにしたくらいです。

この年のアメリカ国内向けカタログをみますと上位モデルとして「990SHX」というのがありますが、日本では未発売です。最近ではクロモリは国内では売れないからか970クラスでも発売されなかったりします。メーカー車でも「これはいい」と思った時に買っておかないと、次年度には消滅したり、好きな色がなかったりします。

このモデルはTREKのロゴが変わる直前、パーツ的にはカンティブレーキ時代の最終年度で、デオーレXTも細めのデザインの頃です。全体として私には上品に感じられ、買っておいて良かったと思いました。地味といえば地味ですが。

今思うのにはサスペンション無しの「TREK970」(SHXが付かない)、にしておけば、一層シブくてよかったかもしれません。近年ではサス無しモデルは廉価版モデルのMTBルック車的なものにしかなかったりしますし、フォークだけを購入しても、フレームとは同じ色になりません。レース用でないなら改めてサス無しMTBに乗るのも楽しいかもしれません。

このTREKを買った翌年にBSネオコットMTBを約3倍の値段を払って購入していますが、両者の違いはどんなもんでしょうか?

一言でいうならBSのほうが乗り味がしなやかで、取り回しがよく、さすがにレース向けです。TREKもクロカンレースで使ったことがありますが、動きが少々鈍く、車体の重量を感じました。

但し、この差に3倍の値段の違いがあるかというと、感じ方は人それぞれでしょう。私は、レース用として考えるならば、やはり値段の違いだけのものはあると思います。

でもそれは決してTREKの満足度が低いということではありません。どっしりして、しっかり走るTREKはツーリングをはじめとするレース以外では十分の働きをします。キャリアも取り付けられるのでツーリングではBSより機能的には適しています。

なによりこの値段でこれだけのものが手に入るのなら、文句はいえません。両方とも乗って楽しい自転車です。

現在、妻の実家に置かせてもらっています。

追記:2014に京都に戻し、フルリジッドに改造。リムとスポークも交換しました。
すぐに林道ツーリングに使いました。不満はないのですが、感動もない。細身のシマノXTとクロモリフレームのバランスがいいので手放さずにいますが、だれか値打ちを認めてくれる人がいれば譲りたいです。

TREK970SHX
写真:2014年にフルリジッド改造後

キャノンデールMTB2016/05/17


キャノンデールMTB
写真:キャノンデールMTB

サンツアーXCプロ マイクロドライブ
写真:駆動系はサンツアーXCプロ マイクロドライブ

[旧HP 自転車とカメラの日々 より]
レイシスのオーダーMTBは軽量でとても美しく、その意味では狙いどおりに造ってもらったのだが、走りに精彩を欠いた。なんかフレームがしなやかすぎて、推進力をロスしている感じ。

というのが表向きの理由で、キャノンデールのフレームを買う決心を固め、パーツを移し替えた。

もう一つの理由として今にして思うのは、当時、私の所属していたクラブがキャノンデールで熱くなっていたこと。鈴鹿ロードのチームロードにキャンデールで揃えて出走したほど。キャノンデールの日本法人が設立され、出来鉄工の「ヨセミテ」ブランド立ち上げに貢献したマイケルTジャクソンがキャノンデールジャパン社立ち上げに際して移籍し、宣教師のように日本のMTB界に影響力を与えるなど、新たな時代のうねりが感じられた。キャノンデールのカタログもマイケルが翻訳していたのかどうか知らないが、奇妙な翻訳調文体や半分意味不明のフレーズがちりばめられていて、手作り感覚にあふれていて楽しいものだった。各レース会場でもマイケルが率先して出走していたし、キャノンデールは大変輝いていた。


ただし、このキャノンデールMTBに私が求めていたものはあくまでシングルトラック用軽量MTBということだったので、最後までサスペンションフォークはインストールせず、リジッドで楽しんだ。フォークは軽量な「ペペロニフォーク」で大変気に入っていたが、キャノンデール社からリコールの知らせがあり、鉄コラムのものに替えられてしまい、残念。体重60kgほどの私ならば、全然問題なかったかもしれない。

ブレーキのワイヤー取り回しもキャノンデールオリジナルの滑車方式のようなもので、MTB発展期の楽しさにあふれている。

その後、MTBの変貌があまりにも激しくなり、私などにはついていけなくなってしまった。ダウンヒル用MTBなど原動機なしオートバイのようになってしまって、まったくお手上げだ。

 数年前から実家に保管し、帰省時の山遊び用にしている。いろいろと思い出のつまった自転車だし、パーツはサンツアーXC PROなので昔を懐かしがって手放さないつもり。

[追記]2015年にヤフーオークションで手放しました。マニアックな方にお譲りできたみたいで良かったです。

HONJO フルオーダーMTB2016/05/17


HONJO フルオーダーMTB
[旧HP 自転車とカメラの日々 より]
上の写真は、このMTBを会社の先輩に譲る際、ステム等を先方の体型に合わせて取り換え、フォークもサスペンションでなくオリジナルの「丹下ビッグフォーク」に戻した状態のもの。

リアルレーシングMTBとして本城さん(注:鳥取市にある工房。近年は競輪選手向けのオーダーフレーム製作に特化)にオーダー。パーツは出たばかりのシマノXTRフルセットでI’S BICYCLEにて組んでもらった。

当時はフレームビルダーもMTBを手がけていた。この自転車は「サイクルスポーツ」のMTB一覧の本城サイクルワークスのページに登場したこともある。

フォークはビッグフォークからリッチーロジックフォーク、新発売の丹下サスペンションフォーク、ロックショックマグ21へと変遷した。

実戦に投与し、数々のレースを走り、プラザ坂下での「ビンゴdeMTB」シリーズや柴田ファームの大会で入賞したりした。今ではクロカンマシンで出走するなど考えられないだろうが、ダウンヒルレースにも出走し、そこそこの成績を収めた。

良く走るマシンだった。

たいへん気に入っていたが、リアルレーサーとしては寿命がつきたので、ポタリング用に余生を送るということで、先輩に譲ったのだ。

転勤にも連れていってもらったようで、先日家族旅行で訪ねたら、シンガポールの超高級コンドミニアムの大理石床材の上に鎮座しており、幸せな余生をおくっているようだった。(注:1990年代の話です)

追記:もしも今も先輩が持っていらっしゃるのなら買い戻したい気持ちです。
RASIS とHONJO
写真:RASIS(左)とHONJO(右)MTB
HONJO MTB
写真:HONJO MTB

レイシス フルオーダーMTB2016/05/17


レイシスMTB
写真:枚方にあったRASISのフルオーダーMTB

RASIS MTB
写真:フィレット仕上げが美しい

レイシスMTB
写真:RASIS フルオーダーMTBのチェーンステー

旧HP:自転車とカメラの日々 より一部修正

ARAYA MTBのチェーンステーが曲がったので、MTB2台目として、「TAKENAKA」(注:当時寺町丸太町にあったショップ。私もTAKENAKAさんの自転車チーム”ホリディサイクルクラブ”に入れてもらいレースを始めた)を通じて枚方のビルダー レイシスにオーダー。

ARAYAは重たかったので、今度のコンセプトは軽量パスハン的MTB。

フレームはプレステージの軽量仕様をフィレット仕上げ。クランクは杉野PX、ギヤはTA、ディレーラーやブレーキなどはサンツアー。

リムはカンパ「CONTAX」でタイヤはミシュランMTB用。

重量的には軽かったが、走りは重かった。変速も山道では無理なトルクがかかったりするので、やはりMTB専用パーツでないとスムーズでなく、後にサンツアーマイクロドライブシステムでXCプロがリファインされた際に、全部取り換えた。

このMTBで思い出深いのは、京都府立ゼミナールハウスで開催された「オールJAPAN ナショナルチャンピオンシップ MTB大会」で年代別クラス入賞したこと。八代正さんがコーディネートし、数年間ゼミナールハウスで開かれた後、兵庫県の柴田ファームに会場が移り、その後は岩岳の大会となって発展している。MTBレースの創生期ならではの話である。

ゼミナールハウスに前泊して一緒に泊まった外国人で、やたら日本語が上手なMTBもオタクのような人がいて、いったい何者かとおもっていたのが、後にキャノンデールJAPANの副社長になったマイケル・トロイ・ジャクソンさんだった。彼は当時、出来サイクルが企画販売していたヨセミテブランドMTBの、一営業マンだった。レース後に風呂に入ったら、彼と二人きりだったので、いろいろと話をした。彼はまだ車も持ってなく、帰りはバス輪行していた。

レイシスMTBのフレーム工作と色合いは私のイメージどおりで、実にほれぼれするほどきれいな自転車に仕上がっていたが、走りが悪いので、フレームをキャノンデールに買い換えることにして、手放した。