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2015鳥取マラソンを走る2015/03/15



鳥取マラソンを走ってきました。半世紀以上生きて、生涯2回目のフルマラソン。
最初が去年の鳥取マラソンで、グロス4時間21分でした。今年はグロス4時間11分(ネット4時間9分)で、まあ、上出来でした。身体のどこか特定のところが痛くなるとかいうこともなく、無事普通に完走できただけでも良しとしなければいけません。

ウチは妻がランナーというか、マラソンやトレランやウルトラやロゲイニングをしている人で、フルマラソンの大会出場を誘われて、断り続けるのもナンだし、まあ出てみるか、というのが去年。去年は3月16日にあって、大会が終わると、それからは全くランニングはしていなかったのでした。

今年の2月になって、テスト前に何も勉強してない生徒があせりはじめる、みたいな状況になり、松尾橋~渡月橋1周(約6km)、同じコース2周+大悲閣(約15km)を走ったあと、妻に稽古をつけてもらって桂川名神まで(約20km)、鳥取マラソンコースの半分くらい試走(約30km)、松尾橋~渡月橋~広沢の池(約15km)と合計80kmちょっと走って、本番に挑んだのでした。

走り終わった感想としては、やれやれ、といった感じで、走り終わるとまあ楽しいです。達成感というより、開放感か。走っている時は、苦しいとも楽しいとも思わず、ゴールの姿や家に帰ってからのビールを思い浮かべて淡々と走っていました。

仏教徒ですが、ゴールはやはり十字を切って、ゴールしたい。1990年、東洋で初めて自転車世界選手権が宇都宮で開催され、観に行ったのですが、その時のアマチュア男子ロードはイタリアのミルコ・ガルディとロベルト・カルーソがワンツーフィニッシュで、十字を切ってゴールし、とても格好良かった。もう、本当に、ものすごく。あれほど感動したゴールシーンはありません。

というわけで、自分も十字を切ってゴールしたいという野望・妄想をずっと持ち続けていたのですが、我々アマチュアの自転車競技ではゴール前に両手離しをやって十字をきったりすると、危険行為として失格になります。

でもランニングの大会ならOK。走りへのモチベーションとなりました。

そもそも、私は子どもの時から自分の肉体に対して自信がなく、自らの肉体的能力の限界に挑戦してみよう、とか思ったことは、一度もありません。「裸一貫」勝負するなんて、大の苦手というか、相撲とか水泳とか、絶対無理です。自転車競技をやっていたけれど、トライアスロンなどは、全く無理。

肉体のぶつかり合いとかも苦手なので、球技なら機材を使うもの、間にネットがあるのがいいですね。卓球とかテニスとか。それならゴルフとか向いていそうで、会社の上司からも新入社員の頃「君はゴルフに向いている」と言われたりしたこともあったのですが、期待を裏切り続けて、全然駄目というか、ランニング大会でいえば、完走できないレベルです。

他人との競争も好きではありません。なのに、自転車競技は20年以上やってきました。
これは、正直申し上げて、機材を購入(買い足す、買い換える)ための口実といっていいでしょう。

ロードレーサーを購入して、やはり実践で使わないと、自分レベルであっても評価できない。PLAN→DO→check→buy というやつですね。buyは勝手に付け加えましたが。

ランニングは安全で、スタート時も自転車競技のような緊張感がなく、ユルユルスタートできるのはいいです。うまく脳内快楽物質をランニングで分泌できるようになれば、ヨガをやっているような感覚(やったことないけど)で4時間くらい過ごせるので、もしかしたらはまるかもしれません。走った後の風呂とビールは格別だし。

定量的な世界よりも定性的なところを遊びでは重視してしまう傾向が、近年、とみに強まったは歳のせいかもしれません。

そんなユルい思いが、今日、フルマラソンを走った感想です。もう寝ます。