丹後半島、細川ガラシャ隠棲地と廃村跡(2019/11) ― 2020/04/26
2020年NHK大河ドラマは明智光秀が主人公の「麒麟が来る」。そこで、光秀の娘であって細川忠興の正室となった細川ガラシャが本能寺の変の後に幽閉されたとされる「味土野」へ行ってみた。細川ガラシャは三浦綾子の小説で有名。
味土野からの復路には、廃村跡が複数あり、巡検的な趣も加わったツーリングとなった。
学生の頃に読んだ丹後半島の廃村に関する論文をネットで検索すると出てきた。ありがたいことだ。
○走行日:2019年11月23日
○使用自転車:KONA ROVE LTD(26×47c)
○峠:大内峠(166m)
○行程:京都=与謝野町阿蘇シーサイドパーク8:15~8:43大内峠9:10~9:28大宮町森本~10:07久住スノーシェルター10:30弥栄町溝谷~11:15丹後町の海岸(立岩)11:28~12:19丹後町平~13:17弥栄町野中~13:41弥栄町来見谷(道を間違えてピストン)~14:14味土野(細川忠興夫人隠棲地碑)~14:51(廃村)吉津~15:04(廃村)畑~15:13弥栄町等楽寺~15:36大宮町延利~15:43(峠)与謝野町境~16:00天橋立~16:18小天橋~16:40デポ地=京都 ・走行91km
写真:大内峠展望台からの天橋立。与謝野晶子も1930年(昭和5年)5月に訪れ歌を詠んでいる。
写真:大宮町森本。学生時代、サークルのフィールド調査で農家を回った思い出の地。
写真:大宮町久住の農家
写真:弥栄町中心部を抜けて、丹後の海へ。「立岩」。
写真:丹後半島の海岸。隆起地形がよくわかる。
写真:丹後半島、経ヶ岬方向を望む。
写真:陸繋島もある
写真:丹後町平(へい)。ここからは、宇川に沿って山間部へ入る
写真:宇川沿いの道は、狭く、寂しい。上流にある集落へは別方向からのトンネル道ができたため、メインルートではなくなっているのだろう。目の前をイノシシが横切って、びっくりした。道沿いには廃村もあった。
写真:坂をずっと上り、「細川忠興夫人隠棲地碑」に到着。弥栄町味土野。
写真:「ふるさと味土野 跡」碑。碑文を読むと昭和38年の豪雪で離村が相次いで廃村になったとある。昭和59年建立。
写真:「ふるさと吉津の跡」碑
写真:舗装はされてないが、走りやすい道であった
写真:「愛郷 畑村の跡」碑
写真:走ってきた道は林道だと思っていたが、そうではなく「日置街道」と呼ばれる歴史ある道だとわかった。
写真:「日置街道 改修碑」昭和5年建立。険路を安達翁が改修しようとしたが日露戦争で頓挫。明治44年に再設計して「畑」「吉津」地区の人たちが農閑期を工事にあて、愛郷の念で努力し、成就した旨が書かれている。
写真:天橋立を走って帰った。
写真:クルマをデポした阿蘇シーサイドパークに到着。夕焼けがきれいだった。
写真:走ったルート(クリックして拡大)
おしまい。
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