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GPSと地形図アプリ~地図ロイドかゲオグラフィカか?フィールドアクセスかスーパー地形か? その22017/04/08

 GPSでログをとったり、地形図(国土基本図)を表示するアプリがいろいろ出そろっている。今回、スマホを買い換えてGPS捕捉精度が格段に向上したこともあり、これまで以上にしっかりスマホアプリを活用しようと思い、比較考察してみた。
対象は下記の4つ。

   アプリ名称        機器     初公開   地図データ保管場所
1)「地図ロイド+山旅ロガー」:Android   :2009/12 :SDカード可
2)「ジオグラフィカ」   :iPhone/Android:2014年  :AndroidはSDカード可
3)「FieldAccess2」    :iPhone/iPad  :2011/1 :SDカード不可
4)「スーパー地形」    :iPhone/iPad  :2016年 :SDカード不可
※「地図ロイド+山旅ロガー」の初公開は「山旅ロガー」のもの。
※「ジオグラフィカ」の初公開はiPhone用。Androidは2015/5。
※「FieldAccess2」はiPhone用「FieldAccess」と「FieldAccessHD」を統合して2015年にリリースされたが、初公開は「FieldAccess」のものとした。

 別に、優劣をつける必要はない。それぞれが特徴をもって、使用意図に合致したアプリを各人が愛用すればよい。どのアプリも、パッケージ販売されていたころのPCソフトと違って、日々、アップデートされて改良されるので、現時点での機能の差異等は、固定的なものではない。

 耐久消費財購入の場合には、しっかり比較考察して1つを選ぶことになるのが普通だが、スマホアプリは高くても1000円程度なので、これはと思ったものがあればインストールして、複数のものを自分で実際に使用して、気に入ったものを選べばよい。

 とはいっても地形図表示ソフトの場合は、オフラインでも使えるようにするには地図データをスマホ内にため込む必要があるので、ストレージの容量を考えると、ある程度比較した上で、どれか1つのソフトをメインに使うことになる。
 どのソフトも、メインに表示する地図データは国土地理院が提供する国土基本図データなので、例えばグーグルマップとヤフー地図の違いのように、地図データそのものが異なるということは無い。
 
 国土地理院提供のデータを、表示したり保存したりするための操作性と機能、安定性について比較することになる。
 
 地図の使用目的や使用方法によって、自分に適したアプリが決まってくるのだと思う。

 私が地図アプリに求めることと使用目的は、

・登山と自転車ツーリングの計画とログを取得~登山は100名山のようなメジャーな山域だけではなく、市販の登山地図等でカバーされない山域も大いに好むので、昭文社の「山と高原地図」や「ヤマップ」のようなガイド色が濃いものは不要。余計な情報が多いと想像力を奪われ、山行が楽しくなくなる。沢やスノーシュー山行に使えるものとなると、必然的に国土地理院発行の地形図(国土基本図)を表示するアプリに絞られる。
・小説や文献に登場する地名を地形図レベルで確認する。水上勉の小説を、若狭の国や下北半島の地形図で確認しながら読むなど、最高!
・地形図そのものが好きなので、特に目的がなくても眺める。

など。

・GPSトラックログ記録中ははスマホ電池の持ちをよくするため、原則「機内モード」にしている。電波の届かないエリアにいることも多いので、オフラインで地図表示が必要。

・オフライン表示のためには地図データをスマホ内に保存する必要がある。
・従って、私にとっての地図アプリの評価基準は、地図データの保存のしやすさが重視される。

ということで、前述の4つのソフトを比較してみた。
私はスマホはAndroidで、iPhoneは今は所有せず、iPad(第5世代)9.7インチ をメインに使っている。
そのため「ゲオグラフィカ」についてはAndroid版でのテストになる。

■地図データキャッシュ(保存)の操作性
地図ロイドは、「地図管理」>「一括読込」というメニューがあり、自分で地図データの保存エリアを設定して、読込、きちんとデータがとれているかの結果も表示される。保存エリアを地図上に枠を表示することができる。保存エリアの枠情報は、外部クラウドサーバーにもバックアップできる。ダウンロードする地図の縮尺も、任意のものを選ぶことができる。私は「レベル15」のみをダウンロードしている。「子画面」といってメインの地図表示の上に、小縮尺の地図が表示できるのは、タブレットと比べて画面の小さいスマホではすごく便利。

ジオグラフィカは「一括キャッシュ」メニューから地図データダウンロードが可能。自分で任意のエリアを指定してダウンロードできるが、指定した縮尺レベル以下の全てがダウンロードされてしまう。複数のエリアをダウンロードした場合(国土地理院の取り決めにより、一度にダウンロードできる容量が決まっているとのことで、どのアプリを使うにしても、複数のエリアに分割してダウンロードすることになる)、地図上でそのエリアを同時表示できない(もしかしたら私がやり方を知らないだけかも)ので、管理がやりにくい。ジオグラフィカは登山に特化した開発方針のように見受けられるので、1回の山行で、人間が歩ける範囲の地図情報をダウンロードできればよい、ということなのかもしれない。地図を表示させるとキャッシュされるので、広範囲でも保存はできるのだが、「近畿と中国地方全域の地形図情報を計画的にダウンロードしておこう」などというニーズは想定外なのかもしれない。

FieldAccessは、「事前キャッシュ」メニューから地図データをダウンロードできるが、「ジオグラフィカ」同様、事前キャシュしたエリアを地図上で表示するやり方が、私にはわからない。それらしい表示コマンドはあるのだが何故か表示されない(iOS10のiPadなので、まだ対応されてないのであろうか?)。スクロールして地図を表示して「地理院地図一時キャッシュ」の容量を「上限なし」に変更してため込むことは他のアプリ同様できる。

スーパー地形は、「地図の一括ダウンロード」メニューをクリックすると、地図上にデフォルトで格子状に区画分割されており、ダウンロードしたいエリアのボタンを押して地図データを保存するようになっている。操作性がよく、明快である。区画は地図ロイドで自分で区画を設定するのに比べて細かいので、かなりの数の区画を順番にひとつづつクリックする必要があるが、気長にやれば、確実に、自分のための電子地図帳ができあがる。しかし、スーパー地形のウリは、国土地理院提供の国土基本図に「スーパー地形」という名称の地形数値データを加えて、地形を立体的に表現することを容易に成し遂げるところにある。従って、ダウンロードするデータは、国土地理院の平面地形データに立体表現用のレイヤーのようなものである「スーパー地形」データなども一括してダウンロードすることになるので、同じエリアの地図情報であってもダウンロードする容量が大きい。必要地図データだけを選択してダウンロードすることはできない。登山等で必要なエリアだけを立体図や見通しなど徹底的に分析するのには極めてすぐれているが、国土基本図の平面地図だけを素早く表示する用途には適していない。

以上のことから、私は、事前にキャッシュした地形図表示用として、
◎Androidスマホでは「地図ロイド」
◎iPadには「Field Access」を、メインに使い、登山等で特定のエリアを詳しく分析したい場合には、「スーパー地形」も使うことにした。

※(追記:2017/9)と、書きましたが、「Field Access」は、アプリのアップデートがほとんどない(それだけ完成度が高いということかも)のに対して、「スーパー地形」は、アップデートが盛んで機能も充実してきており勢いがあるのと、地名検索能力に雲泥の差がある(スーパー地形が優れている)ことから、ipadでメインに使うアプリを「スーパー地形」に変更しました。

◎トラックログ取得について
「地図ロイド」とセットで使うログ取得アプリ「山旅ロガー」が優れている。
異常値を外して記録をとる設計になっているのが便利。他のアプリだと、標高に異常値がでたまま記録されることがそこそこの頻度である。そのためか、「スーパー地形」には地図上の標高に一括変換する機能が付いている。フィールドアクセスには標高補正機能は無い。

◎地図キャッシュデータ保管場所について
アップル製品はマイクロSDカード等の外部記憶媒体をインストールする設計になってないので、内部ストレージだけ。今のiPadには128GBの容量があるので、まあ大丈夫だと思うが、Android機器なら外部メモリカードが使えるので、容量的には安心。

◎画面のデザイン
iPadで使うのに、「フィールドアクセス」のデザインが個人的には好き。機能満載の「スーパー地形」が日本製家電製品的とするなら、「フィールドアクセス」は北欧メーカー風のイメージ。

◎トラック再生時の速度表示について
登山の場合はあまり気にしないが、自転車の場合は、走行トラックを再生する際に、速度が表示されるのが便利。「スーパー地形」は可能だが「フィールドアクセス」には無い。

◎ログの保管場所について
複数の地図表示アプリを使うので、ログデータは全てクラウドの「Dropbox」に保存してそこで整理している。端末アプリではログの整理はしない。都度「Dropbox」から読み込む。
(2017/4/8記載:アプリの機能等は記載時現在)

 GPSかスマホか「その1」に戻る

京都・学区の運動会2016/09/25

私は京都人ではないので、京都に住まいを得て、最初に「学区運動会」に参加したときにはびっくりしました。その気合いの入りように。

今回も、「持てる力の全てを此所に」とプリントしてある揃いのTシャツを着て参加されている町内とか、応援団長のような方がエールを交わしている町内もありました。町内旗というのか独自の豪華な旗を町内のテントに掲げるとか。

全国的にみて、珍しいのか、それとも、あ-、そうそう、ウチのところもそんな感じ、とか前はこんな感じだったけど、今はお年寄りばかりになって出来なくなりました、とか地域の運動会ということについての民俗学的な興味があります。地域的差異とか特徴を地図に落としたら何か発見があるのかも、とか思ってしまいます。研究対象になり得るとしても、開催時期が集中しているので、個人の研究では難しいでしょうけど。

今年はくじびきで町内会長に当たったので、1日中、フルに同席しました。もちろん、準備と後片付けも含めて。
本日、ウチの町内の京都市右京区の嵯峨野学区の運動会が行われたので、その報告をします。

まず、事前に各戸に大会プログラムが配られます。ビジネスとして考えた場合、各戸に配布するには相当なコストがかかるので、新聞折り込みにしようか、とか新聞をとってない家にはどうしよう、などと考えないといけませんが、町内会の行事なので、町内の「組長」が無償で配布するシステムが出来上がっており、支障ありません。

町内運動会プログラム嵯峨野学区
※雨で順延になり9/25開催になりました

引っ越してきた頃、このプログラムをみて、どこにコンテンツがあるのか、わかりませんでした。
嵯峨野学区運動会プログラム
※クリックすると大きくなります。プログラムの中頁。

全部、広告じゃないですか。どこに種目の順番とか参加に必要な情報が掲載されているのでしょう?
と思ってよくよく見ると、新聞でいうとノンブル、頁の一番上のところの、ほとんど広告カットの帯のように見えるところに、プログラム情報があります。

これには、びっくりしました。なるほど、どこかの頁にまとめたら、他の頁は見られなくなる可能性が高いし、そうかといって多くの頁に関心を向けるだけのコンテンツを準備するのは大変。開き直ったというか、実に合理的、最初に考えた人は偉いと思いました。広告効果を期待されているとも思えませんが、広告主ニーズというか面子と利用者の利便性とをうまく合致させています。まあ、無料ですし、許されるのでしょう。もしも、有料発行物だとすると、ちと苦しいでしょう。

嵯峨野学区運動会
小学校の運動会とは別に、「学区民体育祭」として開催されます。

嵯峨野学区運動会入場行進
ちゃんと入場行進もあり、国旗と「体振旗(嵯峨野学区体育振興会)」というのもあり、オリンピックみたいに先頭を進んだ後、ポールに掲揚されます。

その後、開会式があり、来賓挨拶もあります。職業上、宴席の席次とか挨拶の順番とかいろいろ気をつかうことも多かったので、さてさて学区運動会ではどうなっているのだろう?と思って興味深く見ていると、最初の挨拶は、嵯峨野小学校の校長先生でした。休日出勤ご苦労様です。次は、嵯峨野小学校から進学する蜂ヶ岡中学校の校長先生。日曜毎に中学校の通学範囲の学区運動会の挨拶に回られているかと拝察するのに、ご苦労様です。

議員先生とかも多いのかな、と思っていたらお一人だけ。てっきり国政与党の先生かと思っていたら、後で聞くと、共産党の先生ということで、ある意味京都らしいと思いました。議員先生は紹介されるだけで、言葉はなかったのですが、あちこちに頭を下げていらっしゃる姿が印象的でした。

嵯峨野学区運動会
注目していただきたいのは、写真の影の部分。グラウンドの競技スペースに沿って、ピシッと妻入りで学区の各町内のテントが張られています。影は屋根の投影です。今では何とも思いませんし、私自身狭小住宅に住んでいるので何の違和感もありませんが、ピシっとテントを隙間無く立てている景観に、最初は驚きました。テントは「木村テント」に統一されているようで、いわば京町家のテント版とでもいいますか、どの町内も基本的には同じテントなので、地割り等にも手間がかからないと思います。

敷地に余裕があれば、町内毎に好きなテントで好きなように張れるのかもしれませんが、そんな余裕はありません。

太宰治の「津軽」の最後のほうに、育ての女中の「たけ」さんを訪ねて太宰が小泊(集落名)に行ったところ、ちょうど小学校の運動会で、たけさんはテントのようなもの(どうも津軽では各人でパーソナルなテントを張る余裕があるみたい)で運動会を観戦しており、そこで感動的な再会があるのですが、太宰が嵯峨野学区出身なら、ちょっと難しいでしょう。

運動会の花形は、リレーで、「小学生リレー」「男子800m」「(男女)混合700m」とあります。私も30歳代の頃、男子リレーに出走したことがありますが、当時、自転車競技を割とまじめにやっていたのですが、運動会の後、筋肉痛がひどく、阪急梅田から会社まで数日タクシーで通ったことを思い出しました。

老若男女、学区民の注目を浴びて走るのはプレッシャーです。おっさんになれば、「まあそんなこと」という図々しさが身につきますが、児童生徒の出走者にしてみると、シビアです。高校3年の運動会で「もう、こんなプレッシャーからは開放される」というしみじみした喜びをかみしめていた私ですが、運動会独特の音楽と周囲の雰囲気で、自分が出走しなくても見ているだけで緊張してしまいます。
嵯峨野学区運動会リレースタート
写真:リレースタート
写真:混合リレー 最初は10代が走る
写真:混合リレー お母さん(たぶん)も走る

リレーで優勝した町内は、京都市全体で行われる運動会(体育祭)に後日、参加することになります。

運動会の種目には「得点競技」とそうでない競技とあり、得点競技の集計で順位付けされます。

写真:2016嵯峨野学区運動会 順位表

私は、得点競技でない「ラブラブパンツ競争」というのに出走しました。年齢問わずなので、私は55歳になりましたが、同時出走ではたぶん一番若い感じでした。余裕かなっと思っていたのですが隣の方が、出走前に並んでいる時に、入念なストレッチを始めて、アスリートというか只者ではない感じがしました。これは真剣に挑まなくてはと思って、リレーと同じ気持ちでスタートし、全力で走って1位になったのですが、後で町内の方に「ラブラブパンツ競争であんなのを見させてもうたんは初めてや~」といわれ、やはり京都での所作には気をつけないといけないと反省しました。

らぶらぶパンツ競争 商品
写真:ラブラブパンツ競争の賞品

そんなこんなで、無事、学区運動会は終わりました。次に組長が回ってくるのは10年後くらいでしょうから、その時はどうなっているのでしょうか。ちなみに、ウチの町内は、あっさりしているので、学区運動会に参加するのは組長と体振さんから頼まれて出走する関係者くらいです。それでも町内会としては組の数が15あるので、テントは盛況感にあふれています。学区運動会を楽しみにしていて多くの人が参加する、というのでしたら、会場に溢れてしまいますし、ちょうどいい塩梅かも。

地蔵盆2016/08/21

お盆の次の週の土日に「地蔵盆」をする町内が京都では多い。

地蔵盆通行止め
あちこちで「地蔵盆」通行規制がひかれるので、京都市内で住宅地奥深くにクルマで行かれる際には注意されたほうがいい。

私の町内でも以前は、道路を通行止めにして、路上で地蔵盆をしていた(アスファルトの熱でとても暑い!)が、1軒のお屋敷が京都市に物納されて公園になったので、今ではその公園にテントをたてて地蔵盆を実施している。

今年は、くじ引きで町内会長をあててしまったので、今日は朝から準備など。

お地蔵さんをいつもいらっしゃる場所から、公園に移ってもらうのだが、ものすごく重いのにびっくりした。ウチの町内のお地蔵さんは、きわめて小柄なのだが、それでも大人2人がかりで持ち上げるのが精一杯。社殿のような木造りのケース(失礼!)も、重たい。重たい丈夫な木材で造られているのだろう。

 昼のいちばん暑い時間に、お寺さんがこられて子たちにお話しがあった。

お地蔵さんというのは、町内の子たちが間違った道に進まないように、行く手を案内されるミッションに日々励まれているということを、和尚さんのお話で知った。この歳になるまで、そういう基本的なことを知らなかった自分を恥じた。ほかにもありがたいお話しがあった。

ウチの町内は今日1日だけで、行事も割とあっさりしているが、フルに2日間完遂する町内も多数あるようだ。地蔵委員さんをはじめとする町内会役員の献身には頭が下がる。

最近は自転車競技には参戦してないので構わないが、地蔵盆があるので、今年はシマノ鈴鹿も乗鞍ヒルクライムも、出たくても出られなかったのである。

酷暑の時期の炎天下での諸作業は、山登りや自転車乗りよりも、断然疲れるが、数年に一度のことであるし、ポジティブシンキングでいきましょう!

丹波の民家や集落の景観--生活の中の美--2016/06/02

 1981年、大学に入学した夏に自動二輪の免許を取って、京都の北側、丹波の村々をオートバイで走った時の第一印象は、美しい!ということ。なんというか、普通の農村景観が絵になるというか、洗練されていると思いました。

 今は自転車で走り回り、関東や東北や中国地方など様々なルーラルなエリアにも足を伸ばしていますが、丹波の農村景観の美しさへの確信はますます強くなっています。
 想像するに、田舎であっても、京都が近いので、大工や庭師、職人さんの意識の中に、直接的であれ間接的であれ、京都の寺社やお屋敷の仕事経験が生きているのではないでしょうか。若いとき京都で仕事をした人が帰郷しているとか、美しいものを見てきた経験の地域的蓄積が反映している、そんな気がします。
 
 観光地でもなく、ごく普通のムラでも「見られている」意識があるのか、「見られなくても自分の美意識として」家の周りの手入れを怠らないのか、とにかく、他の地方に比べて丹波の村々は、全体的に美しいと思います。

 写真の家は、自動車は通れない旧道の峠を下って最初に出会う場所、ムラの入口からするとドンツキの家ですが、とても綺麗に使っていらっしゃいます。家の表はまるで小料理屋がすぐにでもできそうな庭。農作業のための物置も綺麗に整頓されています。ゴミとか朽ちたものは、まったくありません。

 ここまでの家は、そうそうありませんが、山陰出身の私としては、参りました、という感じです。
 
丹波の民家
丹波の家:2016年4月撮影

丹波の民家の物置
同じ家の農作業用物置

骨折の日々・自転車レースで鎖骨と肩甲骨と肋骨骨折(2000/9)2016/05/31

 所属山岳会で何度も山行をご一緒した方が、春山で滑落、骨折されました。幸い、重篤なことにはならなかったのですが、山に復帰されるには少々時間が必要なようです。
 私も2000年に自転車レースで落車し、骨折しました。その、回復までの記録です。
今、読み返してみると、治療やリハビリに役立つような内容はあまりなく、自転車レースで骨折したけど、やっぱり自分は自転車がとっても好きだ、ということをしつこく言っているみたいなもので、すみません。擦過傷跡は、16年経過した現在もはっきり残っていて、たぶん一生治らないでしょう。長文失礼。(2016/5/31記)

【旧HP:自転車とカメラの日々より】

 鎖骨と肩甲骨と肋骨を2本、合計4カ所骨折しました。左膝4針を2カ所、鼻2針を縫うなどの切り傷と擦過傷も多数です。

 自転車ロードレース中に、下り坂時速70km以上で落車して、左肩から地面に落ちたためです(たぶん--落車前後の記憶がないため)。

 こんなことを書くと、自転車レースは危ないと思う人が増えるかもしれないので心配ですが、こんなに大きな怪我はそうそう起こるものではありません。コースの最高速地点で落車という極めてマレなケースです。

 骨折してからインターネットで骨折関係のHPを読みましたが、お医者さん関係の物は深刻な事例の相談が多く、読んでいて本当に怖くなります。日常生活のちょっとしたタイミングで骨折し、治癒が順調でなく、苦しんでいる人の存在を知りました。

 もちろん、そんなに深刻でない骨折治療記もあります。

面白いと思ったのは、人間の想像力というか行動特性がいかに自分の体験にのみ基づいているかということです。

どういうことかというと、例えば、スキーで鎖骨を折った人は手術して退院後すぐに、自転車を片手運転していたりします。自転車で鎖骨を折った人なら、ある程度治るまでは怖くて自転車に乗らないでしょうが・・・。そういう私も駅の階段とかは骨折以前と同じように歩いています。階段から落ちて骨折した人ならもっと注意深く歩くことでしょうが・・・。

私の場合、骨折にしてはおそらくそうたいしたことないケースだと思いますが、どういう経過をたどってどのくらいで再び自転車に乗れるのか、記録に残してみようと思います。

2000924日(骨折当日)

救急車で三木市民病院に運ばれる。もっと深刻そうな怪我の人は別の病院に運ばれた。私ともう一人で、その人はシニアクラスでは常勝の人。私に原因の多くがあって巻き添えにしたのなら、とても申し訳ない。

 担架で処置室に運ばれ、お医者さんに状況を聞かれた後、キズを消毒。消毒して薬を塗り、ガーゼで押さえて包帯を巻く。切れているところは局部麻酔をかけて縫う。

その後レントゲンを撮る。歩けないのでベットに乗ったまま運ばれる。

 レントゲンをとるために立っていると脳貧血のような感じで倒れそうになる。

結果は、肋骨骨折とのこと。

肋骨骨折と聞いて私は「これは大変だ・・・」とビビッたが、医者はまったく平然として同情してくれるそぶりもない(当たり前か)。

「変な折れ方でないのでそのまま安静にしておけば治ります。治療的には入院の必要もありません(独身だったりして身の回りの世話をしてくれる人がなければ、生活面で入院しないと無理)。明日、(自宅)近くの整形外科医の病院に行って下さい」とのこと。

 途中で他の急患が入ったりしたので、ずいぶんとベットの上で待たされた。待っている間、肋骨付近よりも左肩のほうが痛いので、肩は大丈夫かお医者さんに聞いて欲しいと看護婦さんに頼んだ。お医者さんがレントゲン写真をもう一度みて「ああ、肩甲骨にヒビがはいっていますね」。

 看護婦さんは今晩痛くなるかもしれない、治るまで大変ですね、と同情してくれるので、だんだん不安になってくる。三角巾で左腕を吊って、チームの人に運転してもらう車で自宅に帰る。もらった薬は痛み止めの座薬だけ。

 車の中での2時間弱は、特に痛かったり苦しくもなく、腹が減っていたのでパンやヨーグルトを食べだりしていた。

 自宅に帰るとドット疲れがでた。着ていた服(レーシングウエアのまま)をはさみで切ってもらって脱ぎ、座薬を入れて寝た。階段を上がれそうもなかったので、普段は自転車とカメラと本を詰め込んでいる1階の部屋を使用。我が家は都市部の狭小地に建つ3階建て住宅。2FにLDKとトイレ洗面風呂がある。幸い1Fにもトイレがあるが、今晩はトイレにも歩けそうもない(これは骨折よりもケガのため)ので、小用はバケツにすることにする。

 喉が乾いても水をのみにも行けないので、寝たまま飲めるように自転車用の水筒を利用。これはちょうどよい。

 腹は減っているので、晩ご飯は布団から起きあがって食べられるように、おにぎりとたまご焼きをつくってもらった。

 なにが困るかというと、寝ていて起きあがろうとすると痛みが激しいこと。胴体に力を入れられないので後から支えてもらえないと上半身が起こせない。

 座薬が効いたのか痛みで眠れないということもなく、よく寝た。骨折による発熱でか、汗をすごくいっぱいかいた。


9月25日・月(翌日)

朝起きると少しは歩けそうに成っていたので、がんばってトイレに行く。バケツにせずにすんで良かった。階段も上り、食卓で朝食。会社の人に電話。「これから病院に行ってちゃんとみてもらいますが、とりあえず3日は休みます。どのくらいかかるかは、また連絡します」

 タクシーで妻と一緒に病院へいく。服装はパジャマ。咳き込むと肋骨に激痛が走るので、喉を冷たい空気やたばこの臭いで刺激しないように、タオルを鼻と口にあてる。

 メーター1区間の近くの病院。肋骨2本と鎖骨と肩甲骨が折れているとのこと。レントゲン写真をみるとはっきりと骨が折れているのがわかる。昨日の三木市民病院は何だったのか?落車直後でいろいろな角度からレントゲンがとれなかったのは事実だが、どうしてわからなかったのだろう?レントゲンの装置の違いもあるのか、今日の病院の写真だと解像度も高くコントラストもはっきりしていて、見やすい。

 私は肋骨骨折のほうが深刻だと思っていたが、肋骨はすぐひっつくとのこと。幸いどこも変な折れ方でないので、自然治癒を待てば良く、胴体にバンド(はらまきのようなものでマジックテープでとめるだけ)を巻き、三角巾で左手を吊るし、その上から左腕が動かないようにバンド(胴体にまくのと同じものの長さ違い)装着。ケガの処置のため、毎日通うことになる。痛み止めと化膿止めの抗生剤と胃のダメージ(薬による)を緩和するための胃薬を1週間服用。骨折のほうは1週間に1回レントゲンをとり、経過を観察することになる。

 仕事関係は携帯電話で連絡をとり、欠席中の段取りをお願いする。入院していたら携帯電話が使えないので大変だが、自宅療養だと助かる。

 妻が介護用の前開きでマジックテープで留める下着(シャツ)を買ってきてくれた。


9月26日・火(3日目)

病院には一人で行く。往復ともタクシー。医者と話しをし、競輪選手でもこんな(3カ所も)折れ方は少なく、よっぽどスピードがでていたんだろうとのこと。でも1カ所が変な折れ方をするよりもかえってよかったかもしれない、応力を分散して受けとめたのかもしれない、と私は前向きに解釈する。

病院に行くと疲れるので、昼食(妻が作ってくれた弁当)後は昼寝。

1階で寝るのは止めて、普段と同じ3階で寝ることにする。


9月27日・水(4日目)

寝起きするときや咳き込んだ時の痛みはきついが、普通に座っている限りだと、特に痛みは感じずにすむ。但しまともに歩けないので職場に行くのは無理。骨折翌日などは一種の興奮状態で2,3日も休めば会社に行けるかのように思っていたが、冷静になってくると、そんな状態ではないことがわかる。だいいち、メガネもかけられないのだ(鼻の傷をおおうガーゼのため)。


9月28日・木(5日目)

包帯をしている箇所は日に日に減少。右手の包帯がとれたので手が洗えるようになってずいぶんと気分が違う。


9月29日・金(6日目)

会社に診断書を出さないといけないので、書いてもらう。休業の期間は仕事の内容などによって大きく変わる。荷物を運んだり、左手に負荷のかかる仕事なら、2ヶ月は休まないといけないくらい。私の場合は、3週間の休業を要す、と書いてもらった。それよりも早く出勤できるとおもうが、診断書の日数よりも伸ばすわけにはいかないので、大事をとった。

このころから脚の傷の手当がめちゃくちゃ痛くなってきた。ケガした直後よりも少し快復してきたほうが痛くなるらしい。ガーゼを剥がすときに激痛(それでも普通のガーゼでなくケガ用のくっつきにくいガーゼだそうだが)が走り、その後イソジンで消毒するときがまた痛い。

治療の後は痛みで膝を伸ばせないので、おじいさんのような姿(膝と腰をまげた格好)でよたよたと歩くことになる。


9月30日・土(7日目)

脚の手当時はとんでもなく痛いので看護婦さんなどに脚を押さえてもらうくらい。

三角巾で吊った左手はじっとしていたら痛くないが、試しに新聞を手にとろうとしたら、それだけの重さでも痛んで持てそうもない。


10月1日・日(8日目)

暑くもなく寒くもない気候の時で良かった。妻に体を拭いてもらう。「清拭(せいしき)」といってバケツを2個用意し、石鹸をつけるのと拭き取り用を分ける。この日以降定期的に清拭をしてもらう。


10月2日・月(9日目)

レントゲンをとる。まだ1週間なので骨が骨折時以上にズレてないのか確認するのが目的。異常はなかった。骨折時の血が体内にたまっていないかどうかCTも撮る。ごく少量なので処置の必要なし。


10月3日・火(10日目)

療養生活が普通に感じられるようになってくる。職場復帰のことも考えないといけない。鼻のキズ抜糸。メガネをかけられるようになり、楽になり、気分も変わる。


10月4日・水(11日目)

昨日までは病院へはタクシーで往復し、パジャマ姿(ジャージを羽織ったりもするが)だったが、胸の擦り傷の手当もしなくてよいようになったので、今日からポロシャツで病院に行く。帰りは歩くことにした。とてもゆっくりでないと歩けない。

途中でメガネを注文。落車時にメガネは行方不明になり、昔かけていたメガネを使用していたが、職場復帰のためにはちゃんとしたメガネが必要なため。

久しぶりに歩いたので夜、布団に入ると太ももが熱をもってだるかった。自転車の練習会でアップダウンのあるコースを100km以上走った時と同じような感触。10日歩かなかっただけで人間の脚は衰える。


10月5日・木(12日目)

今日から病院まで往復歩く。通常だと12分くらいの距離。歩いていると保育園のお母さんに会ったりして恥ずかしい。脚の傷の抜糸。抜糸自体はそんなに痛くなかった。


10月6日・金(13日目)

明日から体育の日の関係で3連休。連休明けのレントゲンで異常がなければ、翌11日から出勤すると職場に連絡。案外あっというまに時間が経った感じ。キズ治療のガーゼ交換時はまだ激痛。


10月7日・土(14日目)

休みはあと3日、その間にどこまで回復するのか。ケガして以来、夜は10時前には寝、お酒も飲まず。睡眠時間9時間以上をキープ。体力が落ちているので心配だ。


10月8日・日(15日目)

ケガをしているので3連休も関係ない。連休を楽しみにする生活に早く戻りたいと思うが、療養生活に慣れてきている自分にちょっと危機感。


10月9日・(祝)(16日目)

妻がマラソン大会に出かけた。運動できない体であることがわかっているので、うらやましいとも何とも思わない。


1010日・火(17日目)

病院でレントゲン。まだ新しい骨がついている等の確認ができる時期ではないが、経過は順調とのこと。明日から出勤することを告げ、キズの手入れは会社の診療所で続けることにし、紹介状を書いてもらう。骨のほうは1週間に1回病院にいき、レントゲンを撮ることとなる。少々咳をしても肋骨の痛みはたいしたことない。明日から出勤なので、入念に清拭をしてもらう。


1011日・水(18日目)

出勤。11日有給休暇を使ったことになる。休日も含めると18連休。

通勤は自宅から最寄り駅まで徒歩5分。そこから電車に13分ほど乗り、乗り換えてさらに電車で40分で大阪梅田。そこから会社まで徒歩だと23分ほどで、片道約1時間30分の道のりである。梅田から会社まではタクシーを使う。

 仕事は基本的には自分のペースで出来、電話とパソコン操作ができればOKなので、骨折の身には恵まれた職種。

出勤してみると早速クライアントから顔をだすようにとのことなので、トレーニングがてら15分ほどの距離を往復すると、肩が痛かった。歩くと振動でか痛みが出る。イスに座っているぶんには痛くないのだが。

 ケガの手入れ(消毒と薬の塗布)は会社の診療所でする。患者数が少ないわりに看護婦さん等のスタッフ数も多く、コスト的にも余裕があるからか、一般の病院よりも処置が丁寧で助かる。

 帰路は梅田まで歩いた。やはり肩が痛い。仕事も少し早めに切り上げさせてもらった。疲れたので子供と一緒に夜は9時半に寝る。職場の理解もあり、今週は少し早めに退社し、身体を慣らすことにする。

 会社の診療所には金曜日まで通い、後は自宅で薬を塗ったりして処置することにした。


1015日・日(3週間経過)

ケガ後、ようやく風呂に入る。風呂に入れるようになると気分もだいぶ変わり、通常の生活に半分はもどった感じがする。


1017日・火(3週間と2日)

病院に行く。レントゲンで肩甲骨の新しい骨がみえてきたとのこと。鎖骨はまだ。肋骨はレントゲンもとらず。大丈夫だとのこと。胸に巻くベルトは外す。三角巾と外側のベルトだけ。寝るときは念のため胸ベルトもする。


1021日・土(3週間と6日)

三角巾を外して腕を伸ばしたほうが気持ちよいので一日中三角巾をはずしてみる。これまでは帰宅後、食事時に外すことをしてみるくらいだった。特に異常は感じられないので明日のこどもの保育園運動会も三角巾なしでいくことを決意。

運動会に備えてカメラの準備をするが、左手が上にあがらないのとカメラの重さに耐えられないので、カメラをホールドすることができない。一脚と三脚を利用する予定。


1022日・日(4週間)

子どもの保育園運動会。この日までになんとか治そうと思ってきた。カメラはニコンF5+80-200/2.8を三脚固定で使用。F10028-105/3.5-4.5は一脚。手持ち用に軽量なPENTAXMZ-328-70/4。左手はあまり使えないのに懲りずに3台体勢。左手でホールドしてピントをマニュアルで合わせることができないので、全てAF機。特に肩が痛むことなく、楽しく過ごせた。


1023日・月(4週間と1日)

今週から通勤時にタクシーを使うのは止め、三角巾も外して出勤。外見上は普通なので、他人とぶつかったり転倒しないように注意。


1024日・火(4週間と2日)

病院に行く。三角巾を勝手に外したのでお医者さんにムッとされたが、無理をしないようにとのこと。

レントゲンで鎖骨はまだ骨が付いた確認はできないが、順調な経過とのこと。

三角巾を外しても左腕はほとんど動かない。筋肉が落ちて自分の腕の重ささえ支えられないのと関節も動かなくなり、無理に動かすと痛いため。

筋肉が元に戻るには固定していた期間の3倍かかるとお医者さんにいわれる。

だらんと左手を下に下げ、重力だけで動かすというリハビリを開始するようにいわれる。通勤時に歩いたり、しばらく立っていたりすると左肩が痛む症状はまだ続いている。


10月29日・日(5週間)

三角巾ははずしたが左手をつかうことはなく、生活は右手ですませている。肩の関節のゴリゴリ感がある。


1031日・火(5週間と2日)

病院にいく。鎖骨の骨も微妙だが確認できた。積極的に腕を動かすようにとのこと。


11月3日・祝(5週間と5日)

怪我後はじめて車を運転する。左手が自力で上がらないのでハンドルに手を添えるのに右手で上に上げる。実質的には右手の片手運転。


11月4日・土(5週間と6日)

朝起きると腕がムズムズして動かしたいかんじ。動かしても痛みも少なく昨日よりもずいぶんと動くようになる。


115日・日(6週間)

妻とランニングシューズを買いに行く。北野白梅町から烏丸今出川まで30分以上歩いた。肩が痛くなるかと心配したが、許容範囲だった。帰宅後、30分ほど超スロージョギングをする。妻が伴走。走り終わってとても気持ちよかった。運動の幸せを実感。もちろん、転けたりするとおしまいというか大変な状況になる(また簡単に骨折する)と医者にいわれているので、緊張感がある。


11月6日・月(6週間と1日)

東京出張。腕がムズムズするので新幹線の中で左手を曲げ伸ばしする。朝早く家を出、帰宅は夜の11時頃だったが、肩は傷まなかった。帰りの新幹線でケガ後はじめて缶ビールを1本飲む。


11月7日・火(6週間と2日)

病院に行く。レントゲンの結果、非常に順調に回復してきているとのこと。肩甲骨は新しい骨でまるくなっている。同じ病院のリハビリコーナーに通う指示が出される。理学療法士やマッサージ士のようなスタッフの人がいる。マッサージが上手で気持ちよかった。

やはり筋肉が落ちているといわれた。2週間動かさなかったら筋肉は脂肪に変わるとのこと。肩関節の可動域が少なくなっているのをもとに戻すには2ヶ月くらいはかかるのではないかということで、そんなにかかるのかと少しガッカリ。


11月8日・水(6週間と3日)

今日もリハビリに行く。会社の帰りで夜なので、お年寄りは少ない。男のマッサージ士のような人だったが、あれこれケガの原因や仕事の内容などを聞いた上、いちばん言って欲しくないことをいうので頭にきた。「もしも・・・だったら、・・・・だったな」みたいなこと。パラリンピックなど見たくもない。


11月9日・木(6週間と4日)

朝、布団の中で目覚めると肩のあたりがこわばって痛い感じ。今日にかぎったことではなく、寝る姿勢を変えると痛くなくなる。あまり寝返りをうてないので、血行が悪くなっての痛みのような気がする。


11月11日・土(6週間と6日)

昨夜風呂上がりにリハビリを一層懸命したら、なんだか肩が痛い。やりすぎの心配はないと聞いているが、あせらずにおこう。

午後妻と50分ほどジョギング。松尾橋から桂川沿いに渡月橋を通る周回コース。嵐山は紅葉はまだ全然だめだが、観光客は多かった。道路は渋滞。ジョグも楽しい。

ヤフーのオークションでMTBを1台売ることにし、梱包用の箱をもらいに車で行く。先週は運転するのがやっとだったが、今日はハンドルまでは十分左手も上がり、ケガしたことをさほど意識せずに運転できた。この件に関してはこの1週間の回復が著しい。

1台自転車を売るということは、1台新しい自転車を買うということを意味する。あれこれわくわく構想を練るのは楽しい。最近は物欲はカメラにシフトしていたので、久しぶりの感覚。


11月12日・日(7週間)

ジョグを1時間20分ほど。先週走り始めたときは左手はほとんど振れなかったが、だいぶ振れるようになった。少しずつ左の筋肉もつきつつあるのだろう。調子に乗ってすこし走りすぎたかもしれない。

 心肺機能のほうをジョグで回復させ、もう少ししたら固定ローラーで自転車に乗り、たぶん12月下旬か年明けになると思う自転車の路上走行に備えたい。たとえば御経坂峠(国道162号線にある京都市内と高雄とのあいだの小さな峠)も満足に登れなくなった自分には会いたくない。公道を乗るときは脚力も心肺機能もそこそこ回復させておかないと危険だし、情けない。

 風呂上がりにリハビリをする。肩はだいぶ動くようになったが、仰向けに寝て肘を立て、手の甲を布団につける方向に曲げるのが全然できない。


11月13日・月(7週間と1日)

病院に行き、リハビリ。先週よりはだいぶ動くようになったと思う。マッサージしてもらうと肩がとても軽くなった感じで気持ちいい。昨日のジョギングで脚の筋肉が痛い。


11月14日・火(7週間と2日)

トレーニングも兼ねて、左手で少し重いカバンをもったりする。昨日のリハビリの成果か、今までは痛かった方向にも動かしたくなってムズムズする感じなので、数多く動かす。


11月15日・水(7週間と3日)

昨日自分でリハビリをたくさんやったからか、なんだか肩の内部が痛い。使いすぎによる痛みの感じ。


11月18日・土(7週間と6日)

朝、近所のコンビニまで牛乳を買いに買い物用自転車に乗る。ケガ後始めて。なんともなかったので、拍子抜けした。

ヤフーオークションで譲ることになったMTBミヤタBP2の清掃・整備・部品交換。なんと5時間以上かかった。左手のことはほとんど意識することなかった。作業でけっこう腕を使ったので、良いリハビリになった。自分の好きなことをしていると、時間とケガのことを忘れるものだと実感。だいぶ回復した証左か。整備の関係でMTBにまたがり、数メートル走る。左腕に体重をかけると、力が入らないが、大丈夫だった。そろそろローラー台トレーニングを始めないといけない。もちろん、固定ローラー。


11月19日・日(8週間)

子どもの七五三。これだけカメラとレンズをたくさん持っていても、写真館に行って写真をとってもらう。

夕方にジョギング50分。先週よりも楽な気がした。

ジョギングコースの桂川沿いの道路は紅葉観光の車で松尾橋から嵐山まで両側とも数珠つなぎ。

晩ご飯は七五三のお祝いで中華レストランにいく。紹興酒とビールを飲む。ケガ後外食してお酒を飲むのは初めて。


11月21日・火(8週間と2日)

病院で診察、レントゲン。とても順調な経過といわれ、次は3週間後に経過観察となる。骨の回復具合について質問すると、肩甲骨の強さは70%くらい、鎖骨は難しい質問だがだいたい半分くらいか、とのこと。肋骨についは、とりたててどうこういう必要はないみたい。

リハビリの後、関節の可動域を測定する専門の人に診てもらう。

骨折の部位を確認しただけで、肩のねじりができないでしょう、といわれ、そのとおりだったのでさすがプロだと思った。

握力も測り、右は41.4kg、骨折した左手は34kgくらいだった。

リハビリ師に関節可動域の「道をつけて」もらい、自分で筋力もつけながら少し広がった可動域(=道)をしっかりしたものにしていく作業。本人の努力が半分以上だといわれる。

日常生活では何をしてもいいとのこと。「日常生活でないことは例えばどんなことですか」と聞くと「ボクシングとかボールを力一杯投げること、衝撃の加わること」

自転車に乗ること自体は問題ないが、やはりこけると危ない。私は練習中や一般公道走行中にこけたことは10年以上にわたって一度もないが、まだ自重しようと思う。

リハビリに時間がかかり、たとえば2ヶ月かかるとしても、2ヶ月後まで現在の状況が続いているわけではなく、日々可動域が僅かずつでも広がっていき、結果として通常に戻るのが2ヶ月後なのだと考えれば、希望がわいてくる。

病院を出て会社に向かう途中でポラールの心拍計を購入。これまでも何台か心拍計は使ってきたが、今回はランニング用にシンプルなもの。リハビリにジョギングをするのは楽しいが、さすがに大分回復してくると、走れるだけで感激していた当初とは違って、どうしても自転車と比べて退屈だと思ってしまう。心拍計で記録をとったりしてランニングを楽しもうという目的。

会社で装着してみると席にじっと座っていて60前後、ちょっと仕事をして70くらい、通勤で歩いて80ちょっと。ケガ前とくらべて心拍数があがっているのかどうかわからないが、これからの変化をみたい。

自転車に気合いをいれて乗っていた頃の起床時安静心拍は確か45以下だったと思う。


11月23日・祝(8週間と4日)

朝、布団の中で左肩がこわばり、少し痛いのは続いている。少し前まではこわばりと痛みで明け方目が覚めていた(寝る向きを変えて横向きに寝ると治る。仰向けで寝ると痛い)のに比べるとましだが、この痛みがなくならないと治ったとはいえないだろう。

オムロンの体脂肪計で測定。以前は体脂肪率15%前後だったが、19%になっている。

ケガ後、体重も1kgほど増えた。私はやせ形なので、体重は5kgくらい増えてもちょうどいいくらいなのだが、脂肪で増えるのはまずい。「やせデブ」になってしまう。

まあ、ジョギングを続けて自転車にも乗れるようになれば、大丈夫だろう。午後1時間18分ジョギング。嵐山~上野橋。心拍140前後で走る。

 その後、自転車(買い物用)で御室の自転車店まで行く。心拍計で計測すると片道1244秒。平均心拍133。御室までは途中から上り坂になるが、予想よりも楽に登れた。近所への買い物以外ではケガ後はじめての乗車。ずいぶんと平常の生活にもどった。


11月24日・金(8週間と5日)2ヶ月

2ヶ月が経過した。

日常生活では特に不便はない。布団の上げ下ろしも食器を洗うのも、棚に仕舞うのも、掃除も問題ない。洗濯物を高いところに干すのは少し不便。自動車の運転も問題ない。服の脱ぎ着も、まあ通常にできる。左手が真上に上がらないので、少し不便を感じるが。

風呂に入って身体を洗ったり、シャンプーする時も、左肩や左手は痛くない。

仕事は事務・営業職なので、全然問題ない。パソコンも両手で通常に打てる。仕事関連でいえば、ゴルフはできない。左手がねじれないので、フィニッシュで手を折りたためないのと、衝撃がよくないからだ。プロゴルファーの人やゴルフが仕事のような民間放送局の支社長、なんて人だったらまだまだ大変だ。

 左手はかなり上まであがるようになったが、鏡をみて確認すると、きちんと肘をのばして手のひらを上にむけて真横から上方向に上げるポジションでは水平より45度くらい上にしかならない。日常生活では肘を曲げたり、真横方向でなく斜め前方向にあげたりするので、結構上に上がるような感じになるが、実際の可動域はそれなりしかない。

 運動関係では、ランニングの腕振りは、まだまだ違和感がある。筋力が回復してないので、腕が重い上に振るとほんの少しだが痛みもある。

 脚の傷跡はまだ盛り上がっていたりするところもあり、時々痒くなることもある。傷がだいたい乾いて風呂に入れるようになるのに3週間、その後1週間は毎日風呂上がり等に薬とガーゼ交換をおこない、念のために傷口を保護するために包帯も巻いた。つまり1ヶ月でメンテナンスは必要なくなったが、その後も何度も皮膚が入れ替わって、傷跡が少しずつ目立たなくなったり、普通に近づいている様子。そうはいっても傷跡はまだまだ目立つので、「美脚モデル」の人だったりすると、仕事はできない。

 全治2ヶ月(本人の意識としてはまだ完全に治っていないので、全然「全治」ではないが)、後はリハビリの領域か。


11月25日・土(8週間と6日)

イベント立ち会いで出勤だったが、会場が京都市内で時間に余裕があったので、出勤前にジョギング。1時間8分。心拍140150で走る。桂川、五条の西大橋まで往復。

帰宅後、ローラー台1時間。自転車でジョギングと同じ体感負荷だと心拍120くらい。ギヤは前5221でケイデンスは80前後。2ヶ月間乗っていなかったせいか、無意識に踏んでいるとケイデンス90にならない。もっとも固定ローラーの負荷調整つまみを軽くすればいいだけの話かもしれないが・・・。

左腕の筋力が衰えているので、ブラケットを握って肘を直角に曲げるポジションがとれない。自転車のポジションに馴れることが大切なので、とにかく時間をかけるしかない。

心拍120くらいでも、風をうけないからか汗がものすごく出た。体中の血行がよくなったので、骨の再生にもよく、肩が暖まってリハビリにも好都合。

数年前の鈴鹿ロードのバーゲンで買ったカルナックのレーサーシューズ(キャプーチが履いていて一世を風靡したもの)をおろす。クリートの調整も兼ねてローラーに乗ったがフィット感も良かった。

七五三でもらった御神酒(月桂冠のカップ酒!)を晩酌で飲む。ケガ後初めての日本酒で、とても美味しく、なめるようにして飲んだ。


11月26日・日(9週間)

保育園のバザー。終わってからジョギング1時間30分(実走時間)。平均心拍130前後。3日前に福知山マラソンを走った妻が自転車で伴走。途中ユニクロで買い物。桂離宮のところで折り返し、嵐山から自宅へ。腕の振りは少しずつ馴れてきているが、これといった変化はなし。


11月27日・月(9週間と1日)

起床前の肩の痛みは続いている。仰向けに寝ると肩甲骨が下がる関係とのこと。起きると痛みは無くなる。

職場の暖房がきついせいもあってか肩が暖まり、肩の内部がムズムズする。仕事中もさりげなくリハビリを続ける。左手を背中から後にまわして右肩方向に手の甲をもっていくかっこうで椅子に座るなど。なんだかとても関節を動かしたい気分なので、少し早めに仕事を切り上げ、病院でリハビリ。

病院からの帰宅中、左手を大きく振って歩いたら、肩の関節内部でいままで癒着していたような感じの部分がプチッと分離し、次に関節のゴリゴリ感が伝わり、少しの痛みとともに可動域が拡大した気分。明るい気持ちになる。

ケガとは関係ないが、結婚した頃に入った生命保険の更新時が近いので、あれこれ考えた末、ソニー生命に乗り換えることにした。先日申し込んだが、骨折して治療中であることを申告したところ、審査の結果「今回の骨折に起因する入院があっても向こう2年間は保険金を支払わないことを担保とする」という条件で帰ってきた。もっともな話だが、なんともいえない気分。


11月28日・火(9週間と2日)

昨日リハビリでたくさん動かしたので、今日は動かしたくない気分。


11月29日・水(9週間と3日)

実は、その前から左手の親指付け根のあたりが突き指のような痛みで違和感があったが、今朝は服のボタンを留めるのにも痛いくらいになってしまったので、会社のビルの整形外科医に行く。薬を飲めば痛みはひく、大丈夫、痛いところを揉んだりしないように、指をひろげて力をいれないように、とのこと。

原因を考えてみるのに、土曜日にローラー台に乗ったとき、左腕の筋力が衰えているために、上半身の体重がモロに手のひらに伝わり、ハンドルと接するところが圧迫されてなったのではないかと思う。

会社の帰りに病院にリハビリに行く。

ずいぶんと動くようになって、腕を上に上げることについては、肘を伸ばしても耳につくようになったので、普通の人ともう変わらないと言われた。ただ、ねじりはまだ少ししかできない。例えば、左手で右肩を持ち、肘を地面水平の位置にして肘をグッと胴体に近づけるのができない。上腕の骨内部が痛い感じ。これは上腕の筋が縮こまっているための痛みとのこと。

帰宅後、試しに腕立て伏せを試みてみたら、信じられないことに出来た。但し右手で70%の力を使っている感じ。左手はただ支えているのに精一杯で動きは右手だけでコントロール。調子にのってたくさんすると良くなさそうなので、2回で止めた。


12月2日・土(9週間と6日)

夕暮れ時にジョグ、1時間45分。平均心拍132。桂川サイクリングロードを桂離宮手前で引き返し、嵐山、渡月橋を回って帰る。

空の色がだんだん濃くなって愛宕山から比叡山までのシルエットが夜空に沈み、空の三日月が輝きを増す風景の中で、ランニングの楽しさをしみじみと感じ入る。

自転車だとトワイライトゾーンは一番交通事故の発生率が高い危険な時間なので、それまでに帰宅するようにしているし、どうしても走らないといけないときは、ライトを点灯して周囲への警戒で気を使うので、夕暮れを楽しむ余裕はない。ランニングだとスピードも遅く、ゆったりと楽しめる。

ランニングにも身体が馴れてきたのか、楽に走れた。腕の動きは上にはもうほとんど通常どおり上がる。

ただ、仰向けに寝て、腕を頭の後で組み(腕まくらのような格好)肘をカーペットの上につけるのが出来ない。地面から45度くらいしかいかない。仰向けに寝て肘を地面に付け、手の甲を地面につける動きもまだ出来ない。まあ、そのうち曲がるようになるだろう。


12月3日・日(10週間)

朝は雨だったがあがったのでジョグ。2時間、平均心拍142。久世橋まで往復。昨日夕方に走った後だからか、走り始めは心拍が高い。往復イーブンペースで帰りのほうが身体が軽くなって、ランニングに馴れてきた感じ。

風呂に入って昼食をとり、午後はMTBで御室経由、京都御所の近くの自転車ショップまで行く。MTBでの走行はケガ後初めて。

MTBのスピード感に驚く。ブロックタイヤなのに、ランニングのペースと比べて矢のような速さだ。脚にショックがなく、クルクルと脚を回すと、ランニングと同じような心拍への負荷だと恐ろしいほどのスピードが出る。目に飛び込む情報量と判断すべき事柄が多い。

ランニングはサイクリングロードを走るというせいもあって自動車が来ないので「ボー」と走れるのだが、さすがに公道の自転車走行は違う。

以前はMTBだとずいぶんと遅く感じられたものだったが、2ヶ月自転車に乗らないと、感覚がこんなになってしまっている。でも、それは喜びでもある。滑るように走る自転車の魅力!

ロードレーサーだとランニングとギャップが大きすぎる。しばらくMTBに乗って馴れてからレーサーに乗ろうと思う。ちょうど冬であるし・・・。

とはいえ、MTBライディングには問題はなかった。息が上がったりもしない。精神的に、交通安全には今まで以上に気を使う。

先日、レース用のヘルメットを買い換えた(ケガの際には頭部は打ってないのでヘルメットは無事だったが、一度大落車にあったものは使う気持ちがしない)が、チョイ乗り用のヘルメット(レース用ほどかぶりが深くない)もあった方が便利なのと、行きにヘルメット無しでMTBで走ったらなんだか頭がスカスカして気持ち悪いのと少し恐いので、御所の近くの店でヘルメットを買って、かぶって帰る。

この季節に京都御所を走ると、素晴らしい色づきの銀杏と紅葉をあちこちで発見する。御所の砂利でMTBのブロックパターンのタイヤが掃除されるので、久々の乗車にはぴったりだった。


12月4日・月(10週間と1日)

東京出張。5時40分起床。起きたときの肩のこわばりは、ほとんど無くなった。寝入りばなに左肩を下にしたポジションをとると、違和感がある。擦過傷のところには未だにかさぶたが残っているのだから、骨折したところに体重がかかって微少な痛みと違和感があるのは、当たり前か。

先月の出張では、新幹線の中で腕を動かしていたが、1ヶ月経つと、ケガのことを意識することはない。

いつもより早めに仕事が終わったので、会社からブラブラと銀座を歩く。カメラ屋によったり、山野楽器でCDを買ったりして、有楽町の駅まで。

ランニングを始めると、「ランナー的生活」とでもいうのか、歩くことが苦にならなくなる。

大丸で弁当を買い、新幹線で月桂冠のカップ酒を飲みながら食べる。時間があれば、大丸で「玉の光」のカップ酒を買うところだが、月桂冠もなかなか良い。カップ酒も飲みやすくてバカにはできないのだ。


12月5日・火(10週間と2日)

会社の帰りにリハビリ。今までのようにムズムズしているところを動かすという感じはなく、関節の感覚もほとんど通常。この1週間ですっかり気分は平常に戻った感じ。後は「日にち薬」か。

家に帰ってからホットカーペットに仰向けに寝て、リハビリに励む。右手と比べて不完全な動きがどこなのかを確かめながら動かす。

来週の火曜日が診察・レントゲンの日なので、そのときに「完治」として区切りをつけたい。


12月9日・土(10週間と6日)

スペシャライズドのMTB「ロックホッパー」納車。フルリジッドのクロモリ(リッチーナイタリアム)でツーリスト的な原点に戻るための自転車。価格だけみるとメーカー価格99000円で一見普及品だが、なかなかマニアックに改造できる素地をもつ。フレームとステムとシートピラーを除いてパーツは総入れ替え。フレーム単体売りをしてくれれば、断然安くついているが、仕方がない。ヘッドはクリスキング、前後ディレイラーXTR、グリップシフト、クランクはスぺシャライズドストロングアーム2、BBやチェーンはXT、などなど。詳細は後日HPにアップ予定。フルリジッドでゆっくり無理せずシングルトラックやダブルトラックを走りたい。

 妻と一緒にジョグ1時間半。桂大橋周回。平均心拍122。快晴の一日だった。


12月10日・日(11週間)

「お父さんのケガが治ったらどこかボクの好きなところに連れて行って」とケガ後3日目くらいから息子が言っていたこともあって、みんなで温泉に行くことにした。ちょうど朝から雨で、道路も空いている。

 自宅を12時頃にでて、約1時間で越畑の蕎麦「まつばら」へ着く。嵯峨野の奥から水尾の里を通る愛宕山麓の道で、自転車だと何十回も走っているが、自動車だと初めて。自転車だと素晴らしい道だが、自動車だと離合困難なところもたくさんあり、全然快適でない。

蕎麦は絶品。野菜の天ぷらも最高。いづれHP上でも紹介したい。長野県の蕎麦を食べ回った蕎麦フリークの人もここの蕎麦を絶賛している。ウルグアイラウンド関連の助成金でつくった「ムラ起こし」の施設だが、人材に恵まれ素晴らしい出来になっている。

 その後日吉ダムの施設に行き、温水プールに入る。レジャープールではなく25mコースのスポーツクラブ的施設。コースでちゃんと泳ぐのは中学以来(私の通っていた高校は城跡にあり、文化庁の許可が出ないとかでプールが建設できなかった)だったが、100m連続で泳げた。25mも数本泳ぎ、「水中歩行コース」で800mくらいは歩いたので、けっこう運動になった。泳ぎは肩のリハビリにも効果的。

 泳ぎの後は隣接する温泉でのんびりし、晩ご飯も食べて帰った。妻子とも大満足。日吉ダムは自転車練習コースで何度も通過したことはあるが、施設を利用したのは初めて。また行きたい。今度は自転車やランニングの後で温泉に入りたい。


12月12日・火(11週間と2日)

診察・レントゲン。「とても順調な回復。集中して骨折した割にはよく動く。まだ3ヶ月弱なのに」とのこと。レントゲンでは、骨折したところは黒い筋となって写るのだが、骨がつくにつれて白くなり、完全に治れば真っ白で他と見分けがつかなくなる。鎖骨はまだ骨折した箇所が画像上でもわかるが、強度はだいぶあるとのこと。肋骨は白くなってもう見分けがつかないくらい。肩甲骨のところはレントゲンで撮影してないのでわからない(その必要もなかったということ)。

腕の動きはまだ固いので、しばらくリハビリには通うようにとの指示。次回の診察は1ヶ月後となった。

 「完治」とはいえないが、職場には「快気祝い」的に京銘菓「阿闍梨餅」を配ることにする。病院から会社に向かう途中、梅田の阪急百貨店で80個購入。


12月13日・水(11週間と3日)

保険金の請求書を記入。大会事務局が加入していたもの、これが通院1日につき2000円。会社の団体扱い積み立て傷害保険が通院1日当たり750円。他に自転車のクラブで加入しているもの(金額はわからない)があり、合計3契約。合計で29日間通院したことになる。ざっと3契約合計の保険金が10万円弱か。

 病院への支払い金額を計算すると、40,942円(健保組合本人負担2割)。他に会社の診療所分があるが給与天引きなので判らない。タクシー代、「快気祝い」的阿闍梨餅代等合計で3万円もあれば足りるだろうから支出合計はだいたい7万円くらいか。

 会社を休んだが、諸手当等の支給基準となる1ヶ月の最低出勤日数基準はクリアしていたため、給与への影響はまったくなかった。また、自宅療養中は全然お金を使わず、通常よりも却って支出は押さえられたので経済的には問題ない。

交通事故等と違って、人を恨んだり、示談や交渉のストレスなく済んだのが一番の幸せ。


12月17日・日(12週間)

昨日から大掃除。クリスマスの飾りを出す前に大掃除しないと、収拾がつかない。今年は2FのLDKを念入りにやり、カーテンと食器棚を換えることにした。雨なのでランニングもなし。夷川(京都の家具の店が集まる通り)に家具を買いにいくなんて、結婚準備の時以来だ。

昨日、新しいスペシャライズドMTBの写真は撮っておいたので、後は実走にかかるのみだが、大掃除と天気とで来週までお預け。来週には、いよいよ復活走行をする予定。


12月23日・土(12週間と6日)

夕方にランニング1時間45分。桂川沿いに名神高速道路手前までの往復20kmを走るつもりが、復路の八条桂大橋で雨が降ってきたためタクシーをひろって帰宅。ずいぶん遠くまで来ている感じだったが、メーターで1310円だった。


12月24日・日(13週・3ヶ月・クリスマスイブ)

ケガ後初めてのMTB本格走行。

新車のスペシャライズド・ロックホッパーの初乗りでもある。新車購入時の定番コース、御室坂→鷹峯然林坊の急坂登坂→京見峠→氷室→シングルトラック→杉坂→R162→高雄→御経坂→長刀坂→広沢の池をカメラ(オリンパスOM4Ti)持参で走る。約3時間(撮影時間含む)。

ランニングの成果が出たのか、息はあがらない。心拍OK。脚の筋肉も違和感なく、まったく心配なかった。ツーリング的にソロ走行するぶんには完全復活!

下り坂も恐くない。といってもMTBだから最高速でも40kmほどのものだが。

走っていると、どんどんと感覚が蘇ってくる。ほんの2週間前も同じように、この道をこんな感じで走っていたかのような感覚で、3ヶ月のブランクを忘れてしまうかのよう。ケガが回復して再び自転車に乗れることに感謝し、コースの素晴らしさにも改めて感動。

自分は本当に自転車が好きで、京都に住んで本当に良かったと心の底から思う。腕の動きは完全に左右同じではないが、時間がたてば治るだろう。

(了)

 ※その後、1月に1回、2月中旬に1回病院に行ってレントゲンを撮りました。2月の時点で「もう病院には来なくていいです。なにかあったら(あっては困る)、また来て下さい」といわれて、区切りがつきました。3月末ごろに最後の「ムズムズ感」があり、最後の数%、動かなかった部分を意識的に動かして、完全に動くようになりました。4月現在、可動域は完全回復、動きは少し固く感じるところはありますが、完治です。ランニングも骨折以来、10kmレース2回、20kmレース1回、ハーフマラソン1回、出走しました。(2001.4.22記)

追記:2002/4/30に人間ドックを受けました。骨密度も測ってもらい、OSI(音響的骨評価値)は3.355で、骨強度は同性の若年成人(2044歳)の平均値に対して115%ということでした。めでたし。

ただ、握力は左右で10kgも違いました。骨折の影響でしょう。自転車ヒルクライム時でも左腕の力不足を感じます。何らかのトレーニングをする必要あり。(2002/6/8記)

松尾大社 酒造会社の提灯2016/05/16

5月15日、近所の松尾大社の「還幸祭」だったようで、午前中だけ時間があったので、ちょっとMTBに乗った後に通ったところ、鳥居への沿道は全国の酒造会社からの提灯がずらりと並んでいました。

松尾大社は酒造りの信仰を集めているからですが、私の大好きな宇都宮酒蔵「四季桜」のものもありました。
松尾大社還幸祭神輿巡幸の提灯
写真:四季桜の提灯

広告業界で長年仕事をしてきたせいか、連合広告の感覚で、この手のものは、ついつい見入ってしまいます。どういう順番で、どんなところが出しているかと。

神社に一番ちかい、いわば一等席はどこの提灯なのかみますと、

松尾大社還幸祭神輿巡幸の提灯
写真:本殿に一番近い場所は「松竹梅」宝酒造

「松竹梅」宝酒造で、なんと6個もあります。次席はお酒でなく淡口醤油の龍野のヒガシマル醤油。

伏見の酒造会社といえば、日本一の造り酒屋として全国の酒造会社から一目置かれていた「月桂冠」が一番の旦那のように思われますが、「月桂冠」は中程に1つだけ。

松尾大社よりも伏見の方にある神社との繋がりが深いのかもしれませんが、ちょっと意外でした。

宝酒造は上場企業で、企業規模としては造り酒屋とは別のフィールドの存在ですが、なかなか大したものだと思いました。全国の造り酒屋さんが宝酒造のお得意でもあるので、業界内の仁義を大切にすることが社業の繁栄にも結びつくのかもしれません。

スズキGSX250T2016/02/02

押し入れから古いネガフィルムを発掘。学生時代に乗っていたスズキGSX250Tの写真を復活!

高校生の時、大学に入ったらオートバイに乗ってツーリングをしたいとずっと思っていて(高校2年の夏までは通学用自転車でツーリングをしたりしていたが)、大学1回生の夏に免許を取得、西院(京都の地名)の「坂井田商会」で購入。西院は、今でも通勤で毎日通過しているので、当時のことを思い出すと、なんとも不思議な感覚。

定価328,000のを280,000で購入。頭金20万円で残り8万円を2年月賦。今考えると、金利が勿体ない。毎月の返済額4,100円だったと記憶している。

今だと、自転車の価格の方が、ずっと高い。物価水準の変動よりも、自転車の価格の方が、特にこの数年、大幅に上昇していると思う。完成車メーカーのカタログを見ると、50万円以上が溢れている。私はさすがに、おいそれと買えないが、自転車にそれだけの値打ちを感じる人が増えたとするならば、業界にとっては喜ばしいことである。趣味の対象としては、そんなことがあってもいいのかも。
スズキGSX250T
写真:SUZUKI GSX250T:中京区聚楽廻西町の下宿前にて(1981年)

SUZUKI GSX250T 芹生峠にて
写真:スズキGSX250T 芹生峠にて

「恵方巻」、大丸さんの”格付”2016/01/25


京都大丸 恵方巻 DM

近年、「恵方巻」という行事のようなものの露出が増えているが、私は中国地方の出身者であるし、ピンとこない。

伝統行事かというと怪しい。そもそも、やんごとなき方々が、巻き寿司にかぶりつくという姿は想像し難い。そんな、はしたない・・・。

まあ、誰も伝統行事だとか宮中行事だったとかそんなことは言ってない(たぶん)ことだし、とやかくいうことはないのだろうが。

今日、家に大丸(京都みせ)からDMが届いていて、その中に恵方巻きのチラシがあった。
いわば、大丸さんによる恵方巻き”格付け”とも読めるわけで、面白い。
チラシ制作過程にゲラ拝をしているのかどうかわからないが、自店の原稿だけでなくチラシ全体のゲラ拝をしたら、収拾つかないのではないだろうか。「ウチの店はこうなのに、あそこはこうで、、そんなん・・・」とか。それとも大丸さんの力で、文句を言わせていないのであろうか。広告ビジネスに携わってきた人間としては、そんなところに興味がある。新聞の連合広告としてはあり得ないでしょうが。

「銀座のコーヒーが1杯2000円するのは何故か?」という質問の答えは「それを買う人がいるから」というのが、答えのひとつだそうだが、恵方巻の値段の差、というのは何に帰因するのだろう。量はおそらく大差ないはずなので、「質」?「ブランド力」?、需給バランスの値付けか?

チラシの内容を値段(税込)の高い順に記してみる(1本あたり)

3,240円 「美山荘」限定数15、午前11時から販売、お一人様1本限り。”京都美山の自然豊かな里にたたずむ名店の味を恵方巻きに”
3,240円「京都 吉兆」限定数50 ”山海の恵みをたっぷりと巻き合わせた贅沢な恵方巻きです”
2,484円「たん熊北店」限定数50、正午から販売、お一人様2本限り。"昭和3年創業の京料理の名店が手がけるこだわりの恵方巻きを”
1,620円「銀座 九兵衛」限定数200、正午から販売 ”北大路魯山人も愛したと伝わる江戸前鮨の名店の逸品”
1,404円「清水五条/はり清」限定数100 (ここからはコピーは無い)
1,300円「伏見/松廣」限定数200
896円「わらびの里」限定数100
830円「本家 重兵衛」限定数200
756円「岡崎/六盛」限定数100
650円「高倉綾小路/いづ源」限定数100、「東福寺/いづ松」限定数100、「御前御池/花登」限定数100、「北白川/満る市寿司」限定数100
562円「大徳寺/泉仙」限定数100
540円「祇園/いず重」限定数800

若州一滴文庫、水上勉と今井美樹2015/07/05

 
若州一滴文庫
         写真:若州一滴文庫の門

若州一滴文庫本館
         写真:本館

若州一滴文庫
         写真:移築されてきた民家もある

「若州一滴文庫(じゃくしゅういってきぶんこ)」へ梅雨の合間の日曜日に行って来た。作家の水上勉の生家があった地区にある水上勉のテーマパークのような施設で、水上勉自身が建立し、後に地元自治体に移管してNPO法人が運営している。
 水上勉の作品は、代表作の「飢餓海峡」「五番町夕霧楼」をはじめとして、どれも大好きだ。松本清張は何故かしっくりこないが、水上勉の作品には引き込まれる。

 オープンして間もなくの頃、レンタカーで父母を案内して出かけた記憶がある。水上勉先生もちょうど中庭にいらっしゃって、すごい人だかりだった。

 いつ頃のことだったのだろうと、一滴文庫の年表をみると、若州一滴文庫のオープンが1985年、私が就職した年、訪ねたのはその翌年1986年だったと思う。
 
 唐突だが、1986年は今井美樹が歌手デビューした年。

 その前、久々に「AERA」を手にとったら今井美樹が表紙。記事を読んで、これまで意識したことはなかったが、今井美樹はほぼ同世代、彼女の歌手としての歩みと私のサラリーマン生活が同じ時間軸だったことに気づいた。新アルバム「Colour」をリリースとのことで、最新作では今井美樹はどんなふうになっているのだろうと思い、15年ぶりくらいに彼女のアルバムを買った。なかなか良かったので、オリジナルアルバムを全部揃えた。

 京都の自宅から一滴文庫は自転車で行ける距離だが、ちょっとそこまでという距離ではないし、走ることが目的になってしまう。ゆっくり見学して記念品や本も買いたいので、車で行くことにした。今井美樹を聴きながら。
 
 デビューから数年の若い頃のアルバムは、アイドル流行歌という雰囲気が感じられて今となっては何か古くさい感じのする曲も混じっている。発声や歌唱力も幼い。しかし、「PRIDE」大ヒット後の今井美樹は、脱皮してメロウな大人の歌手という私の好きなジャンルに進化してきたように思える。「ディーヴァ(歌姫)」の領域といってもよい。
 
 職業を転々として苦労続きだった水上勉が直木賞を得たのが1961年。「飢餓海峡」を発表した1963年は今井美樹が生まれた年。そして今井美樹が歌手デビューするまでの時の流れの中で、水上勉は大作家として財を成し、一滴文庫をデビューさせた。今井美樹が歌い手として進化している間、水上勉も作品を書き続け、亡くなる前年に一滴文庫を地元に寄附し、残した。

 当人同士何の関係もないし、その表現する世界が対照的ともいえる水上勉と今井美樹だが、何故か「母」の存在を通じて共通するものがあると、一滴文庫からの帰り道、車の中で今井美樹を聴きながら思った。

 水上勉は10歳で京都の寺に修行に出され、故郷の母を追慕していた。その母が胸まで浸かるジュル田(湿田)で働いていたその場所に、一滴文庫を建立した。

 水上勉の母への思い、母となった今井美樹が奏でる歌、それぞれが母の愛を感じさせてくれる。一滴文庫に一緒に行った私の母は、今年七回忌を迎える。

「アヴァンティ」~新地にあったスナック2015/04/01

毎日の通勤経路に、「キタの新地」(大阪)があるが、そこをパトロールする時間も財力も無い。

が、これまでにボトルをキープした店が数軒だけある。
今でも行きたいと思うのが、「アヴァンティ」。大阪毎日新聞跡地の「堂島アバンザ」北側のビル5Fにあった。

カラオケが無く、しっぽりと飲めた。静かに流れる音楽も、私の好みだった。いつも、生花が綺麗に飾ってあった。「出入橋のきんつば」を時々頂いた。ママさんは、ランナーでもあった。

私の好きだった店が、この数年、次々と店を閉めていき、アバンティもそのひとつになってしまった。

写真は閉店間近の時。写真はママにも渡した。営業中の写真って、あるようでないだろうし。

その頃一緒に仕事をしたメンバーとともに、時々、ふと思い出す。サラリーマン生活で、過去を振り返る歳になったということかもしれない。