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立石岬[灯台カード]と原発だらけの敦賀半島ワンデイツーリング2025/02/26

「灯台カード」というのがあります。海上保安庁の発行で、該当する灯台の敷地内にあるQRコードを読み込むと取得できます。灯台の立地特性を考えた素晴らしい仕組みです。
 写真:灯台カードの例 (縮小して掲載)

自転車ツーリングの楽しみに付加しようと思い、該当灯台のある福井県敦賀市立石岬に行くことにしました。

敦賀市にクルマをデポ。敦賀半島の東岸を北上します。
途中、けっこうな数の民宿や旅館があります。釣り客や原発の点検保守作業員の需要を見込んでいるのでしょう。

原発のある岬の先端に向かって道路が整備されていますが、「沓」という集落の細い道に入ってみました。鳥居は大正時代に建てられています。当時は勢いがあったのでしょう。
 写真:「沓」集落の八幡神社
 写真:鳥居は大正14年の建立
 写真:沓集落のドンツキから望む敦賀湾
 写真:グランボア650Bランドナーoyakata10号

改良された道路のトンネルは避けて、海沿いの小さな峠を越えて、「手浦(たのうら」を通過、「色浜」へ。奥の細道で芭蕉も来訪しており、歌碑がありました。
「寂しさや須磨にかちたる浜の秋」
 写真:色浜
 写真:端正な造作の常夜灯籠
 写真:常夜灯籠は元禄12年(1699年)建立
 写真:芭蕉句碑

色浜の次ぎにあらわれるのが、「浦底」集落。家並みから少し階段を上ったところに神社がありました。
 写真:浦底にある劍神社
 写真:劍神社
 写真:神社の建物にある古い絵馬

しばらく走ると、日本原電の敦賀原発。1号炉は1970年の大阪万博開会式に初送電しましたが2011年の東日本大震災を経て2015年に廃炉。2号炉は直下に活断層があるとの評価報告書が正式に出され、規制委員会から原発の安全対策に適合しない決定が下されましたが、日本原電は抵抗しています。その奥にある「ふげん」も廃炉になっており、2040年に廃炉完成予定とのこと。

それにしても「ふげん」とか「もんじゅ」とか仏様の名前を原発に使うのは、不遜にも程があると思います。
 写真:日本原電敦賀の入り口

原発の入り口を通りすぎ、トンネルを抜けると立石集落が、山と海に挟まれて細長く存在していました。古くから敦賀湾外に出漁する釣浦として存在。
 写真:立石のバス停
 写真:立石集落

車道を行き止まりまで走って自転車をデポ。徒歩で山道を上がると、今回の目的の立石岬灯台がありました。明治14年(1881年)7月の点灯。
 写真:立石岬灯台

敦賀方面へ引き返し、今度は敦賀半島の西岸に向かいます。半島を貫く長大なトンネル(敦賀半島トンネル=全長3.8km)を通ります。トンネル走行は好きではないのですが、旧道は存在しないので仕方ありません。もっとも、クルマは全く走ってなくて問題ありませんでした。

トンネルの中には、なんとランニングの人がいました。トンネルを出たところにも。
旅ランにしては荷物がないし、どこからどこへ走っている人なのだろうと思って声をかけたところ、どうも「もんじゅ」関係で働いている人のようでした。確かに、トンネルの中は夏は涼しく冬は暖かく、クルマも稀にしか走ってないので排ガス臭くもなく、よい練習場所になるのでしょう。
ちょうど昼休みの時間でしたし、散歩している人とかも。僻地にある開放感のない職場では、こうして外気に触れて身体を動かさないと精神的にしんどいのかもしれません。どんな仕事なのかわかりませんが、廃炉が決定している原発で、ゴールがいつになるのかもわからない、世間からもリスペクトされ難い組織で働くことの大変さを想像しました。もしかしたら大学で原子力などを専攻した人にとっては、専門が生かせて労働条件も良い職場なのかもしれませんが。
 写真:敦賀半島トンネル

トンネルを抜けると「白木」浦。「白木」は「新羅」から来ているのではないかという説もあり、古くから漁業で勢力をもった浦。半島の先端の集落というのは、現代の感覚では一番奥の僻地だと思われがちですが、海上交通がメインの時代にはそうではありません。そもそも今のような道路はなく、陸上には杣道しかなかったのですから。

 写真:白木の「白城神社」
 写真:文政13年(1830年)建立
 写真:白城神社
 写真:白城神社の建物
 写真:白木の集落

神社のすぐ横の海岸にでると、高速増殖原型炉「もんじゅ」が正面にありました。想像していたよりもこぢんまりとしてます。事故を起こせば日本のかなりの部分が壊滅的になる存在なのに、外形的には小さく静かなのが、なんとも不思議に感じられました。
 写真:高速増殖原型炉もんじゅ
 写真:白木にある「海蔵寺」

白木から丹生へはトンネルを避けて旧道の白木峠へ。途中、「もんじゅ」への分岐があるのですが、一般公道上からカメラを向けただけで、警備員がワーワー叫びながら走ってきて、とても感じが悪かったです。建物に肖像権はないし、納税者への態度として不快。よっぽど暇にしていて、存在感を示したかったのでしょうか。
 写真:もんじゅ への分岐

白木峠には放射線観測施設と朽ちた案内図がありました。
 写真:白木峠の放射線測定施設
 写真:白木峠にて

峠を下ると、そこは「丹生」。ここには関西電力の美浜原発があります。1号機と2号機は廃炉作業中。3号機は過去に運転中の死亡事故を起こすなどトラブル続きでしたが2022年に再稼働したものの、2024年に冷却水漏れが発生し、現在停止中。
 写真:丹生集落と美浜原発
 写真:釣り人と美浜原発
 写真:丹生にて
 写真:美浜原発遠望

原発というのは稼働していても煙や騒音も出さず、外形的には静かにチンと収まっています。風力発電の風車は、私の場合生理的に苦手で低周波騒音なのかどうか判りませんが、近づくと気分が悪くなります。太陽光発電パネルも景観面のみならず、多くの問題が指摘されています(事業者の責が大)。自然エネルギーが手放しで称賛される状況ではないのですが、かといって原発の潜在的リスク、日本国を壊滅させるパワーをもった甚大な危険性を捨象できません。建設やその後の運営にまつわる原発マネーの不明朗さや地域社会の分断等の問題もあります。
電気エネルギーの恩恵を受けている一人として、悩ましいところです。

「竹浪」から今度は馬背峠(まじょうとうげ)トンネル(=1.4km)を通って東海岸へ。
 写真:竹浪の集落。
 写真:馬背峠トンネル

トンネルを抜けて、しばらく走ると、敦賀の気比の松原。三保の松原(静岡県)・虹の松原(佐賀県)と並ぶ日本三大松原の一つ。
 写真:気比の松原

デポしていたクルマに自転車を載せ、舞鶴のお風呂屋さんへと向かいました。
国道27号線には路肩が狭くて大型車の通行が多い箇所があり、自転車では走りたくないので、こういう機会にクルマで舞鶴へ。

西舞鶴の吉原地区で、昭和を感じさせる街並みの中に、渋いお風呂屋さんがあります。京都府公衆浴場組合のキャンペーンに参加するため、立ち寄りました。
創業は1920年(大正9)年、100年以上続く漁師町のお風呂屋さん。国の有形登録文化財です。 おしまい。
 写真:舞鶴市(西舞鶴)吉原
 写真:舞鶴市吉原
 写真:吉原にある「日の出湯」

 今回の走行ログ(クリックして拡大)

◎走行日:2024年10月31日
◎使用自転車:グランボア650Bランドナーoyakata10号
◎走行距離:50km
◎行程:敦賀市気比の松原8:50~9:50色浜~11:00立石岬灯台~12:30白木~13:05丹生~14:00馬背トンネル~14:15気比の松原=16:50西舞鶴吉原

INDEX2025/01/20

A:自転車
【A-1】自転車ツーリング


松本から保福寺峠(2017/7):ビアンキ シクロクロス
自転車で帰省:京都-鳥取(2017/6):TREKエモンダ
角島大橋・油谷、長門の半島を巡る(2017/5):グランボア700Cデモンタ
三原から浜田、旧庁舎巡りをしながら中国山地を縦断(2012/7):グランボア650Bデモンタ
丹波丹後の峠巡り~上夜久野から加悦、宮津、福知山(2015/4):グランボア700Cデモンタ
「秘境」祖谷から剣山、穴吹川ツーリング(2016/10):グランボア650Bデモンタ
三江線全駅コンプリート(2016/9):TOEI700Cランドナー
今庄から高倉峠、冠山峠、越前大野、温見峠、樽見鉄道(2016/8):TOEI650Aランドナー
福山から倉吉へ。宮本常一「山の道」の町を訪ねて(2016/7):グランボア650Bデモンタ
2016GW津軽・龍飛崎へ(2016/5):グランボア700Cデモンタ
北上山地、自転車ツーリング(2015/11):TOEI700Cランドナー
とびしま海道・小大下島・しまなみ海道(2015/10):グランボア700Cデモンタ
関東平野ポタリング<宇都宮市郊外)(2015/9):BSモールトン
鳥取市河原町から三徳山経由鹿野町(2015/8):TREKマドン5.2
日原駅<島根県>から相撲ヶ原、錦町<岩国市>(2015/6):グランボア700Cデモンタ
亀山から安楽越、旧東海道を草津へ(2015/6):HONJOレーサー
伊勢神宮五十鈴川上流剣峠(2015/5):TOEI650Aランドナー
紀州 丸山の千枚田 自転車ツーリング(2015/4):HONJOレーサー
丹後半島 自転車ツーリング(2015/4):TREKマドン5.2
佐治谷 辰巳峠 自転車ツーリング(2015/3):TOEI650Aランドナー
佐田岬 自転車ツーリング(2014/11):グランボア700Cデモンタ
米子から奥出雲・亀嵩 自転車ツーリング(2014/11):グランボア650Bデモンタ
秋山郷から松之山温泉、高田(2014/8):TOEI700Cランドナー
映画「白い船」舞台を訪ねて島根半島自転車ツーリング(2014/4):グランボア700Cデモンタ
能登半島 自転車ツーリング(2013/11):グランボア700Cデモンタ
四万十川 沈下橋 自転車ツーリング(2013/5):グランボア700Cデモンタ
北条町駅から智頭町、香住へ(2012/11):グランボア700Cデモンタ
総社から出雲横田、吹屋小学校自転車ツーリング(2011/11):グランボア700cデモンタ
片上鉄道廃線・中国山地ツーリング(2011/5):TOEI700Cランドナー
青崩峠しらびそ峠、秘境駅「金野」(2008/7):TOEI650Aランドナー
天草:寝台特急「なは」&島原鉄道で輪行(2008/2):グランボア650Bデモンタ
江の川&三江線、温泉津、石見銀山(2007/11):TOEI700Cランドナー
対馬ツーリング(2006/3):TOEI700Cランドナー(旧)

【A-2】近郊サイクリング
びわいち(琵琶湖一周) (2015/10)
アワイチ(淡路島一周) (2015/9)
ロードレースの思いで:シマノ鈴鹿と丸岡(2015/8)
練習会で伊賀上野へ(2015/4)

【A-6】所有(した)自転車
眼福・・ラリーグランボア・・金色サンジェなど(2018/3)
グランボア「シュエット」センタ-プルブレーキ(2017/8)
綿Tシャツで自転車に乗る!(2017/8)
キャラダイス バーレイ サドルバック最高!(2017/8)
・TOEI650AランドナーにキャットアイVOLT300アダプター(2017/8)
恐るべし耐久力!キャットアイのライトとソニーの電池(2016/11)
ランドナーとロードレーサーの走行比較の一例 (2016/10)
ボスフリーの不調を回復、油を差すだけ(2016/10)
カーボンとクロモリの乗り味の違いと、自転車の命名についての一考察(2016/10)
キャラダイス バーレイ サドルバック(2016/10)
今はピザ&スパゲティの「エルバ」でオーナー萩原さんにご挨拶:ロードレーサーのフォークの造形のこと(2016/9):CASATIゴールドライン
旅する自転車ランドナーへの誤解。本当に気持ち良い(2016/9)
TREKエモンダとドマーネ(2016/9)
ヤマネの輪行袋:京都のスポーツサイクル「ヤマネ」さんのこと(2016/8)
パールイズミ レーパンの寿命(2016/7)
久々にチューブラタイヤを買う(SOYO製モンテアミアータ)(2016/7)
サイクルキャリアのこと-車載用スーリー(2016/1)
SRAMグリップシフトに改造、コメンサル(2015/12)
重くても魅力的コメンサルCOMMENCAL META HT AM Cr-Mo(Limited)(2015/11)
スペシャライズドM5・MTBをフロントシングルXTR・XT11速に(2015/11)
TOEI650Aに日東キャンピー3(2015/3)
TREK Madon5.2他 自転車の重量(2015/2)
TREK Emonda SL6 納車 (2015/2)

【A-8】その他自転車の話
【B-1】山行
C:自動車

D:その他

2024北海道ツーリング16:宮古市女遊戸=気仙沼=京都2025/01/14

Day25:7月8日(月)晴れ 女遊戸=気仙沼

女遊戸8:02=9:00白浜峠=10:13千鶏=10:32寒風峠=11:43吉里吉里駅=12:11釜石=13:27道の駅さんりく(うに丼)=14:40陸前高田東日本大震災津波伝承館15:14=15:53気仙沼 ラ・ジェント・イン気仙沼(泊)
 <畠山美由紀・小池龍平 コンサート:気仙沼 拓ホール>
 自転車走行:4km、自動車走行:191km

今日は宮古市から気仙沼まで、三陸自動車道は使わず下道を走る。東日本大震災の被災地を走ることになる。
宿のある女遊戸は海からはだいぶ上がったところにあるのだが、宿の少し下ったところには津波到達碑があり、こんなところまで波が来たのかと驚いた。
宮古市女遊戸
 写真:宮古市女遊戸の津波到達碑

三陸海岸に突き出ている閉伊崎の灯台まで行こうとしたが、途中から道路がクルマ1台脱輪せずに走るのがやっと位の幅になったので、あきらめて引き返した。

鵜磯地区の津波到達碑。海面からずいぶんと高いところにある。
 写真:津波到達碑(岩手県宮古市鵜磯)

重茂(おもえ)地区の大津波記念碑。
 写真:岩手県宮古市重茂。

鵜磯地区。道路からは無人地帯に見えた。甚大な被害を受け、残った家屋も高台に移転したようだ。
 写真:岩手県宮古市鵜磯

しばらく山中を走り、千鶏(ちけい)地区へ。明治三陸地震津波(1896年明治29年)と昭和三陸地震津波(1933年昭和8年)の碑と並んで東日本大震災での碑があった。
 写真:岩手県宮古市千鶏の大津波碑。

近くに津波浸水区域の看板があった。ここでも、こんなに標高の高いところまで到達したとは信じられない。
 写真:千鶏地区の浸水区域掲示

千鶏地区遠望。海から一定の標高までは更地になっていたことがわかる。
 写真:千鶏地区遠景

寒風峠を越え、川代地区へ。東日本大震災、昭和、明治の大津波碑が並ぶ。
並んで1948年(昭和23年)に建立された「電燈電話架設記念碑」があった。
戦後しばらくまで電気がない生活というのは、当該エリアにおいて特別なことではなかったのだろう。
 写真:岩手県宮古市川代

圧迫感を減らすためかロックフィルダムのような形状の防潮堤。
 写真:岩手県下閉伊郡山田町大沢

三陸鉄道リアス線、吉里吉里駅へ。岩手県上閉伊郡大槌町にある。
吉里吉里駅
 写真:吉里吉里駅

釜石で「鉄の歴史館」を見学。
鉄の歴史館
 写真:鉄の歴史館

道の駅「さんりく」三陸ふるさと物産センターで生ウニ丼、1800円。
生ウニも沢山売っていたのでお土産にしようかと思って尋ねたところ、クール宅急便でも京都までは鮮度が保てないとのこと。やはり現地で頂くに限る。
日にちが違うので比較にならないかもしれないが、これまでのウニ丼提供スポットよりリーズナブル。

 写真:道の駅「さんりく」生ウニ丼

陸前高田で「東日本大震災津波伝承館」へ。
津波で潰れた消防車。
 写真:東日本大震災津波伝承館

今日の目的地、気仙沼へ。気仙沼出身のシンガーソングライター畠山美由紀のコンサートがちょうど良いタイミングであることを知り、北海道の帰路、旅の締めを気仙沼にした次第。東日本大震災後に発表された「わが美しき故郷へ」をラジオで聴いて、衝撃をうけ、アルバムを全て購入し続けている。

 写真:気仙沼駅

廃止された鉄道線路がバス専用道路になっていて、代替バスが走っている。踏み切りまである。
 写真:気仙沼の鉄道代替バス

旅の締め。気仙沼で畠山美由紀コンサート。
60人規模の小さなホール。
そこは、かつて津波で全て失われてしまったエリアに、復興支援事業でつくられた建造物エリア。
ボーカルとアコースティックギターだけの構成。
ギター1本でここまでできるのかと驚いた。
観客は多分地元の人がほとんど。
スタートは軽やかなポルトガル語の曲で始まったが、「花の夜舟」になると、会場中、静かな涙。
「浜辺の歌」(唱歌の)を歌って、会場が涙涙になるのは、震災を経験した気仙沼だからか、畠山美由紀の歌唱力にあるのか。たぶんそのマリアージュだろう。
歌の合間のトーク掛け合いは笑いにあふれて楽しい雰囲気で、構成がよく練られていた。
最後は、9歳からの親友がピアノ伴奏で登場。地元開催ならでは。
「わが美しき故郷よ」を歌い、アンコールは「歌で逢いましょう」。
心洗われるコンサート。

拓ホール
 写真:気仙沼 拓ホール
畠山美由紀・小池龍平コンサート
 写真:コンサートの会場ポスター

Day26:7月9日(火)雨 気仙沼=京都
気仙沼7:05=9:11仙台南IC=(磐越道)=13:14阿賀野川SA(昼)13:43=14:10新潟中央JCT=(北陸道)=18:53尼御前SA(晩)19:28=20:38敦賀IC=(R161)=21:25道の駅安曇川21:45=23:04京都自宅
 自転車走行:0、自動車走行:936 km

気仙沼港に寄ってから京都へ。長いドライブになる。
気仙沼港
 写真:気仙沼港

 写真:出発時ガソリンスタンドから帰宅するまでの走行距離など

雨が強く降る中、気仙沼から京都までワンデイで帰宅。休憩は安達太良SA、西会津PA、阿賀野川SA(昼)、名立谷浜SA、尼御前SA(晩)、道の駅あどがわ の6ヶ所。

高速代節約のため北陸道敦賀インターで降りて国道161号を選んだが、夜の愛発越は大型トラックが峠道対向車線ぎりぎりに爆走してくるし、中央分離帯の無い湖西道路はやたら流れが速く、この選択は間違いだった。次回からは普通に北陸道から名神を走る。敦賀までで800km程走っている疲れもあるだろうが。ワンデイで936kmというのはこれまでで一番長い距離だが、特に身体のどこかが痛くなるとかいうことはなく走り終えた。

こうして26日間の北海道ツーリングを終えた。

自転車走行は875kmだが自動車では結果として5,634kmも走り、外形的には自転車ツーリングというよりドライブ旅行になってしまったのかもしれない。

自動車に自転車を積んで旅を組み立てるのは機動性があるが、

「荷物は自分たちで運べるだけ。
何も汚さず、何も損なわない。
そんな旅をマダムは『美しい』と表現した」
(グランボア2024カタログLeteより引用、土屋夫妻のフランスでの旅)

という文章に接したとき、自分の中での今回の旅の違和感のようなものが言語化された。荷物を積めるだけ積んでの自動車+自転車 旅行は美しくない、ちょっとeasy過ぎると思う次第。でも、やっぱり
広い北海道では有効だし。とはいえ、内地の移動距離でいうなら、京都から松江に行って、そこで自転車に乗り、次の日は広島に行って、翌日神戸まで戻って走りました、みたいなのはやっぱりなんだかなあ、と思ったりする。

北海道には、まだまだ自分の眼で見てみたいところがあるし、
「北海道には何がある?」
という問いかけにも、自分の中での回答は未だ。

今年も北海道へ出かけたい。

2024北海道ツーリング15:青森浅虫温泉=宮古市女遊戸2025/01/12

Day24:7月7日(日)晴れ 青森浅虫温泉=夏泊半島=八戸=宮古市女遊戸
 自転車走行:0、自動車走行:261km

浅虫温泉道の駅7:29=7:58夏泊半島大島8:32=9:47道の駅小川原湖=11:36八戸=12:18種市(うに丼)12:52=13:58野田村にて20万キロ達成=15:00田野畑村民俗資料館15:50=16:41宮古市女遊戸(みやこしおなっぺ)民宿「治郎兵衛」(泊)

道の駅の車中泊でぐっすり眠れた。隣のクルマで車中泊していた人は、自分で絵本をつくり、各地のバザーやイベント会場でブースを開いているとのこと。道の駅には温泉が併設されていて朝7時から開くので、車中泊の人で風呂に行く人も少なからずいた。

青森県の津軽半島と下北半島の間に、それらと比べると小さいが夏泊半島というのがあって、そこはアイヌのコタンや遺跡も多くがあったりした興味深い場所。自転車で走る時にとっておきたかったが、まあいいかと思い、クルマで走った。

夏泊半島の先端にある大島。菅江真澄の碑や大町桂月の歌碑もあるが、大町桂月を知る人は今ではもう稀有だろう。漢籍の素養がないと、読んでもよくわからないと思う。もちろん、私も。

夏泊半島大島
  写真:夏泊半島・大島
 写真:青森湾
夏泊半島大島
 写真:夏泊半島
 写真:海鳥が多くいた
 写真:夏泊半島・東田沢

道の駅「おがわら湖」でシジミラーメンを食べた。
ぷりぷりしたシジミが沢山入っていて、とても美味しかった。
 写真:道の駅「おがわら湖」
しじみラーメン
 写真:しじみラーメン

八戸市、想像していたよりも大きな街、を通過して、国道45号線を南下。三陸自動車道は走らず、地域の村々を繋ぐ国道を走った。

種市の食堂で「うに丼」3800円。
 写真:種市の食堂でウニ丼

種市の防潮堤に登ってみた。
 写真:種市の防潮堤

岩手県野田村で、クルマの走行が20万キロに達した。
12年落ちのガソリン4気筒車。これまで特筆すべき故障は無い。

 写真:20万キロ達成

田野畑村を走っていると、「民俗資料館」の案内看板があったので立ち寄ってみた。
民具とかが展示してある普通の資料館かと思っていたら、なんと、一揆がメーンテーマだった。岩手藩の圧政に苦しんだ農民の一揆。仙台藩への直訴への道を辿って自転車で走りたい。
田野畑村民俗資料館
 写真:田野畑村民俗資料館

宿は宮古市の女遊戸(おなっぺ)という集落にある民宿。
女遊戸とはアイヌ語で「小さな川のあるところ」と言う意味で、宮古地方にはアイヌ語語源の地名は他にもあるが、なぜこの漢字が当てられたのかは判らないと、宿に説明書きがあった。
 写真:宮古市女遊戸 民宿「治郎兵衛屋」

おしまい

2024北海道ツーリング14:大樹町=青森浅虫温泉2025/01/12

Day23:7月6日(土)曇りのち雨 大樹町=函館=(津軽海峡フェリー)=青森=浅虫温泉道の駅(泊)
 自転車走行:0、自動車走行:516km

大樹町セキレイ館7:58=12:21有珠山SA(昼)12:47=16:00函館フェリーターミナル17:30=(津軽海峡フェリー)=21:10青森港21:30=22:08浅虫温泉道の駅

今日からは帰路。北海道ともお別れ。
当初、函館から大間へのフェリーに乗る予定にしていたが、強風のためフェリーが欠航だと昼食時に知った。
急遽、青森港へのフェリーに変更したが、同じフェリー会社だが救済策はなく、当日券を普通に買うことになったので割引等もなく、踏んだり蹴ったり。

道内の高速道路を使って函館まで走ったが、走行距離をみると京都から東京程あったので、改めて北海道の距離感覚は内地と違うと思った。

雨の中高速を走ったが、スリップなのか無謀運転なのか居眠りなのか知らないが、ハイエースが単独事故を起こしていて、若干渋滞に巻き込まれた。

青森市内で宿は探さず、どこかで車中泊することにし、浅虫温泉道の駅に決定。

 写真:北海道大樹町の牧草地と畑

 写真:函館港、津軽海峡フェリーターミナル

 写真:津軽海峡の夕陽


おしまい


2024北海道ツーリング13:大雪高原山荘=大樹町2025/01/11

Day22:7月5日(金)晴れ 大雪高原山荘=タウシュベツ川橋梁跡=帯広=襟裳岬=大樹町 とほ宿「セキレイ館」(泊) 
 自転車走行:0、自動車走行:367km

大雪高原山荘7:21=層雲峡(送り)=8:27三国峠展望台=8:51幌加駅跡=9:25タウシュベツ橋梁跡9:43=10:30上士幌町鉄道記念館10:46=11:51帯広(六花亭)13:22=15:55えりも岬16:12=17:32大樹町 とほ宿「セキレイ館」(泊)

宿の夕食時に隣の席で話しをした登山の人を層雲峡まで送ってから帯広へ向かう。
途中の三国峠はなかなか雄大で、今度はぜひとも自転車で走りたいと思った。
三国というのは石狩国と北見国と十勝国ということか。
三国峠
 写真:三国峠

峠を下ってしばらく走ったところにある、1978年に廃線になった士幌線の幌加駅跡を見学。1962年頃の駅の周囲には80軒の建物があり350人の営みがあったが、今は何もない。洞爺丸台風による大量の風倒木処理のための集落だったということで、なんともスケールの大きな話だ。
幌加駅跡
 写真:幌加駅跡

そして、その次には有名なタウシュベツ橋梁跡が出現。

タウシュベツ橋梁跡
 写真:タウシュベツ橋梁跡
 写真:説明板

糠平温泉郷にある「上士幌町鉄道資料館」も見学。士幌線についての展示が中心。
上士幌町鉄道資料館
上士幌町鉄道資料館
 写真:上士幌町鉄道資料館

なんだか北海道の旅は、それをテーマにしていたわけではないのだが、鉄道廃線を偲ぶ旅のようになっている。

十勝平野の中心、帯広に到着。久々に都市に巡り合った気分。昨日の大雪高原山荘へのダート道でドロドロになったクルマをガソリンスタンドで洗車。

今日は由仁町に住む知人宅訪問というメーンイベントがあるので、お土産を買いに六花亭へ。駐車場がどこにあるのかわからなくて若干苦労した。

六花亭で昼食をとっていると、携帯に電話。知人からで、なんと「コロナに感染したので・・・」ということで、急遽中止に。
六花亭
 写真:帯広の「六花亭」本店

なんとか大樹町のとほ宿「セキレイ館」を当日予約することができた。
さて、午後はどうしようかと考え、ちょっと距離はあるけれど、襟裳岬に行くことにした。

だんだん寂しくなっているところへ、急に海霧が押し寄せ、あっというまに霧の中。不気味な雰囲気で引き返そうかと思ったが、思い切って行くことにした。
その後も長大トンネルがあったりして、自転車でなくてよかったかもしれないと思った。
 写真:海霧が押し寄せる

不思議なもので、少し走ると海霧は消えた。

 写真:襟裳岬へ

襟裳岬に近づくと晴れてきた。やはり自転車で来れば気持ちいいだろうと、前言を翻す思いになった。
えりも岬
 写真:襟裳岬

風が強い場所として有名だが、不思議と私が訪ねた時は、無風だった。
襟裳岬
襟裳岬
 写真:襟裳岬の先端
 写真:襟裳岬灯台

いつも宿には16時半到着目標にしているが、今回は17時半に到着。
元は養豚農家だった建物とのこと。宿泊した部屋は2階で、農家の頃は子ども部屋だったのかもしれないなどと想像した。この地を開拓し、もしかしたら居抜きで入植かもしれないが、養豚で生計をたて、離農していった一家がかつて存在し、そこが宿になり、今私が泊まっている。
セキレイ館
 写真:とほ宿「セキレイ館」

近くにある「晩成温泉」に宿からクルマで行った。緯度が高いので夏は日が長い。
北海道開拓の嚆矢は、十勝川河口に上陸した「晩成社」がその一つであり、歴史的には由緒あるエリアなのだろう。
晩成温泉
 写真:晩成温泉


おしまい

2024北海道ツーリング12:羽幌=大雪高原山荘2025/01/11

Day21:7月4日(木)晴れ 羽幌=留萌=大雪高原山荘
 自転車走行:0、自動車走行:233km

羽幌9:09=9:53小平(花田屋番屋)10:57=11:40留萠駅跡=12:14留萌ブックセンター=15:48大雪高原山荘(泊)

朝のんびり過ごし、羽幌を出発。”オロロンライン”道道239号線を南下。鰊漁でたいそう賑わったのは、今は昔。

小平町(おびらちょう)にある、国指定重要文化財、旧花田家番屋を、ゆっくり見学。
花田家番屋
花田家番屋
 写真:旧花田家番屋
花田家番屋
 写真:旧花田家番屋の内部
花田家番屋
 写真:旧花田家番屋 床の間
花田家番屋
 写真:旧花田家番屋「鰊族皆集」扁額

留萌へ。かつての留萌支庁の中心都市だが、
留萠本線の石狩沼田ー留萌間は2023年4月1日に廃止された。
駅前の形状は残しているが、将来はどうなるのだろう。
留萠駅(跡)
 写真:留萠駅(跡)
留萠駅前
 写真:留萠駅前広場から正面の大通り

留萌ブックセンターで地元出版物を数冊購入。
留萌ブックセンター
 写真:留萌ブックセンター

北海道ツーリングも終盤となり、残すは北海道の知人宅訪問。スケジュール調整のため、訪問までに1泊する必要があるため、「日本秘湯を守る会」加盟の大雪高原山荘へ泊まることにした。

道道273号線から分岐してからはダートで、クルマの走行で凄まじい砂埃が上がった。
自転車で走って、クルマに追い越されたら、悲惨だ。
 写真:大雪高原山荘へのダート道

大雪高原山荘
 写真:大雪高原山荘

源泉掛け流しの温泉は、素晴らしいものだった。


おしまい

2024北海道ツーリング11:羽幌=~利尻島鴛泊・利尻山登山=羽幌2025/01/09

Day18:7月1日(月)曇りのち雨のち晴れ 羽幌=稚内=(フェリー)=利尻島鴛泊~キャンプ場「ゆ~に」(泊)
 自転車走行:6km 、自動車走行:135km

羽幌8:01=8:43遠別=9:01手塩=10:09稚内市営北駐車場(デポ)、稚内港=(ハートランドフェリー)=12:55鴛泊(雨宿り)~14:00利尻島ファミリーキャンプ場「ゆーに」(泊)

宿を出て稚内へとノンストップで行く。フェリー乗り場からは若干離れているが無料駐車場にクルマをデポし、フェリーで利尻島鴛泊(おしどまり)へ。キャンプ場でテント泊。
テントは10年以上前に購入した「ICI石井スポーツ ゴアライト」1人用。事前に点検したが劣化は確認できず、快適に使えた。

Day19:7月2日(火)晴れ 利尻岳登山
       自転車走行:5km、自動車走行:0
テン場4:56~(自転車)~登山口5:23~6:24第1見晴台~7:02第2見晴台~7:17長官山~7:34山小屋~8:33利尻山頂8:53~9:52長官山~10:47第1見晴台~11:44登山口・昼食12:28~(自転車)~12:34テン場(泊)

快晴無風で絶好の登山日和だった。前日は強風で飛行機が欠航したため、混雑もなく快適に登れた。

テン場から登山口は自転車。利尻山登山:登り3時間10分、山頂20分、下り2時間50分、合計6時間20分

利尻山頂
 写真:利尻山頂

  *この両日について詳しくは、<利尻岳(利尻山)登山>でアップ済み。

Day20:7月3日(水)晴れ 利尻島一周サイクリング=(フェリー)=稚内=羽幌
        自転車走行:63km、自動車走行:140km
テン場5:18~利尻島一周~9:27テン場 鴛泊港12:05=(ハートランドフェリー)=13:45稚内港、稚内北駐車場14:05=14:14ノシャップ岬14:29=16:44羽幌「吉里吉里」(泊)

お昼のフェリーまでの間に、利尻島一周サイクリングと鴛泊港ペシ岬灯台へ。
 写真:利尻島のサイクリングロード

 *利尻島一周について詳しくは、 <利尻島一周サイクリング>にてアップ済み

鴛泊港のターミナル食堂は団体予約のため一般客はお断りだったので、向かいにある食堂へ。店内に貼り出されたメニューには「ウニ丼 1万円」とあった。円安もあってインバウンド客にはそれでも人気なのかもしれない。「海藻ラーメン」1400円を注文。美味しかった。
海藻ラーメン
 写真:海藻ラーメン

フェリーで渡って稚内からは、ノシャップ岬の南極越冬隊資料展示を見学。

野寒布岬灯台
 写真:ノシャップ岬灯台
 写真:南極越冬隊資料展示コーナー

ノシャップ岬から抜海のあたりは、強風が吹きすさび、クルマで走っても裏寂しい荒涼とした土地。そんな風景に会いたくて北海道に来たのだろうか?
 写真:ノシャップ岬から日本海沿いに下る

羽幌の吉里吉里に戻って、くつろいだ。
 写真:羽幌の温泉。吉里吉里からはこの温泉に毎回通った。


おしまい

2024北海道ツーリング10:浜頓別=羽幌2025/01/08

Day17:6月30日(日)晴れ 浜頓別=下川町「モレーナ」=朱鞠内「森salon」=羽幌
 自転車走行:0km、自動車走行:294km

浜頓別ポタリング9:40=10:52丹波屋跡=12:16下川町「モレーナ」12:48=13:47朱鞠内「森salon」14:17=15:30三渓神社(熊害慰霊碑)=三毛別熊事件跡15:55=16:32羽幌

宿での朝食時、庭にエゾリスが来ているというので、観察。
エゾリス
 写真:エゾリス

浜頓別、高校生の頃からなぜかこの町を見てみたいと思っていた。高校の授業で使っていた帝国書院の地図帳を眺めていて。
オホーツクに面する北の町。

宿のすぐ裏手がクッチャロ湖。湖は濁っていた。
クッチャロ湖
 写真:クッチャロ湖

浜頓別の市街。
浜頓別
浜頓別
浜頓別
 写真:浜頓別

浜頓別には公衆浴場があった。
浜頓別の公衆浴場
 写真:浜頓別の公衆浴場

浜頓別市街起点のサイクリングロードがあったので走ってみたが、すぐに通行止めになった。
北オホーツクサイクリングロード
北オホーツクサイクリングロード
 写真:北オホーツクサイクリングロード

浜頓別から道道275号線で下頓別、中頓別、上頓別を通過し、小頓別の「丹波屋旅館」跡。古くは駅逓として重要な役割を担った。国登録有形文化財。初代は丹波の人だったのだろうか。
丹波屋旅館
 写真:丹波屋旅館(跡)

北海道の地名というのはアイヌ語起源か、開拓者の出身地由来か、「共和」とか「親和」のような開拓地らしいものが多い。地名は違っても、同じような生業ならば家屋も同じようで同じような景観が広がっている。

緩やかなのであまり意識することなく(特に自動車であるし)、天北峠を越えて音威子府村へ。数日前に走った道を再度走って(懐かしく感じる)、再び名寄を通過し、上川町の「モレーナ」というレストランへ。

なぜ、そこを目指したかというと、「吉里吉里」「五味温泉」「トシカの家」にも『昭和放浪記』『平成放浪記』『日本放浪記』の3冊シリーズ本が置いてあり、なかなか面白い内容なので、購入しようと思ったが、amazonでは扱っていない。
筆者である栗岩英彦氏は放浪終了後、上川町でレストラン「モレーナ」を開業されているので、そこへ行って直接本を購入しようと思った次第。
レストラン「モレーナ」
 写真:レストラン「モレーナ」

カレーは大層美味しかった。栗岩さんの話を聞きたかったが、自動車で乗りつけているのが恥ずかしくて、遠慮した。自転車で来ていれば、いろいろ話せたと思うのだが。
3冊のシリーズ本をサイン入りで購入。
モレーナ店内と栗岩氏

「モレーナ」の畑は無農薬、不耕起栽培。
モレーナの畑

「モレーナ」を出発して、今度は先日訪問した朱鞠内の「森salon」を目指した。
「森salon」でコーヒーとケーキ。家から近ければ都度立ち寄りたいが、朱鞠内とあっては叶わない。
森salon
森サロン
写真:朱鞠内の「森salon」

朱鞠内からは先日自転車で越えた霧立峠を自動車であっけなく越え、苫前。
自転車では時間的に行けなかった、「三毛別(さんけべつ)羆事件」復元地へ。

吉村昭『羆嵐』でも有名なこの事件は大正4年(1915年)、北海道苫前郡苫前村三毛別六線沢 (現在の苫前町三渓)で冬眠できなかった羆が開拓部落の7人を食い殺し3人に重傷を負わせた事件。通信手段も交通手段も乏しい当時、2日に渡って惨劇が繰り広げられ、軍隊も出動したが老猟師によって撃ち落とされた。

三渓神社
 写真:事件現場の手前の集落にある三渓神社(さんけいじんじゃ)

神社には事件の慰霊碑があり、体験者による壮絶な一文が刻まれている。
三渓神社の慰霊碑
 写真:熊害慰霊碑

現場の三毛別六線沢部落跡は更に奥にある。かつては小学校の分教場もあったという開拓部落は森に還っている。

三毛別羆事件
 写真:三毛別羆事件の碑
三毛別羆事件
 写真:説明板

復元された開拓農家の建物。ヒグマの一撃にはひとたまりも無い。
三毛別
 写真:三毛別羆事件復元農家
三毛別の開拓農家
 写真:農家の内部

この建物は小屋や納屋ではなく、居住の母屋。開拓生活の最初の住居は三毛別に限らず、どうもこのようなものが少なくなかったようだ。冬は雪が吹き込み、ワラ束に包まって寝る、など。さすがにこのような家を知る方は存命しないだろうが、昭和の時代には記憶に残っていたのだろう。

現場を跡にし、苫前から羽幌の「吉里吉里」へ。
大きなサイドカー付きのオートバイが留まっていた。
 写真:とほ宿「吉里吉里」にて


おしまい

2024北海道ツーリング9:五味温泉=浜頓別2025/01/08

Day16:6月29日(土)晴れ 五味温泉=サロマ湖=浜頓別
 自転車走行:30km、自動車走行:270km

五味温泉8:00=9:52紋別=10:37湧別町体育館(デポ)~11:38サロマ湖~13:14デポ地=15:56北見神威岬=16:35浜頓別 とほ宿「としかの宿」(泊)

今回の旅のメーンイベントとして晴天下での利尻山登山をしたく、天気予報をみて日程調整。サロマ湖を経由して浜頓別に行って1日つぶすことにした。浜頓別はオホーツク海に面した北の街として、以前から興味があったので。

出発してしばらく走ると、かつての名寄本線上興部(かみおこっぺ)駅が鉄道資料館になっていたので、見学。
上興部鉄道資料館
上興部鉄道資料館
上興部鉄道資料館
 写真:上興部鉄道資料館

サロマ湖の西側の湧別にクルマをデポし、サロマ湖ポタリングに出かけた。
ちょうど、翌日が100kmウルトラマラソンで、ランナーが三々五々集まっていた。
 写真:湧別町文化センター

サロマ湖の近くを自転車で走っていると、リヤカーを引く旅人あり。
現在74歳で、旅に出て6年、もうすぐ7年で日本中を回っているとのこと。北海道に入って3ヶ月だけど、北海道の道は、真っ直ぐが長くてしんどい。積丹も行きたかったけどトンネルが多いからやめた、とのこと。
食事は道端の食べられる草とか、自分で済ましている。農業をやっていたので知識はある。
毎日行水でさっぱりしている。水は公園とかトイレの。
寝るのは引いているリヤカーの中。
なかなか工夫されているキャンピングカー。
ちゃんと奥さんと子どももいるけど、奥さんからは、もう帰ってこなくていい(笑)とのこと。
なんだかもう止められないそう。
 写真:リヤカーの旅人

サロマ湖を形成する砂嘴が切れ落ちている先端、サロマ湖灯台があるところまで行ってみたかったのだが、途中で一般車は通行止めになっていた。
 写真:サロマ湖、北西側からの通行止め地点

オホーツク海
 写真:通行止め付近から。左がオホーツク海。

そこは「竜宮台展望公園」の場所だったので、展望場所に登った。
サロマ湖竜宮台展望公園
 写真:竜宮台展望公園

そこにはキャンプ場の管理も任されている老漁師がいて話しかけてきた。
「自転車か、どこから来た?」
「京都ですが、自動車に積んで来て、要所要所自転車です」
「北海道に何がある?」

その哲学的ともいえる問いかけに、言葉がうまく出なかった。
北海道には何があるのだろう?

サロマ湖
 写真:サロマ湖竜宮台から砂嘴先端方向

 写真:竜宮台から反対側北西方向。右がオホーツク海。

デポ地に戻るべく出発してすぐに、サロマ湖を形成する砂州地帯の最果てに位置する「登栄床(とえとこ)」集落の開拓記念碑。

大正6年(1917年)にサロマ湖の牡蛎をとるために定住したのが開拓の始まり、とある。
平成8年(1996年)建立。webに地元の人による開拓誌がアップされており、内地にずっと暮らしてきた現代人の想像をはるかに超える営みが繰り広げられていたことがわかる。

登栄床
 写真:登栄床

登栄床
 写真:登栄床の開拓記念碑と神社

今ではホタテ養殖で財を成したと思われる漁家の家が建ち並ぶ
サロマ湖
サロマ湖
 写真:サロマ湖

牡蛎かホタテかわからないが、何らかの漁をしている船が多数湖面に浮かんでいた。
サロマ湖
 写真:サロマ湖の漁船

デポ地に戻り、自転車をクルマに積み、オホーツク沿岸を北上。
ドライブとしてはハイライトになるルートだと思っていたが、強風の中、淡々と走るだけであった。唯一、休憩ポイントとなったのが、北見神威岬を望む場所。

北見神威岬
 写真:北見神威崎を望む。

浜頓別市街の外れ、クッチャロ湖近くのとほ宿「トシカの宿」に到着。
トシカの宿
 写真:としかの宿