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丹波の秋 黒豆買いに2023/10/19

丹波の秋。収穫の秋。丹波松茸はなかなか手に入らないが、黒豆は現地に行けば可能。
居酒屋によくある冷凍枝豆とは全くの別物。真に美味しい。10月の数週間だけしか出荷されない。
近接する京都市内でも、スーパーマーケット等には出回らないと思う。

昨年末に会社の選択定年を選んだ元同僚の最終出勤日、たまたま私も出勤していて、「これからはこういうことで・・」と名刺を頂いた。

そこには「丹波篠山産 黒豆生産者」とあった。数年前、裸一貫黒豆生産の弟子入りを果たし、今では現地に拠点も構えて本格的に栽培されているとのこと。

秋晴れの一日、その方のところへ黒豆を分けてもらいに出かけた。
久々にお会いしたその方は、会社員の頃よりも断然爽やかなよい顔になっていた(失礼!)。

農は偉大なり。

丹波黒豆を分けてもらいに
写真:黒豆生産者になった元同僚

・走行日:2023年10月18日(水)
・自転車:グランボア55号ランドナー
・走行距離:111km
・峠:老ノ坂(219m)、天引峠(324m)、原山峠(348m)、六丁峠(181m)
・行程:自宅(京都市右京区)9:00〜9:48老ノ坂〜10:47養玄寺〜11:38天引薬師堂〜12:00天引峠〜12:19安口13:25〜13:28福住駅跡〜14:01原山峠〜14:29園部国道9号交差点〜15:05三俣川〜15:36請田神社〜15:55保津峡林道ピーク〜16:16六丁峠〜16:29広沢池周回観光道路交差〜16:42I’s Bicycle16:52〜17:02自宅

 平日の国道9号老ノ坂を走るのは、実は初めて。やはり交通量が多かった。王子から旧道に入る。旧道沿いの亀岡の街は、趣がある。国道沿いのチェーン店や量販店が林立するバイパス的景観を亀岡だと思っていたら大間違い。
 
 湯の花温泉のところから国道372(デカンショ街道)へ。バイパス化されている372号ではなく、旧道を繋いで走る。実に良い旧道が残っているのに、自転車でも新道を走る人が多い。旅情を求めるのではなく、トレーニングとしての走りなのだろうか。

丹波の秋
写真:丹波の秋・亀岡郊外にて

刈り取った稲を乾かしている民家に出会う。ヤギが長閑に草を食んでいた。
ヤギ
写真:長閑に暮らしていると思われるヤギ

毎年、この道を走るときには養玄寺で一服する。

養玄寺
写真:養玄寺

クボタの農業用車両があった

クボタの農業用ビーグル
写真:クボタの農業用ビーグル

旧道沿いには造り酒屋があったりする。

平田酒造場 琉璃の誉
写真:平田酒造場「琉璃誉」

司馬遼太郎が「街道をゆく」で絶賛していた天引(あまびき)の集落。薬師堂がある。

天引の薬師堂
写真:天引の薬師堂

天引峠はトンネルではなく、旧道(半分廃道のよう)を走った。亀岡側からの登りは、思ったより長かったが、篠山への下りは、あっという間。

天引峠 旧道
写真:天引峠

目指す福住地区は、伝統的建造物群保存地区になっている。看板は上が南になっている。京都や亀岡方面は左。

福住 伝統的建造物群保存地区 説明
写真:伝統的建造物群保存地区の説明板(丹波篠山市福住)

福住の街並み

福住

福住
写真2点:福住の街並み

安口(はだかす=集落名)にある、元同僚の家に到着。黒豆を分けて頂く。
昼ごはんもご馳走になってしまい、かたじけない。
会社勤めの時よりも、ずいぶん良い顔になっていらっしゃった。

安口を「はだかす」と何故読むのかは、丹波新聞の記事にはこうある。

丹波黒豆

黒豆の「さや取り機」も導入されている。

黒豆さや取り機
写真:黒豆さや取り機

リアルにお忙しい中おじゃましてしまい、辞する。
近くに国鉄篠山線(廃線)の終着駅であった福住駅跡があるので、見に行く。

国鉄篠山線 福住駅跡

篠山線福住駅跡 説明版

写真:福住駅跡

帰路は天引峠ではなく原山峠を通ってみた。なんと、峠のピークから園部側は未舗装路だった。部分的ではなく、麓のムラに出るまでずっと。なかなか面白い。

原山峠
写真:原山峠

原山峠からの道

原山峠道
写真:原山峠道

峠を下って園部に出て、亀岡盆地の北端の道を走る

亀岡盆地の道
写真:亀岡盆地の道

保津峡沿いに、いつもの六丁峠を通って、奥嵯峨へ。
保津峡は水量が減少していた。
保津峡沿いの道
写真:保津峡沿いに走る

保津峡に合流する清滝川
写真:清滝川。保津川との合流地点付近。

いつものように広沢池の周りを走り、I’s Bicycleに立ち寄って帰宅した。

広沢池
写真:広沢池。正面に愛宕山。


I’s Bicycle
写真:I’s Bicycle

*走行ログ

   おしまい

庚申塔など石像物・丹波の夜久野2023/03/06

自転車で走っていると石像物に出会うことが多い。自動車と違ってすぐに止まれるので、拝んだり写真に撮ったりしやすい。

石像物の多いエリアは景観も私好みであることが多い。

丹波の夜久野も、その一つ。JR山陰線上夜久野駅からのワンデイツーリングの記録。

夜久野町田谷
写真:夜久野町田谷

但東町河本
写真:但東町河本

但東町久畑
写真:但東町久畑

但東町久谷
写真:但東町久谷


◇走行日:2021年2月14日(日)
◇使用自転車:TOEI650Aランドナー
◇行程:JR上夜久野駅9:25〜10:23天谷峠〜10:51但東町出合市場〜13:08神懸峠〜13:49坂浦トンネルの上旧道〜14:23喜多〜15:14上川口駅〜15:59下夜久野〜16:30(旧道の峠)〜16:52上夜久野駅

◇峠:天谷峠(351m)、神懸峠(396m)

※ 走行gpsログの軌跡



紀勢線サイクルトレイン、御坊から牛廻越で十津川・木本・新宮2022/12/04


JR西日本 紀勢線 サイクルトレイン
写真:紀勢線サイクルトレイン車内

JR西日本の紀勢線(御坊ー新宮)で電車に自転車をそのまま載せられる「サイクルトレイン」が実施されている。特別の日のイベントというのではなく、地元の人が軽快車で日常的に使えるようなコンセプト。
シンプルな仕組みで、最初はこんなんで大丈夫なのか、と思ったが、輸送事業者側と利用者側の労力が最小限で済んで、お互いにメリットのある方式だと考えられる。利用者がマナーを守れることが前提。
提案した職員の人たちと、それを認めた管理者層には感謝。

自転車と列車を組み合わせた旅は、楽しい。自転車で走り終えた後、しみじみと車窓風景を味わいながら、列車のリズムに身を任せるのは至福の時。

今回のコースは、JR御坊駅から龍神村、牛廻越(うしまわしごえ)で十津川、白谷トンネルを抜けて木本、新宮。新宮駅からサイクルトレインで御坊駅に戻るというもの。

紀伊半島を横断する牛廻越は、高校生の時、まだ白黒の5万分の1地形図をみて、おどろおどろしくクネクネで人煙まれなエリアを通る、すさまじい道があるものだと驚いた記憶がある。

行程上、御坊駅を朝早く出発したいので、京都の自宅からはクルマで御坊駅まで行き、駐車場にデポすることにした。

御坊から新宮

JR御坊駅をスタートして、日高川左岸を走る。右岸は国道だが、左岸は細い道。伝統的な稲架があったりして、味わい深く期待通りの景観。途中で一旦対岸に渡り、道の駅で朝食。
蟷螂(かまきり)峠は、トンネルではなく旧道を行く。ダートが混じったりして、予想よりハードだった。
かまきり峠
写真:蟷螂峠

日高川から離れ、龍神村へは川合峠(地形図には峠名の記載がない)。クルマはほとんど走っていないみたいで、路面も荒れていた。普通乗用車では厳しそうなギャップや道路の割れが生じていた。

龍神村からはメインディッシュの牛廻越。ガードレールや路肩の白線もなくて、横は崖、落ちると重篤な結果をまねくであろう箇所がそこかしこにある。龍神から十津川へは山側走行なので怖くはないが、反対向きのダウンヒルだとリスクが大。

牛廻越への道
写真:国道425号、牛廻越。
牛廻越
写真:牛廻越のピーク。和歌山県龍神村と奈良県十津川村の境界。

無事、十津川温泉に到着。「平谷荘」泊。晩御飯に海魚の刺身が出て、「(山深い)十津川で刺身とは」と思ったが、女将さんがいうには新宮や勝浦からクルマで1時間ほどなので、とのこと。昔なら考えられない。

平谷荘
写真:十津川温泉 平谷荘。いい湯だった。

翌日は、芦廼瀬川(あしのせがわ)に沿って白谷トンネルを目指す。
芦廼瀬川には沢登りで3回きており、思い出深い場所。山深い紀伊山地でもその中核といえる場所。

芦廼瀬 白谷
写真:沢登り時、遡行終了後のデポ地広場。とても貴重な思い出の場所。
白谷トンネル
写真:白谷トンネル。

その後は不動トンネル、新大峪(しんおおさこ)トンネルと、長大トンネルを2つ抜けて熊野市へ。交通量が少なく、トンネル内でも不快な印象はなく済んだ。

熊野市駅前に地元の本屋さんがあり、立ち寄ってみた。地元の本を3冊買ったところ、年配の店主さんが話しかけてくれて、木本(熊野市の中心部)の街並みについて学んだ。いつ閉店になってもおかしくないような(失礼!)印象を店に入ったときには受けたが、志をもって続けられてきたことがわかった。本屋をやって、こども2人を大学に出した、としみじみ話してくれた。

熊野市駅 西書店
写真:熊野市駅前「西書店」
写真:購入した本

木本
写真:木本の街
木本の洋服屋さん
写真:木本の洋服店。ミシンを通りから見えるように配置しているのが印象的。料亭に対する割烹と相通じる精神か。

木本「紀南荘」泊。自転車ロードレースのチームも合宿で利用したりするとのこと。魚ではなく肉料理だった。

翌日は、木本の街並みをゆっくりポタリングした後、七里御浜。国道42号線ではなく、海沿いの管理道路を主に走って、新宮へ。
獅子巌
写真:獅子巌(天然記念物)
七里御浜
写真:七里御浜

新宮駅からはサイクルトレインで御坊駅へ戻り、帰宅した。
紀勢線 サイクルトレイン
写真:サイクルトレインの説明
新宮駅 サイクルトレイン
写真:新宮駅ホーム
紀勢線 車窓風景
写真:紀勢線、車窓


◇走行日:2022年10月14日(金)〜16日(日)2泊3日
◇使用自転車:グランボア650Bランドナー
◇行程:10月14日(金):京都自宅5:03=(自動車)=7:32御坊駅近駐車場、JR御坊駅7:55〜9:00サンピン道の駅9:20〜9:57蟷螂峠〜11:20椿山ダム〜11:52糠越トンネル〜13:05不老長寿の水〜13:34川合峠〜13:50龍神郵便局〜15:05牛廻越〜16:40十津川温泉「平谷荘」走行距離:117km
10月15日(土)平谷荘8:25〜9:30芦廼瀬川分岐〜10:41葛川隧道方面分岐〜11:49白谷広場12:18〜12:43白谷トンネル〜13:51不動トンネル〜15:13新大峪(おおさこ)トンネル〜15:40JR熊野市駅〜(ポタリング)〜16:30南紀荘(泊)走行距離:78km
10月16日(日)南紀荘7:20〜(木本ポタリング)〜8:10獅子巌〜9:16阿田和〜9:50鵜殿〜(新宮ポタリング)〜10:48JR新宮駅:11:44=(サイクルトレイン)=14:21紀伊田辺14:45=15:28JR御坊:駐車場15:42=(自動車170km2時間28分)=18:10京都自宅
走行距離:35km
◇宿:10/14 十津川温泉「平谷荘」、10/15 熊野市木本「紀南荘」
◇峠:蟷螂峠(237m)、川合峠(707m:地形図記載なし)、牛廻越(792m)、
白谷トンネル(864m)、不動トンネル(288m)、新大峪トンネル(428m)

鎧駅、浜坂から城崎へ但馬御火浦(たじまみほのうら)2022/11/27


鎧 集落
写真:兵庫県香美町鎧:自転車の道路はJR鎧駅で行き止まり。下の道路は集落の中を通って海で行き止まり。

宮本常一編「僻地の旅」修道社1960 という本を以前古書店で入手し、時々読み返したりしている。その中で写真・文筆家の大竹新助が「山陰の辺境」と題して城崎から鳥取にかけての海岸沿いのエリアについて描いている。

リアス式海岸の湾奥に集落が立地。自動車の走れる道路は高度経済成長期を経てようやく開通。それまでは船と歩きの細い道、隣の集落へは鉄道線路を歩くことが移動手段だった。

船と徒歩に頼る生活は、なにも兵庫県北部から鳥取県にかけての漁村に限ったことではないのだが、鉄道の本線(山陰本線)が走っているすぐ側の集落がそうであることが東京に住む大竹新助には意外だったようだ。「鎧駅」のある「鎧」集落や、鉄道が通過していても1959年(昭和34年)まで駅がなくて「陸の孤島」といわれた余部(あまるべ)集落がその典型。

かつて「日本の僻地」といわれたこのルートを帰省の行き帰りに何度か自動車で通過しているが、その度に今度は自転車で走りたいと思うのであり、このたび実行した。

城崎浜坂ルート
図:浜坂から城崎へのルート。
赤線は登りで青線は下り基調(Mac”Trail Note”ソフトで作成)

JR浜坂駅をスタート
写真:JR浜坂駅をスタート

浜坂 岸田川
写真:浜坂の街並みを抜け、岸田川を渡る


三尾
写真:尾根を越えて、ダウンヒルで「三尾(みお)」の漁村

但馬御火浦
写真:「三尾」「但馬御火浦」碑があった

但馬御火浦

但馬御火浦

但馬御火浦
写真(上3枚):人けのない海沿いの道を走り続ける。天気が良いので安心。

余部埼灯台
写真:余部埼灯台。国内で一番標高が高いところにある灯台とのこと。
遠くに灯台が見えた時、歩きでないと行けないかと思ったが、灯台まで舗装路だった。

余部埼灯台からの眺め
写真:余部埼灯台付近からの眺め

御崎 集落
写真:「御崎」集落。海面から150m以上高い孤立した立地。平家の落人部落。漁村的ではない。

坂を下って余部の集落
写真:海沿いのクネクネ道を下って、余部(あまるべ)集落手前。余部鉄橋が見える。

余部鉄橋
写真:余部集落内からみた、余部鉄橋、余部駅。かつては東洋一の高さを誇った。

余部鉄橋
写真:コンクリ製の2代目鉄橋に架け替えられた余部鉄橋

余部鉄橋を渡っていた回送客車列車の客車部分が強風で落下し、カニ加工場で働く地元の主婦5名と車掌が亡くなったのは1986年12月28日。私は、ちょうど年末の出勤当番で会社にいて、事故の一報を聞いて驚愕した。

余部鉄橋が竣工したのは1912年(明治45年)。それをもって山陰線が全通。
明治の早い時期に鳥取から京都へ出た私の本家の方のアルバムに余部鉄橋完成時期の写真が残っていた。
余部鉄橋
写真:余部鉄橋、竣工時期に撮影されたものと推察される

余部鉄橋の上り香住側、トンネルをいくつか抜けたところにあるのが鎧駅。
ホームから海が望め、ポスターで紹介されたりロケ地に使われたりしている。列車で通過する度に訪問してみたいと思っていた。道路は駅で行き止まり。生活道路に、車で乗り入れるのは憚られ、自転車だと好都合。

鎧駅へ
写真:自転車の道は鎧駅で行き止まり。下の集落の道は海で行き止まり。
鎧 集落
写真:鎧の集落
鎧駅手前
写真:鎧駅へ
私の受験や帰省、母の疎開、父の出張、祖父が御大典で上洛する時もこの鉄路を通ったのは確かで、同じような車窓風景を見たかもしれない。

鎧駅
写真:鎧駅
鎧駅
写真:鎧駅 ホームより海を望む

鎧駅
写真:鎧駅

鎧から県道へ上がる道には、文化年間のお地蔵さんがあった。
鎧 地蔵

香住の街を抜け、何度か海沿いのアップダウンを繰り返す。
海沿いの県道開通記念碑があった。難工事、住民の悲願だったのだろう。香住区相谷。
県道香住久美浜線開通記念碑
写真:「県道開通記念 香住久美浜線 昭和45年7月」

但馬の海岸をひた走る。

写真:香住ー竹野間
竹野からは鋳物師戻峠で城崎へ
鋳物師戻峠
写真:鋳物師戻峠

城崎温泉
写真:城崎温泉
このまま旅館に泊まれば最高なのだが、輪行で浜坂に戻り、帰宅することに。

城崎駅から輪行
写真:城崎からデモンタブル方式で輪行。キハ47の車内。

浜坂駅に到着
写真:浜坂駅に到着

夕方5時過ぎにはすっかり暗くなった浜坂駅に到着。京都の自宅へはクルマで帰る。

◇走行日:2022年11月21日(月)
◇使用自転車:グランボア650Bデモンタブル
◇行程:京都自宅4:15=(自動車)=6:40ローソン豊岡福田店(朝食)7:00=7:43浜坂駅8:06〜8:54三尾〜10:08余部埼灯台10:20〜10:45余部(昼食)11:30〜11:47鎧駅12:10〜12:30香住〜14:10竹野〜14:30鋳物師戻峠〜14:42城崎(輪行)城崎駅16:21=17:18浜坂駅17:25=(自動車)=20:30京都自宅
◇峠:鋳物師戻峠(248m)

余部の道の駅で購入した小冊子 余部鉄橋架替記念事業記念誌「余部鉄橋」兵庫県香美町2007年2月発行1100円、が大変参考になった。

コンセントレーションおにゅう峠(2022/11)2022/11/05

コンセントレーションの日本語訳は「集中」。
江若国境の「おにゅう峠」に11月3日の12時から13時の間に各人が集まるというイベントに参加してきた。

京都のツーリング自転車専門店「I’s Bicycle」のお世話で、感染症のため3年ぶりの実施。
好きなコースでバラバラに集まるのだが、私は、オーソドックスに花折峠(トンネル)、梅ノ木経由の自走。峠からは小浜に下って、輪行。走行距離は92km。

走行ログ(クリックして拡大)

走行ログの断面  ※走行ログはスマホアプリ「スーパー地形」で計測し、macの「Trail Note」で表示したものを使用

京都から大原、花折峠を越えて朽木谷から若狭へと繋がる国道367号線は、京の都へ若狭から鯖を運んだ「鯖街道」の歴史を持つルートだ。

私が自転車ツーリングを始めた頃、この道には路線バスと乗用車がすれ違うにも苦労するような箇所があちこちにあり、地形と折り合いをつけてなんとか通させてもらうような謙虚な道で、趣きがあった。近年改修されてしまって、トンネルと橋脚で直線的に車がビュンビュン飛ばして走るバイパスのようになってしまったが、今回、久しぶりにしみじみと走ってみることにした。

自宅を6:40に出発。自転車はグランボア700Cデモンタブル。
堀川玄以のコンビニで食料を買い、静原、8:08に江文峠で出発してちょうど1時間半。

江文峠
写真:江文峠

大原の旧道を走って8:38途中越。付近は霧に覆われていた。
花折トンネル9:03、止まって写真を撮る。

花折トンネル
写真:花折峠(トンネル)

国道は改修されているが、旧道が残っているところは、そこを選んで走る。

葛川木戸口町
写真:朽木谷:葛川木戸口町

葛川町居町
写真:朽木谷:葛川町居町・・・司馬遼太郎「街道をゆく」第1巻にも朽木谷は登場

梅ノ木で国道367号を離れ、朽木の西谷、針畑川沿いを走る。
惚れ惚れするほど、サイクルツーリング向きのエリアだと思う。
幸せを感じながら、ペダルを踏む。

朽木平良の民家
写真:朽木平良の民家

朽木桑原の神社の銀杏が色付いていた。

朽木桑原
写真:朽木桑原

蛭子神社
写真:蛭子神社(朽木桑原)

簡易郵便局のある朽木古屋。

朽木古屋
写真:朽木古屋:簡易郵便局

朽木古屋
写真:朽木古屋

おにゅう峠の登り口の集落「生杉」にある山村都市交流施設「山帰来」に10:45着。
カップヌードルでエネルギー補給。それにしても、快適な空間で食して200円というのは安すぎると思う。

山帰来
写真:朽木生杉にある「山帰来」

11:00に「山帰来」を出発しておにゅう峠到着11:42。私の場合、鞍馬神社から花背峠に登るのとほぼ同じ所用時間。傾斜は花背峠ほどきつくない。

おにゅう峠
写真:おにゅう峠

おにゅう峠への道
写真:おにゅう峠手前にて

生杉側
写真:朽木生杉側を望む

グランボア700cデモンタブル
写真:グランボア700cデモンタブル

おにゅう峠ではアイズバイシクルの皆さんにお迎えいただき、お菓子など、いろいろ頂く。総勢40名ほどが集まり、13時に記念撮影をして解散。

2022コンセントレーションおにゅう峠
写真:コンセントレーションおにゅう峠2022

写真:おにゅう峠・若狭側

小浜へのダウンヒルでは、遠くに上根来の集落と日本海が見えた。

写真:若狭側。上根来の集落と遠くに日本海。

上根来
写真:上根来

奈良・東大寺の「お水取り」のための水を採取して送る「若狭井」の神社は通過して、「遠敷(おにゅう)」の町へ(13:59)。

遠敷
写真:「遠敷」旧丹後街道
遠敷
写真:「遠敷」旧丹後街道

南川を渡り、小浜駅へ。南川沿い、国道27号線との交差点まで、京都・高雄から毎年、周山街道往復180kmタイムトライアルをチームで実施していたのが、懐かしい。6時頃出発して昼ごはんは高雄に戻って食べていたので、平均速度28km位だった記憶。もう30年程前の話。

南川
写真:国道27号線、南川の橋より、遠く丹波・京都方向を望む。

14:15小浜駅着。
今回は、久々にデモンタブル輪行。
輪行方法はフォーク抜きに美学を感じていたが、デモンタブルが実に簡単で手も汚れないと再認識。昨年、デモンタブル方式に「開眼」して、実践するのはそれ以降今回が初めてなのだが、想像以上の楽ちんさだった。以前の練習時よりもスリムに収められた。デモンタブル、恐るべし。

小浜駅
写真:小浜駅

小浜線で東舞鶴経由で京都へ。車窓からは若狭の海が広がる。

若狭の海
写真:小浜線の車窓より、若狭の海。

若狭湾の半島にある原発からの送電線。大阪や京都は、その恩恵を受けてきた。
水上勉の故郷の駅の近くにて。
原発からの送電線

嵯峨嵐山駅18:07、輪行組立スタート
デモンタブル輪行
写真:デモンタブル輪行袋を開けたところ

18:25には組立て、前後バッグも装着。特に急いだわけではないのだが、18分で完全に走行状態に復帰した。


おしまい。

◇走行日:2022年11月3日(木)
◇使用自転車:グランボア700cデモンタブル
◇行程:自宅6:40〜8:08江文峠〜8:38途中峠〜9:03花折峠〜10:45朽木生杉11:00〜11:43おにゅう峠13:05〜14:15小浜駅(デモンタブル輪行)15:29=16:16東舞鶴16:26=(まいづる12号)=17:49亀岡17:53=18:03嵯峨嵐山(輪行組立)18:25〜自宅
◇峠:江文峠(311m)、途中越(375m)、花折峠(トンネル)480m、おにゅう峠(833m)

岸池山 薬師寺 (がんちざん やくしじ)~いつものコース2022/03/06

西方の洛外に住む私の自転車ホームコースは、奥嵯峨から六丁峠、保津峡駅、水尾、神明峠、越畑の河原家住宅、神吉盆地。

神吉からは日吉ダム方面に行くこともあるが、周山を経由するか、細野の谷を走って周山街道から帰ることが多い。時間や気分によっては周山街道から京見峠を回って原谷、仁和寺、あるいは持越峠で雲ヶ畑に出て賀茂川沿いをホロホロと走って御所を通る、など。

で、今回は細野の谷を走るときに、いつも楽しみにしている「岸池山 薬師寺」のこと。
何故かというと、いつもきれいな字で、一言掲示がしてあり、それがなかなか味わい深いのだ。周囲の景観に溶け込んでいる佇まいもあってか、押し付けがましかったり説教臭く感じられないのも良い。

こんな感じというか、これは昨年の4月に撮影したもの。


「散る桜 残る桜も 散る桜」
良寛和尚の辞世の句といわれている有名な句。恥ずかしなら私は知らなかったのだが、この場所で、ちょうどハラハラと花が散るタイミングで目にして、なんというか感じ入った。

職場の定年は65歳に延びたが60歳で退職する選択肢もあり、どうしようか悩んだ思いもあって。サラリーマンも桜も一緒なんだと。見事に咲いてはいないけれど、もうちょっとは残ってみようか。

岸池山 薬師寺
                       2021年4月10日撮影

今年、昨日は、こんな掲示があって、更に自転車をつくろうとしている私の心への問いかけかもしれないと思ったりしたが、自分では際限があって合理性を有すると考える範疇においては、計画を変更する気持ちは無い。「自分のこととなるとまともに考えられなくなってしまうのか」と言われれば、「すみません、、」としか言いようがないのだが。


自動車で走っていては気づくことはないが、自転車ツーリングだとお寺の掲示にしばしば目を留める。

青垣
丹波の青垣にて(2021年5月)。

昨日も、いつものコース。

落柿舎
落柿舎の横を走って、

愛宕神社一の鳥居
愛宕神社の一の鳥居を左へ。

JR保津峡駅
六丁峠を越えて、JR保津峡駅を望み、

河原家住宅

河原家住宅
神明峠を越えて、樒原、越畑の河原家住宅。

細野川沿い
細野川沿いを走って、岸池山薬師寺。

岸池山薬師寺

今回は、階段を登ってお寺を拝観。

岸池山薬師寺

岸池山薬師寺

岸池山薬師寺。寺院活動にちょっと熱心な字の綺麗な和尚さんのいる田舎の寺かと思っていたら、光厳天皇の勅願所である由緒ある寺で、独自ドメインのHPを持ち情報発信にも対応されていると知った。
岸池山薬師寺

帰りは、持越峠、雲ヶ畑から賀茂川沿いに走ることにした。

雲ヶ畑
写真:雲ヶ畑
雲ヶ畑
写真:雲ヶ畑の大きな木
雲ヶ畑 高雲寺
写真:京都市北区雲ヶ畑の高雲寺

雲ヶ畑は、御所の上流にあたることから穢れとされていた埋葬も地区内では避けたというエリアであるが、賀茂川にダムを作る計画が持ち上がり、賀茂川沿いの土地利用が乱れた。

広範な市民の反対等によりダム建設は撤回されたが、菊の御紋とか日の丸のステッカーを貼った産廃車両が走るのを見かけるようになったことがあったのは、とても残念で情けないことであった。
                            (2022年3月5日走行)

奈良 上ツ道、下ツ道2021/11/27

奈良在住のMさんのお誘いをうけ、奈良の上ツ道(かみつみち)、伊勢街道、下ツ道(しもつみち)のワンデイツーリングに行ってきました。

上ツ道、下ツ道は、飛鳥時代の官道で、奈良盆地を南北に、奈良と桜井を結んでいる。

奈良盆地の地名は美しく、興味深い。佐保川、秋篠川、京終(きょうばて)などなど、地名看板だけでも写真に撮っておきたいくらいだ。民家も、普通に、趣深いものが残っている。ただ、平野で開発も進んでいたりするので、かつての風景を想像しながら、部分的に風景を切り取るシーンも少なくないわけで、同じような風景が広がるのではなく、時代や地域や諸々の差異を同時に目にしながら、それについて考える機会を与えてくれる。

奈良公園で鹿に挨拶した後、しばらく走ると、「丹波市」というところ。奈良で丹波という言葉の響きを聞くと、何故か落ち着く。

丹波市
写真:丹波市

丹波市
写真:丹波市。MさんのIRIBE カンパレコード仕様、ロードレーサーと。

写真:銀杏

二上山が見えた。

写真:二上山遠望

三輪そうめん山本の直営店に案内してもらい、にゅうめんと柿の葉寿司の昼食。桜井からは伊勢街道で下ツ道を目指す。

写真:伊勢街道、三輪神社。さりげなく存在しているが、実は歴史的にも重要な位置を占めている。

写真:伊勢街道のランドマークのひとつであった大木

下ツ道の渋い建築物

写真:下ツ道にて

写真:下ツ道にて

下ツ道では、環濠集落も案内いただいた。


「京奈和自転車道」で繋がっているので、京都嵐山からこの場所、和歌山まで自転車道で走れるみたいだ。

写真:京奈和自転車道案内

平城宮跡に、初めて踏み入れたが、こんなに広くて茫漠としているとは思ってもいなかった。何もないことが、かえって想像力をかきたてる。

平城宮跡
写真:平城宮跡

途中、時雨れて「ヒョウ」が降ってきて、顔に石つぶてをくらうみたいに痛かったりすることもあった。勾配はほとんどないので、クラシックロードでロー側のギヤ比が低くない自転車でも楽しめるであろう。

*走行日:2021年11月27日(土)
*使用自転車:グランボア シュパーブプロほぼフルセット スポルティーフ
*走行距離:60km

*走行ログ(クリックして拡大)

明辺鉱山・神子畑選鉱場・1円電車(跡)2021/11/22

廃墟、失われたものを想って、それを観光資源にするのは、ヨーロッパ人と日本人ぐらいではないかと書いていたのは村上春樹だったような記憶があるが、定かではない。

失われたものについての感情が人類の多くに共通なものなのかどうかは判らないが、かつて錫や銅の有数の鉱山であった但馬の明延(あけのべ)鉱山と神子畑(みこばた)選鉱場を想い、その2箇所を結んでいた「1円電車」跡を訪ねてみた。

1円電車
写真:運賃が1円なことから、「1円電車」と呼ばれた、鉱山鉄道。神子畑選鉱場跡。

昭和61年(1986年)発行の国土地理院5万分の1地形図には、路線が載っている。

写真:5万図「大屋市場」昭和61年発行 (クリックして拡大)

和田山駅をスタートし、法道寺から畑峠(地形図には記載なし)を経て、建屋川(たきのやがわ)沿いに標高を上げ、カカナベ峠、明延へ。

写真:和田山町法道時のお地蔵さん

畑峠
写真:畑峠

いつもは北近畿自動車道で通過している養父IC付近。建屋川と畑川の合流点付近。
 養父IC付近
写真:養父IC近くの橋

カカナベ峠は近年、車道が開通した峠
カカナベ峠への道
写真:カカナベ峠への道

カカナベ峠
写真:カカナベ峠

いよいよ明辺へ。鉱山が盛んな時代に潤ったのか、大きな家が手前にあった。


明辺地区に入ると、いきなりかつての鉱山住宅(跡)が飛び込んでくる。

明延、鉱山住宅
写真:明延の鉱山住宅跡。閉山後は市営住宅に使われていたとのこと。

写真:鉱山住宅跡。ここにも生活があった。

明延
写真:明延、ガソリンスタンド跡


1円電車
写真:明延、1円電車

写真:明延、1円電車


明延鉱山
写真:明延

鉱山関係の建物は、ほとんど取り壊されているが、唯一残った浴場のたてもの

明延、第一浴場
写真:明延、第一浴場(跡)

鉱山の中心地だったところ。インクライン跡が残っている。

明延鉱山中心地
写真:明延鉱山中心地(跡)

1円電車の踏切も塗り直されて残っていた。正面の蓋が1円電車のトンネル

1円電車踏切
写真:1円電車踏切跡とトンネル跡

地形図にある、鉱山中心地から奥の、行き止まり坑道跡らしきところまで、行ってみた。

写真:車道が通じるドンツキの坑道跡

坑道跡のところ。大きな建物があったのだろう。
写真:建物跡

1円電車なら明延から神子畑までトンネルで直通だが、今では明延から神子畑までは峠を2つ越えないといけない。傾斜も適当で、とても気持ち良く走れる道だった。

富士野トンネル
写真:1つ目の峠、富士野トンネル

傘杉トンネル
写真:2つ目。傘杉トンネル

神子畑小学校跡
写真:神子畑小学校跡

神子畑選鉱場
写真:神子畑選鉱場跡

神子畑選鉱場からは下り坂をスイスイ走ってJR播但線新井駅へ。
神子畑から新井駅へは、かつて「明延神新軌道」という鉱石輸送の鉄道が1889年から1957年まであったことを知った。

新井駅
写真:JR播但線新井駅

新井駅から輪行して帰ろうかと思ったが、播但線沿いに旧国道が和田山まで続いているので、そのルートを走って和田山駅まで大正解であった。

■走行日:2021年11月13日(土)
■使用自転車:TOEI650Aランドナー
■走行キロ:89km
■峠(5万図記載):カカナベ峠(409m)

※走行GPSログ(クリックして拡大)

峠の箱庭、「能勢」2021/11/21

5万分の1地形図を眺めていると、峠の記載が多いエリアというのは、日本の各地にある。京都北山エリアや「能勢」も、そのひとつ。

国土地理院がどういう基準で地形図に記載する峠名を定めているのかは知らないが、モータリゼーション以前から人や物資の往来に使われて、地域で認識されている箇所なのかもしれない。山道を越えて往来が必要な何かがあり、文化も伝播し、歴史的なものが多く残るエリアに多いといえるだろう。近年に開削された道路では、峠状の部分があっても、新たに命名されることはないと思う。

「能勢」は摂津の国の最北部、今でいう大阪府に属する。
「能勢電鉄」という私鉄が阪急宝塚線「川西能勢口」から延びているが、今回いうところの「能勢」には通じていない。通常、鉄道の会社名や路線名は、出発地や到着地を使うことが多いので、不思議に思っていたが、能勢電鉄の終点の「妙見口」駅は、以前は「東能勢村」であったので、齟齬はないのだろう。

今回いうところの「能勢」は、現在の行政区の能勢町とする。
単純ではない盆地状の地形。このエリアは、幕藩体制時、旗本領と藩領が入り組んでいたこともあってか、現在に続く市町界もわかりにくい。単純に分水嶺できれいに行政区が別れているわけではない。複雑な所領関係が多くの峠名を生んだのかもしれない。

今回、自転車で地形図記載の峠を全部回ってみることにした。

地形図記載等の峠は下記のとおり。括弧内は標高。
[南を接する豊能町と]
・野間峠(476m)
・大槌峠(295m)国道477号線
[北西を接する丹波篠山市と]
・天王峠(499m)国道173号線
[北を接する亀岡市と]
・ひいらぎ峠(272m)国道477号線・・・地形図には何故か記載がないが、峠には石柱があり関所もあった場所でもあり、記載。
[能勢町内の峠]
・はらがたわ峠(559m)
・浮峠(280m)
・篠口峠(288m)
・暮坂峠(312m)
・逢坂峠(302m)あいさかとうげ=相坂峠
・明月峠(269m)
・坂井峠(309m)
・仏坂峠(310m)
・猪ノ子峠(275m)
・堀越峠(385m)
以上、14の峠。

■DAYS1:2021年10月30日(土)
*使用自転車:グランボア650BランドナーOyakata
*行程:自宅~JR嵯峨嵐山駅=(輪行)=JR園部駅~福住~天王峠(499m)旧道~はらがたわ峠(559m)~浮峠(280m)~坂井峠(309m)~猪ノ子峠(275m)~野間峠(476m)~堀越峠(385m)~ひいらぎ峠(272m)~亀岡~老ノ坂~自宅
*走行キロ:99km

※走行ログ(クリックして拡大)

山陰線、嵯峨嵐山駅から園部まで輪行。
写真:輪行の車内

園部駅
写真:園部駅

園部駅をスタート。どちらに向かっても走り良いフィールド

写真:園部駅から、しばし走ったところ

天引峠(トンネル)を越えて、福住へ
写真:福住の電器屋さん

福住から天王峠で能勢を目指す。

写真:天王峠(旧道)、関所跡

写真:天王峠

峠には、阪鶴国道開通記念碑があった。碑文は旧道を向いているので、隧道ができたのはその後のこと。
阪鶴国道開通記念碑
写真:阪鶴国道開通記念碑

峠(今の道はトンネル)を越えると、能勢町の歓迎看板。

とはいえ、実は能勢町への行政区画の境は、旧道の峠のずいぶん下にある。このエリアは歴史的に所領が入り組んでいて、今に至るまで境界は複雑。
写真:現在の行政区画での能勢町境界

はらがたわ峠への途中に、興味をひく建物があったので止まってみると昼食も可能だったので、一休み。

写真:ラ・メゾン・ド・プロヴァンス

「ラ・メゾン・ド・プロヴァンス」というお店で、プロヴァンス風リゾットが美味であった。

写真:「ラ・メゾン・ド・プロヴァンス」

はらがたわ峠
写真:はらがたわ峠

はらがたわ峠からのダウンヒルは、山深い感じで気持ちよかった。
次の浮峠は、まさに箱庭的な峠。

浮峠
写真:浮峠

次の坂井峠は、平成6年発行の5万図では車道は無い。その後車道が開通したということ。

坂井峠
写真:坂井峠

次の猪ノ子峠は、以前走った時には不気味な印象だった。下からみると、斜めに道が登っているのが見えるが、なんか荒廃している感じだった。
今回は、天気がいいこともあってか、不気味な感じはしなかったが、途中の老人施設の先は相変わらずダートになった。

猪ノ子峠
写真:猪ノ子峠、迂回をすすめる看板

走っていくと、歴史を感じさせる石造物があり、ツーリングのフィールドとして良い雰囲気であった。先刻通過した、坂井峠が遠望できた。
坂井峠遠望
写真:猪ノ子峠道より望む、坂井峠


写真2点:猪ノ子峠道の石造物

峠を下って、天然記念物の「野間の大ケヤキ」

野間の大ケヤキ
写真:野間の大ケヤキ

次は野間峠。今回の峠の中で、いちばんハードな峠であった。

野間峠(トンネル)
写真:野間峠(トンネル)

能勢からの上りはきつかったが、峠を越すと、すぐに集落。しばらく走って堀越峠を目指す。本来、堀越峠は東から能勢への入り口の峠のような気がするが、峠の東にある杉原という集落が能勢町のため、町内の峠に今回は分類した。

写真:堀越峠

峠を下って、歌垣地区を北上して、亀岡市との境の、ひいらぎ峠を経て、帰宅。

ひいらぎ峠
写真:ひいらぎ峠

■DAYS2:2021年11月20日(土)
*使用自転車:TOEI650Aランドナー
*行程:自宅~老ノ坂~亀岡~ひいらぎ峠(272m)~篠口峠(288m)~暮坂峠(312m)~相坂峠(302m)~仏坂峠(310m)~大槌峠(295m)~名月峠(269m)~宿野~畑野~亀岡~老ノ坂~自宅
*走行距離104km

※走行ログ(クリックして拡大)

今回はひいらぎ峠から能勢に入る。

ひいらぎ峠
写真:ひいらぎ峠の能勢町看板

ひいらぎ峠
写真:ひいらぎ峠

旧道を走って篠口峠を目指す。篠口峠は、地形図で破線なので、ちゃんと通れるか心配したが、よく刈り込んではっきりした良い道であった。押しで歩き。

篠口峠入り口
写真:篠口峠入り口

笹口峠道
写真:篠口峠道

笹口峠
写真:篠口峠

峠を下るとあっけなく舗装路に出るが、その手前に名前の通りの篠の箇所があった。

写真:篠口峠道

舗装路に入って北上する。気をつけてないと通過しそうになるのが、暮坂峠。

写真:暮坂峠

次は相坂峠。規模は大きくないが、まあ峠らしい峠。峠の箱庭というのにふさわしいかも。

写真:相坂峠

峠を下って、古い道を行く。
橋の名称の手彫り感が素敵だ。

月形橋
写真:月形橋

写真:ひずめはし。牛馬が通行する道だったのだろうか。

そして、仏坂峠への道に入る。よい感じ。

仏坂峠道

仏坂峠には、ちゃんと仏様関連の石造物があった。
仏坂峠
写真:仏坂峠

その次は、大槌峠へ。川西能勢口からの直通ルートで現在では能勢へ入るメーンだろう。

大槌峠
写真:大槌峠

一庫ダムの知名湖岸を走って、再度能勢町に入り、今回の峠めぐりの最後は名月峠。

名月峠
写真:名月峠

写真:名月峠、名月姫の説明板

名月姫の墓
写真:名月姫の墓(中央が名月姫、左右は配偶者と父親)

峠からは旧道を下った。旧道だと、名月橋に出会った。

名月橋
写真:名月橋

宿野のお店で昼食をとり、そのまま北上して亀岡市広野に抜けた。能勢町と亀岡市の境には、特に峠の名称はついていない。

写真:能勢町宿野と亀岡市広野の境

広野からは、以前チームの練習会でよく走った道があるが、旧道を探して走ってみたら、まことに雰囲気の良い、ツーリング向けのよい道が残っていた。

写真:亀岡市広野

今回も、同じく、亀岡から老ノ坂で帰宅。
次々に峠をクリアしていく醍醐味と個性を味わえた、ショートツーリングであった。

ちょっと大阪市大正区へ、「リンカー」を買いに2021/11/17

先日、ちょっと大阪市大正区の「ナニワ銀輪堂」へ、デモンタブル輪行のアイディア商品「リンカー」を買いに行ってきました。

私の住む京都市右京区と大阪市大正区というのは、とても離れていて、行くには排気ガスや自動車の脅威に怯えながら走らないといけないと思うのかもしれませんが、実は交通ストレス僅少で気持ちよく走行時間3時間ちょっとで着くのです。

嵐山起点のサイクリングロードから淀川左岸のサイクリングロード、大川沿いに大阪市中之島を通って木津川(奈良京都のいわゆる木津川とは別の)の縁で、大正橋に突き当たる、というコース。

また、大阪市大正区というのは、岸政彦・柴崎友香「大阪」河出書房新社2021 で描かれていて、とても感じ入ることもありました。私は30年以上、「大阪」に通っていますが、大阪について語るには極めて狭くて小さな経験しかないわけで、本を通じて、フィールドを歩いたり自転車で通るだけではわからない世界が広がります。


自宅を出て約55分で、三川合流地点(桂川と木津川と宇治川が合流して淀川になる)の御幸橋(ごこうばし)に着きました。自転車は1987年に購入したTOEI650Aランドナー。

御幸橋
写真:御幸橋にてTOEI650Aランドナー

御幸橋からの淀川左岸のサイクリングロードは道幅も広く、嵐山サイクリングロードよりも時速3km以上ペースが上がります。大阪に近づくと、バイクやクルマ侵入防止の柵を通過するのに、ほぼ止まらないといけない箇所が増えますが、ほぼノンストップで気持ちよく走れました。

御幸橋から約1時間15分で「毛馬の閘門(けまのこうもん)」。淀川と大川の分岐です。
サドルの後ろの輪行袋は「ヤマネオリジナル輪行袋」。
写真:毛馬の閘門

大阪城の近く、天満橋で昼食をとり、中之島へ。会社の横を知り合いに出会わないように祈りながらヒソヒソと走りました。

大阪中之島公会堂
写真:大阪市中之島公会堂前にて

写真:勤務先の横をヒソヒソと走る

中之島も公会堂や美術館があるあたりと違って、西の方へ行けば、工業地帯というか街全体がマッシブな感じになります。昭和橋(せうわはし、と表記。戦前のものなので)のリベットがすごい。

昭和橋
写真:「せうわはし」
昭和橋
写真:「せうわはし」

京セラ大阪ドームの川向へ

京セラドーム大阪
写真:京セラ大阪ドーム

そこは、大正区、「岩崎運河橋梁」の存在感がすごい。どうして、あんな四角い橋梁なのでしょう?とても印象的。他で見たことがない景色。

岩崎運河橋梁
写真:岩崎運河橋梁
岩崎運河橋梁
写真:岩崎運河橋梁

ナニワ銀輪堂も岩崎運河橋梁の近く。
防潮堤もマッシブ。

写真:岩崎運河橋梁と防潮堤

防潮堤
写真:防潮堤

ナニワ銀輪堂
写真:ナニワ銀輪堂(午後2時から開店で、開店前の様子)

お目当ての「リンカー」を分けてもらいました。

リンカー
写真:「リンカー」

どのように使うものなのかは
をご覧ください。

帰りは、JR大正駅から輪行にしました。 

※走行ログ(クリックして拡大)
                                 おしまい