メルセデスベンツS204(Cクラス204系ワゴン)20万キロ12年維持費 ― 2024/08/12
写真:20万キロ達成 岩手県野田村にて
メルセデスベンツのクルマに乗りたかったわけではなく、というか自分が乗るクルマのブランドとしては、全く親和性がない、ある意味嫌な感じのクルマだと思っていたので、まさか自分が乗ることになるとは、想像もしていなかったのですが、
試乗したところ誠に運転しやすく、購入。購入してからは、何よりも長距離走が楽(先日、気仙沼→京都 約900kmをワンデイで走りましたが、特段どうということはなく、まあ普通に疲れたくらい)だと実感し、他のクルマに買い替える気持ちはありません。
クルマの運転に苦手意識が強かった妻が、このクルマにしてからは運転しやすいと言って一人で運転できるようになったのも、ありがたいことです。
そんなわけで、遊びと帰省にしか使っていない、通勤とか買い物等のチョイ乗りには使ってないクルマなのですが、12年弱で20万キロ走りました。
もっと長距離のオーナーは沢山いらっしゃるでしょうから、まだまだ子どもとまで言わなくても中年くらいのものでしょうが、購入時からガソリン代等の記録を付けているので、そういうことをSNSでアップするのは、はしたないことだとは思いますが、掲載します。
web上には「外国車は5年過ぎると故障がすごい」とか、まあ、いろんなことが書かれています。でも、実際の使用者のファクトの記録はあまり見ません。
もちろん、下記の記述も、事実とは言っても単なる一事例に過ぎず、それを演繹的に一般化することはできません。
私は民俗学とか歴史書に載らない常民の記録的なことに興味があるので、現代の常民の自動車保有コスト記録として書いてみました。
◎購入日:2012/10/28
◎20万キロ到達:2024/7/8、北海道ツーリングの帰路、岩手県九戸郡野田村にて
◎20万キロ到達後(200,150km)に給油するまでのガソリン消費量:14,251.06ℓ、総金額=2,169,959円、平均単価=152円/ℓ、平均燃費=14.0km/ℓ
◎車検費用合計(3年目、5年目、7年目、9年目、11年目):1,236,713円
◎1年点検合計(毎回受けているわけではありません):328,150円
◎不定期修理代合計:303,001円(2024年5月ハイマウントストップランプ交換等で17万円が高額修理、他は2023年6月サーモスタットハウジング交換98,373円、2020年10月スピードセンサー交換32,780円など:走行不能など重篤な故障は無い)
◎オイル交換(車検時分は回数には含むが金額には含まず):18回 ¥174,672円、平均10,561km毎に交換
以上、計4,212,495円、12年間で均すと毎年351,041円。
これに、タイヤ交換代(スタッドレス2回、ノーマル2回)、税金、任意保険料
が加わりますが、それらは車種に関係なく発生するものなので、捨象しました。
Cクラスの一番廉価モデルなのでタイヤが16インチ、大径タイヤと比べるとタイヤ代は安くついています。
Cクラスの一番廉価モデルなのでタイヤが16インチ、大径タイヤと比べるとタイヤ代は安くついています。
地方在住の方の多くのように、ご主人の普通車、奥様の軽自動車、軽トラ、の3台持ちの場合の自動車維持費のほうが、よほど大きいのではないかと推察します。
ひとつの事例として、失礼しました。
追記
20万キロ表彰バッジを付けてもらいました
利尻島一周サイクリング ― 2024/08/08
利尻山登山の翌朝、自転車で利尻島を一周しました。
昨日登った山を360度、いろんな角度から眺められて誠に感慨深かったです。
※深田久弥の「日本百名山」には「利尻岳」、国土地理院の地図では「利尻山」と記されています。私は百名山ハンターではないのですが深田久弥に敬意を示して登山の場合は「利尻岳」、サイクリングの記録には「利尻山」と書きました。
◎走行日:2024年7月3日 5:17〜9:29 4時間11分
◎走行距離:62km(サイクルコンピュータ)
◎使用自転車:グランボアER700Cランドナー
◎行程:ゆ〜にキャンプ場5:17〜(自転車専用道路)〜6:38沓形・利尻町運動公園(終点)〜7:12仙法志御崎公園7:27〜7:55鬼脇〜8:02石崎灯台〜8:46野塚(自転車専用道路入口)〜9:14富士見大橋〜9:26ゆ〜にキャンプ場〜鴛泊港12:05=(フェリー)=13:45稚内港
※ 走行ログ
幕営している「ゆ〜にキャンプ場」の至近距離に自転車専用道路の入り口があり、そこから沓形方向へ入ると、すぐに利尻山がドカンと現れました。
写真:自転車専用道路から眺める利尻山
自転車専用道路は自動車の走る道路よりも山側にあるため、背景に人工物等が少ない利尻山を観ることができます。
写真:自転車専用道路からの利尻山
海沿いにも出ます。
写真:本泊漁港
自転車専用道は、きれいに整備されています。
写真:利尻山を正面にみて、自転車専用道を快走
沓形の街中は通らず、山側の若干標高が高いところに自転車専用道はあります。
運動公園に出て、自転車専用道路は終了します。
写真:自転車専用道路の沓形側の終了地点
雰囲気の良い商店がありました。
写真:利尻町長浜「さとう商店」
上磯からバイパス的な「利尻ファンタスティックロード」を離れて、集落の中を走る旧道に入り、仙法志公園で一休み。
写真:仙法志御崎公園。利尻島の南岸にあたる。
写真:仙法志御崎公園より。カモメが岩の頂点から睥睨していた
写真:仙法志埼灯台
丸い形の島で、真ん中に利尻山があるので、いろんな角度から利尻山を眺められます。
写真:南浜(利尻島の南南東)から見た利尻山
写真:鬼脇(利尻島の南東)から眺める利尻山
石崎灯台に寄ってみました。塔高32mもあります。
写真:石崎灯台入り口
写真:石崎灯台
旭浜(利尻島の東岸)のあたりまでくると利尻山の形も穏やかになります。
写真:旭浜から望む利尻山
野塚(利尻島の北側)からは山側に自転車専用道が現れ、一般道から離れました。
途中、大きな橋が架けれています。自転車専用道のために、たいしたものです。
写真:自転車専用道路の橋
自転車専用道から鴛泊(おしどまり)の町が、きれいに見えました。
写真:鴛泊を望む
自転車専用道の小さなピークを越えて、ダウンヒルでしばらく走ると、あっという間に「ゆ〜にキャンプ場」至近距離の、利尻山登山口へと向かう道路に出ました。
写真:利尻山登山口への道に出た。前方の看板がキャンプ場入り口。
テントを撤収し、フェリー乗り場へと向かいます。
写真:ゆ〜にキャンプ場
フェリー乗り場に着くと、まだ時間があるので、正面に見える「ペシ岬」に登ることにしました。
写真:鴛泊港フェリー乗り場の正面に見える「ペシ岬」
写真:ペシ岬入り口
ペシ岬へと登る道からは、鴛泊の町が一望できます。
写真:鴛泊
写真:ペシ岬
港から見えたペシ岬灯台です。
写真:ペシ岬灯台
鴛泊港を見下ろし、正面に利尻山。
写真:鴛泊港と利尻山
鴛泊フェリーターミナルに戻り、建物内のレストランに行ってみると、団体客の予約のため一般客は入れず、向かいの食堂で「海藻ラーメン」を食べました。
ちなみに「生ウニ丼」は海が荒れて利尻島全体でこの日は供給がないとのことですが、値付は1万円でした。インバウンド観光客もいるとはいえ、それでも買う人がいる、需給バランスで値段が決まるとはこのことであり、こんな時代になっているのだと思いました。
写真:海藻ラーメン、1400円。
鴛泊港に停泊中の稚内行きフェリー「アマポーラ宗谷」。オペラで歌われるような響きです。
写真:「アマポーラ宗谷」4,265トン。
写真:フェリー船内
無事、出港。山腹に見える橋は、走ってきた自転車専用道。クルマのパイパスではありません。
写真:利尻山と山腹の自転車専用道の橋
さようなら、ありがとう、利尻島!
写真:利尻島を後に
太田山神社ー日本で一番危険な神社か? ― 2024/07/29
太田(山)神社には、吉永小百合主演、堺雅人出演の「北の桜守」(2017年)という映画を観て以来、是非行きたいと思っていました。
web上に「日本で一番危険な神社」と書かれているのが散見され、実際どんな感じなのか確かめたかったというのもあります。
標高350m付近に神社(本殿)があり、海岸からほぼ直登です。階段は急で踏み面も狭く歩きやすいとはいえません。
スタートしてちょうど30分で本殿前の広場まで登り、そこからは鎖場。緊張します。
お詣りして下山、全部で1時間15分の行程でした。
当日は、自転車ツーリングの途中、江差の宿を出発して、太田神社に到着。
写真:太田(山)神社
太田神社の説明を読んで、鳥居からの急な階段を上がります。
写真:太田神社の説明板
写真:太田神社と太田山神社と、両方の表記が混在
写真:階段を上ったところ
階段を上ってからは、登山道のようになっています。
写真:太田神社への道
途中に、祠がありました。
写真:途中にある祠
橋状のところを渡ると、鎖場、本殿直下に出ます。
写真:鎖場広場 手前
スタートして30分で、本殿直下の鎖場広場に出ました。
写真:鎖場
鎖(鉄輪)を登ったところに本殿があります。10mから落下しても100mから落下しても打ち所が悪ければ結果は同じなので、緊張するセクションです。
鎖の輪っかに足を乗せて登るのですが、そうするのは最初の2つ3つで、ハングしている取り付きを過ぎれば、斜面の岩に、容易に足を乗せることができます。
鉄輪に足を置くとブラブラして不安定ですが、手で鉄輪を持って、足は地面(斜面の岩)に置くと、身体は安定してスムーズに登れます。
最後の乗っこしのところで、緊張感はありますが、無事、本殿に到着。
写真:最後の乗越しのところ。背後には海が広がる。
写真:本殿に登りきったところ
写真:太田山神社
お参りしていると、登山装備の2人組みの方が登ってきました。
その人たちは、下りは持参したロープでビレイしていました。ハーネスを付けて。
その人たちは、下りは持参したロープでビレイしていました。ハーネスを付けて。
その日泊まった地元の宿の方に聞くと、太田神社で落下して怪我したという話は聞いたことがないとのこと。落ちて救急車を呼ぼうにも、どれだけ時間がかかるかわかりませんし、担ぎで要救護者を下ろすのも簡単ではない場所なので、事故対応を心配していましたが、これまでは大丈夫だったようです。
最初から急登で、鎖場も取り付きがハングしているので、登らない判断をする人も多く、事故がなく済んでいるのかもしれません。
本殿から海が広がる絶景は一見の価値がありますが、万人には勧められません。
登山道にはブヨがいたようで、蚊には気をつけていましたが、ブヨにやられて、その後1週間ばかり痒みが続きました。
「日本で一番危険な」神社かどうかは、あまねく神社を巡っているわけでもなく、わかりません。私の限られた経験では、石鎚山よりは緊張感がありました。
◎走行日 2024年6月21日
◎自転車 グランボアER700Cランドナー
*走行ログ(自転車+歩き)
利尻岳(利尻山)登山 ― 2024/07/19
北海道自転車ツーリングの締めに、利尻岳に登ってきました。鴛泊(おしどまり)コースです。
わざわざ行くのに、天気が良くないと残念過ぎるので、天気予報をみながら道内で日程調整して、無事、青空の下、登頂できました。
利尻岳登頂:2024年7月2日(火)
7/1(雨のち晴)・・・稚内フェリー乗り場近くの市営無料駐車場にクルマをデポ。
自転車テント泊装備でフェリーにて利尻島、鴛泊へ。
写真:利尻島へ。グランボアER700cランドナー。フロントサイドバッグ仕様。
雨が小降りになるまでフェリーターミナルで待機。利尻岳登山には携帯トイレが必要とのことで、フェリー売店にて2つ購入しました。単価500円。結局は1回も使いませんでしたが。
写真:携帯トイレ
小雨になってから鴛泊のセイコーマートで食糧やビールを購入し、「ゆ〜に 利尻島ファミリーキャンプ場」へ。
テン場に着いた頃には雨は上がりました。テン場には午後2時から7時まで屋台が出て、そこでビールやアテ、弁当等を売っている(しかも美味しかった)ので、セイコーマートで買う必要はありませんでした。歩いてすぐのところに町営の温泉施設もあり、そこの自販機でビールや飲料も買えます。セイコーマートからテン場へは、自転車ではたいした距離ではないので、雨が降ってなければテント設営後に買い出しに行っても、大丈夫。
写真:利尻島「ゆ〜にキャンプ場」
7月2日(火)晴れ 利尻岳登山
行程:「ゆ〜に」キャンプ場4:56〜(自転車)〜5:15利尻北麓野営場(登山口)5:23〜5:31甘露泉水〜6:24第1見晴台〜7:16長官山7:23〜7:33避難小屋〜7:57九合目〜8:33山頂8:53〜9:52長官山〜10:47第1見晴台〜11:48登山口
*休憩を含む登山行動時間6時間25分
登りに3時間10分、山頂で20分過ごし、下山に2時間55分、かかりました。
写真:利尻岳GPSログ(スーパー地形アプリで計測)
前日が強風で、利尻島への航空機が欠航したため団体客がおらず、渋滞もなく、特に急いだわけではありませんが、サクサク登れ、想定していたよりも早く山頂に着きました。
下のキャンプ場(ゆ〜に)から登山口までも、普段自転車に乗っている人なら、傾斜について特筆すべきことはありません。普通に走れます。グランボア700cランドナーで踏めばスッと気持ちよく進んで登山口に着きました。
写真:利尻岳登山口
スタートしてすぐに「甘露泉水」があります。水筒に水を満たしました。美味しい水です。最近はちゃんとアルミの水筒を復活させ、ペットボトルになるべく頼らないようにしています。
写真:甘露泉水
まずは、長官山まで樹林帯を歩きます。
写真:長官山へ
長官山に着くと、正面に利尻岳がドカンと見え、テンションが上がります。
写真:利尻岳、長官山より
写真:携帯トイレ用のトイレ
登山道は整備されていて、道迷いの心配はなく、歩きやすい傾斜です。最後の9合目あたりから若干急になりますが、特に危険な箇所はありません。但し、当日は天気が良く風も弱かったためそう思えたのかもしれません。北海道は風が強いので、気象条件によっては、また違った印象になると思います。
写真:利尻岳山頂
写真:利尻岳山頂からの礼文島
写真:利尻岳山頂から稚内方向
写真:通行禁止の南峰
写真:利尻岳山頂より沓形方向
写真:フェリーの着いた鴛泊(おしどまり)を望む
山頂でのんびり眺望を楽しみ、下山しました。下りの方が感覚的には長く感じましたが(実際はやはり登りの方が時間はかかっています)、昼前には下山し、ゆっくり温泉に入って、午後はビールを飲んでテントでまったりと過ごしました。
翌日は朝のうちに自転車で利尻島を1周し、前日に登った利尻岳をしみじみと眺めました。写真をたくさん撮ってのんびり走って4時間ほどでした。
テン場に戻り、昼のフェリーで稚内のデポ地に戻りました。
関東平野ライド〜喧騒無縁、鬼怒川と利根川の合流地点など ― 2024/03/23
宇都宮での法事の後、斯界の大先達にお願いして、関東平野のライドを組んでいただきました。主として常総市のエリアです。
地元を知悉されているだけあって、喧騒とは無縁な、小技の効いた、歴史を感じさせる味わい深いコースでした。誠にありがとうございました。
前日に守谷に入り、ビジネスホテルに宿泊。集合場所までお仲間がクルマで迎えに来られ、大変恐縮しました。その方の自転車を拝見して、びっくり。手間をかけたヒストリックな1台。只者ではありません。
写真:その方の自転車。
写真:ステムに鎮座するネコ
スタートして、鬼怒川の堤防を走ります。鬼怒川といえば有吉佐和子の小説『鬼怒川』で名を馳せたかもしれませんが、その伏流水を用いた宇都宮酒造の「四季桜」など、栃木の清流としての存在も思い起こされます。遙か正面には、雪雲が滞留しているのが見えました。山で雪を落として関東平野は快晴。
写真:鬼怒川に沿って走る
振り返ると遠くに富士山が見える箇所や、コーヒーミルのコレクションが並んでいる、美味なコーヒー店にも案内してもらいました。
快晴の下、水海道の板野家住宅へと小径を繋いで走りました。坂野家住宅は”水海道風土博物館”になっており、見学ができます。まずは、広大な敷地の板塀で自転車を撮影。
写真:先達のTOEI
写真:HIROSEのランドナー
写真:HIROSEの変速機など
写真:水海道の「坂野家住宅」国指定重要文化財
京都周辺には茅葺き民家が相対的に多く残っていますが、これだけの規模のものは知りません。古くから開発された地域では、領地が細分化されて複雑な所有関係であったりして、突出した規模の豪農が存続し難かったのかもしれません。この坂野家は新田開発で豪農としての基礎を固めたとのこと。
写真:坂野家住宅の屋根
写真:坂野家住宅の内部。
欄間や建具の造作も見事でした。
写真:坂野家住宅の門で記念撮影
坂野家住宅を出て、長閑な道を走って昼食場所へ。
写真:ダートの道が残っていました。
昼食の後、「弘経寺(くきょうじ)」へ。
写真:弘経寺の巨木
写真:弘経寺にて
写真:弘経寺の彫り物
鬼怒川が利根川に合流する「剣先」に向かいます。
写真:鬼怒川沿いを快走 (撮影は同行のFさん)
途中で、平地林が残っているところを通りました。平地林は近畿地方に住む者には、とても珍しく感じます。周囲の開発が進む前は、パターソンの絵画のような世界だったのかもしれません。
写真:平地林
しいたけの原木を作っていたけど、福島の原発事故で被害を受けたとのことです。
写真:平地林の中を走る
しばらく走ると、洪水時の遊水池となる広大な農地が現れました。
写真:広大な農地
関東平野ならではのビッグスケールを体感してからは、再び鬼怒川沿いに剣先を目指します。
写真:剣先へ
剣先には模型飛行機用の飛行場がありました。自転車を置き、徒歩で剣先の先端へ。
写真:剣先。左が鬼怒川で右が利根川。
鬼怒川や利根川を源流近くまで遡る自転車ツーリングをしてみたいと思いました。
帰路、メンバーのFさんのご自宅で小休止。
自転車工作部屋には、工夫された本格的な金属加工機械もありました。
購入した部品をチョイスするだけでなく、加工や修理や改良を自分でこなして自分の自転車を作り上げるという、クリエイティブな楽しみ方をされています。機材に関する理解のレベルが違います。今日はそんな方ばかり。
購入した部品をチョイスするだけでなく、加工や修理や改良を自分でこなして自分の自転車を作り上げるという、クリエイティブな楽しみ方をされています。機材に関する理解のレベルが違います。今日はそんな方ばかり。
こんな感じで、貴重な体験でした。ありがとうございました。
□走行日:2024年3月3日(日)
□使用自転車:グランボア650Bランドナー(oyakata10号)
□走行エリア:守谷市、常総市の主として鬼怒川沿い
□走行km:46km
☆同行頂いた方のブログを教えてもらいました。このエリアを丁寧に走られており、地域の魅力が伝わります。https://the4thcat.exblog.jp/i13/
「ある限界集落の記録 昭和二十年代の奥山に生きて」新見市上熊谷指野へ ― 2023/12/09
自転車でルーラルなエリアを旅するのが好きです。人の手が加わって先人の労働の集積で形成された景観に感じ入ります。
そこにどんな人が住んでいて、何をして暮らしているのか、かつてどんな暮らしだったのかを知りたくて、関係する本を購入することもしばしばあります。
そんな日々を過ごす中で、朝日新聞の1面書籍広告に小谷裕幸「ある限界集落の記録 昭和二十年代の奥山に生きて」富山房インターナショナル2023 を見つけ、早速買い求めました。

帯のコピーには「消えゆくふるさとへの思い 岡山県中国山地、山あいの小さな集落ーー戦中・戦後、家族が辿った人生と、高度経済成長期以前の生活を、ドイツ文学者が鎮魂の書として綴った貴重な記録」とあります。
農山漁村をフィールドにした生活歳時記的なエッセーや聞き書き、ルポルタージュや民俗学的記録や論考はこれまでも様々な形で刊行されていますが、リアルにそこで暮らしていた方が学業や就職で巣立った後に、育った集落や人々について他者にわかりやすい形で、主体的具体的に記した本というのに、これまで私は出会ったことがありませんでした。
筆者は鹿児島大学教授を勤め、ドイツ文学が専門。専門外のテーマだからか、学術書や大学のテキストのようにはなっておらず、自由な立場で伸び伸びと自分の育った集落や人々について書かれています。かといって自分史のようになってしまってはおらず、テーマを外れることなく抑制の効いた構成だと思いました。
そんな感想をもち、これはぜひ、書かれたフィールドを訪問したいと思い、現地へと向かいました。岡山県新見市(にいみし)上熊谷(かみくまだに)指野(さすの)へ。
*走行日:2023年12月6日(水)
*自転車:グランボア55号ランドナー
*行程:京都自宅6:10=(名神ー中国道)=大佐スマートIC=9:35JR姫新線岩山駅(車デポ)9:50〜11:00指野〜11:40草野〜12:30平吹〜12:45東山〜13:00本誓寺入口〜13:22養鶏場〜13:37大下〜13:55東前寺14:10〜14:45小坂部ダム〜15:25新見市役所横〜16:00岩山駅=(中国道)=17:15津山・あけぼの旅館(泊)
*走行距離:52km
*宿泊:あけぼの旅館(津山市)
写真:JR姫新線岩山駅。1929年に建築され当時の姿を多く残しているとのこと
写真:岩山駅改札
写真:岩山駅プラットホーム
写真:岩山の駅前通り ガソリンスタンド
写真:岩山の駅前通り
写真:指野へと向かう道
写真:土壁で窓の大きな蔵があった
岩山駅前で出会った方に、この本のことを話したところ、筆者の同級生の人をよく知っていて「(その人に)電話してあげようか」とおっしゃってくださったが、「お忙しいでしょうし、そこまでは、ありがとうございます」と返答したが、指野への坂道を走っていたところ自動車が止まり(先ほどの方から電話があった)、「自転車ではこの先の坂道はとても登れないだろうから車に乗せてあげる」とその同級生の方。
筆者について、「とても苦労して新見高校から大阪大学に進学し、ドイツ留学もしたが、いまでも帰省したときにはウチに必ず立ち寄ってくれる」と。
何度も車に乗るようにすすめられたが「自転車に乗るのが好きで、坂道も大丈夫ですから」と言って固辞した。

写真:筆者の同級生の方
写真:指野への道
写真:指野道路記念碑
「指野道路記念碑」があった。指野に電気がついたのは昭和21年(1946年)、道路が通じたのは昭和35年(1960年)。道路はそこそこ傾斜があるが、グランボア55号の28X28ギアで、問題なく走れた。
写真:指野道路記念碑
集落の入り口に石仏が鎮座されていた。
写真:指野の石仏
指野の集落景観
写真:新見市上熊谷指野
写真:指野から望む山々
地形図をみると、指野よりも更に標高の高いところに「草野」という集落があるので行ってみることにした。
写真:草野への道
写真:草野への道
写真:「草野」耕地の潰廃が進んでいる
もしかして廃村になっていて通い耕作になってしまっているかもしれないと心配したが、郵便配達のバイクと出会い、杞憂であった。近代国家である日本では、全国どんなところにでも人が居住している限り郵便制度を利用できる。
写真:草野、郵便配達。
写真:草野:郵便配達が向かったお家
筆者が盆には訪ねた「東前寺」が山を越えた小坂部川の斜面にあるので、そこにも行ってみることにした。
地形図で実線の道路は、未舗装で落ち葉に埋もれていた。かつて使われた歩きの道とは違って後年にできた道であろうが。
写真:東前寺への道
途中に平吹という集落がある
写真:平吹
平吹から下る道には自動車のタイヤ跡は見当たらず、日常的に行き来はないのかもしれない
写真:平吹からの道
写真:東前寺
写真:東前寺
写真:東前寺
写真:東前寺
写真:東前寺の石像物
東前寺から新見市街への小坂部川ダム美穀湖(みよしこ)沿いの道が、法面崩壊で通行止めになっていたが、通過。通行する車がないからか道路が落ち葉で深く覆われていて、落ち葉に隠れた岩片や石でタイヤのサイドを切らないように緊張しながら走った。
ダム横で、人の気配が全くなく、とても心細かった。
写真:小坂部川ダム沿いの落ち葉に埋もれた道
写真:小坂部川ダム
小坂部川ダムからは、断崖絶壁のワインディングロードを走って新見市街へ出、岩山駅に戻った。
写真:小坂部川ダムからの帰路
翌日の行動を勘案し、宿は津山市の「あけぼの旅館」。津山市内で一番古い旅館とのこと。料理も美味しく、誠に良い宿であった。
写真:あけぼの旅館(津山市)
写真:あけぼの旅館の部屋
走行ログ 走行距離52km(Trail Noteソフトで制作)
おしまい
京都府北桑田郡における草屋根の減少 1984年度卒業論文 ― 2023/11/14
9月に会社の先輩ご夫婦と先輩と旅をしました。私が幹事役だったので、若狭湾の常神半島の民宿に泊まり、翌日は美山町の枕川楼で鮎を頂いてから、茅葺の集落景観で今や一大観光地となった美山町の北村へ。
北村は私の卒業論文のフィールド。地元の方にも随分とお世話になり、茅葺のムラとして脚光を浴びる前、1983年から1984年にかけて調査に伺いました。ちなみに北村が「かやぶきの里」として重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けたのは1993年の12月です(全国で36番目)。
大学3回生と4回生時、卒論制作が本当に面白くて、北大路堀川の下宿で、マービン・ゲイの「what's going on」のA面を(まだCDは普及しておらず、レコード)繰り返し聴きながら執筆していたことが思い出されます。
卒論完成後、お世話になった地元の方に卒論のコピーを送ったところ、過分のご評価をいただき、「美山町誌」に私の論文のことが記載されたりしました。
そんなこともあって、地元の方ーー中野文平先生というかやぶきの里の産みの親ともいえる集落再興のキーマンーーを通じて、北村に関心を持った方から、その後も卒論に目を通したい等の依頼がありました。
で、今回、久々に集落内に伺ったところ、たいへんお世話になった方と四半世紀以上ぶりに再会したのですが、開口一番「卒論を読みたい」とおっしゃっていただき、コピーを郵送しました。しかし、改めて見直すのに、手書きの時代であり、なんとも見苦しいので、今回パソコンで本文を打ち直した次第です。
読み直してみるのに稚拙な表現など多々ありますが、手は加えていません。
学術的な評価はともかく、資料的には何かの参考になるかもしれないと思い、恥ずかしながらアップする次第です。プライバシー意識の変化で、今ではこのようなフィールドワークは困難かもしれません。
卒業前の3月、東京学芸大学で開催された「第33回 全国地理学専攻学生卒業論文発表大会」での要旨発表記録も。
大学院に進みたい思いはあったのですが、望外の就職内定が得られ、会社では営業職のサラリーマンとして過ごしました。未発表論文、そのままの内容です。
2)「京都府北桑田郡における草屋根の減少」1984年度卒業論文
3)図表1、図表2、図表3
※興味関心のある方は、個別にご連絡ください
写真:美山町北 グランボア700cデモンタブル スポルティフ
(2023年10月撮影)
(2023年10月撮影)
メルセデスベンツ車検(11年目)C180 18万キロ ― 2023/10/20
2012年10月納車のメルセデスベンツc180ワゴンの11年目の車検を通した。
181,322km走行し、12,962.8リットルのガソリンを消費。平均燃費は14.0kmで、9年目車検の平均燃費と全く変化なし。
車検はシュテルン京都(京都マツダ)、購入店ディーラー。
9年目車検のあと、何も問題ないかと思っていたら、2023年6月に冷却水に関する警告灯がメーターに表示され、ディーラーに持って行ったところ、サーモスタットハウジングからの液漏れとの診断結果。修理に9万円かかったが、それ以外に何のトラブルもなく18万キロまできている。走行に困るようなトラブルは新車納車後、一度もない。
今回の車検で結構な金額がかかるかもしれないと覚悟して臨んだが、
自動車重量税+自賠責保険料+車検手数料が69,650円、これを前払いし、
車検後の支払いは208,230円、合計車検総費用277,880円 だった。
内容は、車検基本整備(法定2年点検)、総合検査料(保安基準適合検査)、シャーシスチーム洗浄&下回り錆止め塗装、油圧式ブレーキング・システムのブレーキ・フルード交換、エンジンオイル&フィルター交換、クーラントブースター、フロントアクスルのスタビライザー用スタビライザバーリンゲージ2個の交換、フロントウインドとリアウインドのワイパーブレード交換、エアコンのダストフィルタ交換、エンジン用エアエレメント交換
で 技術料130,130円、部品代74,800円の合計208,230円。
代車に2000キロしか走っていないC220dワゴンを貸してくれたが、走りは11年前のc180で何の不満もなく、操作性やメンテナンス等を勘案しても、いくらお金があったとしても新車に買い替えたいとは全く思わなかった。大切に乗り続けたい。
丹波の秋 黒豆買いに ― 2023/10/19
丹波の秋。収穫の秋。丹波松茸はなかなか手に入らないが、黒豆は現地に行けば可能。
居酒屋によくある冷凍枝豆とは全くの別物。真に美味しい。10月の数週間だけしか出荷されない。
近接する京都市内でも、スーパーマーケット等には出回らないと思う。
近接する京都市内でも、スーパーマーケット等には出回らないと思う。
昨年末に会社の選択定年を選んだ元同僚の最終出勤日、たまたま私も出勤していて、「これからはこういうことで・・」と名刺を頂いた。
そこには「丹波篠山産 黒豆生産者」とあった。数年前、裸一貫黒豆生産の弟子入りを果たし、今では現地に拠点も構えて本格的に栽培されているとのこと。
秋晴れの一日、その方のところへ黒豆を分けてもらいに出かけた。
久々にお会いしたその方は、会社員の頃よりも断然爽やかなよい顔になっていた(失礼!)。
農は偉大なり。
写真:黒豆生産者になった元同僚
・走行日:2023年10月18日(水)
・自転車:グランボア55号ランドナー
・走行距離:111km
・峠:老ノ坂(219m)、天引峠(324m)、原山峠(348m)、六丁峠(181m)
・行程:自宅(京都市右京区)9:00〜9:48老ノ坂〜10:47養玄寺〜11:38天引薬師堂〜12:00天引峠〜12:19安口13:25〜13:28福住駅跡〜14:01原山峠〜14:29園部国道9号交差点〜15:05三俣川〜15:36請田神社〜15:55保津峡林道ピーク〜16:16六丁峠〜16:29広沢池周回観光道路交差〜16:42I’s Bicycle16:52〜17:02自宅
平日の国道9号老ノ坂を走るのは、実は初めて。やはり交通量が多かった。王子から旧道に入る。旧道沿いの亀岡の街は、趣がある。国道沿いのチェーン店や量販店が林立するバイパス的景観を亀岡だと思っていたら大間違い。
湯の花温泉のところから国道372(デカンショ街道)へ。バイパス化されている372号ではなく、旧道を繋いで走る。実に良い旧道が残っているのに、自転車でも新道を走る人が多い。旅情を求めるのではなく、トレーニングとしての走りなのだろうか。
写真:丹波の秋・亀岡郊外にて
刈り取った稲を乾かしている民家に出会う。ヤギが長閑に草を食んでいた。
写真:長閑に暮らしていると思われるヤギ
毎年、この道を走るときには養玄寺で一服する。
写真:養玄寺
クボタの農業用車両があった
写真:クボタの農業用ビーグル
旧道沿いには造り酒屋があったりする。
写真:平田酒造場「琉璃誉」
司馬遼太郎が「街道をゆく」で絶賛していた天引(あまびき)の集落。薬師堂がある。
写真:天引の薬師堂
天引峠はトンネルではなく、旧道(半分廃道のよう)を走った。亀岡側からの登りは、思ったより長かったが、篠山への下りは、あっという間。
写真:天引峠
目指す福住地区は、伝統的建造物群保存地区になっている。看板は上が南になっている。京都や亀岡方面は左。
写真:伝統的建造物群保存地区の説明板(丹波篠山市福住)
福住の街並み
写真2点:福住の街並み
安口(はだかす=集落名)にある、元同僚の家に到着。黒豆を分けて頂く。
昼ごはんもご馳走になってしまい、かたじけない。
会社勤めの時よりも、ずいぶん良い顔になっていらっしゃった。
安口を「はだかす」と何故読むのかは、丹波新聞の記事にはこうある。
黒豆の「さや取り機」も導入されている。
写真:黒豆さや取り機
リアルにお忙しい中おじゃましてしまい、辞する。
近くに国鉄篠山線(廃線)の終着駅であった福住駅跡があるので、見に行く。
写真:福住駅跡
帰路は天引峠ではなく原山峠を通ってみた。なんと、峠のピークから園部側は未舗装路だった。部分的ではなく、麓のムラに出るまでずっと。なかなか面白い。
写真:原山峠
原山峠からの道
写真:原山峠道
峠を下って園部に出て、亀岡盆地の北端の道を走る
写真:亀岡盆地の道
保津峡沿いに、いつもの六丁峠を通って、奥嵯峨へ。
保津峡は水量が減少していた。
写真:保津峡沿いに走る
写真:清滝川。保津川との合流地点付近。
いつものように広沢池の周りを走り、I’s Bicycleに立ち寄って帰宅した。
写真:広沢池。正面に愛宕山。
写真:I’s Bicycle
*走行ログ
おしまい
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