”四国一周サイクリング”にエントリーして東半分(前編) ― 2024/09/10
”四国一周サイクリング”とは愛媛県の観光スポーツ文化部が推進しているプロジェクトです。
せっかくなので、登録してみたのが、コロナ前のこと。
コロナの大波にも負けず、ちゃんとプロジェクトが続いているのは喜ばしいことです。
四国には何度かツーリングで訪れており(足摺岬、祖谷、とびしま海道しまなみ海道、四万十川沈下橋)ほんと良いところだと常々思っていることもあり、2023年の秋、四国一周サイクリングにエントリー実走しました(東半分)。
四国一周を35時間切りでこなす凄い(日本のロングライド第一人者ですから)走り方もありますが、のんびりと観光しながら。なるべく国道を外して旧道や脇道を地形図アプリ(スーパー地形)を活用して走りました。
◎日程:2023年10月31日(火)〜11月6日(月)6泊7日
(自転車走行は11/1〜11/5の4泊5日)
・[移動日]10月31日(火)晴れ:
京都7:13=7:40新大阪7:56=(のぞみ273号)=8:41岡山9:05=(マリンシティ15号)=9:58高松10:13=(南風リレー号)=11:25観音寺11:40 =15:13松山、松山駅〜道後温泉、オールドイングランド道後山の手ホテル(泊)
・Day1:11月1日(水)晴れ
松山(道後温泉)8:30〜三津浜〜(しまなみ海道)〜馬島〜大島椋名(ピストン)〜(しまなみ海道)〜16:30今治、今治プラザホテル(泊)、96km走行
・Day2:11月2日(木)晴れ
今治8:30 〜西条〜17:30観音寺、観音寺グランドホテル(泊)、111km走行
・Day3:11月3日(金)晴れ
観音寺8:30〜高松〜16:25志度、たいや旅館(泊)、95km走行
[峠]加嶺峠
・Day4:11月4日(土)晴れ
志度7:50〜大坂峠〜徳島〜15:45阿南市、ルートイン阿南(泊)、101km走行
[峠]小方峠、大坂峠
・Day5:11月5日(日)晴れ後雨
阿南市7:20〜14:50室戸岬、岬観光ホテル(泊)、115km走行
・[移動日] 11月6日(月)雨
室戸岬=奈半利(輪行)=京都
◎使用自転車:グランボア650×42B Oyakata55号ランドナー
道後温泉のホテルにて、”四国一周サイクリング”公式ジャージ
◆Day1:11月1日(水)松山〜今治 96km
*走行ログ(クリックして拡大)
ホテルを出て、まずは愛媛県庁、四国一周モニュメントに表敬訪問
松山の外港、三津浜へ。
祖父が戦前、「愛媛県女子師範学校」の教員だったことがあり、三津浜は母の出生地でもある。祖父は晩年になっても当時の教え子に招かれて松山を訪問していた。写真は女子師範学校跡。
三津浜は漁師町でもある
小林一茶も利用したという「三津の渡し」(松山市高浜2号線の一部80m)で三津浜から対岸に渡った。
大西町というところの旧道を走っていたところ、天水瓶が屋根の上にある家があった。大庄屋の家で本陣にもなり、後年役場としても使われたと説明板にあった。
松山から今治までだと距離が短く時間が余るので、しまなみ海道にちょっとだけ寄っていくことにした。
しまなみ海道を全部走る時間があるわけでもないので、途中の「馬島」に降りてみた。
橋から島に降りるエレベーターを出ると、橋梁工事の慰霊碑があった。六字名号を唱えた。
馬島。島民居住エリアには外来者は入り込まないようにとの看板。
橋から島を見下ろすのとは、正反対のアングル。
馬島の先端の「ウズ鼻灯台」まで行ってみた。
神社に隣接しており、そこでは音楽アーティストを名乗る若者が、「音楽活動へのインスピレーションを得るためにここに来た」と言って佇んでいた。
大島まで行って引き返し、今治へ。大島からみた本四架橋、しまなみ海道。
今治市内、今治プラザホテルに泊。フロントロビーに自転車ラックが用意されている。
晩ご飯を食べに出た。道路には巨大なスクリューがライトアップされていた。造船の街、今治。
◆Day2:11月2日(木) 今治〜観音寺 111km
*走行ログ(クリックして拡大)
快晴の下、今治城の外周を経て、旧道を繋いで今日は観音寺まで。写真は今治城。
菅原道真が太宰府に配流される途中、嵐に逢って漂着。この地の漁民が助けた場所に建立された「綱敷天満宮」に立ち寄る。
大灯籠には「伊万里仲間」とあり、当時の物流の大動脈である瀬戸内航路の安全を願う思いとその財力が伝わる。
菅原道真公の衣を干したとされる岩
指定された道の駅でスタンプを集めるのがミッションなので、指定箇所には全て寄るようにした。写真は「今治湯ノ浦温泉」道の駅。
Googleマップに「西条のベネチア」とあったので、どんなところか行ってみた。
西条市難波、これがベネチアか!? 確かに水路が走っているが、、。
ベネチアからそのまま走った堤防沿いからは、石鎚に連なる山々がよく見えた。
西条市、県立西条高校の隣にある「愛媛県民芸館」を見学。やはり西条という地にはこういうものを設立できる文化力があったのだろう。
愛媛民芸館にて。
写真のような「旧街道」が残っており、今治から観音寺まで、国道を走る区間はほんの僅かで済んだ。讃岐街道。
今回の一周プロジェクトがなければ、四国の瀬戸内側の都市間を自転車で走ることはなかったと思う。やはり、実際に現地に入らないとわからないことは多い。
観音寺グランドホテルに宿泊。11月いっぱいで営業を終了するとフロントの人から聞いたが、経営企業が変わり、営業が続いたようだ。
エロイカJAPAN2024「踊り子」144kmに参加 ― 2024/08/29
”エロイカ”という自転車イベントに初めて参加してきました。”エロイカ”とは、もちろんベートーヴェンの第3番交響曲の愛称と同じで”英雄”という意味です。
イタリア発祥の自転車イベントで、「参加者自身の努力において、困難を乗り越えること」がエロイカ精神とされており、参加者はその精神の尊重が求められています。詳しくはエロイカJAPANのサイトで。
レギュレーションでは、1987年までに開発された機構を使用すること(ビンディングペダルやディスクブレーキは不可)などが定められています。ウェアもウールを着用している人がほとんどで、クラシカルなスタイルで走ることが望ましい感じ。
なぜなら、「サイクリングやスポーツの新しい未来を創造するために過去から学ぼうとする活動」だからです。
2024年JAPANの大会は伊豆半島で開催され、コースは
・サムライ 183km
・踊り子 144km
・FUJI80 79km
・FUJI30 28km
の4つで、私は”踊り子”144kmに出走しました。
自転車は、イタリア車の「CASATI Gold Line」をチョイス。1990年に購入したモデル。当時としては珍しいワイヤーフル内蔵のエアロデザインです。カンパ スーパーレコードフルセットなので、レギュレーションにも合致しています。サイクルコンピューターは外して大会に臨みました。
写真:CASATIゴールドライン
写真:エアロデザインのwレバー
写真:カンパスーパーレコード 52×41
写真:カンパスーパーレコード。スプロケットは13.14.16.18.21.24 の6速。24でも問題なく使えた。
写真:リムはフィルのシリウス。チューブラ。
この自転車でレースや大会に出たことはなく、おまけに最大ローギアが41×24で、伊豆半島の急坂を登れるのかと心配していましたが、実際走ってみると、何の問題もなく、ダンシングは多用しましたがスルスルと気持ちよく登坂できました。イタ車は、不思議と良く走ります。踏むとスッと前に出て重たいギアを踏めるけど疲れが溜まりにくいとでもいうか。今回のCASATIが将にその通り。私が経験しているのは他にデローザ ネオプリマートと、制作所不祥のクラシックレーサーだけですが。
そんなこんなで当日の朝を迎え、2024年5月12日(日)午前6時、「韮山文化センター」をスタート。
写真:韮山文化センターのスタート/ゴール 地点
タイムや着順を競ってはいけないルールなので、普通のチーム練習的なスピードでスタートしたのですが、すぐに先頭になってしまいました。他の人の自転車を見ながら走りたいのですが、後ろがなぜか来ません。
しばらく走っていると1人追いついてこられたので、先頭は私が引き、湯ケ島までずっと2人で走りました。浄蓮の滝のところで後ろから1人いかにも脚力のある走りで追いついてこられたので、私は後ろに回りましたがそのスピードに着いていけず、一人旅になりました。
「天城越え」の天城山隧道(旧道)のところはダートでしたが、路面は良好で勾配も優しく、気持ちよく走れました。
写真:天城山隧道
写真:天城山隧道
大会なのに、前後に誰もおらず、個人ツーリングと同じ感じで松崎に到着しました(9:53)。
エイドステーションでは先着の2人が弁当を食べておられ、私も。
係りの人が、隣の「長八美術館」には参加者は無料で入れるとおっしゃるので、当イベントにせっかく協賛されているのに誰も行かないのでは今後の協賛にも差し障るのではないかと思い、私は1人で美術館を見学することにしました。左官の技である「鏝絵」の名人、長八さんの作品が主たる展示です。
写真:伊豆長八美術館
写真:こて絵の富士山
長八美術館を出発(10:28)し、仁科川を渡り(10:35)、仁科川沿いに峠を目指します。松崎からも一人旅で、道はだんだんと伊豆半島の脊梁へと登っていきます。
ダンシングも多用しながら気持ちよく走りました。午前中のダウンヒル、伊豆のループ橋のところはスピードが出るのですが、CASATIは誠に安定して何の不安もない走りだったことを思い出し、登りも下りも幸せな気分。
伊豆半島の稜線、仁科峠に到着(12:27)。
写真:仁科峠
ヒルクライムもこれで終わりかと思っていたら、一旦少し下ってから、稜線上を風早峠、吉奈峠、戸田峠へとつなぐ西伊豆スカイラインのアップダウンのほうがきつかったです。
地形の弱点をついて造られた古くからの道ではなく、自動車用にムリムリ作った道だからでしょう。
戸田峠からは急傾斜のダウンヒル。らららサンビーチのエイドには別コースの人たちが多数佇んでおり、参加されている自転車を鑑賞できました。
写真:カンパCレコード デルタブレーキ仕様のカーボンのコッピ
写真:大きな後歯を使えるように改造されたカンパ ヌーヴォレコード
らららサンビーチからは平地を流して走りました。
写真:海沿いを快走
富士山は雲に隠れて見えませんでした。
写真:富士山は裾野の一部だけ
ゴールすると、順位を競うイベントではありませんが、3番目に入ったということで、ステージに上がってインタビューを受けることになり、司会者の方から自転車を褒めてもらったりしました。
写真:ゴール会場にて
エロイカ2024 スタンプ
エロイカJAPAN2024の参加記念品
前泊した旅館のクラシックカーも会場の駐車場で見かけました。お手伝いに来られていたのでしょうか。
写真:クラシックカー
会場を後にし、かつては勤務先の健保組合の保養所、今は一般利用もできる熱海の施設に泊まって、帰りました。
写真:熱海の元保養所
◎走行日:2024年5月12日(日)
◎催事名:エロイカJAPAN2024
◎使用自転車:CASATI Gold Line
◎行程:韮山文化センター6:00〜6:30修善寺〜7:00湯ケ島〜7:51天城山隧道〜8:18河津ループ橋〜8:42峰山トンネル〜9:33婆娑羅隧道〜9:53松崎(長八美術館)10:28〜10:35仁科川〜12:27仁科峠〜13:28戸田峠〜13:59らららサンビーチ14:12〜14:38口野橋〜14:52韮山文化センター
◎走行距離:145km
◎峠:天城山隧道(707m)、仁科峠(892m)、風早峠(780m)、南無妙峠(669m)、吉奈峠(668m)、船原峠(594m)、戸田峠(733m)
走行ログ(クリックして拡大)
山サイ研集中ラン 上野村・中ノ沢林道(2024/4) ― 2024/08/28
”山サイ研”とは「山岳サイクリング研究会」の略称で、自転車を担いで山道を数時間歩いたりすることも平気な人たちの集まり。本拠地は東京なので、私は東京に転勤した今から20年程前に入れてもらいました。
その集中ランに参加してきました。
コースは、群馬県上野村、御巣鷹山の北面、「中ノ沢林道」という日航機事故のときには関係車両が走り回ったであろう林道。普段はゲートが閉じられていますが、ちゃんと通行許可をもらっての実施です。
羽田から伊丹に向かう日航機123便が墜落したのは1985年の8月12日、私が就職した年で、翌朝、会社の独身寮に届けられた朝刊で知った衝撃は大きかったです。当日は休みで出かけていてTVを見ることもなかったので。
日本航空の大阪支社は当時、私の勤務先のビルに入居しており、テレビで「日本航空大阪支社から」という時には、いつも職場のビルが映っていました。
いうまでもなく大事故なわけで、現場へは、大阪からも社有車やハイヤーで現場に向かうなど緊迫していたのでしょうが、営業職場の1年生である私には関与できることはなく、新聞やテレビで知る情報以上のことは何もありませんでした。
そんなことを思い出しながらも、山サイ研の人たちのホームグラウンドである西上州を走りたいというのが主たる動機で参加してきました。
◎行程
・2024/4/5(金)京都市内自宅19:45=(中央道)=23:55諏訪湖SA車中泊
・4/6(土)諏訪湖SA=9:00佐久穂町「篠屋旅館」(車デポ)9:15〜10:00小海駅〜11:05白岩〜12:10ぶどう峠12:25〜13:12上野村三岐(木森れ陽 宿泊施設・しおじの湯)・浜平〜13:45川の駅「上野」14:10〜14:25「木森れ陽」泊.。 走行距離:54km
・4/7(日)「木森れ陽」8:22〜8:47中ノ沢林道ゲート〜10:20中ノ沢本谷〜11:05御巣鷹山トンネル〜12:00本谷分校跡地〜12:15上野ダム12:25〜12:32「しおじの湯」13:08〜13:15R299〜13:25黒川〜15:08十石峠15:16〜16:06海瀬駅〜16:27佐久穂町「篠屋旅館」泊。走行距離:78km
・4/8(月)篠屋旅館=京都
◎使用自転車:グランボア650Bランドナー55号
◎峠:ぶどう峠(1502m)、十石峠(1352m)
*走行ログ(クリックして拡大)「Trail Note」ソフトで作成
ログはiPhoneアプリ「スーパー地形」で計測
[4月6日(土)晴れ]
集中ランが終わった後に宿泊する長野県佐久穂町「篠屋旅館」に車をデポさせてもらい、スタート。
写真:長野県佐久穂町「篠屋旅館」
旅館を出てすぐ、天神橋で千曲川を渡り、国道の対岸、右岸を走ってJR小海駅へ。
途中、秩父困民党の鎮魂碑があり、手を合わせて六字名号を唱えました。
写真:「秩父困民党散華之地」
小海駅から相木川沿いに、ぶどう峠を目指します。「白岩」という集落が峠にかかる手前にあり、バイパスを外して集落内を走ってみました。
写真:ぶどう峠の手前、「白岩」集落
ぶどう峠へは明るい道で気持ちよく走れました。
写真:ぶどう峠への道
ちょうど昼頃にぶどう峠に着きました。
写真:ぶどう峠
県境を越えて群馬県に入ると、東斜面になるので午後からの陽が当たらず、暗く寒くて地形的にも急坂になり、緊張感を持って下りました。残雪もありました。
写真:ぶどう峠(群馬側)
明日走る、中ノ沢林道との出会いまで下りました。
写真:左の道が中ノ沢林道
きれいな沢沿いに走ります。
写真:上野村三岐への道
写真:中ノ沢 集落
「しおじの湯」に着きました。宿の「木森れ陽」は、すぐ近くにあります。
サイクリストに愛された「浜平鉱泉奥多野館」跡や「川の駅上野」まで行ってみました。すぐ近くです。
写真:浜平
写真:浜平鉱泉奥多野館(跡)
[4月7日(日)晴れ]
宿舎には、山岳サイクリングの強者らしい、様々な自転車が並びます。
一世を風靡した「イエティ アルティメイト」のフロントカンティ台座を使ってフロントキャリアをインストール、前だけディスク台座新調。
写真:イエティ アルティメイト改
今回の集中ランでお世話になった自転車ツーリング専門店「オオマエジムショ」のパスハンター。フォークの曲がりが、まさしくパスハン。
写真:「アプレ」パスハンター
などなど。他にも興味深い自転車が多数。
宿を出て、中ノ沢林道入り口で集合。
写真:山サイ研中ノ沢林道入り口にて
中ノ沢林道を走ります。
写真:中ノ沢林道
私は、この後十石峠を越えて長野県佐久穂町の「篠屋旅館」まで戻らないといけないので、一人先に行かせてもらいました。
日航機事故の遺族の参拝にも有益な「御巣鷹山トンネル」を過ぎると林道のピークも近いです。トンネルは一般には通行できず、今回も入り口を横目に通過するだけです。
写真:御巣鷹山トンネル
ピークを過ぎるとダイナミックなダウンヒル。
写真:中ノ沢林道の下り
上野ダムに出ます。
写真:上野ダム
スタート地点の「しおじの湯」に戻り、昼食。
写真:しおじの湯
トンカツ定食が美味しかったです。

写真:しおじの湯のトンカツ定食
国道462号まで下って、十石峠を目指してひたすら登ります。
途中、景色の良いところで1回休みました。
写真:十石峠へ
十石峠に着き、展望台にも上りました。国道に出てから峠まで2時間弱でした。
十石峠(1352m)
写真:十石峠
スルスルと安定した42Bタイヤの感触を楽しみながらのダウンヒルです。
写真:道祖神と
写真:長野県側。里に下る。
小海線八千穂駅のところの造り酒屋、黒澤酒造前で一休み。宿は、すぐ先です。
写真:黒澤酒造
予定通りの時間に「篠屋旅館」到着。上品な和風旅館で、お風呂も広く、なかなか良かったです。 おしまい。
写真:篠屋旅館の部屋
*走行ログ(クリックして拡大)
メルセデスベンツS204(Cクラス204系ワゴン)20万キロ12年維持費 ― 2024/08/12
写真:20万キロ達成 岩手県野田村にて
メルセデスベンツのクルマに乗りたかったわけではなく、というか自分が乗るクルマのブランドとしては、全く親和性がない、ある意味嫌な感じのクルマだと思っていたので、まさか自分が乗ることになるとは、想像もしていなかったのですが、
試乗したところ誠に運転しやすく、購入。購入してからは、何よりも長距離走が楽(先日、気仙沼→京都 約900kmをワンデイで走りましたが、特段どうということはなく、まあ普通に疲れたくらい)だと実感し、他のクルマに買い替える気持ちはありません。
クルマの運転に苦手意識が強かった妻が、このクルマにしてからは運転しやすいと言って一人で運転できるようになったのも、ありがたいことです。
そんなわけで、遊びと帰省にしか使っていない、通勤とか買い物等のチョイ乗りには使ってないクルマなのですが、12年弱で20万キロ走りました。
もっと長距離のオーナーは沢山いらっしゃるでしょうから、まだまだ子どもとまで言わなくても中年くらいのものでしょうが、購入時からガソリン代等の記録を付けているので、そういうことをSNSでアップするのは、はしたないことだとは思いますが、掲載します。
web上には「外国車は5年過ぎると故障がすごい」とか、まあ、いろんなことが書かれています。でも、実際の使用者のファクトの記録はあまり見ません。
もちろん、下記の記述も、事実とは言っても単なる一事例に過ぎず、それを演繹的に一般化することはできません。
私は民俗学とか歴史書に載らない常民の記録的なことに興味があるので、現代の常民の自動車保有コスト記録として書いてみました。
◎購入日:2012/10/28
◎20万キロ到達:2024/7/8、北海道ツーリングの帰路、岩手県九戸郡野田村にて
◎20万キロ到達後(200,150km)に給油するまでのガソリン消費量:14,251.06ℓ、総金額=2,169,959円、平均単価=152円/ℓ、平均燃費=14.0km/ℓ
◎車検費用合計(3年目、5年目、7年目、9年目、11年目):1,236,713円
◎1年点検合計(毎回受けているわけではありません):328,150円
◎不定期修理代合計:303,001円(2024年5月ハイマウントストップランプ交換等で17万円が高額修理、他は2023年6月サーモスタットハウジング交換98,373円、2020年10月スピードセンサー交換32,780円など:走行不能など重篤な故障は無い)
◎オイル交換(車検時分は回数には含むが金額には含まず):18回 ¥174,672円、平均10,561km毎に交換
以上、計4,212,495円、12年間で均すと毎年351,041円。
これに、タイヤ交換代(スタッドレス2回、ノーマル2回)、税金、任意保険料
が加わりますが、それらは車種に関係なく発生するものなので、捨象しました。
Cクラスの一番廉価モデルなのでタイヤが16インチ、大径タイヤと比べるとタイヤ代は安くついています。
Cクラスの一番廉価モデルなのでタイヤが16インチ、大径タイヤと比べるとタイヤ代は安くついています。
地方在住の方の多くのように、ご主人の普通車、奥様の軽自動車、軽トラ、の3台持ちの場合の自動車維持費のほうが、よほど大きいのではないかと推察します。
ひとつの事例として、失礼しました。
追記
20万キロ表彰バッジを付けてもらいました
利尻島一周サイクリング ― 2024/08/08
利尻山登山の翌朝、自転車で利尻島を一周しました。
昨日登った山を360度、いろんな角度から眺められて誠に感慨深かったです。
※深田久弥の「日本百名山」には「利尻岳」、国土地理院の地図では「利尻山」と記されています。私は百名山ハンターではないのですが深田久弥に敬意を示して登山の場合は「利尻岳」、サイクリングの記録には「利尻山」と書きました。
◎走行日:2024年7月3日 5:17〜9:29 4時間11分
◎走行距離:62km(サイクルコンピュータ)
◎使用自転車:グランボアER700Cランドナー
◎行程:ゆ〜にキャンプ場5:17〜(自転車専用道路)〜6:38沓形・利尻町運動公園(終点)〜7:12仙法志御崎公園7:27〜7:55鬼脇〜8:02石崎灯台〜8:46野塚(自転車専用道路入口)〜9:14富士見大橋〜9:26ゆ〜にキャンプ場〜鴛泊港12:05=(フェリー)=13:45稚内港
※ 走行ログ
幕営している「ゆ〜にキャンプ場」の至近距離に自転車専用道路の入り口があり、そこから沓形方向へ入ると、すぐに利尻山がドカンと現れました。
写真:自転車専用道路から眺める利尻山
自転車専用道路は自動車の走る道路よりも山側にあるため、背景に人工物等が少ない利尻山を観ることができます。
写真:自転車専用道路からの利尻山
海沿いにも出ます。
写真:本泊漁港
自転車専用道は、きれいに整備されています。
写真:利尻山を正面にみて、自転車専用道を快走
沓形の街中は通らず、山側の若干標高が高いところに自転車専用道はあります。
運動公園に出て、自転車専用道路は終了します。
写真:自転車専用道路の沓形側の終了地点
雰囲気の良い商店がありました。
写真:利尻町長浜「さとう商店」
上磯からバイパス的な「利尻ファンタスティックロード」を離れて、集落の中を走る旧道に入り、仙法志公園で一休み。
写真:仙法志御崎公園。利尻島の南岸にあたる。
写真:仙法志御崎公園より。カモメが岩の頂点から睥睨していた
写真:仙法志埼灯台
丸い形の島で、真ん中に利尻山があるので、いろんな角度から利尻山を眺められます。
写真:南浜(利尻島の南南東)から見た利尻山
写真:鬼脇(利尻島の南東)から眺める利尻山
石崎灯台に寄ってみました。塔高32mもあります。
写真:石崎灯台入り口
写真:石崎灯台
旭浜(利尻島の東岸)のあたりまでくると利尻山の形も穏やかになります。
写真:旭浜から望む利尻山
野塚(利尻島の北側)からは山側に自転車専用道が現れ、一般道から離れました。
途中、大きな橋が架けれています。自転車専用道のために、たいしたものです。
写真:自転車専用道路の橋
自転車専用道から鴛泊(おしどまり)の町が、きれいに見えました。
写真:鴛泊を望む
自転車専用道の小さなピークを越えて、ダウンヒルでしばらく走ると、あっという間に「ゆ〜にキャンプ場」至近距離の、利尻山登山口へと向かう道路に出ました。
写真:利尻山登山口への道に出た。前方の看板がキャンプ場入り口。
テントを撤収し、フェリー乗り場へと向かいます。
写真:ゆ〜にキャンプ場
フェリー乗り場に着くと、まだ時間があるので、正面に見える「ペシ岬」に登ることにしました。
写真:鴛泊港フェリー乗り場の正面に見える「ペシ岬」
写真:ペシ岬入り口
ペシ岬へと登る道からは、鴛泊の町が一望できます。
写真:鴛泊
写真:ペシ岬
港から見えたペシ岬灯台です。
写真:ペシ岬灯台
鴛泊港を見下ろし、正面に利尻山。
写真:鴛泊港と利尻山
鴛泊フェリーターミナルに戻り、建物内のレストランに行ってみると、団体客の予約のため一般客は入れず、向かいの食堂で「海藻ラーメン」を食べました。
ちなみに「生ウニ丼」は海が荒れて利尻島全体でこの日は供給がないとのことですが、値付は1万円でした。インバウンド観光客もいるとはいえ、それでも買う人がいる、需給バランスで値段が決まるとはこのことであり、こんな時代になっているのだと思いました。
写真:海藻ラーメン、1400円。
鴛泊港に停泊中の稚内行きフェリー「アマポーラ宗谷」。オペラで歌われるような響きです。
写真:「アマポーラ宗谷」4,265トン。
写真:フェリー船内
無事、出港。山腹に見える橋は、走ってきた自転車専用道。クルマのパイパスではありません。
写真:利尻山と山腹の自転車専用道の橋
さようなら、ありがとう、利尻島!
写真:利尻島を後に
太田山神社ー日本で一番危険な神社か? ― 2024/07/29
太田(山)神社には、吉永小百合主演、堺雅人出演の「北の桜守」(2017年)という映画を観て以来、是非行きたいと思っていました。
web上に「日本で一番危険な神社」と書かれているのが散見され、実際どんな感じなのか確かめたかったというのもあります。
標高350m付近に神社(本殿)があり、海岸からほぼ直登です。階段は急で踏み面も狭く歩きやすいとはいえません。
スタートしてちょうど30分で本殿前の広場まで登り、そこからは鎖場。緊張します。
お詣りして下山、全部で1時間15分の行程でした。
当日は、自転車ツーリングの途中、江差の宿を出発して、太田神社に到着。
写真:太田(山)神社
太田神社の説明を読んで、鳥居からの急な階段を上がります。
写真:太田神社の説明板
写真:太田神社と太田山神社と、両方の表記が混在
写真:階段を上ったところ
階段を上ってからは、登山道のようになっています。
写真:太田神社への道
途中に、祠がありました。
写真:途中にある祠
橋状のところを渡ると、鎖場、本殿直下に出ます。
写真:鎖場広場 手前
スタートして30分で、本殿直下の鎖場広場に出ました。
写真:鎖場
鎖(鉄輪)を登ったところに本殿があります。10mから落下しても100mから落下しても打ち所が悪ければ結果は同じなので、緊張するセクションです。
鎖の輪っかに足を乗せて登るのですが、そうするのは最初の2つ3つで、ハングしている取り付きを過ぎれば、斜面の岩に、容易に足を乗せることができます。
鉄輪に足を置くとブラブラして不安定ですが、手で鉄輪を持って、足は地面(斜面の岩)に置くと、身体は安定してスムーズに登れます。
最後の乗っこしのところで、緊張感はありますが、無事、本殿に到着。
写真:最後の乗越しのところ。背後には海が広がる。
写真:本殿に登りきったところ
写真:太田山神社
お参りしていると、登山装備の2人組みの方が登ってきました。
その人たちは、下りは持参したロープでビレイしていました。ハーネスを付けて。
その人たちは、下りは持参したロープでビレイしていました。ハーネスを付けて。
その日泊まった地元の宿の方に聞くと、太田神社で落下して怪我したという話は聞いたことがないとのこと。落ちて救急車を呼ぼうにも、どれだけ時間がかかるかわかりませんし、担ぎで要救護者を下ろすのも簡単ではない場所なので、事故対応を心配していましたが、これまでは大丈夫だったようです。
最初から急登で、鎖場も取り付きがハングしているので、登らない判断をする人も多く、事故がなく済んでいるのかもしれません。
本殿から海が広がる絶景は一見の価値がありますが、万人には勧められません。
登山道にはブヨがいたようで、蚊には気をつけていましたが、ブヨにやられて、その後1週間ばかり痒みが続きました。
「日本で一番危険な」神社かどうかは、あまねく神社を巡っているわけでもなく、わかりません。私の限られた経験では、石鎚山よりは緊張感がありました。
◎走行日 2024年6月21日
◎自転車 グランボアER700Cランドナー
*走行ログ(自転車+歩き)
利尻岳(利尻山)登山 ― 2024/07/19
北海道自転車ツーリングの締めに、利尻岳に登ってきました。鴛泊(おしどまり)コースです。
わざわざ行くのに、天気が良くないと残念過ぎるので、天気予報をみながら道内で日程調整して、無事、青空の下、登頂できました。
利尻岳登頂:2024年7月2日(火)
7/1(雨のち晴)・・・稚内フェリー乗り場近くの市営無料駐車場にクルマをデポ。
自転車テント泊装備でフェリーにて利尻島、鴛泊へ。
写真:利尻島へ。グランボアER700cランドナー。フロントサイドバッグ仕様。
雨が小降りになるまでフェリーターミナルで待機。利尻岳登山には携帯トイレが必要とのことで、フェリー売店にて2つ購入しました。単価500円。結局は1回も使いませんでしたが。
写真:携帯トイレ
小雨になってから鴛泊のセイコーマートで食糧やビールを購入し、「ゆ〜に 利尻島ファミリーキャンプ場」へ。
テン場に着いた頃には雨は上がりました。テン場には午後2時から7時まで屋台が出て、そこでビールやアテ、弁当等を売っている(しかも美味しかった)ので、セイコーマートで買う必要はありませんでした。歩いてすぐのところに町営の温泉施設もあり、そこの自販機でビールや飲料も買えます。セイコーマートからテン場へは、自転車ではたいした距離ではないので、雨が降ってなければテント設営後に買い出しに行っても、大丈夫。
写真:利尻島「ゆ〜にキャンプ場」
7月2日(火)晴れ 利尻岳登山
行程:「ゆ〜に」キャンプ場4:56〜(自転車)〜5:15利尻北麓野営場(登山口)5:23〜5:31甘露泉水〜6:24第1見晴台〜7:16長官山7:23〜7:33避難小屋〜7:57九合目〜8:33山頂8:53〜9:52長官山〜10:47第1見晴台〜11:48登山口
*休憩を含む登山行動時間6時間25分
登りに3時間10分、山頂で20分過ごし、下山に2時間55分、かかりました。
写真:利尻岳GPSログ(スーパー地形アプリで計測)
前日が強風で、利尻島への航空機が欠航したため団体客がおらず、渋滞もなく、特に急いだわけではありませんが、サクサク登れ、想定していたよりも早く山頂に着きました。
下のキャンプ場(ゆ〜に)から登山口までも、普段自転車に乗っている人なら、傾斜について特筆すべきことはありません。普通に走れます。グランボア700cランドナーで踏めばスッと気持ちよく進んで登山口に着きました。
写真:利尻岳登山口
スタートしてすぐに「甘露泉水」があります。水筒に水を満たしました。美味しい水です。最近はちゃんとアルミの水筒を復活させ、ペットボトルになるべく頼らないようにしています。
写真:甘露泉水
まずは、長官山まで樹林帯を歩きます。
写真:長官山へ
長官山に着くと、正面に利尻岳がドカンと見え、テンションが上がります。
写真:利尻岳、長官山より
写真:携帯トイレ用のトイレ
登山道は整備されていて、道迷いの心配はなく、歩きやすい傾斜です。最後の9合目あたりから若干急になりますが、特に危険な箇所はありません。但し、当日は天気が良く風も弱かったためそう思えたのかもしれません。北海道は風が強いので、気象条件によっては、また違った印象になると思います。
写真:利尻岳山頂
写真:利尻岳山頂からの礼文島
写真:利尻岳山頂から稚内方向
写真:通行禁止の南峰
写真:利尻岳山頂より沓形方向
写真:フェリーの着いた鴛泊(おしどまり)を望む
山頂でのんびり眺望を楽しみ、下山しました。下りの方が感覚的には長く感じましたが(実際はやはり登りの方が時間はかかっています)、昼前には下山し、ゆっくり温泉に入って、午後はビールを飲んでテントでまったりと過ごしました。
翌日は朝のうちに自転車で利尻島を1周し、前日に登った利尻岳をしみじみと眺めました。写真をたくさん撮ってのんびり走って4時間ほどでした。
テン場に戻り、昼のフェリーで稚内のデポ地に戻りました。
関東平野ライド〜喧騒無縁、鬼怒川と利根川の合流地点など ― 2024/03/23
宇都宮での法事の後、斯界の大先達にお願いして、関東平野のライドを組んでいただきました。主として常総市のエリアです。
地元を知悉されているだけあって、喧騒とは無縁な、小技の効いた、歴史を感じさせる味わい深いコースでした。誠にありがとうございました。
前日に守谷に入り、ビジネスホテルに宿泊。集合場所までお仲間がクルマで迎えに来られ、大変恐縮しました。その方の自転車を拝見して、びっくり。手間をかけたヒストリックな1台。只者ではありません。
写真:その方の自転車。
写真:ステムに鎮座するネコ
スタートして、鬼怒川の堤防を走ります。鬼怒川といえば有吉佐和子の小説『鬼怒川』で名を馳せたかもしれませんが、その伏流水を用いた宇都宮酒造の「四季桜」など、栃木の清流としての存在も思い起こされます。遙か正面には、雪雲が滞留しているのが見えました。山で雪を落として関東平野は快晴。
写真:鬼怒川に沿って走る
振り返ると遠くに富士山が見える箇所や、コーヒーミルのコレクションが並んでいる、美味なコーヒー店にも案内してもらいました。
快晴の下、水海道の板野家住宅へと小径を繋いで走りました。坂野家住宅は”水海道風土博物館”になっており、見学ができます。まずは、広大な敷地の板塀で自転車を撮影。
写真:先達のTOEI
写真:HIROSEのランドナー
写真:HIROSEの変速機など
写真:水海道の「坂野家住宅」国指定重要文化財
京都周辺には茅葺き民家が相対的に多く残っていますが、これだけの規模のものは知りません。古くから開発された地域では、領地が細分化されて複雑な所有関係であったりして、突出した規模の豪農が存続し難かったのかもしれません。この坂野家は新田開発で豪農としての基礎を固めたとのこと。
写真:坂野家住宅の屋根
写真:坂野家住宅の内部。
欄間や建具の造作も見事でした。
写真:坂野家住宅の門で記念撮影
坂野家住宅を出て、長閑な道を走って昼食場所へ。
写真:ダートの道が残っていました。
昼食の後、「弘経寺(くきょうじ)」へ。
写真:弘経寺の巨木
写真:弘経寺にて
写真:弘経寺の彫り物
鬼怒川が利根川に合流する「剣先」に向かいます。
写真:鬼怒川沿いを快走 (撮影は同行のFさん)
途中で、平地林が残っているところを通りました。平地林は近畿地方に住む者には、とても珍しく感じます。周囲の開発が進む前は、パターソンの絵画のような世界だったのかもしれません。
写真:平地林
しいたけの原木を作っていたけど、福島の原発事故で被害を受けたとのことです。
写真:平地林の中を走る
しばらく走ると、洪水時の遊水池となる広大な農地が現れました。
写真:広大な農地
関東平野ならではのビッグスケールを体感してからは、再び鬼怒川沿いに剣先を目指します。
写真:剣先へ
剣先には模型飛行機用の飛行場がありました。自転車を置き、徒歩で剣先の先端へ。
写真:剣先。左が鬼怒川で右が利根川。
鬼怒川や利根川を源流近くまで遡る自転車ツーリングをしてみたいと思いました。
帰路、メンバーのFさんのご自宅で小休止。
自転車工作部屋には、工夫された本格的な金属加工機械もありました。
購入した部品をチョイスするだけでなく、加工や修理や改良を自分でこなして自分の自転車を作り上げるという、クリエイティブな楽しみ方をされています。機材に関する理解のレベルが違います。今日はそんな方ばかり。
購入した部品をチョイスするだけでなく、加工や修理や改良を自分でこなして自分の自転車を作り上げるという、クリエイティブな楽しみ方をされています。機材に関する理解のレベルが違います。今日はそんな方ばかり。
こんな感じで、貴重な体験でした。ありがとうございました。
□走行日:2024年3月3日(日)
□使用自転車:グランボア650Bランドナー(oyakata10号)
□走行エリア:守谷市、常総市の主として鬼怒川沿い
□走行km:46km
☆同行頂いた方のブログを教えてもらいました。このエリアを丁寧に走られており、地域の魅力が伝わります。https://the4thcat.exblog.jp/i13/
「ある限界集落の記録 昭和二十年代の奥山に生きて」新見市上熊谷指野へ ― 2023/12/09
自転車でルーラルなエリアを旅するのが好きです。人の手が加わって先人の労働の集積で形成された景観に感じ入ります。
そこにどんな人が住んでいて、何をして暮らしているのか、かつてどんな暮らしだったのかを知りたくて、関係する本を購入することもしばしばあります。
そんな日々を過ごす中で、朝日新聞の1面書籍広告に小谷裕幸「ある限界集落の記録 昭和二十年代の奥山に生きて」富山房インターナショナル2023 を見つけ、早速買い求めました。

帯のコピーには「消えゆくふるさとへの思い 岡山県中国山地、山あいの小さな集落ーー戦中・戦後、家族が辿った人生と、高度経済成長期以前の生活を、ドイツ文学者が鎮魂の書として綴った貴重な記録」とあります。
農山漁村をフィールドにした生活歳時記的なエッセーや聞き書き、ルポルタージュや民俗学的記録や論考はこれまでも様々な形で刊行されていますが、リアルにそこで暮らしていた方が学業や就職で巣立った後に、育った集落や人々について他者にわかりやすい形で、主体的具体的に記した本というのに、これまで私は出会ったことがありませんでした。
筆者は鹿児島大学教授を勤め、ドイツ文学が専門。専門外のテーマだからか、学術書や大学のテキストのようにはなっておらず、自由な立場で伸び伸びと自分の育った集落や人々について書かれています。かといって自分史のようになってしまってはおらず、テーマを外れることなく抑制の効いた構成だと思いました。
そんな感想をもち、これはぜひ、書かれたフィールドを訪問したいと思い、現地へと向かいました。岡山県新見市(にいみし)上熊谷(かみくまだに)指野(さすの)へ。
*走行日:2023年12月6日(水)
*自転車:グランボア55号ランドナー
*行程:京都自宅6:10=(名神ー中国道)=大佐スマートIC=9:35JR姫新線岩山駅(車デポ)9:50〜11:00指野〜11:40草野〜12:30平吹〜12:45東山〜13:00本誓寺入口〜13:22養鶏場〜13:37大下〜13:55東前寺14:10〜14:45小坂部ダム〜15:25新見市役所横〜16:00岩山駅=(中国道)=17:15津山・あけぼの旅館(泊)
*走行距離:52km
*宿泊:あけぼの旅館(津山市)
写真:JR姫新線岩山駅。1929年に建築され当時の姿を多く残しているとのこと
写真:岩山駅改札
写真:岩山駅プラットホーム
写真:岩山の駅前通り ガソリンスタンド
写真:岩山の駅前通り
写真:指野へと向かう道
写真:土壁で窓の大きな蔵があった
岩山駅前で出会った方に、この本のことを話したところ、筆者の同級生の人をよく知っていて「(その人に)電話してあげようか」とおっしゃってくださったが、「お忙しいでしょうし、そこまでは、ありがとうございます」と返答したが、指野への坂道を走っていたところ自動車が止まり(先ほどの方から電話があった)、「自転車ではこの先の坂道はとても登れないだろうから車に乗せてあげる」とその同級生の方。
筆者について、「とても苦労して新見高校から大阪大学に進学し、ドイツ留学もしたが、いまでも帰省したときにはウチに必ず立ち寄ってくれる」と。
何度も車に乗るようにすすめられたが「自転車に乗るのが好きで、坂道も大丈夫ですから」と言って固辞した。

写真:筆者の同級生の方
写真:指野への道
写真:指野道路記念碑
「指野道路記念碑」があった。指野に電気がついたのは昭和21年(1946年)、道路が通じたのは昭和35年(1960年)。道路はそこそこ傾斜があるが、グランボア55号の28X28ギアで、問題なく走れた。
写真:指野道路記念碑
集落の入り口に石仏が鎮座されていた。
写真:指野の石仏
指野の集落景観
写真:新見市上熊谷指野
写真:指野から望む山々
地形図をみると、指野よりも更に標高の高いところに「草野」という集落があるので行ってみることにした。
写真:草野への道
写真:草野への道
写真:「草野」耕地の潰廃が進んでいる
もしかして廃村になっていて通い耕作になってしまっているかもしれないと心配したが、郵便配達のバイクと出会い、杞憂であった。近代国家である日本では、全国どんなところにでも人が居住している限り郵便制度を利用できる。
写真:草野、郵便配達。
写真:草野:郵便配達が向かったお家
筆者が盆には訪ねた「東前寺」が山を越えた小坂部川の斜面にあるので、そこにも行ってみることにした。
地形図で実線の道路は、未舗装で落ち葉に埋もれていた。かつて使われた歩きの道とは違って後年にできた道であろうが。
写真:東前寺への道
途中に平吹という集落がある
写真:平吹
平吹から下る道には自動車のタイヤ跡は見当たらず、日常的に行き来はないのかもしれない
写真:平吹からの道
写真:東前寺
写真:東前寺
写真:東前寺
写真:東前寺
写真:東前寺の石像物
東前寺から新見市街への小坂部川ダム美穀湖(みよしこ)沿いの道が、法面崩壊で通行止めになっていたが、通過。通行する車がないからか道路が落ち葉で深く覆われていて、落ち葉に隠れた岩片や石でタイヤのサイドを切らないように緊張しながら走った。
ダム横で、人の気配が全くなく、とても心細かった。
写真:小坂部川ダム沿いの落ち葉に埋もれた道
写真:小坂部川ダム
小坂部川ダムからは、断崖絶壁のワインディングロードを走って新見市街へ出、岩山駅に戻った。
写真:小坂部川ダムからの帰路
翌日の行動を勘案し、宿は津山市の「あけぼの旅館」。津山市内で一番古い旅館とのこと。料理も美味しく、誠に良い宿であった。
写真:あけぼの旅館(津山市)
写真:あけぼの旅館の部屋
走行ログ 走行距離52km(Trail Noteソフトで制作)
おしまい
京都府北桑田郡における草屋根の減少 1984年度卒業論文 ― 2023/11/14
9月に会社の先輩ご夫婦と先輩と旅をしました。私が幹事役だったので、若狭湾の常神半島の民宿に泊まり、翌日は美山町の枕川楼で鮎を頂いてから、茅葺の集落景観で今や一大観光地となった美山町の北村へ。
北村は私の卒業論文のフィールド。地元の方にも随分とお世話になり、茅葺のムラとして脚光を浴びる前、1983年から1984年にかけて調査に伺いました。ちなみに北村が「かやぶきの里」として重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けたのは1993年の12月です(全国で36番目)。
大学3回生と4回生時、卒論制作が本当に面白くて、北大路堀川の下宿で、マービン・ゲイの「what's going on」のA面を(まだCDは普及しておらず、レコード)繰り返し聴きながら執筆していたことが思い出されます。
卒論完成後、お世話になった地元の方に卒論のコピーを送ったところ、過分のご評価をいただき、「美山町誌」に私の論文のことが記載されたりしました。
そんなこともあって、地元の方ーー中野文平先生というかやぶきの里の産みの親ともいえる集落再興のキーマンーーを通じて、北村に関心を持った方から、その後も卒論に目を通したい等の依頼がありました。
で、今回、久々に集落内に伺ったところ、たいへんお世話になった方と四半世紀以上ぶりに再会したのですが、開口一番「卒論を読みたい」とおっしゃっていただき、コピーを郵送しました。しかし、改めて見直すのに、手書きの時代であり、なんとも見苦しいので、今回パソコンで本文を打ち直した次第です。
読み直してみるのに稚拙な表現など多々ありますが、手は加えていません。
学術的な評価はともかく、資料的には何かの参考になるかもしれないと思い、恥ずかしながらアップする次第です。プライバシー意識の変化で、今ではこのようなフィールドワークは困難かもしれません。
卒業前の3月、東京学芸大学で開催された「第33回 全国地理学専攻学生卒業論文発表大会」での要旨発表記録も。
大学院に進みたい思いはあったのですが、望外の就職内定が得られ、会社では営業職のサラリーマンとして過ごしました。未発表論文、そのままの内容です。
2)「京都府北桑田郡における草屋根の減少」1984年度卒業論文
3)図表1、図表2、図表3
※興味関心のある方は、個別にご連絡ください
写真:美山町北 グランボア700cデモンタブル スポルティフ
(2023年10月撮影)
(2023年10月撮影)
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