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2024北海道ツーリング4:木古内=小樽=名寄2024/12/28

Day10:6月23日(日)曇り 木古内=小樽
 自転車走行:0、自動車走行:383km

木古内7:14=7:32新吉堀トンネル=8:03江差=9:21貝取澗=10:22せたな=12:40岩内=13:30神威岬14:57=16:23小樽 越中屋旅館(泊)

延べ3泊したクラッセイン木古内を出発。大浴場もあって快適なビジネスホテルだった。
クラッセイン木古内
 写真:クラッセイン木古内

実は木古内は、明治期には酪農の先進地だったと昨日の郷土資料館で学んだ。
なぜかというと、トラピスト修道院が近くにできたこと。修道院でバターを造るための牛乳が必要となり、酪農が存立可能になった。トラピストバターやクッキーは単なる観光物産品ではないのだ。

木古内の牧場家屋
 写真:木古内近郊の酪農の建物

本当はずっと海岸沿いに自転車で積丹半島を走りたかったのだが、地形図アプリをみると、ものすごい長大トンネルだらけになっている。落盤事故もあったりして改良された道路はすべからく長大トンネル。迂回ルートは無い。なので、クルマで行くことにした。

 写真:北檜山区鵜泊

原発の放射性廃棄物最終処分で名前を聞く行政区をひた走る。

ニシン漁華やかりし頃の遺構が残る海岸線をゆく。
漁業建築 佐藤家
 写真:寿都町、佐藤家漁業建築ー明治10~20年築

神威岬が見えてきた。
 写真:神威岬の遠望

神威岬に到着。レストハウスで「ざるそばミニウニ丼」3,260円。
神威岬 ざるそばミニウニ丼
 写真:「ざるそばミニウニ丼」

神威岬駐車場
 写真:神威岬駐車場と走ってきた道

神威岬
 写真:神威岬
神威岬灯台
 写真:神威岬灯台

小樽に着いた。

380km走ったが、感覚的には、もっと短い。大した疲れもない。
北海道の道は空いていて、ストレス少なく淡々と走れるので。
道が空いていると気分もゆったり、法定速度前後で走った。ログをみると、最高速度が70km。
地元のクルマはもっと飛ばしているかと思っていたけど、そんなことはない。時々、後に着かれたら、安全なところで左ウィンカーを出して減速すると、紳士的に追い抜いていく。
ただ1度だけ、長大トンネルでウィンカーも出さずに無灯火の軽自動車が追い抜いていった。何処にでも危ない奴は居る。

その名の通り、先祖は富山から来た人が経営している旅館に泊まる。創業明治10年。
越中屋旅館
 写真:越中屋旅館

旧日銀小樽支店
 写真:旧 日本銀行小樽支店

夕食は提供されない旅館なので、宿のご主人に伺って寿司を食べに行った。
ご主人は「寿司は高いし・・・」とあまりお勧めでなかったが、「観光客向けでなく地元の方が使われる古くからあるよい店はありませんか」と言って紹介してもらった店。
 写真:小樽の寿司屋
 写真:小樽の寿司 7,645円(別途、日本酒代含む)

美味しかったが、その値段を出せば大阪や他の場所でも食べられると思った。
食事に贅沢をした1日であった。


Day11:6月24日(月)雨 小樽=名寄
      自転車走行:0、自動車走行:303km
小樽8:21=8:34旭展望台=10:11石狩灯台=12:40青山トンネル=12:50幌加小学校跡=13:44十津川神社=14:22新十津川物語記念館14:56=17:02名寄 二条旅館(泊)

宿を出て、小樽商科大学へ。実は、私は共通一次試験の点数だけで二次試験がない二次募集枠で小樽商科大学に合格していた。当時、滋賀大学経済学部と小樽商科大学の2校だけが、そういう入試を実施していた。卒業した高校が、地方の公立高校にありがちな、とにかく国公立大学への合格者数を重んじる感じだったし、なんというか記念にという気持ちで出願した。京都の下宿の大家さんからは「あんた、私大の文学部に行くよりは、小樽高商、伊藤整も出た小樽に行ったほうがいいのに、、」と言われたが、全く迷いは無かった。両親は何も言わなかった。小樽商科大学に進学してたら、どんな人生になっていたのだろう。というわけで、これまで他人にそんなことを話したこともなかったが、訪問してみたかったのだ。
小樽商科大学
小樽商科大学案内
 写真:小樽商科大学

そのまま丘をあがると公園になっていて小林多喜二の文学碑と小樽市街を眺めた。
小林多喜二の碑
 写真:小林多喜二の文学碑

小樽市街
 写真:小雨に煙る小樽市街

そんなことより、いよいよその日は、石狩灯台と「新十津川物語」の舞台である新十津川町を訪ねる日。
石狩灯台は「喜びも悲しみも幾年月」という灯台守の生活を描いた昔の日本映画に登場する。病人のため雪嵐の中、馬橇で駈けるシーンが印象的。

地図でみると札幌の郊外で、道東や道北と比べると断然都会近郊じゃないか、と思っていたが、リアルに訪れてみると、とてつもない辺境感に今でも満ちていた。荒涼としていて寂し過ぎた。
石狩灯台
 写真:石狩灯台

「新十津川物語」というのは偕成社の全10巻の大河創作文学。全てルビがふってあって小学生でも読めるが大人が読んでも十分読み応えがある。明治の十津川の大水害で北海道移住を余儀なくされた少女フキの波乱の人生を通じて北海道農民の体験した開拓の歴史が描かれている。私は1987年に全巻完結した際の新聞広告を目にして、何かインスピレーションを感じて、思わず広告に記載されていた版元に直接電話をかけて注文した。「関係者の方ですか」と電話口で聞かれたのを覚えている。十津川との関係は親類縁者とも全くないが、何年も後になってから自転車ツーリングや沢登りで十津川を訪れるようになった。

雨がそぼ降る中、新十津川物語記念館を訪れた。作者の川村たかし氏は奈良県五条高校や梅花女子大学で先生をしていた方で、国際アンデルセン賞や野間児童文学賞も受賞している。
新十津川物語記念館
 写真:新十津川物語記念館

小説に登場する箇所の一部を回った。
幌加小学校跡
幌加小学校校歌碑
 写真:幌加小学校跡

吉野小学校跡
 写真:吉野小学校跡

ピンネ農協吉野跡
 写真:ピンネ農協吉野 跡

農協倉庫
 写真:農協倉庫

コタンの碑もあった
コタン碑
 写真:中空知コタン跡地入口の碑



 開拓農家毎に、それぞれの歴史があるのだろう。農家の一例。
 写真:新十津川
新十津川
 写真:新十津川

小説では、大変な難所として描かれている里見峠
里見峠
 写真:里見峠

新十津川神社は立派だった。代々の住民の思いが籠もっているように感じられた。
新十津川神社
 写真:新十津川神社

新十津川を後にし、道央自動車道で名寄へ向かった。


おしまい

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