2024北海道ツーリング5:名寄~羽幌 ― 2024/12/29
◆Day12:6月25日(火)曇り 名寄~羽幌
自転車走行:114km、自動車走行:0
名寄8:12~10:44朱鞠内湖~11:29朱鞠内「森salon」12:06~13:31霧立峠~15:23苫前~16:20羽幌 とほ宿「吉里吉里」(泊)
名寄にクルマをデポさせてもらい、3泊4日の自転車ツーリングへ。
コースを勘案するのに昼ご飯を食べられるお店は期待できないと考え、名寄のコンビニでパンなどを調達。
コースを勘案するのに昼ご飯を食べられるお店は期待できないと考え、名寄のコンビニでパンなどを調達。
名寄駅、趣のある建築。
写真:名寄駅
霧立峠を目指して西へ走る。
「名寄地区和人開拓黎明の地」の開拓記念碑があった。
明治33年、山形県から入植した開拓団によってこの地区が拓かれた。右に写るニレの樹が一面生い茂る中、今の耕地を拓いたとある。
写真:名寄開拓記念碑と開拓記念保護樹林
写真:名寄開拓の説明
山形からの開拓団なので、神社も「山形神社」。
前日訪問した新十津川神社は十津川郷士による開拓なので新十津川という地名になり、神社も新十津川神社。
写真:名寄開拓黎明の地にある山形神社
開拓地の神社というのは、その人たちにとってものすごく思い入れのある存在だったと想像する。厳しい開拓生活の中で、神社をつくり、祈る。
手の込んだ彫り物などの造作物はなく、外形的に極めてシンプルなことが心をうつ。
道南の茂辺地の神社も、そんな感じだった。アイヌの立場はともかく。
写真:茂辺地市丿渡の神社(6月14日)
開拓地には神社あり。
写真:西風連神社と開拓記念碑
周囲の景観。入植時には耕地が全くなく、森林原野だったとは想像し難い。
写真:名寄郊外
弥生地区、開拓記念碑。記念碑をつくるまで至らず、離農した場所も多いだろう。
写真:「弥生八十年開拓記念碑」昭和58年建立。
小学校は廃校になっている。
写真:弥生小学校跡の碑
天塩山地へと緩い坂を登っていき、幌加内町との境に着いた。日本で一番気温が低下するエリアのひとつ。
写真:道道729号 朱鞠内風連線
朱鞠内湖。釣り人が羆に食べられた事件が起こったのは、記憶に新しい。戦時中に作られた人造湖。
1995年に廃止された深川と名寄を結ぶ深名線にあった朱鞠内駅跡
写真:朱鞠内駅跡
人煙まれなエリアだが、Googleマップに飲食店のマークがあったのでそこを目指した。
砂漠におけるオアシスのような存在(たぶん)。
その名は「森salon」。朱鞠内のメーンストリートにある。
写真:「森salon」
写真:「森salon」の玄関
外観は普通の(北海道での)民家だが、内部に入ると尋常になく心地よい空間が広がる。
料理も、飲食店がそこかしこにあるどんなエリアにあったとしても、断然人気店になれると確信できる美味しさの品を提供されている。
2024年の5月にオープンしたばかり。内地から移住された方が「雪のある暮らしをしたくて」とのこと。単なる飲食店ではなく地元の「salon」的存在となるようにと考えられた店名だろう。
写真:「森salon」の内部
「森salon」は朱鞠内のメーンストリートに面している。
写真:朱鞠内中心部
朱鞠内から霧立峠へ向かう途中にあるバス停。冬期にも耐えられるつくりか。
写真:朱鞠内近くのバス停「共栄」
写真:「共栄」バス停
勾配はたいしたことなく、天塩山地から日本海側に抜ける「霧立峠」387mに着いた。
写真:霧立峠
写真:霧立峠
長いダウンヒルを経て、苫前。
写真:苫前、三毛別熊事件復元現場との分岐
苫前からは海岸沿いに北上。
写真:苫前橋より日本海の河口を望む
写真:苫前から羽幌への国道
羽幌、宿泊する とほ宿「吉里吉里」に到着
写真:北海道限定サッポロクラシックビール
*2024北海道ツーリング1:京都=黒埼=青森=木古内=銀婚湯
*2024北海道ツーリング2:銀婚湯=木古内~松前~江差
*2024北海道ツーリング3:江差~貝取澗~木古内
*2024北海道ツーリング4:木古内=小樽=名寄
*2024北海道ツーリング8:天塩川温泉=五味温泉コメント
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