隠岐島~島前・島後の4島を巡る[1] ― 2025/06/28
知夫里島アカハゲ山より
4月に帰省したとき、95歳の父が「引き出しを整理していたらこんなものが出てきた。隠岐島の玉若酢(たまわかす)神社の鈴」といって、わりと大きな鈴を差し出した。以前(といっても推定70年以上前)、青年団で隠岐島に行き、土産で買ったそう。
手にとったところ、なんだか鈴が隠岐島に呼んでいるような気がして、行きたくなった。
隠岐島には、30年程前、仕事で行ったことがあるが、ほとんど何も覚えていない。
島根半島の七類港からフェリーで島前(どうぜん)の「知夫里島(ちぶりじま)」来居港(くりいこう)で降り、赤ハゲ山展望台などを巡ってその日のうちに内航船で「西ノ島」別府(べっぷ)の宿へ。2泊して後醍醐天皇の黒木御所址や摩天崖(まてんがい)、国賀海岸遊覧船を満喫。3日目に「中ノ島」菱浦港へ渡り後鳥羽上皇関連、その日のうちにフェリーで島後(どうご)の西郷港へ。旧五箇村の宿と西郷の宿に泊まり、境港行きのフェリーで隠岐を後にした。4泊5日で一応、隠岐の全ての島を廻った。
隠岐島というのは地図上では日本海に浮かぶ「孤島」だが、全然僻地感はなかった。古くは中国大陸や朝鮮半島からの文化の通り道であったし、貴人の行き来もあった。近世でも北前船の寄港地であったりしたことから、元々外界に開かれた地なのだろう。神社がすごく立派だし、建築物もしっかりしている。僻地にありがちな粗放感や荒涼感がない。
島全体が整っているという印象。
島全体が整っているという印象。
「日本書紀」の神話によると、神代の昔、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の夫婦神は、高天原(たかまのはら)に住む神々から国生みを命ぜられ、淡路島、四国、隠岐島、九州、壱岐島、対島、佐渡島、最後に本州を誕生させた、とあるので、隠岐島は3男とでもいうか、本州の兄なのである。
◎走行日:2025年5月25日(日)夜発~30日(金)車中泊1、現地4泊5日
◎使用自転車:グランボア650×42B 55号ランドナー
◎峠:ー
◎宿泊:みつけ島荘(2泊)、民宿 味富、竹の坊
◎行程:5/25:京都自宅20:40=(中国道・米子道)=23:59蒜山高原SA(車中泊)
Day1:5/26晴れ:蒜山高原SA6:50=(米子道)=8:00七類港(車デポ)9:30=(フェリーくにが)=11:30来居港(知夫里島)昼食[ニューポート:隠岐牛特製カツ丼]12:18~御越鼻13:00~13:43アカハゲ山展望台14:15~14:37ウクイガ崎展望所付近~14:52古海~15:20来居港15:57=(内航フェリーどうぜん)=16:35別府港~16:50みつけ島荘(泊)
走行:21km
◎使用自転車:グランボア650×42B 55号ランドナー
◎峠:ー
◎宿泊:みつけ島荘(2泊)、民宿 味富、竹の坊
◎行程:5/25:京都自宅20:40=(中国道・米子道)=23:59蒜山高原SA(車中泊)
Day1:5/26晴れ:蒜山高原SA6:50=(米子道)=8:00七類港(車デポ)9:30=(フェリーくにが)=11:30来居港(知夫里島)昼食[ニューポート:隠岐牛特製カツ丼]12:18~御越鼻13:00~13:43アカハゲ山展望台14:15~14:37ウクイガ崎展望所付近~14:52古海~15:20来居港15:57=(内航フェリーどうぜん)=16:35別府港~16:50みつけ島荘(泊)
走行:21km
5/26 走行ログ
島根半島の七類港からフェリーで、隠岐(島前)知夫里島の来居(くりい)港へ。
来居港ターミナル
フェリーくにが
来居港の真正面にある「ニューポート」というお店で、隠岐牛特製牛丼(1,000円)を食べて出発。
特製牛丼
隠岐島(知夫村)で感心したのは、地区のバス停が移動図書館の基地になっていること。
こどもから大人まで、図書館を身近に感じられることだろう。
知夫村のバス停図書館
道端で石像としばしば出会った。
河井湧水の石仏
郡地区から海沿いを走る。前方に「浅島」が特徴的な姿を見せる。
前方に浅島
浅島
ちょっと坂をのぼって御越鼻メグリ照射灯。
御越鼻(みこしはな)メグリ照射灯
アカハゲ山へのヒルクライム。振り返ると、先刻通過した知夫漁港(仁夫里)。
知夫漁港(仁夫里)
後醍醐天皇行在所の碑。正面にはアカハゲ山展望台。
行在所は森の中かと思っていたら、放牧地として開けていた。
後醍醐天皇行在所
坂を28×28の最大ローギアで上っていると、電動アシスト自転車のおばちゃんにあっさりと抜かれた。海抜0mからのヒルクライム。
アカハゲ山の三角点(324m)
アカハゲ山に到着、あまりの絶景に驚いた。
誠に感動的な景観だが、「アカハゲ山」という名称が、、。頭髪を気にする人を誘うのには、ちょっとセンシティブかもしれない。
もう少しロマンティックな想像力をかきたてる名称だったら、観光地としてもっと違う展開になっていたのかもしれない。
まあ、「恋人の聖地○○」とかのいかにも観光向けの愛称よりは断然マシだが。
まあ、「恋人の聖地○○」とかのいかにも観光向けの愛称よりは断然マシだが。
アカハゲ山より島前カルデラを望む
電動アシスト自転車(レンタル)のおばちゃんに写真を撮ってもらった。東京からの一人旅。身体の動くうちに、とのことで隠岐島ではカヤック体験とか諸々アクティブに過ごされるそう。この方とは、この後、何度も隠岐島内で出会うことになる。移動手段とルートが限られているし。
アカハゲ山にて
上ってきた道
アカハゲ山から北向きにルートをとる。
隠岐の海が正面に広がる。
海に向かってダウンヒル
しばらく快調に走っていると、牛が実効支配しているエリアに突入した。
「うしさんうしさん、あやしいものではありません。とおしてください」と言って通してもらった。
牛が小径を実効支配
サイクルツーリングとして垂涎の道が続き、「古海(うるみ)」という集落に出た。
赤瓦のしっかりした家屋。”蘇民将来”の神事が伝承されている。北前船の風待ち港として栄えた時代もあったとのこと。
赤瓦のしっかりした家屋。”蘇民将来”の神事が伝承されている。北前船の風待ち港として栄えた時代もあったとのこと。
知夫村古海
古海のバス停移動図書館
古海付近
来居港に戻り、内航フェリーで西ノ島の別府へ。
内航フェリー乗り場
フェリーどうぜん
来居港の正面には、かつては醸造元であった土産物屋さんがあった。
安藤本店
別府にある「みつけ島荘」に宿泊。
女将は”日本縦断こころ旅”の田中美佐子の小中学校同級生だとご本人から聞いた。
宿の廊下に、”女優と女将”のテニス姿の写真が貼ってあった。
連泊した「みつけ島荘」
Day2:5/27晴れ:みつけ島荘7:55~黒木御所址~9:00宇賀~黒木御所址碧風館~9:55別府・西ノ島ふるさと館(見学)10:10~11:10焼火神社遊歩道入り口[徒歩11:25焼火神社]11:57~12:41船引運河~13:40摩天崖~14:08国賀海岸展望台~14:30浦郷港・国賀海岸定期観光船乗り場15:00=(定期観光船)=16:30後郷港~16:58みつけ島荘(泊)走行:51km
5/27ログ
宿を出て黒木御所址へ。資料館の開館が9時なので、それまでの間、島の東端の宇賀(うか)まで走ることにした。
途中にある「倉の谷」港
倉の谷から宇賀へのバイパス道路の切通ピークに神社入り口があった。
辿ってみると、比奈麻治比売命神社(ひなまじひめみことじんじゃ)。
古くは8世紀、遣渤海使船の帰路、夜闇の海原で迷った際、この神社の霊験で無事浜に着いたといういわれのある、式内社。
それにしても、古い神社がさりげなく存在している、隠岐島。
比奈麻治比売命神社(ひなまじひめみことじんじゃ)
島の東端、「宇賀」
宇賀
宇賀
宇賀付近
黒木御所址へ戻る。1332年から1年余り、後醍醐天皇の行在所であった。
隠岐島民と伯耆国の名和長年らの助けで隠岐から脱出して建武の新政を開始。
そういえば、以前、会社に名和長年の子孫を名乗る後輩がいたことを思い出した。
そういえば、以前、会社に名和長年の子孫を名乗る後輩がいたことを思い出した。
黒木御所址入り口
黒木御所址へ
黒木神社
黒木御所址 行啓記念柱もあった
碧風館:後醍醐天皇関連の資料館
碧風館の展示:「後醍醐天皇の道」
後醍醐天皇の配流と脱出ルートには、身近な地名が複数登場。隠岐島から伯耆国御来屋の上陸地点にある御腰掛岩には、以前のサイクルツーリングで立ち寄った。
近くにある、後醍醐天皇に付き従った三位局館跡
別府では「西ノ島ふるさと館」[山本幡男資料室]も見学して、次の目的地、焼火(たくひ)神社へ。
途中、大山地区で、辺見じゅん『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』文芸春秋1989ーーシベリア抑留のノンフィクション、後にテレビドラマ(1993)、映画化(2022年)ーーの山本幡男生家跡碑に出会った。
山本幡男生家跡
焼火神社の入り口に自転車を止め。徒歩15分ほどで社殿。
焼火(たくひ)神社
焼火神社より 向かいには知夫里島
焼火神社からのダウンヒル。山々の緑の勢いがすさまじい。
隠岐の山の緑
美田(みた)港沿いに走り、西ノ島の真ん中を貫通する「船引運河」を目指す。
美田港 後方に西ノ島大橋
隠岐の民家
船引運河。大正4年(1915年)開通。延長340m、幅5.5m。
昭和39年(1964年)拡幅。延長340m、幅12m。
昭和39年(1964年)拡幅。延長340m、幅12m。
船引運河
小さな坂を上がったところに、由良比女(ゆらひめ)神社。すぐ横に「イカ寄せの浜」があり、かつてはイカが驚くほど寄ってきたという。
由良比女神社
本殿にイカの彫刻があった
イカ寄せ浜
由良比女神社前から新国賀トンネルを抜け、摩天崖(まてんがい)への登りにかかる。
比高にして180mほどのヒルクライムで、馬が放牧されている眺望の良いエリアに達する。
摩天崖への途中。知夫里島、アカハゲ山を望む。
傾斜が緩んだところ
摩天崖、道路の終点
摩天崖に到着。フランス人の観光客が多数佇んでいた。
遊歩道で下まで歩けるようになっている。団体さんの場合は、バスが下に回送されて待っているみたい。
摩天崖
私は自転車なので、同じ道を戻り、摩天崖から遊歩道で繋がっている「国賀」バス停へ。
バスの本数が4本もあるので、公共交通での観光が十分可能。バスを待つ時間は、海を眺めて贅沢なものとなるだろう。
国賀バス停
国賀バス停を出て、国賀海岸の定期観光船乗り場へ。15時~16:30の便に予約していた。
摩天崖を上から眺めた後、今度は海上から。
隠岐国賀海岸定期観光船乗り場
定期観光船が本気を出すと、とてもスピードが速いのにびっくりした。
定期観光船より:摩天崖
通天橋
洞窟にも入る
明暗(あけくれ)の岩屋
明暗(あけくれ)の岩屋
岩ガキは天然物しかないと思っていた。
それにしては最近はいろんなところで流通しているので不思議に思っていたところ、なんと1992年に隠岐・西ノ島で養殖に成功し、そのノウハウを惜しみなく他産地にも開示したからだと知った。
隠岐 西ノ島の岩ガキ養殖
往路は焼火神社を経由するため山間の道を走ったが、復路は最短ルートを使ったので30分程で宿に着いた。
正面に「見付島」
後醍醐天皇の黒木御所を鎌倉幕府が見張った島。
後醍醐天皇の黒木御所を鎌倉幕府が見張った島。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://cycledays.asablo.jp/blog/2025/06/28/9785490/tb
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。