2024北海道ツーリング1:京都=黒埼PA=青森=木古内=銀婚湯 ― 2024/12/25
写真:サロマ湖
「北海道に何がある?」
サロマ湖の展望台で、キャンプ場の管理もしているという地元の老漁師が話しかけてきた。
その哲学的ともいえる問いかけに、うまく言葉が出なかった。
北海道に無いものについては、すぐに気付いた。明治以前の歴史的建造物、古を感じさせる神社仏閣、重厚な民家、箱庭のように隅々まで手入れされた農村景観などなど。
川村たかし「新十津川物語」、開高健「ロビンソンの末裔」、三浦綾子「泥流地帯」、坂本直行「山・原野・牧場ーーある牧場の生活」、佐藤泰志「海炭市叙景」といった小説や池澤夏樹のエッセーを読むことで、北海道や「開拓」についてのある種のイメージは得たが、申し訳ないことに、北海道について、自分として何も具体像が定まらないまま旅を終えてしまった。
自転車で走っていると、耕作放棄地や廃屋、廃校、鉄道の廃線跡、人間の痕跡が失われて自然に呑み込まれていく景色が否応なく目に入ってしまう。日本の広範なルーラルエリアも同じとはいえ。でも、それをもって北海道の記憶とすることにはしたくない。
北海道には何があるのだろう?
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2024年6月14日(金)~7月9日(火)の26日間。
自転車走行875km、自動車走行5,634km、利尻山登頂。
宿泊:ビジネスホテル5泊、温泉旅館6泊、旅館/民宿4泊、とほ宿6泊、
テント2泊、車中2泊
北海道への青森往復クルマ移動のgpsログ(スーパー地形)クリックして拡大
北海道内クルマ移動gpsログ(スーパー地形)クリックして拡大
北海道内自転車走行ログ(スーパー地形)クリックして拡大
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◆ Day1:6月14日(金)晴れ 京都=北陸道黒埼PA
自転車走行:0、自動車走行:526km
京都自宅10:30=(敦賀から北陸道)=20:30黒埼PA [車中泊]
北海道へはクルマで行くことにした。東北を通って、津軽海峡を渡り、北海道への距離感を感じたかったので。
今回は計画をきっちり固めず、テント泊装備も持参。天気の良い日に太田山神社と利尻山に登るのと、雨中自転車走行はなるべく避ける、というのが基本方針。
自転車は完成したてのグランボアER700Cランドナー、セパレートパニアバッグ仕様。
北海道は広いので、クルマをデポしたところから数泊の自転車ツーリングを実施し、広域移動はクルマでという計画。
写真:今回の荷物、利尻山登山用のザックも
写真:黒埼PAで車中泊、静かで快適に眠れた
◆ Day2:6月15日(土)曇り 北陸道黒埼PA=青森市
自転車走行:0 、自動車走行:496km
黒埼PA6:05=15:08青森 「ホテル2135」泊
車中泊して東北の日本海側の高速道路(自動車専用道)をひた走る。一般道区間はわずかだったので、地域性などあまり感じることはできなかったが、秋田県内の高速道路がものすごく空いていて、今思い返すのに北海道以上にガラガラだったのが印象的。
秋田県内は暑かったが、県境のトンネルを抜けて青森県に入ると、クルマの車外温度計が10度近く下がったのには驚いた。
青森市内のガソリンスタンドで給油。京都から無給油で走れた。走行1,015kmでメーターの燃費表示は18.9km/L.。12年落ちの1800ccガソリン4気筒車で、省エネ走りは意識していない。残りガソリンは8Lで走行可能距離は55kmとメーターにはあった。街中だとリッター7km程なので、間違ってはないだろう。
今回、出発時、ベートーヴェンのピアノソナタを1番から順にかけて運転した。
全32曲あるが、青森には私の大好きな30番のところで到着した。
青森市内のビジネスホテルに宿泊。青森市は漁村がそのまま大きくなったような街という印象。
去年、弘前の古書店で教えてもらった青森の古書店が近くにあったので、北海道と青森に関する地元出版物古書を数冊入手。
◆ Day3:6月16日(日)小雨 青森市=木古内
自転車走行:0、フェリー、自動車走行:67km
青森港8:10=(青函フェリー)=12:10函館港=17:20木古内「クラッセイン木古内」泊
小雨の中、函館山や五稜郭など函館市内観光。サンフランシスコみたいな街(1回しか行ったことないが)かと思っていたが、天気が悪いこともあってか、全然違う印象だった。
北海道新幹線の駅のある木古内のビジネスホテル泊。クルマをデポさせてもらい、明日から自転車ツーリング予定。
写真:函館山より
◆ Day4:6月17日(月)晴れ 木古内=銀婚湯
自転車走行:69km、自動車走行:95km
木古内7:35~道道29号通行止め引き返す~12:42木古内13:22=14:50銀婚湯温泉(泊)
木古内から山間部、峠越えで銀婚湯温泉に向かう予定であったが、通行止め。管理者に自転車なら通れないか電話して聞いてみたが、「何ヶ所壊れているかわからないし羆も出る」と言われて断念。最近道路が崩壊したのではなく、もう何年も放っておかれているみたいだ。トラピスト修道院を見学。
銀婚湯温泉は川本三郎「日本すみずみ紀行」で絶賛されているのを読んで、ちょっと値段は高いが行きたくなった。誠に良い温泉で感じの良い宿であったが、北海道新幹線のトンネル工事のダンプカーが前の細い道路をけっこうな頻度で走っており、騒音と振動が伝わるのが残念であった。
写真:トラピスト修道院
写真:通行止めの道道
写真:通行止めゲート、とても寂しいところだった
写真:銀婚湯(日本秘湯を守る会)
写真:銀婚湯
*2024北海道ツーリング1:京都=黒埼=青森=木古内=銀婚湯
*2024北海道ツーリング2:銀婚湯=木古内~松前~江差
*2024北海道ツーリング3:江差~貝取澗~木古内
*2024北海道ツーリング4:木古内=小樽=名寄
*2024北海道ツーリング8:天塩川温泉=五味温泉京都北山 「久多」の里とオグロ坂、八丁平 ― 2024/12/06
京都市左京区、といっても全くのルーラルなエリア、京都市の北東端に久多という地区があります。京都市への編入は1949年で岩倉、八瀬、大原、鞍馬、花脊と同時期であり、決して昨日今日京都市になったのではありません。もっとも京都市になったからといって、生活上は別に何が変わるということもないのでしょうが、やはり住所が”京都市左京区”であるということは、人々の意識にも何らかの影響を及ぼしてきたのかもしれません。
というのは、私は山陰の地から進学で京都に来て、学生時代オートバイで京都近郊を走りまわったのですが、その時驚いたのが、京都をとりまくルーラルな集落景観が美しいということでした。卒業してからは今日まで自転車で細かく走り回っていますが、その思いを強くしています。乱れて醜くなっている箇所が年々増えてはいますが。
家の造作や周囲の手入れをはじめとして、細やかな気配りから成る集落景観、”京風”ルーラル景観なのかもしれません。
家族にとって気持ちよいと同時に、人に見られることを良い意味で意識している景観という気がします。
京都の寺社仏閣や大店、お屋敷関係の仕事に携わったり、若いときに京都で働くなど、何らかの関係で美しい部分の京都、よいものに触れてきた影響があるのかもしれません。古くは貴人が隠棲してきた鄙の地であったりもしますし。
今回、山岳会のメンバーと朽木から峠道を探索しながら山を越えて久多上の町に降りて宿のある久多下の町まで歩いたのですが、その凜とした集落景観に感動しました。
集落ごとに文化財の紹介も兼ねた案内板があったりとか、なにか文化的な雰囲気が伝わってくるのです。そういえば、久多の花笠踊りは重要無形民俗文化財に登録されています。
翌日は、古道の「オグロ坂」を登って八丁平という自然生態的にも貴重な場所を経由して、そのまま鞍馬まで歩いて帰りました。
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久多上の町、の景観。耕地もよく手入れされています(近年の日本全国そうであるように潰廃した農地もないわけではありませんが)。
久多のそれぞれの地区ごとに、このような案内板があります。イラストの花がいい感じ。地元の方のアイデアなのでしょうか。
久多の大杉。
久多の志古淵神社。この近くに宿があります。
そういえば、久多の地元の方が綴った本が家にあるので、今回、ちゃんと読んでみました。
研究者や旅の人が記した文章よりも、リアルに地元の生活が伝わり、読み応えがありました。昔の人は、ほんとよく働き、生きる力と知恵がすごいと感服します。
今でも手に入るのかと思って検索してみたら、amazonで8000円にて出品されていてビックリ。
今でも手に入るのかと思って検索してみたら、amazonで8000円にて出品されていてビックリ。
民宿「久乃屋」
久乃屋の部屋
床の間。書の意味も教えてもらいました。
囲炉裏で暖まりました
現代ではこのような囲炉裏の造作をすることは不可能と言っても過言ではないでしょう
炭は、近在の花脊産。
部屋も廊下もピカピカに磨き上げられていて、私がこれまで泊まってきた宿の中で、比類するところは思い当たりませんでした。唯一、例外といえるのは、近在の美山荘です。美山荘は義母が大好きで、何度か伺ったことがあり、私の一番好きな宿です。
風呂やトイレは、新しいものに完全に改装されていて、誰でも快適に使えます。
料理の写真はありませんが、地元の食材を地元の調理法で仕上げておられ、料理旅館と名乗れば良いのではないかと感じました。
翌日は、久多からオグロ坂へ。
廃校になって久しい、久多小中学校前の道路にて。
魚が沢山いるらしい久多の川。
オグロ坂といえば、もう30年以上前になりますが、開店して間もない「I’s Bicycle」のツーリングで八丁平側からランドナーで下ったことを覚えています。結構乗車率が高く、楽しかった記憶。久多に降りた時には日暮れ近くになっていて、そこにはI’s Bicycleの土屋さんのクルマ、当時は三菱のデリカ、が待機してくれていて帰路につきました。良い思い出。
オグロ坂
宿を出てから2時間弱でオグロ坂に着きました。途中、いろいろ探索したりしての時間ですが。
オグロ坂、久多側から。
八丁平側から見たオグロ坂。お地蔵さんの祠があります。
オグロ坂を越すと、八丁平湿原です。丹波高地にあっては貴重な高層湿原の位置づけです。
八丁平
八丁平には林道を通す計画がありましたが、広範な市民の反対で中止されました。
かつては自然破壊そのもので荒々しかったであろう林道も、年月を経て周囲と馴染んできているように思いました。
かつては自然破壊そのもので荒々しかったであろう林道も、年月を経て周囲と馴染んできているように思いました。
この後、フジ谷峠(跡)を探索し、大見尾根から杉峠、花脊峠の道を歩いて鞍馬から叡電で帰りました。
◎歩行日:2024年11月16日(土)~17日(日)
◎宿泊:民宿「久乃屋」京都市左京区久多
京都銭湯”わく沸くトレカ大作戦” 参加のこと ― 2024/11/26
2024年10月26日から11月30日の期間限定で京都府公衆浴場業 生活衛生同業組合が表記キャンペーンを実施している。
京都府下全86銭湯が参加し、浴場を巡ってアンケートに答えると”オリジナル・トレーディングカード”がもらえ、さらに引換券に郵便番号を記入して渡せば千社札も。
そして組合加盟銭湯を巡って集めた「異なるカード」10枚を提示すると『湯道 はじまりの湯』プレミアムトレカが進呈されるという内容。
新聞に上記折り込みチラシが入っていて、私も参加することにした。
風呂敷に入浴グッズを包んで、ランニングでお風呂屋さんを巡ろうかと考えたこともあったが実行できずにいて、今回は、主として軽快車や電車で訪問した。
1)太秦温泉:京都市右京区:10月27日入浴
2)日の出湯:京都府舞鶴市:10月31日入浴
3)鹿王湯:京都市右京区:11月6日入浴
4)梅の宮湯:京都市右京区:11月8日入浴
5)衣笠温泉:京都市北区:11月10日入浴
6)寿湯:京都市右京区:11月13日入浴
7)山ノ内湯:京都市右京区:11月18日入浴
8)金龍湯:京都市北区:11月20日入浴
9)西院旭湯:京都市右京区:11月25日入浴
10)若の湯:京都府舞鶴市:11月26日(いいふろの日)入浴
カード、千社札とも先着順につき無くなり次第終了なので、上記写真で千社札がないのはそういう理由。
それぞれの浴場に、建物、湯、客層、と個性があって面白かった。
甲乙つける必要はないのだが、どこが一番好きかと問われれば、家の近所の「太秦温泉」。建物と浴槽のバランスがとれており、客層も中庸。
ほぼ全てが天然地下水を使用している。これからも、これまで通り、京都の地下水を使用できる環境であることを、強く願う。
これからも、お風呂屋さん巡りは続けたい。
(追記)
10枚集めて「プレミアムカード」を頂きました。写真は、その裏面。
太秦温泉
京都北山・祖父谷峠をゆく(MTB) ― 2024/11/19
京都北山・祖父谷峠の語源は、小野素風(惟喬親王に侍)の素風からきていると道中の石碑にあったが、京都に都が移る前から若狭から丹波を経て京へと結ぶ古くからの峠とされている。雲ヶ畑と京北町井戸を結ぶ峠で、若狭から御所への最短ルート上にある。
周山から山国への道路には、下の写真の通り「祖父谷峠通行不能」の標識がかつては存在していた。府道として計画されていたのだろうが、ずっと山道のまま残されている。
今春、たまたまロードレーサーで走っていたら、ちょうどその標識を撤去する現場に出会った。
写真:2024年4月まで存在した標識
写真:ちょうど撤去現場に遭遇した(2024年4月)
ハイキングでは何度か祖父谷峠を通過しているが、雲ヶ畑から井戸まで峠をコンプリートしたことはないのでMTBでゆくことにした。
京都市内、賀茂川沿いに上がると、雲ヶ畑に着く。御所の上流にあることから、水を汚さないようにと先祖代々生きてきた人たちが暮らす地区。
以前、賀茂川にダム計画が生じ、広範な市民の反対で計画は中止になったが、ダム建設予定地(雲ヶ畑の下流)付近の土地利用が乱れ、残土や産廃の埋め立て地が出現、菊の御紋ステッカーを貼ったダンプやトラックが行き来するようになった。
北陸新幹線のトンネル工事計画といい、日本国の美を破壊するのが、「保守」側に属するとされる人たちというのが解せない。
雲ヶ畑の惟喬神社。惟喬親王を偲ぶ地は北山にも広範に存在する。神社だけでなく、惟喬親王から杜若(かきつばた)を育てるように仰せつかって、杜若を名乗り地名にもなっている場所とか。
写真:雲ヶ畑の惟喬神社
雲ヶ畑からの林道を進み、ゲートから先はダート。
しばらく走ると林道から別れてシングルトラックになり、祖父谷峠を目指す。
写真:祖父谷峠へ。桟敷ヶ岳との分岐。
若干、押しと担ぎになるが、たいしたことなく祖父谷峠に到着
写真:祖父谷峠
峠を少し降ると、首を切られたお地蔵さんがあった。寛政八年。明治政府による廃仏毀釈の犠牲かもしれない。
京北町井戸へと降る。
写真:祖父谷峠、井戸へ。
林道に出て、やれやれ。
写真:林道に出た
普段見たこともない大型特殊車両に出会った。
写真:日吉町森林組合の作業車
走ってきたシングルトラックも府道61号ということか。
写真:井戸に降りてからの標識
なるべく旧道や集落の中の道を走る。
写真:可愛らしい茅葺きの納屋
上桂川の沈下橋を渡って、土手を走る。
写真:上桂川の沈下橋
時代祭の先頭を飾る山国隊改め維新勤王山国隊の山国神社。丹波国山国郷の山国隊は因幡国鳥取藩に付属し、官軍に属し戊辰戦争に出兵した農兵隊。
写真:山国神社
上桂川沿いにはダートの道が続いていた。
写真:上桂川沿い
周山街道に出て、いつものように栗尾峠の旧道(トンネルができたので自転車と歩行者用道路になっている)を走り、川端康成「古都」の舞台である中川を通過。
写真:中川、北山杉の碑。
写真:中川の集落
写真:中川の「北山銘木協同組合」の建物
高雄からは御経坂の旧道を久しぶりに走った。
写真:御経坂の旧道
御経坂を下って長刀坂へ。
写真:長刀坂
長刀坂を下ると、広沢池に出る。夕暮れの愛宕山を眺めて、家路へ。
写真:広沢池
◎走行日:2024年11月6日
◎使用自転車:コメンサルMTB
◎峠:祖父谷峠、栗尾峠、笠峠(トンネル)、御経坂峠
◎行程:自宅9:15~9:48北大路大宮~10:11柊野~10:40雲ヶ畑~11:20雲ヶ畑(洛雲荘前)~12:27祖父谷峠~13:33井戸~14:16周山~14:40栗尾峠~15:15中川~15:40御経坂峠~16:02広沢池~16:20自宅
WINDCOG(ウインドコグ)で丹波黒豆 ― 2024/10/29
今年も丹波黒豆を分けてもらいに篠山へ行ってきました。
小径折りたたみ車の「ウインドコグ」で。
国道9号線、老丿坂を避けて、いつもの六丁峠、保津川沿い。
六丁峠、急坂ですが42×28が最大ローギアで問題ありませんでした。20インチですし。
保津川沿いを走って亀岡へ。ダートもそこそこあります。20×1/8のタイヤ6気圧。最近は700Cロードでも6気圧以下にしていますが、小径で細いタイヤなので仕方ありません。小径高圧なので、ダートは無事通過すること優先の走りになります。
亀岡盆地に入って、保津川を沈下橋で渡ります。
ちょうど保津川下りの舟が通過。外国人観光客が「ブラボー」と叫んで通過していました。ほんと、楽しそう。
ちょうど保津川下りの舟が通過。外国人観光客が「ブラボー」と叫んで通過していました。ほんと、楽しそう。
亀岡。国道沿いはロードサイド店ばかりですが、実は落ち着いた街並みが旧道エリアには広がっています。ちょうど「亀岡祭り」の準備で軒先には提灯が飾られていました。
亀岡祭りを以前見に行ったことがありますが、ちょうどよい人流と規模で、気持ちよく夜風に吹かれてそぞろ歩きできました。自宅(京都市右京区)からは、京都市内中心部に出かけるよりも、山陰線で亀岡に行くほうが所要時間が短いですし。
山鉾を持つ町内では、その準備中。
山鉾を持つ町内では、その準備中。
亀岡市街も旧道で抜け、湯ノ花温泉のところから、谷性寺へ。
明智光秀ゆかりの寺とされ、桔梗が有名ですが、この時期には誰もいませんでした。
明智光秀ゆかりの寺とされ、桔梗が有名ですが、この時期には誰もいませんでした。
養玄寺への小径も、自転車で走るのに最高。
旧 山陰道を走ります。クルマはバイパス化された国道372号を走るので、交通量少なく、誠に快適です。
旧街道沿いには、愛宕灯籠もあります。建立は文久年間。
天引の集落も旧道を走りました。天引トンネルを抜けると、丹波篠山市域です。
地元の方に弟子入りして今は丹波黒豆生産者になっている、元会社の同僚のお宅に着きました。
黒豆を3袋分けてもらいました。
黒豆の畑(この方の畑ではありません)。
近くにある、国鉄篠山線の終着「福住駅」跡を、今年も見学しました。
帰りは原山峠で。ガレたダートで、小径車には厳しい道ですが、パンクもせず無事走り抜けました。
峠を下ったところの集落。
大きな茅葺き屋根が遠くに見えたので、立ち寄ってみると摩気神社でした。
神社の入り口近くには、立派な倉庫が残っています。
自走で帰ろうかと思いましたが、せっかくの小径折りたたみ車なので、園部から輪行にしました。
輪行袋の中はこんな感じで折りたたまれています。
◎走行日:2024年10月24日(木)
◎使用自転車:WINDCOG
◎行程:自宅8:40~9:04六丁峠~10:00保津小橋~12:37丹波篠山市安口13:15~福住散策13:35~14:15原山峠~14:40摩気神社15:05~15:30JR園部駅=(山陰線)=嵯峨嵐山駅
◎峠:六丁峠、天引トンネル、原山峠
◎走行キロ:70km
WINDCOG(ウインドコグ)小径折り畳み自転車のこと ― 2024/09/15
写真:リクセンカウル・オールラウンダーツーリングバッグ、純正シートチューブバッグ用専用ケージ、前マッドフラップ(社外品)、CAT EYEランプホルダー装着例。
折り畳み自転車で目にしがちなのは、ホームセンターや通販で売られているような粗悪品が錆だらけで放置されていたり、そんな元々走らなくてしかも整備されてないものをギコギコ苦しそうに無理やり漕いでいる姿。
時々、輪行ツーリングする人にも出会うが、ランドナーを愛用している私は、つい「もっとツーリングに適した自転車があるのに」と思ってしまう。こんな私の方が世間的には少数派で、ランドナーの輪行を知る機会もなく、知っても敷き居が高いように思い、相談や購入できるショップも近くになく、折り畳み車を選択する人が多いのだと推測する。
折り畳み車とは、似ているようで別だが、「ミニベロ」と称される小径車というジャンルがあり、こちらのほうは、自転車趣味の人が1台は持つのがたしなみのように思われていた時代があったかもしれない。例をあげると、有名フレームビルダーが手がける小径車など。
私も、ランドナー、スポルティーフ、レーサー、MTBとそれぞれ楽しむ中で、小径車が欲しくなり、BSモールトンを20年以上前に購入した。
あと、この方たちが小径車、折り畳み車の本流であってほしいが、折り畳み小径車のメカニズム的なものや制限がある中でのパフォーマンス最大化を探求して、小径車を究めようとする人たち。
そういうスピリットを感じたのが、今回とりあげる「WINDCOG」。
折り畳み小径車について尋常になく探求している人が作り上げた逸品だと、直感的に思った。
ツーリングを念頭につくられ、泥よけが標準装備というのが素晴らしい。前後キャリアも専用品が日東の制作で存在しているなど、レベルの高さが推測される。
こういう製品は、あるうちに購入しておかないと、採算的に最初のロットが終了したら再生産はないかもしれないという心配もあって、購入することにした。
ちょうど、会社員時代にある意味縁のある「ナニワ銀輪堂」が扱い店だということもあるし。
想定用途としては、例えば京都から阪神間の美術館を巡るとか、走行時間以外をそこそこ費やすミニトリップ。一日に何回も輪行する場合とか。もちろん、気楽なワンデイ輪行ツーリングも。
いくら苦でないといってもランドナーで輪行して駅前で組み立てると、もっと長距離、峠の向こうまで走りたくなってしまうのは目にみえている。走行時間以外が長いと、フラストレーションがたまりそう。
と前振りが長くなってしまったが、とにもかくにもウインドコグという折り畳み小径車を購入し、いつものルートを走ってみたので、そのインプレッション。
コースは京都の保津峡から愛宕山の裏を走る山間の道で、途中に急勾配の峠がある。
その峠での上り下りで、これまでも多くの自転車を評価してきた。ロードレーサーからMTBまで。もちろん、ランドナーも。
ウインドコグについては、一言、何の不満もありません、ということ。
とても良心的な価格で販売されているので、パーツはこれまで私が使ったことのないようなメーカーのものばかり。
ブレーキがテクトロというメーカーで、ダイアコンペ製品に交換したかったが、購入時にその旨を頼んだところ、メーカー在庫を切らしている、とのことでそのまま使っている。
クランクも聞いたことのないメーカーのもので、どうかなあ、と思ったがシルバーパーツというのが今や絶滅危惧種になっていて、デフォルト製品のデザインも決して悪くないので、そのまま使っている。デフォルトのサドルも快適。
変速関係も、デフォルトで全く問題ないので変更する気持ちはない。ギア比も、いつもの急勾配の峠を登るのにも適切(最大ローが42x28、20インチ)で、全く問題ない。
ペダルだけは、三ケ島製品に替えた。
パーツの選定もよく考えられていて、「失礼しました、ほんと良く考えられていますね」というのが感想。専用輪行袋もよく考えられていて、感服した。
ライディングポジションも、ばっちり(私の身長は175cm)。
小径車にありがちな、短いホイールベースということはなく、実測で97cm。私のロードレーサーのひとつ(700C)と1.5cmほどしか変わらない。車輪の大きさが違うので、その差が有意なものなのかどうか、フレーム設計の知識がない私にはわからないが、乗車感覚としては違和感がない。視覚的にはホイールベースはもっと短いかと思ったが、そんなことはなかった。
というわけで、散々自転車三昧してきたけれど、このウインドコグの場合、完成車状態で全く問題なく、気持ちよく走れる。
唯一、手を入れたいのは、やはりブレーキ。実用上テクトロのデフォルト製品で問題ないが、感触という点では、感動がない。
私にとってカンパ・コーラスのブレーキフィーリングが大好きで(ブレーキ単体で決まるものではなくフレーム・ホイール・タイヤ等とのマリアージュではあるが)、峠の下りでコーラスのブレーキを使用する度に、この感触のためにもう一度坂を登りたいと思ったりするが、そこまで求めることはなくても、もう少しジワっと効く感じ、入力に対するリニア感が欲しい。ブレーキシューだけでも替えてみたい。
写真:いつもの場所で。WINDCOG。
写真:ウインドコグ。この位置のボトルケージで、舗装路走行中にロングサイズのボトルが落ちてしまった。通常サイズなら問題ないか。
写真:ウインドコグのドライブトレインと折り畳み機構
写真:ウインドコグのリアエンド廻り
<追記>
フロントハブのところの凸部(磁石付)とリヤハブのところの凹というか穴とを合わせて折り畳んだ後、組み立てるときになって、その2つがなかなか外れない事象が生じた場合には、アーレンキーで後ろハブのアクスルをちょっとだけ回すと結合部の角度が変わり、スムーズに折り畳み、外しができます。
「外れやすい」というクレームがあったからか輪行袋にはそれ対応用の小さい部品が付いていましたが、私は使っていません。かえって面倒ですし、私は古チューブ(細いラッテクスチューブが最高ですが、ブチルチューブでもOK)でハンドルと折り畳み状態の前と後ろを結んで、かっちりズレないようにしています。チューブで結ぶなどほんの10秒位のものですから)
<追記2>
ナニワ銀輪堂に、ウインドコグ純正のシートチューブバッグを受け取りに往復自走で行ってきました。京都から大阪大正区には、桂川、淀川のサイクリングロードを走って不快な道を走ることなく行けます。往復で120km。
往路は凄い向かい風。インプレッションには最適です。上り坂は先日の走りで体験して、全く問題ない受け止めでして、平地の向かい風はどうなのか興味がありました。
走らない自転車というのは、自分の入力に対して、期待よりも前に進まない自転車。後ろタイヤがスローパンクしてるんとちゃうか、とかチューインガムが張り付いているんとちゃうか、みたいな感じ。軽量なカーボンロードフレームでも、その点で気持ちが良くなく、すぐに手放したものもあります。
ただ、体感的には遅いようでも、タイムを計ってみたら実は速かった、という自転車もあります。そういう自転車は私の経験上ではフレームやホイールが自分にとって固い自転車。ブリヂストンのアンカーのロードレーサーがそうでした。
競技に使うわけではなく、ツーリングで使う分には、踏んで気持ちよく、踏み続けても疲れない、一生懸命踏むと速いけど筋や筋肉が痛くなる自転車でない、のが良いです。
強烈な向かい風できついけど、踏む分には不快でない、そういう自転車が良いです。
その意味では、今回のウインドコグは、大丈夫でした。
GPSのログを帰宅後に解析すると、今回、平地を往復120km走ったのですが、帰りは追い風の区間が少しあった程度ですが、実は時速30km以上は、ほとんどありませんでした。
踏み味は軽く、スムーズに走っているようでも、それが小径車だからどうかはわかりませんが、ウインドコグは時速20km〜30kmで巡航するには気持ちよい、実は30kmで走っていてもそれ以上スピードが出ているような気にさせてくれる自転車です。
時速30km以上で巡航したいという用途ならば、やはりロードレーサーでしょうが、荷物を積むとか諸々考えるとツーリングにはどうかな、と思います。サポートカーがつくスポーツライドならいいのでしょうが。
誤解のないように記しておくと、ウインド・コグが時速30km以上出ないとかそういうことではなく、私の脚力との関係でそうであったということ。下りでは時速40km以上でもしっかり走りますし、高速安定性に問題があるわけではありません。小径車であることのネガは感じません。
ランドナーならロードレーサーほど高速巡航に特化しているわけではないけれど、あらゆる面で守備範囲が広いと思います。
ところで、小径車でいうと、ブロンプトンが有名で、走っている人に時々会いますが、ブロンプトンの巡航速度というのは独特というか、押し並べてのんびりのように思います。だからといって、本人がそれで楽しんでいるのを他人がとやかく言う必要はないですし、それが自転車のせいなのか、そもそもブロンプトン愛好家というのがのんびり走る嗜好性をもった人ばかりなのか、そのへんはわかりませんが、出会う度にそうなので、不思議に思います。旅の手段にブロンプトンを選択するのではなく、愛用のブロンプトンで走るのが目的であるのかもしれず、その気持ちはよくわかります。
平地と坂道を走った、私なりのインプレッションとしては、時速30km位で走るのにはウインドコグは気持ちよく、アゲンストな状況でもペダルが踏める。荷物の搭載も工夫されているので、ロングツーリングにも対応できるのでは、小径車なのでフロントサイドバッグにすれば重心が低く、地をはうような走行感覚が得られるのではないか、というところです。タイヤがやはり小径であるのと、太くないので、42Bランドナーのような、どっしりした安定感は得られませんが。
写真:大阪・与謝蕪村生誕地
写真:大阪・中之島公会堂
<追記3>
その後の改造
1)ブレーキシューをシマノ アルテグラ用 に交換・・・テクトロのブレーキシューはシマノのとほぼ同サイズなのか、特に調整することなく簡単に替えられました。シマノのシューは屋根裏収納庫にあった取得時不明のものですが、問題なく使え、ブレーキング時の感触もくいつきのじわり感が出てよくなりました。
2)サドル交換・・・ウインドコグ純正のシートチューブバッグを装着する際には、サドル下にストラップを通すのですが、デフォルトのサドルはその部分がスリムでストラップを通すのに少し手間取る(ちゃんと通りますが)こともあり、これも屋根裏収納庫から救出したベルトゥの革サドルに交換しました。デフォルトのサドルで不満はありませんでしたが、やはり革サドルのほうがしっくりきます。イデアルやブルックスよりもスリムなのでウインドコグには似合うと思っています。
3)ボトルケージ・・・20年以上前に購入したミノウラのペットボトル用のケージにしました。飲み口のところにゴム製のストッパーがあるので確実にボトルを保持できます。
”四国一周サイクリング”にエントリーして東半分(後編) ― 2024/09/11
・Day3:11月3日(金)観音寺〜志度 95km
*走行ログ(クリックして拡大)
観音寺のホテルを出て、加嶺峠、宅間を経て”四国一周サイクリング”のスタンプポイントのひとつである「ふれあいパークみの」道の駅へ。
地元のライオンズクラブが韓国のライオンズクラブと姉妹クラブになった記念碑があり、その縁でかどうかは知らないが、韓国ナンバーの大きなキャンピングカーが止まっていた。
気持ちの良いダウンヒルを経て、海に出るとなにやら海の中に神社があった。
津嶋神社という。この鳥居のあるところは遥拝所。
本殿は海の中にあり、年に2日だけ渡れるそう。普段は遥拝所から拝む。橋の床板は外してある。
すぐ近くにJR予讃線「津島ノ宮駅」がある。1年に2日だけ、8月の大祭の日に列車が停車するという駅。普通列車が通過するので不思議に思い、地元の人に聞いたところ、そのことが判った。
旧道を走り続ける
五色台の海沿いを走る。
高松市内を通過。東西に長い街並み。こんなことでもなければ走り抜けることはなかっただろう。起点や終点になることはあっても。
本日の宿泊地、志度の「たいや旅館」に到着。平賀源内の出生地で、なかなか渋い町。
・Day4:11月4日(土)志度〜阿南 101km
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宿を出てすぐ、四国霊場八十六番札所補陀洛山志度寺に参った。
海沿いに与治山の北側を走った。
与治山からの小さなダウンヒルを経て安戸池。
池と海が一体になったような安戸池。ラグーンで、小さな小さなサロマ湖のようなものか。
引田の町へ入る。かつて醤油と酒造で財を成した商家の建物が、自治体の所有になり修復公開されていたのでじっくり見学。「讃州井筒屋敷」。
船のような屋根裏
旧 引田郵便局が、喫茶軽食のお店として使われていた。天井が高く、石貼りの内装で残響効果が出るからか、小さなスピーカーから流れるバッハの無伴奏チェロ組曲が、重々しく響いていた。
今回のコースは主として海沿いの平野部を走るので、唯一の峠らしい峠は、讃岐と阿波の国境の大坂峠のみ。国境の山を、国道11号線は海岸沿いに迂回し、JR高徳線と高松自動車道はトンネルで抜けている。
大坂峠は昔からの道で、地形の弱点をついたカーブを重ねて標高を稼ぐことから、誠に優しい勾配で、自転車でとても気持ちよく走れる。最近のバイパス道路にありがちな、えげつない直線勾配とは正反対。
感動しながら走っていると、後ろから自転車の気配。
なんと、クロモリのシングルスピード車に乗った若者。
徳島ー松山往復をワンデイでこなしたり、”エベレスティング”と銘打って、エベレストと同じ標高を、徳島の眉山を何十回も走ることで達成するトレーニングをしたりとか、なかなかの走り屋さん。
自分のペースで気にせず抜かしていってもらうように話したが、絶妙のペースで徳島市街まで引っ張ってくれた。お陰で、私のは42Bのランドナーで荷物も多いが、自分でも驚くようなハイペースで徳島平野を通過できた。ありがたや。
下の写真の「道の駅いたの」以外で唯一信号待ち以外で止まったのは、吉野川に架かる四国三郎大橋。吉野川、なんともビッグスケールなので写真を撮らせてもらった。
お陰で、予定よりも早く、阿南市のビジネスホテルに着いた。
・Day5:11月5日(日)阿南市〜室戸岬 115km
*走行ログ(クリックして拡大)
天気予報は午後から雨。距離も長いし、早めに出発。
室戸岬へは、高校2年の夏休み、友だちと2人で自転車で来た。ユースホステル泊で。自転車は通学用ロードマン(友だちはBSダイヤモンド キャンピング)、装備は今思い起こすとものすごく貧弱だったが、当時はそんなことを気にすることもなかった。旧道や脇道を走る、といった感覚もなく、ひたすら国道を走ったが、なんとも思わなかった。四国の東半分を走ったが、一番印象に残ったのは、やはり室戸岬。初めて見る太平洋がずっと左手に広がり、だんだんと岬へと近づいていく高揚感。
宿を出発して、ひたすら室戸岬を目指す。基本的には国道55号線を走った。
日和佐を通過し、牟岐を過ぎると海沿い。下の写真は那佐湾。
このあたりはサーファーが多かった。
野根の町が北から下って最後の町という印象。野根の先、佐喜浜までの間は、山が海に迫る隘路。室戸岬への道のハイライト。
旧道の野根橋で
旧道の野根川橋で、パンの昼食。国道の野根大橋にはお遍路さんが2人歩いていた。
遠く、室戸岬方面が見える。
海が、ドドーンと広がっている。
室戸岬に到着
今日の宿は「岬観光ホテル」。建物は登録有形文化財。写真に写る後ろ姿は、アメリカから来た歩き遍路さんだった。
宿に荷物を置いて、岬の探索。
室戸は漁業の町で、これまで何度も漁船の遭難が発生した。遭難の度にお地蔵さんが安置され、船名と遭難した日時や場所、遭難者名などが掘り込まれている。
なんともいえぬ気持ちになり、六字名号を唱える。
四国霊場第二十四番札所最御崎寺へと登る。お寺より少し低いところに室戸岬灯台があった。
最御崎寺。遍路ツアーのフランス人団体と出会った。雨が降ってきた。
翌日は激しい雨。予定を変更して輪行で帰宅した。写真は土佐くろしお鉄道の終着/始発駅である奈半利駅。
室戸岬から高知、そして高知から足摺岬、松山へは、改めて走りに来て、四国一周を成就したい。
”四国一周サイクリング”にエントリーして東半分(前編) ― 2024/09/10
”四国一周サイクリング”とは愛媛県の観光スポーツ文化部が推進しているプロジェクトです。
せっかくなので、登録してみたのが、コロナ前のこと。
コロナの大波にも負けず、ちゃんとプロジェクトが続いているのは喜ばしいことです。
四国には何度かツーリングで訪れており(足摺岬、祖谷、とびしま海道しまなみ海道、四万十川沈下橋)ほんと良いところだと常々思っていることもあり、2023年の秋、四国一周サイクリングにエントリー実走しました(東半分)。
四国一周を35時間切りでこなす凄い(日本のロングライド第一人者ですから)走り方もありますが、のんびりと観光しながら。なるべく国道を外して旧道や脇道を地形図アプリ(スーパー地形)を活用して走りました。
◎日程:2023年10月31日(火)〜11月6日(月)6泊7日
(自転車走行は11/1〜11/5の4泊5日)
・[移動日]10月31日(火)晴れ:
京都7:13=7:40新大阪7:56=(のぞみ273号)=8:41岡山9:05=(マリンシティ15号)=9:58高松10:13=(南風リレー号)=11:25観音寺11:40 =15:13松山、松山駅〜道後温泉、オールドイングランド道後山の手ホテル(泊)
・Day1:11月1日(水)晴れ
松山(道後温泉)8:30〜三津浜〜(しまなみ海道)〜馬島〜大島椋名(ピストン)〜(しまなみ海道)〜16:30今治、今治プラザホテル(泊)、96km走行
・Day2:11月2日(木)晴れ
今治8:30 〜西条〜17:30観音寺、観音寺グランドホテル(泊)、111km走行
・Day3:11月3日(金)晴れ
観音寺8:30〜高松〜16:25志度、たいや旅館(泊)、95km走行
[峠]加嶺峠
・Day4:11月4日(土)晴れ
志度7:50〜大坂峠〜徳島〜15:45阿南市、ルートイン阿南(泊)、101km走行
[峠]小方峠、大坂峠
・Day5:11月5日(日)晴れ後雨
阿南市7:20〜14:50室戸岬、岬観光ホテル(泊)、115km走行
・[移動日] 11月6日(月)雨
室戸岬=奈半利(輪行)=京都
◎使用自転車:グランボア650×42B Oyakata55号ランドナー
道後温泉のホテルにて、”四国一周サイクリング”公式ジャージ
◆Day1:11月1日(水)松山〜今治 96km
*走行ログ(クリックして拡大)
ホテルを出て、まずは愛媛県庁、四国一周モニュメントに表敬訪問
松山の外港、三津浜へ。
祖父が戦前、「愛媛県女子師範学校」の教員だったことがあり、三津浜は母の出生地でもある。祖父は晩年になっても当時の教え子に招かれて松山を訪問していた。写真は女子師範学校跡。
三津浜は漁師町でもある
小林一茶も利用したという「三津の渡し」(松山市高浜2号線の一部80m)で三津浜から対岸に渡った。
大西町というところの旧道を走っていたところ、天水瓶が屋根の上にある家があった。大庄屋の家で本陣にもなり、後年役場としても使われたと説明板にあった。
松山から今治までだと距離が短く時間が余るので、しまなみ海道にちょっとだけ寄っていくことにした。
しまなみ海道を全部走る時間があるわけでもないので、途中の「馬島」に降りてみた。
橋から島に降りるエレベーターを出ると、橋梁工事の慰霊碑があった。六字名号を唱えた。
馬島。島民居住エリアには外来者は入り込まないようにとの看板。
橋から島を見下ろすのとは、正反対のアングル。
馬島の先端の「ウズ鼻灯台」まで行ってみた。
神社に隣接しており、そこでは音楽アーティストを名乗る若者が、「音楽活動へのインスピレーションを得るためにここに来た」と言って佇んでいた。
大島まで行って引き返し、今治へ。大島からみた本四架橋、しまなみ海道。
今治市内、今治プラザホテルに泊。フロントロビーに自転車ラックが用意されている。
晩ご飯を食べに出た。道路には巨大なスクリューがライトアップされていた。造船の街、今治。
◆Day2:11月2日(木) 今治〜観音寺 111km
*走行ログ(クリックして拡大)
快晴の下、今治城の外周を経て、旧道を繋いで今日は観音寺まで。写真は今治城。
菅原道真が太宰府に配流される途中、嵐に逢って漂着。この地の漁民が助けた場所に建立された「綱敷天満宮」に立ち寄る。
大灯籠には「伊万里仲間」とあり、当時の物流の大動脈である瀬戸内航路の安全を願う思いとその財力が伝わる。
菅原道真公の衣を干したとされる岩
指定された道の駅でスタンプを集めるのがミッションなので、指定箇所には全て寄るようにした。写真は「今治湯ノ浦温泉」道の駅。
Googleマップに「西条のベネチア」とあったので、どんなところか行ってみた。
西条市難波、これがベネチアか!? 確かに水路が走っているが、、。
ベネチアからそのまま走った堤防沿いからは、石鎚に連なる山々がよく見えた。
西条市、県立西条高校の隣にある「愛媛県民芸館」を見学。やはり西条という地にはこういうものを設立できる文化力があったのだろう。
愛媛民芸館にて。
写真のような「旧街道」が残っており、今治から観音寺まで、国道を走る区間はほんの僅かで済んだ。讃岐街道。
今回の一周プロジェクトがなければ、四国の瀬戸内側の都市間を自転車で走ることはなかったと思う。やはり、実際に現地に入らないとわからないことは多い。
観音寺グランドホテルに宿泊。11月いっぱいで営業を終了するとフロントの人から聞いたが、経営企業が変わり、営業が続いたようだ。
エロイカJAPAN2024「踊り子」144kmに参加 ― 2024/08/29
”エロイカ”という自転車イベントに初めて参加してきました。”エロイカ”とは、もちろんベートーヴェンの第3番交響曲の愛称と同じで”英雄”という意味です。
イタリア発祥の自転車イベントで、「参加者自身の努力において、困難を乗り越えること」がエロイカ精神とされており、参加者はその精神の尊重が求められています。詳しくはエロイカJAPANのサイトで。
レギュレーションでは、1987年までに開発された機構を使用すること(ビンディングペダルやディスクブレーキは不可)などが定められています。ウェアもウールを着用している人がほとんどで、クラシカルなスタイルで走ることが望ましい感じ。
なぜなら、「サイクリングやスポーツの新しい未来を創造するために過去から学ぼうとする活動」だからです。
2024年JAPANの大会は伊豆半島で開催され、コースは
・サムライ 183km
・踊り子 144km
・FUJI80 79km
・FUJI30 28km
の4つで、私は”踊り子”144kmに出走しました。
自転車は、イタリア車の「CASATI Gold Line」をチョイス。1990年に購入したモデル。当時としては珍しいワイヤーフル内蔵のエアロデザインです。カンパ スーパーレコードフルセットなので、レギュレーションにも合致しています。サイクルコンピューターは外して大会に臨みました。
写真:CASATIゴールドライン
写真:エアロデザインのwレバー
写真:カンパスーパーレコード 52×41
写真:カンパスーパーレコード。スプロケットは13.14.16.18.21.24 の6速。24でも問題なく使えた。
写真:リムはフィルのシリウス。チューブラ。
この自転車でレースや大会に出たことはなく、おまけに最大ローギアが41×24で、伊豆半島の急坂を登れるのかと心配していましたが、実際走ってみると、何の問題もなく、ダンシングは多用しましたがスルスルと気持ちよく登坂できました。イタ車は、不思議と良く走ります。踏むとスッと前に出て重たいギアを踏めるけど疲れが溜まりにくいとでもいうか。今回のCASATIが将にその通り。私が経験しているのは他にデローザ ネオプリマートと、制作所不祥のクラシックレーサーだけですが。
そんなこんなで当日の朝を迎え、2024年5月12日(日)午前6時、「韮山文化センター」をスタート。
写真:韮山文化センターのスタート/ゴール 地点
タイムや着順を競ってはいけないルールなので、普通のチーム練習的なスピードでスタートしたのですが、すぐに先頭になってしまいました。他の人の自転車を見ながら走りたいのですが、後ろがなぜか来ません。
しばらく走っていると1人追いついてこられたので、先頭は私が引き、湯ケ島までずっと2人で走りました。浄蓮の滝のところで後ろから1人いかにも脚力のある走りで追いついてこられたので、私は後ろに回りましたがそのスピードに着いていけず、一人旅になりました。
「天城越え」の天城山隧道(旧道)のところはダートでしたが、路面は良好で勾配も優しく、気持ちよく走れました。
写真:天城山隧道
写真:天城山隧道
大会なのに、前後に誰もおらず、個人ツーリングと同じ感じで松崎に到着しました(9:53)。
エイドステーションでは先着の2人が弁当を食べておられ、私も。
係りの人が、隣の「長八美術館」には参加者は無料で入れるとおっしゃるので、当イベントにせっかく協賛されているのに誰も行かないのでは今後の協賛にも差し障るのではないかと思い、私は1人で美術館を見学することにしました。左官の技である「鏝絵」の名人、長八さんの作品が主たる展示です。
写真:伊豆長八美術館
写真:こて絵の富士山
長八美術館を出発(10:28)し、仁科川を渡り(10:35)、仁科川沿いに峠を目指します。松崎からも一人旅で、道はだんだんと伊豆半島の脊梁へと登っていきます。
ダンシングも多用しながら気持ちよく走りました。午前中のダウンヒル、伊豆のループ橋のところはスピードが出るのですが、CASATIは誠に安定して何の不安もない走りだったことを思い出し、登りも下りも幸せな気分。
伊豆半島の稜線、仁科峠に到着(12:27)。
写真:仁科峠
ヒルクライムもこれで終わりかと思っていたら、一旦少し下ってから、稜線上を風早峠、吉奈峠、戸田峠へとつなぐ西伊豆スカイラインのアップダウンのほうがきつかったです。
地形の弱点をついて造られた古くからの道ではなく、自動車用にムリムリ作った道だからでしょう。
戸田峠からは急傾斜のダウンヒル。らららサンビーチのエイドには別コースの人たちが多数佇んでおり、参加されている自転車を鑑賞できました。
写真:カンパCレコード デルタブレーキ仕様のカーボンのコッピ
写真:大きな後歯を使えるように改造されたカンパ ヌーヴォレコード
らららサンビーチからは平地を流して走りました。
写真:海沿いを快走
富士山は雲に隠れて見えませんでした。
写真:富士山は裾野の一部だけ
ゴールすると、順位を競うイベントではありませんが、3番目に入ったということで、ステージに上がってインタビューを受けることになり、司会者の方から自転車を褒めてもらったりしました。
写真:ゴール会場にて
エロイカ2024 スタンプ
エロイカJAPAN2024の参加記念品
前泊した旅館のクラシックカーも会場の駐車場で見かけました。お手伝いに来られていたのでしょうか。
写真:クラシックカー
会場を後にし、かつては勤務先の健保組合の保養所、今は一般利用もできる熱海の施設に泊まって、帰りました。
写真:熱海の元保養所
◎走行日:2024年5月12日(日)
◎催事名:エロイカJAPAN2024
◎使用自転車:CASATI Gold Line
◎行程:韮山文化センター6:00〜6:30修善寺〜7:00湯ケ島〜7:51天城山隧道〜8:18河津ループ橋〜8:42峰山トンネル〜9:33婆娑羅隧道〜9:53松崎(長八美術館)10:28〜10:35仁科川〜12:27仁科峠〜13:28戸田峠〜13:59らららサンビーチ14:12〜14:38口野橋〜14:52韮山文化センター
◎走行距離:145km
◎峠:天城山隧道(707m)、仁科峠(892m)、風早峠(780m)、南無妙峠(669m)、吉奈峠(668m)、船原峠(594m)、戸田峠(733m)
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山サイ研集中ラン 上野村・中ノ沢林道(2024/4) ― 2024/08/28
”山サイ研”とは「山岳サイクリング研究会」の略称で、自転車を担いで山道を数時間歩いたりすることも平気な人たちの集まり。本拠地は東京なので、私は東京に転勤した今から20年程前に入れてもらいました。
その集中ランに参加してきました。
コースは、群馬県上野村、御巣鷹山の北面、「中ノ沢林道」という日航機事故のときには関係車両が走り回ったであろう林道。普段はゲートが閉じられていますが、ちゃんと通行許可をもらっての実施です。
羽田から伊丹に向かう日航機123便が墜落したのは1985年の8月12日、私が就職した年で、翌朝、会社の独身寮に届けられた朝刊で知った衝撃は大きかったです。当日は休みで出かけていてTVを見ることもなかったので。
日本航空の大阪支社は当時、私の勤務先のビルに入居しており、テレビで「日本航空大阪支社から」という時には、いつも職場のビルが映っていました。
いうまでもなく大事故なわけで、現場へは、大阪からも社有車やハイヤーで現場に向かうなど緊迫していたのでしょうが、営業職場の1年生である私には関与できることはなく、新聞やテレビで知る情報以上のことは何もありませんでした。
そんなことを思い出しながらも、山サイ研の人たちのホームグラウンドである西上州を走りたいというのが主たる動機で参加してきました。
◎行程
・2024/4/5(金)京都市内自宅19:45=(中央道)=23:55諏訪湖SA車中泊
・4/6(土)諏訪湖SA=9:00佐久穂町「篠屋旅館」(車デポ)9:15〜10:00小海駅〜11:05白岩〜12:10ぶどう峠12:25〜13:12上野村三岐(木森れ陽 宿泊施設・しおじの湯)・浜平〜13:45川の駅「上野」14:10〜14:25「木森れ陽」泊.。 走行距離:54km
・4/7(日)「木森れ陽」8:22〜8:47中ノ沢林道ゲート〜10:20中ノ沢本谷〜11:05御巣鷹山トンネル〜12:00本谷分校跡地〜12:15上野ダム12:25〜12:32「しおじの湯」13:08〜13:15R299〜13:25黒川〜15:08十石峠15:16〜16:06海瀬駅〜16:27佐久穂町「篠屋旅館」泊。走行距離:78km
・4/8(月)篠屋旅館=京都
◎使用自転車:グランボア650Bランドナー55号
◎峠:ぶどう峠(1502m)、十石峠(1352m)
*走行ログ(クリックして拡大)「Trail Note」ソフトで作成
ログはiPhoneアプリ「スーパー地形」で計測
[4月6日(土)晴れ]
集中ランが終わった後に宿泊する長野県佐久穂町「篠屋旅館」に車をデポさせてもらい、スタート。
写真:長野県佐久穂町「篠屋旅館」
旅館を出てすぐ、天神橋で千曲川を渡り、国道の対岸、右岸を走ってJR小海駅へ。
途中、秩父困民党の鎮魂碑があり、手を合わせて六字名号を唱えました。
写真:「秩父困民党散華之地」
小海駅から相木川沿いに、ぶどう峠を目指します。「白岩」という集落が峠にかかる手前にあり、バイパスを外して集落内を走ってみました。
写真:ぶどう峠の手前、「白岩」集落
ぶどう峠へは明るい道で気持ちよく走れました。
写真:ぶどう峠への道
ちょうど昼頃にぶどう峠に着きました。
写真:ぶどう峠
県境を越えて群馬県に入ると、東斜面になるので午後からの陽が当たらず、暗く寒くて地形的にも急坂になり、緊張感を持って下りました。残雪もありました。
写真:ぶどう峠(群馬側)
明日走る、中ノ沢林道との出会いまで下りました。
写真:左の道が中ノ沢林道
きれいな沢沿いに走ります。
写真:上野村三岐への道
写真:中ノ沢 集落
「しおじの湯」に着きました。宿の「木森れ陽」は、すぐ近くにあります。
サイクリストに愛された「浜平鉱泉奥多野館」跡や「川の駅上野」まで行ってみました。すぐ近くです。
写真:浜平
写真:浜平鉱泉奥多野館(跡)
[4月7日(日)晴れ]
宿舎には、山岳サイクリングの強者らしい、様々な自転車が並びます。
一世を風靡した「イエティ アルティメイト」のフロントカンティ台座を使ってフロントキャリアをインストール、前だけディスク台座新調。
写真:イエティ アルティメイト改
今回の集中ランでお世話になった自転車ツーリング専門店「オオマエジムショ」のパスハンター。フォークの曲がりが、まさしくパスハン。
写真:「アプレ」パスハンター
などなど。他にも興味深い自転車が多数。
宿を出て、中ノ沢林道入り口で集合。
写真:山サイ研中ノ沢林道入り口にて
中ノ沢林道を走ります。
写真:中ノ沢林道
私は、この後十石峠を越えて長野県佐久穂町の「篠屋旅館」まで戻らないといけないので、一人先に行かせてもらいました。
日航機事故の遺族の参拝にも有益な「御巣鷹山トンネル」を過ぎると林道のピークも近いです。トンネルは一般には通行できず、今回も入り口を横目に通過するだけです。
写真:御巣鷹山トンネル
ピークを過ぎるとダイナミックなダウンヒル。
写真:中ノ沢林道の下り
上野ダムに出ます。
写真:上野ダム
スタート地点の「しおじの湯」に戻り、昼食。
写真:しおじの湯
トンカツ定食が美味しかったです。

写真:しおじの湯のトンカツ定食
国道462号まで下って、十石峠を目指してひたすら登ります。
途中、景色の良いところで1回休みました。
写真:十石峠へ
十石峠に着き、展望台にも上りました。国道に出てから峠まで2時間弱でした。
十石峠(1352m)
写真:十石峠
スルスルと安定した42Bタイヤの感触を楽しみながらのダウンヒルです。
写真:道祖神と
写真:長野県側。里に下る。
小海線八千穂駅のところの造り酒屋、黒澤酒造前で一休み。宿は、すぐ先です。
写真:黒澤酒造
予定通りの時間に「篠屋旅館」到着。上品な和風旅館で、お風呂も広く、なかなか良かったです。 おしまい。
写真:篠屋旅館の部屋
*走行ログ(クリックして拡大)
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