2024北海道ツーリング6:羽幌~サロベツ ― 2024/12/30
◆Day13:6月26日(水)晴れ 羽幌~サロベツ
自転車走行:96km、自動車走行:0
羽幌8:44~14:03天塩河口大橋~15:28稚咲内~15:42豊富町豊徳 とほ宿「あしたの城」泊
羽幌で宿泊した「吉里吉里」は、「とほ宿」という旅人向けの宿グループに加盟している。
宿の名前は、”井上ひさし『吉里吉里人』新潮社1981”の何らかの影響下にあったのではないかと推察。シティホテルに聖書が常備されているように、「吉里吉里」の各部屋には、この分厚い『吉里吉里人』がもれなく置いてある。
宿の名前は、”井上ひさし『吉里吉里人』新潮社1981”の何らかの影響下にあったのではないかと推察。シティホテルに聖書が常備されているように、「吉里吉里」の各部屋には、この分厚い『吉里吉里人』がもれなく置いてある。
井上ひさし『吉里吉里人』の存在は当時から知っていたが(確かベストセラーになっていた)、未読だったので、旅を終えてから読んだ。この本を読まずして北海道ツーリングを終えるわけにはいかず。この旅で「吉里吉里」に延べ3泊もしたこともあって。
834P 26文字×23行の2段組み という大著なので、旅の途中の部屋で読めるボリュームではない。家で読んでも、堅い内容ではないが、さすがに時間がかかった。今読むと昭和テイストに溢れている。
写真:井上ひさし『吉里吉里人』。最近の本よりも活字が小さく、しかも2段組み。
吉里吉里で秀逸なのは、図書コーナー。何日沈しても退屈しないだけの本が揃っている。旅関係の本が多く、私の好みと合致し、ウチにある本もたくさんあった。料理も美味しかった。風呂は近在の温泉にクルマで送迎してもらえた。館内にもあるけれど。そのためには夕方遅くならないように宿に着くのがよい。
そんなこんなで吉里吉里を出発。出発時には記念撮影をしてくれて、これまでの宿泊者の分は宿に保存されているアルバムで見ることができる。
羽幌の町を北上する。
写真:羽幌の町
写真:国道232号線
途中、宿でご一緒したランナーに追いつく。朝食をとらずに早朝に出発されている。
日本縦断、鹿児島佐多岬をスタートして宗谷岬への日本縦断ランニング旅。あと数日で宗谷岬で、そこには妻子のお出迎えがあるそう。荷物は9kgで全部背負い。宿への配送はしていない。1日長い日には70km走るとのこと。鹿児島で牧師をされている米国籍のジャックさん。
写真:日本縦断中のランナー
羽幌線跡が残っており、国道を離れてその脇道に入ったりもした。
写真:羽幌線橋梁跡(モオタコシベツ川)
遠別から国道を離れ、海沿いの道を天塩まで走った。
写真:天塩手前のダート道
写真:天塩の町
写真:道立天塩高校
写真:天塩川河口大橋
写真:牧草地
宿の手前に稚咲内(わかさかない)という開拓集落があるので、立ち寄ってみた。
写真:稚咲内への道
写真:稚咲内小学校(2010年に閉校)
写真:稚咲内小学校校舎
「入植50周年記念碑」(平成10年=1998年建立)によると、稚咲内は昭和23年(1948年)に第一陣が入植し、翌年には漁協設立。学校は分校として昭和27年に開校し、昭和28年には他地域に先駆け電化、昭和29年は鰊が大漁で大いに賑わうが昭和32年には農業転換者が多く開拓農協に加入とある。
敗戦後の食料難、生活困窮から逃れるための北海道開拓入植については、開高健の小説「ロビンソンの末裔」の内容で齟齬はないと地元出版物にもあったが、電気も通じてない中での開拓の労苦は、私には想像すらできないことだろう。
写真:稚咲内入植50周年記念碑
写真:稚咲内漁協跡
写真:稚咲内
稚咲内から砂丘列を越えた小高い場所に、とほ宿「あしたの城」があった。
宿のホームページによると、ここも順風満帆であったわけではなく、最初の建物は掘っ立て小屋のようなものであったのを、シーズンオフは出稼ぎに行って資金を貯めたりしながら今の姿になったとのこと。
写真:「あしたの城」
写真:宿から望むサロベツ原野
*2024北海道ツーリング1:京都=黒埼=青森=木古内=銀婚湯
*2024北海道ツーリング2:銀婚湯=木古内~松前~江差
*2024北海道ツーリング3:江差~貝取澗~木古内
*2024北海道ツーリング4:木古内=小樽=名寄
*2024北海道ツーリング8:天塩川温泉=五味温泉おしまい
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