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金閣寺と保津峡2021/02/23

冬の寒い日、MTBで近くのいつもの山へちょっと走りに行った。
家から30分ほどでシングルトラックに取り付ける。京都市内に住むサイクリストにとっては特別なことではない。
フルサスMTB SCOTT
写真:いつものシングルトラックの取り付き

ごきげんなシングルトラックを走って、
フルサスMTB
写真:ごきげんなシングルトラック

山頂から京の街を眺めると、金色の輝きが目に止まった。とても目立っていた。
それは、金閣。
金閣が輝いていた
写真:金閣の輝き。正面は比叡山。

改修工事が終わり、2020年12月29日に報道陣に公開されたとあるから、私が見たのはそれから1週間もたたないうち、できたてのホヤホヤといえる。

そこで、数日後、散歩で金閣に行ってみた。鹿苑寺(金閣)の前はしばしば通っているが、前回拝観したのは30年以上前かも。
改修された金閣
写真:改修された金閣
金閣
写真:金閣

金閣といえば、私は、水上勉の作品「金閣炎上」を思う。
1950年7月2日の放火全焼事件を詳細に描いた、息を呑む描写が連続する作品だ。今だとプライバシーの問題等で、なかなか作品化し難いかもしれない。

丹後の岬の突端の集落から出てきて金閣で住み込み修行している僧侶=学生が火を放ったのだ。

逮捕後すぐにその母は西陣署に留置されている息子に会いに行くが、本人は面会を拒み、母は、帰路の山陰線、保津峡の鉄橋から身を投げた。

私は、保津峡を通るたびに、金閣放火犯の母の気持ちを思う。
その母が飛び降りたのは、保津峡を経て亀岡盆地に入る馬堀駅手前の鉄橋ということなので、汽車が嵯峨駅を出発して保津峡にかかっても、やはりためらいがあったのではないかと想像したりもする。

子どもの頃、お盆で汽車に乗って墓参りに行く際、客車の連結部分のデッキから振り落とされはしまいかと思って怖かった。山陰線の普通列車は旧型客車だったので、ドアは手動、走行中も開いたままだった。
海水浴帰り、酒に酔った父親が子どもの目の前でデッキから落ちて死亡、というようなニュースを聞いて、我がことのように怖れたことを覚えている。

走行中の列車から飛び降りることは、決意さえすれば簡単にできることだと身体的に知っていたのだ。

ちょうど先日、朝日新聞「be」(2021年2月20日付)に原武史さんの金閣寺と保津峡についての記事が掲載されていた。(クリックして拡大)
原武史 歴史のダイヤグラム 金閣と保津峡

原武史さんは、あえて水上勉の作品に触れなかったかもしれない。
三島の「金閣寺」は、私には響かなかった。華やかな金閣の後ろにあるものについての思いが、水上にはあって三島からは感じられなかったからかもしれない。

トロッコ保津峡駅
写真:旧保津峡駅=現在のトロッコ保津峡駅(2019年11月撮影)

保津峡駅
写真:複線電化後、現在の保津峡駅(2020年4月撮影)

保津峡、山陰線の新旧
写真:保津峡:現在の山陰線と旧線(嵯峨野トロッコ鉄道)が直角に交差する地点。(2021年2月撮影)

保津峡は、京の都と鄙との境界。
大学受験で山陰線に乗って保津峡を通過する際、車掌さんから「これから先、住宅密集地に入りますのでトイレの使用はお控えください」というアナウンスがあり、そのあと山紫水明な景色が一変して、小さい小さい家の裏側--決してきれいとはいえない--が車窓に広がったのが、印象的だった。

そのような小さい小さい家に自分も住み、保津峡の側を自転車で走る日々を過ごすとは当時想像もしていなかったが、それはそれで感謝している。

六丁峠
写真:六丁峠=奥嵯峨から保津峡へは六丁峠を越えてゆく
                                 (おしまい)

奥琵琶湖:木之本から余呉湖、月出、菅浦(2020/10)2020/11/07

2週連続、木之本を訪れ、今度は余呉湖から奥琵琶湖の集落を探訪した。ビワイチでガツガツ走っているのでは見ることのできない景色。

今回は、”自転車旅の正装”、ランドナーで。
小さな旅の終盤、ふと入った喫茶のテラス席から、これまでで最高のびわ湖の眺めが得られた。
海津にて
写真:海津にて、りんごジュース

木ノ本駅をスタート。駅前に「江北図書館」という100年以上も続く私設図書館があると知って、開館時間外ではあるが、外観を拝見しに立ち寄ってみた。
木ノ本駅
写真:JR北陸本線木ノ本駅
江北図書館
写真:江北図書館

木之本の町は、とても味わいがある。
木之本、山路酒造
写真:木之本、山路酒造
木之本
写真:木之本、北国街道石柱
木之本
写真:木之本

旧道を選んで余呉湖へ向かう。
菊水飴本舗
写真:菊水飴本舗

余呉湖へは、思っていたよりも早く到着した。余呉湖の湖畔道路を2周した。ランニングでも気持ちよさそう。
余呉湖
写真:余呉湖
余呉湖
写真:余呉湖の湖畔道路
余呉湖
写真:余呉湖

日本の民家形態のひとつとして「余呉型民家」というのがあるが、余呉湖に面する「川並」には伝統的民家は、ほんの少しになっていた。
川並
写真:余呉湖「川並」
川並の民家
写真:川並の民家

びわ湖岸への賤ヶ岳隧道は、当然、旧道を走る。旧道のトンネルを出たところが、ビューポイントになっている。
奥琵琶湖
写真:奥琵琶湖の眺め。竹生島が浮かんでいる。

藤ヶ崎を回って、塩津浜の集落の中へ入った。ビワイチでは国道区間で逃げるように走り去ってしまうところ。明治10年に開業した宿屋の建物が残っていた。屋号は「菱屋」で客筋は主に行商人との説明。立派なお寺もあった。
塩津浜
写真:塩津浜「菱屋」
浄光寺
写真:塩津浜「浄光寺」

塩津浜から月出という集落に行ってみることにした。風雅な名称に惹かれて。道路だと行き止まりの集落だが、船で移動がメインの時代には、別に不便でも何でもない立地だったのだろう。
月出へ
写真:月出へ向かう
月出
写真:月出
月出
写真:月出
月出
写真:月出の集落の一番奥は、墓地であった。春には桜が見事であろう。桜と琵琶湖、最高の供養。

奥琵琶湖パークウェイは土砂崩れで通行止めだったので、ちょっと遠回りして小さな峠を越えて、菅浦を目指した。

菅浦は、1971年に奥琵琶湖パークウェイができるまでは水運以外には交通の便を欠く僻村で、中世からの「菅浦文書」が残されており、歴史学上、有名な場所。白洲正子の「隠れ里」にも収められており、一度行ってみたいと思っていた。
菅浦
写真:菅浦
菅浦の四足門
写真:四足門:かつてはムラの入り口に4つあった門のうち、今でも2つ残っている
菅浦郷土資料館
写真:菅浦郷土資料館
須賀神社
写真:須賀神社:土足厳禁
ヤンマー農村工場
写真:ヤンマー農村家庭工場。小規模な作業場が集落内に20ヶ所設けられた。
ヤンマー農村工場
写真:ヤンマー農村家庭工場 第20作業場
菅浦
写真:菅浦
菅浦の石垣
写真:菅浦の石垣
菅浦からのびわ湖
写真:菅浦
菅浦遠景
写真:菅浦遠景

海津大崎を周り、快調に走っていたが、空腹を感じ、一休みしようと思い、たまたま出会ったお店に営業的直感でピンと来たので入ってみた。
古民具古道具海津
写真:古民具古道具「海津」:喫茶コーナーもある

古道具にも興味があるが、時間がないので、りんごジュースを頼むだけにしたところ、テラス席に案内されて、感動した。

海津のテラス席から
写真:「海津」のテラス席からのびわ湖
海津
写真:「海津」の店外
 
奥琵琶湖から受けた予想以上の感動を胸に、マキノ駅から輪行で帰路についた。

○走行日:2020年10月11日(日)
○使用自転車:グランボア650Bランドナー
○峠:-
○走行キロ:83km
○行程:JR木ノ本駅8:35~(町内ポタリング)9:00~9:20余呉湖(湖岸を2周)~賤ヶ岳隧道11:00~11:43月出12:05~12:30西浅井町横波~12:42日計山地の峠~13:37大浦13:51~14:13菅浦15:21~15:42大浦~15:58海津大崎~16:03「古美術海津」16:22~16:29JRマキノ駅
○走行ログ

                                   おしまい

木之本、八草峠、ホハレ峠(2020/10)2020/10/07

大西暢夫「ホハレ峠」彩流社2020 という本と出会い、ホハレ峠に行きたいと思った。以前に読んだ「僕の村の宝物」情報センター出版局1998 の最終章ともいえる作品。

大西暢夫さんというのは社会的なテーマを追う写真家。全村がダムに沈んだ徳山村の一番奥にあった集落からの交通交易路が「ホハレ峠」。
大西暢夫「ほはれ峠」

湖北の木之本から八草峠を越えて、ホハレ峠を目指した。
八草峠は長大なトンネルができて、旧道は通行止めになっている。荒れ果てているかもしれないと懸念したが、大丈夫だった。しかし、峠手前の道路上に熊がいて、栗を食べていた。引き返そうかと思ったが、後ろ姿を見せるのもよくないかもしれないと思い、自転車のベルを鳴らしたり大声を上げると熊は山の中に入ったので、しばらくしてから通過した。デイライトも装着していたので、熊への効果があったのかもしれない。

八草峠
  写真:八草峠

峠の下りで、出会い頭に熊と出会うとまずいので、ベルをチンカン鳴らしたり声を上げながら走った。たまたま、今回のツーリング前に、ステムにゴムで止める簡易ベルを付けておいて良かった。街中ではベルを鳴らすことはないが、ツーリングでは必要。

地形図はもちろん携行しているが、5万図の更新は止められて久しいので、地形図アプリを頼りに走った。アプリ上では「ホハレ峠」への道は実線で存在しているのだが、いくらその分岐を探しても見つからない。

軽トラに出会ったので、尋ねてみると、なんと、その人は徳山村の「門入」というホハレ峠の本に出ている集落出身だとおっしゃる。お孫さんと一緒に、時々来ているとのこと。

地形図アプリに表示される「ホハレ峠」の位置ではなく、今走ってきた林道沿いのそこのところが峠とのこと。ちゃんと観音様(もともとあったお地蔵さんが盗まれて、代わりに地元の人が設置したとのこと)もあり、そこがホハレ峠だと。軽トラをUターンさせ、一緒に峠まで案内してくれた。ありがとうございました。

ホハレ峠の本のこともご存知で、ありがたい御縁を感じた。
地図アプリにはダムのところまで道があるように書かれているが、クルマが通れる道はなく、現在、進入路を工事中とのこと。

私もホハレ峠を通り過ぎてしまっていて知らずに走り進んでいると、行き止まりの広場のようになり、そこにいたダンプの運転手さんが「もうこの先に道は無いですよ」と親切に声をかけてくれたことに納得した。

ホハレ峠
  写真:ホハレ峠

帰路はピストンで八草トンネルを抜けて、木之本へ戻った。

木之本は文化度の高さを感じさせる街で、そのために来ても良いと思える古書店「あいたくて書房」と、「湖北、観音、街道の本 セレクト書店 ますや書店」に偶然出会い、本を沢山分けてもらった。カフェも商っている「ますや書店」でカフェオレ(美味しかった!)を頂き、小さな自転車旅のエピローグとした。

木之本の古本屋さん「あいたかった書房」
写真:木之本町「あいたくて書房」

「湖北、観音、街道の本」セレクト書店「ますや書店」
写真:木之本町「ますや書店」。カフェも営業。「湖北、観音、街道の本」

木之本で入手した本
写真:今回、入手した本。

旧 滋賀銀行木之本支店
写真:滋賀銀行 旧 木之本支店


○走行日:2020年10月3日(土)
○使用自転車:Panasonic シクロクロス
○峠:八草峠(732m)、ホハレ峠(816m)
○行程:京都=木ノ本駅8:40~(町内ポタリング・本屋)~9:22檔鳥坂隧道(あっとりさかずいどう)~10:31八草峠旧道分岐~(途中でクマ)~11:25八草峠11:40~(探索)~13:25ホハレ峠~14:08八草トンネル~14:53木之本
○走行キロ:75km

 走行ログ


梅雨の嵯峨嵐山散歩(宝厳院)2020/07/05

新型コロナウイルスの影響で、旅に出かけることが無くなってしまった。
家にいることにも慣れてきたが、梅雨の止み間に、ちょっとそこまでお散歩。

雨上がりで、宝厳院の庭の苔が生き生きとしていた。
たまには庭園をしっぽり見学したりするのも良い。

  写真:嵐山にて


○撮影日:2020/6/14

2020年京都の花見ライド・魚ヶ渕の枝垂れ桜など2020/07/05

 花見の時期になると落ち着かない。天気が良い休日であったりすると、花見の脅迫観念にかられて、あそこもここも、見てまわらないといけない気持ちになっていた。京都は桜の種類も多く、花見の時期も長いので、まじめに花見に集中しようとすると、凄いエネルギーを必要とする。

 でも、そういうのはなんだかpoorなことかもしれないと気づいて、花見ライドはそのシーズンに1回、自分自身が「ああ良かった」と思えれば、それでよいことにしようと思った。欲張らずに。

 花見を目的として走るのは1回、あとは普通にツーリングをしていて、偶然、「こんな桜に出会えて幸せだ」と感じられるようなことをしたい。そんなに知られていないが、地元で楽しみにしている人が愛でる桜、そういうのがいい。

 というわけで2020年の花見ライドは、何度もその前は走っているが、花が咲いているときにも訪れたいと思っていた魚ヶ渕の桜にした。

魚ヶ渕の枝垂れ桜
写真:魚ヶ渕の枝垂れ桜

○走行日:2020/4/5
○使用自転車:Panasonicチタンロード

丹後半島上世屋と味土野から五十河(2020/6)2020/07/04

新型コロナウイルスで他府県への移動が憚られる雰囲気。他府県という括りにどこまで意味があるのかよくわからないが、まあそれでも京都府内だけでも北は丹後半島から南は奈良県境の山間地まで、アウトドアアクティビティのフィールドには事欠かない。

で、今回は丹後半島の最深部にある「上世屋」と、細川ガラシャ隠棲の地といわれている「味土野」から「五十河」に抜ける道を走った。

上世屋は、若い人が移住したりとかなかなか興味深い集落である。
地域の資源を生かした暮らし方を指向する人たちが集っている。

丹後半島 上世屋
写真:「上世屋」集落。丹後半島の山深いムラだが、海(宮津湾)も見通せた。

上世屋の棚田
写真:上世屋の棚田

上世屋から味土野へは、一応府道75号が通っているが、ほとんど消滅しているような箇所もあり、クルマでの通過は困難。自転車か徒歩なら大丈夫。

味土野から五十河へも、府道ということになっているが、夏草が生い茂り、途中で敗退しようかとおもったほどであった。自転車の乗車も困難で、上り坂ではないのだが、ひたすら押した。

スタートは天橋立の近くから。好天に恵まれ、丹後の美しさを満喫できた。
ごきげんなグラベルロードも複数箇所、走れた。

天橋立、与謝の海
写真:天橋立を走る。与謝の海をバックに。

○走行日:2020年6月7日(日)
○使用自転車:KONA ROVE LTD
○峠:地蔵峠(285m)
○行程:宮津高校付近スタート8:42~9:01金引の滝~9:33地蔵峠~9:50日吉神社10:03~10:10天橋立~(スーパーで買い物)~10:52日置~11:55上世屋~12:55成相寺方向分岐~13:41味土野分岐~13:59味土野女城跡~14:41内山分岐~14:54五十河~15:13岩滝~15:28天橋立駅~15:38宮津道の駅
○走行キロ数:60km

○走ったルート(クリックで拡大)

丹後半島キャンピング(2008/4)2020/06/10

もう干支にして1廻りも前になるのが信じ難いが、丹後半島にキャンプツーリングした記録。

私の場合、自転車走行→風呂→ビール、というサイクルが欠かせないので、実はテント泊でサイクルツーリングをしたのは、この1回だけ。もう1回、自転車ツェルト泊をしたことがあるが、それは山岳会の行事に参加するため。登山ではテント泊を原則にしているので数十泊はテントで寝起きしているが。

キャンピング装備可能な650×42Bという太めのタイヤのデモンタブル(フレーム分割式)のランドナーを作って、意気揚々と出かけたのだが、2日めの丹後半島の山中でリヤディレイラーの破損に伴うチェーン切れが生じ、応急処置に時間を要したこともあって、2泊目は民宿でもあるし、リアサイドバッグ(テン泊装備)は宅配便で自宅に送り返したという旅であった。

リヤディレイラーは、ヤフオクで1000円で入手したシマノ600唐草模様。案外レアで、マニアック過ぎないと思って装着したのだが、信じられない壊れ方をした。うがった見方かもしれないが、もともと問題があったのかもしれない。やはり出自がわからない中古パーツを使うのは危険だと思った次第。

応急措置で峰山まで走り、地元の大きな自転車屋さんが見つかって修理をお願いしたが、外装変速機を店頭在庫しておらず、店主のレーサーのパーツを取り外して治してもらった。シマノ105ブラックのシンプルなメカ。
上世屋でテント泊
写真:上世屋でテント泊。テントはヒルバーグのアクト

○走行日:2008年4月26日~28日
○使用自転車:グランボア650Bデモンタ(リヤパニア仕様)
○宿泊地:26日:上世屋キャンプ場
     27日:網野町浜詰:みさき荘
○峠:与謝峠(395m)、大内峠(166m)
○行程:4/26:京都(自宅)~亀岡市並河7:40~8:01八木町鳥羽~8:25船岡踏切~9:00胡麻のパン屋さん(ゾンネ)9:30~10:27和知駅~11:25綾部大橋~15:13与謝峠~16:44天橋立~17:25下世屋~17:50上世屋~18:24キャンプ場(幕)
4/27:幕地~木子11:30~15:30大内峠~15:56大宮町三重~16:33峰山駅~16:40自転車屋さん(後変速機交換)~17:27郷村断層~17:55みさき荘(泊)
4/28:泊地8:20~9:06久美浜町湊~9:44久美浜町旭(京都府西北端)~10:31久美浜小学校~11:23比治山トンネル~13:01五十河小学校跡~13:47成相寺~天橋立駅で輪行袋収納済み14:53=(輪行)=京都

与謝峠
写真:与謝峠

グランボア650Bデモンタブル
写真:グランボア650bデモンタブル キャンプ仕様

久美浜湾
写真:久美浜湾 ※リアサイドバッグは宅配便で自宅に送った

 走ったルート(クリックで拡大)

丹後半島、細川ガラシャ隠棲地と廃村跡(2019/11)2020/04/26

2020年NHK大河ドラマは明智光秀が主人公の「麒麟が来る」。そこで、光秀の娘であって細川忠興の正室となった細川ガラシャが本能寺の変の後に幽閉されたとされる「味土野」へ行ってみた。細川ガラシャは三浦綾子の小説で有名。

味土野からの復路には、廃村跡が複数あり、巡検的な趣も加わったツーリングとなった。
学生の頃に読んだ丹後半島の廃村に関する論文をネットで検索すると出てきた。ありがたいことだ。

○走行日:2019年11月23日
○使用自転車:KONA ROVE LTD(26×47c)
○峠:大内峠(166m)
○行程:京都=与謝野町阿蘇シーサイドパーク8:15~8:43大内峠9:10~9:28大宮町森本~10:07久住スノーシェルター10:30弥栄町溝谷~11:15丹後町の海岸(立岩)11:28~12:19丹後町平~13:17弥栄町野中~13:41弥栄町来見谷(道を間違えてピストン)~14:14味土野(細川忠興夫人隠棲地碑)~14:51(廃村)吉津~15:04(廃村)畑~15:13弥栄町等楽寺~15:36大宮町延利~15:43(峠)与謝野町境~16:00天橋立~16:18小天橋~16:40デポ地=京都 ・走行91km

まずは、大内峠を目指す。大内峠は古くからの道なので、地形の弱点をついて無理なく気持ちよく走れる。
大内峠からの天橋立
写真:大内峠展望台からの天橋立。与謝野晶子も1930年(昭和5年)5月に訪れ歌を詠んでいる。

大宮町森本
写真:大宮町森本。学生時代、サークルのフィールド調査で農家を回った思い出の地。

大宮町久住
写真:大宮町久住の農家

丹後の立岩
写真:弥栄町中心部を抜けて、丹後の海へ。「立岩」。

丹後半島
写真:丹後半島の海岸。隆起地形がよくわかる。
丹後半島の海岸
写真:丹後半島、経ヶ岬方向を望む。
丹後半島の海岸
写真:陸繋島もある

丹後町平
写真:丹後町平(へい)。ここからは、宇川に沿って山間部へ入る

宇川沿いの道
写真:宇川沿いの道は、狭く、寂しい。上流にある集落へは別方向からのトンネル道ができたため、メインルートではなくなっているのだろう。目の前をイノシシが横切って、びっくりした。道沿いには廃村もあった。

細川忠興夫人隠棲地碑
写真:坂をずっと上り、「細川忠興夫人隠棲地碑」に到着。弥栄町味土野。

弥栄町味土野 離村の碑
写真:「ふるさと味土野 跡」碑。碑文を読むと昭和38年の豪雪で離村が相次いで廃村になったとある。昭和59年建立。

吉津
写真:「ふるさと吉津の跡」碑

写真:舗装はされてないが、走りやすい道であった

畑
写真:「愛郷 畑村の跡」碑

写真:走ってきた道は林道だと思っていたが、そうではなく「日置街道」と呼ばれる歴史ある道だとわかった。
日置街道 改修碑
写真:「日置街道 改修碑」昭和5年建立。険路を安達翁が改修しようとしたが日露戦争で頓挫。明治44年に再設計して「畑」「吉津」地区の人たちが農閑期を工事にあて、愛郷の念で努力し、成就した旨が書かれている。

天橋立
写真:天橋立を走って帰った。

阿蘇シーサイドパーク
写真:クルマをデポした阿蘇シーサイドパークに到着。夕焼けがきれいだった。

写真:走ったルート(クリックして拡大)

おしまい。

紀南・周参見から紀伊大島、潮岬(2019/2)2020/04/12


樫野埼灯台
写真:樫野埼灯台
潮岬灯台
写真:潮岬灯台

寒い2月には紀伊半島へ行きたくなる。
というわけで、本州最南端の潮岬を目指して、周参見(すさみ)から走ることにした。海沿いの国道42号線は、交通量が多そうなので避けて、山の中の道を選んだ。紀伊半島の山中は、海から僅かな距離でも、隔絶感が感じられ、秘境を旅する気分になれる。

いつも地形図だけをみてプランニングしているのだが、今回の旅では、見事な石積みの集落に出会えて、海・灯台だけでない旅の景観に接することができた。

○走行日:2019年2月16日(土)~17日(日)
○宿泊:紀伊大島 民宿「木本」
○使用自転車:グランボア700Cデモンタブル
○峠:獅子目峠(373m)、コカシ峠(335m)
○行程
2/16:京都=周参見駅8:53~(町内ポタリング)9:10~10:00上十川~10:37小河内~10:53笹目峠~11:36コカシ峠11:52~12:10大鎌~13:06三尾川・光泉寺~13:50古座の一枚岩~14:53串本町境の峠~15:08国道42号線~15:19串本町(町内ポタリング)~15:58くしもと大橋~16:25大島港 民宿「木本」泊
2/17:泊地8:24~8:57樫野埼灯台:トルコ記念館9:50~(樫野周辺ポタ)10:34~11:02くしもと大橋~11:38潮岬12:25~12:58串本市街・串本駅13:14~串本駅14:27=15:16周参見駅=京都

周参見から潮岬1
※走ったルート。1日目、周参見から紀伊大島(クリックで拡大)
周参見から潮岬2
※走ったルート。2日目、大島港から樫野埼、潮岬、串本(クリックで拡大)

写真:すさみ町比曽原の石組み
古座川町三尾川の民家
写真:古座川町三尾川の民家
トルコ記念館
写真:樫野埼のトルコ記念館

名張、曽爾、室生 (2020/3)2020/03/12


曽爾、兜岩
写真:曽爾(そに)鎧岳(よろいだけ)

名張、曽爾、室生、という地名でピンとくる人は少ないかも。同じ近畿エリアに住んでいても、私自身、なかなかイメージし難い。

とはいえ、個人的な話として、地理学を専攻したくて進路を選んだ学生時代、所属サークルの地域研究のフィールドが名張で、思い出の地ではある。私はそこで「農業班」というのに属し、個人情報保護がとやかく言われる今日ではありえないような調査項目の調査票を手に農家を個別訪問して、学生の研究だということで話を聴いて回ったことがある。

会社に入ってからは、営業として最初に配属されたのが不動産担当のセクションで、大阪中心部まで電車で1時間半以上かかる名張にあるニュータウンの「現地見学会」と銘打つ媒体社の名義貸し(それもグループ会社の名義を使った)広告セールスの現地立ち会いで、何度か訪れた。
立ち会いといっても、直接お客様と接することはなく、現地の販売センターの建物で日がなボーと過ごし、時折広告主の営業マンと、「どうやってこんな物件をお客さんに勧めて契約にもっていくのか」という話を面白おかしく聞いたようなことではあるが。

名義を借りたグループ会社にも、その後ご縁をいただき、因果は巡る。バブル期直前から数年間に殷賑を極めたビジネスモデル。広告主の社長は「新地(大阪のキタ新地)の帝王」と呼ばれたこともあるようだが、今ではその会社の跡形もない。

そんなこんなで、名張という地名に対しては複雑な思いもあるが、地形図をみているとなかなか魅力的なルートがとれることもあって、ワンデイではあるが、走ってみることにした。

○走行日:2020年3月7日(土)
○使用自転車:TREK Madone5.2 フロントシングル改
○走行距離:67km
○峠:栂坂峠(688m)
○ルート:名張駅~香落渓(かおちだに)~曽爾(そに)~室生~三本松~名張駅


近鉄名張駅
近鉄名張駅からスタート

百合ヶ丘
「百合が丘ニュータウン」を30数年ぶりに訪問。荒れた感じの住宅地になってなくて良かった。当時、入居した人の多くは現在、60歳代後半以上ではなかろうか。駅に行くバスの時刻をみると朝の通勤通学時は 5:17、5:38、5:53、6:20、6:53でその次は9:10。バス通勤の場合、遅くても6:53発に乗らなければならない。早寝早起き、勤勉な生活習慣が必要とされる。

香落渓・天狗柱岩
ニュータウンのすぐそばの青蓮寺川沿いを走ると、名勝「香落渓(かおちだに)」となる。名張藩の家老の命名。

曽爾の鎧岳
香落渓沿いを快走していくと、曽爾村(そにむら)に入る。
曽爾村といえば、国の天然記念物でもある「鎧岳」。近畿景観第4編(1933年創元社)で北尾鐐之助をして「ヨセミテのハーフドームを連想する」と言わしめている。

室生原山
峠を越えて室生の領域に入り、山の上の集落を訪ねたり、

三本松の道路元標
旧街道をたどって走った。写真は三本松の道路元標。

 ☆詳しくは、Googleフォトで(64枚)