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エロイカJAPAN2024「踊り子」144kmに参加2024/08/29

”エロイカ”という自転車イベントに初めて参加してきました。”エロイカ”とは、もちろんベートーヴェンの第3番交響曲の愛称と同じで”英雄”という意味です。

イタリア発祥の自転車イベントで、「参加者自身の努力において、困難を乗り越えること」がエロイカ精神とされており、参加者はその精神の尊重が求められています。詳しくはエロイカJAPANのサイトで。

レギュレーションでは、1987年までに開発された機構を使用すること(ビンディングペダルやディスクブレーキは不可)などが定められています。ウェアもウールを着用している人がほとんどで、クラシカルなスタイルで走ることが望ましい感じ。
なぜなら、「サイクリングやスポーツの新しい未来を創造するために過去から学ぼうとする活動」だからです。

2024年JAPANの大会は伊豆半島で開催され、コースは
・サムライ 183km
・踊り子 144km
・FUJI80 79km
・FUJI30 28km
の4つで、私は”踊り子”144kmに出走しました。

自転車は、イタリア車の「CASATI Gold Line」をチョイス。1990年に購入したモデル。当時としては珍しいワイヤーフル内蔵のエアロデザインです。カンパ スーパーレコードフルセットなので、レギュレーションにも合致しています。サイクルコンピューターは外して大会に臨みました。

CASATI
CASATI
 写真:CASATIゴールドライン
エアロタイプのシフトレバー
 写真:エアロデザインのwレバー

 写真:カンパスーパーレコード 52×41

 写真:カンパスーパーレコード。スプロケットは13.14.16.18.21.24 の6速。24でも問題なく使えた。

 写真:リムはフィルのシリウス。チューブラ。

この自転車でレースや大会に出たことはなく、おまけに最大ローギアが41×24で、伊豆半島の急坂を登れるのかと心配していましたが、実際走ってみると、何の問題もなく、ダンシングは多用しましたがスルスルと気持ちよく登坂できました。イタ車は、不思議と良く走ります。踏むとスッと前に出て重たいギアを踏めるけど疲れが溜まりにくいとでもいうか。今回のCASATIが将にその通り。私が経験しているのは他にデローザ ネオプリマートと、制作所不祥のクラシックレーサーだけですが。

そんなこんなで当日の朝を迎え、2024年5月12日(日)午前6時、「韮山文化センター」をスタート。

韮山文化センター
 写真:韮山文化センターのスタート/ゴール 地点

タイムや着順を競ってはいけないルールなので、普通のチーム練習的なスピードでスタートしたのですが、すぐに先頭になってしまいました。他の人の自転車を見ながら走りたいのですが、後ろがなぜか来ません。

しばらく走っていると1人追いついてこられたので、先頭は私が引き、湯ケ島までずっと2人で走りました。浄蓮の滝のところで後ろから1人いかにも脚力のある走りで追いついてこられたので、私は後ろに回りましたがそのスピードに着いていけず、一人旅になりました。

「天城越え」の天城山隧道(旧道)のところはダートでしたが、路面は良好で勾配も優しく、気持ちよく走れました。

天城隧道
 写真:天城山隧道

天城隧道
 写真:天城山隧道

大会なのに、前後に誰もおらず、個人ツーリングと同じ感じで松崎に到着しました(9:53)。
エイドステーションでは先着の2人が弁当を食べておられ、私も。

係りの人が、隣の「長八美術館」には参加者は無料で入れるとおっしゃるので、当イベントにせっかく協賛されているのに誰も行かないのでは今後の協賛にも差し障るのではないかと思い、私は1人で美術館を見学することにしました。左官の技である「鏝絵」の名人、長八さんの作品が主たる展示です。

伊豆長八美術館
 写真:伊豆長八美術館

鏝絵
 写真:こて絵の富士山

長八美術館を出発(10:28)し、仁科川を渡り(10:35)、仁科川沿いに峠を目指します。松崎からも一人旅で、道はだんだんと伊豆半島の脊梁へと登っていきます。
ダンシングも多用しながら気持ちよく走りました。午前中のダウンヒル、伊豆のループ橋のところはスピードが出るのですが、CASATIは誠に安定して何の不安もない走りだったことを思い出し、登りも下りも幸せな気分。

伊豆半島の稜線、仁科峠に到着(12:27)。

仁科峠
 写真:仁科峠

ヒルクライムもこれで終わりかと思っていたら、一旦少し下ってから、稜線上を風早峠、吉奈峠、戸田峠へとつなぐ西伊豆スカイラインのアップダウンのほうがきつかったです。
地形の弱点をついて造られた古くからの道ではなく、自動車用にムリムリ作った道だからでしょう。

戸田峠からは急傾斜のダウンヒル。らららサンビーチのエイドには別コースの人たちが多数佇んでおり、参加されている自転車を鑑賞できました。

 写真:カンパCレコード デルタブレーキ仕様のカーボンのコッピ

 写真:大きな後歯を使えるように改造されたカンパ ヌーヴォレコード

らららサンビーチからは平地を流して走りました。

 写真:海沿いを快走

富士山は雲に隠れて見えませんでした。

 写真:富士山は裾野の一部だけ

ゴールすると、順位を競うイベントではありませんが、3番目に入ったということで、ステージに上がってインタビューを受けることになり、司会者の方から自転車を褒めてもらったりしました。

 写真:ゴール会場にて

エロイカ2024
 エロイカ2024 スタンプ

エロイカJAPAN2024の参加記念品

前泊した旅館のクラシックカーも会場の駐車場で見かけました。お手伝いに来られていたのでしょうか。

 写真:クラシックカー

会場を後にし、かつては勤務先の健保組合の保養所、今は一般利用もできる熱海の施設に泊まって、帰りました。

 写真:熱海の元保養所

◎走行日:2024年5月12日(日)
◎催事名:エロイカJAPAN2024
◎使用自転車:CASATI Gold Line

◎行程:韮山文化センター6:00〜6:30修善寺〜7:00湯ケ島〜7:51天城山隧道〜8:18河津ループ橋〜8:42峰山トンネル〜9:33婆娑羅隧道〜9:53松崎(長八美術館)10:28〜10:35仁科川〜12:27仁科峠〜13:28戸田峠〜13:59らららサンビーチ14:12〜14:38口野橋〜14:52韮山文化センター

◎走行距離:145km
◎峠:天城山隧道(707m)、仁科峠(892m)、風早峠(780m)、南無妙峠(669m)、吉奈峠(668m)、船原峠(594m)、戸田峠(733m)
 走行ログ(クリックして拡大)

2023年 第38回 乗鞍ヒルクライム リザルト分析2023/09/04

16年ぶりに乗鞍ヒルクライムに出走した。全長20.5km、標高差1260mを登る、自転車タイムトライアルレース。
2023乗鞍ヒルクライム

1990年29歳の時に初参加し、6年連続出走したが、子育てもあって暫し中断、2001年2002年に復活したが、東京転勤で中断、2005年と2007年に再復活したが、その頃は登山に注力していたり、東京から戻ってから変わった所属チームでは乗鞍にチーム参戦していないこともあって、16年もご無沙汰した次第。

で結果は1時間44分15秒。一般男子61〜70歳クラスで完走406人中141位、順位比34.7%。同クラス1位は1:09:37なので、タイム差34:38、タイム比149.7%だった。トップの1.5倍かかっている。総完走者数3158名中では1853位、総合順位比58.7%。男女すべての完走者中、半分より1割ほど下といったところ。

これまでの自己最高記録は第7回1992年31歳のときの1:16:45、クラストップとのタイム差12:01、タイム比118.6%。

今回のタイムは自己最高記録の136%。私の知っているヒルクライムの得意な人の自己最高記録は1時間07分程。60歳代半ばになっても1時間19分程なので、往時の118%。私は、やはり2倍くらい衰えている。

年齢による衰えよりも練習量の減少(ツーリングだけで競技用の練習はやっていない)が大きいだろうと思っている。チーム練習に参加していた頃は、同クラスのトップとのタイム比が130%以内に収まっていたので。

乗鞍ヒルクライム 過去成績
表:2023乗鞍ヒルクライム過去成績(クリックして拡大)

ちなみに妻は1990年の第5回に1:44:08、1991年の第6回に1:38:44で完走しているので、当時の彼女よりも、現在の私は遅い。しかも当時は今よりもコースが1.5km、標高差120m大きかったのだ。

もしもチャンピオンクラスに出走していたとしたら、私のタイム(1:44:15)では完走146人中144位。後ろの人はメカトラブルか何かと推察されるので、実質的にドンケツであろう。まあ、当然。

2023乗鞍ヒルクライム 下山
写真:下山の途中で

多くの人は年齢による衰えが気になるようである。個人差が大きいのでなんともいえないが、今回の大会でクラス別(チャンピオン以外は年齢別になっている)に考察してみた。
2023乗鞍 クラス別タイム
表:2023乗鞍ヒルクライム クラス別考察(クリックして拡大)

各クラスのトップを比較すると
1)チャンピオン(全年齢)0:55:16
2)一般男子C(31~40歳)0:58:56
3)一般男子B(21~30歳)1:00:03
4)一般男子D(41~45歳)1:00:05
5)一般男子E(46~50歳)1:01:09
6)一般男子A(16~20歳)1:01:46
7)一般男子F(51~60歳)1:04:16
8)一般女子(全年齢) 1:05:35
9)一般男子G(61~70歳)1:09:37
10)一般男子H(71歳以上)1:20:03

上記の結果から考察するのに
・45歳までは年齢関係なく互角。
・40歳代後半になると、僅かに差がつくが20歳以下の少年には負けない。
・60歳まではちょっと落ちるが女子よりは速い。
・61歳以上になると、かなり落ちる。定年を迎えて練習量を増やした人もいると思うが。女子よりも相当遅い。
・71歳以上になると、更に遅くなる。今回もかつてロードレースですごい成績を残し続けていた人が、今の私と同じ位のタイムになっていた。病気をされたとか、別の要因があるかもしれないが。
・とはいえ、今回の私のタイムは71歳以上のトップの人の3割も遅い。

久々にレース参戦した6月の「岩木山ヒルクライム(15km、標高差940m)」では、トップの178%のタイムでゴールした。
乗鞍のトップを1時間として同率178%の1時間46分を想定タイムとしたので、まあ妥当なところ、これが今の実力。中間地点通過は45分だったので、「行けるかも」と一瞬思ったが、やはり後半にタレた。

感覚的には岩木山のレースの方が断然苦しかった。スカイラインのゲートまでの傾斜が緩いところの距離がそこそこあり、平均傾斜では乗鞍よりも緩いデータとなるが、リアル山登り部分はきつかった。

乗鞍は71歳になってから、また出走したい。

2023乗鞍ヒルクライム 下山
写真:下山は寒いのでレインウエアを着用

チャレンジヒルクライム岩木山2023に出走2023/06/26

2023年6月18日(日)青森県の岩木山スカイラインで開催された表記大会に出走した。
以下、大会名については岩木山ヒルクライムレースと記述。

2023チャレンジヒルクライム岩木山
写真:岩木山8合目ゴール地点駐車場にて

3月末に鹿児島の桜島を出発して弘前をゴールとするグランドツーリングを実施した際、津軽平野から望む岩木山の姿に惚れ惚れしたからだ。

岩木山ヒルクライムレース
写真:出走地点。後ろに見えるのが岩木山。

岩木山スカイラインは自動車専用道路となっており、1年に1回、この大会の日だけ自転車走行可能。そんなわけで、レースをしたいというよりは、岩木山スカイラインを自転車で走りたいという動機のほうが断然大きい。

◇全行程
・2023/6/16(金)晴 京都(自宅)8:52=R161=敦賀IC=北陸道=16:50新潟中央JCT=信越道=安田IC=17:30咲花温泉・碧水荘(泊) 568km走行 移動時間(休憩含む)8時間37分

・2023/6/17(土)晴 碧水荘9:06=日本海東北自動車道・R7・秋田道=15:56小坂JCT=東北自動車道=大鰐弘前IC=17:22嶽温泉・小島旅館(泊)478km走行 移動時間 (休憩含む)8時間15分

・2023/6/18(日)晴 岩木山ヒルクライムレース出走(15kmクラス) 
 終了後 百沢温泉 温泉旅館中野(泊)

・2023/6/19(月)晴 岩木山登山(百沢コース 雪渓途中で断念し、未登頂)
 弘前・石場旅館(泊)

・2023/6/20(火)晴 弘南鉄道大鰐線のサイクルトレイン制度を利用して、大鰐駅まで。大鰐駅からポタリングで弘前市内へ戻り観光など。弘前・石場旅館(泊)

・2023/6/21(水)晴 石場旅館8:40=大鰐弘前IC=東北道・秋田道・R7・日本海東北自動車道=16:55長岡JCT=関越道=小千谷IC=17:41小千谷ふるさとの丘YH(泊)
527km 移動時間(休憩含む)9時間00分

・2023/6/22(木)曇 小千谷ふるさとの丘YH8:55=小千谷IC=長岡JCT=北陸道=14:43敦賀IC=R161=16:50自宅 507km走行 移動時間(休憩含む)7時間54分

◇岩木山ヒルクライムレース結果
・出走クラス ロード15km男子(高校生を除く全年齢)申し込み人数203
 ちなみにロード10km男子(高校生を除く全年齢)申し込み人数195、シニア10km男子(60歳以上)申し込み人数25名 も選択肢にあったが、わざわざ青森まで行って短い距離を走ることはないし、シニアの中で順位を競う気持ちもないので、15kmクラスに出走。

・結果
ロード15km男子(スタート標高310m、フィニッシュ標高1250m、標高差940m、全長15km、最大斜度11.8%、平均斜度6.2%)
エントリー 203人
完走 180名 DNF 22名 DNS 1名
順位 138位(完走者中77%、DNF含68%)
タイム 1時間17分39秒2 トップは43分38秒 トップとの差34分1秒、178%。

ということであった。ヒルクライムレースは2007年の乗鞍に出て以来なので16年ぶりとはいえ、なんだかなあという気持ち。これが正直な実力で、自意識が高いだけかもしれないが。ツーリングとはいえ今シーズンは2000km以上走っているので走り込みが足りないわけではない。やはり、レースにはレース用の追い込んだトレーニングをしないといけないのだろう。

年齢のせいにはしたくないが、60歳以上のエントリーを数えてみると13名。私は13人中6番目のタイム。その中でトップは青森63歳の方で55分、全体順位は41位。

◇乗鞍に向けて
今年は乗鞍ヒルクライムレースにもエントリーした。
岩木山のトップタイムの178%という結果を乗鞍にも当てはめてみる。
乗鞍のトップを1時間とすると、178%の私は1時間46分となる。乗鞍は全長20.5km 標高差1,260m、平均斜度を計算すると6.1%。
乗鞍は日本最大級のヒルクライムレースなのでカテゴリーも多く、チャンピオンクラスを除く一般男子でも年齢別に8区分、私は61〜70歳クラスに出走。ちなみに71歳以上というのが最高年齢クラス。

ちなみに61〜70歳クラスの2022年大会のトップは1時間8分。チャンピオンクラスのトップは55分。

乗鞍の目標タイムは1時間45分、2時間は超えないということにしたい。
以前、毎年参戦していた頃の最高タイムは1時間16分だが、このタイムが維持できていれば61歳〜クラスでは、2022年大会ではなんと4位(完走304人中)になる。
うーん、やはり年齢というものがあるのだと、感じた。

◇乗鞍へのトレーニング
特に意識しない。自転車はツーリング。
但し、岩木山を走って思ったのは、軽いギアを付けるとそれに甘んじてしまうということ。

かつて乗鞍では39x23で走っていた。というか当時の機材はホビーレーサーでもそれが普通だったと思う。
今回の岩木山は34x27。軽いギア比で回転を上げて走るのが正しいのだろうが、私の場合軽くしても、楽してケイデンスはそのまま、スピードが落ちるだけ、という気がする。

いつも走っているコースでも、例えばグランボア オールドイタリアンレーサー(もちろんクロモリでカンパの旧パーツ)42x23 で走ったりすると、カーボンのロードレーサー34x27 よりも上り坂のタイムが良かったりすることもあった。

というわけで、乗鞍は25までのスプロケットに交換して出走しようと思う。27までのスプロケットにも25はあるので、最後の1枚を使わなければいいだけと思われるかもしれないが、私の場合、楽な道に流れるので、あれば使ってしまうのである。

写真:岩木山スカイライン入口。レース終了後に撮影。

岩木山
写真:岩木山。スカイラインが遠望できる。

ワールドマスターズゲームズ2021出走予定とPanaチタン2020/02/24


パナソニック チタンロードレーサーFRTC02
写真:パナソニック チタンロードレーサーFRTC02:ホイールはMAVICキシリウムk10

2021年に、「ワールドマスターズゲームズ」という、4年ごとに開催されるシニアを対象とした国際総合競技大会がアジアで初めて、日本の関西を中心に開催される。

なんと、その自転車ロードレース大会が、私の還暦誕生日に郷里の鳥取県で開催されることを知り、運命的な出会いというか、エントリーせざるを得ないと勝手に思った。還暦記念として、これ以上のものはない。

でも、どう考えても、完走は難しい、というかスタートしてすぐ足切りにあうことだろう。小生、競技はほぼ10年のブランクだし、60歳とか70歳台では身近なところでも化け物のように速い人はワラワラ居り、そんな人達が世界中から集まってくるのだろうから。

カテゴリーは30(歳)+から設定としては5歳刻みで、なんと95(歳)+まであり、1周16.5kmのコースを5周(82.5km)から2周(33km)で競う。60~64歳のカテゴリーでも4周66kmもある。2周になるのは80歳以上からだ。

出走料も高く、エントリーには自転車競技連盟の登録が必要なので、アラ還にして初めて登録選手に(誰でもお金を払えば登録できる)。登録料が年間5千円ほどなので、来年も必要で1万円、レースの参加費が1.5万円なので、2.5万円払って、数分走り、なんともいえない気持ちで足切りされ、出走しただけで記念になったと思いながら、そんな気持ちのときに慰めてくれるマービン・ゲイを聴きながら帰路につく、という情景が目に浮かぶ。



というわけで、久々に競技に復帰(そんな大層なものではないのだが)するにあたって、機材をどうしようかと考えたのであった。



ツーリング用の機材はこれ以上ない位、既に充実しているが、競技に使える今風の機材はTREKのカーボンのしかない。それでも十分なのだが、なんというか、「他所行きの服を新調」みたいなノリで、やはりそれ用に準備するか、という気分が高まった。

大事なイベント用というところでいえば、女性の場合だと留め袖の着物を新調するみたいな

感じだが、自転車だと留め袖の着物と違って、使う機会はいくらでもある。



パーツは、これまで買い集めていたカンパ。ふさわしいフレームは何がいいか、思案の日々を送っていたが、パナソニックのチタンに決定した。カーボンは、耐久性もよくわからないし、流行りがある分、陳腐化も早い。



乗り味としては、クロモリが好きなので、かつてオーダーした「honjo」を塗り替えて使おうかと思ったりもしたが、すぐ足切りされるのに「honjo」では、本城さんに失礼である。クロモリで出走して先頭集団を引く、なんてことができれば格好いいのだが、その可能性はゼロに等しい。



還暦以降は自転車は増やさない決意もしているので、陳腐化せず、これまで持って無くて欲しいもの、となると、これはもうチタンしかないのである。



パナソニックといっても、パナの本社ではなく、グループ会社が大阪は柏原の工場でハンドメイドしており、値段も他メーカーと比べて決して高くなく、大メーカーグループ会社として品質管理レベルも高そう。去年開催された「ジャパン バイク テクニーク」

という自転車制作走行コンテストにも、パナは参加しているし、なかなかいい感じ。

クロモリのシクロクロス車を昨年、入手したが、これがまたよく走る。



というわけで、今回、パナソニックのチタンロードレーサーが加わったというわけ。


PANASONIC TITAN FRTC02

写真:パナソニック チタンロードレーサーFRTC02:ホイールはカンパ ゾンダ


PANASONIC TITAN FRTC02

写真:チタンのデカール



パーツはカンパの11速、コーラスとレコードとスーパーレコードのミックス。


カンパ スーパーレコード ブレーキ

写真:カンパ スーパーレコード ブレーキ



今回、一番楽しみだったのは、スーパーレコードのブレーキ。カンパのブレーキはとても効き味が気持ちよいと常々思っており、これまで使っているのはコーラスだったので、スーパーレコードだと、どんなにすごいか、と期待した。世界最高のパーツを私のような者が使えるのは自転車趣味ならでは。自動車だとそうはいかない。



で、どうだったかというと、制動力がコーラスより高い印象だが、ブレーキは制動力が高ければ高いほど良いというものではないと思う。コーラスの方が許容範囲が広い感じがする。

スーパーレコードは、やはり私の走行速度域ではオーバースペックなのかもしれない。


カンパ コーラス エルゴレバー

写真:カンパコーラス エルゴレバー



エルゴレバーも好き。シマノと比べて変速性能がどうのこうのとかいうことは考えたこともない。親指で一気に押してシフトダウン(後ろ)する感触が気持ちいい。


カンパ レコード リアディレイラー

写真:カンパレコード後変速機とスプロケット(コーラス12-29)

11速。


スプロケットはキシリウムにはコーラスの12-29、ゾンダにはスーパーレコードの12-27を奮発した。


カンパ スーパーレコード リアスプロケット

写真:カンパスーパーレコード リアスプロケット12-27

 11速。


スプロケットのコーラスとスーパーレコードの違い、実際走行してみて、など、判るわけがない。スーパーレコードをゾンダに装着したのは、一生に一度は使ってみたかったから、という理由に過ぎない。真剣に競技用とするなら12-25でも余る、というくらいの脚力がないといけないだろうが、還暦に免じて不問にしてほしい。


セライタリア チタン

写真:セライタリアSLRチタン


サドルはセライタリアのチタンレールのもの。私の身体に誠にフィットして文句のつけようがない。



                                 以上

有名自転車タレント ビンセント・フラナガンさんと松尾大社で出会う2016/05/16


ビンセントフラナガンさんと一緒に
 写真:ビンセント・フラナガンさんと一緒に

ビンセント・フラナガン選手、1990年代から2000年代にロード、MTBともに大活躍したオーストラリア人(今は日本国籍かもしれません)。世界選手権にも何度も出場されています。

気さくな性格で、当時から「ビンちゃん」と呼ばれていました。
私など、直接形骸に接することはなかったのですが、私の自転車ホビー競技生活で、一番嬉しかった思い出は、ビンちゃん(失礼ながらそう書かせていただきます)と同じレースに出走し、完走できたこと。

兵庫県播磨中央公園でシリーズ戦として開催されていた「クラブアングルはりま」ロードレース。勾配がきつくなく、くねくねしたコースなので、変速操作による推進力ロスを避けるために、ロードバイク(当時はロードレーサーと言っていた)のWレバーをシマノの手元変速システムに交換した記憶があります。74系デュラのデュアルコントロールレバー出始めの頃の話です。

そのシリーズ戦のエリートクラスに出走し、豪雨で集団のペースが上がらなかったこともあり、私の脚でも、なんとか完走できたのです。何周するのかは忘れましたが、ビンちゃんとか実業団のエリートクラスの人たちも一緒なので、いつ周回遅れになってレースから降ろされるのかビクビクしながら、必死で走った記憶があります。

他の大会で表彰台に上がらせてもらったことも、ごく僅かありますが、表彰台よりもエリートクラスで完走できたことがたった1回とはいえあったことが、誇りです。

そんなビンちゃんと、松尾大社のご縁で会えたので、一緒に写真を撮ってもらいました。ビンちゃんと一緒だったのは私も所属しているロードチームの人だったのですが、最近練習会に出席していないもので、失礼しました!

ビンちゃんは引退後も色々活動されているようです。京都在住なので、普段から親しい人は親しいのでしょうが、有名人に会えて嬉しかった次第。

ロードレースの思いで:シマノ鈴鹿と丸岡2015/08/22


シマノ鈴鹿レース2008にて
  シマノ鈴鹿ロードレース2008年にて

 8月お盆の翌週の週末は、「シマノ鈴鹿ロードレース」。今日も、鈴鹿サーキットは盛り上がっていることでしょう。チームメイトは今年も多数参戦していますが、私は2010年からレースは休止しています。「グリーンピア三木」で開催されていたころから参戦し続けていましたが。

山岳会に入会し、週末の過ごし方が変わったためです。
自転車ロードレースは、片手間では出来ないし、練習不足で出ても面白くないのです。ホビーレースの完走はフルマラソン完走のような意義はありません(レベルの高いクラスで脚切りが多くて完走率が低いレースは別)。まして、練習不足で出走するのは、たいへん危険で皆に迷惑をかけます。集団落車の原因にでもなれば、大罪です。怪我はもちろん、今だと一コケ50万円はザラでしょう。カーボンフレームと高価なホイールで、自動車のように車両保険はありませんし。

マラソンなら、そんなに練習してなくて出走しても、それなりに走れてしまって充実感も得られたりしますし、他の人に危害を及ぼすことも、まずありません。高いレベルで参戦している方には失礼な言い方ですが。機材の有無とスピードの違いですね。

このブログは自分の備忘録ということもありまして、以前HPで公開していたロードレースのコンテンツを転載します。自分でしみじみ懐かしむためでして、すみません。

最近ではシマノ鈴鹿のレースカテゴリーには60歳以上の「マスターズ60+」もあるようなので、またそのころに出られたらいいなあと思います。将来は「マスターズ70+」も出来るかもしれませんね。

※以下、以前のHPの写し ※丸岡のレースは公道レースとしてダイナミックないいコースでしたが、死亡事故が起きて、それ以降中止になってしまいました。
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丸岡グリーンロードレースの記録

子どもが産まれた95年は欠場しているものの、毎年出走を続けている福井県丸岡市で開催される「丸岡グリーンロードレース」の記録。
本格的な公道使用のロードレースで峠もあり、下りでは70kmオーバーでペダルを回し続ける。

年によってコースが若干異なったりするし、ロードレースは着順を競う性質なので、タイムの単純な比較は意味がない。

(表の左から「NO」は私のレース記録番号で、ほぼ出走レース累積数と等しい。タイムは丸岡91年なら52分46秒83ということ。
走者数は完走者数。上位%は着順で自分の位置する%)
NO日時年齢大会名クラス距離kmタイム平均時速順位走者数上位%1位タイム1位タイム差1位tタイム%  自転車
141991/8/430丸岡91一般男子B1(30歳以下)350:52:46.8339.82310322.3%0:48:34.540:04:12.29108.66%HONJO
211992/8/931丸岡92一般男子C2(31~40)350:47:33.0544.261095.5%0:46:41.720:00:51.33101.83%CANNONDALE
361993/8/332丸岡93一般男子A601:32:06.1239.16016935.5%1:27:48.040:04:18.08104.90%CANNONDALE
471994/8/1433丸岡94エキスパート601:52:28.2032.07113054.6%1:36:43.370:15:44.83116.28%HONJO
631996/8/435丸岡96ミドル(35~40)350:49:56.5642.02513318.8%0:48:06.670:01:49.89103.81%HONJO GNU
741997/8/336丸岡97ミドル270:40:58.3739.52115613.5%0:40:54.250:00:04.12100.17%HONJO GNU
841998/8/937丸岡98ミドル270:42:00.9538.62717415.5%0:41:53.530:00:07.42100.30%DE ROSA
921999/8/138丸岡99ミドル270:43:06.2037.62014913.4%0:43:00.020:00:06.18100.24%DE ROSA

◆思い出に残るのは92年の6位入賞。表彰台にあがり、「ミス丸岡」に囲まれた写真など、最高であった。
実はこのレース、峠ピークのトンネルで先頭集団から切れた。下りでトップギヤは50*13であったが(そのころはアウター50を常用)とにかく回転させ、少しずつ前にでた。下り終わった平坦地で必死で走っていると後ろからすごい勢いで抜かしていく人がいた。2周走るエキスパートクラスの人。出走時間が遅いので、ちょうど追いついたところなのであろう。これ幸いと後ろについたところ、絶妙のスピードで人間機関車のように引っ張ってくれる。私にとっては限界スピードだが、ぎりぎり切れないところ。クラスが違うので牽制しあうこともなく、私の決死の形相を知ってか、やさしく引っ張り続けてくれる。なるほど、アシストとはこういうことをいうのかと初めて体感した。

そんな感じでひっつき虫となてばく進していたところ、ゴール方面ともう1周するその人との別れとなる、三叉路近くになって、なんと自分のクラスの先頭集団に追いついた。
ゴールスプリントは無我夢中でかろうじて6位入賞。批判はあるかもしれないが、私にとっては初めてのメジャーレースでの入賞で、思い出深いものとなった。1位と2位は集団から逃げ切っていた模様。
◆翌93年はクラスアップした。
◆94年は練習不足にもかかわらずクラスアップしたままで2周。この時は悲惨で、暑さの中で、いきなりスタートしてしばらくして川沿いの国道に出る前に切れていた。ヘロヘロでまったくレースにならなかった。
◆95年は出産のため出走せず
◆96年は忘れてしまったが、このころまでは峠のトンネルまでで集団から切れていた。
◆97年はニフティの自転車フォーラムで発言しているので引用。97年から峠のトンネルまでで切れなくなった。
>丸岡,今年も行って来ました。去年からミドルなので,レースになりそうな予感で気合いも入ります。
マシンは「HONJO ジニアス+ヘリウム 52-42,12-23」。やはりレースにはクロモリ(ニバクロ)マシンで出てしまいます。ここ一番というときの「スパーン」と前に出る感じが好きだからです。

さて,レースは前半は特に波乱もなく先頭集団前から20人あたりをキープ。トンネル前の登りもなんとか付いていき,下りで脚を休めながら,先頭集団に残った喜びをかみしめ平地へ。自然と前に出てしまい,先頭を引いたところ,一気に苦しくなり、すぐさま集団に埋没。回復するまで相当かかり、ひっつき虫状態で第一集団後方へ。ラスト三叉路手前急な短い坂で,みんなダッシュするかと思いきやスピードもさほど上がらずダンシングで5位くらいへ上がる。

「しめしめ」とおもいつつ左折してラスト直線に入ったところ猛然とスピードがあがり一列棒状。ちぎれそう。必死で走るが前に出ることは到底無理で先頭集団の後ろから3番目でゴール。順位は10位くらいか。

自分としては上出来のレースでした。展開でまだまだ勉強すべき点はありますが。

自己計測 タイム41分00秒(ゴールしてから5秒くらいしてボタンをて押していますが) 最高速度72.9KM 平均速度39.3KM。走行キロ26.93KM。

※実際の順位は21位でした。恥ずかしい。ただ、1位とのタイム差は歴代最小。
◆98年もニフティから引用
>ご無沙汰しております。今年も丸岡に行っていきました。
前日の土曜日に現地入り。試走を2周(約55km)しましたが、例年より涼しいせいもあって好調です。トンネルまでの坂も短く感じます。ギヤは52*21で十分。

宿もきれいで同行の1名と二人で個室です。大部屋雑魚寝の喧噪とは無縁。9時過ぎには就寝し、翌日に備えます。

当日は6時起床。実業団のスタートが早いので、6時でも宿はもぬけの殻です。

出走は9時27分。1周30km弱(以前よりもコースが短縮)のミドルクラス(35から39歳)です。

天気は晴れ。京都と比べると暑くないので大丈夫です。

前から2列目でスタート。出走は150人ほど。
スタート直後、例年なら結構心臓がバクバクしているところですが、今年は平気。緩い登りですが、右側の路面状態のいいところを走り、するすると先頭2番~3番手へ。皆、脚をためているのかスピードが上がりません。

ついつい先頭をひくことになってしまっても私もスピードをあげません。そんな調子で川沿いの登りも楽々ペース。後ろからは「イケー、オラー」とかいう声がうるさいので「声ばかりあげんと先頭引いてくれ」というと静かになりました。でも前を全力でひいたり、アタックをかます人はいません。

そうこうするうちに「たけくらべ」前のコーナーをまがり、峠への登り。さすがに、ペースアップし、私は自然と先頭集団前方から、集団内に埋没します。
トンネルが見え始めたあたりの苦しいこと。このまま切れてしまおうかと思いましたが、なんとか踏ん張り、トンネルへ。トンネル内はほぼ平地ですが、ここで気を抜くと第2集団になってしまいます。トンネル内も必死で脚をまわしなんとかついていこうとしますが、先頭の5~6人とは若干遅れ気味。このままではいかんと、下りもめいっぱいまわし、下り終わりの右カーブで先頭に追いつきました。

そこからの平地は向かい風。集団の恩恵で後ろにつくと楽ちん。そのまま前をひくこともなく余裕で集団キープ。最後の短い坂も難なくクリアし、いよいよ左折しゴールへの直線。

去年はそこで、猛然とスピードが上がり遅れ気味になったので、今年は気合いを入れて左折。先頭のスピードはたいしたことなく、左から「ひだりーーー」と叫びながらするすると前に出ようとすると、あっけなく先頭になってしまいました。

しばらく(20秒くらいか)先頭を走りましたが、自分でも信じられず、事態がのみこめないままにそんなはずはないと思い、「このまま持つはずがないので、だれかの後ろにつこう」と躊躇したした瞬間2~3人に抜かれ(ギヤが重すぎたかも)、「くそー6位入賞には残るぞ」と踏ん張ろうとしましたが、限界でゴール前20mくらいのコンビニ交差点あたりで今度はドドーと集団に抜かれ、結果は20位くらいだと思います。

レースに「たら、れば」はありませんが、悔しいです。でもまあそれが実力でしょう。峠のトンネル通過順位が「地力」だと考えるとまあ順当なところでしょう。

ちなみに自転車はDE ROSA「ネオプリマート」、レースは初使用でしたが、満足できる乗り味でした。
使用ギヤは52*39 13~23、インナーは使わず。下りのためにトップは12があればよかった。メーター読みで最高速は73kmくらい。
※実際の順位は27位

◆99年
今年はものすごい強風で集団のスピードが上がらなかった。登りも向かい風で、トンネルまでずっとダンゴ状態かと思ったが、トンネル手前100Mあたりで、けっこう遅れ始める人が続出。トンネル入り口付近で私も置いて行かれそうになったが、なんとか踏ん張り、トンネル内が暗くて先頭のスピードが落ちたところで息をつく。下ってからの平地は追い風で楽ちん。それでも先頭を引っ張る余裕はなく、集団内で埋没。今年は練習量が少なかったので、ここまで着いてこれただけで満足といった感じもある。ゴール前直線で猛然とスピードが上がり、切れないように着いていくのがやっと。必死にくいさがってゴール。ゴールしてから久々にへたりこんだ。最近のレースではゴールしても結構平気なことがおおかったのだが。


2000年シマノ鈴鹿ロードレース (2000年8月19-20日 三重県鈴鹿市鈴鹿サーキット)

シマノ鈴鹿ロードレース2000

  写真:中央ブルーのジャージが私。2日目オープン3周

今年は久しぶりに泊まりで参加しました。
鈴鹿は去年からプログラムの組立や種目が大きく変わってしまって残念です。
土曜日も早朝からレースがあったり、ツールド東北と同一日になったために、国際ロードの参加メンバーには華がないし、主催者の都合を優先させた大会になってきているような気がしてなりません。

まあ、そんなことより、レースの報告をします。

日目<オープンMII A1>

年齢制限なしの自由参加の3周のレース。
なんと、東京は「航空電子 自転車競技部」、中村仁さんと一緒です。
中村仁さんといえば、「常勝 中村仁」として天下に名をとどろかせ、ホビーレーサーで知らぬ人はなかった存在です。
当年とって53歳で、体型的にはいわゆる中年体型で、ペダリングも試走の時などは、けっこう重めのギヤを踏んでいらっしゃるので、仁さんのことを知らない新参者がみれば、たんなる中年レーサーに見えてしまうことがあるかもしれません。

鈴鹿が始まった年には既にシニアクラスで、その後グランドシニアになられたので、私は一緒に走ったことはありません。
だいたい毎年優勝されており、観戦する機会は多かったのですが、スプリント勝負に強い人で、集団を支配するレース展開という印象で、どうして他の人は単独逃げをするなどして仁さんをゴール勝負から引き離すことができないのかと、疑問に思っていました。

今回はオープンクラスで、若手の選手には仁さんを知らない人も多いことでしょうし、仁さんの走りに非常に興味をもって、スタートしました。
スタート位置は、仁さんの斜め後、いい位置です。スタートからシケインまでの登りで仁さんは先頭から10位くらい、私もすぐ後につきます。特に苦しくはありません。集団のスピードはそんなに速くは感じられず、私も先頭10位前後といい位置です。ところが、マウンテンポイント地点を過ぎた下りの惰性で思わず先頭になってしまい、そんなにシャカリキではないのですが、しばらく前を引いたところ、めちゃくちゃ苦しくなりました。疲労を回復させるのに半周あまりかかり、しばらく集団に埋まって、2周目へ。
スタートでとなりだった「TRAP」の永井選手が先頭をひきまくっています。永井選手は強い選手です。

仁さんの位置も絶えず注視していましたが、さすがにレース巧者の仁さん、いつでもいいポジションです。集団内で対流がおこったり、成功するわけもないアタックがかかったりして、集団の動きが乱れても、いつでもベストポジションです。3周目、最終周回を告げる「ジャン」がなるホームストレートで永井さんがスピードをあげ、仁さんをも追い抜き、シケイン手前で一瞬、永井さんを先頭に私も含めて集団からの逃げがきまるかと思いましたが、そんなことはなく、集団は再び大きくなりました。ふと前を見れば、仁さんはいつのまにか6位前後のベストポジションです。

そのまま大集団でゴールに向かい、私は集団内で動きがとれず、先頭5秒遅れの62位。5秒といえば、時速40kmで秒速11mですから50mは差が開いていたことになり、ゴール前には脚が切れていたというのが事実でしょう。仁さんは14位、2秒遅れ。
ご本人としてはまったく不本意な結果でしょうが、やっぱり仁さんは強かった、グランドシニアになられても、私などはまだ全然歯もたたない存在であるということが、よくわかりました。

 

2日目マスターズM30+B2(3周)

30代男性が3周するレース。
昨日の反省をもとに、今日はいい位置をキープして走ろうと思い、スタートするが、けっこう苦しい。ゴールストレートからシケインまでの緩い登りやマウンテンポイント地点付近の登りはまったく平気なのだが、周回の後半がどうも苦手だ。落車が多いので、落車を避けようとすることに気がまわり(今年の丸岡で落車にまきこまれ、けっこう大きなケガをしたため)、後半で集団内のポジションを落としてしまうというパターン。

昨日よりもペースが速く感じられ(風のせいか)、けっこう苦しかった。今回も集団内ゴール。


2日目オープンMII B3(3周)

今年から同一日に複数エントリーが可能になったので、2日目は3周を2回走ることにした。30台のレースのスタート時の2時間後。
30台のレース終了後は脚の疲労感が大きかったので、出走を辞めてビールを飲もうかとも思ったが、やっぱり出ることにした。

脚にきているので、無理はせず、集団の様子見をきめこもうと思ってスタートしたが、ペースが遅いのとやたらと落車が多くて危険なので、やはり集団前方で走る。
落車は嫌になるほど多かった。まずスタート時にいきなり単独でコケる人がいて、周囲から罵声が飛ぶ。1周目のシケイン通過後も前方で落車があり、避けるためにスピードダウンして、集団中切れをおこしかけるが、難なく集団に追いついた。集団に追いつくのに要したエネルギーで疲れがでるかと心配したが、全然そんなことがなかった。
この落車のあと、集団前方で走ったのでその後は後方で落車の音をきくことばかりで被害は免れた。

昨日は年代別のレースがなかったために、オープンの3周レースにも足慣らしのために、そこそこの人が出走していたが、2日目のこのレースのメンバーには周囲に迷惑を及ぼす人が散見され、レベルが低かった。

なんて、えらそうに書いても、結果はまたもや集団内。今回はゴールストレートで左端に位置し、前方が開いていたので、脚さえあれば、もっとよい着順がとれるのだが、結果のとおり。

鈴鹿ではずっとインターミディエイト4周に出走していたが、去年からプログラムが変わって4周レースがなくなったので、3周にしたが、来年からは5周のレースに出たい。3周のオープンクラスは走りにくい。