グラベルロード kona Rove Ltd 2018年モデル ― 2018/07/07
写真:kona Rove Ltd
巷間、「グラベルロード」の露出が増えている。雑誌「サイクルスポーツ(以下、サイスポ)」2018年8月号では4C32頁も使ってグラベルロードの特集を組んでいる。
「グラベルロード」とは「舗装路にとどまらず、グラベル(砂利道)も走れるように工夫されたツーリングバイク」(サイスポ2018/8号より)とのこと。
なんのことはない、ランドナーとほとんどニアリーではないか。
私には、もう一生乗るだけの自転車は確保してあり、これ以上自転車を増やすまいと決意しているはずなのだが、ここ数年のグラベルロードブーム?を横目にして、2018年3月にグラベルロードを購入してしまった。
これまでは、ピンとくるモデルがなかったのだが、konaの2018モデルのwebサイトをみていて、「Rove Ltd」というモデルに惹かれたのだ。レイノルズ853をメインチューブに使うクロモリ(フォークはカーボン)でタイヤサイズが650bというのがポイント。
グランボア製の650×42B「エートル」をインストールすることもできる。
もう10年以上前になるかもしれないが、エートルの試作モデルを手にした時、このタイヤに合う自転車を欲しいと思い、650Bデモンタブルをアイズバイシクルでオーダーした。そして、そのデモンタの走りがあまりにも軽やかだったので、次には650×42Bエートルのレーサーをつくりたいと思って幾歳月。とはいえ650Bレーサーという変わった自転車をオーダーするのには、もっといろいろ研究するべきだと躊躇していたが、konaのこのモデルなら、価格的にもまあいいか、と思った次第。完成車メーカーがトレンドをとりいれてどんな自転車をつくっているのかにも興味があった。
MTBでお世話になっている店がkonaも扱っているので、聞いてみたら、「もう完売」したとのこと。2018年の日本語版カタログが出る前に完売しているとは。
だが、京都市内にはkonaを精力的に扱っているお店がある。
私は、これ以上、付き合いのある自転車屋さんを増やしたくないと思っているのだが、konaを扱っている店は限られているので、その店に行ってみた。そこでは、なんと試乗もさせてくれる。自転車の試乗というのはメーカー主催の展示会以外では珍しい。店長さんはグラベルロードの伝道師のような人で、知識と経験も豊富だ。最新のグラベル系のパーツ等については、まったく不勉強なので、こういう専門家と出会えたのはラッキーである。
で、試乗してみたら、なかなか良かったので、その試乗車でも買えるならいいと思って聞いてみたら、事前予約していたフレームが入荷予定とのこと。今年の輸入量は全て割り当て済みで、新規申込みは受けられないが、それならOKとのことで、お願いすることにした。完成車だとそこそこの値段がするが、フレームだけだと高くなく、手持ちのパーツを組み合わせて作れるので尚のこと好都合。
2ヶ月位待ち、出来上がった。
写真:kona Rove Ltd 2018年モデル。エイリン丸太町店謹製。
持ち込んだのは、クランク(シマノ アルテグラ)、前ギア(ウルフトゥース40T)、後スプロケ(シマノXT11-40、11速)、チェーン、東京サンエスのジェイリーチブレーキレバー。
※表をクリックすると拡大します
ブレーキは、油圧だと後年のメンテが面倒なのと、自分で調整しやすいのがいいので、あえて機械式をお願いした。
写真:kona Rove Ltd の顔
写真:レイノルズ853
写真:アルテグラのクランクをシングルで使用。ウルフトゥースのシングルギアだとチェーンラインもきちんと出るとのこと。
写真:リアメカ シマノXT
写真:リア 機械式ディスク
写真:前はカーボンフォーク
写真:サルサの浅曲りハンドルバーに東京サンエスのジェイリーチ ブレーキレバー。
手が小さいわけではないが、急な下りや路面が荒れている時でも、しっかりレバーに手が届き、とても使いやすい。お薦めのパーツ。
バーコンも、実は初めての使用だったが、実際使ってみたら、なかなか感触もよく、心配無用だった。競技に使うのでなければ、必要十分の性能。
写真:ハンドルは曲が浅く、幅が下で広がっている、サルサ製。
写真:ステムは日東の黒。黒の国産ステムは初めてだが、綺麗で満足。
写真:シートピラーも日東 S65。質感も良い。黒塗装がツルツルしているからか、サドルの固定ボルトを締めてもサドルの固定が甘かったが、カーボンパーツ用のかみ合わせオイルのようなものを塗ったら、治った。サドルはブルックスのカンビウム、オールウェザー。
写真:マッドガードもお任せで付けてもらった。シムワークスと本所のコラボモデルで、ランドナーでいつも愛用している本所製ということもあり、素晴らしい出来である。黒のマッドガードを使うのは初めてだが、気に入った。
写真:タイヤはhorizon650B 47C
写真:指定空気圧は 2.4~3.8bar
写真:kona Rove Ltd
写真:グラベルロードとkona Rove Ltd
写真:グラベルロードとkona Rove Ltd
実際、グラベルロードを含むツーリングに使ってみてどうだったか?
これは、どんな自転車にも言えることだが、「自転車に魔法は無い」
このパーツを使ったら、この素材のフレームを使ったら、段違いの走りが実現する、ということはほとんど無い。タイヤの選択で走りが変わることはあると思うが。
自転車は重量がただ軽ければよく走るというわけでもないし、逆に重ければ剛性があって良く走るというわけでもない。
自分の筋力と乗り方にベストマッチした自転車だと、気持ち良く走れる。
フレーム、パーツ、全てのバランスとマッチングであろう。
こう言ってしまってはナンだが、体力をつけると大概のことは解決すると思う。現在、自分の限界値近くまで練習を追い込んでいる人でなければ。
ということを前提にしながらも、やっぱり「走って気持ちいい」自転車とそうでない自転車は存在する。
このkona rove Ltdはどうかというと、まあ乗って楽しい。
剛性感ある乗り心地がスポーティー。タイヤの太さのネガティブは無い。
最初のインプレッションとしては、タイヤ空気圧3で乗ったが、オフロードでの振動がダイレクト。カーボンフォークはストレート形状しか製作できないからか、「カーボンで振動を吸収」というような表現がカタログや雑誌等では書かれているが、私見としては、全くそんなことはなく、いつものクロモリベントフォークのランドナーのほうが、断然振動吸収性に優れる。
クロモリのベントフォークに慣れているからそう感じるのかもしれないが、ストレートフォークでいいのなら、なにも苦労して、クロモリのビルダーがフォークを刀鍛冶のようにこだわりをもって曲げる必要はないのかもしれない。クロモリで同じようにストレートフォークをつくった場合と比較するとカーボンの効果があるのかもしれないが、全くシルキーな乗り心地ではなかった。タイヤが固いのかもしれないが。
全般的に、これまで乗ってきたクロモリのランドナーと比べてミラクルな違いがあるかというと、そんなことは無い。まあ、個性の違いは楽しめるが、rove Ltdを入手したから、今までのランドナーが色あせてみえるかというと、全然そんなことはない。
輪行のし易さとか、様々な工夫の積み重ねとしては、歴史のあるランドナーにアドバンテージがある。
私は輪界の人間ではないし、最新のトレンドをフォローすることによって糧を得るフリーライターの立場でもなく、自分のお金で自分で自転車を購入して全く個人的なインプレッションを勝手に自分のブログに書いているだけ(広告も載せてないのでPVを気にする必要もない)であるが、感想としては、そんなところである。
グラベルロード同士の比較であれば、rove Ltdは、よい自転車であろうが。
ランドナーしか乗らずに「ランドナーはいい」というのではなくて、トレンドのグラベルロードやロードやMTBも乗りながら、総合的に自転車ライフを楽しみたいというのが、私のスタンス。
追伸:機械式ディスクブレーキは、気に入っています。擦れの音とか、全く生じません。制動力に不満はありません。絶対的な制動力としては、センタプルのグランボアシュエットの方が強い感じですが、普通に使い易いブレーキで、その存在を意識せずに使えるのは、良いブレーキだと思います。SCOTTカーボンMTBに装着している油圧ディスクは、調整してもすぐ擦れ音が発生するけれど、そんなことが全くないのはありがたいです。
アレックス・サンジェ (AlexSiNGER) 子ども車 ― 2018/07/08
写真:アレックス・サンジェ 子ども車
息子用自転車の2台目に購入したのが、アレックス・サンジェ(仏) (AlexSiNGER) の子ども車。
もう何年前のことになるのだろう。20年くらいかな。
アイズバイシクルでスペアタイヤ付きで購入した。子どもはすぐ大きくなるので、使い込む前に、もう少し大きなサイズの自転車に買い換えた。しばらく保管していたが、アイズ土屋さんの紹介で、埼玉の人に譲った。
親も所有したことがないサンジェを息子が乗っていたことになるが、まあ本人が希望したわけではないし、親の自己満足でした。
写真:ちゃんとサンジェのデカールがある
写真:フレームポンプまで付いているのだ
写真:ヘッドチューブにはグランボアのデカール
写真:乗り味は、息子しか知らない
TOEI スポルティフ ― 2018/07/08
写真:TOEI スポルティフ
堀川竹屋町東入ルの「ヤマネ」さんで、最初のランドナーを1987年につくってもらって以来、自転車の日々を過ごして今日に至るのだが、2台目にお願いしたのが、このスポルティフである。
当時、アテネ書房の「自転車パスハンティング」という本を暇さえあれば眺めており、著者の薛雅春(せつ まさはる)さんのスポルティフがすごく格好良く、そんな雰囲気の自転車をつくりたかったのだが、山根徳太郎さんに「まだ早い」というニュアンスでたしなめられた想い出がある。
でもなんとか、TOEIスタンダードのスポルティフをつくった。お約束通り、ユーレジュビリーのメカやストロングライトやサンプレックスのチェーンホイールをインストールしていた。ユーレは、どうも私の感覚に合わず、使い続けることはなかった。
フレームは会社の先輩に譲り、実用本位の自転車として、先輩の赴任先のシンガポールにも同行し、今も、もしかしたら使われているかもしれない。
写真:TOEIスポルティフ、サンプレックスのチェーンホイール装着時
その後、TOEIレーサーをアイズバイシクルでオーダーし、TOEI三兄弟(ランドナー、スポル、レーサー)そろい踏みの図。1990年頃か。緑のレーサーは、先年、買い戻して、現役となっている。
若狭矢代へ、鯖街道、堀越峠旧道、おにゅう峠(2018/7) ― 2018/07/17
30年近くお世話になったクリーニング屋さんがあった。
その名は「若狭屋クリーニング」
結婚してマンションに引っ越した際、クリーニング屋さんのチラシが多数投げ込まれた。その中に、ボール紙を名刺の大きさに切って、屋号と電話番号のスタンプを押しただけの
素朴な味わいのものがあった。屋号は「若狭屋クリーニング」。その店に頼み、それからずっと、マンションから今の家に転居してからも、週2回集配をしてもらっていたのだ。
集配の際には、いつもきちんとカッターシャツにネクタイ、上着も着てられたが、ある日、若狭屋さんのお家の前を自転車で通ったところ、暑いからか開けっぱなしの小さい仕事場で、ランニングシャツ一丁で汗だくになってアイロンを当てている若狭屋さんの姿がみえた。
その若狭屋さんが、2年前、地元に戻って小学校の同窓会に出席されたその夜に倒れて、あの世に行かれてしまった(亡くなったことは、今回知った)。1人でされていたので、そのまま廃業。
いつも集配に来られては、ネコをかわいがり、阪神タイガースの話をして、という感じだったのだが、あるとき、「若狭屋さん、若狭のどこですか?」と尋ねたら「若狭の矢代です。実家は今も民宿をしています」とのご返事だったのを記憶に留めていた。
今回の7月の3連休、予定していた沢登りは前夜出発が叶わなくなり断念。
6月末に職場が変わり、業界も違うので、イチから勉強の日々になった。オンで変化が大きいと、オフにエネルギッシュなことをする余裕が無くなる。自転車でどこか行くにしても、地理感の無いエリアに行くのは億劫になってしまう。色々逡巡していたが、「そうだ、若狭に行こう」と思いついた。若狭には若狭屋さんの実家もあったはずだし、訪ねてみよう、と思った次第。
京都に住むサイクリストやライダーにとって、京の街から北上して日本海を目指すのは、旅の第一歩のようなもので、私も学生時代から何度も若狭、特に小浜を訪ねている。
小浜は「海のある奈良」ともいわれ、お水取りの場でもあり、古寺名刹も多い。北前船の寄港地でもあり、文化的にも興味深い。私は参加したことがないが、かつて鯖を運んだという「鯖街道」をリスペクトした「鯖街道ウルトラマラソン」大会が毎年開かれている。
かつて私が所属していた自転車チームでも、毎年、周山街道で小浜往復の180kmタイムトライアルを実施していた。朝6時頃に出発して昼ご飯は京都(高雄)に戻ってから食べていたので6時間位で往復していたのだと思う。
小浜からは「京は遠ても十八里」といわれているように、京都と小浜の縁は深い。
というわけで、例年にない酷暑の中、若狭へと久々に往復自走宿泊サイクリングに出かけた。
写真:栗尾峠旧道から望む周山の街
いつものように、周山街道へ。この道は、カーブと勾配の一つ一つを覚えているくらい走っている。今は、自転車歩行者専用道となった栗尾峠の旧道から周山の街を望む。
写真:美山道の駅
あまりの暑さでペースが上がらず、国道を離れて涼しげな小径を選んだこともあって、美山の道の駅に着いたのが11時になってしまった。そのまま昼ご飯。美山牛乳やヨーグルトが美味。須知高校製のプリンというのも食べた。
久しぶりに九鬼坂を越えて、鶴ヶ岡からは、冬にスノーシューで何度か利用した堀越峠の旧道にチャレンジすることにした。このほうが林間で涼しそうだし。以前、1回ランドナーで来たが、タイヤがバーストして敗退した記憶のある峠。
写真:堀越峠旧道。スノーシューの時はトンネルからここに出て、頭巾山を目指した。
写真:堀越峠。若丹国境。
堀越峠の旧道は、かつて京都から小浜までの国鉄バスが走っていた。今ではかなり荒れている。石がゴロゴロしていて急勾配な箇所もあり、久々に押しが入った。
写真:小浜市内
今回、初めて国道からそれて、谷田部トンネルから小浜に西から入った。谷田部峠のほうが、本来の小浜入りの道らしい。
写真:小浜の商店街の中の「鯖街道起点」
写真:鯖街道解説板
かつてより、ずいぶんと改良された道を走って、小浜市街から矢代に到着。
若狭屋さんの実家の民宿は、集落の高い位置に石垣を積んだ上にあった。
写真:若狭屋さんの実家の民宿に到着
仏壇も立派で、なかなかのものであった。
ご実家を訪ねて、初めて判った。若狭屋さんは、この実家が誇りだったのだろう、と。
「若狭屋」という屋号で商売すると、「若狭のどこですか?」と聞かれるのは想定の範囲内。過去や出身を明らかにしたくない場合には、出身地の屋号はつけないだろう。若狭屋さんにとって、京都の西郊の町でクリーニングを営みながらも、故郷を大切に思っていらっしゃったのだろうと、私は思った。
宿の女将さん(65歳+)からは若狭屋さんは伯父さんにあたる。女将さんの話では、
矢代で車が通れる道路が付いたのは戦後(昭和30年代か)のことで、それまでは小浜に出るには船か歩きで道路のあるところまで行かないと行けなかった。
高校には下宿しないと無理で、この辺では中学を出ると皆就職した。矢代では、京都で食料関係の会社を興した人がいて、その人を頼って皆その会社に入ったが、給料は上がらないし、知った人ばかりで発展性が無いということで、各人がいったんその会社に入ってから自分の道を決める感じだった、とのこと。若狭屋さんも、そんな感じでクリーニング屋を始めたのだろうと。
女将さんは、高校に進学させてもらったが、片道2時間、自転車を押して、乗れるところは乗って、という感じの通学。部活は出来ないし、冬は大変。娘さんも冬は寄宿舎に入って高校に通ったそうである。
一昔前の日本は、そんなエリアが広範にあり、都市と農漁村の違いは、今想像する以上にいろいろとあったのだろう。
写真:民宿の窓からの風景
写真:小浜市矢代の観音堂
写真:矢代湾
翌朝、矢代の観音堂を見学し、おにゅう峠へと向かった。
酷暑で、熱中症への警戒がリアルに必要な状況。ペースは上がらず、時々沢水で身体を冷やしたりしながら走り、峠の到着は正午をまわってしまった。
写真:小浜市下根来、戦没碑と民家。子を失った親の気持ちが痛い。
写真:おにゅう峠。若狭には「遠敷(おにゅう)」、丹波にも「小入谷(おにゅうたに)」があるので、ひらがなで「おにゅう峠」としたのであろう。
久多から能見峠で広河原、花脊峠が通行止めのため芹生峠で京都市内に入り、出町にある鯖街道口の石柱を経由して帰った。
写真:朽木
写真:久多
写真:芹生峠
写真:賀茂川
写真:京都、出町にある鯖街道口の石柱
【走行日】2018年7月14日(土)~15日(日)
【使用自転車】TOEI650Aランドナー
【走行キロ】1日目117km、2日目116km (サイクルコンピュータ計測)
【峠】 御経坂215m、笠峠(トンネル)449m、栗尾峠410m、深見峠(トンネル)420m、堀越峠510m、谷田部峠(トンネル)59m、おにゅう峠837m、能見峠655m、芹生峠712m
【宿泊】民宿 きしの(小浜市矢代)
【行程】
7/14 自宅8:05~9:38周山~10:52美山道の駅(昼食)11:44~13:35堀越峠(旧道)~14:15道の駅名田庄14:37~15:44谷田部トンネル~15:48小浜~16:55矢代(泊)
7/15 矢代8:00~8:41広域基幹林道尾根~9:32東小浜駅9:45~12:29おにゅう峠~12:55朽木生杉(昼食)13:34~15:12能見峠~17:14芹生峠~18:15出町鯖街道口~18:53自宅
【ルート】
1日目
2日目
5万分の1地形図 旧版ダウンロード自在 スタンフォード大学 ― 2018/07/29
いろんなところで紹介されているので既知の方も多いと思うが、アメリカのスタンフォード大学が日本の明治~戦後すぐの期間に発行された5万分の1地形図をデータベースにあげ、特に制限なくダウンロードして使えるようになっている。
第二次世界大戦後の米国占領時に入手したものとのこと。アメリカという国の情報公開に対する姿勢というか伝統は、たいしたものである。
webサイトは下記
https://stanford.maps.arcgis.com/apps/SimpleViewer/index.html?appid=733446cc5a314ddf85c59ecc10321b41
一部分、未収録のエリアもあるが、5万図を指定してjpegでダウンロードできる。
重たいファイルなので、若干時間がかかる。
保存したファイルを閲覧する場合、画像表示プログラムの優劣というか向き不向きがはっきりする。ブラウザで表示したりすると遅くて使い勝手も悪い。
私が使いやすいと思ったのは「FastPictureViewer」というソフト。
マウスの右クリックで画像(地形図)が拡大され、そのままスクロールできるので、読図したい場所を簡便に表示できる。
備忘録まで。
鈴鹿霊仙山麓の廃村、武奈・男鬼・保月(2018/6) ― 2018/07/29
鈴鹿山系の霊仙山の麓には、「なんでこんなところにムラが?」と思えるような集落が散らばっており、山登りの際や地形図を眺める度に、気になっていた。
地形図に載っている村々は、既に廃村というか無人集落になっていることは、web検索等で知ったが、集落名に何とも味がある。
「保月(ほうげつ)」「男鬼(おおり)」、どんなムラでどんな人が住んでいたのだろう。というわけで、自転車で出かけてみた。
図:霊仙山の周囲に散らばる今では廃村になったムラなど(クリックで拡大)
※昭和8年発行 地形図「彦根東部」スタンフォード大学ライブラリより
今回走ったルート ルートラボ参照
【走行日】2018年6月17日(日)
【使用自転車】SCOTT MTB
【峠】摺鉢峠184m、杉坂峠604m
【行程】近江鉄道フジテック前駅9:10~9:30摺針峠~番場(林道入口)9:46~10:29林道三叉路(ピーク)~11:05大杉竜王神社~11:18武奈町11:45~12:15男鬼(おおり)12:39~12:48落合~山女(あけび)13:14~(権現谷林道)~13:50三叉分岐~14:10保月~15:00杉坂峠~15:17栗栖~15:33仏生寺町~15:39鳥居本~16:03フジテック前駅
写真:フジテック前駅を出発
写真:武奈町(無人集落)
写真:武奈町では、ご出身の方々が集落の手入れに来られていた
写真:男鬼町
写真:保月
写真:保月にある照西寺
写真:保月の照西寺には花が生けてあった。無人集落ではあるが、お手入れする方がいらっしゃる証左。
写真:杉 集落。広場になっている。家が数軒、山沿いに残っているが。
写真:杉坂峠
写真:山を下り、北国街道鳥居本宿を見学してデポ地に戻った。
※保月の廃村過程については、藤尾潔2015「集落の消滅過程:多賀町保月の事例から」という論文があります。
おしまい
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