紀勢線サイクルトレイン、御坊から牛廻越で十津川・木本・新宮 ― 2022/12/04
写真:紀勢線サイクルトレイン車内
JR西日本の紀勢線(御坊ー新宮)で電車に自転車をそのまま載せられる「サイクルトレイン」が実施されている。特別の日のイベントというのではなく、地元の人が軽快車で日常的に使えるようなコンセプト。
シンプルな仕組みで、最初はこんなんで大丈夫なのか、と思ったが、輸送事業者側と利用者側の労力が最小限で済んで、お互いにメリットのある方式だと考えられる。利用者がマナーを守れることが前提。
提案した職員の人たちと、それを認めた管理者層には感謝。
提案した職員の人たちと、それを認めた管理者層には感謝。
自転車と列車を組み合わせた旅は、楽しい。自転車で走り終えた後、しみじみと車窓風景を味わいながら、列車のリズムに身を任せるのは至福の時。
今回のコースは、JR御坊駅から龍神村、牛廻越(うしまわしごえ)で十津川、白谷トンネルを抜けて木本、新宮。新宮駅からサイクルトレインで御坊駅に戻るというもの。
紀伊半島を横断する牛廻越は、高校生の時、まだ白黒の5万分の1地形図をみて、おどろおどろしくクネクネで人煙まれなエリアを通る、すさまじい道があるものだと驚いた記憶がある。
行程上、御坊駅を朝早く出発したいので、京都の自宅からはクルマで御坊駅まで行き、駐車場にデポすることにした。
JR御坊駅をスタートして、日高川左岸を走る。右岸は国道だが、左岸は細い道。伝統的な稲架があったりして、味わい深く期待通りの景観。途中で一旦対岸に渡り、道の駅で朝食。
蟷螂(かまきり)峠は、トンネルではなく旧道を行く。ダートが混じったりして、予想よりハードだった。
写真:蟷螂峠
日高川から離れ、龍神村へは川合峠(地形図には峠名の記載がない)。クルマはほとんど走っていないみたいで、路面も荒れていた。普通乗用車では厳しそうなギャップや道路の割れが生じていた。
龍神村からはメインディッシュの牛廻越。ガードレールや路肩の白線もなくて、横は崖、落ちると重篤な結果をまねくであろう箇所がそこかしこにある。龍神から十津川へは山側走行なので怖くはないが、反対向きのダウンヒルだとリスクが大。
写真:国道425号、牛廻越。
写真:牛廻越のピーク。和歌山県龍神村と奈良県十津川村の境界。
無事、十津川温泉に到着。「平谷荘」泊。晩御飯に海魚の刺身が出て、「(山深い)十津川で刺身とは」と思ったが、女将さんがいうには新宮や勝浦からクルマで1時間ほどなので、とのこと。昔なら考えられない。
写真:十津川温泉 平谷荘。いい湯だった。
翌日は、芦廼瀬川(あしのせがわ)に沿って白谷トンネルを目指す。
芦廼瀬川には沢登りで3回きており、思い出深い場所。山深い紀伊山地でもその中核といえる場所。
写真:沢登り時、遡行終了後のデポ地広場。とても貴重な思い出の場所。
写真:白谷トンネル。
その後は不動トンネル、新大峪(しんおおさこ)トンネルと、長大トンネルを2つ抜けて熊野市へ。交通量が少なく、トンネル内でも不快な印象はなく済んだ。
熊野市駅前に地元の本屋さんがあり、立ち寄ってみた。地元の本を3冊買ったところ、年配の店主さんが話しかけてくれて、木本(熊野市の中心部)の街並みについて学んだ。いつ閉店になってもおかしくないような(失礼!)印象を店に入ったときには受けたが、志をもって続けられてきたことがわかった。本屋をやって、こども2人を大学に出した、としみじみ話してくれた。
写真:熊野市駅前「西書店」
写真:購入した本
写真:木本の街
写真:木本の洋服店。ミシンを通りから見えるように配置しているのが印象的。料亭に対する割烹と相通じる精神か。
木本「紀南荘」泊。自転車ロードレースのチームも合宿で利用したりするとのこと。魚ではなく肉料理だった。
翌日は、木本の街並みをゆっくりポタリングした後、七里御浜。国道42号線ではなく、海沿いの管理道路を主に走って、新宮へ。
写真:獅子巌(天然記念物)
写真:七里御浜
新宮駅からはサイクルトレインで御坊駅へ戻り、帰宅した。
写真:サイクルトレインの説明
写真:新宮駅ホーム
写真:紀勢線、車窓
*詳しくはグーグルフォトで
◇走行日:2022年10月14日(金)〜16日(日)2泊3日
◇使用自転車:グランボア650Bランドナー
◇行程:10月14日(金):京都自宅5:03=(自動車)=7:32御坊駅近駐車場、JR御坊駅7:55〜9:00サンピン道の駅9:20〜9:57蟷螂峠〜11:20椿山ダム〜11:52糠越トンネル〜13:05不老長寿の水〜13:34川合峠〜13:50龍神郵便局〜15:05牛廻越〜16:40十津川温泉「平谷荘」走行距離:117km
10月15日(土)平谷荘8:25〜9:30芦廼瀬川分岐〜10:41葛川隧道方面分岐〜11:49白谷広場12:18〜12:43白谷トンネル〜13:51不動トンネル〜15:13新大峪(おおさこ)トンネル〜15:40JR熊野市駅〜(ポタリング)〜16:30南紀荘(泊)走行距離:78km
10月16日(日)南紀荘7:20〜(木本ポタリング)〜8:10獅子巌〜9:16阿田和〜9:50鵜殿〜(新宮ポタリング)〜10:48JR新宮駅:11:44=(サイクルトレイン)=14:21紀伊田辺14:45=15:28JR御坊:駐車場15:42=(自動車170km2時間28分)=18:10京都自宅
走行距離:35km
◇宿:10/14 十津川温泉「平谷荘」、10/15 熊野市木本「紀南荘」
◇峠:蟷螂峠(237m)、川合峠(707m:地形図記載なし)、牛廻越(792m)、
白谷トンネル(864m)、不動トンネル(288m)、新大峪トンネル(428m)
水俣から椎葉村、諸塚村 ― 2022/12/17
九州新幹線を利用すると、私の住む京都と九州は、以前では考えられないくらい近い。
九州山地の奥深く、椎葉村(しいばそん)を訪ねるのが今回の旅のモチーフ。
出発地には早めに着いて、帰路にしみじみと車窓風景を楽しむのが好きなので、新幹線の通る熊本側から九州山地を横断して宮崎側に抜けるプラン、出発地は水俣とした。
新水俣駅は雨。水俣に来た以上、やはり水俣病資料館に行かねばと思い、レインウエアを着込んで出発。水俣湾を望む小高い丘に、周囲を圧迫しない白い建物があった。
写真:水俣病資料館
写真:水俣病資料館近くで望む水俣湾
もし自分が水俣病の加害企業であるチッソの社員だったら、もしお得意先がチッソでその担当だったとしたら、どう考えて、どう振る舞ったのだろう、と思ったりした。
しかし、帰宅してから関係資料に目を通したりしたところ、そんな甘いものではないと気付いた。会社のスタンスに疑問を感じたりするようであれば、勤めあげるのは困難な事象に満ちた状況だったのではあるまいか。事実の隠蔽と策動、差別に立脚した大企業の存在とその社員の待遇。
チッソは2011年に事業を子会社の「JNC株式会社」に全面的に譲渡し、持ち株会社になっている。「JNC株式会社」の会社案内・沿革をみたところ、水俣病について一文字も触れていない。どうしてこの会社が現在の形で存在しているのか、まったく説明がないのは奇異に感じる。負の歴史は親会社のチッソに全部置いてきました。今の私たちの会社にはもう関係ないです、とでもいいたいのであろうか。
”2014年歌会始の儀”の御製
「慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり」
水俣をめぐっての二首の御製
「あまたなる人の患ひのもととなりし海にむかひて魚放ちけり」
「患ひの元知れずして病みをりし人らの苦しみいかばかりなりし」
水俣病についてこれまでほとんど知らずにきたことを恥じた。
高山文彦「ふたり」講談社文庫2018を一気に読み終えての反省。

水俣市内を通って、1988年に廃線になったJR山野線跡地利用の「日本一長い運動場」を走って京町温泉を目指した。
写真:「日本一長い運動場」=山野線跡 起点
写真:水俣川にかかる鉄橋
写真:山野線プレート
写真:いかにも鉄道跡の道
写真:「日本一長い運動場」終点。旧山野線は、まだまだ続いていたが。
写真:このような普通の商店も絶滅危惧種か。水俣市大川。
水俣市と伊佐市の境の峠を下り、伊佐市布計。雨足は強まり、手が冷たい。全体に寒くなってきてダウンヒルがつらい。寒いときは上りの方が体が温まり、楽。
走り続けたかったが、なぜか写真を撮りたくなり、伊佐市布計で止まる。雨のせいもあってすごく暗くて寂しい集落に感じられたが、以前は山野線の駅や学校もあった。
写真:伊佐市布計
峠を降りて「麓」という町に出た。薪を並べたお店があった。かつてメジャーな存在だったのが薪炭業。
すぐ近くに山野線山野駅跡があった
写真:山野駅跡
写真:山野駅記念碑
平地を走り、伊佐市街を抜けてえびの市境の峠を超えたところで雨は止んだ。
京町温泉の「あけぼの荘」泊。
写真:京町温泉への峠
翌日は、快晴。宿泊した宿。
写真:京町温泉あけぼの荘
全く知らなかったが、京町温泉というのは田舎の鄙びた温泉ではない。昭和の時代は華やかな温泉地であったのであろう。
写真:京町温泉
写真:京町温泉。ストリップ劇場と思われるものが現存していた。
京町温泉からえびの市の農村地帯を走る
写真:えびの市
写真:えびの飯野駅
川内川(せんだいがわ)上流のクルソン(狗留孫)峡から温迫(ぬくみさこ)峠を経て今日の宿泊地水上村湯山温泉へ行く予定をたてていた。
写真:クルソン林道
ところが、災害通行止めだった。道路情報には載ってなかったようだが。
工事箇所は通過させてもらい(工事の人たちはとても紳士的かつ親切でいっぺんに宮崎県のファンになった)、行けるところまでいってみようと進んだが、結構シビアな崩壊箇所が現れた。1箇所通過しても、その後どれだけ崩壊箇所が現れるかわからないのと、迂回路も人家もない山間地でなので、引き返すことにした。大きく迂回することになるがやむを得ない。
工事箇所は通過させてもらい(工事の人たちはとても紳士的かつ親切でいっぺんに宮崎県のファンになった)、行けるところまでいってみようと進んだが、結構シビアな崩壊箇所が現れた。1箇所通過しても、その後どれだけ崩壊箇所が現れるかわからないのと、迂回路も人家もない山間地でなので、引き返すことにした。大きく迂回することになるがやむを得ない。
写真:クルソン林道 災害復旧工事箇所
写真:通行止め箇所を通過させてもらったものの、しばらく行って、シビアな崩壊
クルソン林道を引き返していたところ、頭上に巨大な橋梁がみえた。
クルソン大橋という看板があったので、通ってみることにした。
写真:クルソン大橋案内看板
写真:クルソン大橋の上。高度感があり、けっこう怖い。
写真:クルソン大橋から眺めたクルソン林道
山沿いに旧道の堀切峠を経て球磨川流域に入り、水上村湯山温泉へ。
写真:堀切峠
峠を下ると、球磨川エリアになる。くま川鉄道(旧国鉄湯前線)に沿って沿って走る
写真:くま川鉄道
写真:くま川鉄道の終着駅「湯前駅」
湯前を過ぎると高度を上げ、市房ダム沿いに水上村へ。
写真:市房ダムに上がるループ橋
翌日も快晴。宿泊した「水上荘」
写真:水上荘
湯山峠を越えて椎葉村へ
写真:椎葉村
飯干峠を越えて、椎葉村役場のある中心集落を目指す
写真:飯干峠へ
写真:飯干峠途中からの展望
写真:飯干峠
写真:飯干峠下り、椎葉村を望む
写真:椎葉村上椎原へ
写真:使い込まれたトラックがあった。ウインカーが破損しているので公道不可か。
写真:椎葉村立小崎小学校
柳田國男が1908年(明治41年)7月、椎葉村に1週間滞在し、「後狩詞記(のちかりのことばのき)」を記すきっかけとなった、当時の村長、中瀬邸。
写真:中瀬邸
写真:椎葉村教育委員会の説明
写真:中瀬邸
中瀬邸には現在の当主がいらっしゃったので挨拶をして辞する
写真:中瀬邸付近、椎葉村の景観
写真:上椎葉ダム
ダム側に中学校があった。椎葉中学校には寄宿舎「醇和寮」があり、全生徒の8割が入居しているとのこと。村内には高校もないので小学校を卒業したら親元を離れることになる。
写真:椎葉村立椎葉中学校
写真:椎葉中学校 寄宿舎「醇和寮」標柱
椎葉村の中心、椎葉厳島神社。平家の残党を追ってきた那須大八郎(那須与一の弟)ではあるが、椎葉で隠棲する平家一門を赦免し、厳島神社を勧進したとのこと。
写真:椎葉厳島神社
写真:重要文化財 那須家住宅
写真:那須家住宅
写真:椎葉村中心部
写真:椎葉村上椎葉
写真:商店には「オガライト」があった
写真:上椎葉
天気が崩れてきており、追い立てられるように走り、諸塚村へ
写真:下椎葉の旧道トンネル
写真:諸塚村の宿
翌日は激しい雨となり、予定を短縮して民宿の車でバス停まで送ってもらい、バス輪行で日向駅へ出て、帰宅した。
写真:諸塚バス停
写真:諸塚からバス輪行
写真:日向市からの切符
◇走行日:2022年3月23日(水)〜26日(土)
◇使用自転車:グランボア650Bランドナーoyakata
◇行程:3/23:京都駅6:07=6:37新大阪=(さくら543号)=10:33新水俣駅〜12:00水俣病資料館12:57〜13:08水俣駅〜14:14「運動場」終点〜15:11伊佐市との峠〜14:50山野駅跡〜17:10えびの市との峠〜17:46京町温泉「あけぼの荘」走行:84km
3/24:「あけぼの荘」8:00〜9:13「えびの飯野」駅〜9:40クルソン峡〜10:23クルソン峡引き返し地点〜11:32クルソン大橋〜12:53堀切峠〜14:46大畑町〜15:15球磨川沿い〜16:24湯前駅〜16:50市房ダム〜17:05水上荘 走行:112km
3/25:水上荘7:56〜8:30市房山キャンプ場〜10:00湯山峠〜11:31飯干峠12:15〜13:06中瀬邸〜14:00上椎葉15:12〜15:32那須橋〜16:06岩屋戸〜16:38諸塚〜16:47「森の民宿 樹の里」 走行:74km
3/26:諸塚バス停9:21=10:51日向駅11:21=にちりん8号=13:40大分13:45=ソニック74号=15:03小倉=15:10=のぞみ40号=17:38京都
◇峠:堀切峠(720m)、湯山峠(942m)、飯干峠(1045m)
◇宿:3/23 京町温泉「あけぼの荘」、3/24 湯前温泉「水上荘」、3/25 諸塚村「森の民宿 樹の里」
*走行ログ
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