2024北海道ツーリング1:京都=黒埼PA=青森=木古内=銀婚湯 ― 2024/12/25
写真:サロマ湖
「北海道に何がある?」
サロマ湖の展望台で、キャンプ場の管理もしているという地元の老漁師が話しかけてきた。
その哲学的ともいえる問いかけに、うまく言葉が出なかった。
北海道に無いものについては、すぐに気付いた。明治以前の歴史的建造物、古を感じさせる神社仏閣、重厚な民家、箱庭のように隅々まで手入れされた農村景観などなど。
川村たかし「新十津川物語」、開高健「ロビンソンの末裔」、三浦綾子「泥流地帯」、坂本直行「山・原野・牧場ーーある牧場の生活」、佐藤泰志「海炭市叙景」といった小説や池澤夏樹のエッセーを読むことで、北海道や「開拓」についてのある種のイメージは得たが、申し訳ないことに、北海道について、自分として何も具体像が定まらないまま旅を終えてしまった。
自転車で走っていると、耕作放棄地や廃屋、廃校、鉄道の廃線跡、人間の痕跡が失われて自然に呑み込まれていく景色が否応なく目に入ってしまう。日本の広範なルーラルエリアも同じとはいえ。でも、それをもって北海道の記憶とすることにはしたくない。
北海道には何があるのだろう?
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2024年6月14日(金)~7月9日(火)の26日間。
自転車走行875km、自動車走行5,634km、利尻山登頂。
宿泊:ビジネスホテル5泊、温泉旅館6泊、旅館/民宿4泊、とほ宿6泊、
テント2泊、車中2泊
北海道への青森往復クルマ移動のgpsログ(スーパー地形)クリックして拡大
北海道内クルマ移動gpsログ(スーパー地形)クリックして拡大
北海道内自転車走行ログ(スーパー地形)クリックして拡大
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◆ Day1:6月14日(金)晴れ 京都=北陸道黒埼PA
自転車走行:0、自動車走行:526km
京都自宅10:30=(敦賀から北陸道)=20:30黒埼PA [車中泊]
北海道へはクルマで行くことにした。東北を通って、津軽海峡を渡り、北海道への距離感を感じたかったので。
今回は計画をきっちり固めず、テント泊装備も持参。天気の良い日に太田山神社と利尻山に登るのと、雨中自転車走行はなるべく避ける、というのが基本方針。
自転車は完成したてのグランボアER700Cランドナー、セパレートパニアバッグ仕様。
北海道は広いので、クルマをデポしたところから数泊の自転車ツーリングを実施し、広域移動はクルマでという計画。
写真:今回の荷物、利尻山登山用のザックも
写真:黒埼PAで車中泊、静かで快適に眠れた
◆ Day2:6月15日(土)曇り 北陸道黒埼PA=青森市
自転車走行:0 、自動車走行:496km
黒埼PA6:05=15:08青森 「ホテル2135」泊
車中泊して東北の日本海側の高速道路(自動車専用道)をひた走る。一般道区間はわずかだったので、地域性などあまり感じることはできなかったが、秋田県内の高速道路がものすごく空いていて、今思い返すのに北海道以上にガラガラだったのが印象的。
秋田県内は暑かったが、県境のトンネルを抜けて青森県に入ると、クルマの車外温度計が10度近く下がったのには驚いた。
青森市内のガソリンスタンドで給油。京都から無給油で走れた。走行1,015kmでメーターの燃費表示は18.9km/L.。12年落ちの1800ccガソリン4気筒車で、省エネ走りは意識していない。残りガソリンは8Lで走行可能距離は55kmとメーターにはあった。街中だとリッター7km程なので、間違ってはないだろう。
今回、出発時、ベートーヴェンのピアノソナタを1番から順にかけて運転した。
全32曲あるが、青森には私の大好きな30番のところで到着した。
青森市内のビジネスホテルに宿泊。青森市は漁村がそのまま大きくなったような街という印象。
去年、弘前の古書店で教えてもらった青森の古書店が近くにあったので、北海道と青森に関する地元出版物古書を数冊入手。
◆ Day3:6月16日(日)小雨 青森市=木古内
自転車走行:0、フェリー、自動車走行:67km
青森港8:10=(青函フェリー)=12:10函館港=17:20木古内「クラッセイン木古内」泊
小雨の中、函館山や五稜郭など函館市内観光。サンフランシスコみたいな街(1回しか行ったことないが)かと思っていたが、天気が悪いこともあってか、全然違う印象だった。
北海道新幹線の駅のある木古内のビジネスホテル泊。クルマをデポさせてもらい、明日から自転車ツーリング予定。
写真:函館山より
◆ Day4:6月17日(月)晴れ 木古内=銀婚湯
自転車走行:69km、自動車走行:95km
木古内7:35~道道29号通行止め引き返す~12:42木古内13:22=14:50銀婚湯温泉(泊)
木古内から山間部、峠越えで銀婚湯温泉に向かう予定であったが、通行止め。管理者に自転車なら通れないか電話して聞いてみたが、「何ヶ所壊れているかわからないし羆も出る」と言われて断念。最近道路が崩壊したのではなく、もう何年も放っておかれているみたいだ。トラピスト修道院を見学。
銀婚湯温泉は川本三郎「日本すみずみ紀行」で絶賛されているのを読んで、ちょっと値段は高いが行きたくなった。誠に良い温泉で感じの良い宿であったが、北海道新幹線のトンネル工事のダンプカーが前の細い道路をけっこうな頻度で走っており、騒音と振動が伝わるのが残念であった。
写真:トラピスト修道院
写真:通行止めの道道
写真:通行止めゲート、とても寂しいところだった
写真:銀婚湯(日本秘湯を守る会)
写真:銀婚湯
*2024北海道ツーリング1:京都=黒埼=青森=木古内=銀婚湯
*2024北海道ツーリング2:銀婚湯=木古内~松前~江差
*2024北海道ツーリング3:江差~貝取澗~木古内
*2024北海道ツーリング4:木古内=小樽=名寄
*2024北海道ツーリング8:天塩川温泉=五味温泉2024北海道ツーリング2:銀婚湯=木古内~松前~江差 ― 2024/12/25
◆Day5:6月18日(火)晴れ 銀婚湯=木古内
自転車走行:15km、自動車走行:206km
銀婚湯8:54=11:47椴法華(とどほっけ)支所・クルマデポ~12:18恵山岬~13:50デポ地=恵山=16:44木古内 「クラッセイン木古内」泊
銀婚湯からクルマを椴法華にデポして恵山岬ポタリング。帰路、恵山岬には岬一周道路がないので、そのドンツキ、終点のところを見てから木古内に戻った。
丹後半島なども以前は半島周回道路はなく、そもそも船で移動する時代には半島一周道路整備の優先度は低かったのであろう。
写真:北海道駒ヶ岳
途中、北海道駒ヶ岳が姿を現した。火山爆発でかつての山頂部分が吹き飛んだ山体が不安定に屹立していて、正直、気持ち悪かった。この写真の角度からは、そうでもないが尖っているほうが大きく見える場所からは。
写真:恵山岬
誠に気持ちの良い場所であった。近くには海水面の温泉がある。
写真:水無海浜温泉
写真:恵山
標高617mだが、まるで北アルプスに来ているような景観が広がっていた
写真:道路の行き止まり
恵山のある半島の行き止まりまで行ってみた。将来、半島一周道路が開通する見込みはあるのだろうか
◆ Day6:6月19日(水)晴れ 木古内~松前
自転車走行:82km、自動車走行: 0
木古内8:32~矢越海岸~15:50白神岬~16:28松前 「温泉旅館 矢野」泊
木古内から松前へ。まっすぐ行くと距離が短いので、天気も良いし、矢越海岸という行き止まりの海岸沿いをピストンした。青函トンネル記念館もじっくり見学。
写真:矢越海岸
写真:矢越海岸
行き止まりのところまで。どうして先端に行きたがるのだろう
写真:青函トンネル記念館
写真:白神岬
北海道最南端地点。白神岬は襟裳岬よりも南になる。本州最北端の大間崎よりも緯度は低い。対岸には岩木山が見える。
写真:夕陽をうけながら松前を目指す
写真:松前:温泉旅館「矢野」
◆Day7:6月20日(木)晴れ 松前~江差
自転車走行78km、自動車走行 0
松前(城下見学)9:07~14:42上ノ国夷王山~16:05江差 「港旅館」泊
松前から江差へ。松前と江差は隣町であって容易に行き来できる関係かと思っていたが、陸路ではどうもそうではなかったようだ。鉄道の時代(廃線になって久しいが)、松前は函館と江差を結ぶ江差線の木古内駅から分岐する松前線の終着駅で、松前から江差に行く場合は、松前→木古内→江差という経路になる。
もちろん、直接両者を結ぶ道路は存在していたのだが、バイパス的に改良される前は、山が海に迫って断崖絶壁が連続する海岸線を縫うように走り、季節風が吹き付ける細道であったわけで、積極的に行き来したくはないルートだったと推測する。
自転車で今回走るのにも、隣の集落まで30km以上離れていたりして、天気が良かったから良いものの、荒天であったりしたら大変なことだったと思う。
松前の宿を出て、まずは松前城を見学。松前藩というのはアイヌとの略奪的な交易の下に成り立っていた藩であり、ありがたがって偲ぶような存在ではないと思うのだが、散策した。
写真:松前城(建物はつくりもの)
桜の季節には見事だろう。
写真:松前神社
城内にあるだけあって、開拓地の神社とは趣が異なる。
写真:法憧寺(ほうどうじ)。立派な山門があった。
写真:光善寺
写真:光善寺
松前から北上し、江差目指してひたすら海岸線を走る。
時々、集落が現れる。
旧道があるところは旧道を走る。
写真:「館浜」付近。
写真:原口市街へ
「市街」とあるので、どんな町に出るのかと思って海岸沿いの旧道へ下ってみた。
写真:原口市街
このあたりでは比較的大きな集落であったが廃屋が目立つ。バイパスというか、改良された道路は集落の上を走っている。
写真:原口市街の上を走る道路
改良された道路に戻り、ひた走る。
写真:灯台が見えてきた
写真:日方岬灯台
松前町と上ノ国町の境に「北海道和人文化発祥の地」の看板があった。
写真:町界の看板
上ノ国は北海道で最も早い時期に和人が定住した地であるとされる。
町を見下ろす夷王山には、ここは和人地だと睥睨するかのように鳥居が屹立していた。
写真:夷王山の鳥居
写真:夷王山から眺める上ノ国の町並み
鎌倉時代以降、蝦夷地を支配しようとする和人の根拠地として「館」が築かれたが、そのひとつである洲崎館跡。和人地の象徴的存在として鳥居が用いられることが多い。
*2024北海道ツーリング1:京都=黒埼=青森=木古内=銀婚湯
*2024北海道ツーリング2:銀婚湯=木古内~松前~江差
*2024北海道ツーリング3:江差~貝取澗~木古内
*2024北海道ツーリング4:木古内=小樽=名寄
*2024北海道ツーリング8:天塩川温泉=五味温泉
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