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2024北海道ツーリング8:天塩川温泉=五味温泉2025/01/03

Day15:6月28日(金)晴れ 天塩川温泉=塩狩峠=五味温泉
 自転車走行:0、自動車走行:215km

天塩川温泉・・(徒歩)・・天塩川温泉駅7:57=(JR宗谷本線)=8:46名寄駅・・名寄デポ駐車場9:03=天塩川温泉(自転車回収)10:10=12:05塩狩峠記念館12:55=15:02五味温泉(泊)

宿泊した天塩川温泉に自転車を置かせてもらい、JR宗谷本線天塩川温泉駅から気動車で名寄駅へ。駅前の駐車場にデポしたクルマで再度天塩川温泉に向かい、自転車を回収した。

天塩川温泉駅。他には地元の利用客が1人。
天塩川温泉駅
天塩川温泉駅
天塩川温泉駅
 写真:天塩川温泉駅

整理券を取って乗車
 写真:整理券

「智恵文」という駅があった。学業成就にありがたそうな名前だが、そのように活用される雰囲気は感じられなかった。貨車を改造した駅舎。北海道には沢山あるようだ。
智恵文駅
 写真:智恵文駅

名寄駅に到着。
名寄駅
 写真:名寄駅のホーム
名寄駅
 写真:名寄駅

名寄から、三浦綾子「塩狩峠」の塩狩峠へ。天塩国と石狩国の国境。
塩狩峠
 写真:塩狩峠
塩狩峠駅
 写真:塩狩駅
塩狩峠駅
 写真:塩狩駅
長野政雄氏殉職碑
 写真:長野政雄氏殉職の碑

塩狩峠記念館:三浦綾子の旧宅、旭川で小さなお店を開いていたときのものを移設。
三浦綾子は、1963年、朝日新聞大阪本社創刊85周年東京本社創刊75周年の懸賞小説(賞金1000万円)に応募。応募作品「氷点」が入賞し、作家デビューした敬虔なキリスト者。

塩狩峠記念館
 写真:塩狩峠記念館。

塩狩峠記念館をじっくり見学し、五味温泉へとクルマを走らせた。
五味温泉は下川町の公社が運営する一軒宿の温泉。

五味温泉
 写真:五味温泉

2024北海道ツーリング7:サロベツ~天塩川温泉2025/01/02

Day14:6月27日(木)晴れ サロベツ~雄信内(おのっぷない)駅~天塩川温泉
自転車走行:112km、自動車走行:0

豊徳8:14~8:48サロベツ湿原センター9:26~11:01幌延駅~12:03雄信内駅~13:55天塩中川駅~14:31佐久駅~15:59音威子府駅~16:44天塩川温泉駅~16:48天塩川温泉(泊)

とほ宿「あしたの城」を出発。
あしたの城
 写真:「あしたの城」の宿泊した部屋
あしたの城の部屋から
 写真:部屋の窓からの風景

 すぐにこんな風景に。
サロベツ原野
サロベツ原野
 写真:サロベツ原野

「サロベツ湿原センター」に立ち寄った。湿原の成り立ちや生物等についての理解を深めることができる。
サロベツ湿原センター
 写真:サロベツ湿原センター入り口

施設の裏手に広がる湿原
サロベツ湿原
 写真:サロベツ原野(湿原)

幌延町といえば、原発廃棄物の最終処分研究施設の立地自治体として知られている。外観からはその規模は想像できないが、地下深く、巨大な施設が建設されているとのこと。
 写真:幌延町の放射性廃棄物最終処分の研究施設

 研究施設の近くは酪農地帯。
 写真:幌延町の農家建築

JR宗谷本線沿いに南下

幌延駅
 写真:幌延駅

北緯45度を通過

防雪防風柵と「雄信内駅」案内標識

宗谷本線では数少ない木造駅舎であって、「秘境駅」として紹介されることが多い雄信内駅へ。
雄信内駅
雄信内駅
雄信内駅
 写真:雄信内駅舎
雄信内駅
 写真:雄信内駅

しかし、雄信内駅の周囲には以前は住居や商店、小学校もあったのだが、それらが全て無くなった結果として秘境駅よばわりされるようになったといういうことが、待合室にあった「駅ノート」を閲覧することによって知った。

 写真:雄信内駅待合室。「駅ノート」は左下のところに写っている。

 この「駅ノート」は雄信内駅を通学に使っていた方が書かれている。筆者は
元・早稲田大学大学院教授、とあるが、帰宅後気になって調べてみると、この方はなんと、財務事務次官も歴任された方だと知って驚いた。

かつての日本には、田舎で田んぼや畑、家の手伝いをしながらも「この子はよくできるから上の学校へ進ませよう」と家族はもちろん周囲の助けもあって進学し、本人もそれまでの感謝を忘れずよりよい世の中にしようと努力した人が、一定存在したのではあるまいか。
今は、全てが自己責任、困っている人は能力や努力が足りなかったから、俺様は能力が高いのだから恵まれて当然、とでも言いたげな人が増えているような気がする。杞憂ならばよいが。

ノートの最初と最後の頁。
 写真:「雄信内駅ノート」最初の頁
 写真:「雄信内駅ノート」最後の頁

 写真:ノートに記された、当時の雄信内駅周辺地図

ノートの筆者はこの駅から天塩高校に通い東京大学法学部、大蔵省へ。

雄信内駅は2025年3月に廃止されると報道されている。地元自治体が、駅舎の保守費用、年間一千万円ほどが負担だからという理由。利用する人がほとんどいないので仕方ないということなのだろうが、地方再生を真剣に考えるならば、地方自治体マターということにせず、公共交通のあり方を含め、パラダイムを変革して広汎に検討することも必要なのではあるまいか。

雄信内駅を出てからも、JR宗谷本線の駅が近くにあれば立ち寄りながら走った。
天塩中川駅
 写真:天塩中川駅

佐久駅
 写真:佐久駅。「ふるさと伝承館」が併設されているので見学した。

佐久駅前
 写真:佐久駅前

音威子府駅
 写真:音威子府駅

天塩川温泉駅
 写真:天塩川温泉駅

天塩川温泉へ渡る橋。
天塩川
 天塩川温泉の橋梁

天塩川温泉
 写真:天塩川温泉

2024北海道ツーリング6:羽幌~サロベツ2024/12/30

Day13:6月26日(水)晴れ 羽幌~サロベツ
 自転車走行:96km、自動車走行:0

羽幌8:44~14:03天塩河口大橋~15:28稚咲内~15:42豊富町豊徳 とほ宿「あしたの城」泊

羽幌で宿泊した「吉里吉里」は、「とほ宿」という旅人向けの宿グループに加盟している。
宿の名前は、”井上ひさし『吉里吉里人』新潮社1981”の何らかの影響下にあったのではないかと推察。シティホテルに聖書が常備されているように、「吉里吉里」の各部屋には、この分厚い『吉里吉里人』がもれなく置いてある。

井上ひさし『吉里吉里人』の存在は当時から知っていたが(確かベストセラーになっていた)、未読だったので、旅を終えてから読んだ。この本を読まずして北海道ツーリングを終えるわけにはいかず。この旅で「吉里吉里」に延べ3泊もしたこともあって。

834P 26文字×23行の2段組み という大著なので、旅の途中の部屋で読めるボリュームではない。家で読んでも、堅い内容ではないが、さすがに時間がかかった。今読むと昭和テイストに溢れている。
井上ひさし 吉里吉里人
井上ひさし 吉里吉里人
 写真:井上ひさし『吉里吉里人』。最近の本よりも活字が小さく、しかも2段組み。

吉里吉里で秀逸なのは、図書コーナー。何日沈しても退屈しないだけの本が揃っている。旅関係の本が多く、私の好みと合致し、ウチにある本もたくさんあった。料理も美味しかった。風呂は近在の温泉にクルマで送迎してもらえた。館内にもあるけれど。そのためには夕方遅くならないように宿に着くのがよい。

そんなこんなで吉里吉里を出発。出発時には記念撮影をしてくれて、これまでの宿泊者の分は宿に保存されているアルバムで見ることができる。

羽幌の町を北上する。
羽幌
 写真:羽幌の町
 写真:国道232号線

途中、宿でご一緒したランナーに追いつく。朝食をとらずに早朝に出発されている。
日本縦断、鹿児島佐多岬をスタートして宗谷岬への日本縦断ランニング旅。あと数日で宗谷岬で、そこには妻子のお出迎えがあるそう。荷物は9kgで全部背負い。宿への配送はしていない。1日長い日には70km走るとのこと。鹿児島で牧師をされている米国籍のジャックさん。
 写真:日本縦断中のランナー

羽幌線跡が残っており、国道を離れてその脇道に入ったりもした。
羽幌線跡
 写真:羽幌線橋梁跡(モオタコシベツ川)

遠別から国道を離れ、海沿いの道を天塩まで走った。
 写真:天塩手前のダート道
 写真:天塩の町
手塩高校
 写真:道立天塩高校
天塩川河口大橋
 写真:天塩川河口大橋
 写真:牧草地

宿の手前に稚咲内(わかさかない)という開拓集落があるので、立ち寄ってみた。
 写真:稚咲内への道
稚咲内
 写真:稚咲内小学校(2010年に閉校)
稚咲内小学校跡
 写真:稚咲内小学校校舎

「入植50周年記念碑」(平成10年=1998年建立)によると、稚咲内は昭和23年(1948年)に第一陣が入植し、翌年には漁協設立。学校は分校として昭和27年に開校し、昭和28年には他地域に先駆け電化、昭和29年は鰊が大漁で大いに賑わうが昭和32年には農業転換者が多く開拓農協に加入とある。

敗戦後の食料難、生活困窮から逃れるための北海道開拓入植については、開高健の小説「ロビンソンの末裔」の内容で齟齬はないと地元出版物にもあったが、電気も通じてない中での開拓の労苦は、私には想像すらできないことだろう。
稚咲内
 写真:稚咲内入植50周年記念碑
稚咲内
 写真:稚咲内漁協跡
稚咲内
 写真:稚咲内

稚咲内から砂丘列を越えた小高い場所に、とほ宿「あしたの城」があった。
宿のホームページによると、ここも順風満帆であったわけではなく、最初の建物は掘っ立て小屋のようなものであったのを、シーズンオフは出稼ぎに行って資金を貯めたりしながら今の姿になったとのこと。

「あしたの城」
 写真:「あしたの城」
 写真:宿から望むサロベツ原野


おしまい

2024北海道ツーリング5:名寄~羽幌2024/12/29

Day12:6月25日(火)曇り 名寄~羽幌
 自転車走行:114km、自動車走行:0

名寄8:12~10:44朱鞠内湖~11:29朱鞠内「森salon」12:06~13:31霧立峠~15:23苫前~16:20羽幌 とほ宿「吉里吉里」(泊)

名寄にクルマをデポさせてもらい、3泊4日の自転車ツーリングへ。
コースを勘案するのに昼ご飯を食べられるお店は期待できないと考え、名寄のコンビニでパンなどを調達。

名寄駅、趣のある建築。
名寄駅
 写真:名寄駅

霧立峠を目指して西へ走る。
「名寄地区和人開拓黎明の地」の開拓記念碑があった。
明治33年、山形県から入植した開拓団によってこの地区が拓かれた。右に写るニレの樹が一面生い茂る中、今の耕地を拓いたとある。
名寄開拓記念碑
 写真:名寄開拓記念碑と開拓記念保護樹林
名寄開拓
 写真:名寄開拓の説明

山形からの開拓団なので、神社も「山形神社」。
前日訪問した新十津川神社は十津川郷士による開拓なので新十津川という地名になり、神社も新十津川神社。
山形神社
 写真:名寄開拓黎明の地にある山形神社

開拓地の神社というのは、その人たちにとってものすごく思い入れのある存在だったと想像する。厳しい開拓生活の中で、神社をつくり、祈る。
手の込んだ彫り物などの造作物はなく、外形的に極めてシンプルなことが心をうつ。
道南の茂辺地の神社も、そんな感じだった。アイヌの立場はともかく。
茂辺地市ノ渡の神社
 写真:茂辺地市丿渡の神社(6月14日)

開拓地には神社あり。
開拓碑と神社
 写真:西風連神社と開拓記念碑

周囲の景観。入植時には耕地が全くなく、森林原野だったとは想像し難い。
 写真:名寄郊外

弥生地区、開拓記念碑。記念碑をつくるまで至らず、離農した場所も多いだろう。
弥生開拓80年記念碑
 写真:「弥生八十年開拓記念碑」昭和58年建立。

小学校は廃校になっている。
弥生小学校跡
 写真:弥生小学校跡の碑

天塩山地へと緩い坂を登っていき、幌加内町との境に着いた。日本で一番気温が低下するエリアのひとつ。
 写真:道道729号 朱鞠内風連線

朱鞠内湖。釣り人が羆に食べられた事件が起こったのは、記憶に新しい。戦時中に作られた人造湖。
朱鞠内湖

1995年に廃止された深川と名寄を結ぶ深名線にあった朱鞠内駅跡
朱鞠内駅跡
 写真:朱鞠内駅跡

人煙まれなエリアだが、Googleマップに飲食店のマークがあったのでそこを目指した。
砂漠におけるオアシスのような存在(たぶん)。
その名は「森salon」。朱鞠内のメーンストリートにある。
森salon
 写真:「森salon」
森salon
 写真:「森salon」の玄関

外観は普通の(北海道での)民家だが、内部に入ると尋常になく心地よい空間が広がる。
料理も、飲食店がそこかしこにあるどんなエリアにあったとしても、断然人気店になれると確信できる美味しさの品を提供されている。
2024年の5月にオープンしたばかり。内地から移住された方が「雪のある暮らしをしたくて」とのこと。単なる飲食店ではなく地元の「salon」的存在となるようにと考えられた店名だろう。
森salon
 写真:「森salon」の内部
 
「森salon」は朱鞠内のメーンストリートに面している。
 写真:朱鞠内中心部

朱鞠内から霧立峠へ向かう途中にあるバス停。冬期にも耐えられるつくりか。
  写真:朱鞠内近くのバス停「共栄」
 写真:「共栄」バス停

勾配はたいしたことなく、天塩山地から日本海側に抜ける「霧立峠」387mに着いた。
霧立峠
 写真:霧立峠
霧立峠
 写真:霧立峠

長いダウンヒルを経て、苫前。
 写真:苫前、三毛別熊事件復元現場との分岐

苫前からは海岸沿いに北上。
苫前橋より古丹別川河口
 写真:苫前橋より日本海の河口を望む
国道232号線
 写真:苫前から羽幌への国道

羽幌、宿泊する とほ宿「吉里吉里」に到着
吉里吉里
 写真:北海道限定サッポロクラシックビール


おしまい

2024北海道ツーリング3:江差~貝取澗~木古内2024/12/27

◆Day8:6月21日(金)晴れ 江差~せたな町貝取澗
 自転車走行:90km、自動車走行:0、太田山神社登山

江差7:52~11:47貝取澗~13:20太田山神社15:00~16:00貝取澗(かいとりま)あわび山荘(泊)

江差を出発して海岸線を北上。
 写真:乙部町豊浜漁港

コンクリートブロックで作られた住居があった。内装をしっかりすれば北海道の寒さでも大丈夫なのだろうか。私と同世代の方が公務員で北海道に赴任した際、官舎がこれと同じだったとのこと。
 写真:コンクリートブロック住宅

しばらく走り、八雲町とせたな町の境の関内川に架かる関内橋に到着した。
かつては和人地と蝦夷地の境とされ、和人の北限はここまでだった。
橋を渡ると蝦夷地。
関内橋
 写真:関内橋

奇岩「親子熊岩」。熊も懸命に生きている。熊への暖かい眼差しを感じた。
親子熊岩
親子熊岩
 写真:親子熊岩
 
この日のメーンイベントとなる太田山神社に到着。”日本で一番危険な神社”と巷間いわれているらしい。
私は、吉永小百合主演「北の桜守」という映画に登場するシーンをみて、是非とも行きたいと思い、今回の計画となった。

太田山神社
 写真:太田山神社の上り口

太田山神社
 写真:階段を登ったところからの海

太田山神社
 写真:梯子状の箇所

下の鳥居からちょうど30分で本殿直下の鎖のある広場へ出た

 写真:梯子状を過ぎたところの鎖場

写真:本殿への最後の乗っ越し

太田山神社本殿
 写真:太田山神社本殿


全部で1時間15分かかり、元の道をもどって、宿泊の「あわび山荘」の温泉でほっこりした。
あわび山荘
 写真:あわび山荘


Day9:6月22日(土)曇り せたな町貝取澗~木古内
      自転車走行:103km、自動車走行:0
貝取澗8:33〜11:30江差13:05〜14:52新吉堀トンネル〜15:25木古内郷土資料館16:15〜16:22クラッセイン木古内(泊)

クルマをデポしている木古内に戻る。往路の海岸線でなく、江差線も敷設されていたルートならば、標高200mに満たない峠(トンネル)を越えて、木古内は近い。

宿のある貝取澗という地名が印象的。貝を取る漁村のような特徴的な景観が広がっているのかと想像が膨らんだが、下の写真のような、まあ、今の北海道にはよくある住宅が建っている景観であった。
貝取澗
 写真:貝取澗

円空上人滞洞跡の碑があった。円空上人は寛文7年(1667年)この地の洞で作仏修業をしたとあった。道南の蝦夷地には古くから和人が渡っていたことがわかる。

円空
 写真:円空上人滞洞跡

時間的に余裕もあり、江差市街地を見学。

北海道新聞江差支局
 写真:北海道新聞江差支局

元の酒屋さんが喫茶店になっており、久々にコーヒーとチーズケーキで一休みした。なかなか趣があり品の良い素敵な店内。江差に住まうご主人と奥様は、本州には旅行に行くが、北海道の奥の方には行ったことがないと話された。

 写真:茶房 せき川

隣にある旧中村家住宅を見学。北前船と鰊漁で財を成した中村家。その後江差からは転出されたとのこと。
旧中村家住宅
 写真:旧中村家住宅

北海道らしい書が掛けられていた。
 写真:旧中村家住宅の床の間

家屋の裏側は昔は海に繋がっていた。今は埋め立てられて国道が通っている。

 写真:旧中村家住宅の裏手。船を付けて荷物を入れられる。

75坪で243万円。
 写真:江差の不動産

江差駅在りし日のモニュメント。
北海道新幹線開通に伴って廃線になった江差線。
駅の敷地は、町営住宅になっていて、このモニュメントだけが、ポツンとある。
江差駅跡は、町営住宅になっていた。
江差駅跡
 写真:江差駅跡

江差市街を出て、山越えで木古内へ向かう。
江差線の橋梁跡。
 写真:江差線橋梁

だんだん峠が近づき、津軽橋という橋を渡る。津軽からの開拓者がいたのだろうか。今は周囲に人家の気配は感じられなかった。道路の横と上に積雪時に道路の位置を示すものがあり、冬期の状況を想像する助けになる。
津軽橋
 写真:津軽橋

トンネルを抜けると木古内町。
新吉堀トンネル
 写真:新吉堀トンネル、上ノ国町と木古内町の境

木古内町側にも江差線の遺構があった。
江差線跡
 写真:江差線の橋梁跡

木古内市街が近づいたところで、廃校になった学校を利用した木古内郷土資料館があった。館内の展示物に手入れがゆきとどき、時代を経た展示物も生き生きしていた。
展示企画もよく練られていて、この種のものでは秀逸な存在だと感じた。木古内町の開拓の歴史、町の歩みもよく理解できた。この施設に立ち寄ることをお勧めしたい。
木古内郷土資料館
 写真:木古内郷土資料館
 写真:木古内郷土資料館の展示例


おしまい

2024北海道ツーリング2:銀婚湯=木古内~松前~江差2024/12/25

Day5:6月18日(火)晴れ 銀婚湯=木古内
 自転車走行:15km、自動車走行:206km

銀婚湯8:54=11:47椴法華(とどほっけ)支所・クルマデポ~12:18恵山岬~13:50デポ地=恵山=16:44木古内 「クラッセイン木古内」泊

銀婚湯からクルマを椴法華にデポして恵山岬ポタリング。帰路、恵山岬には岬一周道路がないので、そのドンツキ、終点のところを見てから木古内に戻った。
丹後半島なども以前は半島周回道路はなく、そもそも船で移動する時代には半島一周道路整備の優先度は低かったのであろう。

北海道駒ヶ岳
 写真:北海道駒ヶ岳
途中、北海道駒ヶ岳が姿を現した。火山爆発でかつての山頂部分が吹き飛んだ山体が不安定に屹立していて、正直、気持ち悪かった。この写真の角度からは、そうでもないが尖っているほうが大きく見える場所からは。

恵山岬
 写真:恵山岬

誠に気持ちの良い場所であった。近くには海水面の温泉がある。

  写真:水無海浜温泉

恵山
 写真:恵山
標高617mだが、まるで北アルプスに来ているような景観が広がっていた

 写真:道路の行き止まり
恵山のある半島の行き止まりまで行ってみた。将来、半島一周道路が開通する見込みはあるのだろうか


Day6:6月19日(水)晴れ 木古内~松前
 自転車走行:82km、自動車走行: 0

木古内8:32~矢越海岸~15:50白神岬~16:28松前 「温泉旅館 矢野」泊

木古内から松前へ。まっすぐ行くと距離が短いので、天気も良いし、矢越海岸という行き止まりの海岸沿いをピストンした。青函トンネル記念館もじっくり見学。

 写真:矢越海岸
 写真:矢越海岸
行き止まりのところまで。どうして先端に行きたがるのだろう

青函トンネル記念館
 写真:青函トンネル記念館

白神岬
 写真:白神岬
北海道最南端地点。白神岬は襟裳岬よりも南になる。本州最北端の大間崎よりも緯度は低い。対岸には岩木山が見える。

 写真:夕陽をうけながら松前を目指す

 写真:松前:温泉旅館「矢野」

◆Day7:6月20日(木)晴れ 松前~江差
 自転車走行78km、自動車走行 0

松前(城下見学)9:07~14:42上ノ国夷王山~16:05江差 「港旅館」泊

松前から江差へ。松前と江差は隣町であって容易に行き来できる関係かと思っていたが、陸路ではどうもそうではなかったようだ。鉄道の時代(廃線になって久しいが)、松前は函館と江差を結ぶ江差線の木古内駅から分岐する松前線の終着駅で、松前から江差に行く場合は、松前→木古内→江差という経路になる。

もちろん、直接両者を結ぶ道路は存在していたのだが、バイパス的に改良される前は、山が海に迫って断崖絶壁が連続する海岸線を縫うように走り、季節風が吹き付ける細道であったわけで、積極的に行き来したくはないルートだったと推測する。
自転車で今回走るのにも、隣の集落まで30km以上離れていたりして、天気が良かったから良いものの、荒天であったりしたら大変なことだったと思う。

松前の宿を出て、まずは松前城を見学。松前藩というのはアイヌとの略奪的な交易の下に成り立っていた藩であり、ありがたがって偲ぶような存在ではないと思うのだが、散策した。
松前城
 写真:松前城(建物はつくりもの)
桜の季節には見事だろう。

 写真:松前神社
城内にあるだけあって、開拓地の神社とは趣が異なる。

 写真:法憧寺(ほうどうじ)。立派な山門があった。

光善寺
 写真:光善寺

光善寺
 写真:光善寺

松前から北上し、江差目指してひたすら海岸線を走る。
時々、集落が現れる。
旧道があるところは旧道を走る。

 写真:「館浜」付近。

 写真:原口市街へ

「市街」とあるので、どんな町に出るのかと思って海岸沿いの旧道へ下ってみた。

原口
 写真:原口市街
このあたりでは比較的大きな集落であったが廃屋が目立つ。バイパスというか、改良された道路は集落の上を走っている。
 写真:原口市街の上を走る道路

改良された道路に戻り、ひた走る。

 写真:灯台が見えてきた

日方泊灯台
 写真:日方岬灯台

松前町と上ノ国町の境に「北海道和人文化発祥の地」の看板があった。
 写真:町界の看板

上ノ国は北海道で最も早い時期に和人が定住した地であるとされる。
町を見下ろす夷王山には、ここは和人地だと睥睨するかのように鳥居が屹立していた。

 写真:夷王山の鳥居

 写真:夷王山から眺める上ノ国の町並み

鎌倉時代以降、蝦夷地を支配しようとする和人の根拠地として「館」が築かれたが、そのひとつである洲崎館跡。和人地の象徴的存在として鳥居が用いられることが多い。

洲崎館跡



2024北海道ツーリング1:京都=黒埼PA=青森=木古内=銀婚湯2024/12/25

サロマ湖
 写真:サロマ湖

「北海道に何がある?」
サロマ湖の展望台で、キャンプ場の管理もしているという地元の老漁師が話しかけてきた。

その哲学的ともいえる問いかけに、うまく言葉が出なかった。

北海道に無いものについては、すぐに気付いた。明治以前の歴史的建造物、古を感じさせる神社仏閣、重厚な民家、箱庭のように隅々まで手入れされた農村景観などなど。

川村たかし「新十津川物語」、開高健「ロビンソンの末裔」、三浦綾子「泥流地帯」、坂本直行「山・原野・牧場ーーある牧場の生活」、佐藤泰志「海炭市叙景」といった小説や池澤夏樹のエッセーを読むことで、北海道や「開拓」についてのある種のイメージは得たが、申し訳ないことに、北海道について、自分として何も具体像が定まらないまま旅を終えてしまった。

自転車で走っていると、耕作放棄地や廃屋、廃校、鉄道の廃線跡、人間の痕跡が失われて自然に呑み込まれていく景色が否応なく目に入ってしまう。日本の広範なルーラルエリアも同じとはいえ。でも、それをもって北海道の記憶とすることにはしたくない。

北海道には何があるのだろう?

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2024年6月14日(金)~7月9日(火)の26日間。
自転車走行875km、自動車走行5,634km、利尻山登頂。
宿泊:ビジネスホテル5泊、温泉旅館6泊、旅館/民宿4泊、とほ宿6泊、
   テント2泊、車中2泊
                  

 北海道への青森往復クルマ移動のgpsログ(スーパー地形)クリックして拡大

 北海道内クルマ移動gpsログ(スーパー地形)クリックして拡大

 北海道内自転車走行ログ(スーパー地形)クリックして拡大


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◆ Day1:6月14日(金)晴れ 京都=北陸道黒埼PA
 自転車走行:0、自動車走行:526km

京都自宅10:30=(敦賀から北陸道)=20:30黒埼PA [車中泊]

北海道へはクルマで行くことにした。東北を通って、津軽海峡を渡り、北海道への距離感を感じたかったので。

今回は計画をきっちり固めず、テント泊装備も持参。天気の良い日に太田山神社と利尻山に登るのと、雨中自転車走行はなるべく避ける、というのが基本方針。

自転車は完成したてのグランボアER700Cランドナー、セパレートパニアバッグ仕様。

北海道は広いので、クルマをデポしたところから数泊の自転車ツーリングを実施し、広域移動はクルマでという計画。

写真:今回の荷物、利尻山登山用のザックも

写真:黒埼PAで車中泊、静かで快適に眠れた


Day2:6月15日(土)曇り   北陸道黒埼PA=青森市
 自転車走行:0 、自動車走行:496km

黒埼PA6:05=15:08青森 「ホテル2135」泊

車中泊して東北の日本海側の高速道路(自動車専用道)をひた走る。一般道区間はわずかだったので、地域性などあまり感じることはできなかったが、秋田県内の高速道路がものすごく空いていて、今思い返すのに北海道以上にガラガラだったのが印象的。

秋田県内は暑かったが、県境のトンネルを抜けて青森県に入ると、クルマの車外温度計が10度近く下がったのには驚いた。

青森市内のガソリンスタンドで給油。京都から無給油で走れた。走行1,015kmでメーターの燃費表示は18.9km/L.。12年落ちの1800ccガソリン4気筒車で、省エネ走りは意識していない。残りガソリンは8Lで走行可能距離は55kmとメーターにはあった。街中だとリッター7km程なので、間違ってはないだろう。

今回、出発時、ベートーヴェンのピアノソナタを1番から順にかけて運転した。
全32曲あるが、青森には私の大好きな30番のところで到着した。

青森市内のビジネスホテルに宿泊。青森市は漁村がそのまま大きくなったような街という印象。

去年、弘前の古書店で教えてもらった青森の古書店が近くにあったので、北海道と青森に関する地元出版物古書を数冊入手。



Day3:6月16日(日)小雨 青森市=木古内
 自転車走行:0、フェリー、自動車走行:67km

青森港8:10=(青函フェリー)=12:10函館港=17:20木古内「クラッセイン木古内」泊

小雨の中、函館山や五稜郭など函館市内観光。サンフランシスコみたいな街(1回しか行ったことないが)かと思っていたが、天気が悪いこともあってか、全然違う印象だった。

北海道新幹線の駅のある木古内のビジネスホテル泊。クルマをデポさせてもらい、明日から自転車ツーリング予定。

函館
 写真:函館山より

Day4:6月17日(月)晴れ  木古内=銀婚湯
 自転車走行:69km、自動車走行:95km

木古内7:35~道道29号通行止め引き返す~12:42木古内13:22=14:50銀婚湯温泉(泊)

木古内から山間部、峠越えで銀婚湯温泉に向かう予定であったが、通行止め。管理者に自転車なら通れないか電話して聞いてみたが、「何ヶ所壊れているかわからないし羆も出る」と言われて断念。最近道路が崩壊したのではなく、もう何年も放っておかれているみたいだ。トラピスト修道院を見学。

銀婚湯温泉は川本三郎「日本すみずみ紀行」で絶賛されているのを読んで、ちょっと値段は高いが行きたくなった。誠に良い温泉で感じの良い宿であったが、北海道新幹線のトンネル工事のダンプカーが前の細い道路をけっこうな頻度で走っており、騒音と振動が伝わるのが残念であった。

トラピスト修道院
 写真:トラピスト修道院
 写真:通行止めの道道
 写真:通行止めゲート、とても寂しいところだった

銀婚湯
 写真:銀婚湯(日本秘湯を守る会)

銀婚湯
 写真:銀婚湯

”四国一周サイクリング”にエントリーして東半分(後編)2024/09/11


・Day3:11月3日(金)観音寺〜志度 95km
 *走行ログ(クリックして拡大)

観音寺のホテルを出て、加嶺峠、宅間を経て”四国一周サイクリング”のスタンプポイントのひとつである「ふれあいパークみの」道の駅へ。
地元のライオンズクラブが韓国のライオンズクラブと姉妹クラブになった記念碑があり、その縁でかどうかは知らないが、韓国ナンバーの大きなキャンピングカーが止まっていた。

気持ちの良いダウンヒルを経て、海に出るとなにやら海の中に神社があった。
津嶋神社
津嶋神社という。この鳥居のあるところは遥拝所。
津嶋神社
本殿は海の中にあり、年に2日だけ渡れるそう。普段は遥拝所から拝む。橋の床板は外してある。
津嶋神社
すぐ近くにJR予讃線「津島ノ宮駅」がある。1年に2日だけ、8月の大祭の日に列車が停車するという駅。普通列車が通過するので不思議に思い、地元の人に聞いたところ、そのことが判った。
JR津島ノ宮駅

旧道を走り続ける

五色台の海沿いを走る。

高松市内を通過。東西に長い街並み。こんなことでもなければ走り抜けることはなかっただろう。起点や終点になることはあっても。

本日の宿泊地、志度の「たいや旅館」に到着。平賀源内の出生地で、なかなか渋い町。
たいや旅館

・Day4:11月4日(土)志度〜阿南 101km
 *走行ログ(クリックして拡大)

宿を出てすぐ、四国霊場八十六番札所補陀洛山志度寺に参った。
志度寺

海沿いに与治山の北側を走った。

与治山からの小さなダウンヒルを経て安戸池。

池と海が一体になったような安戸池。ラグーンで、小さな小さなサロマ湖のようなものか。

引田の町へ入る。かつて醤油と酒造で財を成した商家の建物が、自治体の所有になり修復公開されていたのでじっくり見学。「讃州井筒屋敷」。
船のような屋根裏

旧 引田郵便局が、喫茶軽食のお店として使われていた。天井が高く、石貼りの内装で残響効果が出るからか、小さなスピーカーから流れるバッハの無伴奏チェロ組曲が、重々しく響いていた。

今回のコースは主として海沿いの平野部を走るので、唯一の峠らしい峠は、讃岐と阿波の国境の大坂峠のみ。国境の山を、国道11号線は海岸沿いに迂回し、JR高徳線と高松自動車道はトンネルで抜けている。

大坂峠は昔からの道で、地形の弱点をついたカーブを重ねて標高を稼ぐことから、誠に優しい勾配で、自転車でとても気持ちよく走れる。最近のバイパス道路にありがちな、えげつない直線勾配とは正反対。

感動しながら走っていると、後ろから自転車の気配。
なんと、クロモリのシングルスピード車に乗った若者。
徳島ー松山往復をワンデイでこなしたり、”エベレスティング”と銘打って、エベレストと同じ標高を、徳島の眉山を何十回も走ることで達成するトレーニングをしたりとか、なかなかの走り屋さん。

自分のペースで気にせず抜かしていってもらうように話したが、絶妙のペースで徳島市街まで引っ張ってくれた。お陰で、私のは42Bのランドナーで荷物も多いが、自分でも驚くようなハイペースで徳島平野を通過できた。ありがたや。

下の写真の「道の駅いたの」以外で唯一信号待ち以外で止まったのは、吉野川に架かる四国三郎大橋。吉野川、なんともビッグスケールなので写真を撮らせてもらった。

お陰で、予定よりも早く、阿南市のビジネスホテルに着いた。

・Day5:11月5日(日)阿南市〜室戸岬 115km
 *走行ログ(クリックして拡大)

天気予報は午後から雨。距離も長いし、早めに出発。

室戸岬へは、高校2年の夏休み、友だちと2人で自転車で来た。ユースホステル泊で。自転車は通学用ロードマン(友だちはBSダイヤモンド キャンピング)、装備は今思い起こすとものすごく貧弱だったが、当時はそんなことを気にすることもなかった。旧道や脇道を走る、といった感覚もなく、ひたすら国道を走ったが、なんとも思わなかった。四国の東半分を走ったが、一番印象に残ったのは、やはり室戸岬。初めて見る太平洋がずっと左手に広がり、だんだんと岬へと近づいていく高揚感。

宿を出発して、ひたすら室戸岬を目指す。基本的には国道55号線を走った。

日和佐を通過し、牟岐を過ぎると海沿い。下の写真は那佐湾。

このあたりはサーファーが多かった。

野根の町が北から下って最後の町という印象。野根の先、佐喜浜までの間は、山が海に迫る隘路。室戸岬への道のハイライト。
旧道の野根橋で
旧道の野根川橋で、パンの昼食。国道の野根大橋にはお遍路さんが2人歩いていた。

遠く、室戸岬方面が見える。
海が、ドドーンと広がっている。

室戸岬に到着

今日の宿は「岬観光ホテル」。建物は登録有形文化財。写真に写る後ろ姿は、アメリカから来た歩き遍路さんだった。

宿に荷物を置いて、岬の探索。
室戸は漁業の町で、これまで何度も漁船の遭難が発生した。遭難の度にお地蔵さんが安置され、船名と遭難した日時や場所、遭難者名などが掘り込まれている。
なんともいえぬ気持ちになり、六字名号を唱える。

四国霊場第二十四番札所最御崎寺へと登る。お寺より少し低いところに室戸岬灯台があった。

最御崎寺。遍路ツアーのフランス人団体と出会った。雨が降ってきた。

翌日は激しい雨。予定を変更して輪行で帰宅した。写真は土佐くろしお鉄道の終着/始発駅である奈半利駅。

室戸岬から高知、そして高知から足摺岬、松山へは、改めて走りに来て、四国一周を成就したい。

”四国一周サイクリング”にエントリーして東半分(前編)2024/09/10

四国一周サイクリング”とは愛媛県の観光スポーツ文化部が推進しているプロジェクトです。
せっかくなので、登録してみたのが、コロナ前のこと。
コロナの大波にも負けず、ちゃんとプロジェクトが続いているのは喜ばしいことです。

四国には何度かツーリングで訪れており(足摺岬祖谷とびしま海道しまなみ海道四万十川沈下橋)ほんと良いところだと常々思っていることもあり、2023年の秋、四国一周サイクリングにエントリー実走しました(東半分)。

四国一周を35時間切りでこなす凄い(日本のロングライド第一人者ですから)走り方もありますが、のんびりと観光しながら。なるべく国道を外して旧道や脇道を地形図アプリ(スーパー地形)を活用して走りました。

◎日程:2023年10月31日(火)〜11月6日(月)6泊7日
(自転車走行は11/1〜11/5の4泊5日)
・[移動日]10月31日(火)晴れ:
京都7:13=7:40新大阪7:56=(のぞみ273号)=8:41岡山9:05=(マリンシティ15号)=9:58高松10:13=(南風リレー号)=11:25観音寺11:40 =15:13松山、松山駅〜道後温泉、オールドイングランド道後山の手ホテル(泊)
・Day1:11月1日(水)晴れ
 松山(道後温泉)8:30〜三津浜〜(しまなみ海道)〜馬島〜大島椋名(ピストン)〜(しまなみ海道)〜16:30今治、今治プラザホテル(泊)、96km走行
・Day2:11月2日(木)晴れ
 今治8:30 〜西条〜17:30観音寺、観音寺グランドホテル(泊)、111km走行
・Day3:11月3日(金)晴れ
 観音寺8:30〜高松〜16:25志度、たいや旅館(泊)、95km走行
 [峠]加嶺峠
・Day4:11月4日(土)晴れ
 志度7:50〜大坂峠〜徳島〜15:45阿南市、ルートイン阿南(泊)、101km走行
 [峠]小方峠、大坂峠
・Day5:11月5日(日)晴れ後雨
 阿南市7:20〜14:50室戸岬、岬観光ホテル(泊)、115km走行
・[移動日] 11月6日(月)雨
 室戸岬=奈半利(輪行)=京都

◎使用自転車:グランボア650×42B Oyakata55号ランドナー

 道後温泉のホテルにて、”四国一周サイクリング”公式ジャージ

◆Day1:11月1日(水)松山〜今治 96km
 *走行ログ(クリックして拡大)

ホテルを出て、まずは愛媛県庁、四国一周モニュメントに表敬訪問

松山の外港、三津浜へ。
三津浜へ
三津浜駅

祖父が戦前、「愛媛県女子師範学校」の教員だったことがあり、三津浜は母の出生地でもある。祖父は晩年になっても当時の教え子に招かれて松山を訪問していた。写真は女子師範学校跡。

三津浜は漁師町でもある
三津浜
三津浜

小林一茶も利用したという「三津の渡し」(松山市高浜2号線の一部80m)で三津浜から対岸に渡った。
三津の渡し
三津の渡し

大西町というところの旧道を走っていたところ、天水瓶が屋根の上にある家があった。大庄屋の家で本陣にもなり、後年役場としても使われたと説明板にあった。
天水瓶のある家


松山から今治までだと距離が短く時間が余るので、しまなみ海道にちょっとだけ寄っていくことにした。
しまなみ海道

しまなみ海道を全部走る時間があるわけでもないので、途中の「馬島」に降りてみた。
橋から島に降りるエレベーターを出ると、橋梁工事の慰霊碑があった。六字名号を唱えた。
馬島の慰霊碑

馬島。島民居住エリアには外来者は入り込まないようにとの看板。
橋から島を見下ろすのとは、正反対のアングル。
馬島
馬島

馬島の先端の「ウズ鼻灯台」まで行ってみた。
神社に隣接しており、そこでは音楽アーティストを名乗る若者が、「音楽活動へのインスピレーションを得るためにここに来た」と言って佇んでいた。
ウズ鼻灯台
ウズ鼻灯台

大島まで行って引き返し、今治へ。大島からみた本四架橋、しまなみ海道。

今治市内、今治プラザホテルに泊。フロントロビーに自転車ラックが用意されている。
今治プラザホテル

晩ご飯を食べに出た。道路には巨大なスクリューがライトアップされていた。造船の街、今治。
今治

◆Day2:11月2日(木) 今治〜観音寺 111km
 *走行ログ(クリックして拡大)

快晴の下、今治城の外周を経て、旧道を繋いで今日は観音寺まで。写真は今治城。
今治城

菅原道真が太宰府に配流される途中、嵐に逢って漂着。この地の漁民が助けた場所に建立された「綱敷天満宮」に立ち寄る。
大灯籠には「伊万里仲間」とあり、当時の物流の大動脈である瀬戸内航路の安全を願う思いとその財力が伝わる。
綱敷天満宮
綱敷天満宮

菅原道真公の衣を干したとされる岩
衣干岩

指定された道の駅でスタンプを集めるのがミッションなので、指定箇所には全て寄るようにした。写真は「今治湯ノ浦温泉」道の駅。

Googleマップに「西条のベネチア」とあったので、どんなところか行ってみた。
西条市難波、これがベネチアか!? 確かに水路が走っているが、、。
西条のベニス

ベネチアからそのまま走った堤防沿いからは、石鎚に連なる山々がよく見えた。

西条市、県立西条高校の隣にある「愛媛県民芸館」を見学。やはり西条という地にはこういうものを設立できる文化力があったのだろう。
西条市の愛媛民芸館
愛媛民芸館にて。

写真のような「旧街道」が残っており、今治から観音寺まで、国道を走る区間はほんの僅かで済んだ。讃岐街道。
今回の一周プロジェクトがなければ、四国の瀬戸内側の都市間を自転車で走ることはなかったと思う。やはり、実際に現地に入らないとわからないことは多い。

観音寺グランドホテルに宿泊。11月いっぱいで営業を終了するとフロントの人から聞いたが、経営企業が変わり、営業が続いたようだ。
観音寺グランドホテル



山サイ研集中ラン 上野村・中ノ沢林道(2024/4)2024/08/28

”山サイ研”とは「山岳サイクリング研究会」の略称で、自転車を担いで山道を数時間歩いたりすることも平気な人たちの集まり。本拠地は東京なので、私は東京に転勤した今から20年程前に入れてもらいました。

その集中ランに参加してきました。
コースは、群馬県上野村、御巣鷹山の北面、「中ノ沢林道」という日航機事故のときには関係車両が走り回ったであろう林道。普段はゲートが閉じられていますが、ちゃんと通行許可をもらっての実施です。

羽田から伊丹に向かう日航機123便が墜落したのは1985年の8月12日、私が就職した年で、翌朝、会社の独身寮に届けられた朝刊で知った衝撃は大きかったです。当日は休みで出かけていてTVを見ることもなかったので。

日本航空の大阪支社は当時、私の勤務先のビルに入居しており、テレビで「日本航空大阪支社から」という時には、いつも職場のビルが映っていました。

いうまでもなく大事故なわけで、現場へは、大阪からも社有車やハイヤーで現場に向かうなど緊迫していたのでしょうが、営業職場の1年生である私には関与できることはなく、新聞やテレビで知る情報以上のことは何もありませんでした。

そんなことを思い出しながらも、山サイ研の人たちのホームグラウンドである西上州を走りたいというのが主たる動機で参加してきました。

◎行程
・2024/4/5(金)京都市内自宅19:45=(中央道)=23:55諏訪湖SA車中泊
・4/6(土)諏訪湖SA=9:00佐久穂町「篠屋旅館」(車デポ)9:15〜10:00小海駅〜11:05白岩〜12:10ぶどう峠12:25〜13:12上野村三岐(木森れ陽 宿泊施設・しおじの湯)・浜平〜13:45川の駅「上野」14:10〜14:25「木森れ陽」泊.。 走行距離:54km
・4/7(日)「木森れ陽」8:22〜8:47中ノ沢林道ゲート〜10:20中ノ沢本谷〜11:05御巣鷹山トンネル〜12:00本谷分校跡地〜12:15上野ダム12:25〜12:32「しおじの湯」13:08〜13:15R299〜13:25黒川〜15:08十石峠15:16〜16:06海瀬駅〜16:27佐久穂町「篠屋旅館」泊。走行距離:78km
・4/8(月)篠屋旅館=京都

◎使用自転車:グランボア650Bランドナー55号
◎峠:ぶどう峠(1502m)、十石峠(1352m)

 *走行ログ(クリックして拡大)「Trail Note」ソフトで作成 
  ログはiPhoneアプリ「スーパー地形」で計測

[4月6日(土)晴れ]
 集中ランが終わった後に宿泊する長野県佐久穂町「篠屋旅館」に車をデポさせてもらい、スタート。
篠屋旅館
 写真:長野県佐久穂町「篠屋旅館」

旅館を出てすぐ、天神橋で千曲川を渡り、国道の対岸、右岸を走ってJR小海駅へ。
途中、秩父困民党の鎮魂碑があり、手を合わせて六字名号を唱えました。

秩父困民党の碑
秩父困民党散華の地
 写真:「秩父困民党散華之地」

小海駅から相木川沿いに、ぶどう峠を目指します。「白岩」という集落が峠にかかる手前にあり、バイパスを外して集落内を走ってみました。

白岩
白岩
 写真:ぶどう峠の手前、「白岩」集落

ぶどう峠へは明るい道で気持ちよく走れました。

ぶどう峠へ
 写真:ぶどう峠への道

ちょうど昼頃にぶどう峠に着きました。

ぶどう峠
ぶどう峠
 写真:ぶどう峠

県境を越えて群馬県に入ると、東斜面になるので午後からの陽が当たらず、暗く寒くて地形的にも急坂になり、緊張感を持って下りました。残雪もありました。

ぶどう峠(群馬側)
 写真:ぶどう峠(群馬側)

明日走る、中ノ沢林道との出会いまで下りました。
中ノ沢林道出会い
 写真:左の道が中ノ沢林道

きれいな沢沿いに走ります。
 写真:上野村三岐への道

 写真:中ノ沢 集落

「しおじの湯」に着きました。宿の「木森れ陽」は、すぐ近くにあります。
しおじの湯

サイクリストに愛された「浜平鉱泉奥多野館」跡や「川の駅上野」まで行ってみました。すぐ近くです。

浜平
写真:浜平

浜平鉱泉奥多野館跡
写真:浜平鉱泉奥多野館(跡)

[4月7日(日)晴れ]

宿舎には、山岳サイクリングの強者らしい、様々な自転車が並びます。

一世を風靡した「イエティ アルティメイト」のフロントカンティ台座を使ってフロントキャリアをインストール、前だけディスク台座新調。
イエティ アルティメイト
 写真:イエティ アルティメイト改

今回の集中ランでお世話になった自転車ツーリング専門店「オオマエジムショ」のパスハンター。フォークの曲がりが、まさしくパスハン。
アプレ パスハンター
 写真:「アプレ」パスハンター

などなど。他にも興味深い自転車が多数。

宿を出て、中ノ沢林道入り口で集合。
 写真:山サイ研中ノ沢林道入り口にて

中ノ沢林道を走ります。

中ノ沢林道
中ノ沢林道
中ノ沢林道
 写真:中ノ沢林道

私は、この後十石峠を越えて長野県佐久穂町の「篠屋旅館」まで戻らないといけないので、一人先に行かせてもらいました。

日航機事故の遺族の参拝にも有益な「御巣鷹山トンネル」を過ぎると林道のピークも近いです。トンネルは一般には通行できず、今回も入り口を横目に通過するだけです。

御巣鷹山トンネル
 写真:御巣鷹山トンネル

ピークを過ぎるとダイナミックなダウンヒル。

中ノ沢林道
 写真:中ノ沢林道の下り

上野ダムに出ます。

上野ダム
 写真:上野ダム

スタート地点の「しおじの湯」に戻り、昼食。
しおじの湯
写真:しおじの湯

トンカツ定食が美味しかったです。

 写真:しおじの湯のトンカツ定食

国道462号まで下って、十石峠を目指してひたすら登ります。
途中、景色の良いところで1回休みました。

 写真:十石峠へ
十石峠に着き、展望台にも上りました。国道に出てから峠まで2時間弱でした。

十石峠(1352m)
十石峠
 写真:十石峠

スルスルと安定した42Bタイヤの感触を楽しみながらのダウンヒルです。

 写真:道祖神と
 写真:長野県側。里に下る。

小海線八千穂駅のところの造り酒屋、黒澤酒造前で一休み。宿は、すぐ先です。

黒澤酒造
黒澤酒造
 写真:黒澤酒造
予定通りの時間に「篠屋旅館」到着。上品な和風旅館で、お風呂も広く、なかなか良かったです。 おしまい。

篠屋旅館
 写真:篠屋旅館の部屋

 *走行ログ(クリックして拡大)