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奥琵琶湖:木之本から余呉湖、月出、菅浦(2020/10)2020/11/07

2週連続、木之本を訪れ、今度は余呉湖から奥琵琶湖の集落を探訪した。ビワイチでガツガツ走っているのでは見ることのできない景色。

今回は、”自転車旅の正装”、ランドナーで。
小さな旅の終盤、ふと入った喫茶のテラス席から、これまでで最高のびわ湖の眺めが得られた。
海津にて
写真:海津にて、りんごジュース

木ノ本駅をスタート。駅前に「江北図書館」という100年以上も続く私設図書館があると知って、開館時間外ではあるが、外観を拝見しに立ち寄ってみた。
木ノ本駅
写真:JR北陸本線木ノ本駅
江北図書館
写真:江北図書館

木之本の町は、とても味わいがある。
木之本、山路酒造
写真:木之本、山路酒造
木之本
写真:木之本、北国街道石柱
木之本
写真:木之本

旧道を選んで余呉湖へ向かう。
菊水飴本舗
写真:菊水飴本舗

余呉湖へは、思っていたよりも早く到着した。余呉湖の湖畔道路を2周した。ランニングでも気持ちよさそう。
余呉湖
写真:余呉湖
余呉湖
写真:余呉湖の湖畔道路
余呉湖
写真:余呉湖

日本の民家形態のひとつとして「余呉型民家」というのがあるが、余呉湖に面する「川並」には伝統的民家は、ほんの少しになっていた。
川並
写真:余呉湖「川並」
川並の民家
写真:川並の民家

びわ湖岸への賤ヶ岳隧道は、当然、旧道を走る。旧道のトンネルを出たところが、ビューポイントになっている。
奥琵琶湖
写真:奥琵琶湖の眺め。竹生島が浮かんでいる。

藤ヶ崎を回って、塩津浜の集落の中へ入った。ビワイチでは国道区間で逃げるように走り去ってしまうところ。明治10年に開業した宿屋の建物が残っていた。屋号は「菱屋」で客筋は主に行商人との説明。立派なお寺もあった。
塩津浜
写真:塩津浜「菱屋」
浄光寺
写真:塩津浜「浄光寺」

塩津浜から月出という集落に行ってみることにした。風雅な名称に惹かれて。道路だと行き止まりの集落だが、船で移動がメインの時代には、別に不便でも何でもない立地だったのだろう。
月出へ
写真:月出へ向かう
月出
写真:月出
月出
写真:月出
月出
写真:月出の集落の一番奥は、墓地であった。春には桜が見事であろう。桜と琵琶湖、最高の供養。

奥琵琶湖パークウェイは土砂崩れで通行止めだったので、ちょっと遠回りして小さな峠を越えて、菅浦を目指した。

菅浦は、1971年に奥琵琶湖パークウェイができるまでは水運以外には交通の便を欠く僻村で、中世からの「菅浦文書」が残されており、歴史学上、有名な場所。白洲正子の「隠れ里」にも収められており、一度行ってみたいと思っていた。
菅浦
写真:菅浦
菅浦の四足門
写真:四足門:かつてはムラの入り口に4つあった門のうち、今でも2つ残っている
菅浦郷土資料館
写真:菅浦郷土資料館
須賀神社
写真:須賀神社:土足厳禁
ヤンマー農村工場
写真:ヤンマー農村家庭工場。小規模な作業場が集落内に20ヶ所設けられた。
ヤンマー農村工場
写真:ヤンマー農村家庭工場 第20作業場
菅浦
写真:菅浦
菅浦の石垣
写真:菅浦の石垣
菅浦からのびわ湖
写真:菅浦
菅浦遠景
写真:菅浦遠景

海津大崎を周り、快調に走っていたが、空腹を感じ、一休みしようと思い、たまたま出会ったお店に営業的直感でピンと来たので入ってみた。
古民具古道具海津
写真:古民具古道具「海津」:喫茶コーナーもある

古道具にも興味があるが、時間がないので、りんごジュースを頼むだけにしたところ、テラス席に案内されて、感動した。

海津のテラス席から
写真:「海津」のテラス席からのびわ湖
海津
写真:「海津」の店外
 
奥琵琶湖から受けた予想以上の感動を胸に、マキノ駅から輪行で帰路についた。

○走行日:2020年10月11日(日)
○使用自転車:グランボア650Bランドナー
○峠:-
○走行キロ:83km
○行程:JR木ノ本駅8:35~(町内ポタリング)9:00~9:20余呉湖(湖岸を2周)~賤ヶ岳隧道11:00~11:43月出12:05~12:30西浅井町横波~12:42日計山地の峠~13:37大浦13:51~14:13菅浦15:21~15:42大浦~15:58海津大崎~16:03「古美術海津」16:22~16:29JRマキノ駅
○走行ログ

                                   おしまい

TOEI650Aランドナー(2020年10月版)2020/10/26


TOEI650Aランドナー
写真:TOEI650Aランドナー ダイナモとライトを外し、前ドロヨケを整形
TOEI650Aランドナー
写真:2020年10月改 TOEI650Aランドナー

「鮒釣りに始まり鮒釣りに終わる」という格言があるが、自転車を趣味とする私にとっての「鮒釣り」こそ、このTOEI650Aかもしれない。まだ終わる気持ちは毛頭無いとはいうものの。

TOEI650Aランドナー、私が初めて入手したスポーツ用自転車、1987年のこと。京都のスポーツサイクル ヤマネ で店主の山根徳太郎さんに薦められて清水の舞台から飛び降りる気持ちで注文した。今ではフレーム代にもならない15万円だった。

その後、クランクをスギノPXからTAに交換したのを始まりに、当時西大路に開店して間もない「アイズバイシクル」にて、たむろしていた今はシマノの幹部社員になっている立命館大学のRUCCと名乗る自転車ツーリング部員のT氏からカンパレコードのハブを譲ってもらって交換したり、スポークもバテッドに組み替えたり、ディレイラーもいろんなのを試したりとか、一時期はパスハン風になったし、前パニア台付のキャンピング風に改造したこともあった。

この650Aを端緒に、怒涛の勢いで自転車は増えていき、何台購入したかは恥ずかしいので秘密にしているが、まあ、正直いってやりたい放題やらせてもらった。
購入当時のパーツのままなのは、前後ディレイラー(サンプレックスの普及品)、TAアウター46T、アラヤ20Aリムだけ。どれも途中で別のパーツに変えていた時期が長いので、ずっと使い続けていたわけではない。

新型コロナウイルスのダメージが様々なところで顕在化する状況下、自分自身については還暦が近づき、いつまで働くことにしようかなど毎日思案している中、シンプルな生き方というか自転車もシンプルに改造したくなり、このTOEI650Aのダイナモとライトを外して、究極の輪行対応ランドナーにプチ改造した。

後ろディレイラーが縦型のサンプレックスなので、輪行時にエンド金具不要。前後輪を外して後ろドロヨケをI'S式の簡便な方法で抜き、ハンドルを90度曲げれば、オーストリッチの縦型輪行袋に収まる。前キャリアがなく、リクセンカウルのアタッチメントなので、収納もスリム。

エンドが120mmでスプロケットは5枚だけど、必要にして十分。
この自転車を入手した後で、6枚、7枚、8枚、9枚、10枚、11枚、12枚ある自転車が登場し、今もそれぞれを楽しんでいるが、速く走ったり楽に坂を登るには、機材よりも身体能力いうのがシンプルな結論。そうはいっても、、というところで多くの人が、自分自身も含めて、試行錯誤して楽しんでいるのだが。

想像するに、いろんなところを旅行した人が故郷の山河の良さに改めてしみじみと感じ入るようなもので、私にとっての故郷の山河は、このTOEI650Aなのかもしれない。

グランボアER輪行をもっと簡単に2020/10/17


グランボアER輪行車
写真:グランボアER輪行車(フレームサイズ560mm)

グランボアER輪行車 ドロヨケ外さず収納
写真:グランボアER輪行車を前ドロヨケ付のまま「ロード220」輪行袋に収納

サイクルグランボアのER輪行(=イージー輪行)は、従前、ランドナーはフォークを抜いて輪行するのが普通だったのを、前後のタイヤとドロヨケをeasyに外せるようにして、ロード用輪行袋でフォークを抜かずに輪行できるように考えられた仕組みである。

なんだそんなこと、と思われるかもしれないが、前ドロヨケを外すというのは、いろいろと制約があって、フロントキャリアのあるランドナーでは簡単にはいかない。
ER輪行は、前クラウンを二重にすることによって問題を解決している。

だが、私の場合、せっかくER輪行車がありながら、実はフォーク抜き輪行をすることが多かった。フォークを抜くのは、慣れるとそんなに手間だとは思わないし、フォーク抜きの方が断然コンパクトになるので、列車内で精神的にも楽なのだ。列車が混雑していても、気を遣う度合いが少ない。

それと、ER輪行で前のドロヨケを外す際、注意しないとステーを固定するダルマネジを紛失してしまうことがあり(ステーを外したときに、ちゃんとダルマネジを締めなおしておけばよいが、列車の発車時刻が迫っていたりすると忘れがち)、前ドロヨケを外すという行為があまり好きになれないのだ。組むときも、ドロヨケのクリアランスの調整でひと手間増える(フォーク抜きと比べて)。

ところで、オーストリッチから「L-100エアロ&ワイド」という輪行袋が発売されていて、ワイドになった分、いろいろと使い勝手がいいらしく、入手して使ってみようかと思ったが、巾着式なので、ためらった次第。

で、本日、オーストリッチの「ロード220」という従来からあるスタンダードな輪行袋でランドナーの前ドロヨケを付けたままで袋に入るかどうか試したところ、実に簡単に入ってしまった。周知のことかもしれないが。
ファスナー式の輪行袋なので袋をかけていくときの微調整がやりやすいのも助けになっている。

唯一のコツとしては、ハンドルを90度切って、ステムを一番下までさげて固定するということ。アヘッドでないステムなので、簡単にできる。私のランドナーは650Bでフレームサイズは560mmだが、問題なかった。

もっとも、輸送中のドロヨケの破損を考えると、推奨されないやり方かもしれない。
輪行袋をぶつけたり倒したりしないよう、いつも以上に気を遣う必要がある。

ドロヨケ上にライトを装着しているなどドロヨケが長い場合は、輪行袋に入らないかもしれない。ER輪行車の場合は、大丈夫。

丹後半島キャンピング(2008/4)2020/06/10

もう干支にして1廻りも前になるのが信じ難いが、丹後半島にキャンプツーリングした記録。

私の場合、自転車走行→風呂→ビール、というサイクルが欠かせないので、実はテント泊でサイクルツーリングをしたのは、この1回だけ。もう1回、自転車ツェルト泊をしたことがあるが、それは山岳会の行事に参加するため。登山ではテント泊を原則にしているので数十泊はテントで寝起きしているが。

キャンピング装備可能な650×42Bという太めのタイヤのデモンタブル(フレーム分割式)のランドナーを作って、意気揚々と出かけたのだが、2日めの丹後半島の山中でリヤディレイラーの破損に伴うチェーン切れが生じ、応急処置に時間を要したこともあって、2泊目は民宿でもあるし、リアサイドバッグ(テン泊装備)は宅配便で自宅に送り返したという旅であった。

リヤディレイラーは、ヤフオクで1000円で入手したシマノ600唐草模様。案外レアで、マニアック過ぎないと思って装着したのだが、信じられない壊れ方をした。うがった見方かもしれないが、もともと問題があったのかもしれない。やはり出自がわからない中古パーツを使うのは危険だと思った次第。

応急措置で峰山まで走り、地元の大きな自転車屋さんが見つかって修理をお願いしたが、外装変速機を店頭在庫しておらず、店主のレーサーのパーツを取り外して治してもらった。シマノ105ブラックのシンプルなメカ。
上世屋でテント泊
写真:上世屋でテント泊。テントはヒルバーグのアクト

○走行日:2008年4月26日~28日
○使用自転車:グランボア650Bデモンタ(リヤパニア仕様)
○宿泊地:26日:上世屋キャンプ場
     27日:網野町浜詰:みさき荘
○峠:与謝峠(395m)、大内峠(166m)
○行程:4/26:京都(自宅)~亀岡市並河7:40~8:01八木町鳥羽~8:25船岡踏切~9:00胡麻のパン屋さん(ゾンネ)9:30~10:27和知駅~11:25綾部大橋~15:13与謝峠~16:44天橋立~17:25下世屋~17:50上世屋~18:24キャンプ場(幕)
4/27:幕地~木子11:30~15:30大内峠~15:56大宮町三重~16:33峰山駅~16:40自転車屋さん(後変速機交換)~17:27郷村断層~17:55みさき荘(泊)
4/28:泊地8:20~9:06久美浜町湊~9:44久美浜町旭(京都府西北端)~10:31久美浜小学校~11:23比治山トンネル~13:01五十河小学校跡~13:47成相寺~天橋立駅で輪行袋収納済み14:53=(輪行)=京都

与謝峠
写真:与謝峠

グランボア650Bデモンタブル
写真:グランボア650bデモンタブル キャンプ仕様

久美浜湾
写真:久美浜湾 ※リアサイドバッグは宅配便で自宅に送った

 走ったルート(クリックで拡大)

2019GW_筑豊、民芸・小鹿田焼「日田の皿山」2020/04/25

「用の美」を唱えて民藝運動の父と呼ばれた柳宗悦の「日田の皿山」を読み返した。

私は焼き物に特別関心があるわけではないのだが、「村の者たちは男も女も皆陶工として生まれ、陶工として死んでゆく」、「北九州の古陶を知ろうとする者は、活きたこの窯に来ねばならぬ」と書かれていては、本が1931年(昭和6年)、90年程前に書かれたものだとしても、現在の姿を見たくなり、2019年のゴールデンウイーク(GW)を利用して訪れた。

皿山にどこから入ろうかと地図を眺め、これまで走ったことのない筑豊経由とした。
炭鉱が閉山し、街も衰退して久しいと言われるエリアが今、どんな感じなのか興味があった。

筑豊の街は、確かに商店街のアーケード内には閉じた店が多いが、ゴミなどは落ちてなくて決して荒んだ雰囲気ではなかった。残存している芯の強さのようなものを感じた。
皿山では、窯元から傘立てと片口を分けてもらい、自宅に送った。

日田から阿蘇、高千穂を抜ける計画だったが、大型台風接近で雨も降ってきたため、3日目の朝に、輪行で帰路についた。


日田の皿山
写真:小鹿田焼(おんたやき)日田の皿山

日田の皿山
写真:傘立てと片口を購入した窯元

○走行日:2019年4月27日~29日
○使用自転車:グランボア650Bランドナー
○宿泊地:田川伊田・ビジネスホテル ロイヤルイン扇
               天ヶ瀬温泉・ふくや
○峠:立石峠(109m)、斫石峠(きりいしとうげ:645m)、金剛野峠(369m)、乙舞峠(486m)
○行程:4/27:京都8:27=(のぞみ3号)=10:53小倉11:14=11:43行橋12:41~14:12豊前国分寺~15:34犀川駅~16:19峠~16:42油須原駅~17:02立石峠~17:31田川伊田駅~17:57ビジネスホテル扇
4/28:泊地7:30~7:47田川後藤寺駅~8:31豊前川崎駅~10:03英彦山駅近く~11:22斫石峠~12:30金剛野峠~13:01乙舞峠~13:07皿山14:23~14:56日田城址~17:07天ヶ瀬温泉・ふくや
4/29:泊地~8:10天ヶ瀬駅9:06=(ゆふ1号)=10:49大分11:10=(ソニック24号)=12:37小倉12:53=(のぞみ30号)=15:20京都

油須原駅
写真:油須原駅

地図:走ったルート(クリックで拡大)

「TOEI」駅と恵那市中野方(なかのほう)の農家民宿(2019/11)2020/04/20


JR飯田線東栄駅
写真:JR飯田線東栄(TOEI)駅にて

JR飯田線に「東栄」という駅がある。奥三河の愛知県北設楽郡に東栄町という行政区画があり、そこにある駅なので、一般の人には「ああそうですか」という程度の話。

だが、ランドナーと呼ばれる旅行用自転車の愛好家のなかには、特別の反応をみせる人がいても不思議ではない。というのは、日本のランドナーの総本山的フレーム工房の名称が「東叡社」であり、フレームには「TOEI」と描かれ、東栄(TOEI)駅と音とローマ字が一緒だからである。

そんな「TOEI」駅に私も行ってみた。鳥取県の若桜鉄道の「隼駅」がスズキのオートバイ・ハヤブサの「聖地」になっていてライダーが集まるようなものか。

そのあと北上して、美濃国の恵那市中野方(なかのほう)の「農家民宿」を目指した。
農家民宿というのは農水省の施策で、農林漁業者が経営者。宿泊用に建てられたのではない農家の建物に泊まることができ、料理もその家で作った野菜など地産地消そのもの。田舎の旧家におよばれしているような体験が得られる。

9月にオリエンテーリング大会の応援のため、大会要項で紹介されていた中野方の農家民宿に泊まったところ、料理は美味しいし部屋も立派で清潔、ご主人や奥さんの話も聞けたりして、日本のルーラルなエリアの上質な部分を体感し、もう一度行きたいと思った次第。

豊かな暮らし、というのはこういうことをいうのかと感じた。国道やバイパスをクルマで走っているだけでは、そのすぐ側に、こんな暮らし方があるということに気づかずに通過してしまうだろう。

中野方というエリアについては、それまで全く知らなかったが、農家民宿にて佇んでいると、正面にみえる笠置山からそよそよと吹いてくる風と、盆地を照らす光と土の恵みが感じられ、桃源郷というものがあるなら、このような地の延長線上にあるのかもしれないと思った。

農家民宿 銀もくせい 襖絵
写真:恵那市中野方:農家民宿「銀もくせい」にて

○走行日:2019年11月2日~4日
○使用自転車:TOEI650Aランドナー
○宿泊地:長野県売木村 民宿「えりか」
               岐阜県恵那市中野方 農家民宿「銀もくせい」
○峠:新野峠(1047m)、平谷峠(1167m)、(大馬渡峠)、蛭川峠(720m)、遠ヶ根峠(802m)
○行程:11/2:京都6:38=(のぞみ100号)=7:13名古屋7:18=(ひかり504号)=7:46浜松、新浜松8:00=(遠州鉄道)=8:33西鹿島9:23~10:14落合~11:20熊(昼食)11:47~12:24大地野隧道~13:05東栄駅~14:43東栄町本郷~15:55御園トンネル~17:50新野峠~18:20売木村民宿「えりか」
11/3:泊地8:00~9:05平谷峠~平谷村役場9:55~11:00大平~11:30大門(昼食)12:20~13:33大馬渡峠~14:46明智駅~15:22岩村駅~16:05飯沼駅~16:22恵那駅近く~16:34東雲橋(木曽川・大井ダム)~16:52木曽川中野方分岐~17:25農家民宿「銀もくせい」
11/4:泊地8:10~8:30坂折棚田9:00~9:45農家民宿「ふうちゃん」10:10~10:41蛭川峠~10:53たがみ峠(ピストン)~11:05蛭川峠~12:04遠ヶ根峠~12:33黒川・苗木橋~13:54白川口駅14:38=15:09美濃太田15:30=16:03岐阜16:19=17:09米原17:17=18:12京都

中野方 坂折の棚田
写真:中野方 坂折の棚田
中野方
写真:中野方の風景


 走ったルート(クリックで拡大)

紀南・周参見から紀伊大島、潮岬(2019/2)2020/04/12


樫野埼灯台
写真:樫野埼灯台
潮岬灯台
写真:潮岬灯台

寒い2月には紀伊半島へ行きたくなる。
というわけで、本州最南端の潮岬を目指して、周参見(すさみ)から走ることにした。海沿いの国道42号線は、交通量が多そうなので避けて、山の中の道を選んだ。紀伊半島の山中は、海から僅かな距離でも、隔絶感が感じられ、秘境を旅する気分になれる。

いつも地形図だけをみてプランニングしているのだが、今回の旅では、見事な石積みの集落に出会えて、海・灯台だけでない旅の景観に接することができた。

○走行日:2019年2月16日(土)~17日(日)
○宿泊:紀伊大島 民宿「木本」
○使用自転車:グランボア700Cデモンタブル
○峠:獅子目峠(373m)、コカシ峠(335m)
○行程
2/16:京都=周参見駅8:53~(町内ポタリング)9:10~10:00上十川~10:37小河内~10:53笹目峠~11:36コカシ峠11:52~12:10大鎌~13:06三尾川・光泉寺~13:50古座の一枚岩~14:53串本町境の峠~15:08国道42号線~15:19串本町(町内ポタリング)~15:58くしもと大橋~16:25大島港 民宿「木本」泊
2/17:泊地8:24~8:57樫野埼灯台:トルコ記念館9:50~(樫野周辺ポタ)10:34~11:02くしもと大橋~11:38潮岬12:25~12:58串本市街・串本駅13:14~串本駅14:27=15:16周参見駅=京都

周参見から潮岬1
※走ったルート。1日目、周参見から紀伊大島(クリックで拡大)
周参見から潮岬2
※走ったルート。2日目、大島港から樫野埼、潮岬、串本(クリックで拡大)

写真:すさみ町比曽原の石組み
古座川町三尾川の民家
写真:古座川町三尾川の民家
トルコ記念館
写真:樫野埼のトルコ記念館

2018GW東北・温泉宿の旅2020/04/11

2018年のゴールデンウィーク(GW)、カレンダー回りがよくて長期休暇がとれるので、東北への旅を思い立った。
峠と温泉三昧の計画をたてたが、旅のメインに考えていた峠の数々が未除雪のため通行止めになっていて、計画は大幅に変更となった。道路情報をちゃんと確認しておくべきだった。GWだと東北ツーリングには早すぎる。とはいえ、温泉宿をつないで走ることはできて、気持ちよく思い出深い旅ができた。

出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)の山岳信仰や松尾芭蕉「奥の細道」、森敦の小説「月山」、藤沢周平のフィールド、偶然出会った戊辰戦争の激戦地など東北への興味は尽きない。今は長閑に見える東北の山村だが、奥羽越列藩同盟と西軍(官軍)の厳しい歴史があったことを知った。
今度は、夏に来たい。

村上市
写真:村上市からスタート。村上市内の「きっかわ」鮭のお店。
村上市
写真:村上市内
雷峠
写真:雷(いかづち)峠
十王峠、月山を望む
写真:十王峠から望む月山
田麦俣
写真:田麦俣

○走行日:2018年4月27日夜~5月3日(車中1泊+5泊6日)
○宿泊地:4/28新潟県村上市「扇屋旅館」、4/29山形県鶴岡市湯田川温泉「隼人旅館」、4/30山形県西川町志津温泉「柏屋旅館」、5/1山形県大蔵村肘折温泉「金生館」、5/2山形県大崎市鬼首温泉「大新館」
○使用自転車:TOEI700Cランドナー
○峠:雷峠(298m)、関川峠(275m)、一本木峠(256m)、大日坂(58m)、十王峠(485m)
※計画していたが、除雪してなくて通行止めで越えられなかった峠・・楠峠(298m)、塞ノ神峠(510m)、大越、十部一峠(869m)、花立峠(796m)
○行程:4/27夜 京都=(北陸道)=尼御前SA(車中泊)
4/28 尼御前SA8:30=(北陸道)=12:40村上「扇谷旅館」デポ。村上市内観光ポタリング。
4/29 扇屋旅館7:55~9:35笹川流れ(笹川)~11:03JR府屋駅~13:00雷~13:12雷峠~13:45関川峠(峠からは積雪のためトンネルに引き返す)~14:22一本木峠~15:40大日坂~15:50湯田川温泉「隼人旅館」
4/30 隼人旅館8:30~藤沢周平記念碑8:42~鶴岡城址・藤沢周平記念館9:55~11:45十王峠~11:57注蓮寺~12:51(塞ノ神峠目指すが積雪で引き返す)~13:35田麦俣(地元の人の軽トラに乗せてもらう=道路が除雪未開通で自動車専用道路のみ通行可能のため)=14:50月山沢~15:40志津温泉「柏屋」
5/1 柏屋8:00~8:54湯殿山神社~「月山の酒蔵資料館」10:11~10:45白岩小学校~11:00慈恩寺(昼食そば屋)12:04~12:27紅花資料館~13:52最上川・三ケ瀬橋~15:25大浦橋~16:14烏川大橋~17:30肘折温泉「金生館」
5/2 金生館7:50~(鍵金野開拓地)~9:35大蔵村役場~11:00JR長沢駅~11:40潮見温泉~13:00JR最上駅~14:00尿前・封人の家~14:40鳴子温泉~15:30鬼首温泉「大新館」
5/3 大新館7:48~8:58JR鳴子温泉駅(輪行)10:06=新庄=余目=13:18村上(デポ地・扇谷旅館カフェで昼食)扇屋旅館14:00=(北陸道)=22:25京都自宅

2018GW
写真:走ったルート(クリックで拡大)
開拓地の桜と雪
写真:銀山温泉の奥、開拓地の桜と雪
封人の家
写真:封人の家。松尾芭蕉「奥の細道」
鬼首温泉・大新館
写真:鬼首(おにこうべ)温泉。大新館。温泉も部屋も料理も、気持ちの良い宿。


諫早から雲仙、野母崎、外海の遠藤周作文学館(2020/3)2020/03/29

春のお彼岸、九州を走ることにした。
亡き母の本棚に戦後純文学の大ベストセラー、遠藤周作「沈黙」新潮社1966年初版、母のは1972年の36刷、があることを知っていたが、長らくそのままになっていたのを、先日読了した。
で、その舞台の長崎県西彼杵(にしそのぎ)半島の外海(そとめ)地区に行ってみようと思い立った次第。調べてみると、遠藤周作文学館もある。

それと、ちょうど諫早という街も見てみたい思いが生じ、諫早から雲仙、野母崎、長崎、外海と走ってきた。

岬めぐりやリアス式の海岸沿いは、浦(集落)毎にアップダウンがそこそこの規模で、距離の割には時間がかかるが、それも旅の味である。元来、隣の浦とは道路で直接つながってなくて、舟で行き来するか、道があったとしても徒歩用。近年になって、クルマが走れるように無理無理つくった道路を自転車で走るのだから仕方がない。

遠藤周作文学館
写真:遠藤周作文学館
外海(そとめ)、角力灘と教会のあるムラ
写真:外海(そとめ)、角力灘と教会のあるムラ
諫早眼鏡橋
写真:諫早の眼鏡橋
雲仙地獄
写真:雲仙地獄
写真:千々石の海岸を走る
写真:長崎半島南岸、集落毎にアップダウンを繰り返して走る。雲仙岳を望む
樺島(野母崎)灯台
写真:樺島(野母崎)灯台

○走行日:2020年3月19日~22日
○使用自転車:グランボア650Bランドナー
○峠:吹越(910m)
○行程:
3/19 京都=新幹線・長崎本線=諫早12:40~(市内観光)~本諫早駅13:40~14:40有喜町~15:40千々石~16:45田代原牧場~18:04吹越~18:45雲仙・民宿「雲仙」泊
3/20 雲仙9:00~9:40千々石~10:50有喜町~12:00船津~12:30田結(大門)昼食~13:22長崎総合科学大学高校~14:30茂木~15:05大崎町~15:38為石町~16:00大池~16:43風力発電ピーク~17:00脇岬町~17:17民宿「きらら」泊
3/21 泊地7:50~8:50樺島(野母崎)灯台・パンク修理9:42~10:27民宿「きらら」前~10:34野母漁港~11:00軍艦島資料館11:21~12:05蚊焼~12:35深堀町~平瀬町・昼食13:14~14:00大浦天主堂~14:20めがね橋~15:17平和記念像~15:38三菱球場前~16:00三菱重工長崎造船所~16:35福田本町~17:15式見町~17:53三重町・丸金旅館・泊
3/22 泊地7:55~8:40遠藤周作文学館9:35~10:05三重~10:22多比良の分岐~10:47滑石トンネル~11:00JR道ノ尾駅(輪行)11:34=長崎駅12:16=(かもめ20号)=14:15博多駅14:31=のぞみ166号=17:19京都駅17:32=17:50嵯峨嵐山駅~自宅

※ピンク線が走行ログ


HさんのTOEIランドナー(1991年製)2019/07/09


写真:HさんのTOEIランドナー

1991年6月、伊勢志摩で開催された「(取引先の)優秀店婦人招待旅行」に、当時「販売担当員」であった私も同行した。

帰路、敬愛する部長のHさんから「(奈良の)山の辺の道を自転車で走りたい。ついては自転車をつくりたいのだが」とお声がけ頂き、早速、京都・竹屋町の「スポーツサイクル ヤマネ」に直行した。

店主の山根徳太郎さんに対応していただき、確か1ヶ月ちょっとして、完成の知らせがあり、当時のマイカーであったファミリアワゴンに載せてHさんのご自宅までお届けした。

「(自宅から練習のため)亀岡方面に何度か走ったよ」、と声をかけていただいたりしたのだが、なんと非情なことに、Hさんは病気を発症され、自転車に乗れない身体になってしまわれた。不幸中の幸いで、療養後、仕事に復帰され、その後、衆目の一致するところで取締役に就任され、グループ会社の監査役等、様々な役職を歴任された。

そのHさんから先日、「自転車を引き取ってほしい」と連絡をいただき、ご自宅に伺った。
屋根裏収納庫に時が止まったかのように保存してあった自転車を、持ち帰ってから磨いた。

1991年にタイムスリップしたような、何の改造もされてないオリジナルの姿。
フランス部品が普通に使われていた最後の時代の構成で、ある意味貴重である。マニアがアッセンブルするのとは違った「用の美」があるともいえる。

私が所有するわけにもいかず、やはり若い人に使っていただくのがよかろうとHさんの同意もいただき、そうすることにした。クロモリフレームなので、28年経っても、何の劣化もなく、安心して使える。これから、どんどんいろんなところで愛用してもらえれば、本望だ。


サンプレックス ALPHA
写真:変速機は、サンプレックス(仏)のアルファ。デルリン製で白色。

写真:ダイナモも白色

マハック クリテリウム 黒
写真:ブレーキはマハック(仏)クリテリウム。黒色は珍しい。

TA
写真:チェーンホイールはTA(仏)シクロツーリスト 48×32。クランクはスギノPX。

スズエのハブ
写真:ハブは国産のスズエ。

栄のハンドル
写真:ハンドルはサカエ。


スポーツサイクル ヤマネ
写真:ヤマネのステッカー

写真:次のオーナー探しをアイズバイシクルにお願いした

                                      以上