2024北海道ツーリング9:五味温泉=浜頓別 ― 2025/01/08
◆Day16:6月29日(土)晴れ 五味温泉=サロマ湖=浜頓別
自転車走行:30km、自動車走行:270km
五味温泉8:00=9:52紋別=10:37湧別町体育館(デポ)~11:38サロマ湖~13:14デポ地=15:56北見神威岬=16:35浜頓別 とほ宿「としかの宿」(泊)
今回の旅のメーンイベントとして晴天下での利尻山登山をしたく、天気予報をみて日程調整。サロマ湖を経由して浜頓別に行って1日つぶすことにした。浜頓別はオホーツク海に面した北の街として、以前から興味があったので。
出発してしばらく走ると、かつての名寄本線上興部(かみおこっぺ)駅が鉄道資料館になっていたので、見学。
写真:上興部鉄道資料館
サロマ湖の西側の湧別にクルマをデポし、サロマ湖ポタリングに出かけた。
ちょうど、翌日が100kmウルトラマラソンで、ランナーが三々五々集まっていた。
写真:湧別町文化センター
サロマ湖の近くを自転車で走っていると、リヤカーを引く旅人あり。
現在74歳で、旅に出て6年、もうすぐ7年で日本中を回っているとのこと。北海道に入って3ヶ月だけど、北海道の道は、真っ直ぐが長くてしんどい。積丹も行きたかったけどトンネルが多いからやめた、とのこと。
食事は道端の食べられる草とか、自分で済ましている。農業をやっていたので知識はある。
毎日行水でさっぱりしている。水は公園とかトイレの。
寝るのは引いているリヤカーの中。
なかなか工夫されているキャンピングカー。
ちゃんと奥さんと子どももいるけど、奥さんからは、もう帰ってこなくていい(笑)とのこと。
なんだかもう止められないそう。
現在74歳で、旅に出て6年、もうすぐ7年で日本中を回っているとのこと。北海道に入って3ヶ月だけど、北海道の道は、真っ直ぐが長くてしんどい。積丹も行きたかったけどトンネルが多いからやめた、とのこと。
食事は道端の食べられる草とか、自分で済ましている。農業をやっていたので知識はある。
毎日行水でさっぱりしている。水は公園とかトイレの。
寝るのは引いているリヤカーの中。
なかなか工夫されているキャンピングカー。
ちゃんと奥さんと子どももいるけど、奥さんからは、もう帰ってこなくていい(笑)とのこと。
なんだかもう止められないそう。
写真:リヤカーの旅人
サロマ湖を形成する砂嘴が切れ落ちている先端、サロマ湖灯台があるところまで行ってみたかったのだが、途中で一般車は通行止めになっていた。
写真:サロマ湖、北西側からの通行止め地点
写真:通行止め付近から。左がオホーツク海。
そこは「竜宮台展望公園」の場所だったので、展望場所に登った。
写真:竜宮台展望公園
そこにはキャンプ場の管理も任されている老漁師がいて話しかけてきた。
「自転車か、どこから来た?」
「京都ですが、自動車に積んで来て、要所要所自転車です」
「北海道に何がある?」
その哲学的ともいえる問いかけに、言葉がうまく出なかった。
北海道には何があるのだろう?
写真:サロマ湖竜宮台から砂嘴先端方向
写真:竜宮台から反対側北西方向。右がオホーツク海。
デポ地に戻るべく出発してすぐに、サロマ湖を形成する砂州地帯の最果てに位置する「登栄床(とえとこ)」集落の開拓記念碑。
大正6年(1917年)にサロマ湖の牡蛎をとるために定住したのが開拓の始まり、とある。
平成8年(1996年)建立。webに地元の人による開拓誌がアップされており、内地にずっと暮らしてきた現代人の想像をはるかに超える営みが繰り広げられていたことがわかる。
写真:登栄床
写真:登栄床の開拓記念碑と神社
今ではホタテ養殖で財を成したと思われる漁家の家が建ち並ぶ
写真:サロマ湖
牡蛎かホタテかわからないが、何らかの漁をしている船が多数湖面に浮かんでいた。
写真:サロマ湖の漁船
デポ地に戻り、自転車をクルマに積み、オホーツク沿岸を北上。
ドライブとしてはハイライトになるルートだと思っていたが、強風の中、淡々と走るだけであった。唯一、休憩ポイントとなったのが、北見神威岬を望む場所。
写真:北見神威崎を望む。
浜頓別市街の外れ、クッチャロ湖近くのとほ宿「トシカの宿」に到着。
写真:としかの宿
*2024北海道ツーリング1:京都=黒埼=青森=木古内=銀婚湯
*2024北海道ツーリング2:銀婚湯=木古内~松前~江差
*2024北海道ツーリング3:江差~貝取澗~木古内
*2024北海道ツーリング4:木古内=小樽=名寄
*2024北海道ツーリング8:天塩川温泉=五味温泉2024北海道ツーリング10:浜頓別=羽幌 ― 2025/01/08
◆Day17:6月30日(日)晴れ 浜頓別=下川町「モレーナ」=朱鞠内「森salon」=羽幌
自転車走行:0km、自動車走行:294km
浜頓別ポタリング9:40=10:52丹波屋跡=12:16下川町「モレーナ」12:48=13:47朱鞠内「森salon」14:17=15:30三渓神社(熊害慰霊碑)=三毛別熊事件跡15:55=16:32羽幌
宿での朝食時、庭にエゾリスが来ているというので、観察。
写真:エゾリス
浜頓別、高校生の頃からなぜかこの町を見てみたいと思っていた。高校の授業で使っていた帝国書院の地図帳を眺めていて。
オホーツクに面する北の町。
宿のすぐ裏手がクッチャロ湖。湖は濁っていた。
写真:クッチャロ湖
浜頓別の市街。
写真:浜頓別
浜頓別には公衆浴場があった。
写真:浜頓別の公衆浴場
浜頓別市街起点のサイクリングロードがあったので走ってみたが、すぐに通行止めになった。
写真:北オホーツクサイクリングロード
浜頓別から道道275号線で下頓別、中頓別、上頓別を通過し、小頓別の「丹波屋旅館」跡。古くは駅逓として重要な役割を担った。国登録有形文化財。初代は丹波の人だったのだろうか。
写真:丹波屋旅館(跡)
北海道の地名というのはアイヌ語起源か、開拓者の出身地由来か、「共和」とか「親和」のような開拓地らしいものが多い。地名は違っても、同じような生業ならば家屋も同じようで同じような景観が広がっている。
緩やかなのであまり意識することなく(特に自動車であるし)、天北峠を越えて音威子府村へ。数日前に走った道を再度走って(懐かしく感じる)、再び名寄を通過し、上川町の「モレーナ」というレストランへ。
なぜ、そこを目指したかというと、「吉里吉里」「五味温泉」「トシカの家」にも『昭和放浪記』『平成放浪記』『日本放浪記』の3冊シリーズ本が置いてあり、なかなか面白い内容なので、購入しようと思ったが、amazonでは扱っていない。
筆者である栗岩英彦氏は放浪終了後、上川町でレストラン「モレーナ」を開業されているので、そこへ行って直接本を購入しようと思った次第。
写真:レストラン「モレーナ」
カレーは大層美味しかった。栗岩さんの話を聞きたかったが、自動車で乗りつけているのが恥ずかしくて、遠慮した。自転車で来ていれば、いろいろ話せたと思うのだが。
3冊のシリーズ本をサイン入りで購入。
「モレーナ」の畑は無農薬、不耕起栽培。
「モレーナ」を出発して、今度は先日訪問した朱鞠内の「森salon」を目指した。
「森salon」でコーヒーとケーキ。家から近ければ都度立ち寄りたいが、朱鞠内とあっては叶わない。
写真:朱鞠内の「森salon」
朱鞠内からは先日自転車で越えた霧立峠を自動車であっけなく越え、苫前。
自転車では時間的に行けなかった、「三毛別(さんけべつ)羆事件」復元地へ。
自転車では時間的に行けなかった、「三毛別(さんけべつ)羆事件」復元地へ。
吉村昭『羆嵐』でも有名なこの事件は大正4年(1915年)、北海道苫前郡苫前村三毛別六線沢 (現在の苫前町三渓)で冬眠できなかった羆が開拓部落の7人を食い殺し3人に重傷を負わせた事件。通信手段も交通手段も乏しい当時、2日に渡って惨劇が繰り広げられ、軍隊も出動したが老猟師によって撃ち落とされた。
写真:事件現場の手前の集落にある三渓神社(さんけいじんじゃ)
神社には事件の慰霊碑があり、体験者による壮絶な一文が刻まれている。
写真:熊害慰霊碑
現場の三毛別六線沢部落跡は更に奥にある。かつては小学校の分教場もあったという開拓部落は森に還っている。
写真:三毛別羆事件の碑
写真:説明板
復元された開拓農家の建物。ヒグマの一撃にはひとたまりも無い。
写真:三毛別羆事件復元農家
写真:農家の内部
この建物は小屋や納屋ではなく、居住の母屋。開拓生活の最初の住居は三毛別に限らず、どうもこのようなものが少なくなかったようだ。冬は雪が吹き込み、ワラ束に包まって寝る、など。さすがにこのような家を知る方は存命しないだろうが、昭和の時代には記憶に残っていたのだろう。
現場を跡にし、苫前から羽幌の「吉里吉里」へ。
大きなサイドカー付きのオートバイが留まっていた。
大きなサイドカー付きのオートバイが留まっていた。
写真:とほ宿「吉里吉里」にて
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