Google

WWW を検索
このサイト(自転車と山の日々)内を検索

2024北海道ツーリング5:名寄~羽幌2024/12/29

Day12:6月25日(火)曇り 名寄~羽幌
 自転車走行:114km、自動車走行:0

名寄8:12~10:44朱鞠内湖~11:29朱鞠内「森salon」12:06~13:31霧立峠~15:23苫前~16:20羽幌 とほ宿「吉里吉里」(泊)

名寄にクルマをデポさせてもらい、3泊4日の自転車ツーリングへ。
コースを勘案するのに昼ご飯を食べられるお店は期待できないと考え、名寄のコンビニでパンなどを調達。

名寄駅、趣のある建築。
名寄駅
 写真:名寄駅

霧立峠を目指して西へ走る。
「名寄地区和人開拓黎明の地」の開拓記念碑があった。
明治33年、山形県から入植した開拓団によってこの地区が拓かれた。右に写るニレの樹が一面生い茂る中、今の耕地を拓いたとある。
名寄開拓記念碑
 写真:名寄開拓記念碑と開拓記念保護樹林
名寄開拓
 写真:名寄開拓の説明

山形からの開拓団なので、神社も「山形神社」。
前日訪問した新十津川神社は十津川郷士による開拓なので新十津川という地名になり、神社も新十津川神社。
山形神社
 写真:名寄開拓黎明の地にある山形神社

開拓地の神社というのは、その人たちにとってものすごく思い入れのある存在だったと想像する。厳しい開拓生活の中で、神社をつくり、祈る。
手の込んだ彫り物などの造作物はなく、外形的に極めてシンプルなことが心をうつ。
道南の茂辺地の神社も、そんな感じだった。アイヌの立場はともかく。
茂辺地市ノ渡の神社
 写真:茂辺地市丿渡の神社(6月14日)

開拓地には神社あり。
開拓碑と神社
 写真:西風連神社と開拓記念碑

周囲の景観。入植時には耕地が全くなく、森林原野だったとは想像し難い。
 写真:名寄郊外

弥生地区、開拓記念碑。記念碑をつくるまで至らず、離農した場所も多いだろう。
弥生開拓80年記念碑
 写真:「弥生八十年開拓記念碑」昭和58年建立。

小学校は廃校になっている。
弥生小学校跡
 写真:弥生小学校跡の碑

天塩山地へと緩い坂を登っていき、幌加内町との境に着いた。日本で一番気温が低下するエリアのひとつ。
 写真:道道729号 朱鞠内風連線

朱鞠内湖。釣り人が羆に食べられた事件が起こったのは、記憶に新しい。戦時中に作られた人造湖。
朱鞠内湖

1995年に廃止された深川と名寄を結ぶ深名線にあった朱鞠内駅跡
朱鞠内駅跡
 写真:朱鞠内駅跡

人煙まれなエリアだが、Googleマップに飲食店のマークがあったのでそこを目指した。
砂漠におけるオアシスのような存在(たぶん)。
その名は「森salon」。朱鞠内のメーンストリートにある。
森salon
 写真:「森salon」
森salon
 写真:「森salon」の玄関

外観は普通の(北海道での)民家だが、内部に入ると尋常になく心地よい空間が広がる。
料理も、飲食店がそこかしこにあるどんなエリアにあったとしても、断然人気店になれると確信できる美味しさの品を提供されている。
2024年の5月にオープンしたばかり。内地から移住された方が「雪のある暮らしをしたくて」とのこと。単なる飲食店ではなく地元の「salon」的存在となるようにと考えられた店名だろう。
森salon
 写真:「森salon」の内部
 
「森salon」は朱鞠内のメーンストリートに面している。
 写真:朱鞠内中心部

朱鞠内から霧立峠へ向かう途中にあるバス停。冬期にも耐えられるつくりか。
  写真:朱鞠内近くのバス停「共栄」
 写真:「共栄」バス停

勾配はたいしたことなく、天塩山地から日本海側に抜ける「霧立峠」387mに着いた。
霧立峠
 写真:霧立峠
霧立峠
 写真:霧立峠

長いダウンヒルを経て、苫前。
 写真:苫前、三毛別熊事件復元現場との分岐

苫前からは海岸沿いに北上。
苫前橋より古丹別川河口
 写真:苫前橋より日本海の河口を望む
国道232号線
 写真:苫前から羽幌への国道

羽幌、宿泊する とほ宿「吉里吉里」に到着
吉里吉里
 写真:北海道限定サッポロクラシックビール


おしまい

2024北海道ツーリング4:木古内=小樽=名寄2024/12/28

Day10:6月23日(日)曇り 木古内=小樽
 自転車走行:0、自動車走行:383km

木古内7:14=7:32新吉堀トンネル=8:03江差=9:21貝取澗=10:22せたな=12:40岩内=13:30神威岬14:57=16:23小樽 越中屋旅館(泊)

延べ3泊したクラッセイン木古内を出発。大浴場もあって快適なビジネスホテルだった。
クラッセイン木古内
 写真:クラッセイン木古内

実は木古内は、明治期には酪農の先進地だったと昨日の郷土資料館で学んだ。
なぜかというと、トラピスト修道院が近くにできたこと。修道院でバターを造るための牛乳が必要となり、酪農が存立可能になった。トラピストバターやクッキーは単なる観光物産品ではないのだ。

木古内の牧場家屋
 写真:木古内近郊の酪農の建物

本当はずっと海岸沿いに自転車で積丹半島を走りたかったのだが、地形図アプリをみると、ものすごい長大トンネルだらけになっている。落盤事故もあったりして改良された道路はすべからく長大トンネル。迂回ルートは無い。なので、クルマで行くことにした。

 写真:北檜山区鵜泊

原発の放射性廃棄物最終処分で名前を聞く行政区をひた走る。

ニシン漁華やかりし頃の遺構が残る海岸線をゆく。
漁業建築 佐藤家
 写真:寿都町、佐藤家漁業建築ー明治10~20年築

神威岬が見えてきた。
 写真:神威岬の遠望

神威岬に到着。レストハウスで「ざるそばミニウニ丼」3,260円。
神威岬 ざるそばミニウニ丼
 写真:「ざるそばミニウニ丼」

神威岬駐車場
 写真:神威岬駐車場と走ってきた道

神威岬
 写真:神威岬
神威岬灯台
 写真:神威岬灯台

小樽に着いた。

380km走ったが、感覚的には、もっと短い。大した疲れもない。
北海道の道は空いていて、ストレス少なく淡々と走れるので。
道が空いていると気分もゆったり、法定速度前後で走った。ログをみると、最高速度が70km。
地元のクルマはもっと飛ばしているかと思っていたけど、そんなことはない。時々、後に着かれたら、安全なところで左ウィンカーを出して減速すると、紳士的に追い抜いていく。
ただ1度だけ、長大トンネルでウィンカーも出さずに無灯火の軽自動車が追い抜いていった。何処にでも危ない奴は居る。

その名の通り、先祖は富山から来た人が経営している旅館に泊まる。創業明治10年。
越中屋旅館
 写真:越中屋旅館

旧日銀小樽支店
 写真:旧 日本銀行小樽支店

夕食は提供されない旅館なので、宿のご主人に伺って寿司を食べに行った。
ご主人は「寿司は高いし・・・」とあまりお勧めでなかったが、「観光客向けでなく地元の方が使われる古くからあるよい店はありませんか」と言って紹介してもらった店。
 写真:小樽の寿司屋
 写真:小樽の寿司 7,645円(別途、日本酒代含む)

美味しかったが、その値段を出せば大阪や他の場所でも食べられると思った。
食事に贅沢をした1日であった。


Day11:6月24日(月)雨 小樽=名寄
      自転車走行:0、自動車走行:303km
小樽8:21=8:34旭展望台=10:11石狩灯台=12:40青山トンネル=12:50幌加小学校跡=13:44十津川神社=14:22新十津川物語記念館14:56=17:02名寄 二条旅館(泊)

宿を出て、小樽商科大学へ。実は、私は共通一次試験の点数だけで二次試験がない二次募集枠で小樽商科大学に合格していた。当時、滋賀大学経済学部と小樽商科大学の2校だけが、そういう入試を実施していた。卒業した高校が、地方の公立高校にありがちな、とにかく国公立大学への合格者数を重んじる感じだったし、なんというか記念にという気持ちで出願した。京都の下宿の大家さんからは「あんた、私大の文学部に行くよりは、小樽高商、伊藤整も出た小樽に行ったほうがいいのに、、」と言われたが、全く迷いは無かった。両親は何も言わなかった。小樽商科大学に進学してたら、どんな人生になっていたのだろう。というわけで、これまで他人にそんなことを話したこともなかったが、訪問してみたかったのだ。
小樽商科大学
小樽商科大学案内
 写真:小樽商科大学

そのまま丘をあがると公園になっていて小林多喜二の文学碑と小樽市街を眺めた。
小林多喜二の碑
 写真:小林多喜二の文学碑

小樽市街
 写真:小雨に煙る小樽市街

そんなことより、いよいよその日は、石狩灯台と「新十津川物語」の舞台である新十津川町を訪ねる日。
石狩灯台は「喜びも悲しみも幾年月」という灯台守の生活を描いた昔の日本映画に登場する。病人のため雪嵐の中、馬橇で駈けるシーンが印象的。

地図でみると札幌の郊外で、道東や道北と比べると断然都会近郊じゃないか、と思っていたが、リアルに訪れてみると、とてつもない辺境感に今でも満ちていた。荒涼としていて寂し過ぎた。
石狩灯台
 写真:石狩灯台

「新十津川物語」というのは偕成社の全10巻の大河創作文学。全てルビがふってあって小学生でも読めるが大人が読んでも十分読み応えがある。明治の十津川の大水害で北海道移住を余儀なくされた少女フキの波乱の人生を通じて北海道農民の体験した開拓の歴史が描かれている。私は1987年に全巻完結した際の新聞広告を目にして、何かインスピレーションを感じて、思わず広告に記載されていた版元に直接電話をかけて注文した。「関係者の方ですか」と電話口で聞かれたのを覚えている。十津川との関係は親類縁者とも全くないが、何年も後になってから自転車ツーリングや沢登りで十津川を訪れるようになった。

雨がそぼ降る中、新十津川物語記念館を訪れた。作者の川村たかし氏は奈良県五条高校や梅花女子大学で先生をしていた方で、国際アンデルセン賞や野間児童文学賞も受賞している。
新十津川物語記念館
 写真:新十津川物語記念館

小説に登場する箇所の一部を回った。
幌加小学校跡
幌加小学校校歌碑
 写真:幌加小学校跡

吉野小学校跡
 写真:吉野小学校跡

ピンネ農協吉野跡
 写真:ピンネ農協吉野 跡

農協倉庫
 写真:農協倉庫

コタンの碑もあった
コタン碑
 写真:中空知コタン跡地入口の碑



 開拓農家毎に、それぞれの歴史があるのだろう。農家の一例。
 写真:新十津川
新十津川
 写真:新十津川

小説では、大変な難所として描かれている里見峠
里見峠
 写真:里見峠

新十津川神社は立派だった。代々の住民の思いが籠もっているように感じられた。
新十津川神社
 写真:新十津川神社

新十津川を後にし、道央自動車道で名寄へ向かった。


おしまい

2024北海道ツーリング3:江差~貝取澗~木古内2024/12/27

◆Day8:6月21日(金)晴れ 江差~せたな町貝取澗
 自転車走行:90km、自動車走行:0、太田山神社登山

江差7:52~11:47貝取澗~13:20太田山神社15:00~16:00貝取澗(かいとりま)あわび山荘(泊)

江差を出発して海岸線を北上。
 写真:乙部町豊浜漁港

コンクリートブロックで作られた住居があった。内装をしっかりすれば北海道の寒さでも大丈夫なのだろうか。私と同世代の方が公務員で北海道に赴任した際、官舎がこれと同じだったとのこと。
 写真:コンクリートブロック住宅

しばらく走り、八雲町とせたな町の境の関内川に架かる関内橋に到着した。
かつては和人地と蝦夷地の境とされ、和人の北限はここまでだった。
橋を渡ると蝦夷地。
関内橋
 写真:関内橋

奇岩「親子熊岩」。熊も懸命に生きている。熊への暖かい眼差しを感じた。
親子熊岩
親子熊岩
 写真:親子熊岩
 
この日のメーンイベントとなる太田山神社に到着。”日本で一番危険な神社”と巷間いわれているらしい。
私は、吉永小百合主演「北の桜守」という映画に登場するシーンをみて、是非とも行きたいと思い、今回の計画となった。

太田山神社
 写真:太田山神社の上り口

太田山神社
 写真:階段を登ったところからの海

太田山神社
 写真:梯子状の箇所

下の鳥居からちょうど30分で本殿直下の鎖のある広場へ出た

 写真:梯子状を過ぎたところの鎖場

写真:本殿への最後の乗っ越し

太田山神社本殿
 写真:太田山神社本殿


全部で1時間15分かかり、元の道をもどって、宿泊の「あわび山荘」の温泉でほっこりした。
あわび山荘
 写真:あわび山荘


Day9:6月22日(土)曇り せたな町貝取澗~木古内
      自転車走行:103km、自動車走行:0
貝取澗8:33〜11:30江差13:05〜14:52新吉堀トンネル〜15:25木古内郷土資料館16:15〜16:22クラッセイン木古内(泊)

クルマをデポしている木古内に戻る。往路の海岸線でなく、江差線も敷設されていたルートならば、標高200mに満たない峠(トンネル)を越えて、木古内は近い。

宿のある貝取澗という地名が印象的。貝を取る漁村のような特徴的な景観が広がっているのかと想像が膨らんだが、下の写真のような、まあ、今の北海道にはよくある住宅が建っている景観であった。
貝取澗
 写真:貝取澗

円空上人滞洞跡の碑があった。円空上人は寛文7年(1667年)この地の洞で作仏修業をしたとあった。道南の蝦夷地には古くから和人が渡っていたことがわかる。

円空
 写真:円空上人滞洞跡

時間的に余裕もあり、江差市街地を見学。

北海道新聞江差支局
 写真:北海道新聞江差支局

元の酒屋さんが喫茶店になっており、久々にコーヒーとチーズケーキで一休みした。なかなか趣があり品の良い素敵な店内。江差に住まうご主人と奥様は、本州には旅行に行くが、北海道の奥の方には行ったことがないと話された。

 写真:茶房 せき川

隣にある旧中村家住宅を見学。北前船と鰊漁で財を成した中村家。その後江差からは転出されたとのこと。
旧中村家住宅
 写真:旧中村家住宅

北海道らしい書が掛けられていた。
 写真:旧中村家住宅の床の間

家屋の裏側は昔は海に繋がっていた。今は埋め立てられて国道が通っている。

 写真:旧中村家住宅の裏手。船を付けて荷物を入れられる。

75坪で243万円。
 写真:江差の不動産

江差駅在りし日のモニュメント。
北海道新幹線開通に伴って廃線になった江差線。
駅の敷地は、町営住宅になっていて、このモニュメントだけが、ポツンとある。
江差駅跡は、町営住宅になっていた。
江差駅跡
 写真:江差駅跡

江差市街を出て、山越えで木古内へ向かう。
江差線の橋梁跡。
 写真:江差線橋梁

だんだん峠が近づき、津軽橋という橋を渡る。津軽からの開拓者がいたのだろうか。今は周囲に人家の気配は感じられなかった。道路の横と上に積雪時に道路の位置を示すものがあり、冬期の状況を想像する助けになる。
津軽橋
 写真:津軽橋

トンネルを抜けると木古内町。
新吉堀トンネル
 写真:新吉堀トンネル、上ノ国町と木古内町の境

木古内町側にも江差線の遺構があった。
江差線跡
 写真:江差線の橋梁跡

木古内市街が近づいたところで、廃校になった学校を利用した木古内郷土資料館があった。館内の展示物に手入れがゆきとどき、時代を経た展示物も生き生きしていた。
展示企画もよく練られていて、この種のものでは秀逸な存在だと感じた。木古内町の開拓の歴史、町の歩みもよく理解できた。この施設に立ち寄ることをお勧めしたい。
木古内郷土資料館
 写真:木古内郷土資料館
 写真:木古内郷土資料館の展示例


おしまい

2024北海道ツーリング2:銀婚湯=木古内~松前~江差2024/12/25

Day5:6月18日(火)晴れ 銀婚湯=木古内
 自転車走行:15km、自動車走行:206km

銀婚湯8:54=11:47椴法華(とどほっけ)支所・クルマデポ~12:18恵山岬~13:50デポ地=恵山=16:44木古内 「クラッセイン木古内」泊

銀婚湯からクルマを椴法華にデポして恵山岬ポタリング。帰路、恵山岬には岬一周道路がないので、そのドンツキ、終点のところを見てから木古内に戻った。
丹後半島なども以前は半島周回道路はなく、そもそも船で移動する時代には半島一周道路整備の優先度は低かったのであろう。

北海道駒ヶ岳
 写真:北海道駒ヶ岳
途中、北海道駒ヶ岳が姿を現した。火山爆発でかつての山頂部分が吹き飛んだ山体が不安定に屹立していて、正直、気持ち悪かった。この写真の角度からは、そうでもないが尖っているほうが大きく見える場所からは。

恵山岬
 写真:恵山岬

誠に気持ちの良い場所であった。近くには海水面の温泉がある。

  写真:水無海浜温泉

恵山
 写真:恵山
標高617mだが、まるで北アルプスに来ているような景観が広がっていた

 写真:道路の行き止まり
恵山のある半島の行き止まりまで行ってみた。将来、半島一周道路が開通する見込みはあるのだろうか


Day6:6月19日(水)晴れ 木古内~松前
 自転車走行:82km、自動車走行: 0

木古内8:32~矢越海岸~15:50白神岬~16:28松前 「温泉旅館 矢野」泊

木古内から松前へ。まっすぐ行くと距離が短いので、天気も良いし、矢越海岸という行き止まりの海岸沿いをピストンした。青函トンネル記念館もじっくり見学。

 写真:矢越海岸
 写真:矢越海岸
行き止まりのところまで。どうして先端に行きたがるのだろう

青函トンネル記念館
 写真:青函トンネル記念館

白神岬
 写真:白神岬
北海道最南端地点。白神岬は襟裳岬よりも南になる。本州最北端の大間崎よりも緯度は低い。対岸には岩木山が見える。

 写真:夕陽をうけながら松前を目指す

 写真:松前:温泉旅館「矢野」

◆Day7:6月20日(木)晴れ 松前~江差
 自転車走行78km、自動車走行 0

松前(城下見学)9:07~14:42上ノ国夷王山~16:05江差 「港旅館」泊

松前から江差へ。松前と江差は隣町であって容易に行き来できる関係かと思っていたが、陸路ではどうもそうではなかったようだ。鉄道の時代(廃線になって久しいが)、松前は函館と江差を結ぶ江差線の木古内駅から分岐する松前線の終着駅で、松前から江差に行く場合は、松前→木古内→江差という経路になる。

もちろん、直接両者を結ぶ道路は存在していたのだが、バイパス的に改良される前は、山が海に迫って断崖絶壁が連続する海岸線を縫うように走り、季節風が吹き付ける細道であったわけで、積極的に行き来したくはないルートだったと推測する。
自転車で今回走るのにも、隣の集落まで30km以上離れていたりして、天気が良かったから良いものの、荒天であったりしたら大変なことだったと思う。

松前の宿を出て、まずは松前城を見学。松前藩というのはアイヌとの略奪的な交易の下に成り立っていた藩であり、ありがたがって偲ぶような存在ではないと思うのだが、散策した。
松前城
 写真:松前城(建物はつくりもの)
桜の季節には見事だろう。

 写真:松前神社
城内にあるだけあって、開拓地の神社とは趣が異なる。

 写真:法憧寺(ほうどうじ)。立派な山門があった。

光善寺
 写真:光善寺

光善寺
 写真:光善寺

松前から北上し、江差目指してひたすら海岸線を走る。
時々、集落が現れる。
旧道があるところは旧道を走る。

 写真:「館浜」付近。

 写真:原口市街へ

「市街」とあるので、どんな町に出るのかと思って海岸沿いの旧道へ下ってみた。

原口
 写真:原口市街
このあたりでは比較的大きな集落であったが廃屋が目立つ。バイパスというか、改良された道路は集落の上を走っている。
 写真:原口市街の上を走る道路

改良された道路に戻り、ひた走る。

 写真:灯台が見えてきた

日方泊灯台
 写真:日方岬灯台

松前町と上ノ国町の境に「北海道和人文化発祥の地」の看板があった。
 写真:町界の看板

上ノ国は北海道で最も早い時期に和人が定住した地であるとされる。
町を見下ろす夷王山には、ここは和人地だと睥睨するかのように鳥居が屹立していた。

 写真:夷王山の鳥居

 写真:夷王山から眺める上ノ国の町並み

鎌倉時代以降、蝦夷地を支配しようとする和人の根拠地として「館」が築かれたが、そのひとつである洲崎館跡。和人地の象徴的存在として鳥居が用いられることが多い。

洲崎館跡



2024北海道ツーリング1:京都=黒埼PA=青森=木古内=銀婚湯2024/12/25

サロマ湖
 写真:サロマ湖

「北海道に何がある?」
サロマ湖の展望台で、キャンプ場の管理もしているという地元の老漁師が話しかけてきた。

その哲学的ともいえる問いかけに、うまく言葉が出なかった。

北海道に無いものについては、すぐに気付いた。明治以前の歴史的建造物、古を感じさせる神社仏閣、重厚な民家、箱庭のように隅々まで手入れされた農村景観などなど。

川村たかし「新十津川物語」、開高健「ロビンソンの末裔」、三浦綾子「泥流地帯」、坂本直行「山・原野・牧場ーーある牧場の生活」、佐藤泰志「海炭市叙景」といった小説や池澤夏樹のエッセーを読むことで、北海道や「開拓」についてのある種のイメージは得たが、申し訳ないことに、北海道について、自分として何も具体像が定まらないまま旅を終えてしまった。

自転車で走っていると、耕作放棄地や廃屋、廃校、鉄道の廃線跡、人間の痕跡が失われて自然に呑み込まれていく景色が否応なく目に入ってしまう。日本の広範なルーラルエリアも同じとはいえ。でも、それをもって北海道の記憶とすることにはしたくない。

北海道には何があるのだろう?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2024年6月14日(金)~7月9日(火)の26日間。
自転車走行875km、自動車走行5,634km、利尻山登頂。
宿泊:ビジネスホテル5泊、温泉旅館6泊、旅館/民宿4泊、とほ宿6泊、
   テント2泊、車中2泊
                  

 北海道への青森往復クルマ移動のgpsログ(スーパー地形)クリックして拡大

 北海道内クルマ移動gpsログ(スーパー地形)クリックして拡大

 北海道内自転車走行ログ(スーパー地形)クリックして拡大


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◆ Day1:6月14日(金)晴れ 京都=北陸道黒埼PA
 自転車走行:0、自動車走行:526km

京都自宅10:30=(敦賀から北陸道)=20:30黒埼PA [車中泊]

北海道へはクルマで行くことにした。東北を通って、津軽海峡を渡り、北海道への距離感を感じたかったので。

今回は計画をきっちり固めず、テント泊装備も持参。天気の良い日に太田山神社と利尻山に登るのと、雨中自転車走行はなるべく避ける、というのが基本方針。

自転車は完成したてのグランボアER700Cランドナー、セパレートパニアバッグ仕様。

北海道は広いので、クルマをデポしたところから数泊の自転車ツーリングを実施し、広域移動はクルマでという計画。

写真:今回の荷物、利尻山登山用のザックも

写真:黒埼PAで車中泊、静かで快適に眠れた


Day2:6月15日(土)曇り   北陸道黒埼PA=青森市
 自転車走行:0 、自動車走行:496km

黒埼PA6:05=15:08青森 「ホテル2135」泊

車中泊して東北の日本海側の高速道路(自動車専用道)をひた走る。一般道区間はわずかだったので、地域性などあまり感じることはできなかったが、秋田県内の高速道路がものすごく空いていて、今思い返すのに北海道以上にガラガラだったのが印象的。

秋田県内は暑かったが、県境のトンネルを抜けて青森県に入ると、クルマの車外温度計が10度近く下がったのには驚いた。

青森市内のガソリンスタンドで給油。京都から無給油で走れた。走行1,015kmでメーターの燃費表示は18.9km/L.。12年落ちの1800ccガソリン4気筒車で、省エネ走りは意識していない。残りガソリンは8Lで走行可能距離は55kmとメーターにはあった。街中だとリッター7km程なので、間違ってはないだろう。

今回、出発時、ベートーヴェンのピアノソナタを1番から順にかけて運転した。
全32曲あるが、青森には私の大好きな30番のところで到着した。

青森市内のビジネスホテルに宿泊。青森市は漁村がそのまま大きくなったような街という印象。

去年、弘前の古書店で教えてもらった青森の古書店が近くにあったので、北海道と青森に関する地元出版物古書を数冊入手。



Day3:6月16日(日)小雨 青森市=木古内
 自転車走行:0、フェリー、自動車走行:67km

青森港8:10=(青函フェリー)=12:10函館港=17:20木古内「クラッセイン木古内」泊

小雨の中、函館山や五稜郭など函館市内観光。サンフランシスコみたいな街(1回しか行ったことないが)かと思っていたが、天気が悪いこともあってか、全然違う印象だった。

北海道新幹線の駅のある木古内のビジネスホテル泊。クルマをデポさせてもらい、明日から自転車ツーリング予定。

函館
 写真:函館山より

Day4:6月17日(月)晴れ  木古内=銀婚湯
 自転車走行:69km、自動車走行:95km

木古内7:35~道道29号通行止め引き返す~12:42木古内13:22=14:50銀婚湯温泉(泊)

木古内から山間部、峠越えで銀婚湯温泉に向かう予定であったが、通行止め。管理者に自転車なら通れないか電話して聞いてみたが、「何ヶ所壊れているかわからないし羆も出る」と言われて断念。最近道路が崩壊したのではなく、もう何年も放っておかれているみたいだ。トラピスト修道院を見学。

銀婚湯温泉は川本三郎「日本すみずみ紀行」で絶賛されているのを読んで、ちょっと値段は高いが行きたくなった。誠に良い温泉で感じの良い宿であったが、北海道新幹線のトンネル工事のダンプカーが前の細い道路をけっこうな頻度で走っており、騒音と振動が伝わるのが残念であった。

トラピスト修道院
 写真:トラピスト修道院
 写真:通行止めの道道
 写真:通行止めゲート、とても寂しいところだった

銀婚湯
 写真:銀婚湯(日本秘湯を守る会)

銀婚湯
 写真:銀婚湯

京都北山・祖父谷峠をゆく(MTB)2024/11/19

京都北山・祖父谷峠の語源は、小野素風(惟喬親王に侍)の素風からきていると道中の石碑にあったが、京都に都が移る前から若狭から丹波を経て京へと結ぶ古くからの峠とされている。雲ヶ畑と京北町井戸を結ぶ峠で、若狭から御所への最短ルート上にある。

周山から山国への道路には、下の写真の通り「祖父谷峠通行不能」の標識がかつては存在していた。府道として計画されていたのだろうが、ずっと山道のまま残されている。

今春、たまたまロードレーサーで走っていたら、ちょうどその標識を撤去する現場に出会った。

祖父谷峠標識
 写真:2024年4月まで存在した標識
祖父谷峠
 写真:ちょうど撤去現場に遭遇した(2024年4月)

ハイキングでは何度か祖父谷峠を通過しているが、雲ヶ畑から井戸まで峠をコンプリートしたことはないのでMTBでゆくことにした。

京都市内、賀茂川沿いに上がると、雲ヶ畑に着く。御所の上流にあることから、水を汚さないようにと先祖代々生きてきた人たちが暮らす地区。

以前、賀茂川にダム計画が生じ、広範な市民の反対で計画は中止になったが、ダム建設予定地(雲ヶ畑の下流)付近の土地利用が乱れ、残土や産廃の埋め立て地が出現、菊の御紋ステッカーを貼ったダンプやトラックが行き来するようになった。
北陸新幹線のトンネル工事計画といい、日本国の美を破壊するのが、「保守」を名乗る人やその取り巻きというのが解せない。

雲ヶ畑の惟喬神社。惟喬親王を偲ぶ地は北山にも広範に存在する。神社だけでなく、惟喬親王から杜若(かきつばた)を育てるように仰せつかって、杜若を名乗り地名にもなっている場所とか。
惟喬神社
 写真:雲ヶ畑の惟喬神社

雲ヶ畑からの林道を進み、ゲートから先はダート。

しばらく走ると林道から別れてシングルトラックになり、祖父谷峠を目指す。
写真:祖父谷峠へ。桟敷ヶ岳との分岐。

若干、押しと担ぎになるが、たいしたことなく祖父谷峠に到着
祖父谷峠
 写真:祖父谷峠

峠を少し降ると、首を切られたお地蔵さんがあった。寛政八年。明治政府による廃仏毀釈の犠牲かもしれない。
祖父谷峠の地蔵

京北町井戸へと降る。
 写真:祖父谷峠、井戸へ。

林道に出て、やれやれ。
 写真:林道に出た

普段見たこともない大型特殊車両に出会った。
 写真:日吉町森林組合の作業車

走ってきたシングルトラックも府道61号ということか。
 写真:井戸に降りてからの標識

なるべく旧道や集落の中の道を走る。
 写真:可愛らしい茅葺きの納屋

上桂川の沈下橋を渡って、土手を走る。
上桂川の沈下橋
 写真:上桂川の沈下橋

時代祭の先頭を飾る山国隊改め維新勤王山国隊の山国神社。丹波国山国郷の山国隊は因幡国鳥取藩に付属し、官軍に属し戊辰戦争に出兵した農兵隊。
山国神社
 写真:山国神社

上桂川沿いにはダートの道が続いていた。
 写真:上桂川沿い

周山街道に出て、いつものように栗尾峠の旧道(トンネルができたので自転車と歩行者用道路になっている)を走り、川端康成「古都」の舞台である中川を通過。

京都市北区中川
 写真:中川、北山杉の碑。
中川
 写真:中川の集落
京都市北区中川
写真:中川の「北山銘木協同組合」の建物

高雄からは御経坂の旧道を久しぶりに走った。
御経坂旧道
 写真:御経坂の旧道

御経坂を下って長刀坂へ。
長刀坂の道
 写真:長刀坂

長刀坂を下ると、広沢池に出る。夕暮れの愛宕山を眺めて、家路へ。
広沢池
 写真:広沢池
 
 ◎走行日:2024年11月6日
 ◎使用自転車:コメンサルMTB
 ◎峠:祖父谷峠、栗尾峠、笠峠(トンネル)、御経坂峠
   ◎行程:自宅9:15~9:48北大路大宮~10:11柊野~10:40雲ヶ畑~11:20雲ヶ畑(洛雲荘前)~12:27祖父谷峠~13:33井戸~14:16周山~14:40栗尾峠~15:15中川~15:40御経坂峠~16:02広沢池~16:20自宅

”四国一周サイクリング”にエントリーして東半分(後編)2024/09/11


・Day3:11月3日(金)観音寺〜志度 95km
 *走行ログ(クリックして拡大)

観音寺のホテルを出て、加嶺峠、宅間を経て”四国一周サイクリング”のスタンプポイントのひとつである「ふれあいパークみの」道の駅へ。
地元のライオンズクラブが韓国のライオンズクラブと姉妹クラブになった記念碑があり、その縁でかどうかは知らないが、韓国ナンバーの大きなキャンピングカーが止まっていた。

気持ちの良いダウンヒルを経て、海に出るとなにやら海の中に神社があった。
津嶋神社
津嶋神社という。この鳥居のあるところは遥拝所。
津嶋神社
本殿は海の中にあり、年に2日だけ渡れるそう。普段は遥拝所から拝む。橋の床板は外してある。
津嶋神社
すぐ近くにJR予讃線「津島ノ宮駅」がある。1年に2日だけ、8月の大祭の日に列車が停車するという駅。普通列車が通過するので不思議に思い、地元の人に聞いたところ、そのことが判った。
JR津島ノ宮駅

旧道を走り続ける

五色台の海沿いを走る。

高松市内を通過。東西に長い街並み。こんなことでもなければ走り抜けることはなかっただろう。起点や終点になることはあっても。

本日の宿泊地、志度の「たいや旅館」に到着。平賀源内の出生地で、なかなか渋い町。
たいや旅館

・Day4:11月4日(土)志度〜阿南 101km
 *走行ログ(クリックして拡大)

宿を出てすぐ、四国霊場八十六番札所補陀洛山志度寺に参った。
志度寺

海沿いに与治山の北側を走った。

与治山からの小さなダウンヒルを経て安戸池。

池と海が一体になったような安戸池。ラグーンで、小さな小さなサロマ湖のようなものか。

引田の町へ入る。かつて醤油と酒造で財を成した商家の建物が、自治体の所有になり修復公開されていたのでじっくり見学。「讃州井筒屋敷」。
船のような屋根裏

旧 引田郵便局が、喫茶軽食のお店として使われていた。天井が高く、石貼りの内装で残響効果が出るからか、小さなスピーカーから流れるバッハの無伴奏チェロ組曲が、重々しく響いていた。

今回のコースは主として海沿いの平野部を走るので、唯一の峠らしい峠は、讃岐と阿波の国境の大坂峠のみ。国境の山を、国道11号線は海岸沿いに迂回し、JR高徳線と高松自動車道はトンネルで抜けている。

大坂峠は昔からの道で、地形の弱点をついたカーブを重ねて標高を稼ぐことから、誠に優しい勾配で、自転車でとても気持ちよく走れる。最近のバイパス道路にありがちな、えげつない直線勾配とは正反対。

感動しながら走っていると、後ろから自転車の気配。
なんと、クロモリのシングルスピード車に乗った若者。
徳島ー松山往復をワンデイでこなしたり、”エベレスティング”と銘打って、エベレストと同じ標高を、徳島の眉山を何十回も走ることで達成するトレーニングをしたりとか、なかなかの走り屋さん。

自分のペースで気にせず抜かしていってもらうように話したが、絶妙のペースで徳島市街まで引っ張ってくれた。お陰で、私のは42Bのランドナーで荷物も多いが、自分でも驚くようなハイペースで徳島平野を通過できた。ありがたや。

下の写真の「道の駅いたの」以外で唯一信号待ち以外で止まったのは、吉野川に架かる四国三郎大橋。吉野川、なんともビッグスケールなので写真を撮らせてもらった。

お陰で、予定よりも早く、阿南市のビジネスホテルに着いた。

・Day5:11月5日(日)阿南市〜室戸岬 115km
 *走行ログ(クリックして拡大)

天気予報は午後から雨。距離も長いし、早めに出発。

室戸岬へは、高校2年の夏休み、友だちと2人で自転車で来た。ユースホステル泊で。自転車は通学用ロードマン(友だちはBSダイヤモンド キャンピング)、装備は今思い起こすとものすごく貧弱だったが、当時はそんなことを気にすることもなかった。旧道や脇道を走る、といった感覚もなく、ひたすら国道を走ったが、なんとも思わなかった。四国の東半分を走ったが、一番印象に残ったのは、やはり室戸岬。初めて見る太平洋がずっと左手に広がり、だんだんと岬へと近づいていく高揚感。

宿を出発して、ひたすら室戸岬を目指す。基本的には国道55号線を走った。

日和佐を通過し、牟岐を過ぎると海沿い。下の写真は那佐湾。

このあたりはサーファーが多かった。

野根の町が北から下って最後の町という印象。野根の先、佐喜浜までの間は、山が海に迫る隘路。室戸岬への道のハイライト。
旧道の野根橋で
旧道の野根川橋で、パンの昼食。国道の野根大橋にはお遍路さんが2人歩いていた。

遠く、室戸岬方面が見える。
海が、ドドーンと広がっている。

室戸岬に到着

今日の宿は「岬観光ホテル」。建物は登録有形文化財。写真に写る後ろ姿は、アメリカから来た歩き遍路さんだった。

宿に荷物を置いて、岬の探索。
室戸は漁業の町で、これまで何度も漁船の遭難が発生した。遭難の度にお地蔵さんが安置され、船名と遭難した日時や場所、遭難者名などが掘り込まれている。
なんともいえぬ気持ちになり、六字名号を唱える。

四国霊場第二十四番札所最御崎寺へと登る。お寺より少し低いところに室戸岬灯台があった。

最御崎寺。遍路ツアーのフランス人団体と出会った。雨が降ってきた。

翌日は激しい雨。予定を変更して輪行で帰宅した。写真は土佐くろしお鉄道の終着/始発駅である奈半利駅。

室戸岬から高知、そして高知から足摺岬、松山へは、改めて走りに来て、四国一周を成就したい。

”四国一周サイクリング”にエントリーして東半分(前編)2024/09/10

四国一周サイクリング”とは愛媛県の観光スポーツ文化部が推進しているプロジェクトです。
せっかくなので、登録してみたのが、コロナ前のこと。
コロナの大波にも負けず、ちゃんとプロジェクトが続いているのは喜ばしいことです。

四国には何度かツーリングで訪れており(足摺岬祖谷とびしま海道しまなみ海道四万十川沈下橋)ほんと良いところだと常々思っていることもあり、2023年の秋、四国一周サイクリングにエントリー実走しました(東半分)。

四国一周を35時間切りでこなす凄い(日本のロングライド第一人者ですから)走り方もありますが、のんびりと観光しながら。なるべく国道を外して旧道や脇道を地形図アプリ(スーパー地形)を活用して走りました。

◎日程:2023年10月31日(火)〜11月6日(月)6泊7日
(自転車走行は11/1〜11/5の4泊5日)
・[移動日]10月31日(火)晴れ:
京都7:13=7:40新大阪7:56=(のぞみ273号)=8:41岡山9:05=(マリンシティ15号)=9:58高松10:13=(南風リレー号)=11:25観音寺11:40 =15:13松山、松山駅〜道後温泉、オールドイングランド道後山の手ホテル(泊)
・Day1:11月1日(水)晴れ
 松山(道後温泉)8:30〜三津浜〜(しまなみ海道)〜馬島〜大島椋名(ピストン)〜(しまなみ海道)〜16:30今治、今治プラザホテル(泊)、96km走行
・Day2:11月2日(木)晴れ
 今治8:30 〜西条〜17:30観音寺、観音寺グランドホテル(泊)、111km走行
・Day3:11月3日(金)晴れ
 観音寺8:30〜高松〜16:25志度、たいや旅館(泊)、95km走行
 [峠]加嶺峠
・Day4:11月4日(土)晴れ
 志度7:50〜大坂峠〜徳島〜15:45阿南市、ルートイン阿南(泊)、101km走行
 [峠]小方峠、大坂峠
・Day5:11月5日(日)晴れ後雨
 阿南市7:20〜14:50室戸岬、岬観光ホテル(泊)、115km走行
・[移動日] 11月6日(月)雨
 室戸岬=奈半利(輪行)=京都

◎使用自転車:グランボア650×42B Oyakata55号ランドナー

 道後温泉のホテルにて、”四国一周サイクリング”公式ジャージ

◆Day1:11月1日(水)松山〜今治 96km
 *走行ログ(クリックして拡大)

ホテルを出て、まずは愛媛県庁、四国一周モニュメントに表敬訪問

松山の外港、三津浜へ。
三津浜へ
三津浜駅

祖父が戦前、「愛媛県女子師範学校」の教員だったことがあり、三津浜は母の出生地でもある。祖父は晩年になっても当時の教え子に招かれて松山を訪問していた。写真は女子師範学校跡。

三津浜は漁師町でもある
三津浜
三津浜

小林一茶も利用したという「三津の渡し」(松山市高浜2号線の一部80m)で三津浜から対岸に渡った。
三津の渡し
三津の渡し

大西町というところの旧道を走っていたところ、天水瓶が屋根の上にある家があった。大庄屋の家で本陣にもなり、後年役場としても使われたと説明板にあった。
天水瓶のある家


松山から今治までだと距離が短く時間が余るので、しまなみ海道にちょっとだけ寄っていくことにした。
しまなみ海道

しまなみ海道を全部走る時間があるわけでもないので、途中の「馬島」に降りてみた。
橋から島に降りるエレベーターを出ると、橋梁工事の慰霊碑があった。六字名号を唱えた。
馬島の慰霊碑

馬島。島民居住エリアには外来者は入り込まないようにとの看板。
橋から島を見下ろすのとは、正反対のアングル。
馬島
馬島

馬島の先端の「ウズ鼻灯台」まで行ってみた。
神社に隣接しており、そこでは音楽アーティストを名乗る若者が、「音楽活動へのインスピレーションを得るためにここに来た」と言って佇んでいた。
ウズ鼻灯台
ウズ鼻灯台

大島まで行って引き返し、今治へ。大島からみた本四架橋、しまなみ海道。

今治市内、今治プラザホテルに泊。フロントロビーに自転車ラックが用意されている。
今治プラザホテル

晩ご飯を食べに出た。道路には巨大なスクリューがライトアップされていた。造船の街、今治。
今治

◆Day2:11月2日(木) 今治〜観音寺 111km
 *走行ログ(クリックして拡大)

快晴の下、今治城の外周を経て、旧道を繋いで今日は観音寺まで。写真は今治城。
今治城

菅原道真が太宰府に配流される途中、嵐に逢って漂着。この地の漁民が助けた場所に建立された「綱敷天満宮」に立ち寄る。
大灯籠には「伊万里仲間」とあり、当時の物流の大動脈である瀬戸内航路の安全を願う思いとその財力が伝わる。
綱敷天満宮
綱敷天満宮

菅原道真公の衣を干したとされる岩
衣干岩

指定された道の駅でスタンプを集めるのがミッションなので、指定箇所には全て寄るようにした。写真は「今治湯ノ浦温泉」道の駅。

Googleマップに「西条のベネチア」とあったので、どんなところか行ってみた。
西条市難波、これがベネチアか!? 確かに水路が走っているが、、。
西条のベニス

ベネチアからそのまま走った堤防沿いからは、石鎚に連なる山々がよく見えた。

西条市、県立西条高校の隣にある「愛媛県民芸館」を見学。やはり西条という地にはこういうものを設立できる文化力があったのだろう。
西条市の愛媛民芸館
愛媛民芸館にて。

写真のような「旧街道」が残っており、今治から観音寺まで、国道を走る区間はほんの僅かで済んだ。讃岐街道。
今回の一周プロジェクトがなければ、四国の瀬戸内側の都市間を自転車で走ることはなかったと思う。やはり、実際に現地に入らないとわからないことは多い。

観音寺グランドホテルに宿泊。11月いっぱいで営業を終了するとフロントの人から聞いたが、経営企業が変わり、営業が続いたようだ。
観音寺グランドホテル



山サイ研集中ラン 上野村・中ノ沢林道(2024/4)2024/08/28

”山サイ研”とは「山岳サイクリング研究会」の略称で、自転車を担いで山道を数時間歩いたりすることも平気な人たちの集まり。本拠地は東京なので、私は東京に転勤した今から20年程前に入れてもらいました。

その集中ランに参加してきました。
コースは、群馬県上野村、御巣鷹山の北面、「中ノ沢林道」という日航機事故のときには関係車両が走り回ったであろう林道。普段はゲートが閉じられていますが、ちゃんと通行許可をもらっての実施です。

羽田から伊丹に向かう日航機123便が墜落したのは1985年の8月12日、私が就職した年で、翌朝、会社の独身寮に届けられた朝刊で知った衝撃は大きかったです。当日は休みで出かけていてTVを見ることもなかったので。

日本航空の大阪支社は当時、私の勤務先のビルに入居しており、テレビで「日本航空大阪支社から」という時には、いつも職場のビルが映っていました。

いうまでもなく大事故なわけで、現場へは、大阪からも社有車やハイヤーで現場に向かうなど緊迫していたのでしょうが、営業職場の1年生である私には関与できることはなく、新聞やテレビで知る情報以上のことは何もありませんでした。

そんなことを思い出しながらも、山サイ研の人たちのホームグラウンドである西上州を走りたいというのが主たる動機で参加してきました。

◎行程
・2024/4/5(金)京都市内自宅19:45=(中央道)=23:55諏訪湖SA車中泊
・4/6(土)諏訪湖SA=9:00佐久穂町「篠屋旅館」(車デポ)9:15〜10:00小海駅〜11:05白岩〜12:10ぶどう峠12:25〜13:12上野村三岐(木森れ陽 宿泊施設・しおじの湯)・浜平〜13:45川の駅「上野」14:10〜14:25「木森れ陽」泊.。 走行距離:54km
・4/7(日)「木森れ陽」8:22〜8:47中ノ沢林道ゲート〜10:20中ノ沢本谷〜11:05御巣鷹山トンネル〜12:00本谷分校跡地〜12:15上野ダム12:25〜12:32「しおじの湯」13:08〜13:15R299〜13:25黒川〜15:08十石峠15:16〜16:06海瀬駅〜16:27佐久穂町「篠屋旅館」泊。走行距離:78km
・4/8(月)篠屋旅館=京都

◎使用自転車:グランボア650Bランドナー55号
◎峠:ぶどう峠(1502m)、十石峠(1352m)

 *走行ログ(クリックして拡大)「Trail Note」ソフトで作成 
  ログはiPhoneアプリ「スーパー地形」で計測

[4月6日(土)晴れ]
 集中ランが終わった後に宿泊する長野県佐久穂町「篠屋旅館」に車をデポさせてもらい、スタート。
篠屋旅館
 写真:長野県佐久穂町「篠屋旅館」

旅館を出てすぐ、天神橋で千曲川を渡り、国道の対岸、右岸を走ってJR小海駅へ。
途中、秩父困民党の鎮魂碑があり、手を合わせて六字名号を唱えました。

秩父困民党の碑
秩父困民党散華の地
 写真:「秩父困民党散華之地」

小海駅から相木川沿いに、ぶどう峠を目指します。「白岩」という集落が峠にかかる手前にあり、バイパスを外して集落内を走ってみました。

白岩
白岩
 写真:ぶどう峠の手前、「白岩」集落

ぶどう峠へは明るい道で気持ちよく走れました。

ぶどう峠へ
 写真:ぶどう峠への道

ちょうど昼頃にぶどう峠に着きました。

ぶどう峠
ぶどう峠
 写真:ぶどう峠

県境を越えて群馬県に入ると、東斜面になるので午後からの陽が当たらず、暗く寒くて地形的にも急坂になり、緊張感を持って下りました。残雪もありました。

ぶどう峠(群馬側)
 写真:ぶどう峠(群馬側)

明日走る、中ノ沢林道との出会いまで下りました。
中ノ沢林道出会い
 写真:左の道が中ノ沢林道

きれいな沢沿いに走ります。
 写真:上野村三岐への道

 写真:中ノ沢 集落

「しおじの湯」に着きました。宿の「木森れ陽」は、すぐ近くにあります。
しおじの湯

サイクリストに愛された「浜平鉱泉奥多野館」跡や「川の駅上野」まで行ってみました。すぐ近くです。

浜平
写真:浜平

浜平鉱泉奥多野館跡
写真:浜平鉱泉奥多野館(跡)

[4月7日(日)晴れ]

宿舎には、山岳サイクリングの強者らしい、様々な自転車が並びます。

一世を風靡した「イエティ アルティメイト」のフロントカンティ台座を使ってフロントキャリアをインストール、前だけディスク台座新調。
イエティ アルティメイト
 写真:イエティ アルティメイト改

今回の集中ランでお世話になった自転車ツーリング専門店「オオマエジムショ」のパスハンター。フォークの曲がりが、まさしくパスハン。
アプレ パスハンター
 写真:「アプレ」パスハンター

などなど。他にも興味深い自転車が多数。

宿を出て、中ノ沢林道入り口で集合。
 写真:山サイ研中ノ沢林道入り口にて

中ノ沢林道を走ります。

中ノ沢林道
中ノ沢林道
中ノ沢林道
 写真:中ノ沢林道

私は、この後十石峠を越えて長野県佐久穂町の「篠屋旅館」まで戻らないといけないので、一人先に行かせてもらいました。

日航機事故の遺族の参拝にも有益な「御巣鷹山トンネル」を過ぎると林道のピークも近いです。トンネルは一般には通行できず、今回も入り口を横目に通過するだけです。

御巣鷹山トンネル
 写真:御巣鷹山トンネル

ピークを過ぎるとダイナミックなダウンヒル。

中ノ沢林道
 写真:中ノ沢林道の下り

上野ダムに出ます。

上野ダム
 写真:上野ダム

スタート地点の「しおじの湯」に戻り、昼食。
しおじの湯
写真:しおじの湯

トンカツ定食が美味しかったです。

 写真:しおじの湯のトンカツ定食

国道462号まで下って、十石峠を目指してひたすら登ります。
途中、景色の良いところで1回休みました。

 写真:十石峠へ
十石峠に着き、展望台にも上りました。国道に出てから峠まで2時間弱でした。

十石峠(1352m)
十石峠
 写真:十石峠

スルスルと安定した42Bタイヤの感触を楽しみながらのダウンヒルです。

 写真:道祖神と
 写真:長野県側。里に下る。

小海線八千穂駅のところの造り酒屋、黒澤酒造前で一休み。宿は、すぐ先です。

黒澤酒造
黒澤酒造
 写真:黒澤酒造
予定通りの時間に「篠屋旅館」到着。上品な和風旅館で、お風呂も広く、なかなか良かったです。 おしまい。

篠屋旅館
 写真:篠屋旅館の部屋

 *走行ログ(クリックして拡大)

利尻島一周サイクリング2024/08/08

利尻山登山の翌朝、自転車で利尻島を一周しました。
昨日登った山を360度、いろんな角度から眺められて誠に感慨深かったです。

※深田久弥の「日本百名山」には「利尻岳」、国土地理院の地図では「利尻山」と記されています。私は百名山ハンターではないのですが深田久弥に敬意を示して登山の場合は「利尻岳」、サイクリングの記録には「利尻山」と書きました。

◎走行日:2024年7月3日 5:17〜9:29 4時間11分
◎走行距離:62km(サイクルコンピュータ)
◎使用自転車:グランボアER700Cランドナー
◎行程:ゆ〜にキャンプ場5:17〜(自転車専用道路)〜6:38沓形・利尻町運動公園(終点)〜7:12仙法志御崎公園7:27〜7:55鬼脇〜8:02石崎灯台〜8:46野塚(自転車専用道路入口)〜9:14富士見大橋〜9:26ゆ〜にキャンプ場〜鴛泊港12:05=(フェリー)=13:45稚内港

※ 走行ログ

 幕営している「ゆ〜にキャンプ場」の至近距離に自転車専用道路の入り口があり、そこから沓形方向へ入ると、すぐに利尻山がドカンと現れました。
利尻島自転車専用道路
写真:自転車専用道路から眺める利尻山

自転車専用道路は自動車の走る道路よりも山側にあるため、背景に人工物等が少ない利尻山を観ることができます。

利尻山
写真:自転車専用道路からの利尻山

海沿いにも出ます。

写真:本泊漁港

自転車専用道は、きれいに整備されています。

写真:利尻山を正面にみて、自転車専用道を快走

沓形の街中は通らず、山側の若干標高が高いところに自転車専用道はあります。
運動公園に出て、自転車専用道路は終了します。

写真:自転車専用道路の沓形側の終了地点

雰囲気の良い商店がありました。

写真:利尻町長浜「さとう商店」

上磯からバイパス的な「利尻ファンタスティックロード」を離れて、集落の中を走る旧道に入り、仙法志公園で一休み。

仙法志御崎公園
写真:仙法志御崎公園。利尻島の南岸にあたる。

仙法志
写真:仙法志御崎公園より。カモメが岩の頂点から睥睨していた

仙法志埼灯台
写真:仙法志埼灯台

丸い形の島で、真ん中に利尻山があるので、いろんな角度から利尻山を眺められます。

利尻山
写真:南浜(利尻島の南南東)から見た利尻山

利尻山
写真:鬼脇(利尻島の南東)から眺める利尻山

石崎灯台に寄ってみました。塔高32mもあります。

石崎灯台
写真:石崎灯台入り口

石崎灯台
写真:石崎灯台

旭浜(利尻島の東岸)のあたりまでくると利尻山の形も穏やかになります。

利尻山
写真:旭浜から望む利尻山

野塚(利尻島の北側)からは山側に自転車専用道が現れ、一般道から離れました。
途中、大きな橋が架けれています。自転車専用道のために、たいしたものです。

写真:自転車専用道路の橋

自転車専用道から鴛泊(おしどまり)の町が、きれいに見えました。

鴛泊
写真:鴛泊を望む

自転車専用道の小さなピークを越えて、ダウンヒルでしばらく走ると、あっという間に「ゆ〜にキャンプ場」至近距離の、利尻山登山口へと向かう道路に出ました。

写真:利尻山登山口への道に出た。前方の看板がキャンプ場入り口。

テントを撤収し、フェリー乗り場へと向かいます。

ゆ〜にキャンプ場
写真:ゆ〜にキャンプ場

フェリー乗り場に着くと、まだ時間があるので、正面に見える「ペシ岬」に登ることにしました。

鴛泊港、ペシ岬
写真:鴛泊港フェリー乗り場の正面に見える「ペシ岬」

写真:ペシ岬入り口

ペシ岬へと登る道からは、鴛泊の町が一望できます。

鴛泊
写真:鴛泊

ペシ岬
写真:ペシ岬

港から見えたペシ岬灯台です。

ペシ岬灯台
写真:ペシ岬灯台

鴛泊港を見下ろし、正面に利尻山。

鴛泊港と利尻山
写真:鴛泊港と利尻山

鴛泊フェリーターミナルに戻り、建物内のレストランに行ってみると、団体客の予約のため一般客は入れず、向かいの食堂で「海藻ラーメン」を食べました。

ちなみに「生ウニ丼」は海が荒れて利尻島全体でこの日は供給がないとのことですが、値付は1万円でした。インバウンド観光客もいるとはいえ、それでも買う人がいる、需給バランスで値段が決まるとはこのことであり、こんな時代になっているのだと思いました。

海藻ラーメン
写真:海藻ラーメン、1400円。

鴛泊港に停泊中の稚内行きフェリー「アマポーラ宗谷」。オペラで歌われるような響きです。

写真:「アマポーラ宗谷」4,265トン。

写真:フェリー船内

無事、出港。山腹に見える橋は、走ってきた自転車専用道。クルマのパイパスではありません。

写真:利尻山と山腹の自転車専用道の橋

さようなら、ありがとう、利尻島!

写真:利尻島を後に