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2018GW東北・温泉宿の旅2020/04/11

2018年のゴールデンウィーク(GW)、カレンダー回りがよくて長期休暇がとれるので、東北への旅を思い立った。
峠と温泉三昧の計画をたてたが、旅のメインに考えていた峠の数々が未除雪のため通行止めになっていて、計画は大幅に変更となった。道路情報をちゃんと確認しておくべきだった。GWだと東北ツーリングには早すぎる。とはいえ、温泉宿をつないで走ることはできて、気持ちよく思い出深い旅ができた。

出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)の山岳信仰や松尾芭蕉「奥の細道」、森敦の小説「月山」、藤沢周平のフィールド、偶然出会った戊辰戦争の激戦地など東北への興味は尽きない。今は長閑に見える東北の山村だが、奥羽越列藩同盟と西軍(官軍)の厳しい歴史があったことを知った。
今度は、夏に来たい。

村上市
写真:村上市からスタート。村上市内の「きっかわ」鮭のお店。
村上市
写真:村上市内
雷峠
写真:雷(いかづち)峠
十王峠、月山を望む
写真:十王峠から望む月山
田麦俣
写真:田麦俣

○走行日:2018年4月27日夜~5月3日(車中1泊+5泊6日)
○宿泊地:4/28新潟県村上市「扇屋旅館」、4/29山形県鶴岡市湯田川温泉「隼人旅館」、4/30山形県西川町志津温泉「柏屋旅館」、5/1山形県大蔵村肘折温泉「金生館」、5/2山形県大崎市鬼首温泉「大新館」
○使用自転車:TOEI700Cランドナー
○峠:雷峠(298m)、関川峠(275m)、一本木峠(256m)、大日坂(58m)、十王峠(485m)
※計画していたが、除雪してなくて通行止めで越えられなかった峠・・楠峠(298m)、塞ノ神峠(510m)、大越、十部一峠(869m)、花立峠(796m)
○行程:4/27夜 京都=(北陸道)=尼御前SA(車中泊)
4/28 尼御前SA8:30=(北陸道)=12:40村上「扇谷旅館」デポ。村上市内観光ポタリング。
4/29 扇屋旅館7:55~9:35笹川流れ(笹川)~11:03JR府屋駅~13:00雷~13:12雷峠~13:45関川峠(峠からは積雪のためトンネルに引き返す)~14:22一本木峠~15:40大日坂~15:50湯田川温泉「隼人旅館」
4/30 隼人旅館8:30~藤沢周平記念碑8:42~鶴岡城址・藤沢周平記念館9:55~11:45十王峠~11:57注蓮寺~12:51(塞ノ神峠目指すが積雪で引き返す)~13:35田麦俣(地元の人の軽トラに乗せてもらう=道路が除雪未開通で自動車専用道路のみ通行可能のため)=14:50月山沢~15:40志津温泉「柏屋」
5/1 柏屋8:00~8:54湯殿山神社~「月山の酒蔵資料館」10:11~10:45白岩小学校~11:00慈恩寺(昼食そば屋)12:04~12:27紅花資料館~13:52最上川・三ケ瀬橋~15:25大浦橋~16:14烏川大橋~17:30肘折温泉「金生館」
5/2 金生館7:50~(鍵金野開拓地)~9:35大蔵村役場~11:00JR長沢駅~11:40潮見温泉~13:00JR最上駅~14:00尿前・封人の家~14:40鳴子温泉~15:30鬼首温泉「大新館」
5/3 大新館7:48~8:58JR鳴子温泉駅(輪行)10:06=新庄=余目=13:18村上(デポ地・扇谷旅館カフェで昼食)扇屋旅館14:00=(北陸道)=22:25京都自宅

2018GW
写真:走ったルート(クリックで拡大)
開拓地の桜と雪
写真:銀山温泉の奥、開拓地の桜と雪
封人の家
写真:封人の家。松尾芭蕉「奥の細道」
鬼首温泉・大新館
写真:鬼首(おにこうべ)温泉。大新館。温泉も部屋も料理も、気持ちの良い宿。


紀南・周参見から紀伊大島、潮岬(2019/2)2020/04/12


樫野埼灯台
写真:樫野埼灯台
潮岬灯台
写真:潮岬灯台

寒い2月には紀伊半島へ行きたくなる。
というわけで、本州最南端の潮岬を目指して、周参見(すさみ)から走ることにした。海沿いの国道42号線は、交通量が多そうなので避けて、山の中の道を選んだ。紀伊半島の山中は、海から僅かな距離でも、隔絶感が感じられ、秘境を旅する気分になれる。

いつも地形図だけをみてプランニングしているのだが、今回の旅では、見事な石積みの集落に出会えて、海・灯台だけでない旅の景観に接することができた。

○走行日:2019年2月16日(土)~17日(日)
○宿泊:紀伊大島 民宿「木本」
○使用自転車:グランボア700Cデモンタブル
○峠:獅子目峠(373m)、コカシ峠(335m)
○行程
2/16:京都=周参見駅8:53~(町内ポタリング)9:10~10:00上十川~10:37小河内~10:53笹目峠~11:36コカシ峠11:52~12:10大鎌~13:06三尾川・光泉寺~13:50古座の一枚岩~14:53串本町境の峠~15:08国道42号線~15:19串本町(町内ポタリング)~15:58くしもと大橋~16:25大島港 民宿「木本」泊
2/17:泊地8:24~8:57樫野埼灯台:トルコ記念館9:50~(樫野周辺ポタ)10:34~11:02くしもと大橋~11:38潮岬12:25~12:58串本市街・串本駅13:14~串本駅14:27=15:16周参見駅=京都

周参見から潮岬1
※走ったルート。1日目、周参見から紀伊大島(クリックで拡大)
周参見から潮岬2
※走ったルート。2日目、大島港から樫野埼、潮岬、串本(クリックで拡大)

写真:すさみ町比曽原の石組み
古座川町三尾川の民家
写真:古座川町三尾川の民家
トルコ記念館
写真:樫野埼のトルコ記念館

「TOEI」駅と恵那市中野方(なかのほう)の農家民宿(2019/11)2020/04/20


JR飯田線東栄駅
写真:JR飯田線東栄(TOEI)駅にて

JR飯田線に「東栄」という駅がある。奥三河の愛知県北設楽郡に東栄町という行政区画があり、そこにある駅なので、一般の人には「ああそうですか」という程度の話。

だが、ランドナーと呼ばれる旅行用自転車の愛好家のなかには、特別の反応をみせる人がいても不思議ではない。というのは、日本のランドナーの総本山的フレーム工房の名称が「東叡社」であり、フレームには「TOEI」と描かれ、東栄(TOEI)駅と音とローマ字が一緒だからである。

そんな「TOEI」駅に私も行ってみた。鳥取県の若桜鉄道の「隼駅」がスズキのオートバイ・ハヤブサの「聖地」になっていてライダーが集まるようなものか。

そのあと北上して、美濃国の恵那市中野方(なかのほう)の「農家民宿」を目指した。
農家民宿というのは農水省の施策で、農林漁業者が経営者。宿泊用に建てられたのではない農家の建物に泊まることができ、料理もその家で作った野菜など地産地消そのもの。田舎の旧家におよばれしているような体験が得られる。

9月にオリエンテーリング大会の応援のため、大会要項で紹介されていた中野方の農家民宿に泊まったところ、料理は美味しいし部屋も立派で清潔、ご主人や奥さんの話も聞けたりして、日本のルーラルなエリアの上質な部分を体感し、もう一度行きたいと思った次第。

豊かな暮らし、というのはこういうことをいうのかと感じた。国道やバイパスをクルマで走っているだけでは、そのすぐ側に、こんな暮らし方があるということに気づかずに通過してしまうだろう。

中野方というエリアについては、それまで全く知らなかったが、農家民宿にて佇んでいると、正面にみえる笠置山からそよそよと吹いてくる風と、盆地を照らす光と土の恵みが感じられ、桃源郷というものがあるなら、このような地の延長線上にあるのかもしれないと思った。

農家民宿 銀もくせい 襖絵
写真:恵那市中野方:農家民宿「銀もくせい」にて

○走行日:2019年11月2日~4日
○使用自転車:TOEI650Aランドナー
○宿泊地:長野県売木村 民宿「えりか」
               岐阜県恵那市中野方 農家民宿「銀もくせい」
○峠:新野峠(1047m)、平谷峠(1167m)、(大馬渡峠)、蛭川峠(720m)、遠ヶ根峠(802m)
○行程:11/2:京都6:38=(のぞみ100号)=7:13名古屋7:18=(ひかり504号)=7:46浜松、新浜松8:00=(遠州鉄道)=8:33西鹿島9:23~10:14落合~11:20熊(昼食)11:47~12:24大地野隧道~13:05東栄駅~14:43東栄町本郷~15:55御園トンネル~17:50新野峠~18:20売木村民宿「えりか」
11/3:泊地8:00~9:05平谷峠~平谷村役場9:55~11:00大平~11:30大門(昼食)12:20~13:33大馬渡峠~14:46明智駅~15:22岩村駅~16:05飯沼駅~16:22恵那駅近く~16:34東雲橋(木曽川・大井ダム)~16:52木曽川中野方分岐~17:25農家民宿「銀もくせい」
11/4:泊地8:10~8:30坂折棚田9:00~9:45農家民宿「ふうちゃん」10:10~10:41蛭川峠~10:53たがみ峠(ピストン)~11:05蛭川峠~12:04遠ヶ根峠~12:33黒川・苗木橋~13:54白川口駅14:38=15:09美濃太田15:30=16:03岐阜16:19=17:09米原17:17=18:12京都

中野方 坂折の棚田
写真:中野方 坂折の棚田
中野方
写真:中野方の風景


 走ったルート(クリックで拡大)

2019GW_筑豊、民芸・小鹿田焼「日田の皿山」2020/04/25

「用の美」を唱えて民藝運動の父と呼ばれた柳宗悦の「日田の皿山」を読み返した。

私は焼き物に特別関心があるわけではないのだが、「村の者たちは男も女も皆陶工として生まれ、陶工として死んでゆく」、「北九州の古陶を知ろうとする者は、活きたこの窯に来ねばならぬ」と書かれていては、本が1931年(昭和6年)、90年程前に書かれたものだとしても、現在の姿を見たくなり、2019年のゴールデンウイーク(GW)を利用して訪れた。

皿山にどこから入ろうかと地図を眺め、これまで走ったことのない筑豊経由とした。
炭鉱が閉山し、街も衰退して久しいと言われるエリアが今、どんな感じなのか興味があった。

筑豊の街は、確かに商店街のアーケード内には閉じた店が多いが、ゴミなどは落ちてなくて決して荒んだ雰囲気ではなかった。残存している芯の強さのようなものを感じた。
皿山では、窯元から傘立てと片口を分けてもらい、自宅に送った。

日田から阿蘇、高千穂を抜ける計画だったが、大型台風接近で雨も降ってきたため、3日目の朝に、輪行で帰路についた。


日田の皿山
写真:小鹿田焼(おんたやき)日田の皿山

日田の皿山
写真:傘立てと片口を購入した窯元

○走行日:2019年4月27日~29日
○使用自転車:グランボア650Bランドナー
○宿泊地:田川伊田・ビジネスホテル ロイヤルイン扇
               天ヶ瀬温泉・ふくや
○峠:立石峠(109m)、斫石峠(きりいしとうげ:645m)、金剛野峠(369m)、乙舞峠(486m)
○行程:4/27:京都8:27=(のぞみ3号)=10:53小倉11:14=11:43行橋12:41~14:12豊前国分寺~15:34犀川駅~16:19峠~16:42油須原駅~17:02立石峠~17:31田川伊田駅~17:57ビジネスホテル扇
4/28:泊地7:30~7:47田川後藤寺駅~8:31豊前川崎駅~10:03英彦山駅近く~11:22斫石峠~12:30金剛野峠~13:01乙舞峠~13:07皿山14:23~14:56日田城址~17:07天ヶ瀬温泉・ふくや
4/29:泊地~8:10天ヶ瀬駅9:06=(ゆふ1号)=10:49大分11:10=(ソニック24号)=12:37小倉12:53=(のぞみ30号)=15:20京都

油須原駅
写真:油須原駅

地図:走ったルート(クリックで拡大)

丹後半島、細川ガラシャ隠棲地と廃村跡(2019/11)2020/04/26

2020年NHK大河ドラマは明智光秀が主人公の「麒麟が来る」。そこで、光秀の娘であって細川忠興の正室となった細川ガラシャが本能寺の変の後に幽閉されたとされる「味土野」へ行ってみた。細川ガラシャは三浦綾子の小説で有名。

味土野からの復路には、廃村跡が複数あり、巡検的な趣も加わったツーリングとなった。
学生の頃に読んだ丹後半島の廃村に関する論文をネットで検索すると出てきた。ありがたいことだ。

○走行日:2019年11月23日
○使用自転車:KONA ROVE LTD(26×47c)
○峠:大内峠(166m)
○行程:京都=与謝野町阿蘇シーサイドパーク8:15~8:43大内峠9:10~9:28大宮町森本~10:07久住スノーシェルター10:30弥栄町溝谷~11:15丹後町の海岸(立岩)11:28~12:19丹後町平~13:17弥栄町野中~13:41弥栄町来見谷(道を間違えてピストン)~14:14味土野(細川忠興夫人隠棲地碑)~14:51(廃村)吉津~15:04(廃村)畑~15:13弥栄町等楽寺~15:36大宮町延利~15:43(峠)与謝野町境~16:00天橋立~16:18小天橋~16:40デポ地=京都 ・走行91km

まずは、大内峠を目指す。大内峠は古くからの道なので、地形の弱点をついて無理なく気持ちよく走れる。
大内峠からの天橋立
写真:大内峠展望台からの天橋立。与謝野晶子も1930年(昭和5年)5月に訪れ歌を詠んでいる。

大宮町森本
写真:大宮町森本。学生時代、サークルのフィールド調査で農家を回った思い出の地。

大宮町久住
写真:大宮町久住の農家

丹後の立岩
写真:弥栄町中心部を抜けて、丹後の海へ。「立岩」。

丹後半島
写真:丹後半島の海岸。隆起地形がよくわかる。
丹後半島の海岸
写真:丹後半島、経ヶ岬方向を望む。
丹後半島の海岸
写真:陸繋島もある

丹後町平
写真:丹後町平(へい)。ここからは、宇川に沿って山間部へ入る

宇川沿いの道
写真:宇川沿いの道は、狭く、寂しい。上流にある集落へは別方向からのトンネル道ができたため、メインルートではなくなっているのだろう。目の前をイノシシが横切って、びっくりした。道沿いには廃村もあった。

細川忠興夫人隠棲地碑
写真:坂をずっと上り、「細川忠興夫人隠棲地碑」に到着。弥栄町味土野。

弥栄町味土野 離村の碑
写真:「ふるさと味土野 跡」碑。碑文を読むと昭和38年の豪雪で離村が相次いで廃村になったとある。昭和59年建立。

吉津
写真:「ふるさと吉津の跡」碑

写真:舗装はされてないが、走りやすい道であった

畑
写真:「愛郷 畑村の跡」碑

写真:走ってきた道は林道だと思っていたが、そうではなく「日置街道」と呼ばれる歴史ある道だとわかった。
日置街道 改修碑
写真:「日置街道 改修碑」昭和5年建立。険路を安達翁が改修しようとしたが日露戦争で頓挫。明治44年に再設計して「畑」「吉津」地区の人たちが農閑期を工事にあて、愛郷の念で努力し、成就した旨が書かれている。

天橋立
写真:天橋立を走って帰った。

阿蘇シーサイドパーク
写真:クルマをデポした阿蘇シーサイドパークに到着。夕焼けがきれいだった。

写真:走ったルート(クリックして拡大)

おしまい。