五島列島Ⅱ 福江島ほか〜大瀬埼灯台・辞本涯 ― 2025/12/22
今回の五島旅は福江島を中心に、教会堂巡りと灯台カード取得を主たる目的とした。
2022年の9月に上五島の北部を訪問し、五島へは是非とも再訪したいと思っていた。
2022年の9月に上五島の北部を訪問し、五島へは是非とも再訪したいと思っていた。
今回も博多港から福江行きのフェリーで。行政区画では佐世保市に属し、五島列島には含まれない宇久島にも灯台カード収集のために渡った。
福江島は上五島ほどアップダウンは少なく、走りやすかった。島の西端、大瀬埼灯台と北端にある「辞本涯」の碑のある三井楽・柏崎が特に印象的であった。
「辞本涯」というのは空海が遣唐使で出発する際、(日本)本土の最後の地を辞する(離れる)という意味で発した言葉。
明治初期の信徒迫害にも耐え抜き、教会堂を建てた人々にも思いをはせた。
大瀬埼灯台
大瀬埼灯台
辞本涯の碑と姫島、五島柏崎灯台
楠原教会堂
堂崎教会堂
対馬瀬鼻灯台
◎日程:2025年10/27(月)〜10/31(金)船中1泊、現地3泊
◎使用自転車:グランボア55号ランドナー(650×42B)
◎峠:猪掛(いかけ)峠146m
◎宿泊:竹の家旅館、ピカイチセカンド、ラ・メール・ヴィラ魚竹
◎行程
・10/27(月):京都18:06=(のぞみ49号)=21:30博多(港)23:45=(野母商船)=翌8:15福江港
・10/28(火)晴れ:福江港8:30 〜9:00福江教会堂〜9:36猪掛峠〜10:33茂敷(しげじき)教会堂〜11:30平成小学校跡「夢のえき」(昼食)12:10〜12:37大宝寺〜13:05立合教会跡〜13:24井持浦教会堂〜14:37大瀬埼灯台〜15:30玉之浦教会堂〜16:45荒川・竹の家旅館(泊)80km走行
・10/29(水)晴れ:荒川7:32〜8:46貝津教会堂〜10:50辞本涯の碑11:16 〜11:30三井楽教会堂〜11:51嶽家牢屋跡〜12:30三井楽(昼食)13:12〜13:28打折教会堂〜14:13楠原教会堂〜14:30楠原牢屋跡〜14:48水ノ浦教会堂〜15:45宮原教会堂〜16:14半泊教会堂〜17:03浦頭教会堂〜17:26福江・ピカイチセカンド(泊)83km走行
・10/30(木)晴れのち曇り:福江7:00〜7:30六方の浜〜7:51浦頭教会堂〜8:09堂崎教会堂〜9:38福江港10:10=(野母商船)=13:45宇久平港〜14:10対馬瀬鼻灯台〜14:30宇久平港(急いで輪行袋に詰める)15:05=(九州商船高速船)=15:50有川港(自転車組み立て)〜16:48榎津郷・ラ・メール・ヴィラ魚竹(泊)
・10/31(金)小雨のち曇り:榎津郷〜青方港12:10=(野母商船)=17:50博多(港)19:00=(のぞみ64号)=21:37京都
*詳しくはGoogleフォトで(94枚)
北九州の灯台巡り(相島・筑前大島など) ― 2025/09/17
家族イベントで福岡に行き、その後北九州の灯台巡りをしました。「灯台カード」ノミネート灯台です。
「筑前相島(ちくぜんあいのしま)灯台」「筑前大島灯台」「津屋崎鼻灯台」「妙見埼灯台」の4つと、帰路に立ち寄った長州の角島(つのしま)灯台。
相島で自転車の前輪タイヤサイドが裂けたので、だましだまし走った筑前大島以降は、クルマで回りました。
◎走行日:2025年9月1日~3日
◎使用自転車:ウインドコグ
◎宿泊:民宿つわせ(筑前大島)、ワシントンプラザ浜田
◎行程:9/1:福岡8:08=新宮港=(渡船)=相島(あいのしま)~筑前相島灯台~(島内一周)=(渡船)~新宮港=(ホームセンター)=神湊(こうのみなと)港=(渡船)=筑前大島~宗像大社沖津宮遥拝所~筑前大島灯台~16:56民宿つわせ(泊)
9/2:筑前大島8:35=(渡船)=神湊=津屋崎鼻灯台=鐘崎=妙見埼灯台12:37 =15:12角島灯台(角島大橋)16:50=20:04浜田(ワシントンプラザ泊)
9/3:浜田9:48=(浜田道・中国道)=17:04京都自宅
◎ 9月1日(月)晴れ
9/1走行ログ(自転車と自動車)
福岡サンパレスを出発し、新宮港から渡船で相島。
福岡のタワーマンション(福岡アイランドシティ)、海の中道、志賀島が見えた。
渡船からの眺め
相島には、これといった観光地がないのだがインバウンド観光客が多数。
なんと、ハッセルブラッドのデジタル中判カメラで写真を撮りまくっているアジア人女性がいた。
なんと、ハッセルブラッドのデジタル中判カメラで写真を撮りまくっているアジア人女性がいた。
なんでこんなに観光客が多いのか船員さんに尋ねたところ、「ネコですよ」。
相島はネコの島として有名らしい。
ハッセルブラッドで撮りまくるインバウンド団体客
渡船
相島に到着
朝鮮通信使の碑とネコのお出迎え
帰りの渡船切符を到着時に買っておいてよかった。後に局地的豪雨になったので。
相島の渡船待合所
島を一周する。港のほぼ反対側に、目的の相島灯台がある。
筑前相島灯台
筑前相島灯台、意外と新しい。
一周道路。距離は短いが、寂しい。
ほぼ一周して港が見えた。
この後、急に集中豪雨になった。
なんと不運なことに、豪雨の中、「パーン」と音がして前輪がサイド切れパンクした。
自転車から降りて雨宿りをしたが、帰路の出航時間が近づいてきたので雨具を着ずに港へと自転車を押して走る。急な雨で既に濡れてしまったし、気温が高いので。
渡船に乗船して出航の頃には雨は止んだ。
新宮港にデポしていたクルマに自転車を積み、Tシャツに着替え、チューブを交換。
ホームセンターに寄って、「強力補修ガムテープ」を購入。
タイヤの内側に貼ったが、チューブの空気圧に耐えられずサイド切れ部分からチューブがプクッと膨らむ。
前輪のブレーキを開放して前輪の回転を妨げないようにした。
筑前大島の港から宿までは、だましだまし走るしかない、と思いながらクルマを走らせていると、ハンバーガー屋さんを発見。
お昼にすることにして、お店のご主人と話していると、なんと、ここは自転車対応のお店で修理道具がある、タイヤブートまで、とのこと。何たる幸運。固辞される中、お礼を置いて出発。
塩浜にあるハンバーガー屋さん
パークツールのタイヤブートを分けてもらって修理
筑前大島への渡船乗り場。神湊(こうのみなと)。
神湊(こうのみなと)の乗船券売り場
渡船乗船券
筑前大島渡船
筑前大島に到着し、港の反対側の宗像大社沖津宮遥拝所を目指す。
小さな坂を越えて、すぐに着いた。
宗像大社沖津宮遥拝所
宗像大社というのは日本最古の神社のひとつだそうで、沖津宮、中津宮、辺津宮の三宮から成り、その総称が宗像大社だということを、今回の旅で知った。
沖津宮はこの筑前大島の沖合いにあり、神事の関係者以外は渡れない。ということで、この遥拝所から拝む。中津宮というのは、この筑前大島にある。辺津宮は本土(福岡県宗像市)にある。
沖津宮の遥拝所付近(クリックして拡大すると沖津宮の島が見えます)
拝所の石碑
石碑のところから望む沖津宮
遥拝所
小さな峠を越えて、灯台へ。
筑前大島灯台
筑前大島灯台のプレート
宿のある津和瀬集落。乗馬のため来島していた方たちと同宿だった。
◎ 9月2日(火)晴れ
9/2走行ログ(自動車)
朝、民宿の窓から虹がみえた
玄界灘に虹
しばらくすると、半円型まで虹が成長した
民宿の窓から
その後、強い雨になった。自転車のタイヤサイドはタイヤブートを使用してもやはり膨れてきている。港まで宿の軽トラで送ってもらうことにした。
港に着くと、雨は小降りになって、止んだ。
大島港
大島港
出航までの間、宗像神社中津宮へ。
宗像神社中津宮
端正な灯籠があった。天保年間のもの。
中津宮
無事、神湊にデポしたクルマに戻る
神湊の駐車場
ここからは、クルマで灯台巡り。
津屋崎鼻灯台
津屋崎鼻灯台のプレート
海沿いに走り、森崎和江『海路残照』を読んで、ぜひとも行きたいと思った鐘崎へ立ち寄った。
鐘崎は歴史的には海女の発祥の地とされ、この地から能登半島他に伝播した。漁業の先進地。
鐘崎の織幡神社。この地の中心ともいえる存在。
織幡神社
鐘崎の町
鐘崎海女の像
現在は北九州市若松区になっている妙見埼灯台へ。
妙見埼灯台
妙見崎灯台のプレート
北九州の灯台カード該当の4つの灯台を巡り、帰路に長州の角島(つのしま)灯台へ寄ることにする。
以前、自転車で訪問しているが、灯台カードの存在を意識してなかったのと、灯台にも登ってなかったので。
学生時代の友人の父上が「灯台守」(海上保安庁職員)で、角島灯台も担当していたとのこと。灯台横の宿舎に住まう時代ではなかったが、彼はこの近くの高校を卒業している。
角島灯台
角島灯台のプレート
角島灯台に登ったところからの景色
角島大橋
日本海の夕陽を浴びながら走り、浜田のビジネスホテルに宿泊し、翌日京都に帰った。
日本海の夕陽
(おしまい)
神島灯台と菅島灯台[灯台カード] ― 2025/07/28
京都市内は、気象台の日陰の百葉箱の温度計が37度~39度の日々。
近畿地方の天気予報を見ると、いつも最高気温が一番低いのは潮岬。
南端にあるのだが、海に囲まれているからだろう。
海水温は、熱せられた陸上~アスファルトに覆われ自動車やエアコンの排熱だらけ~よりも低いので、海に囲まれた島は本州、特に盆地よりは断然まともな気温。
というわけで、島に灯台カードの収集に行くことにした。季節の良いときだと自転車の走行距離を伸ばしたいが、この灼熱では小さい島が、好都合。
◎走行日:2025年7月27日(日)晴れ
◎使用自転車:WINDCOG
◎行程:京都自宅4:25=(新名神・伊勢道)=6:40鳥羽、鳥羽佐田浜デポ(鳥羽市営渡船乗り場)7:40=(渡船)=8:20神島11:35=(渡船)=12:15鳥羽佐田浜(昼)13:40=(渡船)=13:53菅島15:10=(渡船)=15:23鳥羽佐田浜=(伊勢道・新名神)=京都自宅
◎灯台カード:神島(かみしま)灯台、菅島(すがしま)灯台
移動のログ
神島は、いわずと知れた、若き日の三島由紀夫の純愛小説『潮騒』の舞台。
帰宅して読み直したが、難解な部分は全くなく、スルスルと読める美しい話。
文庫本の解説を読んでギリシア古代文学を本歌取りしたものだと知った。なるほど、妙にすっきりしたおとぎ話のようで、ドロドロした悪の要素が希少な話。
これまで5回も映画化されている。
公開年:新治(役)、初江(役)
1954年:久保明、青山京子
1964年:浜田光夫、吉永小百合
1971年: 朝比奈逸人、小野里みどり
1975年: 三浦友和、山口百恵
1985年:鶴見辰吾、堀ちえみ
1985年は私が就職した年でその年が最後の映画化。その後バブル経済を経て世の中は大変わりしてしまい、かつての生活様式も失われてしまった。『潮騒』の世界観は現代を生きる人々に響くのだろうか? もう映画化はされないだろう。
主人公の信治が初江の婿になることを認められる決め手となった、周囲を救うための勇気ある行動にしても、現代ではコンプライアンス的にアウトで雇用主はそんな指示を被雇用者に出せないであろう。テレビの台風中継でどうみても安全なところにいても、ヘルメットをかぶってマイクを持つリポーター。そんな仕事のやり方と真逆の世界。
それはともかく、鳥羽からの船のデッキで眺める伊勢湾は、見慣れた山陰や丹後の海とはあまりにも違う雰囲気。雲の形も見慣れない。海の向こうは朝鮮半島、大陸というのとは違う。椰子の実が南海から流れ着く海。
鳥羽 佐田浜港を出航
天草船籍の船が航行していた
天草の船
神島に向かう
神島が見えてきた
神島の渡船桟橋に到着。
神島定期船待合所
船を降りた正面には「三島文学 潮騒の地」の石碑。
港の周辺では、島民のおばあちゃんと相対的に多く出会う。今はおばあちゃんでも、映画の頃は心ときめかした娘時代、初江とその友だちのような存在だったのだろう。
石碑
自動車も走れる道を上って学校の校庭を突っ切って灯台を目指したが、どうも道がはっきりしてなくて、引き返した。(校庭を直角に曲がるのが正解だと後に知った)
引き返した場所
いったん集落に戻る
神島の家並み
改めて灯台へと向かう。地図でみると細実線の道があり、灯台メンテナンス用にクルマが通れる道路は存在するだろうと思ったが、見つからない。
地元のおばあちゃんに尋ねたところ「歩きの道しかない」。普通の人はそう思っても、自転車を部分的に担げば大丈夫かもしれないと思ったが、自転車を集落内に置き、徒歩にして正解であった。
神島灯台
神島灯台
神島灯台は初点1910年(明治43年)5月1日。
灯台から伊良子岬がすぐ近くに見える。
灯台から伊良子岬方向を望む
監的哨(かんてきしょう)という『潮騒』のクライマックスシーンに使われた、旧軍事施設に行ってみることにした。遊歩道で、自動車が走れるものではない。
監的哨へ
監的哨
監的哨の説明
『潮騒』の信治と初江は、この1階部分で漁が休みの嵐の日に逢い引きをした。
監的哨の1階
遊歩道を進むと島の反対側にある学校に出た。
神島小中学校
小説にも多く登場する八代神社。
八代神社
二百段の階段を上ったところに社殿がある。
八代神社本殿
八代神社
渡船の時間まで、日陰で海を眺めて過ごした。腹が減ったが、島内で販売されているのは飲料だけで、パンや菓子などの食べ物は一切無い。食堂も無い。
神島の港
いったん鳥羽に戻り、今度は菅島行きの渡船に乗る。
菅島の入り口
菅島漁港。後方の大きな建物は学校。
菅島漁港に到着。
菅島の定期船待合所
菅島灯台へは、自転車で行けた。
菅島灯台
菅島灯台
菅島灯台は初点が1873年(明治6年)7月1日。
現役では日本最古のレンガ造灯台で、国の重要文化財。
現役では日本最古のレンガ造灯台で、国の重要文化財。
港で船の到着を待つ間、近くの神社へ。
菅島神社
渡船
鳥羽市営定期船 1日フリー乗船券
島の気温は、私が子どもの頃の夏のよう。日なたでは暑いが、日陰で風が通って動かずにいると、クーラーは無くて済むと思えるほどだった。
(おしまい)
海の京都 丹後半島経ケ岬へ[灯台カード] ― 2025/07/14
経ケ岬灯台
経ケ岬灯台
海上保安庁の「灯台カード」収集もあって、丹後半島の経ケ岬へ。
丹後半島には何度か訪れているが、直近は一昨年の「TANTANロングライド」イベントスタッフ。京都車連からということで「模範ライダー」として丹後半島を1周した。その時は当然走るだけ(平均速度25kmで走るようにと運営マニュアルにあって、自車サイクルコンピューターの平均速度が結果として25kmピッタリだったことには驚いた)で、写真を撮ったり観光的なことはできないので、再訪した次第。
丹後半島・経ケ岬観光の場合、伊根の舟屋、天橋立、と巡るのがメジャールートだが、今回はまだ見たことのない「丹後大仏」と、実はまだ走ったことのない碇峠を回った。
丹後半島一周道路は1962年に経ケ岬の区間が開通して全線開通となった。
かつては定期船が頼りであった集落も道路で結ばれた。
かつては定期船が頼りであった集落も道路で結ばれた。
現在も「丹後海陸交通」の路線バスが走っているが、かつては、まさしく「海陸交通」という業態であったのだろう。
経ケ岬隧道(西側)
経ケ岬隧道の扁額「白南風(しらはえ)洞」
経ケ岬隧道には蜷川虎三知事の揮毫による扁額「白南風洞」と、隧道西側には「開通碑」がある。
”白南風”は南東からの風、南東にある京都府南部(京都市)から丹後へ、という意味をこめているのだろう。
京都府の「南北格差」対策のひとつとして重要なプロジェクトだったことが偲ばれる。
丹後半島一周道路開通碑
隧道を抜けると海崖を近代土木工事で開通させた道路のダウンヒルとなる。
丹後半島一周道路
下ったところの集落にある、浦島伝説のフィールドとされる浦嶋神社
浦嶋神社
水上勉『五番町夕霧楼』夕子の在所に設定された「津母」集落。
夕子は木樵の娘で昭和26年の初秋に京都の五番町夕霧楼に入ることになった。
学生の時、下宿探しで千本中立売あたり(たぶん五番町)の散髪屋の二階を紹介され、入ってみたところ「いらっしゃい」とある色ガラスが部屋の入り口で、廊下にはタライの手水風のものがあり、部屋は布団を敷くサイズを幾回りか大きくした形状、かつては派手な彩色が色あせた内装で、今ならもっと興味深く観察したかもしれないが、何らかの怨念が籠もってそうな不気味さを感じて、早々に引き上げたことを思い出した。
その後、千本通りを挟んだ反対側の、元は堕胎医の病室だったと後で知った下宿に決めた。中途半端な時期で安い下宿はなかなか見つからなかったので。
なんだか落ち着かず、全く爽やかさを感じることがない建物、近くのお風呂屋さんに行くと紋々の人だらけ、千本通りのバスの音がやかましい、という環境で3ヶ月程で脱出し、訳あって出ることになった(自分のせいではない)北大路堀川の下宿の大家さんに解決策を提案し、戻らせてもらった。
津母
丹後大仏のあたりから道路の勾配は増し、碇峠へ。
丹後大仏
碇峠は予想したよりも走りやすい傾斜で、淡々と走って峠に着いた。
碇峠
道の駅「てんきてんき丹後」で定番人気商品のオイルサーディンを土産にした。

竹中缶詰のオイルサーディン
*詳しくはGoogleフォトで
◎走行日:2025年7月5日
◎使用自転車:グランボア10号ランドナー
◎峠:碇峠(343m)
◎行程:道の駅「てんきてんき丹後」8:40~立岩~9:38平~10:18経ケ岬11:36~12:12浦嶋神社・カフェ両助(昼)13:06~13:40津母~14:06本庄上~14:30丹後大仏~14:41知足院~15:20碇峠~16:12道の駅「てんきてんき丹後」 走行:65km
*走行ログ
隠岐島~島前・島後の4島を巡る(自転車)[2] ― 2025/06/30
◎走行日:2025年5月25日(日)夜発~30日(金)車中泊1、現地4泊5日
◎使用自転車:グランボア650×42B 55号ランドナー
◎峠:ー
◎宿泊:みつけ島荘(2泊)、民宿 味富、竹の坊
◎使用自転車:グランボア650×42B 55号ランドナー
◎峠:ー
◎宿泊:みつけ島荘(2泊)、民宿 味富、竹の坊
Day3:5/28晴れ:みつけ島荘・別府港7:50=(内航フェリーどうぜん)=8:02菱浦港(中ノ島)~8:40隠岐神社・後鳥羽天皇御火葬塚・後鳥羽資料館・村上家資料館10:00~10:15宇受賀命神社(うづかみことじんじゃ)~10:35明屋海岸展望所~11:13金光寺(きんこうじ)~12:12菱浦港12:50=(フェリーくにが)=14:00西郷港~14:35西郷岬灯台~15:07玉若酢命神社(たまわかすみことじんじゃ)~16:00水若酢神社~16:30民宿 味富・隠岐温泉(泊)
走行:55km
走行:55km
移動ログ
西ノ島・別府港から内航フェリーで、対岸の中ノ島・菱浦港へ。通学の高校生も利用。中ノ島には「隠岐島前高校」があり、日本中から生徒が集まっており、進学実績(それだけを重視している学校ではないだろうが)もなかなかのもの。
別府港を出航したところ。右手に黒木御所、左手に幕府警固の見附島。
中ノ島に到着。銀行もある。
山陰合同銀行海士支店のあるメインストリート
まずは、隠岐神社へ。1934(昭和14)年創建の新しい神社。京都でいえば平安神宮のようなものかも。
海士町には隠岐・中ノ島に配流され、この地で亡くなった後鳥羽上皇ゆかりの史跡が集まっている。
隠岐神社
隠岐神社
後鳥羽天皇御火葬塚
向かいにある後鳥羽院資料館も見学
後鳥羽院資料館
後鳥羽天皇に仕えたといういわれのある隠岐の旧家・村上家の資料館。京の公家・水無瀬家とも交流があった。
村上家資料館
村上家資料館 入り口
後鳥羽資料館で紹介されていた「宇受賀命神社(うづかみことじんじゃ)」を目指す。
西ノ島ではあまり見なかった、田んぼが広がっていた。
西ノ島ではあまり見なかった、田んぼが広がっていた。
県道317号海士島線
田んぼの中に浮かんでいるように見える宇受賀命神社。平安時代の神社一覧に名を連ねる古い神社。
宇受賀命神社
宇受賀命神社の本殿
海沿いに走り、島の北側、明屋(あけや)海岸へ
牛がまどろんでいた
明屋海岸
明屋海岸
そこそこのヒルクライムで金光寺へ。小野篁が参ったとのこと。
金光寺
坂を下って、海士町中心部へ。農協の建物が渋い。
海士町の農協
菱浦港に戻り、フェリーで島後・西郷へ向かう
島後へのフェリー切符
フェリー乗り場の建物はウッディーな空間
菱浦港乗り場。隠岐関連の本を読める
畳でくつろぐこともできる
隠岐汽船フェリー くにが
自動車を積み込んだところ
菱浦港を出航
西郷岬灯台の横を通過し、西郷港はすぐ近く。西郷岬灯台は海上保安庁の「灯台カード」該当で、下船後、自転車で向かう。
西郷岬灯台
西郷港で下船。
西郷は、自動車が普通に多く走っていて、信号も多い。これまで「島旅」感にあふれていたが、なんだか「島旅」感が薄れて本州の普通の町を走っている感覚。
西郷港で下船して、最初に目にした景観
西郷大橋を渡って、西郷岬へ。隠岐空港への経路になることもあってか、交通量が多い。
西郷大橋南詰めから西郷の町を眺める。
西郷
意外に上り坂が続き、西郷岬灯台へ到着。灯台カードを得る。
西郷岬灯台
西郷市街方向へ戻り、玉若酢命(たまわかすみこと)神社へ。
億岐(おき)家住宅
玉若酢命神社の境内に入ったところ、巨大な杉に驚いた。比類なき迫力。
「八百杉(やおすぎ)」と命名される国指定天然記念物で樹齢1500年以上。
八百杉
八百杉
玉若酢命神社本殿
島後の北方、旧五箇村にある宿へ向かう
島後の民家
美しい田んぼが広がってた
隠岐の田園風景
トンネルを抜け、水若酢神社の側を走って、旧五箇村役場へ。
五箇村道路元標
「民宿 味富」に到着。五箇温泉が至近距離。
蒲生田岬から伊座利、室戸岬から後免 ― 2025/04/15
室戸岬から後免へ、田野の旧道
愛媛県が音頭をとっている「四国一周サイクリング」にエントリーしているのだが、前回天候不順のため室戸岬から高知へは走らずに、輪行して帰宅してしまったので、そのリベンジ。
スタートは室戸岬にしたかったが、ショートカットルートはなく、やはり徳島から海岸線を下る。
今回は四国最東端に位置する蒲生田岬で泊。リアス式海岸沿いに、陸上交通的には「隔絶集落」ともいわれる「伊座利」に立ち寄り、室戸岬。旧道を選んで吉良川や奈半利、田野の街並みを走り、後免から輪行で帰宅した。
◎走行日:2024年10月10日(木)~12日(土)
◎使用自転車:グランボアER700Cランドナー
◎峠:伊座利峠234m、山座峠94m、寒葉坂100m
◎宿泊:蒲生田岬 民宿「あたらしや」、室戸岬 「岬観光ホテル」
◎行程:10/10 晴れ: 京都7:41=(のぞみ273)=8:41岡山9:05=9:58高松10:10=(うずしお9)=11:16徳島11:30=12:39新野13:35~16:00蒲生田岬~16:30あたらしや(泊)走行:25km
10/11 晴れ:あたらしや8:10~9:30伊座利峠~9:50伊座利10:05~10:37阿部~11:22由岐~12:15山座峠~12:35日和佐~13:11寒葉坂~14:21海部駅~15:04野根大橋~15:40佐喜浜~16:32岬観光ホテル(泊)走行:133km
10/12 晴れ:岬観光ホテル7:50~室戸岬8:00~9:25吉良川~10:30奈半利~10:45田野~12:30安芸の野良時計~14:20赤岡~15:00JR後免駅16:21=(南風22)=18:47岡山19:20=(のぞみ56)=20:19京都 走行:84km
◆10月10日(木) 自宅=JR牟岐線新野駅(輪行)~蒲生田岬
新幹線で輪行する際、「特大荷物スペース」を予約するのが習慣になっているので、岡山から高松のマリンライナーと高松から徳島の特急「うずしお」ともわざわざ指定席で一番後ろの席を予約した。
しかし、マリンライナーはガラ空きで、指定席の必要は全くなかったし、「うずしお」に至っては、一両の前半分が指定席、後ろ半分が自由席という造りになっていて、指定席の一番後ろの席は連続する普通の席で輪行袋を置くためのスペースはなく、全く意味が無かった。で、自由席の一番後ろに座った。
無駄な指定席料金を払って、ずいぶんと勿体ないことをしてしまった。
特急「うずしお」の社内
輪行袋の収まり具合
JR牟岐線「新野」駅に到着
今回の荷物。輪行袋は「オオマエジムショ」オリジナル フォーク抜き用
輪行袋を開けた姿
新野駅で組み立て、のんびりスタート。椿坂隧道へ。
椿坂隧道
隧道開通記念碑には「椿町は”陸の孤島”といわれ椿坂が交通の大きな障害になっておりトンネルの開通は全町民多年の宿願」とあり、昭和42年(1967年)に開通。
椿坂隧道開通記念碑
蒲生田岬を目指す
対岸は椿泊漁港
蒲生田岬は四国最東端ということで、対岸は和歌山。
なので、最果感というのとは違うが、まあ、岬巡りという感はある。
樹木が斜めになっていて、厳しい風が吹く日も多いのだろう。
蒲生田岬
蒲生田岬灯台
蒲生田岬
蒲生田岬にある民宿「あたらしや」に宿泊。「あたらしや」というのは地元の屋号であって、なにも最近引っ越してきた家ではない。
民宿 あたらしや
近くの温泉を紹介されて、行ってみた。高台にあって眺めがよい。
かもだ岬温泉
宿では、せっかくなのでお勧めの伊勢エビをオプションで付けてもらった。
同宿の方が、JR西日本バスの運転手さんで、京都市バスに出向されているとのこと。ウチの近くの市バス路線も運転されていて、諸々、話がはずんだ。仕事でバス、休日には自分のクルマでツーリングされており、本当に運転がお好きなのだろう。コロナ以来、久々の宿泊先での会話。
伊勢エビ
伊勢エビが、数分後にはこんな姿に
◆10月11日(金) 蒲生田岬~室戸岬
基本、海沿いに室戸岬へ。
宿の部屋
蒲生田岬の民家
阿南市立椿小学校のところから、伊座利峠へ。勾配も適当で、良い峠であった。
伊座利峠
伊座利峠から伊座利集落を望む
伊座利
伊座利港
伊座利
伊座利の集落を出てからは山間を走るが、時々海が見える。
美波町の海
伊座利を出発して40分ほど走って、ようやく隣の集落「美波町阿部」を通過。
美波町阿部
由岐を通過
由岐
牟岐線の踏み切りを渡って「田ノ井浜」の堤防に座ってパン昼食
田ノ井浜
白浜の遍路道わかれ
オランダからの歩き遍路さん
山座峠
山座峠を越えて、ようやく日和佐に到着。高校2年の夏、日和佐ユースホステルに泊まった思い出深い町だが、思っていたよりも時間がかかり、12時半を過ぎていたため、そのまま通過。
海亀が産卵に来る日和佐の浜
ひたすら走り、東洋町の野根橋。ここからは左手に太平洋を眺めながら走ると室戸岬に着く。
野根橋
岬に向かってひたすら走る
室戸岬に到着
岬観光ホテル。去年も泊まった。
◆10月12日(土):室戸岬~吉良川~安芸~後免
日の出、部屋からの眺め
太平洋から昇った朝日
室戸岬を出発。室戸岬港(津呂港)に紀貫之の碑があった。任期が終わって京都に帰る際、天気が悪くて数日間船で滞留した場所。
紀貫之の船泊まり碑
津呂港
国道に沿って旧道が残っている。とても走りやすい。
旧道沿いのお好み焼き屋さん
昭和9年9月21日の室戸台風 風水害の碑
四国八十八所の25番霊場津照寺だが、通過。
津照寺
各所に津波の避難施設があった。
津波避難施設
備長炭で栄えた「吉良川」。重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。祭りの準備をされていた。
吉良川にて
吉良川の民家
奈半利、田野、安芸と旧道を走りながら伝統的建築物を眺める。
奈半利の濱田家住宅
田野の旧岡家住宅
田野の旧道にて
安芸市土居
安芸の野良時計。国の有形登録有形文化財。
国道を避けて自転車専用道を走る。太平洋の展望台があったので寄ってみた。
太平洋の展望台
展望台より。室戸岬が正面に。あそこから走ってきたのか。
いかにも鉄道跡のサイクリングロード
手結山付近
後免駅から輪行で帰宅することにして、赤岡から北西方向に高知平野を走った。
JR後免駅
後免は、やなせたかしが育った町。2025年のNHK朝ドラに登場することからかホームには碑ができていた。後免から輪行で帰宅。
やなせたかしの碑
切符
(おしまい)
立石岬[灯台カード]と原発だらけの敦賀半島ワンデイツーリング ― 2025/02/26
「灯台カード」というのがあります。海上保安庁の発行で、該当する灯台の敷地内にあるQRコードを読み込むと取得できます。灯台の立地特性を考えた素晴らしい仕組みです。

写真:灯台カードの例 (縮小して掲載)
自転車ツーリングの楽しみに付加しようと思い、該当灯台のある福井県敦賀市立石岬に行くことにしました。
敦賀市にクルマをデポ。敦賀半島の東岸を北上します。
途中、けっこうな数の民宿や旅館があります。釣り客や原発の点検保守作業員の需要を見込んでいるのでしょう。
途中、けっこうな数の民宿や旅館があります。釣り客や原発の点検保守作業員の需要を見込んでいるのでしょう。
原発のある岬の先端に向かって道路が整備されていますが、「沓」という集落の細い道に入ってみました。鳥居は大正時代に建てられています。当時は勢いがあったのでしょう。
写真:「沓」集落の八幡神社
写真:鳥居は大正14年の建立
写真:沓集落のドンツキから望む敦賀湾
写真:グランボア650Bランドナーoyakata10号
改良された道路のトンネルは避けて、海沿いの小さな峠を越えて、「手浦(たのうら」を通過、「色浜」へ。奥の細道で芭蕉も来訪しており、歌碑がありました。
「寂しさや須磨にかちたる浜の秋」
写真:色浜
写真:端正な造作の常夜灯籠
写真:常夜灯籠は元禄12年(1699年)建立
写真:芭蕉句碑
色浜の次ぎにあらわれるのが、「浦底」集落。家並みから少し階段を上ったところに神社がありました。
写真:浦底にある劍神社
写真:劍神社
写真:神社の建物にある古い絵馬
しばらく走ると、日本原電の敦賀原発。1号炉は1970年の大阪万博開会式に初送電しましたが2011年の東日本大震災を経て2015年に廃炉。2号炉は直下に活断層があるとの評価報告書が正式に出され、規制委員会から原発の安全対策に適合しない決定が下されましたが、日本原電は抵抗しています。その奥にある「ふげん」も廃炉になっており、2040年に廃炉完成予定とのこと。
それにしても「ふげん」とか「もんじゅ」とか仏様の名前を原発に使うのは、不遜にも程があると思います。
それにしても「ふげん」とか「もんじゅ」とか仏様の名前を原発に使うのは、不遜にも程があると思います。
写真:日本原電敦賀の入り口
原発の入り口を通りすぎ、トンネルを抜けると立石集落が、山と海に挟まれて細長く存在していました。古くから敦賀湾外に出漁する釣浦として存在。
写真:立石のバス停
写真:立石集落
車道を行き止まりまで走って自転車をデポ。徒歩で山道を上がると、今回の目的の立石岬灯台がありました。明治14年(1881年)7月の点灯。
写真:立石岬灯台
敦賀方面へ引き返し、今度は敦賀半島の西岸に向かいます。半島を貫く長大なトンネル(敦賀半島トンネル=全長3.8km)を通ります。トンネル走行は好きではないのですが、旧道は存在しないので仕方ありません。もっとも、クルマは全く走ってなくて問題ありませんでした。
トンネルの中には、なんとランニングの人がいました。トンネルを出たところにも。
旅ランにしては荷物がないし、どこからどこへ走っている人なのだろうと思って声をかけたところ、どうも「もんじゅ」関係で働いている人のようでした。確かに、トンネルの中は夏は涼しく冬は暖かく、クルマも稀にしか走ってないので排ガス臭くもなく、よい練習場所になるのでしょう。
ちょうど昼休みの時間でしたし、散歩している人とかも。僻地にある開放感のない職場では、こうして外気に触れて身体を動かさないと精神的にしんどいのかもしれません。どんな仕事なのかわかりませんが、廃炉が決定している原発で、ゴールがいつになるのかもわからない、世間からもリスペクトされ難い組織で働くことの大変さを想像しました。もしかしたら大学で原子力などを専攻した人にとっては、専門が生かせて労働条件も良い職場なのかもしれませんが。
写真:敦賀半島トンネル
トンネルを抜けると「白木」浦。「白木」は「新羅」から来ているのではないかという説もあり、古くから漁業で勢力をもった浦。半島の先端の集落というのは、現代の感覚では一番奥の僻地だと思われがちですが、海上交通がメインの時代にはそうではありません。そもそも今のような道路はなく、陸上には杣道しかなかったのですから。
写真:白木の「白城神社」
写真:文政13年(1830年)建立
写真:白城神社
写真:白城神社の建物
写真:白木の集落
神社のすぐ横の海岸にでると、高速増殖原型炉「もんじゅ」が正面にありました。想像していたよりもこぢんまりとしてます。事故を起こせば日本のかなりの部分が壊滅的になる存在なのに、外形的には小さく静かなのが、なんとも不思議に感じられました。
写真:高速増殖原型炉もんじゅ
写真:白木にある「海蔵寺」
白木から丹生へはトンネルを避けて旧道の白木峠へ。途中、「もんじゅ」への分岐があるのですが、一般公道上からカメラを向けただけで、警備員がワーワー叫びながら走ってきて、とても感じが悪かったです。建物に肖像権はないし、納税者への態度として不快。よっぽど暇にしていて、存在感を示したかったのでしょうか。
写真:もんじゅ への分岐
白木峠には放射線観測施設と朽ちた案内図がありました。
写真:白木峠の放射線測定施設
写真:白木峠にて
峠を下ると、そこは「丹生」。ここには関西電力の美浜原発があります。1号機と2号機は廃炉作業中。3号機は過去に運転中の死亡事故を起こすなどトラブル続きでしたが2022年に再稼働したものの、2024年に冷却水漏れが発生し、現在停止中。
写真:丹生集落と美浜原発
写真:釣り人と美浜原発
写真:丹生にて
写真:美浜原発遠望
原発というのは稼働していても煙や騒音も出さず、外形的には静かにチンと収まっています。風力発電の風車は、私の場合生理的に苦手で低周波騒音なのかどうか判りませんが、近づくと気分が悪くなります。太陽光発電パネルも景観面のみならず、多くの問題が指摘されています(事業者の責が大)。自然エネルギーが手放しで称賛される状況ではないのですが、かといって原発の潜在的リスク、日本国を壊滅させるパワーをもった甚大な危険性を捨象できません。建設やその後の運営にまつわる原発マネーの不明朗さや地域社会の分断等の問題もあります。
電気エネルギーの恩恵を受けている一人として、悩ましいところです。
「竹浪」から今度は馬背峠(まじょうとうげ)トンネル(=1.4km)を通って東海岸へ。
写真:竹浪の集落。
写真:馬背峠トンネル
トンネルを抜けて、しばらく走ると、敦賀の気比の松原。三保の松原(静岡県)・虹の松原(佐賀県)と並ぶ日本三大松原の一つ。
写真:気比の松原
デポしていたクルマに自転車を載せ、舞鶴のお風呂屋さんへと向かいました。
国道27号線には路肩が狭くて大型車の通行が多い箇所があり、自転車では走りたくないので、こういう機会にクルマで舞鶴へ。
西舞鶴の吉原地区で、昭和を感じさせる街並みの中に、渋いお風呂屋さんがあります。京都府公衆浴場組合のキャンペーンに参加するため、立ち寄りました。
創業は1920年(大正9)年、100年以上続く漁師町のお風呂屋さん。国の有形登録文化財です。 おしまい。
写真:舞鶴市(西舞鶴)吉原
写真:舞鶴市吉原
写真:吉原にある「日の出湯」
今回の走行ログ(クリックして拡大)
◎走行日:2024年10月31日
◎使用自転車:グランボア650Bランドナーoyakata10号
◎走行距離:50km
◎行程:敦賀市気比の松原8:50~9:50色浜~11:00立石岬灯台~12:30白木~13:05丹生~14:00馬背トンネル~14:15気比の松原=16:50西舞鶴吉原



































































































































































































































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