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フレーム製作とは?グランボアoyakataフレームで考える2018/11/20


グランボアOYAKATA650BランドナーER
写真:グランボア650Bランドナーoyakata

この度、「グランボア650Bランドナーoyakata」を造ってもらったが、大変失礼ながら、期待を大幅に上回る乗り味というか走りに驚愕した。競技に使う自転車ではないし、タイムトライアル的な計測をするなどしての定量的な評価ではなく、あくまで乗り味としての極めて定性的なものではあるが。

私は輪界の人間ではなく、これまで正確に数えたことはないが、趣味として20台以上の自転車を自分で購入して自分で乗っているだけの人間であるが、このグランボアランドナーoyakataの走りは、これまで乗ってきた中でも、間違いなく先頭集団であり、もしかしたらそこから逃げを決めている1台かもしれないのである。「乗り味選手権」としての話ではあるが。

ちなみに、今思うところの先頭集団だと純粋想起できるのは「DE ROSAネオプリマート」と「CASATIゴールドライン」。「グランボア650×42Bデモンタ(TOEI製)」も、実際跨がると、見た目の期待値以上によく走り、いつも予想を裏切る?感動を与えてくれる。あと、実は、パナソニックのクロモリシクロクロス車も、悔しいけれど、かなり良い。

自転車のプロデューサーとしての土屋さん(oyakata)は、この道30年以上で、世界的にみても斯界(ランドナー)ではリスペクトされる存在であろうとは想像できるが、正直、フレームビルダーとしての土屋さんというのは、キャリア的には全くの駆け出しである。それでも、この成果物!

これまで、フレームビルダーの仕事ということについて、あまり深く考えてみなかったが、今回の事象を体験していろいろ考えるのに、ある意味、謎が深まった。

つまり、自転車のフレームをつくるということについての謎。

例えば柳宗悦の著作などに登場する「民芸」で「用の美」とされる手仕事の商品群の場合であっても、職人に要求されるのは確実な仕事をスピードでこなすこと。手が遅ければ、職人としては失格。その行き着くところは、有田焼のように分業の徹底。線をひく人は職人人生のほとんどを線引きで過ごし、色を付ける人はそれだけ、といった具合に専門化された極限の手仕事で製品を作る。※有田焼は上手物中心ですが

自転車のフレームというのはいったいどんなものなのだろう?
1品もので、集中力を絶やさずにつくれば精度が出てよく走る素晴らしいものができるのだろうか?量産化するとなかなか精度がでなくて、結果、量産品の走りがそれなりになってしまうものなのだろうか?

誰に強制されたわけではないフレームビルダーとしての土屋さんの場合は、ある意味採算度外視で時間をかけられるから良い仕事ができるのか、器用さというか技術的な問題なのか?

単なる賃労働としてフレームを作っている人がいるとして、その場合と好きでフレームを作っている人とでは、成果物としての差が出てしまうものなのか?出るとしたら、どんな形で出るのか?

フレームビルダーとして一通りの技術をマスターするのに、個人差があるにしても、どれくらいの期間が必要で、到達点のレベルの差というのはどの程度なのだろうか?

一定の技術習得を経た後に、飽きずにきちんと仕事のレベルをキープできる能力の方が実は大切なのだろうか?

気に入った自転車が1台増えたのだから、それで必要にして十分なのだが、何というか、自転車への謎が深まったのである。

(追加)
「BICYCLE CLUB 2019年9月号P158-159 「今野真一『誤差は必ず生じる』」に考えるヒントというか参考になりましたので、転載します。(クリックして拡大)