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2024北海道ツーリング16:宮古市女遊戸=気仙沼=京都2025/01/14

Day25:7月8日(月)晴れ 女遊戸=気仙沼

女遊戸8:02=9:00白浜峠=10:13千鶏=10:32寒風峠=11:43吉里吉里駅=12:11釜石=13:27道の駅さんりく(うに丼)=14:40陸前高田東日本大震災津波伝承館15:14=15:53気仙沼 ラ・ジェント・イン気仙沼(泊)
 <畠山美由紀・小池龍平 コンサート:気仙沼 拓ホール>
 自転車走行:4km、自動車走行:191km

今日は宮古市から気仙沼まで、三陸自動車道は使わず下道を走る。東日本大震災の被災地を走ることになる。
宿のある女遊戸は海からはだいぶ上がったところにあるのだが、宿の少し下ったところには津波到達碑があり、こんなところまで波が来たのかと驚いた。
宮古市女遊戸
 写真:宮古市女遊戸の津波到達碑

三陸海岸に突き出ている閉伊崎の灯台まで行こうとしたが、途中から道路がクルマ1台脱輪せずに走るのがやっと位の幅になったので、あきらめて引き返した。

鵜磯地区の津波到達碑。海面からずいぶんと高いところにある。
 写真:津波到達碑(岩手県宮古市鵜磯)

重茂(おもえ)地区の大津波記念碑。
 写真:岩手県宮古市重茂。

鵜磯地区。道路からは無人地帯に見えた。甚大な被害を受け、残った家屋も高台に移転したようだ。
 写真:岩手県宮古市鵜磯

しばらく山中を走り、千鶏(ちけい)地区へ。明治三陸地震津波(1896年明治29年)と昭和三陸地震津波(1933年昭和8年)の碑と並んで東日本大震災での碑があった。
 写真:岩手県宮古市千鶏の大津波碑。

近くに津波浸水区域の看板があった。ここでも、こんなに標高の高いところまで到達したとは信じられない。
 写真:千鶏地区の浸水区域掲示

千鶏地区遠望。海から一定の標高までは更地になっていたことがわかる。
 写真:千鶏地区遠景

寒風峠を越え、川代地区へ。東日本大震災、昭和、明治の大津波碑が並ぶ。
並んで1948年(昭和23年)に建立された「電燈電話架設記念碑」があった。
戦後しばらくまで電気がない生活というのは、当該エリアにおいて特別なことではなかったのだろう。
 写真:岩手県宮古市川代

圧迫感を減らすためかロックフィルダムのような形状の防潮堤。
 写真:岩手県下閉伊郡山田町大沢

三陸鉄道リアス線、吉里吉里駅へ。岩手県上閉伊郡大槌町にある。
吉里吉里駅
 写真:吉里吉里駅

釜石で「鉄の歴史館」を見学。
鉄の歴史館
 写真:鉄の歴史館

道の駅「さんりく」三陸ふるさと物産センターで生ウニ丼、1800円。
生ウニも沢山売っていたのでお土産にしようかと思って尋ねたところ、クール宅急便でも京都までは鮮度が保てないとのこと。やはり現地で頂くに限る。
日にちが違うので比較にならないかもしれないが、これまでのウニ丼提供スポットよりリーズナブル。

 写真:道の駅「さんりく」生ウニ丼

陸前高田で「東日本大震災津波伝承館」へ。
津波で潰れた消防車。
 写真:東日本大震災津波伝承館

今日の目的地、気仙沼へ。気仙沼出身のシンガーソングライター畠山美由紀のコンサートがちょうど良いタイミングであることを知り、北海道の帰路、旅の締めを気仙沼にした次第。東日本大震災後に発表された「わが美しき故郷へ」をラジオで聴いて、衝撃をうけ、アルバムを全て購入し続けている。

 写真:気仙沼駅

廃止された鉄道線路がバス専用道路になっていて、代替バスが走っている。踏み切りまである。
 写真:気仙沼の鉄道代替バス

旅の締め。気仙沼で畠山美由紀コンサート。
60人規模の小さなホール。
そこは、かつて津波で全て失われてしまったエリアに、復興支援事業でつくられた建造物エリア。
ボーカルとアコースティックギターだけの構成。
ギター1本でここまでできるのかと驚いた。
観客は多分地元の人がほとんど。
スタートは軽やかなポルトガル語の曲で始まったが、「花の夜舟」になると、会場中、静かな涙。
「浜辺の歌」(唱歌の)を歌って、会場が涙涙になるのは、震災を経験した気仙沼だからか、畠山美由紀の歌唱力にあるのか。たぶんそのマリアージュだろう。
歌の合間のトーク掛け合いは笑いにあふれて楽しい雰囲気で、構成がよく練られていた。
最後は、9歳からの親友がピアノ伴奏で登場。地元開催ならでは。
「わが美しき故郷よ」を歌い、アンコールは「歌で逢いましょう」。
心洗われるコンサート。

拓ホール
 写真:気仙沼 拓ホール
畠山美由紀・小池龍平コンサート
 写真:コンサートの会場ポスター

Day26:7月9日(火)雨 気仙沼=京都
気仙沼7:05=9:11仙台南IC=(磐越道)=13:14阿賀野川SA(昼)13:43=14:10新潟中央JCT=(北陸道)=18:53尼御前SA(晩)19:28=20:38敦賀IC=(R161)=21:25道の駅安曇川21:45=23:04京都自宅
 自転車走行:0、自動車走行:936 km

気仙沼港に寄ってから京都へ。長いドライブになる。
気仙沼港
 写真:気仙沼港

 写真:出発時ガソリンスタンドから帰宅するまでの走行距離など

雨が強く降る中、気仙沼から京都までワンデイで帰宅。休憩は安達太良SA、西会津PA、阿賀野川SA(昼)、名立谷浜SA、尼御前SA(晩)、道の駅あどがわ の6ヶ所。

高速代節約のため北陸道敦賀インターで降りて国道161号を選んだが、夜の愛発越は大型トラックが峠道対向車線ぎりぎりに爆走してくるし、中央分離帯の無い湖西道路はやたら流れが速く、この選択は間違いだった。次回からは普通に北陸道から名神を走る。敦賀までで800km程走っている疲れもあるだろうが。ワンデイで936kmというのはこれまでで一番長い距離だが、特に身体のどこかが痛くなるとかいうことはなく走り終えた。

こうして26日間の北海道ツーリングを終えた。

自転車走行は875kmだが自動車では結果として5,634kmも走り、外形的には自転車ツーリングというよりドライブ旅行になってしまったのかもしれない。

自動車に自転車を積んで旅を組み立てるのは機動性があるが、

「荷物は自分たちで運べるだけ。
何も汚さず、何も損なわない。
そんな旅をマダムは『美しい』と表現した」
(グランボア2024カタログLeteより引用、土屋夫妻のフランスでの旅)

という文章に接したとき、自分の中での今回の旅の違和感のようなものが言語化された。荷物を積めるだけ積んでの自動車+自転車 旅行は美しくない、ちょっとeasy過ぎると思う次第。でも、やっぱり
広い北海道では有効だし。とはいえ、内地の移動距離でいうなら、京都から松江に行って、そこで自転車に乗り、次の日は広島に行って、翌日神戸まで戻って走りました、みたいなのはやっぱりなんだかなあ、と思ったりする。

北海道には、まだまだ自分の眼で見てみたいところがあるし、
「北海道には何がある?」
という問いかけにも、自分の中での回答は未だ。

今年も北海道へ出かけたい。

(追記 2025/6)今年は町内会の抽選で副会長になっているのと義母が骨折入院したこともあって長期間の旅は止めることにしました。また、次の機会に。