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コンセントレーションおにゅう峠(2022/11)2022/11/05

コンセントレーションの日本語訳は「集中」。
江若国境の「おにゅう峠」に11月3日の12時から13時の間に各人が集まるというイベントに参加してきた。

京都のツーリング自転車専門店「I’s Bicycle」のお世話で、感染症のため3年ぶりの実施。
好きなコースでバラバラに集まるのだが、私は、オーソドックスに花折峠(トンネル)、梅ノ木経由の自走。峠からは小浜に下って、輪行。走行距離は92km。

走行ログ(クリックして拡大)

走行ログの断面  ※走行ログはスマホアプリ「スーパー地形」で計測し、macの「Trail Note」で表示したものを使用

京都から大原、花折峠を越えて朽木谷から若狭へと繋がる国道367号線は、京の都へ若狭から鯖を運んだ「鯖街道」の歴史を持つルートだ。

私が自転車ツーリングを始めた頃、この道には路線バスと乗用車がすれ違うにも苦労するような箇所があちこちにあり、地形と折り合いをつけてなんとか通させてもらうような謙虚な道で、趣きがあった。近年改修されてしまって、トンネルと橋脚で直線的に車がビュンビュン飛ばして走るバイパスのようになってしまったが、今回、久しぶりにしみじみと走ってみることにした。

自宅を6:40に出発。自転車はグランボア700Cデモンタブル。
堀川玄以のコンビニで食料を買い、静原、8:08に江文峠で出発してちょうど1時間半。

江文峠
写真:江文峠

大原の旧道を走って8:38途中越。付近は霧に覆われていた。
花折トンネル9:03、止まって写真を撮る。

花折トンネル
写真:花折峠(トンネル)

国道は改修されているが、旧道が残っているところは、そこを選んで走る。

葛川木戸口町
写真:朽木谷:葛川木戸口町

葛川町居町
写真:朽木谷:葛川町居町・・・司馬遼太郎「街道をゆく」第1巻にも朽木谷は登場

梅ノ木で国道367号を離れ、朽木の西谷、針畑川沿いを走る。
惚れ惚れするほど、サイクルツーリング向きのエリアだと思う。
幸せを感じながら、ペダルを踏む。

朽木平良の民家
写真:朽木平良の民家

朽木桑原の神社の銀杏が色付いていた。

朽木桑原
写真:朽木桑原

蛭子神社
写真:蛭子神社(朽木桑原)

簡易郵便局のある朽木古屋。

朽木古屋
写真:朽木古屋:簡易郵便局

朽木古屋
写真:朽木古屋

おにゅう峠の登り口の集落「生杉」にある山村都市交流施設「山帰来」に10:45着。
カップヌードルでエネルギー補給。それにしても、快適な空間で食して200円というのは安すぎると思う。

山帰来
写真:朽木生杉にある「山帰来」

11:00に「山帰来」を出発しておにゅう峠到着11:42。私の場合、鞍馬神社から花背峠に登るのとほぼ同じ所用時間。傾斜は花背峠ほどきつくない。

おにゅう峠
写真:おにゅう峠

おにゅう峠への道
写真:おにゅう峠手前にて

生杉側
写真:朽木生杉側を望む

グランボア700cデモンタブル
写真:グランボア700cデモンタブル

おにゅう峠ではアイズバイシクルの皆さんにお迎えいただき、お菓子など、いろいろ頂く。総勢40名ほどが集まり、13時に記念撮影をして解散。

2022コンセントレーションおにゅう峠
写真:コンセントレーションおにゅう峠2022

写真:おにゅう峠・若狭側

小浜へのダウンヒルでは、遠くに上根来の集落と日本海が見えた。

写真:若狭側。上根来の集落と遠くに日本海。

上根来
写真:上根来

奈良・東大寺の「お水取り」のための水を採取して送る「若狭井」の神社は通過して、「遠敷(おにゅう)」の町へ(13:59)。

遠敷
写真:「遠敷」旧丹後街道
遠敷
写真:「遠敷」旧丹後街道

南川を渡り、小浜駅へ。南川沿い、国道27号線との交差点まで、京都・高雄から毎年、周山街道往復180kmタイムトライアルをチームで実施していたのが、懐かしい。6時頃出発して昼ごはんは高雄に戻って食べていたので、平均速度28km位だった記憶。もう30年程前の話。

南川
写真:国道27号線、南川の橋より、遠く丹波・京都方向を望む。

14:15小浜駅着。
今回は、久々にデモンタブル輪行。
輪行方法はフォーク抜きに美学を感じていたが、デモンタブルが実に簡単で手も汚れないと再認識。昨年、デモンタブル方式に「開眼」して、実践するのはそれ以降今回が初めてなのだが、想像以上の楽ちんさだった。以前の練習時よりもスリムに収められた。デモンタブル、恐るべし。

小浜駅
写真:小浜駅

小浜線で東舞鶴経由で京都へ。車窓からは若狭の海が広がる。

若狭の海
写真:小浜線の車窓より、若狭の海。

若狭湾の半島にある原発からの送電線。大阪や京都は、その恩恵を受けてきた。
水上勉の故郷の駅の近くにて。
原発からの送電線

嵯峨嵐山駅18:07、輪行組立スタート
デモンタブル輪行
写真:デモンタブル輪行袋を開けたところ

18:25には組立て、前後バッグも装着。特に急いだわけではないのだが、18分で完全に走行状態に復帰した。


おしまい。

◇走行日:2022年11月3日(木)
◇使用自転車:グランボア700cデモンタブル
◇行程:自宅6:40〜8:08江文峠〜8:38途中峠〜9:03花折峠〜10:45朽木生杉11:00〜11:43おにゅう峠13:05〜14:15小浜駅(デモンタブル輪行)15:29=16:16東舞鶴16:26=(まいづる12号)=17:49亀岡17:53=18:03嵯峨嵐山(輪行組立)18:25〜自宅
◇峠:江文峠(311m)、途中越(375m)、花折峠(トンネル)480m、おにゅう峠(833m)

鎧駅、浜坂から城崎へ但馬御火浦(たじまみほのうら)2022/11/27


鎧 集落
写真:兵庫県香美町鎧:自転車の道路はJR鎧駅で行き止まり。下の道路は集落の中を通って海で行き止まり。

宮本常一編「僻地の旅」修道社1960 という本を以前古書店で入手し、時々読み返したりしている。その中で写真・文筆家の大竹新助が「山陰の辺境」と題して城崎から鳥取にかけての海岸沿いのエリアについて描いている。

リアス式海岸の湾奥に集落が立地。自動車の走れる道路は高度経済成長期を経てようやく開通。それまでは船と歩きの細い道、隣の集落へは鉄道線路を歩くことが移動手段だった。

船と徒歩に頼る生活は、なにも兵庫県北部から鳥取県にかけての漁村に限ったことではないのだが、鉄道の本線(山陰本線)が走っているすぐ側の集落がそうであることが東京に住む大竹新助には意外だったようだ。「鎧駅」のある「鎧」集落や、鉄道が通過していても1959年(昭和34年)まで駅がなくて「陸の孤島」といわれた余部(あまるべ)集落がその典型。

かつて「日本の僻地」といわれたこのルートを帰省の行き帰りに何度か自動車で通過しているが、その度に今度は自転車で走りたいと思うのであり、このたび実行した。

城崎浜坂ルート
図:浜坂から城崎へのルート。
赤線は登りで青線は下り基調(Mac”Trail Note”ソフトで作成)

JR浜坂駅をスタート
写真:JR浜坂駅をスタート

浜坂 岸田川
写真:浜坂の街並みを抜け、岸田川を渡る


三尾
写真:尾根を越えて、ダウンヒルで「三尾(みお)」の漁村

但馬御火浦
写真:「三尾」「但馬御火浦」碑があった

但馬御火浦

但馬御火浦

但馬御火浦
写真(上3枚):人けのない海沿いの道を走り続ける。天気が良いので安心。

余部埼灯台
写真:余部埼灯台。国内で一番標高が高いところにある灯台とのこと。
遠くに灯台が見えた時、歩きでないと行けないかと思ったが、灯台まで舗装路だった。

余部埼灯台からの眺め
写真:余部埼灯台付近からの眺め

御崎 集落
写真:「御崎」集落。海面から150m以上高い孤立した立地。平家の落人部落。漁村的ではない。

坂を下って余部の集落
写真:海沿いのクネクネ道を下って、余部(あまるべ)集落手前。余部鉄橋が見える。

余部鉄橋
写真:余部集落内からみた、余部鉄橋、余部駅。かつては東洋一の高さを誇った。

余部鉄橋
写真:コンクリ製の2代目鉄橋に架け替えられた余部鉄橋

余部鉄橋を渡っていた回送客車列車の客車部分が強風で落下し、カニ加工場で働く地元の主婦5名と車掌が亡くなったのは1986年12月28日。私は、ちょうど年末の出勤当番で会社にいて、事故の一報を聞いて驚愕した。

余部鉄橋が竣工したのは1912年(明治45年)。それをもって山陰線が全通。
明治の早い時期に鳥取から京都へ出た私の本家の方のアルバムに余部鉄橋完成時期の写真が残っていた。
余部鉄橋
写真:余部鉄橋、竣工時期に撮影されたものと推察される

余部鉄橋の上り香住側、トンネルをいくつか抜けたところにあるのが鎧駅。
ホームから海が望め、ポスターで紹介されたりロケ地に使われたりしている。列車で通過する度に訪問してみたいと思っていた。道路は駅で行き止まり。生活道路に、車で乗り入れるのは憚られ、自転車だと好都合。

鎧駅へ
写真:自転車の道は鎧駅で行き止まり。下の集落の道は海で行き止まり。
鎧 集落
写真:鎧の集落
鎧駅手前
写真:鎧駅へ
私の受験や帰省、母の疎開、父の出張、祖父が御大典で上洛する時もこの鉄路を通ったのは確かで、同じような車窓風景を見たかもしれない。

鎧駅
写真:鎧駅
鎧駅
写真:鎧駅 ホームより海を望む

鎧駅
写真:鎧駅

鎧から県道へ上がる道には、文化年間のお地蔵さんがあった。
鎧 地蔵

香住の街を抜け、何度か海沿いのアップダウンを繰り返す。
海沿いの県道開通記念碑があった。難工事、住民の悲願だったのだろう。香住区相谷。
県道香住久美浜線開通記念碑
写真:「県道開通記念 香住久美浜線 昭和45年7月」

但馬の海岸をひた走る。

写真:香住ー竹野間
竹野からは鋳物師戻峠で城崎へ
鋳物師戻峠
写真:鋳物師戻峠

城崎温泉
写真:城崎温泉
このまま旅館に泊まれば最高なのだが、輪行で浜坂に戻り、帰宅することに。

城崎駅から輪行
写真:城崎からデモンタブル方式で輪行。キハ47の車内。

浜坂駅に到着
写真:浜坂駅に到着

夕方5時過ぎにはすっかり暗くなった浜坂駅に到着。京都の自宅へはクルマで帰る。

◇走行日:2022年11月21日(月)
◇使用自転車:グランボア650Bデモンタブル
◇行程:京都自宅4:15=(自動車)=6:40ローソン豊岡福田店(朝食)7:00=7:43浜坂駅8:06〜8:54三尾〜10:08余部埼灯台10:20〜10:45余部(昼食)11:30〜11:47鎧駅12:10〜12:30香住〜14:10竹野〜14:30鋳物師戻峠〜14:42城崎(輪行)城崎駅16:21=17:18浜坂駅17:25=(自動車)=20:30京都自宅
◇峠:鋳物師戻峠(248m)

余部の道の駅で購入した小冊子 余部鉄橋架替記念事業記念誌「余部鉄橋」兵庫県香美町2007年2月発行1100円、が大変参考になった。