角島大橋・油谷、長門の半島を巡る(2017/5) ― 2017/05/20
「地図を眺めているうちに、『何があっても、ここに行ってみなくっちゃ』という気持ちになってしまう場所がある。そして多くの場合、そこはなぜか遠くて不便なところなんだ。そこにどんな風景があるのか、そこでどんなことが行われているのか。とにかく知りたくてたまらなくなる」
同感! 「何があっても」とまでの熱意はないが、地形図を眺めていて、山口県の日本海側の半島群を巡りたくなった。上にある地図は、その主たるエリア。というわけで2017年のGWに角島(つのしま=橋で繋がっているので半島みたいなもの)、油谷島(ゆやしま=今では砂州で繋がっている陸繋島)や俵島、全般的には向津具半島(むかつくはんとう)を巡ってきた。
【ルート】
【走行日】2017/5/5~5/6
【行程】
2017/5/4 自宅17:20=19:30(滝野社から中国道)=19:46加西SA(夕食)20:30=22:45帝釈峡PA=24:30吉羽SA(車中泊)
5/5 吉羽SA6:05=7:30美祢市営駐車場(車デポ)8:05~8:50小杉9:05~9:43西市~10:13蕎麦屋10:40~11:30田耕神社~12:10沈下橋~12:30長門粟野駅~13:50角島大橋~14:20角島灯台~15:05角島大橋(本土側)~15:54長門粟野駅~16:18油谷大橋~16:57久津(錦波旅館 泊)
5/6 泊地8:15~(雨宿り)~9:24本油谷~10:08俵島~11:07久津~11:49川尻岬灯台~12:19畑峠~12:30川尻~13:30東後畑棚田(昼食)14:20~14:30津黄峠~14:45千畳敷~15:08茅刈~15:47長門市観月橋~15:57長門湯本駅~16:56山中峠~17:56美祢市デポ地18:30=(中国道)=美東SA(夕食)19:30=21:40七塚原SA=24:03上月PA=25:03赤松PA=26:30自宅
【自転車】グランボア700Cデモンタブル
【峠】 畑峠(160m)、津黄(つお)峠(198m)、山中峠(やまなかたお)(330m)
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三原から浜田、旧庁舎巡りをしながら中国山地を縦断(2012/7) ― 2017/05/07
町村の広域合併で、かつて町役場があった地区がそのエリアの中心性を失ってしまうケースがしばしばみられます。今では地図を眺めていても、そこに独自の行政区、領域が存在していた痕跡もわかりにくくなっています。皮肉なことに、国土地理院の5万分の1地形図は更新がストップしているので、5万図をみることで、過去を知ることができます。中国山地の5万図を眺めていて、かつてあった役場所在地を巡ってみようと思いたち、2012年の夏に走ってきました。
町村役場の旧庁舎は、広域合併前に起債して、豪華建築に建て替わっているところがほとんどでした。合併後は大きな建物をそこにつくることは難しいでしょうから、有効に活用されることを祈るばかりです。
【走行日】2012年7月13日~16日
【使用自転車】グランボア650Bデモンタブル
【峠】馬通峠(うまどおしとうげ:357m)、印内峠(いんないだけ:385m)、亀谷峠(かめたにだお:643m)
【行程】7/13夜:京都=(新幹線)=三原(ビジネスホテル泊)
7/14:三原8:10~8:41井屋峠~9:50三原市本郷~11:43旧川内町役場~13:30福留ダム~14:08旧豊栄町役場~15:00旧大和町役場~15:49旧世羅町役場~16:35旧三和町役場~吉田町「いろは家」泊
7/15:宿8:15~毛利墓所9:30~10:47旧美土里町役場~13:30亀谷峠~15:09邑南町「矢上駅」~16:07「旧山崎家住宅」~17:22美又温泉「みくにや」泊
7/16:宿9:00~10:17浜田ダム~10:46浜田高校~浜田郷土資料館11:24~12:07浜田駅=(山陰本線)=益田(途中下車)=(山口線)=新山口=(新幹線)=京都
【ルート】
三江線 全駅コンプリート(ランドナーで) ― 2016/10/01
2007年に江の川と三江線沿いを走り、かねてより、もう一度訪ねたいと思っていましたが、廃線の動きの報道に接し、今度は、全35駅を訪問することにしました。
1日の運行本数は少ないのですが、駅は綺麗に掃除され、花の手入れもきちんとされていて、三江線は、本当に地域の人に愛され大切にされている存在なのだと感じました。
三江線の維持にどれくらいのお金が必要なのか知りませんが、鉄道が無くなることで地域の衰退に拍車が掛かることにもなりかねません。地域の誇りを保ち、それこそ「国富を守る」ためにも、鉄道が存続できるようにオルタナティブな道がとれないのでしょうか。災害が生じても道路は税金で治しますが、鉄道は基本的には事業者負担。国土を守る費用として、原発関連に使われる費用とは比べものにならない小さな金額で、鉄道を生かして地域振興をはかることはできないものなのでしょうか。狭義での経済合理性の枠内で考える限り、赤字ローカル線の廃止は「やむを得ない」ことになりがちですから、パラダイムの変革で活路を見いだせないものでしょうか。
ルートは、基本的に下りで交通量も少なく、実に走りやすくて気持ちの良い道です。写真を撮りながらなので止まることも多く、走行距離はメーター読みで140km、ツーリングとして1日に走る距離としては長いのですが、楽ちんでした。
江津駅前のビジネスホテルに泊まり、翌朝は三江線に乗車しました。窓の外、自分が走ってきた道を眺めながら。
【使用自転車】 TOEI700Cランドナー
【行程】
2016年9月9日(金) 京都市内五条葛野大路GS21:10=(中国道)=24:40七塚原SA(車中泊)
9月10日(土)七塚原SA6:15=6:35三次駅近くの駐車場(車デポ)7:12~7:15三次駅~8:16長谷駅~9:40作木口駅~10:04口羽駅~10:40宇都井駅11:05~12:07潮駅~12:55沢谷駅~13:09浜原駅~14:47石見川本駅~16:04川戸駅~17:06江津本町駅~17:18江津駅~ビジネスホテル(泊)
9月11日(日) ホテル~江津駅6:00=(三江線423D)=9:21三次駅=デポ地10:00=(中国道)=16:00京都(自宅)
福山から倉吉へ。宮本常一「山の道」の町を訪ねて ― 2016/09/18
「人が歩いて旅をした頃は山の尾根を通る道が少なくなかった。広島県の福山市から北へ、油木町にいたる道のごときも・・・」。
とあり、続いていくつかの町について記してある。
◇峠の町・小吹(こびき)・・・馬方の中継地。たたら鉄の輸送。大きな問屋もあった。鉄道が開通して、さびれた。
◇丘の町・油木(ゆき)・・・小吹の栄えていたころにはひっそりした村だったが、荷車が通るようになって栄えた。馬の背に荷をつけた時代は荷の後押しをする者もなかったが、車道がついてからはクルマ(人力)の後押しが必要だから。
◇高山市(こうやまいち)・・・牛市で栄えた。
など。今では想像もできない繁栄が中国山地の中で繰り広げられ、その痕跡はかすかな残存をとどめているのだろうか。
そんなところを訪ねてみたくて、2016年の7月、5万分の1地形図を頼りに、広島県福山市から中国山地をうねうねと、鳥取県倉吉市まで走った。
倉吉も渋い町で、江戸~明治の頃、千歯扱きの有数の産地として繁栄した。また、江戸時代には大阪の豪商淀屋が闕所(けっしょ=財産没収)の期間、倉吉に身を潜めて、後の世代に再び大阪で再興したとのことで、それだけのことがある町だったのだろう。
◇2016年7月16日 京都6:56(のぞみ95号)=8:13福山9:05~12:30神石高原町小吹~13:10油木町13:30~15:05神石高原町花済~15:20高山市~16:15成羽川~16:50(河岸段丘のヒルクライム終了)~17:17高梁市宇治町元仲田邸くらやしき(泊)
7月17日 泊地8:40~8:54御葉峠~9:12高梁川~9:19田井橋9:46~9:50備中川面駅~11:03才乢~12:50満奇洞(昼食)13:20~14:54月田駅~15:18中国勝山駅~16:16真賀温泉木地屋旅館(泊)
7月18日 泊地7:25~8:57鏡野町との峠~9:09ダウンヒル終了三叉路~9:52真庭市との峠(上杉越)~10:25中和村常藤~10:43鳥取県境~11:56倉吉市河原町~12:23土蔵群(昼食)12:47~13:10倉吉駅14:25=(スーパーはくと10号)=17:48京都
◇自転車:グランボア650Bランドナー(デモンタブル)
◇峠:柳峠(やなぎたお:457m)、上杉越(植杉越)うえすぎごえ:762m)



北条町駅から智頭町、香住へ(2012/11) ― 2016/06/03
月に一度鳥取に帰省しているのですが、その時中国道から見える道路を自転車で走ってみたいと常々思っていたのと、沿線には民俗学の柳田國男の生家がある福崎、木材の集散地の山崎、参勤交代の宿場町だった平福や大原、山林地主の町である智頭、若桜鉄道の若桜など、渋い町が連なっており、いつもはクルマで素通りしていたところを、きちんと見たいと思ったのでした。
柳田はこの家のことを「日本で一番小さい家」と記しているが、もっと小さい家は沢山ある。当時、東京帝国大学に進学した人の中では、「日本で一番小さい家」ということではなかろうか。
【峠】 うすづく峠(197m)、安志峠(あんじとうげ:156m)、切窓峠(きりまどとうげ:269m)、八重谷峠(やえだにとうげ:247m)、寺坂峠(てらさかとうげ:314m)、木地山峠(きぢやまとうげ:727m)、右手峠(うてとうげ:631m)
【自転車】 グランボア700Cデモンタブル
【行程】
◎2012/11/24
京都=(輪行)=北条鉄道北条町駅9:15~10:30中国道加西SA横~10:50福崎:柳田國男生家~11:17福崎駅~12:17安志峠~12:40山崎町内13:07~13:33切窓峠~13:45八重谷峠~14:10寺坂峠~14:30平福~15:25兵庫岡山県境~15:40智頭急行宮本武蔵駅~15:50大原~16:25西粟倉村~17:17木地山峠~18:12右手峠~18:47智頭町(林新館 泊)
8:00智頭町8:52~9:20板井原トンネル~9:40板井原~10:23用瀬町赤波~10:37まぢトンネル~10:50八頭町船岡~11:00隼駅11:17~12:12若桜12:45~13:40舂米~14:20兵庫県境~14:52香美町秋岡~15:15国道9号和田交差点~16:11香住駅=(輪行)=京都
【メモ】
・山崎や大原など、自動車道やバイパスを走っていたのではわからない、渋い素敵な町並が堂々と存在している。
・志戸坂峠のトンネルを通るのが嫌なので、木地山峠と右手峠を通って岡山-鳥取県境を越えようとしたところ、途中で日が暮れてしまった。ガスの中も走ったが、その際はLEDの光は拡散して役にたたなかった。昔からのナショナルの探険ライト(豆電球)だとガスの中でも光が地面に届いた。
・右手峠の道を真っ暗な中走っていると、時々サーチライトで照らされたようなまぶしさを感じることがあった。何かと思えば、樹木の間から差し込む満月の光だった。月明かりがあんなに明るいものだと、初めて知った。
てっきり民家があってその光かと思ったら、それは月光。
・柳田國男生家、宮本武蔵誕生の地、平福宿、大原宿、智頭の山林地主の家、西口克己映画監督記念館、隼駅と若桜駅の鉄道施設展示、など見どころ満載であった。有名な観光地はひとつも無いけれど。
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江の川&三江線、温泉津、石見銀山(2007/11) ― 2016/05/27
江の川は、日本で12番目に長い川(194Km)。もちろん中国地方では一番。中国山地を蛇行して複雑な流路を示す。中国地方では、日本海側と太平洋側の分水嶺が県境であることがほとんどなのだが、江の川は県境を突っ切って流れている。
そんな江の川沿いを走ったのは、2007年の11月。自転車で走った後、江の川の河口にある島根県江津(ごうつ)市と、中流域にある広島県三次(みよし)市とを結ぶJR三江線に全線乗車して旅を終えた。
三江線は運行本数が少ないので、全線乗車しようと思ったら、なかなか大変。余裕をもったプランを組むことにし、有福温泉と温泉津(ゆのつ)温泉に泊まり、石見銀山も見学した。
江の川沿いは、様々な形式の橋が架かっており、まるで橋脚博物館のようであった。
【使用自転車】TOEI700Cランドナー
【峠】谷峠(357m)、井沢峠(いそうだお:269m)
【ルート】
2007/11/9 夜 京都=(中国自動車道)=三次のビジネスホテル(泊) 駐車場にクルマをデポさせてもらう
2007/11/10 三次のビジネスホテル8:30~9:10長谷駅~10:23作木口駅~10:32江平駅~11:14口羽駅~13:26浜原ダム~13:49明塚駅~14:33石見川本駅~15:47川平駅~16:45有福温泉街:但馬屋(泊)
2007/11/11 有福温泉但馬屋8:20~10:23千丈渓~13:46石見川本駅~15:00大家~16:05湯里川の河口~16:30温泉津温泉
2007/11/12 温泉津温泉 廣島屋8:30~9:30石見銀山12:00~12:30大田市駅(輪行)=江津=三次(デポ車回収)=(中国道)=京都
片上鉄道廃線・中国山地ツーリング(2011/5) ― 2016/04/27
今、思い返しても、見どころが多くて気持ち良く走れた秀逸なコース設定だったと自画自賛してしまいます。自転車はTOEI700Cランドナー。
日原駅<島根県>から相撲ヶ原、錦町<岩国市>(2015/6) ― 2016/04/23
中国山地の静かな山中をスルスル走り、錦川鉄道(旧 国鉄岩日線)「錦川清流線」の終着駅「錦町」で泊。宿のおばあさんには大変お世話になりました(下記facebook再録参照)。
翌日は鹿野町(かのちょう)という町を経由して、日原駅に戻りました。鳥取にも鹿野町(しかのちょう)というところがあり、同じように山間にあるそこそこの大きさの町なので、どんなところか行ってみたかったのです。
今回はパンクを2回もした上にスペアチューブのバルブが折れて苦労したりもありました。いろいろあった分、思い出深い旅になりました。
写真の続き、詳しくはGooglePhotosで(43枚)
<当日投稿したfacebookより~だいぶ酔っ払って書いていますが>
山口県岩国市(広域合併)錦町の2食付5000円の宿にて。
通常、宿に着くとお茶受けがあるものだか、今回はキンチヨールのみ。
かっこよく言えば営業的直感で不安を感じた小生ではありましたが、風呂を済ませ、そろそろ食事かな、と思い、降りると、準備できました、とのおばあさんの声。
で、ビールお願いします、というと、ウチはお酒置いてません、私飲みませんし、とのこと。
工事の方とかいつも泊まらはる人は、どうしてはるんですか、と聞くと、持ち込みです、とのこと。
食事をみるとサザエの壷焼き3つとイカの造りと肉のステーキ等。
お酒無しでは食べることは困難。そもそも、雨の中、たった90kmとはいえ自転車で走ってきて、宿→風呂→ピールは不偏フトウの基本的人権だろう、と顔に出てしまったのか、宿のお婆さんは、買って来ますよ、待っててくださいね。
どれくらいですかと聞くと、20分位とのこと。
で、お願いしたのですが、待っている間に思ったのが、風呂、5分で湧きます、とおっしゃるので、それらしい時間にいくと湯槽チョロチョロ。20分かかりました。
その換算ていくと80分待つことになります、。
と思っていると、やどの御婆さんか、鈴木セニアカーに乗って買い出しに行かれる姿が見えました。
お婆さんは太っていて膝が悪そうでした。
私は、そんな御婆さんに自分の欲望をみたすために、そんなことになって、
私は、鬼か、と思いました。判断を間違えました。
で、小一時間待って帰って来られました。
御婆さんは、お酒はわからないので何を買うか言ってください、と言われたので、缶ビール500、銘柄はなんでもいいけど、発泡酒とかは止めて下さい、カップ酒の純米、とお願いしても、要領を得なかったので、カップ酒の一番高いの、とお願いしたのでした。
結果は、酒屋の店長と相談したとのことで、スーパードライ黒ビール350ml多数と、松竹梅の紙パック500。
で、飲んでいるとお婆さんは昭和6年生まれ、御年84歳ということがわかって、
そんな御方にセニアカーで酒を買いに行かせた責任上、全部飲むごとに。※割り当て分なので購入分全部ではありませんでした、念のため。
といってもお婆さんはなかなかの文人で、水上勉の話ほかでたいそう盛り上がり、楽しく飲んだくれたのでありました。
旅は、いいなあ。長文に失礼しました。こんだけ打てるから、まあ、大丈夫です。
とびしま海道・小大下島・しまなみ海道(2015/10) ― 2015/10/17
途中、「小大下島(こおおげしま)」という小さい島にも立ち寄りました。下船して小大下島を自転車で走った人は少ないのではないでしょうか。貴重な体験。
なぜかというと職場の方の父上の出身地で、大阪と小大下島とW拠点生活をされているとのこと。こんなご縁でもないと、意識することの無い島だと思い、せっかくなので、寄らせてもらいました。
天気もよく、穏やかに瀬戸内の海を満喫した2日間でした。
<行程>金曜の夜、京都の自宅を出発、山陽道で福山SAにて車中泊。土曜日、JR呉線安芸阿賀駅前の市営駐車場にクルマをデポ。「とびしま海道」で大崎下島「大長」の民宿へ。
日曜日、朝4時起床。朝イチの船で小大下島へ。小大下島からフェリーで今治へ。今治から「しまなみ海道」で尾道へ。尾道から輪行でデポ地に戻り、帰京。
2015年10月16日(金)京都自宅発=山陽道=福山SA(車中泊)
10月17日(土)福山SA=JR安芸阿賀駅前駐車場(デポ)9:30~10:20安芸灘大橋~10:45浦刈大橋~12:50豊島~13:15大崎下島~13:50岡村島14:55~15:30御手洗16:15~16:30大長(オレンジハウス泊)
10月18日(日)泊地5:25~5:45岡村港6:20=(船)=6:27小大下港7:02=(フェリー第二せきぜん)=8:10今治港8:15~9:10サイクリングターミナル「サンライズ糸山」~10:10伯方島~11:10多々羅大橋~12:10因島~13:15尾道への渡船乗り場~13:35尾道駅=山陽線/呉線=安芸阿賀駅(デポ地)=山陽道=京都
<渡った大きな橋>
◎とびしま海道:安芸灘大橋、蒲刈大橋、豊島大橋、豊浜大橋、平羅橋、中の瀬戸大橋、岡村橋
◎しまなみ海道:来島海峡第三大橋、来島海峡第二大橋、来島海峡第一大橋、大島大橋、伯方橋、大三島橋、多々羅大橋、生口橋、因島大橋
<コースの地図> クリックして拡大
鳥取市河原町から三徳山経由鹿野町(2015/8) ― 2015/08/14
お盆の帰省中、1日を自転車ツーリングにあてた。
地形図をみて、以前から走ってみたいと思っていたコース。
ローカルな話題であるが、以前は谷のどんずまりで平家の落人伝承もある「鳥取県三朝町中津」という集落(天神川水系)に、山を越して林道が繋がり、鳥取市側(千代川水系)から行けるようになっており、走りたいと思っていたのだ。林道が開通したのは、もう十数年前のようだが。
三徳山は登り口の茶屋で昼食をとっただけで通過。
峠を下った「鹿野町(しかのちょう)」が、良かった。
司馬遼太郎が「街道を行く」の中で “人通りはない。通りは水の底のように静かで、ときどき京格子の町屋や、白壁に腰板といった苗字帯刀身分の屋敷などが残っている。ぜんたいに、えもいえぬ気品をもった集落なのである。”と記した町である。鹿野城址に中学校があるのも子どもの教育を重視する気風が伺える。

















































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