青崩峠しらびそ峠、秘境駅「金野」(2008/7) ― 2016/06/19
写真:青崩峠:遠山郷 1082m
写真:しらびそ峠 1833m
写真:赤石峠 1195m
写真:JR飯田線の「秘境駅」金野(きんの)駅前
2008年7月、「青崩峠」「しらびそ峠」「赤石峠」と中部山岳地帯の大きな峠を3つ越え、飯田線の「秘境駅」金野(きんの)まで2泊3日の輪行ツーリングに行ってきました。
そもそも、「山岳サイクリング研究会」の集中ランの集合地点であるしらびそ峠に日曜日の13:00に着くつもりで走ったのですが、猛暑の中、しらびそ峠への勾配がすさまじく、バテ気味で1時間半の遅刻になり、誰とも会えませんでした。
自転車はTOEI650Aランドナー。リクセンカウルのフロントバックを使いたくて、フロントキャリアを外してパスハンター風に改造したのですが、前32×後22 が最大ローで、もっと軽いギアが必要だと後悔しました。
しらびそ峠は、標高1833mもあり、自転車で行ける峠としては相当高いのですが、ヘトヘトになってたどり着いたら、そこからは南アルプスの山々がドカーンと不気味なくらい高く屹立しているのが見えました。
「そうか、自転車ではゴールの最高地点でも、山登りではスタート地点か」「あの山にも登ってみたい」 と思って登山に目覚め、翌年には山岳会に入会したのでした。
【使用自転車】TOEI650Aランドナー
【峠】 山住峠(やまずみとうげ:1080m)、青崩峠(あおくずれとうげ:1107m)、しらびそ峠(1822m)、
【行程】
2008/7/19 京都6:23=(新幹線ひかり404号)=7:43浜松8:00=(遠州鉄道)=8:37西鹿島9:15~11:03気田川橋~11:07「一景」で軽食11:33~秋葉山下社12:37~17:22山住神社17:30~18:05水窪「中村屋旅館」(泊)
7/20 泊地7:27~8:20池島青崩峠分岐~9:20林道終点(インフレーター、ボトル、フロントバックを外し担ぎ)9:25~9:30青崩峠~10:30遠山郷和田~11:05下栗分岐~14:30しらびそ峠~上村15:40~16:51赤石峠~17:38喬木村「大橋旅館」着
7/21 泊地7:35~9:03金野駅=9:58(JR飯田線)=13:01豊橋13:25=(新快速)=大垣=(快速)=京都
2008年7月、「青崩峠」「しらびそ峠」「赤石峠」と中部山岳地帯の大きな峠を3つ越え、飯田線の「秘境駅」金野(きんの)まで2泊3日の輪行ツーリングに行ってきました。
そもそも、「山岳サイクリング研究会」の集中ランの集合地点であるしらびそ峠に日曜日の13:00に着くつもりで走ったのですが、猛暑の中、しらびそ峠への勾配がすさまじく、バテ気味で1時間半の遅刻になり、誰とも会えませんでした。
自転車はTOEI650Aランドナー。リクセンカウルのフロントバックを使いたくて、フロントキャリアを外してパスハンター風に改造したのですが、前32×後22 が最大ローで、もっと軽いギアが必要だと後悔しました。
しらびそ峠は、標高1833mもあり、自転車で行ける峠としては相当高いのですが、ヘトヘトになってたどり着いたら、そこからは南アルプスの山々がドカーンと不気味なくらい高く屹立しているのが見えました。
「そうか、自転車ではゴールの最高地点でも、山登りではスタート地点か」「あの山にも登ってみたい」 と思って登山に目覚め、翌年には山岳会に入会したのでした。
【使用自転車】TOEI650Aランドナー
【峠】 山住峠(やまずみとうげ:1080m)、青崩峠(あおくずれとうげ:1107m)、しらびそ峠(1822m)、
【行程】
2008/7/19 京都6:23=(新幹線ひかり404号)=7:43浜松8:00=(遠州鉄道)=8:37西鹿島9:15~11:03気田川橋~11:07「一景」で軽食11:33~秋葉山下社12:37~17:22山住神社17:30~18:05水窪「中村屋旅館」(泊)
7/20 泊地7:27~8:20池島青崩峠分岐~9:20林道終点(インフレーター、ボトル、フロントバックを外し担ぎ)9:25~9:30青崩峠~10:30遠山郷和田~11:05下栗分岐~14:30しらびそ峠~上村15:40~16:51赤石峠~17:38喬木村「大橋旅館」着
7/21 泊地7:35~9:03金野駅=9:58(JR飯田線)=13:01豊橋13:25=(新快速)=大垣=(快速)=京都

コース図:詳しくはルートラボで
秋山郷から松之山温泉、高田 (2014/8) ― 2016/06/07
日本に「秘境」があるとして、秋山郷はその一つとして思い浮かべられるのではないでしょうか。江戸時代後期の書、「北越雪譜(ほくえつせっぷ)」で紹介され、私も学生時代に岩波文庫版で読んで以来、秋山郷を訪ねてみたいと思っていました。
就職して志賀高原にスキーに行くようになりましたが、そのずっと奥の秋山郷までは行けずじまい。2014年の夏、ようやく自転車で訪問する機会をつくりました。
冬期間も含めて実際に生活してみたら「秘境」を実感するのかもしれませんが、21世紀になった現在、夏に走るぶんには、特別な感じはそんなにしませんでした。ただ、民家の形や色には特徴的なものがありますし、住宅や道路の豪雪対応から、地域性を感じられました。
【自転車】TOEI700Cランドナー
【峠】三方峠(さんぼうとうげ:657m)
【行程】
2014/8/21 夜、京都発=中央道=小布施ハイウェイオアシス(仮眠)
8/22 小布施デポ地7:47~8:30信州中野~9:30湯田中駅~12:00丸岡観光ホテル12:40~13:25高天ヶ原~13:48奥志賀高原ホテル分岐~14:05野沢温泉分岐~15:05切明温泉「雪あかり」泊
8/23 泊地8:30~9:20小赤沢10:05~11:00逆巻~12:05秋成本村(昼食・蕎麦)12:40~12:55資料館13:20~13:40津南駅~15:05松之山温泉「明星」泊
8/24 泊地8:15~9:07三方峠~11:07小黒~11:45切光~12:35高田公園~12:42高田駅=(輪行)=豊野駅=(TAXI)=小布施デポ地
就職して志賀高原にスキーに行くようになりましたが、そのずっと奥の秋山郷までは行けずじまい。2014年の夏、ようやく自転車で訪問する機会をつくりました。
冬期間も含めて実際に生活してみたら「秘境」を実感するのかもしれませんが、21世紀になった現在、夏に走るぶんには、特別な感じはそんなにしませんでした。ただ、民家の形や色には特徴的なものがありますし、住宅や道路の豪雪対応から、地域性を感じられました。
【自転車】TOEI700Cランドナー
【峠】三方峠(さんぼうとうげ:657m)
【行程】
2014/8/21 夜、京都発=中央道=小布施ハイウェイオアシス(仮眠)
8/22 小布施デポ地7:47~8:30信州中野~9:30湯田中駅~12:00丸岡観光ホテル12:40~13:25高天ヶ原~13:48奥志賀高原ホテル分岐~14:05野沢温泉分岐~15:05切明温泉「雪あかり」泊
8/23 泊地8:30~9:20小赤沢10:05~11:00逆巻~12:05秋成本村(昼食・蕎麦)12:40~12:55資料館13:20~13:40津南駅~15:05松之山温泉「明星」泊
8/24 泊地8:15~9:07三方峠~11:07小黒~11:45切光~12:35高田公園~12:42高田駅=(輪行)=豊野駅=(TAXI)=小布施デポ地
秋山郷 小赤沢
秋山郷の民家
新しい家も、積雪対応
積雪対応の道路表示
松之山の棚田
伊勢神宮五十鈴川上流剣峠(2015/5) ― 2016/05/25
何度繰り返して読んでも面白い「近畿景観」という本がある。戦前、大阪の出版社「創元社」が発行した風景史跡記録&旅日記。著者は大阪毎日新聞の初代写真部長、サンデー毎日編集長も務めた北尾鐐之助(きたおりょうのすけ)。谷崎潤一郎が推薦文を書いたりしている。
「阪神付近」「大和河内」「近代大阪」「紀伊伊賀」「京都散歩」「近江山城」「丹波但馬」「若狭紀行」「伊勢志摩」とシリーズで9巻まで発行されている。
私はこのシリーズをはじめ北尾鐐之助の著書は、どれも大好きだ。今となっては再現不可能な地域景観にタイムスリップし、覗き見ることができるからだ。
”覗き見る”というのがポイントで、旅して歩いて記録を残すにしても、民俗学者の宮本常一なら、地域の人へのリスペクト、同じ生活者としてのスタンスに貫かれた印象を受けるが、北尾鐐之助の場合は、平たく言って、あくまで自分というものがはっきりあった上での、観察者としての視点。宮本常一と対照的。
宮本常一は民俗学で北尾鐐之助は文学的。違いは大きいが、私はどちらも大好きで、それぞれの著作はいつも大きな気づきを与えてくれる。
その近畿景観シリーズ「伊勢志摩」は昭和16年の発行。時節柄もあって伊勢神宮に関しては敬虔な表現が数多く記されているが、その中で興味をもったのが「五十鈴川は古へから神聖視され、その流域においては、一切の漁を禁じ、不浄を警め、これを穢すものは神威を犯すものとされて来た。途中、山から落ちる水に、米を搗く水車などが架けられてはいるが、遠く志摩国境の水源地高麗廣付近までは、この流域の山中に村落の営まれているものはなく、四山の水をあつめて、渓谷はまことに碧瑠璃のような水を流している」という箇所。
伊勢神宮上流の五十鈴川とはどんなところなのだろう、自転車でその空間を体験しよう、と思った次第。
【峠】 剣峠(つるぎとうげ:323m)、鴻坂峠(こうさかとうげ:268m)
【使用自転車】TOEI650Aランドナー
【ルート】 伊勢神宮外宮8:40~伊勢神宮内宮宇治橋9:56~11:00剣峠11:17~11:47五ヶ所浦(昼食)12:38~
13:42鴻坂峠~15:00伊勢神宮外宮
「阪神付近」「大和河内」「近代大阪」「紀伊伊賀」「京都散歩」「近江山城」「丹波但馬」「若狭紀行」「伊勢志摩」とシリーズで9巻まで発行されている。
私はこのシリーズをはじめ北尾鐐之助の著書は、どれも大好きだ。今となっては再現不可能な地域景観にタイムスリップし、覗き見ることができるからだ。
”覗き見る”というのがポイントで、旅して歩いて記録を残すにしても、民俗学者の宮本常一なら、地域の人へのリスペクト、同じ生活者としてのスタンスに貫かれた印象を受けるが、北尾鐐之助の場合は、平たく言って、あくまで自分というものがはっきりあった上での、観察者としての視点。宮本常一と対照的。
宮本常一は民俗学で北尾鐐之助は文学的。違いは大きいが、私はどちらも大好きで、それぞれの著作はいつも大きな気づきを与えてくれる。
その近畿景観シリーズ「伊勢志摩」は昭和16年の発行。時節柄もあって伊勢神宮に関しては敬虔な表現が数多く記されているが、その中で興味をもったのが「五十鈴川は古へから神聖視され、その流域においては、一切の漁を禁じ、不浄を警め、これを穢すものは神威を犯すものとされて来た。途中、山から落ちる水に、米を搗く水車などが架けられてはいるが、遠く志摩国境の水源地高麗廣付近までは、この流域の山中に村落の営まれているものはなく、四山の水をあつめて、渓谷はまことに碧瑠璃のような水を流している」という箇所。
伊勢神宮上流の五十鈴川とはどんなところなのだろう、自転車でその空間を体験しよう、と思った次第。
【峠】 剣峠(つるぎとうげ:323m)、鴻坂峠(こうさかとうげ:268m)
【使用自転車】TOEI650Aランドナー
【ルート】 伊勢神宮外宮8:40~伊勢神宮内宮宇治橋9:56~11:00剣峠11:17~11:47五ヶ所浦(昼食)12:38~
13:42鴻坂峠~15:00伊勢神宮外宮
写真:内宮、「赤福」前にて
写真:五十鈴川に沿って走る
写真:五十鈴川に沿って走って勾配を上げると、「剣峠」に到着
写真:太平洋側にダウンヒル。「五ヶ所」地区に降りた。
写真:帰路は「鴻坂峠」を越えて、外宮へ戻った。
【記録】2015年5月23日走行 TOEI650Aランドナー
伊勢神宮外宮8:45~9:25伊勢神宮内宮~11:00剣峠11:15~11:35五ヶ所~13:40鴻坂峠~15:10伊勢神宮外宮
【記録】2015年5月23日走行 TOEI650Aランドナー
伊勢神宮外宮8:45~9:25伊勢神宮内宮~11:00剣峠11:15~11:35五ヶ所~13:40鴻坂峠~15:10伊勢神宮外宮
【メモ】
・五十鈴川上流は、今では、特に感動的なものではない。特別清浄なエリアというオーラも感じられない。京都の北、大堰川や由良川沿いエリアの方が、景観美を感じられることが多いと思う。
・五十鈴川上流は伊勢神宮が土地を所有しており、居住している人も借地人で長くは続かず、その土地への愛情というかきめ細かな手入れが継続的に行われにくいからではないかと想像した。
・剣峠は、美しい秀逸な峠であった。
・「近畿景観」に描かれた場所を訪ねて、今の様子にがっかりすることは多い。乱雑な建物、不法投棄、看板、その他諸々。
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地図:走行したGPS軌跡が赤色の線
若州一滴文庫、水上勉と今井美樹 ― 2015/07/05
写真:若州一滴文庫の門
写真:本館
写真:移築されてきた民家もある
「若州一滴文庫(じゃくしゅういってきぶんこ)」へ梅雨の合間の日曜日に行って来た。作家の水上勉の生家があった地区にある水上勉のテーマパークのような施設で、水上勉自身が建立し、後に地元自治体に移管してNPO法人が運営している。
水上勉の作品は、代表作の「飢餓海峡」「五番町夕霧楼」をはじめとして、どれも大好きだ。松本清張は何故かしっくりこないが、水上勉の作品には引き込まれる。
オープンして間もなくの頃、レンタカーで父母を案内して出かけた記憶がある。水上勉先生もちょうど中庭にいらっしゃって、すごい人だかりだった。
いつ頃のことだったのだろうと、一滴文庫の年表をみると、若州一滴文庫のオープンが1985年、私が就職した年、訪ねたのはその翌年1986年だったと思う。
唐突だが、1986年は今井美樹が歌手デビューした年。
「若州一滴文庫(じゃくしゅういってきぶんこ)」へ梅雨の合間の日曜日に行って来た。作家の水上勉の生家があった地区にある水上勉のテーマパークのような施設で、水上勉自身が建立し、後に地元自治体に移管してNPO法人が運営している。
水上勉の作品は、代表作の「飢餓海峡」「五番町夕霧楼」をはじめとして、どれも大好きだ。松本清張は何故かしっくりこないが、水上勉の作品には引き込まれる。
オープンして間もなくの頃、レンタカーで父母を案内して出かけた記憶がある。水上勉先生もちょうど中庭にいらっしゃって、すごい人だかりだった。
いつ頃のことだったのだろうと、一滴文庫の年表をみると、若州一滴文庫のオープンが1985年、私が就職した年、訪ねたのはその翌年1986年だったと思う。
唐突だが、1986年は今井美樹が歌手デビューした年。

その前、久々に「AERA」を手にとったら今井美樹が表紙。記事を読んで、これまで意識したことはなかったが、今井美樹はほぼ同世代、彼女の歌手としての歩みと私のサラリーマン生活が同じ時間軸だったことに気づいた。新アルバム「Colour」をリリースとのことで、最新作では今井美樹はどんなふうになっているのだろうと思い、15年ぶりくらいに彼女のアルバムを買った。なかなか良かったので、オリジナルアルバムを全部揃えた。
京都の自宅から一滴文庫は自転車で行ける距離だが、ちょっとそこまでという距離ではないし、走ることが目的になってしまう。ゆっくり見学して記念品や本も買いたいので、車で行くことにした。今井美樹を聴きながら。
デビューから数年の若い頃のアルバムは、アイドル流行歌という雰囲気が感じられて今となっては何か古くさい感じのする曲も混じっている。発声や歌唱力も幼い。しかし、「PRIDE」大ヒット後の今井美樹は、脱皮してメロウな大人の歌手という私の好きなジャンルに進化してきたように思える。「ディーヴァ(歌姫)」の領域といってもよい。
職業を転々として苦労続きだった水上勉が直木賞を得たのが1961年。「飢餓海峡」を発表した1963年は今井美樹が生まれた年。そして今井美樹が歌手デビューするまでの時の流れの中で、水上勉は大作家として財を成し、一滴文庫をデビューさせた。今井美樹が歌い手として進化している間、水上勉も作品を書き続け、亡くなる前年に一滴文庫を地元に寄附し、残した。
当人同士何の関係もないし、その表現する世界が対照的ともいえる水上勉と今井美樹だが、何故か「母」の存在を通じて共通するものがあると、一滴文庫からの帰り道、車の中で今井美樹を聴きながら思った。
水上勉は10歳で京都の寺に修行に出され、故郷の母を追慕していた。その母が胸まで浸かるジュル田(湿田)で働いていたその場所に、一滴文庫を建立した。
水上勉の母への思い、母となった今井美樹が奏でる歌、それぞれが母の愛を感じさせてくれる。一滴文庫に一緒に行った私の母は、今年七回忌を迎える。
京都の自宅から一滴文庫は自転車で行ける距離だが、ちょっとそこまでという距離ではないし、走ることが目的になってしまう。ゆっくり見学して記念品や本も買いたいので、車で行くことにした。今井美樹を聴きながら。
デビューから数年の若い頃のアルバムは、アイドル流行歌という雰囲気が感じられて今となっては何か古くさい感じのする曲も混じっている。発声や歌唱力も幼い。しかし、「PRIDE」大ヒット後の今井美樹は、脱皮してメロウな大人の歌手という私の好きなジャンルに進化してきたように思える。「ディーヴァ(歌姫)」の領域といってもよい。
職業を転々として苦労続きだった水上勉が直木賞を得たのが1961年。「飢餓海峡」を発表した1963年は今井美樹が生まれた年。そして今井美樹が歌手デビューするまでの時の流れの中で、水上勉は大作家として財を成し、一滴文庫をデビューさせた。今井美樹が歌い手として進化している間、水上勉も作品を書き続け、亡くなる前年に一滴文庫を地元に寄附し、残した。
当人同士何の関係もないし、その表現する世界が対照的ともいえる水上勉と今井美樹だが、何故か「母」の存在を通じて共通するものがあると、一滴文庫からの帰り道、車の中で今井美樹を聴きながら思った。
水上勉は10歳で京都の寺に修行に出され、故郷の母を追慕していた。その母が胸まで浸かるジュル田(湿田)で働いていたその場所に、一滴文庫を建立した。
水上勉の母への思い、母となった今井美樹が奏でる歌、それぞれが母の愛を感じさせてくれる。一滴文庫に一緒に行った私の母は、今年七回忌を迎える。
能登半島 自転車ツーリング(2013/11) ― 2015/04/14
能登半島の千枚田、突端の禄剛崎、渋い宇出津の町、郵便局、のと鉄道廃線跡などを巡ってきました。
自転車はグランボア700Cデモンタブル。
自転車はグランボア700Cデモンタブル。
能登半島 千枚田
能登半島 宇出津の町
能登半島 郵便局























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