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MTB アラヤ マディフォックスMTF26CRM-G2016/05/17


アラヤ マディフォックスMTB

1989年、最初のMTBとして購入。1989年モデル 希望小売価格138,000円(当時)。

以前開設していたHP(自転車とカメラの日々)より再録

「ニューサイクリング」1989年9月号の巻頭特集「最新ATB 10台の実力」で好評価だったので、購入。

当時はMTBまたはATB(オールテラインバイク)と呼ばれ、サイクリストの間でもいわゆるMTBの認知は進んでなく、ゲテ物扱いされている一面もあったと記憶している。

 私もMTBを認めるかどうか躊躇していたが、NC(雑誌 ニューサイクリング)の記事で薛さん(編集者)が好意的に書いていたので、そろそろMTBを体験してみようと思った。

フレームは丹下プレステージ、パーツはデオーレXT-Ⅱ(懐かしい!)。もちろん、MTB用サスペンションなど存在してなかった時代だ。

購入して、乗ってみて驚いたのを覚えている。子どもの頃の「自転車乗り」の楽しい感覚がよみがえったのだ。ロードレーサーはテンションの高い乗り物で、それなりのスピードを出して走らないと爽快感は得られないが、MTBだとそのへんをホロホロ入っても楽しいのだ。

山道の急坂も思ったよりよく登る。


というわけで、京都の北山シングルトラック等を走り始めたが、しばらくして、チェーンステーが自然に曲がってしまった。後タイヤとフレームとの間隔が均等でなくなってきたのだ。メーカー保証が得られることになったが、無骨なプレスラグ(今となっては草創期のMTBらしくてとっておけばよかったと思ったりもする)等が気に入らなくて、新しいフレームに買い換えた。


MTBといえばARAYAがリーディングカンパニーで、アメ車はまだまだ侵攻してなかった時代のことである。たった10年前(※2009年時点)だが、そのことを考えるとずいぶんと昔の気がする。ちなみにニコンのカメラで時代区分するなら、F4が発売になった翌年である。この10年の変化では自転車の世界のほうが大きい。

追記:その後の変化を考えると、カメラはデジカメの時代になり、銀塩カメラは一部好事家以外からは歴史の彼方へ。アラヤもMTBブームの後は、撤退に近くなったようですが、近年は面白い商品企画でがんばっておられます。

自転車乗りの自動車選び1-フォードモンデオ、スバルレガシィ250S(旧HPより)2015/09/05

下記は「自転車とカメラの日々」というHPを以前アップしていまして、恥ずかしながら再録してみました。自分で書いておきながら、「あーそんなふうに考えていたんだ」と再認識。今の考えと大きく外れていませんが。フォードモンデオはその後、日本では不人気で輸入されなくなりました。VWゴルフとは勝負にもならなかったみたい。レガシィは10年乗って2012年の秋に買い換えました。その次の話は、また。

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(写真) 左がスバルレガシィ(BH)250S 右:フォード モンデオ2000GLX

長ったらしい表題になってしまったが、このたび、自動車を買い換えてしまった。
自転車はたくさん購入している私だが、自動車はそうでもない。自転車乗りの立場から私の自動車選びについて語る。

【ステーションワゴンが好き】
自転車用のクルマとして、ステーションワゴンに乗り続けている。
理由としては、「乗用車の運転感覚と快適性で自転車と荷物がいっぱい積める」ということにつきる。
遠くのレース会場まで高速道路をひた走る、といった使い方にはステーションワゴンが一番だと思う。2人2台(搭載自転車数)の時には後部座席を倒して荷室に自転車を入れて走れば雨風にも強い。4人4台ではルーフに2台か3台載せればよい。ワンボックスカーやミニバンのほうが収納能力には優れているのかもしれないが、脚立なしでルーフに簡単に手が届き、運転感覚もセダンにいちばん近いステーションワゴンが好きだ。

【これまでに所有したクルマ】


ファミリアワゴンXE

フォードモンデオワゴンGLX

スバルレガシィ250S

車体の形状

ステーションワゴン

ステーションワゴン

ステーションワゴン

ボディカラー

ベイブルー

ケイマンブルーMe

ウッドランドグリーン・マイカ

購入年月

1991年5月

199412月

200211月

駆動方式・変速

FF AT3

FF AT4段

4WD AT4段

車名・形式

マツダE-BW5W

フォードE-WFONNG

スバルTABH9

エンジン種類

水冷直列4気筒OHC

水冷直列4気筒DOHC

水平対向4気筒DOHC

排気量cc

1490

1988

2457

最高出力ps/rpmネット

70/5500

135/6000

170/6000

最大トルクkg-m/rpm

11.2/3500

18.0/4000

24.3/2800

全長mm

4220

4640

4680

全幅mm

1645

1765

1695

ホイールベースmm

2400

2700

2650

車両重量kg

950

1390

1470


マツダ ファミリアワゴン 1500XE

そもそも、私は独身時代も結婚してからもクルマの必要性を感じてなかった。
ドライブよりも自転車に乗っているほうが断然楽しかったから。通勤にも買い物にも必要ないし。
マンションを購入するとき、不動産会社の営業マンは駐車場を申し込むことを強く勧めてくれたが(当時は普通の分譲マンションでは今のように1戸1台の駐車場が用意されていることは少なく、購入時に抽選できめていた)、迷うことなく、きっぱりと断った。

ところが、自転車レースを始め、レース会場へチームの人のクルマに同乗させてもらうことが続き、自分でもクルマがあったらいいと思うようになった。そんなある日、たまたま通りかかったところで、マツダが春のフェアをやっていた。
私は中国地方出身でマツダには子どもの頃から親近感があったのと、大学のころ「赤いファミリア」がヒットした世代なので、マツダへのブランドイメージは高かった。そんなわけでフェア会場に入り、カペラワゴンに目がとまったが、諸経費をいれると結構な金額に感じ、クルマ代に金をかけるよりは、その分、自転車を購入したほうが幸せな生活が送れると考え、世間でもフェア会場でもまったくといっていいほど脚光をあびてなかったファミリアワゴンを選んだ。
しかし、駐車場がないので買えない。試しに会場にいたセールスマンに「駐車場を探してくれたらクルマを買う」といったところ、1ヶ月後くらいに、そのセールスマンから「駐車場を見つけました」と電話がかかってきたので、契約した。

いわゆるバン派生のステーションワゴンで、商用車のようなクルマなのだろうが、スタイルは好きだった。端正でVWゴルフに相通じるテイストがあるかも、などと勝手に思っていた。当時はゴルフのワゴンは日本では発売されてなく、ドイツでは「ゴルフ バリアント」として新たに発売された頃だった。

ルーフレールをつけて3人3台でレース会場に向かったりもしたが、いかんせん走りが悪かった。
高速道路で加速するにはギアを2速に落とさないと力がなかった。
当時、チームメイトのヒューさんという米国籍のカーデザイナー(当時は京都の専門学校でカーデザインを教えていた)と一緒にレースに行くことが多かったが、私がギアを2速に落として加速すると「オー、ターボチャジャー!」と冗談で言われるくらい、変速ショックとけたたましいエンジン音と振動があった。直進安定性も悪く、時速110kmも出すと、ハンドルが直進性を失い、怖かった。レースの帰り、中国道の宝塚付近で周囲のクルマの流れに乗って走るのに苦労するにつけ、運転技術のせいではなく、クルマの性能のせいではないかと思い始めた。最初のクルマだったので、最初はそんなもんかと思っていたが、だんだんと「このクルマは走らないのではないか」という疑念が湧き、買い換えることにした。後席リクライニングがあったり、けっこうそれなりに気に入ってはいたのだが。

フォード モンデオワゴンGLX
そんなある日、朝、新聞を開くと、「フォードが、日本の道を変える。ヨーロッパ車といえば、ドイツ車といえば、いま、世界はこの名前を口にする。ファミリークラスの、新・世界戦略車。モンデオ 」というコピーの全面広告が目に入った。19941015日付け朝日新聞。94ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー受賞のドイツ・フォードの世界戦略車「モンデオ」が日本でも発売されるという広告。全社デュアルエアバック、4W-ABS付きで輸入車としては安い価格設定。私が買った後でモンデオはフォルクスワーゲンのゴルフとの比較広告をしばしば掲載していた。ゴルフよりも車格は上なのに、ゴルフよりも安価、という訴求。

日本ではフォードブランドはマツダ車にフォードのバッチをつけて「日本フォード」として売っていた時期が続いていたので、モンデオもマツダの宇品工場かどこかでつくられているものと思われがちだった。ドイツフォードの欧州車なのだが。モンデオとはドイツ語で「世界」という意味で、フォードグループのワールドカー戦略から生まれたクルマなのだが、自動車評論家からは「無国籍、無印良品」クルマと評され、まったくマニア受けはしなかった。

しかし、乗ってみると、そんな誤解と偏見を一発で吹き飛ばす、まがうことない欧州車である。
<モンデオに欧州車らしさを感じるところ>
1)伸びやかなデザイン。特にサイドビュー。
2)ボディの色が珍しい
3)重たいハンドルと重たいペダル。そして、どしっとした直進安定性の高さ。
4)ウインカースイッチが左・・・慣れるとなんともない。最初のうちは右手でウインカーを操作してワイパーを動かして恥ずかしい思いをしたこともあったが、左手に慣れるとそのほうが自然に思えてくる。
5)ライトのスイッチがウインカーレバーと一緒でなく、独立してダッシュボード右側にある・・・ライトをつける度に右手をダッシュボードに伸ばさないといけないが、指をひねらなくていいので、操作性は良い。
6)スピードメーターの表示が240kmまである・・・実際に200kmも出ないだろうし、出そうとも思わないので240kmまで刻む必要はないのだが、針の角度が真上で120kmくらいなので、法定速度+αで走る分には、なんかすごく余裕をもって走っているような気持ちになる。
7)伸び伸びとしたダッシュボードまわりのデザイン・・・フォードのマークの楕円形をモチーフとした伸びやかな内装でセンスが良い(と思う)
8)キーの形が変わっている

モンデオのキー

写真:フォードモンデオのキー
9)ガラスが「サン ゴバン」

「サン ゴバン」はフランスのガラスメーカーで、欧州車のほとんどがサン ゴバンを装着しているので。
10)ガソリン注入口が盗難予防のため、曲がりくねっていて、角度によっては自動でガソリンが満タンまで入らず、ガソリンスタンド泣かせなこと。
11)後ろの窓ガラスを開けるのが手動式(パワーウインドウではない)・・・キーがなくても手動で窓が開くので、レース会場とかで同乗者がドライバーを待つ時に便利(いつでも窓の開閉が可能)  など

写真:モンデオのダッシュボード

写真:モンデオ リア ビュー 排気ガスを出す穴(マフラー)が見えないので上品

写真:サイドビュー この角度からみたモンデオのデザインが大好きだった。
           広大な荷室のデザイン処理が上手だと思う。

こんなに気に入っていたモンデオで、絶対15年間は乗ろうと思っていたが、ミッションの故障をきっかけに買い換えてしまった。
オートマの故障で修理が50万かかるといわれ、50万出して修理することにしたのだが、修理が不十分で完全に治らず、クレーム処理をしている間に出来心でスバルレガシィに試乗したところ、「一目惚れ」で買い換えてしまった次第。


スバル レガシィ250S】

実は、スバルレガシィについては、その存在を忘れていた。

ファミリアからモンデオに買い換える時に、スバルのディーラーにも行ったが、営業マンの態度がとても高飛車だった。
ファミリアのワゴンに乗っていると、クルマのディーラー、特にマツダ系列以外からは上客に扱われず、別にそれでもいいのだが、なんとなく嫌な感じをいっぱい受けた。
そのくせ、後日、スバルから電話がかかってきた時に「モンデオを買います」といったところ、急に十万円以上もの値引きの提案があって、その稚拙な営業姿勢に驚いたものだ。

その時は営業姿勢はともかく、四輪駆動は不必要(燃費が悪い。余計な機構が多く、故障し易いかも。四駆に頼って高速走行するより路面や気象条件の悪い時には減速して走ればよいし、そのほうがかえって安全)だと思っていた。それに外観も特別好きではなかったので、それ以来、私の頭の中にはレガシィの存在はなかったのだ。

ところが、モンデオが故障し、修理に1ヶ月半もかかったので、その間に代車を借りたり、修理するかどうか決断するために、買い換えも念頭において試乗を繰り返したのだが、最後に、ふと思い出して試乗したレガシィにはまってしまった。

試乗・代車したのは マツダカペラワゴン、マツダアテンザ、日産プリメーラワゴン、トヨタクラウン、BMW(一番安いモデル)。
比較検討したのは、試乗車の他に シトロエンC3ブレーク、シトロエン クサラ ワゴン、本田アコードワゴン、VWゴルフワゴン、VWパサートワゴン。モンデオを買った京都マツダはコンプレックスディーラといって国内外の多数のブランドを扱っているので、いろんな車を貸してくれた。

ほんとは次はシトロエンに乗りたいと思っていたのだが、今回の故障で、外国車は専用特殊工具とかパーツの取り寄せとかに時間がかかることを実感し、そのクルマに乗ることを目的とするのならいいけれど、自動車を手段として使うのなら、メジャーじゃない外国車に乗るのは、ちと苦しいと痛感し、シトロエンはあきらめた。京都ではディーラーも、近くにないし。

カペラはモンデオと比べると、高速安定性や直進性が明らかに劣った。アテンザはとても良く走り、気に入ったが、窓ガラスがスモークしかなく、オプションでも透明ガラスが選べないため、断念。自転車乗りの立場からすると、リアや後サイドガラスがスモークなのは、視界を妨げられ、危ない。冷房効率やプライバシーよりも安全を優先すべき。
数年前にクロカン車やステーションワゴンにまでカンガルーバーが流行し、死ななくてもいい人まで殺されたりしていたが、NHKの番組等でその危険性が明らかになり、新たに装着されることはなくなった。
スモークガラスも危険だ。本田は他のメーカーよりもスモークの濃度が高く、その企業姿勢に問題を感じるのでアコードはやめた。

プリメーラは荷室が狭く、ダッシュボードも個性的すぎて飽きがきそうなので、やめた。BMWはその値段を考えるとそれだけの魅力があるとは思えず、やめた。パサートワゴンはカタログで見るのに魅力的だったが、隣の家の人が乗っているというまったく個人的理由で断念。

で、忘れていたスバルのことを思い出し、ほんの軽い気持ちで試乗してみたところ、ものすごく良かったのである。
普通にゆっくり走って交差点を曲がるなにげない操作にも、扱いやすさと性能の高さが伝わった。BMWにも感じなかった走りの質感の高さを、レガシィでは感じた。ノンターボ2000CC車だったが。
外観デザインが私の好みではなく、内装も野暮ったく、来年フルモデルチェンジが予定されているのがネックだったが、新モデルだと濃色ガラス標準装備になってしまうかもしれないし、熟成されつくした2002年モデルというのも故障が少なく、将来の名車になるかもしれないと考え、購入を決定。
ターボ付モデルは燃費が悪いのと、急加速は必要ないので、2000ccの「ブライトン」というモデルか2500ccにするのか迷ったが、モンデオよりも良く走るクルマじゃないと買い換える意味がないので、2500ccに決定。

<実際に購入してどうだったか>
実は、購入して数週間後に東京転勤の内示があり、涙。
こんなことならクルマを買い換えるんじゃなかったと後悔。東京ではクルマは無くても済む。駐車場代だけで3万円くらいかかるし。

それはともかく、とにかくよく走るクルマでびっくり。
京都-東京間を5回走ったが、毎回とても楽に走り通してしまい、また走りたくなってしまうくらい。乗って楽しいクルマとはこのことだと開眼。動力性能が高いとはこんなことをいうのだと納得。

これなら信州や東北で開かれる自転車レースにも、気楽に参戦できそう。
交通渋滞さえなければ。
燃費も高速では10kmくらいは行く。排気量が大きいので、アクセルを開けずに走れ、燃費がいいのだ。
シートも良く、腰に負担がかからないのも、自転車との相性がいい。

というわけで、乗れば良さがわかり、気に入って乗っていると、外観もだんだんチャーミングに思えてくる。ルームミラーからの後方視界をよくするために、後ウインドウ下部を湾曲させたデザインを採用するなど、よく考えられている。他社のワゴンはスポーティーに見せるためにか後ウインドウがどんどん小さくなっているようだが。
動力性能だけでなく、視界とクルマの見切りが良いので、とても運転しやすいのだ。

200211月に大部分記述していたものを20034月に加筆訂正)


(追記)
レガシィといえば、1990年の自転車世界選手権が東洋で初めて、ロードが宇都宮、ピストが前橋で開かれた時のオフィシャルカーであったということに言及しないわけにはいかない。

私は、京都からはるばる宇都宮まで世界戦ロードレースを見に行ったのだ。アマチュアではイタリアのミルコ・グァルディとロベルト・カルーソがワンツーフィニッシュ。グアルディはゴールで十字を切って、両手を口づけをしてから高々と空に挙げ、めちゃくちゃ格好良かった。2位のカルーソは私と同じ誕生日。年は違うけど。二人ともプロになり、ジロやツールに出走していた。プロはダーネンスが優勝。グレック・レモンが2位だった(と思う)。なぜか、ゴールシーンはアマチュアの方の印象が強い。ゴール後、イタリアの大応援団がイタリア語で祝福の歌を合唱しているのが、これまた良かった。あまりに素敵だったので、私はその後、NHKラジオでイタリア語を勉強し始めた。最初の1ヶ月はかなり真面目に勉強したが、後が続かなかった。でも、イタリア語は聞いているだけで気持ちいい言葉だ。英語とは違う。

話しがそれたが、その90年世界戦でもっとカッコ良かったのが、レガシィのオフィシャルカー。白地に世界戦のロゴでもう、すごかった。でも、値段が当時で確か280万円くらいとか雑誌に出ていて、自分が買うクルマとしては現実味がなくて、まったく選択肢からは外れて10余年がたってしまっていたのだった。

その後、シマノ鈴鹿ロードでもオフィシャルカーで会場にレガシィが展示してあったが、残念ながら、その時はまったくカッコイイとは思わなかった。一応、カタログだけはもらって、その時のカタログが今回の購入に結びついたのだが。

スバルは自転車レースの協賛を比較的よくしている。このことが潜在意識的にスバルファンとなる要因のひとつとして作用したことは否定しようがないだろう。他のメーカーもがんばって自転車の応援をして欲しいものだ。

それにしても、レガシィはオフィシャルカーになると、断然カッコイイ。
下の写真は200310月、群馬サイクルスポーツセンターで開催された、スバル・ミヤタカップのマビックのもの。

新型レガシィである。なかなか良い。


ミヤタのチームカーも新型レガシィ

チームカーならルーフが開くの(なんて言いましたっけ、)にすべきでしょう。公道では道路交通法違反だろうけど、ルーフから頭を出して、選手に激を飛ばすのに。もっとも今は、無線インカムで、スマートにやるからいらないんでしょうか?
200310月追記)

自転車乗りのクルマ選び2


ロードレースの思いで:シマノ鈴鹿と丸岡2015/08/22


シマノ鈴鹿レース2008にて
  シマノ鈴鹿ロードレース2008年にて

 8月お盆の翌週の週末は、「シマノ鈴鹿ロードレース」。今日も、鈴鹿サーキットは盛り上がっていることでしょう。チームメイトは今年も多数参戦していますが、私は2010年からレースは休止しています。「グリーンピア三木」で開催されていたころから参戦し続けていましたが。

山岳会に入会し、週末の過ごし方が変わったためです。
自転車ロードレースは、片手間では出来ないし、練習不足で出ても面白くないのです。ホビーレースの完走はフルマラソン完走のような意義はありません(レベルの高いクラスで脚切りが多くて完走率が低いレースは別)。まして、練習不足で出走するのは、たいへん危険で皆に迷惑をかけます。集団落車の原因にでもなれば、大罪です。怪我はもちろん、今だと一コケ50万円はザラでしょう。カーボンフレームと高価なホイールで、自動車のように車両保険はありませんし。

マラソンなら、そんなに練習してなくて出走しても、それなりに走れてしまって充実感も得られたりしますし、他の人に危害を及ぼすことも、まずありません。高いレベルで参戦している方には失礼な言い方ですが。機材の有無とスピードの違いですね。

このブログは自分の備忘録ということもありまして、以前HPで公開していたロードレースのコンテンツを転載します。自分でしみじみ懐かしむためでして、すみません。

最近ではシマノ鈴鹿のレースカテゴリーには60歳以上の「マスターズ60+」もあるようなので、またそのころに出られたらいいなあと思います。将来は「マスターズ70+」も出来るかもしれませんね。

※以下、以前のHPの写し ※丸岡のレースは公道レースとしてダイナミックないいコースでしたが、死亡事故が起きて、それ以降中止になってしまいました。
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丸岡グリーンロードレースの記録

子どもが産まれた95年は欠場しているものの、毎年出走を続けている福井県丸岡市で開催される「丸岡グリーンロードレース」の記録。
本格的な公道使用のロードレースで峠もあり、下りでは70kmオーバーでペダルを回し続ける。

年によってコースが若干異なったりするし、ロードレースは着順を競う性質なので、タイムの単純な比較は意味がない。

(表の左から「NO」は私のレース記録番号で、ほぼ出走レース累積数と等しい。タイムは丸岡91年なら52分46秒83ということ。
走者数は完走者数。上位%は着順で自分の位置する%)
NO日時年齢大会名クラス距離kmタイム平均時速順位走者数上位%1位タイム1位タイム差1位tタイム%  自転車
141991/8/430丸岡91一般男子B1(30歳以下)350:52:46.8339.82310322.3%0:48:34.540:04:12.29108.66%HONJO
211992/8/931丸岡92一般男子C2(31~40)350:47:33.0544.261095.5%0:46:41.720:00:51.33101.83%CANNONDALE
361993/8/332丸岡93一般男子A601:32:06.1239.16016935.5%1:27:48.040:04:18.08104.90%CANNONDALE
471994/8/1433丸岡94エキスパート601:52:28.2032.07113054.6%1:36:43.370:15:44.83116.28%HONJO
631996/8/435丸岡96ミドル(35~40)350:49:56.5642.02513318.8%0:48:06.670:01:49.89103.81%HONJO GNU
741997/8/336丸岡97ミドル270:40:58.3739.52115613.5%0:40:54.250:00:04.12100.17%HONJO GNU
841998/8/937丸岡98ミドル270:42:00.9538.62717415.5%0:41:53.530:00:07.42100.30%DE ROSA
921999/8/138丸岡99ミドル270:43:06.2037.62014913.4%0:43:00.020:00:06.18100.24%DE ROSA

◆思い出に残るのは92年の6位入賞。表彰台にあがり、「ミス丸岡」に囲まれた写真など、最高であった。
実はこのレース、峠ピークのトンネルで先頭集団から切れた。下りでトップギヤは50*13であったが(そのころはアウター50を常用)とにかく回転させ、少しずつ前にでた。下り終わった平坦地で必死で走っていると後ろからすごい勢いで抜かしていく人がいた。2周走るエキスパートクラスの人。出走時間が遅いので、ちょうど追いついたところなのであろう。これ幸いと後ろについたところ、絶妙のスピードで人間機関車のように引っ張ってくれる。私にとっては限界スピードだが、ぎりぎり切れないところ。クラスが違うので牽制しあうこともなく、私の決死の形相を知ってか、やさしく引っ張り続けてくれる。なるほど、アシストとはこういうことをいうのかと初めて体感した。

そんな感じでひっつき虫となてばく進していたところ、ゴール方面ともう1周するその人との別れとなる、三叉路近くになって、なんと自分のクラスの先頭集団に追いついた。
ゴールスプリントは無我夢中でかろうじて6位入賞。批判はあるかもしれないが、私にとっては初めてのメジャーレースでの入賞で、思い出深いものとなった。1位と2位は集団から逃げ切っていた模様。
◆翌93年はクラスアップした。
◆94年は練習不足にもかかわらずクラスアップしたままで2周。この時は悲惨で、暑さの中で、いきなりスタートしてしばらくして川沿いの国道に出る前に切れていた。ヘロヘロでまったくレースにならなかった。
◆95年は出産のため出走せず
◆96年は忘れてしまったが、このころまでは峠のトンネルまでで集団から切れていた。
◆97年はニフティの自転車フォーラムで発言しているので引用。97年から峠のトンネルまでで切れなくなった。
>丸岡,今年も行って来ました。去年からミドルなので,レースになりそうな予感で気合いも入ります。
マシンは「HONJO ジニアス+ヘリウム 52-42,12-23」。やはりレースにはクロモリ(ニバクロ)マシンで出てしまいます。ここ一番というときの「スパーン」と前に出る感じが好きだからです。

さて,レースは前半は特に波乱もなく先頭集団前から20人あたりをキープ。トンネル前の登りもなんとか付いていき,下りで脚を休めながら,先頭集団に残った喜びをかみしめ平地へ。自然と前に出てしまい,先頭を引いたところ,一気に苦しくなり、すぐさま集団に埋没。回復するまで相当かかり、ひっつき虫状態で第一集団後方へ。ラスト三叉路手前急な短い坂で,みんなダッシュするかと思いきやスピードもさほど上がらずダンシングで5位くらいへ上がる。

「しめしめ」とおもいつつ左折してラスト直線に入ったところ猛然とスピードがあがり一列棒状。ちぎれそう。必死で走るが前に出ることは到底無理で先頭集団の後ろから3番目でゴール。順位は10位くらいか。

自分としては上出来のレースでした。展開でまだまだ勉強すべき点はありますが。

自己計測 タイム41分00秒(ゴールしてから5秒くらいしてボタンをて押していますが) 最高速度72.9KM 平均速度39.3KM。走行キロ26.93KM。

※実際の順位は21位でした。恥ずかしい。ただ、1位とのタイム差は歴代最小。
◆98年もニフティから引用
>ご無沙汰しております。今年も丸岡に行っていきました。
前日の土曜日に現地入り。試走を2周(約55km)しましたが、例年より涼しいせいもあって好調です。トンネルまでの坂も短く感じます。ギヤは52*21で十分。

宿もきれいで同行の1名と二人で個室です。大部屋雑魚寝の喧噪とは無縁。9時過ぎには就寝し、翌日に備えます。

当日は6時起床。実業団のスタートが早いので、6時でも宿はもぬけの殻です。

出走は9時27分。1周30km弱(以前よりもコースが短縮)のミドルクラス(35から39歳)です。

天気は晴れ。京都と比べると暑くないので大丈夫です。

前から2列目でスタート。出走は150人ほど。
スタート直後、例年なら結構心臓がバクバクしているところですが、今年は平気。緩い登りですが、右側の路面状態のいいところを走り、するすると先頭2番~3番手へ。皆、脚をためているのかスピードが上がりません。

ついつい先頭をひくことになってしまっても私もスピードをあげません。そんな調子で川沿いの登りも楽々ペース。後ろからは「イケー、オラー」とかいう声がうるさいので「声ばかりあげんと先頭引いてくれ」というと静かになりました。でも前を全力でひいたり、アタックをかます人はいません。

そうこうするうちに「たけくらべ」前のコーナーをまがり、峠への登り。さすがに、ペースアップし、私は自然と先頭集団前方から、集団内に埋没します。
トンネルが見え始めたあたりの苦しいこと。このまま切れてしまおうかと思いましたが、なんとか踏ん張り、トンネルへ。トンネル内はほぼ平地ですが、ここで気を抜くと第2集団になってしまいます。トンネル内も必死で脚をまわしなんとかついていこうとしますが、先頭の5~6人とは若干遅れ気味。このままではいかんと、下りもめいっぱいまわし、下り終わりの右カーブで先頭に追いつきました。

そこからの平地は向かい風。集団の恩恵で後ろにつくと楽ちん。そのまま前をひくこともなく余裕で集団キープ。最後の短い坂も難なくクリアし、いよいよ左折しゴールへの直線。

去年はそこで、猛然とスピードが上がり遅れ気味になったので、今年は気合いを入れて左折。先頭のスピードはたいしたことなく、左から「ひだりーーー」と叫びながらするすると前に出ようとすると、あっけなく先頭になってしまいました。

しばらく(20秒くらいか)先頭を走りましたが、自分でも信じられず、事態がのみこめないままにそんなはずはないと思い、「このまま持つはずがないので、だれかの後ろにつこう」と躊躇したした瞬間2~3人に抜かれ(ギヤが重すぎたかも)、「くそー6位入賞には残るぞ」と踏ん張ろうとしましたが、限界でゴール前20mくらいのコンビニ交差点あたりで今度はドドーと集団に抜かれ、結果は20位くらいだと思います。

レースに「たら、れば」はありませんが、悔しいです。でもまあそれが実力でしょう。峠のトンネル通過順位が「地力」だと考えるとまあ順当なところでしょう。

ちなみに自転車はDE ROSA「ネオプリマート」、レースは初使用でしたが、満足できる乗り味でした。
使用ギヤは52*39 13~23、インナーは使わず。下りのためにトップは12があればよかった。メーター読みで最高速は73kmくらい。
※実際の順位は27位

◆99年
今年はものすごい強風で集団のスピードが上がらなかった。登りも向かい風で、トンネルまでずっとダンゴ状態かと思ったが、トンネル手前100Mあたりで、けっこう遅れ始める人が続出。トンネル入り口付近で私も置いて行かれそうになったが、なんとか踏ん張り、トンネル内が暗くて先頭のスピードが落ちたところで息をつく。下ってからの平地は追い風で楽ちん。それでも先頭を引っ張る余裕はなく、集団内で埋没。今年は練習量が少なかったので、ここまで着いてこれただけで満足といった感じもある。ゴール前直線で猛然とスピードが上がり、切れないように着いていくのがやっと。必死にくいさがってゴール。ゴールしてから久々にへたりこんだ。最近のレースではゴールしても結構平気なことがおおかったのだが。


2000年シマノ鈴鹿ロードレース (2000年8月19-20日 三重県鈴鹿市鈴鹿サーキット)

シマノ鈴鹿ロードレース2000

  写真:中央ブルーのジャージが私。2日目オープン3周

今年は久しぶりに泊まりで参加しました。
鈴鹿は去年からプログラムの組立や種目が大きく変わってしまって残念です。
土曜日も早朝からレースがあったり、ツールド東北と同一日になったために、国際ロードの参加メンバーには華がないし、主催者の都合を優先させた大会になってきているような気がしてなりません。

まあ、そんなことより、レースの報告をします。

日目<オープンMII A1>

年齢制限なしの自由参加の3周のレース。
なんと、東京は「航空電子 自転車競技部」、中村仁さんと一緒です。
中村仁さんといえば、「常勝 中村仁」として天下に名をとどろかせ、ホビーレーサーで知らぬ人はなかった存在です。
当年とって53歳で、体型的にはいわゆる中年体型で、ペダリングも試走の時などは、けっこう重めのギヤを踏んでいらっしゃるので、仁さんのことを知らない新参者がみれば、たんなる中年レーサーに見えてしまうことがあるかもしれません。

鈴鹿が始まった年には既にシニアクラスで、その後グランドシニアになられたので、私は一緒に走ったことはありません。
だいたい毎年優勝されており、観戦する機会は多かったのですが、スプリント勝負に強い人で、集団を支配するレース展開という印象で、どうして他の人は単独逃げをするなどして仁さんをゴール勝負から引き離すことができないのかと、疑問に思っていました。

今回はオープンクラスで、若手の選手には仁さんを知らない人も多いことでしょうし、仁さんの走りに非常に興味をもって、スタートしました。
スタート位置は、仁さんの斜め後、いい位置です。スタートからシケインまでの登りで仁さんは先頭から10位くらい、私もすぐ後につきます。特に苦しくはありません。集団のスピードはそんなに速くは感じられず、私も先頭10位前後といい位置です。ところが、マウンテンポイント地点を過ぎた下りの惰性で思わず先頭になってしまい、そんなにシャカリキではないのですが、しばらく前を引いたところ、めちゃくちゃ苦しくなりました。疲労を回復させるのに半周あまりかかり、しばらく集団に埋まって、2周目へ。
スタートでとなりだった「TRAP」の永井選手が先頭をひきまくっています。永井選手は強い選手です。

仁さんの位置も絶えず注視していましたが、さすがにレース巧者の仁さん、いつでもいいポジションです。集団内で対流がおこったり、成功するわけもないアタックがかかったりして、集団の動きが乱れても、いつでもベストポジションです。3周目、最終周回を告げる「ジャン」がなるホームストレートで永井さんがスピードをあげ、仁さんをも追い抜き、シケイン手前で一瞬、永井さんを先頭に私も含めて集団からの逃げがきまるかと思いましたが、そんなことはなく、集団は再び大きくなりました。ふと前を見れば、仁さんはいつのまにか6位前後のベストポジションです。

そのまま大集団でゴールに向かい、私は集団内で動きがとれず、先頭5秒遅れの62位。5秒といえば、時速40kmで秒速11mですから50mは差が開いていたことになり、ゴール前には脚が切れていたというのが事実でしょう。仁さんは14位、2秒遅れ。
ご本人としてはまったく不本意な結果でしょうが、やっぱり仁さんは強かった、グランドシニアになられても、私などはまだ全然歯もたたない存在であるということが、よくわかりました。

 

2日目マスターズM30+B2(3周)

30代男性が3周するレース。
昨日の反省をもとに、今日はいい位置をキープして走ろうと思い、スタートするが、けっこう苦しい。ゴールストレートからシケインまでの緩い登りやマウンテンポイント地点付近の登りはまったく平気なのだが、周回の後半がどうも苦手だ。落車が多いので、落車を避けようとすることに気がまわり(今年の丸岡で落車にまきこまれ、けっこう大きなケガをしたため)、後半で集団内のポジションを落としてしまうというパターン。

昨日よりもペースが速く感じられ(風のせいか)、けっこう苦しかった。今回も集団内ゴール。


2日目オープンMII B3(3周)

今年から同一日に複数エントリーが可能になったので、2日目は3周を2回走ることにした。30台のレースのスタート時の2時間後。
30台のレース終了後は脚の疲労感が大きかったので、出走を辞めてビールを飲もうかとも思ったが、やっぱり出ることにした。

脚にきているので、無理はせず、集団の様子見をきめこもうと思ってスタートしたが、ペースが遅いのとやたらと落車が多くて危険なので、やはり集団前方で走る。
落車は嫌になるほど多かった。まずスタート時にいきなり単独でコケる人がいて、周囲から罵声が飛ぶ。1周目のシケイン通過後も前方で落車があり、避けるためにスピードダウンして、集団中切れをおこしかけるが、難なく集団に追いついた。集団に追いつくのに要したエネルギーで疲れがでるかと心配したが、全然そんなことがなかった。
この落車のあと、集団前方で走ったのでその後は後方で落車の音をきくことばかりで被害は免れた。

昨日は年代別のレースがなかったために、オープンの3周レースにも足慣らしのために、そこそこの人が出走していたが、2日目のこのレースのメンバーには周囲に迷惑を及ぼす人が散見され、レベルが低かった。

なんて、えらそうに書いても、結果はまたもや集団内。今回はゴールストレートで左端に位置し、前方が開いていたので、脚さえあれば、もっとよい着順がとれるのだが、結果のとおり。

鈴鹿ではずっとインターミディエイト4周に出走していたが、去年からプログラムが変わって4周レースがなくなったので、3周にしたが、来年からは5周のレースに出たい。3周のオープンクラスは走りにくい。