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舞鶴成生へ、上瀬から田井へ破線ルート踏査MTB(2018/3)2018/04/15

若狭湾、大浦半島の突端に「成生(なりゅう)」という集落がある。
その存在は、水上勉の小説「金閣炎上」などを通じて知っていたのだが、これまで訪ねたことがなかった。

以前から行ってみたいと思っており、今回、その成生を目的地とした。

半島や岬の海岸沿いには漁業で成立した集落が多く、移動手段の中心が船であった時代が長い。船か徒歩が主たる移動手段で、自動車が走れる道路が開通したのは戦後、その道路にしても、その集落が終点で、ピストンするしかルートがとれなかったところも多い。入江ごとに存在する集落を海岸沿いに結ぶ道路ができるのは、後のこと。

京都府でいうと、丹後半島には海岸沿いに一周道路が開通しているが、舞鶴の大浦半島には未だ無いので、成生は相変わらずドンツキ(行き止まり)のムラである。

しかし、地形図上には破線の小径(幅員1.5m未満)が記載されており、そこが通れるならピストンでなく、上瀬から田井に抜け、成生へ行けることになる。破線の道というのは、地図にはあっても、実際には道が消滅していたりすることも多くあてにならないのだが、少々のことなら突破できるだろうと思い、実行することにした。

東舞鶴駅前の市営駐車場にクルマをデポ。まずは西国三十三所の松尾寺に参拝して、上瀬を目指す。

松尾寺から杉山という集落に出て、そこから汐汲峠へは、普通の道路ではなく、旧道と推察される地形図上では破線の道を選んだ。

途中、山仕事中の人と話し、「上瀬から田井へは、昔、田んぼに行くのに使っていた道があるはず、上瀬の水道施設のところからその旧道に入れる」との情報をいただき、勇気百倍。

上瀬集落遠望。
高浜町上瀬

上瀬の地元の人に「田井まで旧道で行きます」と話したところ、「自転車では無理とちがうか」。「担ぎには慣れていますし山登りもしていますので」と答えてそのまま前進。

上瀬からは高浜原発が湾越しに見える
上瀬から眺める高浜原発


 地図1:大浦半島、成生と田井と上瀬。※クリックして大きくしてみてください。

地図2:上瀬から田井へ:MTB担ぎルートのGPS軌跡

上の「地図2」、A地点]の水道施設から入る、しっかりした地道があったので進む。地形図ではその手前から尾根に直登する破線路があり、当初はそちらを考えていたのだが、実際の斜面を目の当たりにすると、とてもMTBを担いで登る気になれず、地形図にはない、地道を選んだ。
上瀬

道はしっかりしており、こんな感じで続いていたら、田井までも楽勝だという期待が高まった。

ところがどっこい、はっきりした道は、潰廃耕地跡で途切れ、そのまま踏み跡(動物のかも)らしきところを辿ると、沢沿いになったので、これは違うと判断し、引き返す。

MTBを担いで斜面を登ることにする。地図B地点


しばらく担ぐと尾根に出た。尾根には、はっきりした道?があった。このまま田井に抜けられるかも、と期待。[地図C地点

上の写真の右手、道のように感じられるところは、しばらく続いたが、沢を渡るところ[地図D地点で途切れて、かすかな踏みやすいラインをたどってトラバースすることにした。
ところが、どんどん悪くなっていき、単なる山の斜面になってしまった。

進退窮まり、引き返そうかと思ったが、またトラバースして戻るのも嫌な感じだし、ちょっとは平坦な場所をみつけて、そこまで担ぎ上げ、小休止して落ち着くことにする。正面に馬立島が見えた。[地図E地点

行き詰まったときには尾根に上がるというセオリーどおり、担ぎ上げた。尾根上はいい感じの通行しやすい地形になっていた。道かと思えるくらい。[地図F地点]

上記写真の進行方向にそのまま進んで尾根を下ると、林道にぶつかるはずだが、ふと左手下を見ると、潰廃耕地跡のような空間がひろがり、そこに降りる明確なシングルトラックがあったので、そちらを選ぶ。耕地跡ということであれば、人里に出る道があるはず。

 潰廃耕地跡[地図G地点]
助かった!と安堵。ほとんど潰れてしまっている道路をたどり、やっと林道に出た[地図H地点]

田井の集落の立派なお寺「海臨時」に参拝。
海臨時

田井・海臨時

田井を出て、成生までは割とすぐに着いた。写真は成生集落。
成生

成生にある「西徳寺」
西徳寺

成生にて
舞鶴市成生

目的を達成した充実感はあるけれど、もうこのルートをとることはないだろうと思いながら、東舞鶴のデポ地に戻った。

今回の走行ルート
詳しくはルートラボ

【走行日】2018年3月4日
【使用自転車】SCOTT MTB
【峠】塩汲峠
【行程】東舞鶴市営駐車場8:40~8:50東舞鶴高校~8:59安岡~9:13松尾寺駅~9:47松尾寺10:05~10:30江戸時代の道標~10:53山中~11:00塩汲峠~11:23日引~11:45上瀬~11:53水道施設~13:23潰廃耕地上の尾根~13:30潰廃耕地~13:41林道合流~14:02海臨寺~14:21成生~14:41~15:19空山林道分岐峠~15:43大汲トンネル~16:00デポ地
日引

成生岬灯台へ(2018/4)2018/04/15


舞鶴市成生
 写真:成生

 3月初旬に自転車で舞鶴湾の成生(なりゅう)集落まで行ったが、灯台まで行きたくなった。
 岬の突端の灯台への道は無い。灯台の保守は船を利用しているらしい。

前回のMTB地形図破線路探査で、単独自転車行には懲りたので、今回は山岳会の人たちに同行願い、完全登山装備で実行した。先頭は読図の練習をミッションとする方にお願いし、私は終始最後尾を歩いた。

集落を出る時に地元のおばちゃん(複数)に挨拶したところ、「灯台に行く?無理無理」「ずいぶん前から地元の人間も行ったことがない」「以前、行き詰まって船やヘリコプターで救出したことがあった」「1日で帰ってくるのは無理」「クマや猪や鹿もいる」と散々であった。

「迷惑かけないように、無理と思ったらすぐ引き返しますし」ということで、なんとか通過。

地形図では岬のかなり奥まで破線の小径があり田のマークもあるので、離れた田んぼに通う小径があったと推測される。その小径がそこそこ残っているならば、案外簡単に灯台に到着するかもしれないと思ったが、集落を出てすぐに小径は消滅した。

尾根に登り、基本尾根歩きで小ピークをいくつも越えて灯台へ着いた。標高は低いがアップダウンはけっこうあり、体力をそこそこ使った。

まだ下草や若葉が無いシーズン、尾根は見通しもよく歩きやすかったが、左右に広がる日本海の怒濤が地の果ての雰囲気を醸し出し、天気も下り坂とあって、のんびり長閑な気持ちにはなれなかった。

ロープ、登攀具類をフルに背負い、時間があればどこかでアイゼントレーニングもするつもりだったので、装備的には心強かったが。メンバーの中にはクライマーもいるし。

結果、登攀具を使うことはなく、普通の歩きで済んだが、道が無く全く管理されていない空間を地図を頼りに進むという、とても面白い体験ができて大満足であった。同行の皆さん、ありがとうございました。

【実施日】2018年4月14日
【行程】京都市内7:00=成生9:30~12:12三角点(P213)~12:58成生岬灯台13:20~(基本的にピストン)~14:28 P166~16:00成生

成生の集落から灯台ピストンで6時間半かかった。地形図で想像するよりも手応えがあった。

舞鶴市成生
写真:成生

写真:同行の皆さん

写真:小径は無いので適当に斜面を登るが、滑りやすい土質

P213
写真:213m三角点。今回の最高標高。

写真:P213の先、正面のピークを越えると灯台が近い。尾根ルートで走破。

毛島
写真:毛島の洞門がみえた。

写真:灯台が近づいた。

舞鶴湾成生岬砲台跡
写真:戦時中の砲台跡

成生岬灯台
写真:成生岬灯台

成生岬灯台
写真:灯台のプレート

成生岬灯台へGPSログ(往路)
※GPSログ(往路)

※成生や田井をフィールドにした地理学の論文があった。学生時代に読んだ記憶がある。
柿本・島田・藤村「定置網漁村の経済構造-丹後成生の場合-」人文地理1974
・・・今、読み返してみて、なんとよく働く人たちなのだと頭が下がる。集落にある立派な家屋も代々、働きづめで蓄えたものなのですね。遊びに来た人の遭難騒ぎなんて、とんでもない迷惑なのがよくわかります。論文が書かれてから半世紀ほど経つが、その後の変化はどうなのだろう?