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大隅半島サイクリング:隔絶集落 (佐多)辺塚から大浦、(岸良)辺塚へ(2017/11)2018/02/19

「僻地」というのは一般的には都市的地域から離れた場所を言う。

僻地の代表例として挙げられることが多い四国の祖谷や、九州の五家荘、米良荘にしても、その地域全体が都会から見た「僻地」なだけであって、いったんそのエリアに入ると、中心地には公共施設や商店もあり、そこで地域社会が成立してきた一定の機能とまとまりがある。区域にある集落ひとつひとつが孤立、隔絶しているわけではない。

ところが、今回のツーリングで訪ねた 鹿児島県の大隅半島東南部、その中でも、大隅半島が太平洋に落ち込む断崖上の道路をひたすら走ってたどりつく肝付町岸良大浦(きもつきちょう きしらおおうら)という集落は、その隔絶度合いがすさまじく、「僻地」などという一般的な形容ではなく、正真正銘の「隔絶集落」と呼ばせていただいてもよいと感じた。向かい風であったが、隣の集落から自転車で2時間はかかるのだ。

隣(といっても、すごく離れている)の集落名は、なぜか同じ名称の「辺塚(へつか)」。西にあるのが肝属郡南大隅町佐多辺塚(きもつきぐん みなみおおすみちょう さたへつか)、東側が肝付町岸良辺塚(きもつきちょう きしらへつか)。西のほうの辺塚はかつては学校もあり、東の辺塚よりも断然規模が大きい。

誤解のないようにいうと、僻地であったり隔絶していることをネガティブにとらえているのではなく、その隔絶感がなぜかしら大きな感動を与えてくれ、素晴らしい場所だと感じさせてくれた感謝の気持ちを伝えたいのである。

寺社仏閣や名刹、温泉、特色ある宿泊施設、小説や映画の舞台などの観光的要素が皆無なエリアであるが、そこに行ったというだけで不思議な感動を与えてくれた。本土最南端の佐多岬よりも圧倒的に。

民俗学者の宮本常一も昭和15年と37年に訪ねており、「宮本常一著作集39 大隅半島民俗採訪録 出雲八束郡片句浦民俗聞書」未来社1995で、その当時の辺塚や大浦の様子を知ることができる。興味のある方は、ぜひご一読を。

宮本常一の著作から、印象に残った部分を抜き出す。
・大泊から外之浦の間も車こそ通わないが、三尺ばかりの道になっていることも、考えてみると親の愛情がそうさせているらしいのである。大泊の小学校へは尾波瀬・田尻・外之浦から通う。一つの通学区域内は学校を中心にして、どうやら道らしい道がついているのであるが、大泊の学校へ通学しない島泊・尾波瀬間と間泊・外之浦間の道は至って粗末である。大人の行く道は歩けさえすればいい、といった程度だが、子どもたちの道は途中の事故を案ずる親心がこもって広くされている。・・・道路の改良はこんな所からも行われたのである。(昭和15年)

(以下は昭和37年)
・佐多から辺塚にはバスが無いので歩かなければならない。16km、それも悪い道。そこでたいていはバスで郡(集落名)まで来て、そこから船をやとって辺塚に行く。

・ここからは高校が遠いので、高校へゆくものはほとんどなく、たいていは中学を出て就職する。中学校を卒業するころになると、学校へ就職のことを頼んでおく。すると阪神地方の中小企業から申込みがあり、そこに割り当てられて出て行く。女の子はほとんど繊維工場。※大隅半島の村々から京阪神に就職した人が多いというのは意外だった。薩摩の人は東京志向かと思っていたので。今は「大阪のおばちゃん」な人でも実は大隅半島のご出身であったりすることがあるのかもしれない。)

・昔は大浦から買い物は6里(約24Km)離れた大根占(地名)。内之浦の方へは、役場の用事以外には今もって全然行かない。※大浦には昔から商店は存在しなかった。海沿いに立地するが港は現在も無いので船も使えない。

【走行日】2017年11月2日~11月5日
【使用自転車】TOEI700Cランドナー
【峠】大内山峠65m、美濃峠258m
【行程】
11/2(木)JR西大路5:07=5:45新大阪6:00=みずほ601号=9:46鹿児島中央10:05=11:27指宿(輪行組み立て&昼食)12:44~13:13山川港~14:34長崎鼻14:55~15:25西大山駅~15:40開聞川尻~16:28塩谷~16:51開聞駅~16:58民宿「かいもん」泊:GPS計測40km
 ルートラボで詳細

11/3(金)
民宿「かいもん」6:45~7:31山川港8:00=「なんきゅうフェリー」=9:00根占港~大浜下9:30~10:07伊座敷~涅槃門11:00~11:24西方(道を間違え往復)~12:07大泊~12:48佐多岬13:22~13:58大泊~14:24間泊14:30~14:41古里~15:12郡小学校(跡)~16:44峠~17:05辺塚 「湊原旅館」泊:メーター計測100Km
2日目
 ルートラボで詳細 

11/4(土)「湊原旅館」7:36~辺塚小中学校跡・町内ポタリング8:00~8:30沢渡~8:40打詰~9:51大浦分岐~9:59大浦小中学校跡など地区内10:30~10:38大浦分岐~11:48峠~12:18岸良辺塚12:31~13:00船間(国道)~13:13浜(昼食・かぐら)14:03~14:08岸良三叉路~14:52美濃峠~15:00内之浦~16:00肝属川第二有明橋~16:35菱田三叉路~16:50志布志~17:05大隅夏井駅~17:28串間「あかつき荘」泊:メーター計測115Km
3日目
 ルートラボで詳細

11/5(日)串間「あかつき荘」7:35~8:09港~8:40都井トンネル~8:54黒井~9:06毛久保~9:39御崎~9:53都井岬灯台~10:30恋ヶ浦トンネル~11:00幸島対岸~11:21峠トンネル~11:51大堂津駅:メーター計測64Km:12:42=(日南線)=14:10南宮崎14:22=(きりしま13号)=16:23鹿児島中央16:38=(さくら566号)=20:48新大阪20:58=(=21:33西大路=(taxi)=自宅
4日目
指宿駅
最寄り駅から朝イチのJR、新大阪から始発の新幹線に乗ると、いつも会社に着く時間には鹿児島中央駅に到着。在来線に乗り換えて指宿駅からスタート。新幹線は速い!

長崎鼻
南薩では、開聞岳がいろいろなところから望める。かつて新婚旅行で賑わった長崎鼻からの開聞岳。

西大山駅
JR最南端駅「西大山駅」への案内と開聞岳

民宿かいもん
1日目の宿、民宿「かいもん」。とても美味しい焼酎をつい飲み過ぎて、サイクルツーリングでは初めての宿酔気味で翌日出発。

伊座敷 昭和館
佐多半島 旧佐多町の中心街「伊座敷」。民俗学者、日本を代表するフィールドワーカーともいえる宮本常一も泊まった「昭和館」の現在。

佐多岬
本土最南端 佐多岬

日本縦断ゴールの人
日本縦断を、今、当にやりとげたという人を記念撮影。自転車はジャイアントのデフィ。

辺塚 みなとはら旅館
2日目の宿。辺塚の「みなとはら旅館」。とはいっても旅館の看板が無いので、地元の人に聞いて、ようやくわかった。

みなとはら旅館にて
「みなとはら旅館」の女将さんと。

みなとはら旅館にて
「みなとはら旅館」を出発

辺塚小学校
辺塚小学校(跡)

辺塚小学校
辺塚小学校(跡)碑

辺塚の民家
辺塚の民家。後ろの植生が南国の雰囲気。

大隅半島東海岸
大隅半島東海岸の道だが、海からはだいぶ上を走る。時々、太平洋が現れる。

日本一周の人
クルマとも殆ど出会わないが、突然自転車を押して登る女性に出会う。長野を出発して日本一周中とのこと。海岸沿いに日本1周をする人の他には、サイクリストもあまり出没しないのかもしれない。

大浦小中学校
地形図を眺めていて、その隔絶度合いに驚いた「大浦」にある小中学校(跡)

大浦の住宅
大浦の民家。郵便ポストはどんなに隔絶した集落にもある。ユニバーサルサービスとはこのことか。

大隅半島・大浦
大浦の耕地。海に面していても、港は無い。

大浦
大浦でお会いしたお年寄りに、許可を得て撮影させていただいた。

内之浦辺塚海岸
(岸良)辺塚の海岸。同じ「辺塚」の集落名称でも、佐多辺塚と、現在では特別の関係性があるわけではないとのこと。

内之浦辺塚
(岸良)辺塚の集落

辺塚海岸
(岸良)辺塚海岸

ようやく、大きな道と合流する三叉路。岸良。

三叉路には、なかなかよさそうなお店があった。

串間あかつき荘
3日目の宿、串間の「あかつき荘」

都井岬の近くの商店

都井岬への旧道を走る

都井岬灯台
都井岬灯台

都井岬
都井岬

日南海岸
日南海岸

大堂津駅
JR日南線「大堂津」駅から輪行で帰京。

今回はJR西日本の企画切符を利用したので、新大阪-鹿児島中央が13,000円で行けた。
列車の変更は自由席も含めて一切できないが。

  ☆詳しくはgoogle fhotosで(137枚)

隧道(トンネル)の扁額(へんがく)2018/02/24

自動車で走っていると、一瞬のことなので目に留める機会も少ないかもしれないが、自転車だとしっかり目にとまるものがある。

その一つがトンネルの扁額(へんがく)。扁額というのは高い位置に掲出される額や看板のことで、寺社の門やトンネル、茶室などが代表例。

気をつけてみると、トンネルには扁額として漢文でなんらかの意味を記されているものが、しばしばある。

昔はトンネルを掘るというのは大事業で、トンネルが開通した記念というか、揮毫感覚なのか、ふさわしい一句、みたいな感じで付けたのかもしれない。

今の高速道路やバイパスだと、トンネルなんてそれが普通で、いちいち感動を味わうことはなく、「○○3号トンネル」とかいった感じの表示で済まされているが。

難しいことは十分承知しているが、トンネルの一つ一つのに漢文調の扁額をつけることを何らかの内規等で定めたら、日本文化のためにもなかなか良いのではなかろうか。

その地域の歴史や故事にちなんで、ふさわしい文字を扁額とする。そのことで、地方の文化人や役所の中の文人的な役割を評価することになると思う。

私の高校の同級生で、中国哲学を学び、仙人になる方法とか、諸々、東洋の哲学や文学に通じた人物がいるが、そういう人に、世間的にも活躍の場を提供できたら素晴らしい。

新しい高速道路やバイパスのトンネルでもこれはという箇所には、しかるべき言葉が選定され、扁額をこしらえる。

運転手はともかく、同乗者は、扁額にこめられた思いに一瞬、心を寄せる。もちろん、一方的な価値観の押しつけであったりするものであってはならない。日本国憲法の精神から逸脱しないという前提で。

まあ、奇跡的にそんなことができても、税金の無駄使いとか、グローバル指向の世で無駄の象徴のように糾弾されるのがオチだろうが。

というようなことを考えたのは、常々そこを通過する度に思っていたのだが、今日も自転車でいつものルート、奥嵯峨から保津峡沿いを走っていて、小さなトンネル2つの扁額に接したからである。

六丁峠を越えて、最初にであう「落合隧道」には「竭誠盡敬(けいせいじんけい)、「誠をつくし、敬をつくす」との意味。
落合隧道

その次に現れる「鵜飼隧道」には「平安乾域とある。「乾(いぬい)」は方角でいうところの北西であるので、このトンネルが平安(都)の西北、ということであろうか。
鵜飼隧道

去年、その高校の同級生と息子さんと一緒に走った三重県の長野峠旧道には、トンネルの扁額を切り出したモニュメントがあり、「其の功をもって裕とす」とある。”天然への畏敬と人間賛歌とが微妙なラインでせめぎあう面白い言葉”だという解釈をwebから得たが、よくわからない。

トンネルの扁額に気づくのは、サイクルツーリストの特権?かも。惹かれる扁額がありましたら、ぜひ、ご一報をお願いします。

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<追記1>
国道9号線、京都市と亀岡市の境である「老ノ坂」トンネルの扁額

老ノ坂隧道扁額
亀岡側。左が旧トンネルで今は歩行者/自転車用。右が現役トンネル。
扁額は「老ノ坂隧道」とありますが、下に
との漢文の碑があります。
何と書いてあるのかとwebで検索したところ、ブログ「轍のあった道」に説明がありました。引用させていただきますと、
”「遠邇之利往来之便」
yoshim氏のサイトに京都国道事務所からの回答として意味が掲載されている。そのまま転載すれば、「(この道ができたことにより)遠いところにも近いところにも利益をもたらし、往来の便がよくなった。」という意である。”
とのことでした。

京都市側の旧トンネル(歩行者/自転車用)には、「和風洞」と扁額があります。
和風洞

現役トンネルは「松風洞」ですが、拡張工事の際に外されたのか地上に置いてあります。
松風洞

<追記2>
舞鶴市「大波隧道(旧)」の扁額
大波隧道扁額
「鶴高沖」とありますが、どういう意味なのでしょう?鶴は舞鶴の鶴だと推測しますが。

<追記3>
兵庫県「鐘ヶ坂トンネル(昭和)」の扁額


「鐘ヶ坂」には明治、昭和、平成の3つのトンネルがあり、今、通行可能なのは平成年間のもの。地形図には昭和のトンネルも表記されていたので、自転車で走るにはクルマが少ないであろう古いトンネルのほうがいいと思って行ってみたが、閉鎖されていた。

扁額があるが、皆、明治のトンネルについては記しているが、この昭和トンネルの扁額についての解説をみつけることができなかった。
鐘ヶ坂旧トンネルは閉鎖
 鐘ヶ坂トンネル(昭和)にも、兵庫県知事の扁額がある。

志摩半島・安乗埼と大王埼灯台へ(2018/2)2018/02/27


大王埼灯台
写真:大王埼灯台

 少々の雪ならMTBで積極的に楽しめるが、今回は雪の無いエリア、日帰りでなるべく温かそうなところ、と考えて志摩半島に行くことにした。

京都の自宅をクルマに自転車を搭載して出発。名神高速道路の電光掲示板には、関ヶ原付近はチェーン規制と表示。目的地は志摩なので新名神を選ぶが、鈴鹿峠付近は淡い雪景色だった。

亀山を過ぎると、天気は晴。伊勢から志摩への道は、路肩も狭く山間のカーブの多い道で、自動車ならいいが、自転車ではあまり走りたくない感じ。

阿児アリーナ駐車場にクルマをデポ。安乗埼(あのりさき)を目指す。風が強いが晴れて明るい。

志摩国分寺の前を通ったので、せっかくなので立ち寄る。ちょうどお寺の方がいらっしゃって本堂を案内してもらえ、ありがたいことであった。
志摩国分寺
写真:志摩国分寺

しばらく走ると「渡鹿野島(わたかのじま)」への渡船案内板があった。

渡鹿野島は、今では普通の観光地に転換してきているが、まあ、何らかの目的意識(探検してみたいとか一度実際にみておきたい等も含む)がなければわざわざ立ち寄ろうとは思わない。とはいえ、どんな島なのか遠くから観てみるのもよかろうと思って、渡船場までピストン。

2017年発行のルポ本が私の職場のビルにある書店にも並んでおり、ツーリング後に買って読んでみた。興味本位ではなく冷静に書かれているが、扱っている時間軸は近年。

風俗ライター的立場からでなく、渡鹿野島について記してある文章で参考になったのは、
(人間学工房 「三重県志摩 民俗資料館をつくる」)
ttps://www.ningengakukobo.com/single-post/mieshima

戦前の情景を知る手がかりとしては、大阪毎日新聞の写真部長もつとめた北尾鐐之助の「近畿景観 伊勢・志摩」創元社1942がある。
「先年電鉄会社が、ここを志摩の桃源郷の如く宣伝しはじめてから、善い意味にも悪い意味にもその方に発達して、全島が脂粉の香に蔽われ、むかし波枕の漁師のみを相手にしていた青楼が、いつか大阪、神戸あたりの客を引くことに憂身をやつすようになった」など北尾は格調高く描写している。北尾がこの島に滞在したのは2時間程と記されている。
 宮本常一の著作を探ると、江戸時代の頃から風待の船員を対象として栄えた旨の記述もあるので、漁師のみを相手にしていた場所ではなかろうが。
渡鹿野島渡船
写真:渡鹿野島渡船場

そんなこんなで、いろいろ見聞しながら、ようやく安乗埼に到着。
全国に15ある登れる灯台の一つ。灯台は当然のことながら見晴らしのよい所にあるのが普通なのだが、安乗埼灯台は、これまで訪問した中でも、特に眺望がすばらしく、感動した。
安乗埼灯台
写真:安乗埼灯台

映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台にもなっており、帰宅後、amazonで中古DVDを取り寄せた。木下恵介監督、1957年のオリジナルは高峰秀子と佐田啓二。1986年の新編では佐田啓二の息子の中井貴一も出演、灯台守夫婦は加藤剛と大原麗子。新編の公開当時、私は既に就職していたのであるが、当時、この映画に関心を持った記憶は全くない。今、観ると、1986年というのは全てがずいぶん昔だったのだなという感想。同時代を生きていたのだが。人間の本質は昔からそんなに変わってないと思うが、社会はものすごく変わっている。

安乗埼灯台見学の後は、よそ者が自動車で通過するにはとても憚られる狭い道の安乗の集落を自転車ということで遠慮無く周回し、観光地ではない漁村集落にも立ち寄り、大王埼へ向かった。
安乗の散髪屋さん
写真:安乗の散髪屋さん

夏なら海水浴やサーフィンで賑わうであろう海岸沿いの道も、この季節は静かであった。大王埼は灯台の門前商店もあったりして、昭和の観光地という感じで、趣があった。

志摩は「島」だというのが、自転車で走ってみての感想。基本、道は尾根伝いにあり、リアス式海岸の入江的な地形が無数にあり、海水の浸入リスクもあり未利用地も多い。

「伊勢志摩」と一括りにされることもおおいが、伊勢と志摩は全く別の個性。伊勢は農業国で志摩は漁業国、壱岐と対馬の対比のように感じられた。

【走行日】 2018年2月18日(日)
【使用自転車】TOEI650Aランドナー
【峠】 -- 【岬】安乗埼(あのりさき)、大王埼
【行程】
自宅6:10=新名神・伊勢道=阿児アリーナ9:00~9:45志摩国分寺10:05~渡鹿野島渡船場10:15~10:40安乗埼灯台資料館・灯台11:05~11:36阿瀨~12:25志島小学校~12:50波切(昼食)~13:27大王埼灯台14:10~15:03阿児アリーナ(デポ地)=京都