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丹波の民家や集落の景観--生活の中の美--2016/06/02

 1981年、大学に入学した夏に自動二輪の免許を取って、京都の北側、丹波の村々をオートバイで走った時の第一印象は、美しい!ということ。なんというか、普通の農村景観が絵になるというか、洗練されていると思いました。

 今は自転車で走り回り、関東や東北や中国地方など様々なルーラルなエリアにも足を伸ばしていますが、丹波の農村景観の美しさへの確信はますます強くなっています。
 想像するに、田舎であっても、京都が近いので、大工や庭師、職人さんの意識の中に、直接的であれ間接的であれ、京都の寺社やお屋敷の仕事経験が生きているのではないでしょうか。若いとき京都で仕事をした人が帰郷しているとか、美しいものを見てきた経験の地域的蓄積が反映している、そんな気がします。
 
 観光地でもなく、ごく普通のムラでも「見られている」意識があるのか、「見られなくても自分の美意識として」家の周りの手入れを怠らないのか、とにかく、他の地方に比べて丹波の村々は、全体的に美しいと思います。

 写真の家は、自動車は通れない旧道の峠を下って最初に出会う場所、ムラの入口からするとドンツキの家ですが、とても綺麗に使っていらっしゃいます。家の表はまるで小料理屋がすぐにでもできそうな庭。農作業のための物置も綺麗に整頓されています。ゴミとか朽ちたものは、まったくありません。

 ここまでの家は、そうそうありませんが、山陰出身の私としては、参りました、という感じです。
 
丹波の民家
丹波の家:2016年4月撮影

丹波の民家の物置
同じ家の農作業用物置

北条町駅から智頭町、香住へ(2012/11)2016/06/03

2012年の11月、北条町から中国道に沿って走り、福崎、安富、山崎、平福、大原、智頭、若桜とシックな町並を通って日本海側の香住駅まで走りました。

月に一度鳥取に帰省しているのですが、その時中国道から見える道路を自転車で走ってみたいと常々思っていたのと、沿線には民俗学の柳田國男の生家がある福崎、木材の集散地の山崎、参勤交代の宿場町だった平福や大原、山林地主の町である智頭、若桜鉄道の若桜など、渋い町が連なっており、いつもはクルマで素通りしていたところを、きちんと見たいと思ったのでした。

福崎町:柳田國男の生家
写真:福崎町:柳田國男の生家
柳田はこの家のことを「日本で一番小さい家」と記しているが、もっと小さい家は沢山ある。当時、東京帝国大学に進学した人の中では、「日本で一番小さい家」ということではなかろうか。

鳥取道と智頭急行との交差
写真:鳥取自動車道と智頭急行とクロスする

宿場町 大原
写真:宿場町 大原 鳥取藩が参勤交代に使った因幡街道。

【峠】 うすづく峠(197m)、安志峠(あんじとうげ:156m)、切窓峠(きりまどとうげ:269m)、八重谷峠(やえだにとうげ:247m)、寺坂峠(てらさかとうげ:314m)、木地山峠(きぢやまとうげ:727m)、右手峠(うてとうげ:631m)
【自転車】 グランボア700Cデモンタブル
【行程】
◎2012/11/24
京都=(輪行)=北条鉄道北条町駅9:15~10:30中国道加西SA横~10:50福崎:柳田國男生家~11:17福崎駅~12:17安志峠~12:40山崎町内13:07~13:33切窓峠~13:45八重谷峠~14:10寺坂峠~14:30平福~15:25兵庫岡山県境~15:40智頭急行宮本武蔵駅~15:50大原~16:25西粟倉村~17:17木地山峠~18:12右手峠~18:47智頭町(林新館 泊)
◎11/25
8:00智頭町8:52~9:20板井原トンネル~9:40板井原~10:23用瀬町赤波~10:37まぢトンネル~10:50八頭町船岡~11:00隼駅11:17~12:12若桜12:45~13:40舂米~14:20兵庫県境~14:52香美町秋岡~15:15国道9号和田交差点~16:11香住駅=(輪行)=京都
北条から香住
 ☆ルートラボで詳しくルートを見る

【メモ】
・山崎や大原など、自動車道やバイパスを走っていたのではわからない、渋い素敵な町並が堂々と存在している。
・志戸坂峠のトンネルを通るのが嫌なので、木地山峠と右手峠を通って岡山-鳥取県境を越えようとしたところ、途中で日が暮れてしまった。ガスの中も走ったが、その際はLEDの光は拡散して役にたたなかった。昔からのナショナルの探険ライト(豆電球)だとガスの中でも光が地面に届いた。
・右手峠の道を真っ暗な中走っていると、時々サーチライトで照らされたようなまぶしさを感じることがあった。何かと思えば、樹木の間から差し込む満月の光だった。月明かりがあんなに明るいものだと、初めて知った。
てっきり民家があってその光かと思ったら、それは月光。
・柳田國男生家、宮本武蔵誕生の地、平福宿、大原宿、智頭の山林地主の家、西口克己映画監督記念館、隼駅と若桜駅の鉄道施設展示、など見どころ満載であった。有名な観光地はひとつも無いけれど。

写真をみる GooglePhoto(68枚)

京都北山・里山ライド22016/06/05

今日は、夕方3時からホロホロとMTBで里山ライド。京都は山が近いので、自宅から30分も走れば、シングルトラックに取り付けます。

以前MTBに良く乗っていた頃から20年以上走ってないルートを、記憶を頼りに時々スマホの地図(地図ロイド、国土地理院の国土基本図が表示されるので2.5万図よりも詳しく細かい道が載っている)を頼りに走ってきました。地図にないシングルトラックも多数あるので、時々引き返したり探索しながら。

何十回、何百回も自転車で走っているいつもの国道から、ちょっと登ってこんなトンネルを通ってスタート

しばらくシングルトラックだが、下りは乗車が難しく、押し。

途中からダブルトラックに合流する。暗く、寂しい道。

水辺をかすめて走る

少し担ぎ上げると、
峠です。
峠からは京都の町が一望できます。

若干の押しもありますが、乗車率の高いゴキゲンなシングルトラックが続きます

景色の良いビューポイント

お地蔵さんに挨拶すると、そろそろシングルトラックは、おしまい。

竹林の中の古くからの坂道を下ると、
いつもの田園風景に。正面には息子の卒業した高校が写っているのですが、景観に配慮して目立たない建物です。

日曜の夕方2時間ほどで十分楽しめた里山ライドでした。

秋山郷から松之山温泉、高田 (2014/8)2016/06/07

日本に「秘境」があるとして、秋山郷はその一つとして思い浮かべられるのではないでしょうか。江戸時代後期の書、「北越雪譜(ほくえつせっぷ)」で紹介され、私も学生時代に岩波文庫版で読んで以来、秋山郷を訪ねてみたいと思っていました。

就職して志賀高原にスキーに行くようになりましたが、そのずっと奥の秋山郷までは行けずじまい。2014年の夏、ようやく自転車で訪問する機会をつくりました。

冬期間も含めて実際に生活してみたら「秘境」を実感するのかもしれませんが、21世紀になった現在、夏に走るぶんには、特別な感じはそんなにしませんでした。ただ、民家の形や色には特徴的なものがありますし、住宅や道路の豪雪対応から、地域性を感じられました。

【自転車】TOEI700Cランドナー
【峠】三方峠(さんぼうとうげ:657m)
【行程】
2014/8/21 夜、京都発=中央道=小布施ハイウェイオアシス(仮眠)
8/22 小布施デポ地7:47~8:30信州中野~9:30湯田中駅~12:00丸岡観光ホテル12:40~13:25高天ヶ原~13:48奥志賀高原ホテル分岐~14:05野沢温泉分岐~15:05切明温泉「雪あかり」泊
8/23 泊地8:30~9:20小赤沢10:05~11:00逆巻~12:05秋成本村(昼食・蕎麦)12:40~12:55資料館13:20~13:40津南駅~15:05松之山温泉「明星」泊
8/24 泊地8:15~9:07三方峠~11:07小黒~11:45切光~12:35高田公園~12:42高田駅=(輪行)=豊野駅=(TAXI)=小布施デポ地

秋山郷小赤沢
秋山郷 小赤沢

秋山郷の民家
秋山郷の民家

新しい家も、積雪対応

積雪対応の表示
積雪対応の道路表示

松之山の棚田
松之山の棚田

秋山郷から松之山温泉

遭難捜索・登山届け 愛宕山2016/06/18


写真:遭難者捜索で右京警察の方への報告と情報交換

写真:京都府山岳連盟で捜索協力

写真:沢装束を入れたザックと、清滝までの足のTREK7.9FXたぶん2007年モデル

今日は、MTBで朝早くから走る予定にしていたのですが、前夜に所属山岳会より、遭難者捜索の要請があり、参加しました。

遭難者は68歳の男性で、4日前に愛宕山に登り、下山していないとのこと。愛宕山というのは、シビアな山ではないのですが。

警察や消防も捜索したけれど、京都府山岳連盟に協力の要請があり、私の所属している山岳会も岳連加盟のため、情報が届いた次第。

登山道他はくまなく捜索したけれど、発見できず、岳連には、沢筋中心に捜索して欲しいとのこと。

所属山岳会からのメールも、沢装備で懸垂下降ができる人、というオーダー。

私も会に入ってからそのへんのことを学ばせていただいたので、参加した次第。

朝、6時半に愛宕山の登山基地である清滝というところが集合場所。家を6時に出てコンビニで行動食等を買い、6時10分発で、遅刻しそうで申し訳ないと思ったけれど、シティコミュータークロスバイク・リアキャリア付き、に登山ザックをくくりつけて、無理なく走ったら、清滝にはパンクチュアルに着き、ウチから清滝は、たった20分か、私が毎日通勤している大阪・梅田から会社までの歩きの時間よりも近い、と右京区民にとって愛宕がいかに近いのか、改めて認識した次第。

で、集合地点には岳連加盟山岳会の方々が集合されており、担当を決めてそれぞれのエリアを捜索。亀岡の山岳会等の方々は、別の地点を出発して捜索。

沢筋中心に捜索したのですが、見つからず、愛宕神社のところでは右京警察の方4名と出会い、状況を報告。

下山も登山道外のところを含めて捜索しました。下山したところで消防の方と出会いました。消防の方は、これまでかなり大規模で捜索されて、滑落しそうなところとか登山道はくまなく捜索したけれども、見つからないとのこと。

通常、警察や消防は、「ここに遭難者がいる」ということが明かな場合、解決に向けた体制を組みますが、登山届けがなく、「どこに登ったのかよくわからないんですけど、帰ってこないんです」という登山行方不明者には、捜索範囲が特定できないため、対応が限られてしまうようです。

警察や消防を大規模に動員するということは、その分、別の場所での対応には負担になるわけで、公共の安寧に携わる立場としては、特定の案件だけに関わるわけにはいかないのは、市民感覚・納税者感覚としても仕方ないところでしょう。

ですから、登山届けというのは重要な意味を持つと、改めて認識しました。登山届け無しで行方不明になった人には、対処方法がどうしても限定されますが、きちんと登山届けがしかるべきところに出されていれば、当局としても、対応の仕方が判りやすい、ということでしょう。

今回の場合の愛宕山というのは京都近辺の人にとって火伏せの神様として親しまれており、山頂付近に愛宕神社があることもあって、愛宕さんに登るのに、いちいち登山届けを出す、という習慣はありません。「登山」ではなく「神社への参拝」なのに登山届けがいるんかい、という人がいるかもしれませんし。

では、なんで、警察や消防がすごい体制で臨んだかというと、遭難者のバイクが登山口にあったため。

それで、遭難者は確実にここから登って、ここに降りようとしていたという推論が成り立ち、警察消防は行動範囲が推測できるため、体制を組んだ、ということらしいです。

でも、これだけ探しても見つからない。神隠しにあったのか、そんな気持ちで解散しました。

その後、地元の人と話す機会があり、おばあちゃんですけど、参考になりました。

おばあちゃんの話
①行方不明登山者が出ると、地元の猟師さんは、自分の仕掛けたワナを見に行く。自分のワナだと気が悪いから。バリエーションルートとかいって獣道のようなところを単独で歩くのは、そういうリスクもあるのかと思いました。

②数年前も、行方不明の方が出て、奥さんはその後、毎日、行方不明者捜索協力のチラシを登山口で配っていた。半年後、地元の猟師さんが、まさかこんなところ、というところでザックを発見した。それで、ようやく葬式が出せると奥さんは感謝されて、地元に御礼の品を配った。

今回も、警察や消防の方は行方不明の方の写真を見せて、「この方を見られませんでしたか」と捜査されています。

今回同行した、私の所属する山岳会の理事長は、ザックに大きく「京都 ○○(苗字)」と書かれています。

今のご時世ですと、「なんでそんな個人情報(苗字だけで、住所とか個人を特定できるものではないですから個人情報でもないですが)を無防備にさらすんですか」
というツッコミがありそうですが、山では、それぞれ自分の存在を他者に知らせることがいざというときの生存につながるからだとお伺いしました。

山で挨拶するのはマナーというより、いざというとき、「あっ、その人とあそこですれ違いました」という情報が命を助けるかもしれない、ということ。

ですから、所属山岳会ではテントには必ず山岳会名を明記しています。

「ああ、あそこであの山岳会のテントがあって、一緒でした」という目撃証言が命を救う、そんな状況を、避けたいのは当然ですが。

青崩峠しらびそ峠、秘境駅「金野」(2008/7)2016/06/19


青崩峠
写真:青崩峠:遠山郷 1082m
しらびそ峠
写真:しらびそ峠 1833m
明石峠
写真:赤石峠 1195m
JR飯田線の「秘境駅」:金野
写真:JR飯田線の「秘境駅」金野(きんの)駅前

2008年7月、「青崩峠」「しらびそ峠」「赤石峠」と中部山岳地帯の大きな峠を3つ越え、飯田線の「秘境駅」金野(きんの)まで2泊3日の輪行ツーリングに行ってきました。

そもそも、「山岳サイクリング研究会」の集中ランの集合地点であるしらびそ峠に日曜日の13:00に着くつもりで走ったのですが、猛暑の中、しらびそ峠への勾配がすさまじく、バテ気味で1時間半の遅刻になり、誰とも会えませんでした。

自転車はTOEI650Aランドナー。リクセンカウルのフロントバックを使いたくて、フロントキャリアを外してパスハンター風に改造したのですが、前32×後22 が最大ローで、もっと軽いギアが必要だと後悔しました。

しらびそ峠は、標高1833mもあり、自転車で行ける峠としては相当高いのですが、ヘトヘトになってたどり着いたら、そこからは南アルプスの山々がドカーンと不気味なくらい高く屹立しているのが見えました。

「そうか、自転車ではゴールの最高地点でも、山登りではスタート地点か」「あの山にも登ってみたい」 と思って登山に目覚め、翌年には山岳会に入会したのでした。

【使用自転車】TOEI650Aランドナー
【峠】 山住峠(やまずみとうげ:1080m)、青崩峠(あおくずれとうげ:1107m)、しらびそ峠(1822m)、
【行程】
2008/7/19 京都6:23=(新幹線ひかり404号)=7:43浜松8:00=(遠州鉄道)=8:37西鹿島9:15~11:03気田川橋~11:07「一景」で軽食11:33~秋葉山下社12:37~17:22山住神社17:30~18:05水窪「中村屋旅館」(泊)
7/20 泊地7:27~8:20池島青崩峠分岐~9:20林道終点(インフレーター、ボトル、フロントバックを外し担ぎ)9:25~9:30青崩峠~10:30遠山郷和田~11:05下栗分岐~14:30しらびそ峠~上村15:40~16:51赤石峠~17:38喬木村「大橋旅館」着
7/21 泊地7:35~9:03金野駅=9:58(JR飯田線)=13:01豊橋13:25=(新快速)=大垣=(快速)=京都


☆写真を見る(Google Photos) 53枚

森本次男「樹林の山旅」朋文堂1940の復刻版サンブライト出版19782016/06/22


森本次男「樹林の山旅」

地理学科の先輩からメールを頂き、森本次男のペンネーム「朝 史門」(英国の作家アーサー・シモンズのあやかり)著「山の風景」蘭書房1948を分けて頂いたのをきっかけに、森本次男「樹林の山旅」朋文堂1940の復刻版サンブライト出版1978を大枚はたいて入手しました(日本の古本屋というweb経由)。

本日、届いたところですが、書き出しから引き込まれます。

要約すると

  登山人には2種類ある。
  ①飽くことなく同じ山に日を重ねて登行を続け得る者。
  ②自分自身にとって新奇なる山地を拾うが如くに転々と移り変わり登行を続けて行く者。
   ②-1絶対にと云ってよいほど紹介せざる山へ行かない者。記録を残された山を可也避ける。
   ②-2広告乃至は案内書によって話題に登る山地のみ登行を続ける者   
   
ということで②-1は何の記録も残さない人が多く、登行は自分自身のためであり、他人のための登行で無い以上、他人に自己の記録を教えなければならないという義務はなかろうが、自分は他人の記録を利用している時があるにもかかわらず奉仕の気持ちが無いのは恥ずべきことではあるまいか、ということでこの本を書いた、とのこと。フィールドは奥美濃。

この本の最初の1行は
「奥美濃は関西の隠れた山岳地帯である」

京都の岳人がしばしば奥美濃に行くのは、今西錦司が岐阜大学の学長を務めたことが影響しているのかもと思っていましたが、もっと昔からの流れだったのですね。

先輩からの私信を転載させていただくと
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森本次男の本について少し補遺しておきます。
おせっかいですいません。

主な著作(単行本)として次のような本がでています。
昔は、北山、丹波高原、奥美濃など山域に足を踏み入れる人なら、
必ずといっていいほど数冊は読んだ著者です。
しかし、没後半世紀が経過した今はそういう時代ではありませんね。

1)森本次男  京都北山と丹波高原       1938 東京 朋文堂(山旅叢書・関西篇)
2)朝  史門 山と漂泊    1940 東京 朋文堂
3)森本次男 樹林の山旅    1940 東京 朋文堂
4)森本次男 京都を繞る山々  1942 京阪電氣鐵道(趣味の京阪叢書 第10輯)
5)森本次男 山の言葉     1942 東京 朋文堂
6)森本次男 行軍・登山・遠足の指導      1943 東京 朋文堂
7)朝 史門 山の風景     1948 京都 蘭書房
8)朝 史門 風 韻      1948-1949 京都 昨日社(私家版)
9)森本次男 京都附近の山   1949 大阪 宝書房(ハイカーの径 第4輯ノ1)
10)朝 史門 山・旅・人   1948 京都 蘭書房
11)森本次男 比良連峰    1961 山と渓谷社(山渓文庫8)
12)森本次男 木曽路の旅   1962 山と渓谷社(山渓文庫18)
13)森本次男 新版・京都北山と丹波高原    1964 山と渓谷社(アルパイン・ガイド45)
14)森本次男 【復刻】樹林の山旅       1978 京都 サンブライト出版

もし、森本の著作がはじめてなら、『山の風景は』森本色が濃く、
文章も森本節が強いので、少し取っつきにくいかもしれません。

スポーツ自転車の初心者に、フロントアングルが立って、リアセンターの短い
ロードをあてがって、佐々里峠の上から北面の佐々里に向けて
「おもろいコースや、さぁ降りようぜ」と誘うような感じです(笑)
初心者でも、魅力にはまるとあとが怖いですが。

さて、森本著作を読み進める一般的な順番としては、
9)11)12)13)などの案内紀行を読み、その本に書かれている山域を自分であるく。
それから3)または14)の奥美濃にステップアップ。
さらに読みたければ2)5)7)10)に進むという感じです。

この森本スクール(教程)をひととおり読み終えるのに、通常なら10年ぐらいかかります。
なので、もし『山の風景』に目をとおして読むのに抵抗を感じられたならば、
11)か13)あたりを手に入れるか、図書館に足を運んで蔵書を読まれると良いでしょう。
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とのお話し。私は1)4)11)は入手しておりましたが、精読はしていないので、改めて向き合おうと思いました。

山の本というのは、結構出版されていて(自転車の本というのは、質・量ともに少ない)、「山岳書」といって山の楽しみ方のひとつのジャンルを形成しているといってもいいのですが、実は退屈なものが多いというのが、個人的感想。

自分が登ったり知っているエリアのことなら読めても、そうでなければ読み物として耐えられるものは多くはないという気がします(失礼)。

そんな感覚の中で、この本は躊躇する値段で、正直、入手をためらいました。

とはいえ、飲み会3回ガマンすればいい位のもので、タイムマシンに乗ったり墓場から森本次男さんを呼び出してお話しを聞く手間暇と実現性を考えれば、安いものだと考えて、これもご縁で、入手できて良かったです。