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若州一滴文庫、水上勉と今井美樹2015/07/05

 
若州一滴文庫
         写真:若州一滴文庫の門

若州一滴文庫本館
         写真:本館

若州一滴文庫
         写真:移築されてきた民家もある

「若州一滴文庫(じゃくしゅういってきぶんこ)」へ梅雨の合間の日曜日に行って来た。作家の水上勉の生家があった地区にある水上勉のテーマパークのような施設で、水上勉自身が建立し、後に地元自治体に移管してNPO法人が運営している。
 水上勉の作品は、代表作の「飢餓海峡」「五番町夕霧楼」をはじめとして、どれも大好きだ。松本清張は何故かしっくりこないが、水上勉の作品には引き込まれる。

 オープンして間もなくの頃、レンタカーで父母を案内して出かけた記憶がある。水上勉先生もちょうど中庭にいらっしゃって、すごい人だかりだった。

 いつ頃のことだったのだろうと、一滴文庫の年表をみると、若州一滴文庫のオープンが1985年、私が就職した年、訪ねたのはその翌年1986年だったと思う。
 
 唐突だが、1986年は今井美樹が歌手デビューした年。

 その前、久々に「AERA」を手にとったら今井美樹が表紙。記事を読んで、これまで意識したことはなかったが、今井美樹はほぼ同世代、彼女の歌手としての歩みと私のサラリーマン生活が同じ時間軸だったことに気づいた。新アルバム「Colour」をリリースとのことで、最新作では今井美樹はどんなふうになっているのだろうと思い、15年ぶりくらいに彼女のアルバムを買った。なかなか良かったので、オリジナルアルバムを全部揃えた。

 京都の自宅から一滴文庫は自転車で行ける距離だが、ちょっとそこまでという距離ではないし、走ることが目的になってしまう。ゆっくり見学して記念品や本も買いたいので、車で行くことにした。今井美樹を聴きながら。
 
 デビューから数年の若い頃のアルバムは、アイドル流行歌という雰囲気が感じられて今となっては何か古くさい感じのする曲も混じっている。発声や歌唱力も幼い。しかし、「PRIDE」大ヒット後の今井美樹は、脱皮してメロウな大人の歌手という私の好きなジャンルに進化してきたように思える。「ディーヴァ(歌姫)」の領域といってもよい。
 
 職業を転々として苦労続きだった水上勉が直木賞を得たのが1961年。「飢餓海峡」を発表した1963年は今井美樹が生まれた年。そして今井美樹が歌手デビューするまでの時の流れの中で、水上勉は大作家として財を成し、一滴文庫をデビューさせた。今井美樹が歌い手として進化している間、水上勉も作品を書き続け、亡くなる前年に一滴文庫を地元に寄附し、残した。

 当人同士何の関係もないし、その表現する世界が対照的ともいえる水上勉と今井美樹だが、何故か「母」の存在を通じて共通するものがあると、一滴文庫からの帰り道、車の中で今井美樹を聴きながら思った。

 水上勉は10歳で京都の寺に修行に出され、故郷の母を追慕していた。その母が胸まで浸かるジュル田(湿田)で働いていたその場所に、一滴文庫を建立した。

 水上勉の母への思い、母となった今井美樹が奏でる歌、それぞれが母の愛を感じさせてくれる。一滴文庫に一緒に行った私の母は、今年七回忌を迎える。